19-5.二族


 楓流の行動に部族がどう反応するか。それが一つの焦点になっていたのだが。幸いにも部族達はこれを好

意的に受け止めたらしく、多くの者が志願してきた。

 彼らもおそらく自らの武をこのまま廃れさせるのが嫌だったのだろう。誰がどう言おうと、部族の威は衰

(おとろ)えた。侮蔑するまではいかないが、恐れる程ではなくなっている。

 部族をまとめ上げる事のできる人物はおらず、集団戦闘に長じた将も居ない。個人的武勇もこの当時すで

に重視されなくなっている。武に優れた将にはそれだけで威が生じるという利点はあるが、それ以上の効果

は無い。

 だから扶夏王は必死に戦闘面を大陸人化させようとしたのだが。結局破れ、信を失い、部族を歴史的に逆

行、弱体化させてしまう事になってしまった。

 しかしこれによって部族の自らの武に対する自負心は強まり、それを発揮できる場を求めるようになった。

このまま大陸人に飼い殺しにされるのではなく、一人の兵としてもう一度武を揮ってみたい。そう考える者

が増えている。

 そういう者達にとって楓流の提案は渡りに舟。

 だが楓流が目指しているのはあくまでも部族軍。集団戦の猛者。扶夏王と同じ道。実情を知り反発しても

おかしくないと思えたが、意外にも部族はそれを受け容れた。部族は強者を尊ぶ。扶夏王を破った楓衛に対

する敬意と見るべきか。

 彼らは自説を引っ込めた訳ではない。譲歩しただけである。

 楓流が集団戦にこだわるのはいい。だがそれで個人的武勇をないがしろにするのではなく、部族の強みで

ある個人戦の強さを引き出すような戦術を編み出して欲しい、と彼らは望んだ。

 楓流はその申し出を快く受け容れる。彼としても部族の強みを消すつもりは毛頭無い。それを生かしてこ

その部族軍であり、賦族軍なのだ。

 そこには両者の異なる事情、理由があったのだが、望みは一致した。

 こうして彼らは同志となった。



 集まった部族は千を超えるが、部族の総数を思えば大した数ではない。様子見の為に派遣された尖兵(せ

んぺい)といった所だろう。関心はあるものの、慎重に様子を見ているようだ。

 彼らは力無き者には決して従わない。仁者には敬意を払うが、従う事とはまた別の話。徳を示せば叛意を

抑えられるが、楓流の望みとは合致しない。彼が望むのは部族の力。それは部族を統べなければ手に入らな

いものだ。

 だからまずこの千の兵に楓の威を示さなければならない。

 が、簡単な事ではない。

 部族は今それぞれの氏族に分かれ、半独立のような状態にある。部族軍もそのそれぞれの氏族から兵を借

り、その雇い主としての楓流が居る、という形をとっている。事実とは少し違うが、解りやすく言えばそう

なる。

 傭兵の混合部隊であり、まとまりの無さは初めから解りきっていた。

 氏族間にも抗争があり、それは扶夏王などより遥か以前から永劫に続いてきたものが多く、一度組織化し、

それが崩壊した事も諍いを余計にこじらせた。当然集まってきた兵達にもそういう意識があり、幾つかの派

閥を形成して張り合っている格好だ。その上その派閥内にも様々な対立関係がある。 まさに部族の縮図だ。

 外に敵となる何者かが居れば団結させる事もできるのだが、それを秦に見出すにはまだ感覚として弱過ぎ

る。楓流はまずこの状況を打開し、協力し合えるようにしなければならない。

 とはいえ、考えれば考えるほどそれは不可能だという考えに行き着く。

 扶夏王が用いた打倒大陸人という旗は使えず、部族兵達も結局自ら(一族)の力を見せ付けに来ただけで

しかない。

 その上長年積み重ねてきた恨みがある。さすがに真剣で斬り合う事はなかったが、それに近い事は度々起

