2-12.明減は名と共にあるか


 弓兵の一点射撃により、豪軍は俄に崩れた。

 勝利を確信し、後は追撃のみとなった瞬間の出来事である。皆驚き、何も解らぬまま倒れ、矢を身に刺

し、不可思議な表情を浮かべ、硬直する。

 骸となるその側へ、声が届いたかもしれない。それは集袁軍の発す、獣の雄叫びにも似た無数の声。戦

意を挫く、腹の底から湧き上がる咆哮達。

 豪兵はどっと沸き立ち、我先と無規則に逃げ始めた。

 中には。

「集袁が裏切ったぞ!!」

 などと叫ぶ者もいる。彼らは集袁の上に豪氏の旗が翻るのを、当たり前のように受け入れていたのだろ

うか。そうかもしれない。人間の中には驚くほど素直に受け入れる者もいる。この場合のみ、その例外に

当るとは、誰も証明出来ない。

 集袁軍はまともに豪軍の側面を突く格好となり、率いていた楓流自身も驚いた事に、完全に豪軍を分断

した。つまりは隊列を、真一文字に突き破ったのである。軍の端から端まで、不足無く。

 それは容易く。まるで布に刃を通すようなものだった。

 当時の陣形は今のように密集したものではなく、ある一定の範囲の中に兵を押し込めている、というに

過ぎず。隊列もあって無いようなもので、厚みに偏りがあり。袁兵が身勝手に動いていたように、指揮と

いうものも、前進、後退、攻め、守れ、などのように大雑把なものであった。

 何度も言うように、所詮は個人の集まりなのである。

 中には強靭な者もいたが、士気も練度もまちまちで、一個の軍隊であるとは云い難い。

 統一を欠き、非常に脆く。何よりも、兵の間に陣形を保とうとする意志が無い。

 そこへ全体としての訓練を積み、整然と並ぶ軍隊が押し入ったのである。それはたまったものではなか

ったろう。大体が兵士が隊列を組んで攻めて来るなど、当時の人間にとっては、それだけで異様だったの

である。立ち向かうなど以ての外、むしろ争って逃げた。

 豪兵は矢がある面に集中して降ってくるのにも、度肝を抜かれたろうが。それ以上に、まるで雪崩のよ

うに密集して襲いかかってくる集袁軍に、単純に物量と勢いからくる恐怖を覚え、この世ならぬ物を見た

という気持ちから、戦意も瞬時に挫けたのだと思える。

 楓流が思っていた以上に、組織的な力と言うものは、人の心に大きな衝撃を与えるものであるらしい。

 不意を突かれた事も相まって、豪軍は自ら望んだかの如く斬り裂かれ、最早その場に止まろうともせず、

武器や鎧を投げ捨て、袁兵と同じように四方八方へ逃げ惑った。

 彼らもまた、このような所で命を失うのはまっぴら、死ねばどうにもならない。豪だろうが袁だろうが、

どちらがどうなろうと興味はなく。初めから忠誠心などを持ち合わせておらず。勝機が消えれば、闘志も

消える道理であった。

 楓流はまたしても失望に似た想いを味わったようだ。期待外れ、それが素直な感想だったのだろう。

 しかし今回はそれ以上に喜びが湧き、彼の心に確信を生んだ。

 彼の創立した軍隊は、彼が思っている以上に効果的かつ強い。そして組織力の無い軍隊など、塵のよう

に儚く崩れ去る。重要なのは集団としてのまとまり、力を結集させる事である。

 豪族の軍にはそれが無かった。古くからあろうと、新しく出来たのであろうと、変わりは無い。ようす

るに王となる者の、影響力が著しく低く。民には国を守ろうなどという気持ちが微塵も無い。

 まとまりがない。数だけでいてもそれがばらばらでは意味を為さない。

 軍という集団にとって大事なのは、数よりも組織力、どれだけその集団の力を活かせるか。一つ所へ結

集出来るか、なのだろう。別の意味での集中力が必要なのだ。

 集袁軍が勝てたのは、兵一人一人に、ここが自らの居場所である、という気持ちが強く。意気があり、

組織力は豪族軍などと比べものにならなかったからだろう。考えてみれば、勝てて当然の戦であった。

 確かに正面から戦っていたのなら、物量で押し切られていた可能性が高い。しかし豪、袁が争い、お互

いに疲弊し合ってくれた時点で、すでに集袁の、楓流の勝利は決まっていたのである。

