19-8.名誉なる血族


 双とは不思議な国だ。始祖八家政権を覆して王となる乱世の中、唯一始祖八家という名によって成り立っ

ている。

 重臣達も全て名立たる人物の子孫であり、例外なくその威光に守られている。この実力主義の世にあって、

彼らだけはその血によって地位を得る。

 血統は双において絶対で、中興の士と呼んでも良いだろう趙深でさえ、双においては大した地位には就け

ない。あれだけの権威を誇れたのは、それが一時的なものだったからだ。もしそれが恒久的なものであった

としたら、重臣達は決して認めなかっただろう。

 それは王命でさえ覆せない、真なる法たる不文律。

 双という国において、前例、不文律、といったものは時に法や王命を凌駕(りょうが)する。

 全てにおいて血筋こそが至上であり、唯一絶対なもの。現存する始祖八家唯一の血統という名を利用する

には、血統信仰が必要であった。それなくして双という国は成り立たない。

 双重臣となれるのも王に次いで尊貴な六つの血筋に連なる者だけで、彼らも王と同じく直系の子孫だけが

その姓を名乗る事を許される(中には孟など別所、別時代に見られる名もあるが、その関連性は解らない。

もしかしたら縁ある者かもしれないが、単に名を借りたと考える方が現実的か。双に縁の無い者なら、それ

が双では特別な姓になるのだと知らなかった、という可能性もある)。

 双の六家には諸説あるが、一般に孔、孟、老、荘、墨、旬、の六家と言われている。その中でも荘はその

音が示すように双家から枝分かれした血族だと言われているが、功多かった為その字を双王から承った、と

いう説もあり、はっきりしない。

 六家は建前として同格であるが、自然の流れとしてどうしても上下関係が生まれる。しかしこの姓を持っ

ている限り、滅ぶ事もなければ、重臣の地位を失う事も無い。参政権を持つのもこの六つの血統のみ。

 双の中において彼らは王と同じく別格なのである。

 六家の中で最も権威があるのは老家(その理由はすでに人々の記憶から失われてしまっているが)で、時

の隆盛に関わりなく最も重要な役職に就く。

 それは王の身の回りの世話(衣食住から伴侶までその一切を含む)をする役職で、双組織の中で唯一独立

した王直属の機関の長である。

 この機関に属する者達もまた特別に古い血族に連なる(有名な所では、明家など)。彼らは例え身分が低

くとも、その古さによって別種の敬意を払われている。

 彼らは王と同じく政治に関わる事を避けなければならない。王の側に仕える者が俗事に関わるなど赦され

ないからである。彼らもまた、君臨すれども統治せず、という不文律に縛られている(老家自身は俗事に関

わらない事を誇りとしているが)。

 次に位置するのは孔家か。

 この血族は双の中でも一番繁栄している血族で、六家中最も数が多く、あらゆる役職にその名、もしくは

それに連なる名が見られる。孔家は権力図において常に首位か、次位を保ち、影響力が最も強い。

 他の四家の間にはさほど差は無いようだ。時に首位に上ったりもするが、まあそれだけである。権威はあ

るものの、どうしても一段落ちる。

 だがそれだけに我欲の強い者、上昇志向の強い者が多く。激しく序列が入れ替わるのはいつもこの四家だ。

 現在最も勢力の強いのは孟家。孔家を押さえ、首位にある。とはいえ、大きな差がある訳ではなく。いつ

でも変動する可能性を秘めている。

 孟家は一説に孔の分家とも言われ、孟家はその事を非常に不名誉と考えている。分家と言われる理由は口

伝や家訓がほとんど同じからで、孟家が孔家を模倣(もほう)したとも、師事していたとも言われているの

だが。孟家は逆に、孟が孔に教えたのだ、と主張している。

 この対立は古くからあるようなのだが、孔家の方は気にしないらしく、言及する事も少ない。孟家から何

を言われても微笑んでかわすだけである。相手にしていないのだ。

 孟家は子ども扱いされている格好で、勢力がどれほど盛んであっても常に孔家より下に見られている。ど

うにかして脱却したいのだが、方法を見出せない。

 しかし勢力が強い事には変わらず、政略、戦略どちらにも孟家の言葉が最も重く影響する。

 今まで双重臣として一括りに書かれていたのは、この孟家か孔家の意だと考えてもらっていいだろう。時

に意が変わるのは、この両家の間で揺れ動いているからと考えれば理解しやすい。