こった。

 部族軍に大義も目指すべき場所も見えない事が、余計にそういう対立や不満を煽(あお)る。集まったは

良いものの、目的はどうなのか、それが部族にどう関係があるのか。何も解らないまま戦うにも敵とする

相手さえ居ない。

 楓流も大雑把な指示を与えるに止め。部族達のするに任せ、喧嘩も黙認している格好だ。一体どうする

つもりなのだろう。

 基本的な訓練だけが課され、ゆるやかに一月が流れた。

 部族内の対立図ははっきりしたものになっている。

 大きく分けて三派に分かれるようだ。

 一つに兎(ト)族。扶夏王に旗揚げ当初から属していた氏族で、扶夏王の氏族もこれに連なるものらしい

が、よく解らない。穆突単于(ボクトツゼンウ)と争う以前から扶夏王軍の中核を成してきた氏族であり、

数は比較的多い。

 二つに烏(ウ)族。こちらは元は侠族に従い、扶夏王とも何度か矛を交えた事があったが、最後には侠族

から離反し、扶夏王勝利の要因の一つになったとも言われている。兎族とは折り合いが悪く、扶夏王存命時

から言い争う事が常であった。

 三つに芭(バ)族。南方全土に広く住んでいた氏族で、単純な数で言えば南蛮氏族中最も多い。ただ距離

的な理由から氏族間に親しい交わりが少なく、思想もばらばらで、意を共にしているという観が薄い。扶夏

王の南蛮統一がその血を意識する機会となったものの、繋がりは強固とは言い難く。行動はまちまちだ。

 他にも大別して辰(シン)、弁(ベン)、孤(コ)といった氏族があり、これらを総称して南方部族の六

氏族と呼ぶ人も居る。他にも無数の氏族が居たようだが、詳しい事は解っていない。部族には文字が無く。

口伝として残っているだけで、それらも長い年月を過ごす内に不明な点が多くなっている。

 六氏族以外には大陸人側の文献にも氏族名程度しか表記が無い。六氏族も規模は様々で、強弱よりも楓と

繋がりの深かった六つの氏族という風であるから、必ずしもそれらが小さな氏族だったとは言えないが、よ

く解らない。

 ともあれ現在の部族は、この兎、烏、芭の三派が対立、協力を繰り返す事で成り立っている。

 楓流はその縮図を観察し、部族の現状を正確に把握する事に努めた。放っておいたのもその為だった。ま

ず現実を確認してからでなければ解決策を見出す事はできない。

 部族軍をまとめるには、この対立を解決しなければならないが。その為には、仲介者である楓が完全中立

の立場を守り、部族が思う公平さに徹する必要がある。しかし現実にそんな事ができる訳がない。彼らの公

平さが共存できないからこそ対立しているのだ。

 となれば、どれか、もしくは全てに折れてもらい、妥協案を呑んでもらう事が必要になってくる。もしく

は妥協案を出す事で仲介者に対する不満を持たせ、その一致する不満によって彼らをまとめ上げるか。

 だがこれでは楓が必ず恨まれる事になる。今後部族との仲を深めなければならない楓にとって、それは採

れない方策であった。

 ではどうするか。

 答えは一つ。最も部族らしい方法で決める。それしかない。

 そもそも派閥に分かれて争うなど部族の本意ではあるまい。それは部族らしからぬ行動である。おそらく

彼らもどうして良いか解らないのに違いない。今後部族はどうあるべきか、それを模索している。

 氏族間の対立もその延長といえる。身近な問題を片付け、そして自らを強大にする、見せる事で不安を取

り除こうとしているのだ。

 問題は氏族間の軋轢(あつれき)ではない。もっと別の部分にある。

 それを取り外さなければならない。

 楓流は各氏族の代表を集め、部族軍内に序列を定める事を宣言した。その序列は絶対で、下の者は上の者