 後は突くだけで良かった。針の一刺しのような小さな力でも、両軍は混乱したかもしれない。これもま

た、当然の如く、あるがままに生れた結果である。派手な仕掛など必要ない。

 楓流は追撃を控え、弓の射撃のみとし、深追いを抑えた。

 例え追撃が一番戦果を挙げる手段だとしても、窮鼠猫を噛む、という言葉もある。一瞬にして豪軍の勝

利が覆ったように、勝利に浮かれてしまえば、何が起こるか解らない。

 それにどう考えても、集袁の戦力は寡少なのであった。

 こうして豪、袁、両軍が去った戦場には様々な物だけが残り、それだけに奇妙な寂しさが在った。

 勝ったという気持ちは強かったが、逃げられたという気持ちもまた強かったのだろう。

 何しろもう豪と袁の区別無く、分断された場所を中心として、砂を散らすようにして逃げ去ったのだか

ら、何とも奇妙な感じである。

 脅かして逃がした。そのような気持ちが、おそらく一番近い。

 楓流は落ちている物を戦利品として回収させながら、勝敗というもののおかしさを味わっていた。これ

ではまるで、ここへ拾い物でもしに来たような格好ではないか。火事場泥棒と変わらない。

 しかも皆仰々しく鎧具足に身を固めている。自分達は大げさな姿で、このような場所で、一体何をして

いるのだろう。

 勝利を喜びながらも、楓流は取り残されたかのような気持ちを味わったようである。

 ともあれ、これで暫くは時間を稼げる。機を掴めば勝利する可能性も低くは無い事も解った。

 兵達にも自信が付き、楓流への信頼と権威が増すだろう。

 集袁の名は飛躍的に高まり、この時より、一勢力として大陸中に認められる事となる。

 逆に豪、袁の名は衰え、残り僅かな結束力も消え、内乱が多発、次第にその勢威が衰えていく。

 この戦はまるで、豪、袁が二者揃って、彼らがもっていた勢いというものを、そっくり楓流に受け渡し

に来たかのようであった。



 年月は流れ、楓流も齢二十九を過ぎ、三十に差しかかろうとしている。

 歴史上では彼の節目となる歳だが、それを表するかのように、力を失った豪、袁、両勢力に代わって集

袁の勢力が増し。評判を聞いて次々と人が集まり、規模と兵力も増大している。

 豪、袁同盟軍を破った事により、その存在はすでに認知されていたが、それに実質的な力が加わり始め

ていると云う事だろう。

 もう市と呼べるくらい、集袁は大きく。家屋の建つ音が、一日中途切れる事は無かった。

 人は正直であった。大陸に住まう民にも、今は先祖伝来のだの、生まれた時からの想い出がだの、そう

いう干渉に構っている余裕は無く。良い場所が見付かれば、今居る所よりも住み良いと彼らが思えば、当

たり前のように家財を背負って集まってくる。

 今も昔も便利な場所に人が集まるものだが。当時は今よりも遥かにその頻度が高く、土地への執着心や

未練が薄かったと思ってもらっていい。もうそんなものは無かった、そんな風に言ってしまっても、或い

は差し支えなかったろう。

 豪、袁が磐石であると思えばこそ、人は今まで彼らの支配を受け入れていた。

 しかし例え両軍上手く利用され、漁夫の利を得るような策で破れたとはいえ。たかだか一つの町程度で

しかない勢力に負けたとは、真に情けなく、頼りがいがない。今まで豪、袁の支配を受けていた町村は、

こぞって集袁に属する事を願い出、楓流もまた、それを承認した。

 楓流もまた、力が欲しく。今更豪、袁を憚る必要を感じなかったからである。

 むしろ彼自ら率先して説得の為に使者を出し、支配域を広めるように努めた。またとない好機である、

利用しない手はない。

 だがそれがもたらすのは、喜びだけではなかった。

 名が知られ、認められた。確かにそれは喜ぶべき事だ。知られる事で権威が生まれ、認められる事で力

を持つ。それは良い。しかしその代償として、必要以上に意識され、標的となる可能性も生む。

 人が外へ出れば七人の敵がいる、という諺(ことわざ)もあるが。有名になればなるほどその数は跳ね

上がり、当人の知らない所で鼠式に増えていく。しかもそれは増える一方で減る事は滅多に無い。

