19-4.要の計上


 元金劉陶ではいい加減わずらわしいので、天軍支配地だったという事で以後この地域を天領と言い表す。

 紀陸はこの地に友好的に迎え入れられた。ここが最も紀陸の名を知らしめた場所だからだろう。天軍も今

では厄介者の代名詞でしかなく、皆その記憶を煩(わずら)わしそうに話す。

 故に天軍討伐に最も貢献した一人である紀陸は、好意を寄せられるに充分な理由がある。紀は常に民に同

情的であったし、紳士的に振舞ってきた。その事が今信頼となって返ってきている。 

 天軍の多くは楓に吸収されるか、元の暮らしに戻ったのだが。中には様々な理由から戻るに戻れず、賊に

なった者達もいる。指導的立場の者が全て屈し、大まかには鎮圧されたのだが、あれほど大規模な反乱の余

波がすぐに治まるものではない。

 しかし民の支持を失った事は大きく。残党も次々に討伐され、目立った動きは見られなくなっている。

 紀陸はまずそれらを一掃し、復興を促す事を考えた。軍部を引き締め、窮(きゅう)する者には救いの手

を伸ばし、全てを好転させていく。それは双支配から見れば考えられない速さであり、民達はその働きぶり

に目を見張った。

 双意識が拡大した事が天軍の乱という事態に陥った要因の一つとも考えられるが。乱の終わりと共にすで

に覚めてきており、次なる偶像を紀陸に求めたようである。

 紀陸は民の意を得る事に成功した。

 その手は賊にまで及び、降伏を改めて呼びかけ、中には丸々一部隊として取り込まれてしまった賊もいる

ようだ。これには当初心配する声の方が多かったようだが、紀陸はこの者達が何か起こせば情け容赦なく罰

した為、軍紀は緩まず、かえって賞賛される事になった。

 勿論罰すだけでなく公平に賞したので、元賊からの支持も得ている。その辺は抜かりない。

 だがこうして紀陸の声望が高まると、双内部から不満を持つ者が出てくる。民の暮らしやすい世界は不正

を是とする者にはどうしても暮らし難いものだ。

 双軍内部にも天軍に賛同した者は多く、それが去ってしまえばその分だけ椅子が空く。双はそこにいつも

通り大して考えもせずねじ込んだものだから、むしろ天軍が治めていた時の方が治安が良かった、という地

域まで出ている有様だ。

 苦情は絶えず、だからこそ紀陸の申し出を双重臣達は喜んで受け容れた。しかしそれに対し、今は疑問を

抱き始めている。

 気前良く全権を譲られた紀陸は容赦なく腕を揮ったが、その先が主に軍内部であった事は言うまでもない。

 彼は初めから天軍残党など問題にしていなかった。窮すれば欲す。餌を与えて懐柔するも、打ち砕くもお

手の物。簡単な仕事である。

 問題は双臣の緩みと際限ない欲望。それらを根絶する事が急務であった。

 しかしそれは双重臣にとって見過ごせない事だ。彼らは干渉される事を好まない。

 時間をかければ双臣も謀略を用い、双重臣を抱き込んで紀陸の動きを制限しようとするだろう。いや、す

でにその為に動いている。そうなれば一対多である。いずれ押し負ける。少しでも早い内に行動し、圧力を

かけてくる前に終わらせなければならない。

 天領支配の基盤を築く事は後々まで双を押さえる事に繋がる。絶対に成し遂げておかなければならない。

 紀陸は自分が行なうべき事を理解していた。小趙深という人もいるくらい、彼は師といえる人物と似通っ

た気質と役目を負っている。そしてその条件も。

 迅速に行動するには思い切った手を打たなければならない。

 しかし思い切った手を打てば多くの人の反意を駆り立てる。

 強行するには多くの人から強い支持を得ている必要があるが、紀陸はその条件を満たしている。

 その上で尚慎重な姿勢を崩さないのは、彼自身の性格にもよるのだろうが。彼は自惚れる事無く広範の民

の支持を得、双臣の評判を貶(おとし)めるよう無数の手を打った。

 難しくはない。こちらが罠を用意するまでもなく、双臣はこの短期間の間に数え切れない程の罪を犯して

いる。それを使えばいい。

 双臣にとってそれは罪ではなく常識だったのだろう。どれほど高潔な人物でも賄賂は当たり前のように受

けていたとも言うし。双という国はそもそもの意識、基準が他の国と大きく違う。

 双臣には大陸の全ては我が領地、所有物、という驕(おご)りがある。それは不徳の至りだが、だからこ

そ利用できる。

 それに双臣だけが自分本位という訳ではない。誰もがそうで、自らの利益をより重要に考え、その為に都

合の悪い事は忘れてしまう。

