伝達速 諦めぬ先に天運在り



2-4.回生


 起死に到ればそれもまた運命と諦め、受け入れるか。絶対的に困難である状況にありながら、それでも

尚希望にすがり、夢を現実的に見ていられるのか。

 人は大小関わらず常に決断に迫られているが、時に諦めの悪さこそ、何よりの特効薬になる。諦めが常

に敗北であると、そこまでは言えないとしても。これは確かに一つの真理と思える。

 所詮、勝敗とは力関係の結果でしかない。強い方が勝ち、弱い方が負ける。単純であるが、それだけに

解りやすい。そして解りやすいからこそ、人は勝敗をのみ重視してきたのだろう。

 勝った、負けた。物事はそれほど単純でないとしても、人は単純なモノを好む。いや、単純なモノ、簡

単なモノでしか、大衆を納得させる事が出来ないのかもしれない。

 一部の者達にしか理解できないモノ、それは時に何よりも虚しい。

 とすれば、時に耐える事が力となるのならば、動く事も力だが、しぶとさと忍耐力という、動じない事

もまた力になると考えられる。いや、むしろ動ぜずの方がより力ある行動なのかもしれない。

 例えれば、風にも雪にも動じない山へ、神威すら感じるように。

 楓流が後に山の名を冠したのも、山のような存在になりたかったからだろうか。

 ともかく、楓流は平静に還った。今までのようにうろたえても苛立ってもいない。

 しかしだからこそ胡虎は彼へ恐怖を覚えた。心に渦巻く焦りや怒りを擦り切れる程に束ね、細く鋭く伸

ばした意気は、ぞっとする程の恐怖を与える。覚悟、不退転の決意と言い換えてもいい。決して引かぬ心

は、他者にとっては恐怖でしかない。例えそれが味方であってさえ。

 それでも胡虎の恐怖は次第に信頼へと変わっていった。絶対的な信頼さえあれば、人の心は恐れこそす

れ、結束を失う事は無い。むしろ人が見れば恐怖する程の意志、自信がそこにあるのだと思えば。その絶

対の自信を信頼せずして、他の何者を信頼できよう。

 それが如何に無謀と思えても、時にそれを信頼しなければならない事がある。無謀だからこそ、自分だ

けでも信頼しなければならぬ時が。

 楓流の立てた策、いやこれはもう策とは言えまい。ようするに騒ぎを起こして衛兵を誘い入れ、打ち倒

し、強引に脱出する。馬鹿でも考えそうな方法で、流石の胡虎も聞いた当初は賛同しかねた。

 それはそうだろう。豪の本拠地、しかも一番警備が厚いだろう場所で、誰がそんな事をしようというの

か。古の豪傑であれ、ここは大人しく転機を待つ場面であると思えた。

 しかし楓流の言葉を聞いている内、やはりそれしかないのだと思い始めた事もまた、事実である。

 楓流の言に寄れば、すでに豪と袁から軍勢が出発しているはずで、遠からず集袁は包囲され落ちる。

 凱聯と奉采が懸命に指揮したとしても、集袁軍の力を最大限に活用する為には、どうしても楓流の力を

必要とする。しかも二手の軍勢に囲まれれば、おそらく手も足も出ず、最悪内側から崩壊してしまう可能

性すらあった。

 凱聯には人を統御する徳や威が無い。彼は誰かの庇護下でのみ、その力を発揮できる。言い換えれば、

楓流唯一人が使ってこそ、初めて彼が活きるのである。

 奉采は糧食を保ち、防衛日数を稼ぐ事は出来るが、さりとて軍事的才能までは持ち合わせていない。

 楓流不在の今、集袁を落す事は造作も無い事だった。

 いや、例え楓流が居たとしても、落すには何ら支障が無いかもしれない。豪、袁連合軍となれば、一都

市などでは抗えぬ戦力である。集袁と楓流など、もみ潰してしまえばそれで終わる程度の、取るに足らな

い勢力であろう。

 正面きって戦っても、おそらくは敗北する。いや滅亡する。しかし集袁にも強みが無い訳ではない。

 豪、袁どちらも消耗する事を恐れていた。人は無尽蔵に湧いてこないし、時間がかかれば様々な物を消

費する。戦争以上に資金資材を消費する事柄は無く。人はいつも馬鹿馬鹿しい程の人材と物資を浪費しな

がら、全てが滅びるまで際限なく争ってきた。

 これ以上愚かしい事はないが、この時の豪、袁両氏にとっては、それだけが正義であり正道である。

 農夫が作物を育てるように、職人が様々な道具を生み出すように、それはありふれた、当然の事だった

のだろう。

 だがその行為によって、先の行動がとれなくなるようでは困る。両者の目的はあくまでも自勢力を保ち、

出来ればこの大陸に覇を称える事。現状で具体的に言えば、両者とも集袁陥落後の事を考えている。

 両者協力して集袁を討つ。これは豪、袁どちらにとっても都合が良い。しかし両者共になるが故に、で

は集袁はどちらの物になるのか、という疑問が現れる。

