19-6.軍制改革


 王旋の言は秦政府内に波紋をもたらした。

 彼も心得ており、正式な陳情ではなく、あくまでも謁見時の儀礼的なやりとりの一環として持ち出された

ものでしかなかったのだが。それが事実上の太守である王旋の口から出たという事になると、少し話が違っ

てくる。曹閲も知っているだろう事ですが、と型通り立てる風ではあったが、それも嫌みに過ぎない事は誰

にでも解る。

 曹閲は顔を赤くしたが、王の御前で無用な口出しは非礼となる。王の王旋に対する信頼も知っていたし、

ここで余計な事を言えば不利益になる事は解っていた。文官であれ、公の場で漢らしくない言動をとる事は

好ましくない。

 秦王はそういう言動を好まない。目をかけられているとはいえ、それに甘え過ぎればどうなるか。王に苛

烈さ、冷酷さが備わっている事は曹閲が一番良く知っている。

 王旋の方もこれで済んだとは考えていない。曹閲と公然と敵対し合う関係になった事も好ましいものでは

なかったし。どうせなら正式に申し上げるべきだったか、という後悔もある。

 自分がもう少し若ければ。例えば亡くした息子のような年齢であれば、もっと積極的になれていたのか。

歳と共に煩(わずら)わしく感じるようになっていたそれが、今は堪らなく羨(うらや)ましかった。

 年老いた自分に創造的な事はできないのではないか、という不安が過ぎる。

 そんな王旋の思いを知ってか知らずか、秦王の方は硬質化した空気にさも気付いていないかのように普段

通り応対し、しばらく都で身体を休めるよう勧めたが、それ以上は何も言わなかった。

 皆その態度にほっとしたが。誰もこれで終わるとは考えていない。

 そしてその日の夕暮れ。王直々に王旋へ使者が遣(つか)わされ、王旋の言葉を正式なものとし、それに

関する事柄を三日以内にまとめ、四日後の朝再び参内するよう伝えられた事で、その波は更に強く深くなっ

たのである。



 四日後の朝、参内した王旋は自らの考えを余すところなく王に伝えた。

 曹閲も黙って聞いているしかない。

 三日の間に何か起こるのではないかとも噂されていたのだが。両者の間に目立つ動きは無かった。もしか

したらその行動を封じる為に、わざと噂を流させたのかもしれない。

 王旋も曹閲を愚人だとまでは考えていない。王が手足とする程度には使える人材だと評している。予防策

がとられていたとしても不思議はない。彼も宮廷という所がどういう所か知っている。武を誇りとしている

が、それだけで生きてきた訳ではない。歳相応の狡(ずる)さもある。

 王旋案は楓案に手を加えたものである。そのまま使えない理由は以前触れた通りだが。丸写しでは芸が無

く、楓の風下に立たされる事になるかもしれない、という不満もあった。

 秦王もそれでは喜ぶまい。

 王旋は、どうすれば楓案を上手く活かせるのか、どう合わせれば良いのか、三日の間必死に考えた。

 出た答えはこうだ。

 一、部族を兵と認め、その義務を負わせる。

 二、ただしそれはあくまでも秦軍に加えるという意味で、個々に軍隊を編成する事は許さない。

 三、部族兵は全て秦軍に従するものとす。

 四、氏族毎に一部隊とする。

 五、人数と秦への貢献によって階級が定められる。

 六、階級は絶対であり、それを覆す者には厳罰を持って処す。

 基本は同じだが、数と秦への貢献によって階級を決める、という点がまず違う。対等ではなく、あくまで

も秦軍が上に在るという点も違う。貢献というのも、秦のさじ加減でどうにでもなるし、完全に支配下に置

く格好だ。

 楓よりも高圧的というのか、勝利者らしい案である。これでは部族内の不満を解消できるとは思えないが、

そこは一朝一夕で解決できる問題ではないと諦めたのか。

 兵と部族にある意識のずれは修復し難いものになっており、このくらいでなければ兵が納得しないという

理由もあるのだろう。王旋としてはこの辺りが限界という事か。