に無条件に従わなければならず。理由によっては私刑も許す、という重いものである。

 序列を定める方法は、武。

 各氏族から代表を一人選び、一対一の闘いを行なう。そして一番最後まで勝ち抜いた者が最上位に就き、

敗北者は順にその下に付き従う。これは部族全体に対してではなく、あくまでも部族軍内においての優劣で

しかないが、部族全体に大きく影響する事は免れないだろう。

 使う武具は殺傷力のある真剣。防具も実戦で使う物を用いる。

 これは少なからず部族兵に動揺を与えたが、すぐに高揚へと変わった。部族の序列を定めようと言うのだ。

代表者の死くらい賭けなければ不足というもの。それにどうせ敗れた者は命など保証されない。それなら闘

いの中で死ぬ方が部族的名誉であろう。

 部族兵達はいきり立ち、全員一致で楓流の言に賛意を示した。そうだ、最初からそうすべきだったのだ、

などと口にする者も少なくない。

 そして楓流は代表を決める為に三日という時間を与え、解散させたのであった。



 序列決定戦は先の戦で焼け落ちた一画を使って行なう。規則は何もない。鎧を着けても着けなくてもいい

し、真剣を用いようと素手で闘おうと何でも良かった。単純に言えば喧嘩であり、どういう方法を用いよう

と勝てば良い。

 とはいえ、そこには部族の誇りという不文律が自然に加わる。

 部族達は鎧を身に付け、得意な武器を持つという形が一番多かったが、素手で殴りあったり、鎧を身につ

けずに闘った者も少なくなかった。特に一方が武器を落せば、自然と殴り合いの形になり。このままでは勝

負がつかぬと考えられれば、防具を捨てての一刀勝負に持ち込むという場合もあった。

 部族兵達は皆熱狂し、血と闘いに酔った。酔い潰れたと言ってもいい。彼らは往時の部族に戻ったかのよ

うな錯覚をおこしていたのだろう。

 代表者は当然の如く皆兵(つわもの)揃いだったが、その中でも一人飛び抜けた者が居た。名を醒(セイ)。

彼は鎧を着けず、武器も持たず、素手の闘いだけで勝利を収め、一躍名を上げた。

 意図して初めから武具無しの闘いを挑んだのは彼が最初であったらしい。誰もその名と顔を知らなかった

のは不思議だったが、そんな事は気にしなくなっていた。皆彼の闘いに酔い、武技に魅せられ、いつしか序

列などというものも忘れていた。

 そして皆彼に倣い、武具を捨て、原始的に殴り合い、勝敗を決めるようになっていった。その闘いは部族

の心を揺さぶるものがあったのか、真剣を用いたものより彼らを魅了したという。

 そして醒と雲(ウン、ウーン、ウォンなど)という辰族の代表が最後まで残り、醒が雲を殴り殺す事で、

最終的な勝敗が決した。

 部族は熱狂し、この新しい王を称え、その下に仕える事を望んだ。氏族間のしがらみが消えた訳ではない

が、武への敬慕が勝ったのだろう。定まった序列に文句を言う者も居なかった。

 序列は、醒、辰、烏、膚(フ)、蚤(ソウ)、芭、兎、琶(ワ)、戎(ジュウ)、猪(イ)、弁、孤(以

下略。新しく出てきている氏族は名前だけしか解らない)の順である。

 無事決まったが、一つだけ問題があったとすれば、優勝した醒がどの氏族にも属していない、正確には部

族ですらない、氏備醒(シビセイ)という賦族の若者であった事だろうか。

 しかしそれも許された。

 楓流の説明に部族は皆驚いたようだが、圧倒的武を見せられた後では認めざるを得ない。彼らは武に関し

てのみ言えば、誰よりも寛容であり、実力のみを尊んだ。そこには扶夏王の影響もあったのかもしれない。

 氏備醒はその姓からも解るように、氏備世(シビセイ)の子(実子なのか引き取った子なのかは解らない)