 陥落するのは決まっているから、そこはどちらも問題としない。すでに豪炎、袁夏ともに、戦勝後へと

思考が飛んでいた。

 勿論どちらも譲りはしまい。共同統治だの、二つに分けるなども論外である。となれば争うしかない。

ようするに集袁戦は、その後の支配権獲得への前哨戦でしかなかった。おかしな事になっていると思われ

るかもしれないが、そういう風に言い表すより他に無い。

 しかしそうであるからこそ、豪炎は兵力を惜しまないはずだ。おそらく出せるだけの兵を集袁へ向かわ

せている。そしてそれは袁夏も同様であろう。

 なればこそ、この本拠地は手薄になっている。しかも豪炎達は油断しているはずだ。先程までの楓流を

見て、だれが脱走などという大それた事を企み、すでに集袁侵攻まで悟られているなどと思えようか。

 豪炎は楓流をこの数日の間あしらいつつ、心中笑みを浮かべていたはず。全てにおいて上手くいってい

る。何と都合良く利用されてくれる男だろうと。

 おそらく袁夏の事もそう思っている。そして袁夏の方でも、豪炎をそう思っているだろう。豪も袁もお

互いがお互いを出し抜けると思い、その事に疑いなど持っていなかったと考えられる。

 逆に言えば、だからこそ手を結んだといえる。豪と袁の仲は明白、至極仲が悪い。しかしであるからこ

そ、利用し合おうと考えれば、容易く手を結ぶ事もある。これはその例の典型とも言えるだろう。

 人の世には互いに馬鹿にしあい、互いに利用しあっている、と互いに勘違いするからこそ成り立つ関係

が、往々にして存在する。まったくもって不思議だが、噛合わずして噛合っている事が意外に多い。

 それは歯車の違いを、思い込みによって埋めているからだろうか。

 それともたまたま上手くはまってしまうのだろうか。例えば色違いでも歯車に違いはないように。

 双方共に勝った気でおり、思考は先へ先へと飛んでいたからには、今更楓流などに誰も注意を向けてい

ない。故に、そこに楓流の勝機が生れてくる。

 彼は強いが故に得られるモノもあれば、弱いが故に得られるモノもある事を知っていた。

 弱肉強食こそ自然の理であれど、その力関係はあくまでも相対的なモノであって、絶対的に勝敗が決ま

っている訳ではないのだ。運命とは結果論、やる前から諦める為の運命論などは無用である。

 それにこのままいてもいずれは死すのみ。であれば、賭けにでたとして、今更失うモノなどない。

 胡虎も楓流に命を預けている。恐怖が過ぎれば、異存など浮ぶはずが無かった。 



「誰か、誰か来てくれ!!」

 胡虎が鍛え上げられた腕で力強く叩くと、頑丈なはずの戸が外れそうに軋(きし)んだ。

「なんだ、どうした!」

 突然の事で衛兵は驚き、特に考える事も無く、反射的に戸を開いた。身を乗り出し、一目散に室内中央

へ蹲(うずくま)っていた楓流へと駆け寄る。

 彼が親切であったのではなく、こういう場合の人間は大抵こうするのだろう。衛兵は油断していた。彼

の為に言ってやるなら、素直だったのだろう。

「どうし・・・」

 しかし声をかけようとした衛兵の顎(あご)を、楓流の分厚い拳がすかさず打ち砕き、衛兵は理解でき

ぬまま昏倒した。

「貴様ら!」

 慌てて戸外に待機していたもう一人の衛兵が飛び込み、剣を抜き放って大きく楓流へと振りかぶる。

 だがその刃は落とされる事無く、側面から強烈な蹴りを喰らい、衛兵はにぶい音を立てて、膝と手にし

ていた刃を床へ落とした。そこへ胡虎の止めの一撃が放たれ、為す術も無く昏倒す。

 息はまだしているようだが、当分の間痛みで声を発する事も出来ないだろう。

 戸外には他の人影は見えない。しかしすぐに異変を察して人が来るはずだ。手早く済ませ、一時でも早

く逃げ出さなければならない。

 楓流と胡虎は急ぎ戸を閉め、衛兵の鎧を剥ぎ取り、衛兵に変装すると、落ちていた刃を拾い、鞘へと収

めた。

 それから互いに確認しあい、しかる後に大声で。

「脱走だ! 集袁の奴らが逃げたぞ!!」

 何度も何度も叫びながら、緊迫感と慌しさの増す中を、振り返らずに駆け抜けた。

「どうした、一体何があった!」

「二人やられている。すでに外にいるかもしれん」

「先程の音はそれかッ!」

「馬鹿な! この警備の中、逃げ出せるとは・・・」

「ともかく俺達は外を探す、お前達は中を頼む!」

「ああ、早く見付けなければ我々の命は無い。急ぎ探そう!」

「我らは暫く抑えておこう。館内では静かに、豪炎様に覚られぬようにするのだ」

「うむ、覚られれば命はない。何とかわしらが言い繕おう。早く捕まえてくれ!」

「ならば二人では心許無い、わしも行こう」