 天領の民はあれだけ双化していた考えを捨て去り、紀陸という強大な味方を得た事で遠慮なく双臣達を非

難し始めた。

 それを彼らは、失っていた大切なものを思い出させてくれた、と表現している。態の良い言い訳に過ぎな

いが、それこそ紀陸の目指したもの。正当な理由という奴ができたのだ。

 彼はその力で容赦なく双臣を罰し、有害な者を一掃した。

 ただし譲歩してやった者もいる。

 双重臣と繋がりがあるといっても、双本国から離れるような者は高が知れている。双において双王の側に

いるという事が最も大きな権威であり、どれだけ欲望を満たせられたとしても、常識的な考えを持つ者は都

から離れる事を望まない。

 地方に行く者は本国で厄介者扱いされているか、政略に破れたか、何とか重臣に取り入ってその役を得た

下賤(げせん)の者に過ぎない。重臣達もあまり興味は無く、最低限顔を立ててやれば文句を言うまい。

 こうして天領にはびこっていた者の多くは消え、残った者の権力も極々僅かなものに削られた。

 双重臣にある、やりすぎではないか、という不安は天領の民の心変わりの早さへの不満に誘導する事で解

決した。双対天領という図は楓にとって望ましいものでもある。

 後は(楓にとって)有用な人間を選別し、天領を作り変えていくだけだ。

 その為の時間も充分にあるだろう。

 紀陸の主な役割はどうやら果たせそうだが、望まれている事はそれだけではない。

 彼は北方の支柱。北方は双だけではない。越との関係も重要だ。

 水運は当然として、陸路もまた多くを越商に委ねている。

 越は王中心の政治になってから、あくどさというのか徹底した商売人根性の中に多少のやわらかさが出て

きているが、基本的な部分は変わっていない。

 以前は大商人同士の確執があり、越全体の利益より彼らの個人的な利益の方を優先される事が多かったが。

今はもう単純に国家としての利害関係で動いている。

 そしてそうする事で、越の利益と安全を護っている。

 徹底して利害関係で動くからこそ、例え敵対していても商売だけは信用し、物を買い、売ってくれるのだ。

 越はそうする事で大陸の商業を支配した。もう一つの大陸統一だと言っていい。

 そう考えれば、越が領土拡張に興味を持たず、商業的に広がる事をのみ望んだ事にも納得できる。

 故に紀陸も越に対して商いの点で惜しむ事はなかった。商売的利益によって楓衛と越が一つになる事が、

唯一越を味方にできる道だと知っていたからである。

 互いの純粋な利益によって結ばれている。だからこそ互いに裏切らない、裏切れない。

 書き表して見ると寂しくも哀れに思えるが、これも一つの答えではないだろうか。国という大多数の人間

が集う、無数の意志の集合体。それらを結ぶには、そういう解りやすく子供じみた関係である事が必要なの

かもしれない。

 そんな風にも紀陸は考えていたようだ。それは楓流、趙深に共通する認識でもある。そしてそれもまた人

と人と結び付ける要素なのだろう。

 利害関係、価値観、なんでもいい。共通するはっきりしたものがあれば、人と人は例え集団と集団であっ

てもそれなりに付き合っていける。壊れやすいとしても、無価値ではない。

 双と越相手には上手くやっていける方程式が確立されている。この二つの国は複雑に見えて単純である。

利害を特定しやすい。

 楓と双にしろ、楓と越にしろ、上手くはやれる。それはすでに実証されている事だ。

 問題となるのはそこに秦を絡めた場合である。

 双と越には共通の意識、利害関係というものがある。しかし秦を混ぜると途端にいびつなものへと変わっ

てしまう。

 そこにはどうしても共有できないものがある。楓と秦、双方にとって利がある事も確かに存在するが。双

方を利していたとしても、そこにはどうしても差がある。例えそれが僅かであっても大きな緊張を生んでし

まう。それ程に両国の関係は敏感になっており、これからも更に過敏になっていくと考えられる。

 だがその調停までを紀陸に望んでいる訳ではない。彼は支柱、あくまでも補佐的な役割である。秦との事

は楓流、そして趙深が受け持つべき問題だ。紀陸には荷が重い。

 その為の支柱は皆問題なく機能してくれている。楓流は秦のみを見ていれば良く。趙深はもう一つの仮想

敵国である斉に専念してもらえる。できるなら早々に潰しておきたい国だが、これ以上刺激を与えると何を

するか解らない。

 いずれは決着をつけなければならないが、今はまだその時では無い。このまま孤立弱体化してくれれば儲

