2-2.翔意の咆哮


 一年が経った。大陸が豪族で溢れ返っていた観は薄れ、領土を平定する力ある者だけが残り、次々と新

国家誕生を宣言している。国家誕生が流行したとでも言うべきか。豪族勃興という大雨の後、新王という

筍(たけのこ)達が続々と派生した。

 その数は記録に寄る限り七十二もの大小様々な国家で、その後も激しい領土争いをした為に詳しい記録

の残る国は少なく、一般にそれらは総じて地生七十二星と一括りに呼ばれ。後にその中から三十六にまで

安定し生き残った国家群の事を、地生と対にして天導三十六星と呼んでいる。

 ようするに、何処からともなく地から生れるようにして誕生した七十二の勢力、そしてその中から天に

導かれるようにして残った三十六の勢力、という意味だろう。

 これは後世に名義上創られた呼称であるから、当然当時にこう呼んだ者はいない。更にその数も正確か

どうかは立証されておらず、一般に考えられているよりも、大雑把に設定されたものだ。

 百八の宿星を題材とした有名な物語があるから、それに後からこじつけたような節も見えないではない。

 ただ呼び方が無いと困る場合も多く、今もこの数が主に使われている。つまりは正確にこの当時存在し

ていた勢力を全て挙げる事は、記録が無い為に不可能だという事である。

 どちらにしても、その数の成否は楓流達とはあまり関係が無い。この数字は参考までにざっとそのくら

いだったとだけ、覚えていてもらえればいい。

 彼らに関わる事と言えば、この七十二の一つに袁夏が居たと云う事だ。

 袁夏もこの状勢を利用して、一挙に自分を王の座へとのし上げてしまった。未だ内部にも外部にも不満

がある者が多いだろうが、それもあまり重要ではなくなっている。どの道不満者を消す事などは出来ない

だろうし、結局王に誰かを据えて置く方が、他の内部高官にとっても便利であるからだ。

 袁夏と自分の格差にさほど変化が無いのであれば、袁夏を引き上げる事は、自分を引き上げるのと同義

である。困るのはいつも重要決定権の無い、中小勢力だけだろう。

 そしてその中小勢力の中でも、最も危機感を覚えているのが集袁に居る楓流であった。

 集袁は袁夏の居る都市から遠くなく、割合交通の便も良い。多少大路よりは離れているようだが、回り

道に成る程ではなく、だからこそ旅商人達が足繁く通ってきている。彼らに気を使い、道の舗装にも気を

つけていたから、今は大路までのしっかりとした道も付いていた。

 この道があれば、軍の進退にも問題は無いだろうし。補給物資の輸送にも便があると思われる。

 防衛力も高く、兵も強く、前線拠点とするにはもってこいで、近頃急に楓流への接触が増えた事からも、

袁夏の意図は目に見えて解った。

 袁夏の方も、わざとその意図が解るように振舞っているのだろう。

 つまりはさっさと寄越せと、そう言っているのだ。

 袁夏に与する限り、この提案は退けられまい。

 集袁は堅く、楓流の指揮する兵は強い。同規模の勢力で云えば、彼の力は群を抜いているかもしれない。

しかし袁夏の力と比べれば、まるで相手にならない。

 袁夏を十とすれば、楓流は一か半もあれば良い所かもしれず。形だけは独立しているように見えるのも、

袁夏が内乱を面倒に思っている為と、楓流に多少の敬意を払っている為で、それ以上の理由は無かった。

 本気で攻め寄せれば、造作もなく落とされてしまうだろう。

 後世のように火力で戦が決まる訳ではなく、当時はほとんど兵数で勝敗が決まった。どれほど戦略戦術

に優れようとも、十倍もの差がある相手に対し、一体何が出来るというのか。

 集袁には防壁がある。しかしそれも後の城塞都市にあるような物を想像してもらっては困る。石がしっ

かりと積み重ねられているとはいえ、その強度も規模も人力で破れぬ程ではなく、石壁というよりは石柵

とでも言った方がしっくりくる。

 それは厚く堅いのは確かだが、決して破れぬ物ではなかった。

 それ以前に人梯子でも作れば、乗り越えられてしまうかもしれない。

 兵数に物を言わせられると、最早どうしようもないのである。

 他の町と比べれば、確かに桁違いの防御力を誇る町だが。その基準となる値が低い為に、その言葉から

受ける印象程の力は無いのである。

 楓流は進歩的ではあったが、この時期ではまだ毛の生えた程度のものでしかなかった。

 強盗団程度なら充分に防げるものの、袁夏の軍勢相手に果たしてどれだけ耐えられるか。

 楓流は迷っている。ここ一年というもの、彼の脳の七割はその為に浪費されていたと言ってもいい。