 或いは、楓が部族を対等と位置付ける事に対する反感なのかもしれない。王旋にも楓に対して複雑な感情

があったと考えられる。

 秦王はこの案を認め、すぐに取り掛かるよう命じた。そしてそれは曹閲を通してではなく、直接王旋に命

じられている。つまり曹閲はこの件から外されたのだ。

 こうして王旋は王命を受け、新たに南統将軍という名と役を与えられ、ある意味太守以上の権限を得て南

方へ戻ったのである。

 これに対し曹閲が心中どう思ったか。表面上は祝辞を述べて送り出しているが、呑み込めないものが多く

あっただろう事は容易く察せられる。

 民もまたそう受け止めた。王旋の勝利であると。



 南方へ戻った王旋は早速部族全員に触れを出し、徴兵を命じた。逆らえば正々堂々討つ覚悟までしていた

が、幸いにも部族達は受け入れ、できる限りの兵を寄越してきた。

 彼らとしても楓案を羨(うらや)みつつ、複雑な思いがあった。大部族になるほどその思いは強い。何故

なら楓案だと闘いに負ければ大氏族も小氏族の下位に立たねばならなくなる。確かに実力主義こそ部族の華

であるとしても、他人事ながら納得できない部分があった。もし自分達がその立場であれば、どう思っただ

ろうと。

 数は力だ。どれだけ強くとも、一対多で挑めば勝てる道理は無い。部族間の抗争も数で決まる事が多かっ

たし。彼らも扶夏王以前から数の力を知っていたのだ。敵対氏族から女子供を略奪する事にも、一つにはそ

ういう理由がある。

 彼らの頭には、優劣を決するのなら氏族全体同士の戦によって、という気持ちがある。それが王旋の意図

せぬ所で、意外な従順さを示す事になったのだろう。

 反対する氏族も居るだろうが(特に規模が小さな氏族になればなるほど)、結局彼らも大多数の氏族(大

氏族達)が認めれば、それに従わざるを得ない。楓に逃げるという手もあるが、楓もこれは部族の問題だと

言われれば手を引かざるを得なくなる。今秦から離れても孤立する可能性が高い。

 そこで不満を持ちながらも賛成する、という事になるのだが。王旋もその程度の事は考えている。だから

こそ秦への貢献という要素を入れたのであり、それは数よりもより多くの比重を占める。それがこの政策の

肝であった。王旋としてはこれを盾に小部族の不満を利用しつつ支配していこう、という腹があったのだ。

 王旋はその事を逸早く示した。

 まず全氏族軍(楓の部族軍と区別する為にこう呼ぶ)に簡単な指令を与え、それを一番早く達成した氏族、

最も功多かった氏族の階級をすぐさま引き上げた。あまりにも単純かつ迅速にそれがなされた為、氏族兵達

は驚きを覚えながらも満足し、俄かに意欲を高め始めた。

 指令内容は氏族の規模に応じて与えられるので、どの氏族も対等の条件で競う事ができる。

 こうなると大氏族が不満に思いそうだが。大氏族に与えられる任務の方が大きな功を稼ぎ易いし、多数の

方が迅速に事を行なえる。

 実は数の優位はあまり変わらない。印象の方が一人歩きしたのであり、そうなるような指令を与えた。王

旋の狡賢い所である。

 秦から与えられるだけではなく、自ら考えて案を練り、秦の為に行動する事でも当然のように評価された

から各氏族が競って働き、その都度階級は目まぐるしく変化した。

 競争意識は激化し、今ではもう向こうから秦の為に働こうとやって来る。

 楓に属する部族からも羨む声が挙がるようになり、その影響は少なくなかった。楓流も考慮せざるを得な

くなり、してやれた格好である。

 とはいえ、こういう問題は慎重に取り扱われなければ。感情とは容易く変化するものであり、それに振り

回されてはならない。

 こうして南方を治める三国それぞれに独自の政策ができた事で部族も落ち着き、南方統治を穏やかにさせ

ている。互いに牽制するものの、今の所大規模な争いには繋がらない。

 いずれ三国間の違いが火種となるのかもしれないが、そうだとしてもまた後の話である。