けものだが、そこまで惰弱ではないだろう。姜白(キョウハク)、田亮(デンリョウ)は身に秘めた野望を

失った訳ではない。必ずや最後に手を打ってくるはずだ。

 彼らも秦同様、楓を覇王にさせまいとしている。大陸統一にどれ程の意味があるかは知らないが、彼らも

皆が望むように望んでいる。

 楓流もそうだろう。彼も乱世は統一で終わらせる以外に無いと考えている。趙深も同じだ。誰もが別の理

由で同じものを求め、同じ方角に限定されている。つまりそれが機運というものなのだろう。

 楚も楓に降ったが、諦めたと考えるのは早計だ。他の国もそうである。最後の最後までどこかでそれを諦

めていない。だからもし幸運が降って湧いたとすれば、それを無視するような事はしないだろう。

 何がどうなるかは解らない。だから常に自分を律し、他国を睨み続けている。

 もししくじれば、今まで築き上げてきたものを全て奪われる事になるだろう。運び屋時代の時のように。

 だからこそ楓流は賦族の力を求めている。以前は孫軍にその理想を重ねていたが、今は部族であり、賦族

である。何としてもその時までに間に合わせなければ。

 賦族、軍馬、鉄器、軍路、必要なものはどうやら見えた。後はそれを揃え、最大の力を発揮できるよう調

えるだけである。

 その為に考えるべき事、問題は山積みだ。

 楓流は軍馬の量産、育成に力を注ぎ始めた頃、その行軍に耐えられる軍路の整備にも頭を悩ませていた。

 馬の脚力は人の比ではない。だがそうであるが故に疾走時に肉体にかかる負担は大きなものとなる。人と

鎧を乗せて走るのだから、尚更だ。

 彼は以前から道というものに関心を払い、重要視してきたし。馬を使った伝令手段を効果的にする為、様

々な工夫を凝らしてきた。駅伝方式を完成させたのも彼である。

 しかし伝令馬と軍馬とは全く別種のもの。

 伝令馬はいかにその場所に早く確実に着けるかが重要で、伝令自身を極力軽くする事で馬の負担を和らげ

た。それは一つの技術にまで高められており、すでに完成されていた。だからそれを流用すれば良かった。

 だが軍馬、それも騎馬軍という発想は今までのものと根本的に違う、新たな考え方だ。持続力と速さの上

に強さが要る。いや、むしろ最も重視されるべきは強さ、破壊力である。騎馬突撃によって全てを蹴散らし

粉砕する。それが楓流の望み。目指すべき大陸最高の軍。

 馬の育成方法によって、それはいくらか達せられるであろうが、それだけでは駄目だ。より軽くて強い武

具、そして何より馬が集団でも走りやすい道を造らなければならない。馬具にも改良が必要だろう。

 楓流は馬の理想像を調教された馬ではなく、荒々しくも気高い野生馬、特に山馬に見る。しかし彼らを従

わせるのには時間がかかり、諦めざるを得ない。野生馬を捕まえ、調教して、などとやっている間に決戦が

始まってしまう。

 そこで仔馬を狙ったり、野生馬と飼育馬を交配させてみたり、馬具に鉄を用いたり、と考えられる限りの

努力をしてきた。楓流の情熱、いや執念は並大抵のものではない。全てを今までとは全く違ったものに作り変

えてしまおうとするのだから、他人の目には異常と映ったかもしれない。

 だが今までに無かった物を作るには、概念そのものを変えなければならない。馬であれ道であれ何であれ、

今までの常識を打ち破らなければ、変化、進歩は望めないのである。

 そこで技術者達と考えた末に見出したのが、道そのものを加工する事。具体的に言うなら、下に細かな石の

層を作り。中央部から端に向けてゆるやかに曲げ。新たに軍馬専用路を作り。端に排水溝を設け。付近の木々

を切り倒す。

 小石の層のおかげで水が地下に抜けやすく、残った水も排水溝に流れて外に抜ける。木々を切り倒すのは

根による侵食と水の抜けの阻害を防ぐ為と、視界を良くする事で敵の襲撃に備えるという意味もある。

 この専用道は今ある主要な道に併設される事になった。莫大な資金がかかるが、南蛮交易や越商との繋が

りがあるから、何とかなるだろう。支柱と近衛のおかげで楓流にはこういった大規模な事業に取り掛かる余

裕もある。

 乗り手となる賦族の部族化も順調に進んでいる。楓の呼びかけに対し、多くの賦族が集まった。力自慢か

ら主に耐えかねてと理由は様々だが、狙い通り兵となる覚悟をした者が多いようだ。

 彼らは皆特別ではなく、人並みに扱われる事だけを望み、ここに来た。家畜以下の奴隷である彼らが、こ