であるが。彼はこの期に姓を改める事を望み、紫雲(シウン)の姓を許された。雲は決勝の相手の名で、紫

は辰を現す氏族色である。部族達は喜び、紫雲醒を部族として受け容れた。

 特に深い繋がりのできた辰族は狂喜し、一族揃って醒に従う事を申し出ている。そして彼らの神の中から

竜の名を選び、醒に捧げた。楓流の流の字にもかかっているのは言うまでもない。全ては醒、そしてそれを

誕生させた楓への敬意、武への敬意である。

 こうして名高き紫雲竜(シウンリュウ)が誕生する。同時に衛の氏備世も姓を改め、紫雲を名乗る。



 部族軍の筆頭には当然のように紫雲竜が就き、歴然とした階級が定められた事で組織として強固になった。

紫雲竜への敬慕という同一の感情が彼らの心を繋いでいる。これが目的だったすれば、楓流も大きな賭けに

出たものだ。

 いや、そうではないか。例え彼が敗れようと、歴とした階級が定まれば部族同士で争う理由の多くは消え

る。どちらになっても構わない。ただ最良の結果が出たという事か。

 苛烈な点があるとすれば、紫雲竜一人をここに連れて来た事だろう。もし武を認められる前に素性がばれ

ればどうなっていたか解らないし(その場合は楓流も弁護すまい)。例えどれだけ彼の武に楓流が自信を持

っていたとして、実際に勝利する確率はそう高くは無かったはずだ。

 つまり楓流は紫雲竜の命を捨てたに等しい。紫雲竜自身、それを覚悟して出ていたすれば、その覚悟自体

が最も苛烈かつ鮮烈な出来事である。

 部族も紫雲竜だけでなく、賦族全体に敬意を払うようになっているそうだ。

 そしてこの頃から南方正規軍(以下南正軍と表す)の長である壬牙との交友関係も始まったようである。

二人の交友は死ぬまで、いや死して尚も続く。

 当然壬牙は紫雲竜を通して賦族、部族とも深く関わる事になったはずで、それが後年の態度にも繋がって

いくのだろう。

 南正軍と部族軍は合同訓練をするようになり(各々得意とする事が違うので、個々の訓練も勿論別にやっ

ている。合同訓練は連携を重視したもので、訓練の成果を発揮する場だったと考えられる)、そこには(南

正軍以外の)賦族兵も加わっている。

 賦族兵は部族軍に編入される事になった。だからこの時点で賦族軍とも言えるが、楓流の望む完成した軍

が賦族軍ならば、この軍はまだそれに満たない。部族軍のままにしておこう。

 部族と賦族は初めは馴染まぬ風であったが、ここに来るような賦族は自然気質的に部族と近く、程無く区

別する理由も無いくらい親交を深めるようになった。

 彼らには異民族という共通する意識と歴史がある。大陸人という第三者が居る限り、それは彼らの間を埋

める大きな材料になるだろう。

 対抗心、恨み、同情、そういったものが彼らを強く結び付けたといえば、大陸人は皮肉と感じるだろうか。

 身体能力ではやや賦族に分があったようだが、戦闘技術などに関しては部族の方が遥かに抜きん出ている。

だから自然と賦族が部族に学ぶ事になり、その武をもって由とする心、そして身体能力を活かした戦術など

など、部族化への下地を作る事にもなった。

 彼らはほぼまっさらな状態だっただけに、砂が水を飲むようにそれらを吸収した。何も持たないからこそ

無用な誇りで阻害される事も無く。賦族は部族に師事し、全てを学んだ。自らの力で立つ術を。

 後は何もせずとも楓流の望むまま。

 各地の部族も序列を受け容れた。初めは不満もあったようだが、文句のある者は何度でも紫雲竜と闘わせ、

最後にはほとんどの氏族が納得し、無効から望んで兵を送ってくるようになった。

 それに定められた序列は不変ではない。例えば紫雲竜を破(やぶ)れば、その者が部族軍の長となる。

 しかし紫雲竜に勝てる者などどこにもおらず、いつしか武神と称えられるようになって、彼に挑戦する

事自体が名誉と目されるまでになった。それ程に彼は強かったらしい。賦族の歴史の中でも、一、二を争う

のではないか。

 その知名度に反して色々と謎の多い人物であるが、実直であり、強かった事だけははっきりしている。

あの凱聯でさえどこか恐れを抱いていたようであったというから、相当なものだったのだろう。それは部族

を殴り殺すという一事を見ても解る。

 馬の扱いにも長けており、初めから賦族軍の長として考えられ、育てられていた事も察せられる。楓の秘

蔵っ子といえるだろう。

 部族軍によって南方部族が治まってくると、当然他国もそれに目を付ける。双は玄張(ゲンチョウ)が別

のやり方で治めているから良いとして、秦は大きな興味を示した。

 秦の南方領も乱れているとは言わないが、部族が心服しているとは言い難い。当初は秦の武に対し敬意を

抱き、表面上は無理なく治めていられたのだが。南方を受け持つ、王旋(オウセン)と曹閲(ソウエツ)の

間にはどうも噛み合わない所があり、その不安、不満が南方秦軍、部族にも伝播(でんぱ)するのか、緊張

