2-1.変動


 胡(ウ)姉弟、奉采(ホウサイ)を得てより約三年が経ち、楓流(フウリュウ)は二十七という年齢に

なっていた。

 人格は成熟し、物腰にも重みが増し、若いとはもう言えないが、体力気力共に充実している。

 集袁(シュウエン)も益々繁栄し、もう小さな町とは云えず、交易商人の来訪も増加の一途を辿り。そ

れを見越して食料や衣服、日用品の生産に力を注いでいた成果が現れ、今では外せぬ資金源となって、財

力安定に欠かせない要素になっている。

 特産品こそないが、周辺には獣も多く、獣皮や薬として使われる胆が良く取れる。そういった物も旅商

人には打って付けで、良く売れたようだ。

 贅沢品などよりも、こういった細々とした物の需要が高い。生活に必要な品というものは、貧富や情勢

に関わらず、やはり常に必要とされるようである。

 財政が安定すれば、盗賊や強盗団に目を付けられるはずだが。怖れをなしたのだろう、逆にここ数年で

めっきりとその襲撃数は減った。

 それもこれも楓流が軍備に力を入れ、その成果が実った為だろう。

 彼はただの集団でしかなかった警備兵を、組織的な軍兵へと変えたのである。

 それは軍隊として、個々ではなく、部隊としての訓練を始めたという事で、この時代では先進的かつ画

期的な事であった。

 後世の雛形となる全体訓練は、すでに豪族達が始めていたのだが。その重要性と効果を知る者はほとん

どおらず、居たとしてもまだまだお粗末なものであり、単に合同訓練をやっている、という程度でしかな

く。訓練内容は個々でやるのと大差ないモノだった。

 しかし楓流は槍や刀を揮う事を、個々ばらばらに行なうのではなく、掛け声に合わせて同時にするよう

にさせ。弓矢も思い思いに射るのではなく、その矢をある決められた範囲にまとめて、しかも皆ほぼ同時

に降らせるよう訓練させている。

 完全な部隊単位、集団の規則性を取り入れた、正に軍隊であり。まだまだ改善の余地は多いが、軍隊と

しての力は数倍にまで高まったと思える。

 ようするに同時集中の理念である。同じ時に同じ場所へ力を集める。それこそが集団としての力を活か

す為に必要なものであると、楓流は考えていたようだ。

 それは生涯ほとんど変る事がなく。趙深(チョウシン)という無二の賢者を得る事で、様々な軍制や戦

略術数を生み出す糧となる。

 しかし現段階ではその一歩を踏み出したに過ぎず、後世とは比べるべくも無い。後の複数部隊による連

携戦術などにはまだまだ思い至らず、あくまでも兵達を部隊として制度化させ、今まで漠然とした集団で

あったものを、云わば一つの大きな兵としてまとめさせた程度でしかなかった。

 それでもその統率された動きと力は、強盗や盗賊を恐れさせるに充分であり。彼らの間では命が惜しけ

れば集袁には近付くな、とまで囁かれる程であったらしい。

 当時の大陸では最精鋭の軍だったのだろう。

 それを証明するように、軍隊長には凱聯(ガイレン)が任命されたが、楓流がみっちり仕込んだ指揮術

を用い、数々の軍功を立てている。最早強盗団などは敵ではなかった。山賊や海賊でさえ、物の数ではな

かったかもしれない。

 勿論兵だけの力ではなく、凱聯にも第一等とまでは無理であるが、まずまずの軍事的才能があったよう

だ。戦史上に名が残るような事はほとんど無く、しばしば大敗をさえ喫しているものの、不思議としぶと

く持ち堪え、最後にはまずまずの成果を上げている。

 特にある一点を死守する事にかけては、綺羅星の如く楓流の下に集った者達の中でも、或いは抜きん出

ていたかもしれない。地味だが彼のおかげで助かった事も少なくはない。

 ようするに執念深く、忍耐と意地にかけては右に出るものがいなかったという事だろう。その負けん気

の強さこそ、忍耐と共に防衛戦には必要なものである。

 忠誠心もあるから、そう言う意味で、便利な人材ではあった。

 内政、外政面は変わらず楓流が担当していたが、その下で財政長とでも言うべき奉采(ホウサイ)がし

っかりと補佐をしている。

 奉采が上手く財政をやりくりをし、楓流の希望を叶える手助けをした。彼が来てから支出も随分減って

いる。収入を増やすも、支出を減らすも同じ事である以上、税収を数割も増したと同様の成果を示したと

言えるだろう。