 しかしどれだけ悩んでも、不可能を可能に出来る訳もなく。運び屋としての生を失ったあの日を悪夢に

見ては、湧き上がる恐怖を抑える事で精一杯の有様だったようだ。

 この時期の彼の力は、大陸全土からみればあまりにも小さい。

 袁夏が痺れを切らすまでには(集袁攻略準備が整うまでには)、まだ余裕があるだろうが、そんなもの

は気休めにもなるまい。

 ならば大人しく袁夏に降るか。

 素直に臣従すれば、命だけは助かろう。しかし現状を考えれば、楓流と集袁の民はお世辞にも優遇され

るとは思えず。袁夏の野望の踏み台としか使われないだろう事もまた、明白である。

 折角ここまで築いた物を、また誰かに滅ぼされてしまうのだろうか。

 もうどうにもならないのだろうか。懸命にやってみたが、やはり豪族にはいつまでも及ばなかったと云

う事か。

 今の楓流に出来る事と言えば、せいぜい防壁をいま少し厚くし、滅びの日を一日か二日延ばすのがやっ

とであった。

 最早一人ではどうにもならない。単純な人数の話ではなく、勢力としての数の事である。集袁一個では、

初めからどうにもならなかったのだろう。

 今その事を痛いほど感じ、この状況を打開するには、どうしても何者かの力が必要である事を、楓流も

認めない訳にはいかなかった。そしてそれは、誰かに膝を屈し、誰かに干渉されざるをえないという事で

もある。不本意ながら、自立自尊の時は終わりを告げたと見るべきだろう。



 楓流は決断した。その答えに未だ迷いもあったが、これ以外には無いという信念もある。

 思い切って袁夏と縁を切る。そしてはっきりと敵対する。それを集袁の意思とした。

 しかしそうすれば滅亡は必定である。そこで以前から考えていた通り、他の王を頼る事になる。

 結局誰かを頼るのであれば、現状と変わらないではないか。そう思われるかもしれない。確かにやって

いる事は同じである、だがその中身と意味合いは少し違うのだ。

 今袁夏が集袁を狙っているのは、ここが一番手頃で都合が良く。今例えこの地に争いを起こしたとして

も、袁家を揺るがすような事にはならないと考えたからだろう。

 だがそれはあくまでも集袁を孤立させた場合の事。もし集袁に後援者が居るとすれば話は変わってくる

し、その後援者との関係に配慮する必要が生れる。

 袁夏が目をつけるくらいであるから、周辺の王や豪族達も、この集袁に興味を持っていると考えて良い。

袁夏が攻めるにしても、袁夏を攻めるにしても、拠点となる場所の利便性は変わらないからだ。

 ならばこちらが頼りさえすれば、ある程度まで話を聞いてくれる可能性がある。

 どの王もそろそろ領土欲が膨れ上がっている頃だろう。王となった今、大陸に名を轟かせる為、自分の

立場を認めさせる為、華々しい結果を残したいと思い始める頃だろう。

 それを利用しない手はない。

 そして楓流にそういう意図があると気付けば、袁夏の方も態度を軟化させ、強引な手を使う事を避けよ

うと考えるかもしれない。

 ならばその両者の間を上手く渡り、情けないけれども、細々と独立を保てる可能性も出てくる。

 半ば希望的な望みであったが、他に方策が無い以上、そうするしかないと考えた。

 これは双方と交わりながら、双方と敵対する可能性もあるという、大変危険な状況で。史上こうなって

無事生き延びられたような国家は、ほとんど無かったのだが。それでも成功例が無いとは言えない。

 楓流は安定した滅びよりも、独立を保つ賭けを選んだようである。

 そんな危険を負うくらいであれば、初めから袁夏に従っても結果は同じ、いや生き延びられるだけまし

ではないかと、そう思われる方も居られるだろう。

 確かにその言には一理ある。いや、二理も三理もあるかもしれない。そうして耐えながら、情勢の変化

を待つという手もあるだろう。

 しかし楓流はそれを由としなかった。それは多分に性格的なモノもあるだろうが、一つには集袁の民が

それを望まなかったと云う事がある。

 独立というものに、果してどれだけの意味があるか解らないが。大抵の人間はそれを望み、ほとんどの

人間はその為ならば苦難も恐れない。

 しかも集袁は今まで見事なくらいに順調に繁栄してきた。今更袁夏などにどうこうされる理由は無く。

民達にも、自らの力でこの繁栄を切り拓いたという、自尊心が生れている。

 一体袁夏が何をしてくれたのか。逆に集袁の兵を使い、疲弊させただけではないか。

 民は明らかに不満を示した。確かにその何割かは楓流が操作したとも言える。しかし確かに不満を持つ

者は多かったのである。