 長くなったが、双政府とはつまりこの六家の集合体であり、その総意で動いている。

 この六家には諸説あり、本当は八家だとも九家だったという説まである。文章に残す事もその名を貶(お

とし)める行為になると考えられていたようだ(自分達のやった事が証拠として残らぬようにする為、そう

いう事にしている、という説もある)。

 であるから、上記の事も本当は嘘であるかもしれない。孔孟の争いも話を面白くする為の創作だという可

能性すらある。

 六家の他に可能性のある姓は、姜、姚(ヨウ)、子、好、姫、を初め実に三十以上もある。頼みの碧嶺蔵

史にも興味が無かったのかほとんど載っていない。正確さを欠くのは痛いところだが、ここでは有力と見ら

れる上記六家として話を進めて行く事にする。



 秦も双の内情を知っている。双朝廷は余りそういった事を外にもらすのを好まないが、誰が好む好まずに

関わらず、そういった情報は下へ下へと流れ広がっていくものである。

 確かにその中には噂に過ぎないものも多いが、さすがに国家で得た情報となると相応の整合性があり、割

合正確なものである。さすがに細かな事は解らぬでも、権力を持つ者が争いながら国の方針を決めている事

は誰にでも察せられる。

 趙深は王の力を借りる事ができたから六家に対する配慮も最低限で済み、重臣達として一括りに扱う事が

できていたが、秦はそうはいかない。動かすには重臣間にある対立を利用する必要があった。

 秦王はしかし自ら先頭に立って彼らを煽(あお)ろうとはしなかった。趙深がそうしたように極力深入り

する事を避け、初めからあった対立を利用して操縦する。幸い重臣達は皆我欲が強いので、余計な事をせず

とも勝手に争い、自滅してくれるだろう。

 秦はその為の道を造ってやれば良かった。

 どの家に固定する事なく、六家満遍(まんべん)なく油を注ぎ、紀陸に対する危機感と他家に対する敵愾

心(てきがいしん)を高めさせる。初めは警戒していた重臣達も、秦王が低姿勢を貫き、双に臣従したよう

に接していたので、次第に秦を誤解していたと考え始め、今度は楓に対して疑いを抱き始めた。

 楓が嘘を教え、双と秦を敵対する方向に持って行ったのではないのか、と。

 それは半分事実であるが故に容易に彼らの心に染み、広がった。これは楓流と趙深の影響力の低下を意味

する。

 この点、楓は油断していた。王を自由にできるが故に、重臣に対する態度が軽いものになっていた。王の

付属物としか考えず、彼らがこの国を動かしているという部分を軽く見た。

 もし楓がもっと重臣達に対して工作し、しっかりしたものを築いていたなら、こうも容易く操縦される事

はなかったのかもしれない。

 とはいえ、双王の意が常に楓にある事は変わらない。楓に敵対するような行動を取らせる事はできず。せ

いぜいその仲を中立に近付ける程度か。しかし秦に敵対する意思さえ持たせなければ充分用に立つ。

 特に紀陸に対する悪感情を高める事に成功し、評価を一変させてしまった事は大きい。立派な若者から小

癪(こしゃく)な小僧まで一息に格落ちしたのは、いかに彼らが気分によって決めているかの証明にもなる。

 彼らのように個人の情で全てを決めるような者達に、分別や義理を求めるのは無理がある。

 まだ楓流や趙深には遠慮する理由があるが、紀陸など考慮するまでもない。快い言葉以外のものが聞こえ

てくれば、評価を変える事に何の抵抗も無かった。

 こうして秦は目的を達し、双との仲を修復する事に成功したのである。



 秦の動きは紀陸にもすぐに入ったが、動揺しなかった。こうなると解っていたからだ。

 確かに今双を乱し(楓から見て)、紀陸の名を下げられた事は痛いが、双重臣達など初めから信用してい

ない。その意が簡単に変わる事も知っている。知って尚出てきたのは、双王が決して楓を、いや楓流を裏切

らない、という絶対なる確信があるからだ。

 楓勢は双王に全幅の信頼を置いている。その力は平素作用しなくとも、その時がくれば唯一無二の命令と

して発動する。

 今はそれを温存しているに過ぎず、双王はそういう意味では常に楓の手の内にある。これは楓双の中でも

限られた者しか知らない事実。重臣達でさえ、王にそのような火の如き覚悟がある事を知らない。

 秦も同様である。双は所詮重臣達が動かすものと決めてかかっている。それは真実ではあったが、双とい