が高まっている。

 王旋は譜代(ふだい)の忠臣、しかもその子を部族との戦いで亡くしている。そんな彼にすれば王の乳母

の子というだけで優遇されている、成り上がりの曹閲などと馬が合うはずがないのである。

 軍の実権は王旋が握りながら、名目上は常に曹閲が上位というのも厄介な点だ。曹閲は秦本国との橋渡し

役として、南方と本国を行ったりきたりし、王旋が太守代行のような形で治めているのだが。ただでさえ兵

の間に不満があるというのに、信頼する王将軍が実子を失ってまで得た勝利の対価がこんなものだとは。

 曹閲に文句を言えれば良いのだが、彼は王の言葉を伝える役目を負っている。つまりその言葉は全て王の

意。余計な事を言えば王への反逆と取られる可能性がある。

 王旋ですら強くは言えず、それに対しても不満を抱く。しかし何も言えない。

 こうなれば自然その不満は下へ、つまり部族へと向かう。彼らに対する態度はきつくなり、その関係は益

々ぎすぎすしたものになっていく。まだ王旋の態度が柔らかく、親部族的なものであったから、辛うじて持

っているが(この点彼も根っからの武人といえるだろう。息子が死んだ事も名誉として受け容れたようだ)、

危険な兆候がいたる所に見受けられた。

 慣れぬ環境に辟易(へきえき)しているのは双兵だけではない。南方は未開の地。土地を与えられても、

どうしていいものか解らない。幾つか街を築き、それなりに賑わってはいるものの、どこか迷っている印象

を受ける。

 頼みの南蛮交易も楓に数歩先を行かれているし、越商に良いように使われているのが実情か。

 打開策も打てていない。王旋も武人肌の人物であり、軍の運営には問題ない力を発揮するが、政治に長け

ていたようには思えない。歳相応の経験はあったようだが、得意とまではいかなかったようである。

 文官連中はほぼ曹閲派で、その仲もしっくりいっていない。王の言葉は全て曹閲伝いであるし、その点の

不安もある。勿論、王旋はそこまで王が愚かだとも、曹閲に信を置いているとも考えてはいないが。そうい

う人間は少数派である。不穏の芽は無数に出ていた。

 秦もまた甘く見積もっていたと言わざるを得ない。

 双は玄張が来てから成功を見せているようだが、秦もまた勝利者であり、そのまま使えないのは楓と同じ。

困っていた所に楓に新たな動きがあったという知らせが入ってきた、という訳だ。

「部族で軍隊を創るとは・・・。確かに彼らは勇猛に違いないが、集団戦闘などできるものだろうか。彼ら

には申し訳ないが、扶夏王亡き後は酷いものであった。それが大人しく従うとは到底思えぬ」

 初めはこのように懐疑的であったが、話を聞いているとなるほどと頷かせられるものがある。肝は部族の

武への執着と、階級をはっきりと定める事か。

 しかしそれが解っても秦に同じ事ができるとは思えない。我が子王飛(オウヒ)が生きていれば或いは紫

雲竜のような役割を任せられたかもしれないが、今となっては詮無き話。王旋自身がでられれば良いのだが、

さすがに歳を取りすぎている。引けをとるとは思わないが、連戦に耐え得る自信は無かった。

 それにまず王に許可いただけるか、という疑問がある。

 秦は相応に歴史ある国。楓のような若さは無い。すべてを取り入れ、活かすには鈍重過ぎるのだ。

 曹閲も何を言うか解らない。一応名義の上では彼がこの地の太守であるから、まず彼の同意を得なければ

ならない。しかしまともに話を聞いてくれるとは思えない。曹閲は上司としての欠陥が多すぎる。

 王も自分の手足となれる人物が必要だったのだろうが、その能力には不安がある。短時間の内に地位が大

きくなり過ぎてしまったせいか、その地位に振り回されている印象を受ける。

 今の彼に言っても、部族で軍を創るなど言語道断、と切り捨てられてしまう可能性が高い。部族を集め、

武器を与える事にも不安を抱くだろう。

 確かにそういう不安はあるが、他に妙案がある訳でもない。手を拱(こまぬ)いて見ていれば、状況が悪

化するだけであろう。

「少々強引だが、やるしかあるまい」

 王旋は自ら王に進言すべく一時帰国する事にした。勿論曹閲にはそんな事一言も相談しない。私用と今後

の準備を調える為とだけ言ってあるが、その間に王へ報告に上がったとしても文句を言われる筋合いは無い。

むしろ当然の事である。ならばその席で直接申し上げたとして、何の不思議があろう。

 曹閲は良い顔しないだろうが、これ以上黙って任せておく訳にはいかない。これ以上楓に先を行かれる訳

にはいかないのだ。

 王旋にも焦りがあったのだろう。そして何よりも曹閲を軽視していた。何をやったとしても、大した事に

はならないだろうと。

 それを油断、傲慢と呼ぶのは酷過ぎるかもしれない。




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