 南秦は一先ず治まったが、それに対して不満を強く抱く者が居る。

 曹閲である。

 王旋の政策が成功した事で、彼は置いて行かれた格好だ。南方統治においてさしたる功が無い事もあって

その差は尚更目立つ。曹閲を気にする者は減り、目立って影響力が落ちた。秦王のお気に入りという立場は

変わらないが、それに相応しい功績が無い。

 部下からの評価もはっきりと落ちているらしい。所詮、虎の威を借る狐でしかない、と。

 この評価は不本意であるが、反論しようにも材料が無い。むしろ今まで何をやっていたのかと王から詰問

されても仕方が無いと思えた。

 そして悪い事に、曹閲にはこれを挽回できるような能力も無かった。必死に考えても何も浮かばない。自

分の想像力の無さを痛感させられる事は、決して気持ちの良い事ではなかった。

 自分では何もできず、王旋にけちを付けた所で自分に返ってくるだけ。彼にできた事と言えば、王旋に協

力する振りをして時を待つ事だけか。

 しかし諦めた訳ではない。曹閲はこれ以後、獅子身中の蟲として長く王旋を蝕んでいく事になる。

 とはいえ、今の所は手が出せず、南秦の平穏は揺るがない。



 楓流は南秦の影響に脅威を覚えながらも手が出せない。いや、敢えて動かない、と言った方が正しいか。

彼は王旋案を評価しつつ、その危うさも感じている。

 特に部族間の競争意識の異常なまでの高まりは懸念するに充分である。争わせたいが為、無理して仕事を

作り、与えているような気がする。そしてそれは部族にしても同じ。必要、不必要を考えず。とにかく何か

をし、成果を挙げ、出世する事だけを望む。競争意識が一人歩きしている。

 だから模倣する事を避けたのだ。余りにも人に影響され、その結果のみを追うようになると碌(ろく)な

事にならない。

 南秦は危うい。

 王旋と曹閲との関係もそうだ。二人の立場は逆転し、全てが変わりつつある。初めから実権は王旋にあっ

たとはいえ、完全に名ばかりの存在になる事には我慢なるまい。名義だけであるが故の誇りのようなものも

あったはずだ。自分が王旋を上手く使っているのだ、とでも言うような。

 それなのに曹閲は居場所を奪われ、彼の取り巻きも居なくなり、取り巻く空気は冷たいものに変わった。

 曹閲の中には今まで感じた事のない焦燥と憎しみが生まれている事だろう。

 楓とすれば歓迎すべき事態であるが、それが大き過ぎれば巻き添えを食う事にもなりかねない。

 故に何が起こっても動じないよう、磐石な態勢にしておく必要がある。

 規律を高め、部族軍を賦族軍へ、そして紫雲竜の地位を確固たるものにするよう慎重に努力を重ねる。

 時間稼ぎの為、密かに王旋を支援してもいる。

 敵を助ける事が自国の利益に繋がるとは皮肉な事だが。それも人の世にはままある事だ。



 部族軍の序列はしっかり定まっているが、かといってそれを徒(いたずら)に強調するような真似をすれ

ば反意を招く。例えるならこれは兄弟のような関係で、師弟のように厳格なものではない。

 しかしこれでは軍の運営に支障をきたす。今は氏族毎の人数によって便宜上それらを中小という二部隊に

分け、その族長が中隊長であり、小隊長とされているが。要するによせ集まりでしかない。

 軍とは上からの命に絶対服従であって初めて機能する。今のようにそれぞれがばらばらに考え行動してい

るようでは役に立たない。

 一応中小それぞれに別の役目を課し、それに応じた訓練をさせ、連携をとらせているが、戦術の幅は狭く、

また緊急時に不便をきたす事も避けようがない。

 兵数と序列が無関係である事も、上下意識の徹底という点で不便である。

 そこで賦族兵を序列に応じて組み入れる事にした。こうする事で序列に応じた兵数、戦力となるようにし

たのである。

 そして最も精強な兵を紫雲竜の氏族というような意味合いで、直轄軍として与えている。しかし直々の部