う国はそのように単純なものではない。

 だから紀陸は不安を抱いてなかった。双重臣に紀陸をどうこうするような気力がある訳も無いし、口では

何と言っていても、何かを実行する段になればしり込みするのが彼らの姿。

 その程度なら考慮するに値しない。

 とはいえ、余裕を見せていれば秦が不審に思う。狼狽(ろうばい)する必要はないが、脅威を感じている

と示す必要はあった。

 面倒な事だが、紀陸にはお手の物。長年双の下で経験を積んできたのだ。今更重臣達が何をした所で驚く

に値しない。彼らのやり口には慣れている。

 楓流から借りている近衛に使者の手配を任せ、賄賂を贈り、重臣達のご機嫌取りをするよう命じた。その

気になればいくらでも良い物を用意できる。この機会に秦に国力の差を見せ付けておくのもいい。

 だが何事も過ぎれば逆効果となる。考え直し、ほどほどにしておくようにさせた。近衛は皆優秀である。

良い具合にしてくれるだろう。

 有能で絶対に裏切らない手足を得た事は、紀陸にとっても歓迎すべき事であった。

 だが、もし彼が楓に叛意を抱こうものなら、その手足はすぐさま彼の首に跳ね返ってくる事だろう。有能

な部下であるが、彼女らは監視役でもある。

 双重臣への工作は予定通り進み、秦と五分五分という所まで上手く持って行く事ができた。

 つまりはどちらにも属さぬ中立の立場。秦は紀陸の迅速な対処に不満を持ったようだが、同時にそういう

行動に出てきた事に対して満足してもいるようだ。

 重臣達も孔孟争いつつ、いつもの様相を呈(てい)している。結局彼らは何も変わらない。唯一それを覆

す事ができるのは双王だが、その王は楓の手の内にある。

 天領支配も順調で、大きな問題は起こっていない。むしろ今回の重臣達の豹変は、紀陸への信を益々強め

させる事になった。尻の軽い重臣達に比べ、紀陸はなんと頼りになるのだろう、という訳だ。

 実際紀陸は有能で、近衛を用い様々な処理をより迅速にこなしている。

 天領に居る双臣の心もすでに賄賂などで取っているようだ。

 双臣は彼らの立場を相応に立ててやりさえすれば、忠誠を示してくれる。双という組織が腐敗しきってい

るのは確かだが、それだけに解りやすく、御しやすい。

 秦にそれができるなら、紀陸はより容易くできる道理。

 秦に誤算があったとすれば、紀陸を過小評価していた事だろう。何故今双政府から離れておけるのか、彼

がどれだけの時間を双と共に過ごしてきたのか、をもっと考えるべきであった。

 しかしこれは仕方の無い事かもしれない。紀という国は小さく、天軍との戦以前は全くと言って良いほど

知られていなかった。小国の悲しさである。

 天軍との戦で多少名を挙げたとして、その程度で大国の王が重く見る訳もない。所詮楓の使い走り、程度

に考えていた筈だ。

 だが本来不利であるはずのその立場を効果的に使う術を、紀陸は長く積み上げてきた。主役ではなく脇役

に徹する。しかしそれは決して欠かす事のできぬ役割だ。むしろ自分のような人間こそ今の楓に必要なのだ、

と自負していた部分もあったのかもしれない。

 紀陸はまだ若く。その程度の気概はあったと考えておくべきだろう。

 少なくとも、秦などに負けるはずが無い、というくらいには考えていたと思える。

 そしてそれは事実である。この結果がそれを証明している。

 とはいえ、秦の工作に意味が無かったとは言えない。重臣の中に紀陸への疑念、余りにも権力を与え過ぎ

ているでのはないか、という不安が生まれた事は事実であるし。双重臣は、それを双内に限って言えば、紀

陸が考えている以上の影響力を持つ。

 双臣民は誰も重臣に逆らおうとは考えない。むしろ天領などの新参が双政府に対して否定的になればなる

ほど、古参である双臣民は双政府に心を寄せる。その点、所詮は紀陸も新参、余所者であったと言わざるを

得ない。

 現状紀陸優位に終わっているが、それがこの先も続くという保証はどこにもなく。秦の牙も確実に双内に

喰い込んでいる。それを無視するのは危険だ。



 ともあれ、双の件は一応の片が付き、秦は斉に目を向けた。

 現在の斉は周囲を楓勢力に囲まれ孤立しているが、あくまでも中立を保っている。表面上は友好的な関係

のままだ。

 ただし楚と斉、つまり「楚王と項成(コウジョウ)」、「姜白(キョウハク)と田亮(デンリョウ)」の