 そのせいで多少恨まれる事もあったようだが、楓流が絶大な信頼を寄せ、それを目に見えて他へ見せて

いた為に、何か問題が起きるような事はなかった。それに実際奉采が来てからというもの、暮らしが豊か

になり、あらゆる面で楽になっていたのも事実で、煙たく思っても、皆彼に感謝していたのである。

 繁栄の速度がここ数年で一気に増加したのも、半分以上は奉采の手腕だろう。黙って実に良く働き、そ

の資金を増やす事、民の暮らしを安定させる事にのみ尽力していた。多少頑固で、守銭奴に思える程金に

執着する事もあったが、彼の功績が何ら鈍る事は無い。

 凱聯、奉采を両輪とする事で、楓流はようやくその才能を発揮し始めている。

 その名も袁氏内や近隣の豪族にまで知られる程高まっており、袁氏の頭目である袁夏(エンカ)ですら、

その存在を無視する事が出来なくなっていた。

 だがその分様々な人間から疎まれ、厄介扱いされる事も増え、敵視される事も増えている。

 大きくなれば成る程目に付きやすく、その結果、非難の矢面に立たされかねない。解ってはいても止め

る訳にはいかず、楓流は今まで以上に外政を意識していた。

 袁夏からは変わらず信頼を受けているものの、この状況ではいつ何があってもおかしくはない。袁夏個

人でなく、袁氏としても今地盤固めに躍起(やっき)になっている所であるから、尚更集袁の存在は無視

できないはずだ。

 いつまでも集袁を楓流の自由にさせておくとは思えない。

 ここ一、二年の間にようやく豪族の抗争と勃興が落ち着き、各豪族の勢力範囲、外交関係が安定してき

ている。もはや奪う土地がなくなり、お互いに牽制しあいつつ、皆内へと目を向け始めているのだ。

 そのほとんどが成り上がり、人から尊敬されるような出自ではない。しかも豪族は後のように確かな主

従関係はなく、一応は臣下の形をとっていても、あくまでも兄貴分弟分の間柄でしかない。

 これではいつ諍いが起きても、いつ内乱のようなものが勃発しても不思議は無く。外征よりも内地安定

を目指し、地盤を固め、権威を増し、豪族達は兄貴分から脱出する事を、支配者への道を望んでいる。

 豪族は力を欲している。ならば集袁も喉から手が出るほど欲しいはず。

 事実上楓流が支配していても、名目上はあくまでも袁夏の持ち物であり、それを借り受けているに過ぎ

ない。他の大きな町と違い、元々袁夏の直轄地であって、楓流は云わば管理者として雇われただけなので

ある。

 それがこうまで発展している。袁夏にとって正に渡りに船というやつだったろう。

 他豪族とも停戦協定を結び、一先ず侵略の不安がなくなった今(どの豪族も遠征している暇が無い)、

袁夏が一体どう考えだすのか。このまま楓流を立ててくれるのか、それとも・・・・。

 楓流の心には常に拭い難い緊張感が在る。

 情勢が圧力のように襲い掛かる気配を見せ、彼に危機感を抱かせるのである。



 集袁軍は忙しい。

 町の防衛だけでなく、度々袁夏から出軍要請がきていたからである。

 それだけ集袁の存在が大きくなっていると云う事ではあるが、余計な支出と損害だけが増え、楓流にも

住民にも好ましくない事柄だった。

 死傷者も増え、元々はただの自警団であるのにと、袁夏に不満をもらす者も多い。

 礼金は届くが、戦禍を補える程ではなく。何より死者が金で代る訳がない。

 袁氏の力ならば、誰に助力を乞う必要は無いのだが。おそらくあまり従属勢力の力を増したく無い為に、

なにやかや理由を付けては、各市各町へと出軍を命じているのだろう。

 そうして配下の力を抑えながら、自らの力を温存しているのだろうが。その事がまた、住民の不満を募

らせる。豪族らしい知恵で、確かに効果もあるのだが、それだけに腹が立つのである。

 楓流としても、袁氏からの要請には応じなければならない。集袁に豪族へ刃向えるほどの力がないから

だ。それもこれも袁夏に戦費を利用され、上手く繁栄と疲弊の天秤を操られているからであり。衰える事はな

かったが、これ以上繁栄する事も難しい。

 戦禍をなるべく防ごうと、必死に訓練させ、様々な術を講じているのだが。少なからず効果が出ている

としても、劇的に現状が変わる訳ではない。

 袁氏の力がこのまま安定していけば、いずれは本当の意味で支配されてしまうだろう。