こでは功を立てれば出世できる。それは夢のような話であった。

 楓流はそういう期待にも応えるべく、有望な者にはすぐに小隊長をやらせている。当然、思ったような働

きができなければ、すぐに外されるが。

 しかしその厳しさもまた好意的に映るようだ。公平に扱われている証だと。大陸人には信賞必罰に恐れを

なす者が多いというのに、頼もしいものだ。

 賦族を容れる器である南方の発展(楓流の望むという意味で)も順調に進んでいる。様々な問題が起こっ

ているが、それも解決で

きる範疇(はんちゅう)であり、一大国を築き上げた楓からすれば容易い事。

 だが楓の影響が強くなってくると、部族達には焦りが生じる。自分達の居場所が変わっていく、それは今

までの歴史や暮らしを奪われるような錯覚を起こすものだ。このままで良いのか、という疑問が浮かぶ。

 一度頭に浮かんだ疑惑を晴らす事は難しい。そうではないと示せば一時は和らぐだろうが、すぐにまた湧

き上がってくる。厄介なものだ。

 しかし楓流はこれも好機と捉える。何かを変える為には、きっかけが必要だ。確かにこれらは望ましくな

い反応だが、変化は変化である。きっかけにならないという理由は無い。

 楽観はしていないが、必ずしも悪くなるという訳ではないだろう。

 それに部族を動かしておくのに良い機会なのかもしれない。今は従っている部族達も、大陸人支配を受け

容れた訳ではない。ある程度は譲歩する、程度のもので、ここにも依然として乱の芽がある。

 少なくとも当時はそう思われていた。

 ただ中諸国のように複雑ではない。単純に部族というものが居るだけであり、しかも決着はついている。

何が起こるとしてもそれが覆る事はないだろう。

 そういう意味では安心している。特に楓流はそうだ。彼は部族を愛し、敬意を払っている。彼らなりの美

徳があり、それに従って行動している事も知っている。

 彼らは無知な野蛮人ではない。武に訴えるだけが部族ではないのだ。

 とはいえ、何らかの手を打っておかなければならないだろう。

 そこで楓流は部族軍を創設する事を決めた。

 すでに楓に組み入れられている部族も居るし、中にはそれを自ら望んでいる変わり者さえ居る。しかしこ

こでいう部族軍とはそれとはまた別の、その名の通り部族のみで編成された軍隊の事である。

 楓流は部族の不満の多くが大陸人の庇護(ひご)を受けている事からくるものだと見た。扶夏王(フカオ

ウ)との戦いの後、部族は大陸人の保護下に入っている。つまり監視、管理され、行動を制限されている。

 確かにそれは部族も認めているものだ。正々堂々と雌雄を決したのだからそれを認め、勝利者の言う事を

受け容れてきた。あの部族が大人しく従っているのにはそういう理由がある。敵の勝利を認めない事は、敗

北者たる自分を貶(おとし)める事に繋がる。

 だが今まで自らの足で立っていた者が、その全てを他者に委ねる事には相当な不満を感じるはずだ。特に

部族は力を信奉し、他人の力を借りず自ら為す事を誇りと考え、生きてきたのだ。

 もしその読みが当たっているのなら、部族だけの軍を作る事で、その不満を和らげる事ができ。その上、

賦族の部族化政策においても役立つのではと楓流は考えたようである。

 今までのように傭兵扱いではなく、部族軍を正規軍と認める事で、繋がりを深くする事ができる。それに

敢えて自らの体制に組み入れるという事が、相手を尊重する事にもなるのではないか。それが受け容れる、

居場所を作る、という事なのではないか。

 これは案外上手い案ではないかと思われたのだが、問題もあった。

 今更理由無く部族で軍を編成する事はできない。そんな事をすれば部族を増長させ、団結を誘い、再び乱

を起こす危険がある、と秦の不満を買うだろうし。実際危険である。

 楓流は彼らが決して約を違えない、という確信を持っているから言う事ができるが、他の者はそこまで部

族を信じても、敬意を払ってもいない。ただでさえ不慣れな南方での生活に苦労している今、余計な刺激を

与えれば何を考えるか解らなかった。

 楓流はまず証明しなければならない。これが大陸人にとっても有用だという事を。

 秦も部族の扱いには窮している。有用だと解れば支持し、倣おうとするかもしれない。認めさせるとはそ

ういう事だ。

 部族軍。これが求めるきっかけになるか否か。

 楓流は動き始めた。




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