下とはいえ、それで特権を得られる訳ではない。まず精兵を個々に部族へ認めさせる必要があるだろう。

 ともあれ、こうして部族に賦族を受け入れさせ、その訓練を任せた。これによってより深く部族を理解さ

せながら仲を深められるという訳だ。

 楓流もまた、この時点では手探りの状態にあった。



 賦族兵の多くは生来屈強の肉体を持ち、ここに来るような者なら意欲も高く、次第に部族に認められるよ

うになり、中には部族兵を差し置いて先鋒に配されるような者まで出てきた。さすがの部族も肉体的才能で

は賦族に一歩劣るようだ。楓流が惚れ込む訳である。

 序列決定戦に挑み、地位を上げる者も現れている。

 紫雲竜直轄軍の規模も徐々に大きくなった。精兵は人種問わず選別され、部族達にも精兵に認められるの

が誇りである、という心が浸透していった。紫雲竜は初めから終わりまで部族、賦族から多大なる敬意を受

けていたし。彼らの心をとる事に非常に長けていた。

 何しろ強く、指揮が巧い。碧嶺軍の中でも個人的武勇、前線指揮官としての腕は群を抜いていただろう。

後に彼と共に軍の双璧になる壬牙でさえ、それは及ばない。

 ただし、大局的な物の見方、戦略、政略といったものを考えれば壬牙の方が上であり。そこに後年紫雲竜

が軍の最高位である大将軍ではなく、次位である上将軍を望ぶ理由があるのだとも考えられる。

 ともあれ、人種問わず将兵に一番好かれていたのは紫雲竜だろう。壬牙も人気は高かったが、それは好意

よりも敬意が多く、畏れという方に近かった。そしてこの事が碧嶺没後に歪(ひずみ)を生む原因にもなる

のだが、それはまだ先の話。今はこれくらいにしておこう。

 このように楓流はまず精兵部隊という形を作り、そこに賦族、部族の混合部隊を作り上げ、その状態に慣

れさせようとさせた。

 それが部族達にも快く受け容れられた、という所に紫雲竜の真価が見える。

 精兵は秦のように氏族単位ではなく、個人個人への評価でしかない従来の軍制の延長みたいなものであっ

たが、ある程度氏族の規模に応じて採る兵の数を制限したから、多少は部族の不満を抑える事にも役立った。

 このように楓は他よりも一歩先を進みつつあるが、好材料ばかりではない。

 大陸人から部族、賦族へ対しての不信感や侮蔑心が完全に消える事はありえない。趙深、近衛ら支柱全て

を持ってして何とか不満を抑えている、といった風で如何にも頼りない。蜀、梁、狄に加え最近では布とも

ぎくしゃくする関係になっているし、問題は増えていく一方だ。

 そしていつもその最たるモノが凱聯である。

 胡虎(ウコ)の死、そして魏繞(ギジョウ)が上手く補佐している事もあって、ここしばらく大人しくし

ていたが。壬牙、近衛、紫雲竜と楓流に近しくなる存在が立て続けに出てくると、彼の心に巣食う、いや彼

そのものといえる蟲が騒ぎ出す。

 それは自己肥大の精神であり、楓流に最も近い存在でありたいという嫉妬心である。醜いが、それだけに

単純かつ根深いもので、今までも常に楓を圧迫していた。それを楓流がどう思っていたのかは解らないが、

受け容れていた所を見れば、嫌悪しつつも最後には憎めないでいたのだろうか。或いは後々の為に生かして

おいたと考えるべきか。

 いざという時に反意を持つ者が集う場所として残していた。不満を持つ者達が集まる事である程度解消さ

れる事を望んだ。或いは正式には言い難い案件を訴え出る窓口の一つと考えていた。などとすれば、確かに

利用価値が無い訳ではない。

 まあ、それは一先ず置き。ともかくもこの凱聯が痺れを切らしたのである。

 集縁一帯を過不足無く治めているものの、その程度では功績と言えなくなっている。特に近衛の伸張は目

覚しく、信頼の深さでは趙深に届かんという勢いだ。このままでは趙深だけではなく、彼女らにまで抜かさ

れてしまう。

 誰もが認める大功が欲しいが、それを得ようにも方法が無い。集縁に引き篭もっている限り、伸びようが

ないのだ。