 折角上手くいってる現状を全て奪われるくらいなら、袁夏に従ってでも生き延びた方が良いと思う者も、

少なくなかったが。町の総意としては、袁夏に臣従する事を望まなかった。

 楓流はそれを確かめると自信を回復し。不満者達には資金と食料を与え、半ば強制的だったが、町から

出る事を許した。

 この頃には彼の権力もそうとうに固まっていたから、民の心中はどうあれ、表面上は黙って従い。残る

者、出て行く者の間で暫し論争が起こったり、喧騒が立ったりもしたが。それも一月もせずに落ち着きを

見せ、最後には今まで以上に一つにまとまる結果になった。

 全体の四分の三は残っただろうか。或いはもっと多かったかもしれない。それは楓流に対する敬意もあ

ったろうが、理由の半分以上は、民達がずっと以前から、楓流に全てを預けてしまっていた為だろう。自

分で判断しようとはせず、彼を頼り、全てをそっくり預けてしまっていたのだ。

 今までの成果から云わば信仰状態を生み出しており、それが今楓流を助けたのである。

 それは一人の人間としては誉められた状態ではなかったが。一人の被治者としては、最上の存在であった。



 楓流は袁夏に対抗する為の相手役として、豪炎(ゴウエン)を選んだ。

 袁家と領を接する勢力で、古き家柄である為に昨今流行している国家乱立を嫌ったのか、彼はあくまで

も豪族としての立場を守っていたが。それははるか以前から明確な支配者であって、今更王など名乗る必

要は無いと云う事でもあったろう。

 そういう意味で彼は豪族とは違ったかもしれないが、他に呼び名が無い為に、一般に豪炎も豪族と呼ば

れていた。

 豪の一族は、支配者となってから、長い年月を経ている。

 昔からここを任されていたのであれば、太守のような存在であったろうし。一地方の統治を任される太

守ならば、初めから小王とでも称して良い権限があり、上に居た者が失墜したとなれば、最早その権威を

遮る者はいない。

 国家宣言をしなかったのは、単に豪炎自身が王だの国だのという仰々しい呼び方が嫌いであり、今更全

てを一変する事に、気だるさを感じたせいもあったのかもしれない。

 彼にとっては現状のままで良く、競争相手を増やす変化などは敵だったのであろう。

 そういう事情もあって、前々から袁家とは折り合いが悪かったのが、逸早く袁夏が王と名乗った事によ

り、一層険悪になっている。

 彼ならば、十中八九話に乗ってくれるだろう。

 その目論見は当り、豪炎は喜んで約してくれた。この約定があったからこそ、楓流は不満を持つ者を追

い出したりと、強引な手が打てたのだ。

 そこには確かな希望があった。

 凱聯を筆頭とする猜疑(さいぎ)深い者達が、豪炎など信用できるかと心配し、何度か楓流に意見する

事もあったが。楓流はどの道裏切られれば終わりなのだから、その時の事を心配する必要は無いと言い、

凄みを利かせた目でもって、それらを一蹴した。

 すでに覚悟を決めているのである。それを今更騒ぎ立てられるのは、楓流としても怒りを隠せなかった

のだろう。この頃の彼はよほど神経をすり減らしていたのか、常に機嫌が悪く、少々荒っぽくなっている。

 奉采や胡姉弟がいなければ、自暴自棄になり、無謀な事をしていた可能性もある。

 そこまで楓流が心労しているのにも気付かず、現在の状況を理解しようともせず、代案も無しに感情の

まま物を言う凱聯に対し、流石の楓流も心底腹を立てていたらしい。

 この時楓流は、窮地の際の凱聯の才覚に対し、まったく期待しない事を決めた。

 信頼が消えた訳ではないが、凱聯の評価はこれ以後も低下しこそすれ、上昇する事はほとんどなかった

ようだ。

 それでも常に側に置き、決して放逐(ほうちく)する事がなかったのは、もしかすればそうしていない

限り、凱聯と云う男はどうにもならないのだと、そんな風に考えていたからかもしれない。

 だからこそ誰が何を言っても、凱聯の手綱を離そうとはしなかった。

 そして楓流の不意の死によってその手綱が消えた後、自由になった凱聯が滅びの最も大きな元凶になっ

たと云う事は、当然の結末であったのかもしれない。

 そう考えれば、凱聯に出会った時点でもう手遅れであり。確かに凱聯が居たからこそ、楓流が生き延び

れたと思える事もあったのだが。果たして彼との出会いが、真の意味で幸福であったのかどうか。縁という

ものは、時に怖ろしいモノだ。

 ともあれ、こうして集袁は袁家から離れ、豪と袁の間に身を置いたのだった。




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