 人は名声名誉、我が名を知れ、などと景気の良い事を言いたがるものだが。その内に潜む、本当の恐怖

を知る者は少ない。

 楓流はそれを知る、数少ない一人である。何故ならば、一度その恐怖を味わっているからだ。

 であるから、彼は有名という現象を極度に恐れ、意識して集袁の名を使い、自らの名を口にする事は少

なかった。そうする事で、楓流という個人に対する意識を減じようと、無意味にも思える努力をしていた

のである。

 勿論、それが無駄である事は、誰よりも彼自身が知っている。しかしそれをするしかない程に、彼の心

は恐怖を覚えていたのである。惨い事に。

 思えばこの感情が、凱聯を遠ざけたいとする心にも、何某かの力を加えていたのかもしれない。

 凱聯は楓流と違い、極端なまでに自分を誇示したがる所がある(しかも救いようの無い事に、彼の拘り

は楓流の次位である為、その度に必ず楓流の名が出た)。何度楓流がそれを止めようとしても、彼は聞く

耳をもたない。その一点が彼の存在意義であるかのようであり、であるからこそ、楓流は得なくても良い

焦燥を、凱聯から得るのである。

 それはまるで凱聯が知っていて、敢えて楓流を苦しめているようにも思えたかもしれない。

 しかし現実に力を持ち、その名声に相応しい版図を治めている以上、凱聯のように主張する事も必要で

ある。それは楓流も認めざるをえない。

 そこもまた、腹の立つ事であったろうが。一度認めれば、彼は行動の人である。対応は早かった。

 すぐさま簡単であるが法令を定め、税はなるべく軽くし、その分軍備に資金を使わせ、楓流は防衛にこ

そ力を注がせた。

 まずは守る事だと彼は考えた。地盤を固め、守る力さえあれば、例え何が起こったとしても、最悪の事

態だけは避けられるだろうと。

 勿論各町村の繋がりを深め、防衛と同時に交易や輸送にも力を注ぐ事を忘れない。そして広く人材を求

め、少しでも芽がある者が見付かれば登用を試み、人材を得る事にも重点を置いている。

 人、軍事力、交易、これが楓流の徹底していた点である。

 あくまでも各町村の自治を重んじ、この時点では支配する事よりも、むしろ共同体のようなものを目指

していたように思える。

 逆に言えば、この段階では、まだ集袁一個で精一杯であったのだとも考えられる。他所にまで向けてい

る余裕はほとんど無いのに、それでも広くなった版図を賄う為、彼自身の視界を広げる事に四苦八苦して

いる。そんな姿が目に浮ぶ。

 ただそれで各町村の繋がりが薄いと云う事はなく。例の独創的な訓練法なども、惜しまず誰にでも教え

ている。このおかげで兵力の集中という思考法が大陸全土に広まり、結果として自分の首も絞める事にな

ったのだが。かといって例え教えずとも、誰もが遅かれ早かれ集袁軍の真似をしだした事だろう。

 それがあまりにも派手な結果を出した為、全土の支配者達はこぞって楓流の軍制を知ろうとし。今更隠

そうにも、豪、袁軍などあまりにも多くの人間に見られている。

 しかしそれはまた後の話。現状では楓流以上に軍を巧みに操る存在は、この大陸にはいなかったし。集

袁一個で手一杯である以上、せいぜい視界が届くのは周辺の町までであった。

 今の楓流はただの新興勢力に過ぎず、しかも大陸全土からみれば、真に微々たる勢力。後の英雄も未だ

人の子、天下を羽ばたく力は無いようであった。

 だが歴史はこれ以上彼を待つ事を拒み、弥が上にも天へ押し上げようとして行く。

 それは養父楓壁(フウヘキ)が、我が子を人の世へ解き放った時のように、一切の迷いも許されない。

 竜は空を翔け、大陸全てを見下ろさねばならぬ。例えそれが、竜自身の意志に反したとしても、竜は竜

であるが為に、空を翔けなければならない。

 竜が休む時、それは命を全うした時だけであろう。


                                                          第二章 了




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