仲は完全に裂かれ、修復の可能性も失われた。楚が楓に降ったおかげで斉の計画が破綻し、孤立する事にな

ったのだから当然である。

 斉には楓に敵対する意思は無いものの、楚との関係上どうしても緊張感漂うものになる。

 今更楚と友好的な関係になる気は起こらないが、かといって敵対もできない。そうしてその地にて大人し

くしているしかないとなれば、それは付け込むに充分な理由である。

 だが秦も誘えばうまうまと乗ってくる、などとは考えていない。すぐ東には衛も居る。衛もまた単体で大

勢力といえるだけの力と領土を持つ。北方大同盟という足かせがまだ生きているとしても、その力は斉を軽

く凌駕(りょうが)している。

 衛(趙深)に睨まれている限り、斉はぴくりとも動けない。斉も味方は欲しいだろうが、そのような状況

である限り、どんな約定を結んだとしても意味を失う。

 完全に無力化されている。

 それに斉政府は姜尚(キョウショウ)の時のように信用できるものではなくなっている。姜白、田亮には

手段を選ばない所があるし、結局対等な取引を結べない状況であれば、秦が一方的に損をする事になる。

 斉を利用するには、まずそうできる状況を整えなければならないようだ。

 そこで重要になってくるのが中諸国。かの国々を乱す事ができれば、衛はその安定に専念せざるを得ず、

斉が息を吹き返す。斉は中諸国と連動させ、初めて意味を成す国だ。

 中諸国を乱すなら、選択肢は多くない。

 まず子遂(シスイ)。これは楓も一番警戒し、そのすぐそばの天水に支柱を設けている。天水を治める桐

洵(ドウジュン)の力も実証されているし、何より伊推(イスイ)という協力者が厄介だ。

 彼は周辺国から一目置かれている。天水の団結力も軽視できない。彼らがしっかりと見張っている限り、

子遂は動けないだろう。

 つまり斉と同じ状況にある。協力に同意できても、単体で動く事ができない。そういう風にして、楓は自

勢力の安泰を図っている。その効果は今までほとんど反乱といったものが起こっていない事から実証されて

いる。楓は大陸で最も安定した勢力だ。

 何しろ楓は決して裏切らない。それは敵となった今でさえ否定できない事。皆楓の言葉の方を信じるし、

民の心も向きやすい。

 残念ながら秦にはそれが無い。まだ三功臣時代にはあったかもしれないが、今の秦はそういう面で後退し

ている。

 実際には楓も秦と同じくらい謀略を用いているのだが、どういう訳かそういう陰の印象が薄い。それは楓

流にどことなく甘さ、抜けた部分があるからかもしれない。これがもし趙深のみであったならもっと硬質

な印象になるのだが。楓流には人にそういうやわらかさを抱かせる徳のようなものがある。

 これは恐らくその出自と、実際甘さを抱えている事に寄るのだろう。人間臭さ、情が深い、と言い換えて

もいい。弱点となる筈の要素が、何故か楓に最も大きな力を与えている。

 秦王のように合理的、現実的な部分だけが目立つようでは、人に警戒されてしまうようだ。不思議だが、

人は他人に弱さを求めている、という事か。それが友情、愛情を誘発させるのだとすれば、なかなかに興味

深い。

 ともあれ、子遂を動かすには。もう一点、中諸国を動かす必要がある。幸い、狄、梁、布、そして蜀と楓

敵になる要素を持つ国は多い。どの国も表面上楓に従っているものの相応の不満を持っている。

 だがどの国も簡単には動かせない。秦に巧く使われてしまうのではないか、という不安も抱くだろうし、

一国で動いてもすぐに鎮圧されてしまう。中諸国間にも複雑な思いがあるし、動くにしても他国を先に動か

し漁夫の利を得たいが道理。

 簡単に動かせ、団結させる事ができるなら、とうに誰かがそれをやっている。それができず、結局小勢力

同士で割拠しなければならない所に中諸国の厄介さと弱さ、楓が統治できるからくりがあるのだ。楓は本来

不利益であるはずのものを効果的に使う術に長けている。

 まったくもって楓とは揺るがし難い国だ。敵となって考え、初めてその強さを理解できる。確かに楓とい

う国は、ここまで成長するに足る理由を持っている。

 しかし諦める訳にはいかない。

 可能性を見出す為、中諸国にある問題点を一つずつ抜き出してみよう。

 まずは子遂。これは今更記す必要も無いだろう。この国は楓の潜在敵であり続ける。

 次に狄。宜焚(ギフン)、楊岱(ヨウタイ)が派遣され、何とか治めているようだが。岳暈(ガクウン)