 従属しているのと臣下になるのとでは、感覚としては似ていても、立場として大きく違う。自治権は無

くなり、今まで以上に袁氏に振り回される事になる。

 例え名義上は臣下と変りないとはいえ、それを受け入れてしまう訳にはいかないのだ。

 これまでは上手く渡り、そうなる事を逃れてきたのだが、これからは難しい。すでに豪族ではなく、一

国家として名乗りを上げる者が出始めているとも聞く。袁氏もいつそうなるか。

 袁夏は有能である。各支配地の思惑を考え、それを受け入れる振りをしながら、しかし確実にその権威

を高め、袁氏内での地位はもはや単なる兄貴分を超え、王に近くなっているようだ。

 牛車を作らせたり、大邸宅を造らせたりと、自らの力を益々大きく誇示している。後は理由さえ上手く

付けられれば、いつでも政権を確立出来るのかもしれない。

 大陸中に新しい形の、新しい政権の確立が望まれ始め、統一への気運が高まっている今、それはおそら

く遠い先の事ではない。

 誰でも良いからどうにかしてくれと、大陸中が望み始めていた。搾取するだけで何も現状を改善出来な

い、名ばかりの現政権に、誰もが愛想を尽かしている。

 思えば豪族などという存在が現れた事が、すでにそれを予兆していたのだ。皆新しい国家を求め、現状

のみを厭う。その後にどういう未来が待っているか、容易く想像出来よう。

 謀反や反乱も増え、どうなっても今よりはましだろう、そういう気持だけで全ての民が動き始めている。

いや、もう何か動いていなければ、心が落ち着かないのかもしれない。

 そういう気運は集袁にもあった。今にして思えば、あったからこそ楓流という存在が容易く受け入れら

れたのだ。誰もが変革を望んでいたが為に。

 楓流の権威は来た当初から高かったが、自警団もすでに軍といっていい面構えであるし、支配系統が確

立された事もあって、住民からは王と同等と見なされている。

 来た当初は親分、長、そういう風であったのが、名実共に支配者、命令者となっていた。

 それは皆が望んでいたからだと思える。

 以前は流さんであったのが、楓さんとなり、今では楓様と呼ぶ者の方が多いだろうか。

 凱聯、奉采の二人も、凱殿、奉殿、と呼ばれる方が多くなっている。

 気軽に声をかける者がいなくなり、皆一様に敬意を払い、尊敬を込めた眼差しで見る。まるで自分達を

現状から救う救世主でも見るかのように。

 大陸の波は、確実にこの集袁にも及んでいる。それが良いにしろ悪いにしろ、皆新しい国家を求めてい

るのだ。誰でも良い、大いなる、そして出来れば少しでも民に優しい存在を。

 楓流にもそれは解る。だから呼称が徐々に仰々しくなっても、彼は何も言わなかった。むず痒く、滑稽

にも思えたが、住民達の気の済むようにさせておいた。そうしなければ、民達は不安に思ったろうから。

 しかし彼は、そういう気運こそが、再び大きな戦乱を招く原因となるだろう事も知っている。

 強盗団に毛の生えたようなモノではなく、暦とした国家としての戦乱がもうすぐそこに迫っていた。

 強く、確かにそれを感じる。それはもう決して避けられない。

 豪族達は今大人しくせざるを得ないが、自勢力が落ち着き、安定した暁には、間違いなく侵略を再開す

る。しかもより大きな力と、戦禍を撒き散らしながら。

 安定してようやく終わる、ではなく、安定したからこそもっと大きな戦果を求めるのである。

 その為に益々人が集まり、勢力を築いたが故に、内部には様々な権謀が生れるだろう。

 もう時間が無い。商人達から得る情報では、長く持って後一、二年で大体の豪族が安定すると思われる。

その内どの豪族も、自ら王を名乗り、腐敗に塗れた現政権を打倒する大義を掲げ、それぞれに侵攻を再開

する。

 現政権などというものが、最早あって無しが如きである故に、すぐさまそれは成され。次に皆我こそが

正統と喚き合い、史上類のない戦乱を巻き起こすはずだ。

 それまでに果たして何が出来るだろう。一体何をどうすれば良いのだろう。

 袁夏に臣従するのか、或いは刃向うか。他の豪族を頼むか、或いは独立するのか。

 ひょっとすれば、決断の時はとうに過ぎていたのかもしれない。




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