「うむ、大勢の方がいい」

「よし、なら外へ行く者は俺達に付いて来い! 急げよ」

「オオ!!」

 二人は衛兵の群を引き連れつつ、堂々と館を脱出した。少し考えれば見慣れぬ顔と声が混じっている事

に気付いたかもしれないが、今は火急の時にて注意を払う者もおらず。また膨張している勢力は人の出入

りが激しくなるから、落ち着いていても気付かなかったかもしれない。

 衛兵達はよほど安心しきっていたのだろう、楓流自身が驚くほどに混乱に陥り、これ以上無く上手く動

いてくれた。人間というのは予測外の現象に対して、何故こうも弱く愚かになるのか。

「一緒に居ても仕方あるまい。分かれて追おう」

「ならば我らはこの道を」

「いや、どうせ道の先には関がある。奴等もそれを知っているからそこは行くまい。他を探そう」

「解った、ならば俺はこっちへ」

「わしはこちらへ」

「我らはあちらを探そう」

「一刻してもまだ見付からねば一先ず戻り、またここにて落ち合おうぞ」

「承知した、皆気をつけてな」

「オオッ!!」

 衛兵は八方へ散って行く。無論楓流も胡虎と共に散った。それも丁度集袁の方角とは正反対の方向へ。

 いくらなんでもと訝しがる者もいたが、その油断で逃げられるのだと説き伏せ、進み。何だかんだと言

いくるめては付いてくる人数も減らして、とうとう二人きりになる事に成功した。

 こういう場合は何でも先に発言した者が主導権を握れるものだ。ある程度衛兵を思うままに動かす事も、

大して困難な事ではなかった。楓流には威があったし、指揮するのも手馴れたものである。

「上手くいきましたね」

「ああ、しかしこれからが勝負だ。一時潜み、それから後迂回して集袁を目指す」

「でも関を越えるなら、早い方が・・・・」

 王、豪族、どちらも昨今の権威の増加に伴い、支配地をよりはっきりと判別させる為にも、街道や要所

のあちこちに関を設け、人の出入りを厳しく取り調べている。普段なら賄賂でどうにかなるが、今の場合

はそうもいくまい。

 何故ならば、楓流と胡虎を捕縛した方が、賄賂などよりも遥かに実入りが良いからである。千金と万金、

どちらを取るかと問われれば、大抵の者は万金を選ぶに決まっていた。

 それにいつまでも衛兵のふりが通じる程、豪炎も彼の部下も愚かではない。すでに真相が知れ、手配が

回っている可能性もあり、遠からず国中全ての人間が彼らを探す事となろう。

 皆貧しい以上、こういう褒賞を得られる機会を逃すはずが無かった。国中の人間が必死に追ってくる中、

いつまでも逃げ切れるとは思えない。集団で発狂したように追ってくる前に、急ぎ関を越えた方が良いの

ではなかろうか。 

「いや、情報が伝達されるには時間がかかる。胡虎よ、気を焦るだけが急ぐ事ではない。時に待つ事が最

短の道でもあるのだ」

「解りました」

 胡虎は全てに納得した訳ではなかったが、今では楓流に全幅の信頼を置いているので、敢えて逆らおう

とは思わなかった。例え見付かったとしても、自分が身命を投げ出して逃がせば良いだけの事である。

 胡虎はとうに覚悟を決めていた。

 遅い早い以前に、考え無しに進んではどうにもならない。関に行っても、新設に開けてくれるはずもない。

楓流はそれを言っているのだろう。

 それに実際、様々な点で豪族達は行動が鈍重である。

 行軍速度はその最たるものだろう。

 専業軍人が少なく。兵のほとんどは各地に散らばって、それぞれの生活を営んで居た為、集めるまでに

非常な時間がかかった。

 今回豪炎が動員した兵力のほとんどは本拠地に居た者達だろう。それが集袁に行く際に周辺の町村から

兵を集め、ゆっくりと膨れながら侵攻する。

 のんびりしたものに思えるが、これでも当時の基準にすれば、各地から集まるのを待たないだけ、まだ

ましであった。

 人はそれを受け入れ、常識とした。相手も条件は同じなのだから、気にする事はないのだろう。

 しかしその常識にこそ、楓流が突く隙があったのである。彼がその速度を重視した軍制を完成させ、大

陸を尋常でない速度と勢いで席巻出来たのは、偶然ではなかったと云う事だ。

 それは彼が革新的な思考を持っていたという証明でもあるが、如何に他の王達が考えなかったかという

証明でもある。革新だけが全てではないとしても、止まった思考では進歩も無いと云う事だろう。人は古

から学び、新から選び取る事が重要なのかもしれぬ。

 双方を見、最適なものを選択する事が必要なのだろう。




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