 楚は降り、斉は趙深が受け持っているし、双にも紀陸という小賢しい小僧が居る。腹立たしくもそれらに

干渉する理由は無く、無理に何かすれば楓流の怒りを買う事になる。

 今が楓にとってどんなに重要な時期かは凱聯も知っている。手を出せない。

 そこで無い知恵を絞って必死に考えた。

 集縁を離れる事はできない。軍を動かす事もできない。武力衝突を避けなければならない。

 凱聯自身は今すぐ決着をつけるべきだと考えているのだが、それを言った所で頑固な楓流が聞く訳がない

し、厄介者の趙深が邪魔をしてくるに決まっている。

 今は近衛一番隊の目もある。彼女達は凱聯からその目を離さない。近衛と趙深を出し抜くにはどうすれば

いいのか。

 初め蜀に接触しようかと考えたのだが、蜀も近衛の監視が厳しく、知られずに事を成すのは難しい。楚斉

と接触するには窪丸を通らねばならず、こちらもまた難しい。

 となれば自然、目は西を向く。

 現在の仮想敵国の最たる国といえば西方の秦。しかしどちらもまだ開戦したくなく。東部には甘繁(カン

ハン)という楓流と個人的に友誼を深くする者がおり、案外監視の目は緩やかであった。

 そうする事が甘繁に対する好意であるという見方もできる。信頼していると見せる事で、行動を封じると

いう目的もあるのかもしれない。

 凱聯が目を付けたのはこの甘繁だ。越という選択肢もあったのだが、凱聯は個人的に商人、技術士といっ

た連中が好きではない。特に越という国は気に食わない。越さえちゃんとしていれば胡虎が死ぬ事も無かっ

た、と責任を押し付けたい気持ちもそこにはある。

 その点甘繁は違う。楓流と親しく、今までに何度も手を貸してくれた。それは彼の公的な立場を超えるも

のである。なら楓流の第一の弟分であり、楓の第二位の座に居る(凱聯だけがそう思っているのだが)自分

の言葉に、必ずや耳を貸してくれる筈。そう信じ、密使を飛ばした。

 その文面を要約すると、甘繁の所有する領土丸ごと楓に寝返らないか、というものであり、これは魏繞に

すら相談されず行なわれた事だ。近衛と魏繞がハッと気付いた頃には密使はすでに秦領に入っており、どう

にもできなかった。

 同時期に、楓の威を見せる為、訓練風景を民に見せる式典を急に執り行なう、と言い出した時点で怪しむ

べきだったのだが。魏繞はまたいつもの気まぐれ、我がままだと単純に受け取ってしまった。まさか凱聯に

このような知恵があるとは誰も思わない。仕方の無い事だったと言うべきか。

 密書を受け取った甘繁も驚いたが、このような戯言(ざれごと)に付き合う道理は無い、おそらく何者か

の安い陰謀であろうと拒否して密使を追い返したが。秦政府も常から甘繁には目を付けていて、何かあれば

すぐさま追い落とそう、力を削ごうという腹であったから、この一件が知られてしまうと、俄(にわか)に

騒然となった。

 本当に安い陰謀であったのなら良かったのだが、正真正銘凱聯が出した使いであり、その内容も信憑性の

無い話ではない。以前から甘繁には楓に甘過ぎる、裏で手を結んでいるのではないか、というような噂もあ

ったし(そのほとんどは亡き魯允{ロイン}が流したものだったようだが)。現在の秦は以前のような楓贔

屓(びいき)でもなければ、政府内に楓を積極的に擁護する者も居ない(三功臣は表舞台から降りている)。

不問に済ますのは無理な相談だった。

 特に今は重要な時期である。様々な憶測が付き、噂が一人歩きし、全てが甘繁に不利に働く。結局事情を

説明する為に王宮へ赴かなければならなくなった。

 だが行けば無事で済むか解らない。王は甘繁を煙たがっている。行かなければ謀叛人にされる事は明らか

だが、行っても命の保証は無い。

 凱聯の放った小さな一石が、誰思うよりも大きな波紋を起こしたのだ。

 甘繁は急ぎ決断を迫られる事になった。




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