ら軍閥と新檜(シンカイ)ら文官との溝は埋まり難く。特に新檜は結局岳暈を認めている楓に対して良い気

持ちを抱いていない。狄という勢力は小勢力が必要から仕方なく集まってできた国である事もあって、乱す

事は難しくない。

 梁は法瑞(ホウズイ)に任されているが、王は健在であり、法瑞などという一守備隊長に良いように使わ

れる事に我慢ならない。それ以前から鏗陸(コウリク)に首を掴まれ、楓の臣下同様に使われてきた事に対

する不満もあるし。梁民にも南蛮との戦いにおいて街から一時追い出されたりなどした事に対する怒りやそ

れに類する気分が抜けきっていない。

 ここも乱すには充分過ぎる理由がある。

 布。ここは楓に最も貢献(こうけん)した国の一つで、功を認められ、相応に成長させてもらってはいる

ものの、割に合わないと考える者が多い。そこに近衛を派遣し私物化しようとした事に対する不満が加わり、

しっくりいかなくなってしまっている。

 民の中にはあまりにも布という国を無視しているのではないか、という声が高まっていて。反旗を翻す、

とまではいかないが、それに近い気持ちでいる者が少なくない。

 狄や梁に比べれば消極的だが、この国も乱すに相応しい理由がある。

 最後に蜀。この国も布と同じ。あまりにも都合良く使われている事に対する不満、中諸国が反乱を起こせ

ば盾に使われるという不安がある。

 しかしこの国は布よりも更に消極的で、王にもこれ以上何をどうこうしようという意志が無い。現状のま

ま居られればよく、そういう意味で楓と利害が一致する。以前は蜀礼(ショクライ)という国を牽引できる

行動力ある人物が居たが、今は亡くなり、代わりとなれる者も居ない。

 蜀政府に何を言った所でぐだぐだと茶を濁すだけで、とても大きな事ができるとは思えないのである。

 中諸国(正確には蜀は属さないのだが、便宜上まとめさせていただく)とはこのように楓にとっていつま

でも不安が消えない国々である。いっそ討ち滅ぼしてしまいたい所だろうが、秦という敵が居る限りそれは

できない。

 この事も秦は利用できるだろう。秦が敗れれば次はお前達だと言えば、それは何より効果的な言葉となる。

 だが前述したように楓への信頼は強い。例え統一したとしても、少なくとも楓政権が安定するまでは粛清

などできないだろうし。楓ならば無下にしないだろう、という期待もある。

 だから親楓派も常に居るのであって、どちらかに定まる事はない。それを一方に突き動かす事は非常に困

難である。



 中諸国の中で秦が目を付けたのは、意外にも蜀である。その無気力さに活路を見出したらしい。

 秦は密かに蜀へ一人の男を潜り込ませた。今は名を変えたその男が、いずれ望むべき結果をもたらしてく

れるだろう。正直秦から見ても信用できぬ男だが、楓に抱く恨みは本物。それは年月を経て風化するどころ

か、益々強くなっている。上手くやってくれる筈だ。

 元々は魯允(ロイン)が引っ張ってきた男で、連れとなる元主君と彼らに従う者達と共に魯允の庇護を受

けていた。

 そんな関係から、魯允を言わば騙し討ちにした事に対して何かを起こすかもしれない、と思われていたの

だが。彼は二心無きを証明する為、丸腰で秦王の御前に出頭した。魯允も生きる為の宿に過ぎず、その用を

為さぬとなればすぐさま捨て去る。そういう所は変わっていない。

 そんな訳で始末する機会を失わされ、いずれ役立つかもしれないと養われていたのだが、とうとう役立つ

時が来た。正直諸刃の剣となりそうであるが、秦の目的は中諸国を乱す事、彼が楓と手を組みさえしなけれ

ば、どうなろうと構わない。

 そこには体の良い厄介払い、という面もあるのかもしれない。

 ともあれこの男に、秦にとって都合の良い、第二の蜀礼の役目を課したのだ。楓が安定の為に支柱を置い

たように、秦はそれを乱す蟲を放つ。

 全てはその時に優位とする為に。

 この男もその為の駒に過ぎない。




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