2-5.理無きは不可なりか


 一刻程潜んだ後、楓流、胡虎は衛兵装束のまま、集袁方面へと移動を始めた。

 衛兵に身をやつしている事はすでに知られているだろうが。さりとてこんな所を衛兵でも無い者が、堂

々と歩いている訳がなく。このままの方が人目を惹くまい。

 二人連れも目立ち、不安材料ではあったが、そこは腹を括ったらしい。確かにこんな所で一人になるよ

りは、二人連れのままの方が良いだろう。

 それに一人になれば安心という保証も無かった。ここまできた以上、何をしても最後は賭けである。全

ては運次第、生きるも死ぬも天命に従うより他になかろう。であれば、自分が思う最善の道を、ひたすら

に突き進むしかないと思えた。

 多少の不安には目を瞑り、強引に抜ける方が案外上手く行く事がある。もっとも、これにも保証らしき

モノは、一切無いのだが。

 二人は街道に出、道なりに歩き続けた。そして身を隠しやすく、見通しの悪い場所を探し。都合の良さ

そうな位置へと身を潜めた。

 楓流には考えがあった。どのみち集袁に行くには関を越えるしかない。しかしこの関所へは手配がすで

に来ているだろう。人相風体二人連れ、そういう特徴が細かに伝えられ、楓流の顔を知っている者も配備

されているに違いない。

 関さえ押さえれば、楓流は決して脱出出来ず。簡単に見付からぬまでも、袋の鼠となる。閉じ込められ

れば、いずれは見付かるし、見付からなくても餓死するしかない。豪炎がその事に気付かない訳がなく。

とうに封鎖は終わり、今も厳しく出入りを取り締われていると考えられる。

 その点豪族、王の支配力が増している現在の状況は都合が良い。

 ならばどうするか。

 一つは街道以外を行くという手段がある。元々人が行くような場所ではない為、難所も多いが、無理に

行けば進めぬ事もない。だが食料は乏しく、準備もままならない現状、そのような危険な場所を行く事が、

果たして現実的かどうか。

 確かに武器もある、森に行けば食べ物飲物も確保出来るかもしれない。しかし強盗団に襲われればどう

か、そしてそれ以前にそんな悠長な事をしている余裕があるのか。やはり現実的ではないだろう。

 二つは強引に関を突破するという手段が考えられる。とはいえ突破できる可能性は低く。そんなものが

最良の選択だとはどうしても言えまい。可能性はあるとしても、可能性だけならば、ここで引き返し豪炎

の首を狙うとか、二人で鬼神の如き活躍をして関を占拠する、という事ですら、可能性は無いとは言えな

いのだ。

 しかしそんな事をする者がどこに居るだろう。可能性、それは失敗する可能性が消えない事も意味して

いる。頭の中だけの計算に、一体何の意味があるのだろう。馬鹿げた夢とまで言っても、反論出来まい。

 確かに馬鹿げているからこそ、隙を突けるという事もあるが。しかし未だ何十という衛兵が守る中を、

どうやって切り抜けるというのか。そのような事が出来れば、初めから脱走などせず、正面から撃ち破っ

ているはずだ。今もこうして悩む必要はあるまい。

 楓流、胡虎、どちらも武芸に秀でている。少なくとも当時の標準よりは上だろう。どちらもそれなりに

鍛え、訓練を受けていた。しかしそれで十倍以上の人数を相手取るなど、無理も甚だしい相談であるし。

暗殺術、潜入術にも長けていない。

 後世万能の天才などと言われても、真の意味で万能であった訳ではない。結果的にそう呼ばれた、それ

だけの事だろうし。後の碧嶺も今はただの人、無理な事はあくまでも無理である。大陸を圧する軍勢も、

潤沢な資金も持ち合わせていない。

 楓流は悩んだ。悩んだが、結局は関を抜けるしかないという結論に達する。だからこそ人は通行料を払

ってまでも、その道を通る。そこしか進むべき道が無いからだ。他に行けるようであれば、初めから関も

何も無い。

 とはいえ正面突破するのは無謀。最低でも数十、いやこの厳戒態勢の中では数百の人数は欲しい。二人

で抜くのは不可能と言ってもいいとすら思える。

 気付かれずに抜く事も不可能である。見付からない可能性もあるが、それは山越えでも何でもするのと

変わらない程度の可能性。そんなものにはすがれない。

 思考が堂々巡りする。だが楓流には一つ思い到る事があった。

 武力でも駄目、賄賂でも駄目、隠密に抜く事も駄目、ならば搦め手でいくしかない。即ち、衛兵を騙し

て通り抜けるしかない。

 そう考えれば目が出てくる。考えは広がる。

 状況を考えよう。すでに軍勢は集袁へ向かっている。しかし豪炎は楓流を油断させる為、本拠地にいな

ければならなかった。ならば離れて軍を指揮している事になる。

 軍勢を離れて指揮する場合、指揮官を付け委任するのは当然だが、豪炎の意も疎かに出来ず、お互いに

細かく報告し合う必要がある。その為に行軍速度が犠牲になるとしても、それは仕方の無いことだ。豪炎

としてもしっかり軍の手綱を持っておかねば、寝首をかかれる事となってしまう。あらゆる手を使ってで

も、自分と軍を繋いでいなければならない。

 つまり、数多くの伝令が、何度も何度も両者の間を飛び交う事になる。

 実際、楓流がここへ来るまでに、伝令とすれ違った事が何度かあった。一度などは不審に思われたのか

詰問され、あやうく斬り捨てられる所だった。しかし何とか機転をきかして不審を和らげる事が出来、今

もこうして生きている。

 平時であれば弁解などは無視されたかもしれないが、今は戦時、伝令の方も急いでいた。この時は逆に

戦という状況が楓流を助けたのである。人生何が幸いするか解らない。

 楓流達はそれからより慎重になり、道を少し離れ、隠れ沿うようにして進んだのだが。その間も何度か

伝令が急ぎ馬を飛ばして行くのを見かけた。

 こう頻繁に行き来があるのであれば、その内の一人や二人がどうなろうと、例え入れ替わってしまって

も、誰も気付かない、或いは気付く暇が無いのではなかろうか。

 正式な伝令は関を無条件で通り抜けられるという、特権のようなものを持っている。それを利用すれば、

無事に関を抜けられるかもしれない。

 確かにこれもまた強引な論法で、何ら保証はないが。それでもまだ勝ち目のある手段だろう。

 故に今、潜みながら伝令が側を通る時を待っている。

 伝令の方も急ぐあまり、周囲まで余計な注意を払う余裕はあるまい。先に見付かったような、視界の広

い人間はそうはいない。問題は伝令が馬に乗っているという事だが、それくらいは自力で何とかしなけれ

ば、天も運を授けてはくれないはずだ。

 楓流、胡虎は唯一つの望みを、じっと待っていた。



 細かな風が吹く。殺伐としているようで、平素と変りなく。風は無心に吹けれども、あびる人の心でそ

れが決まるのだろうか。

 楓流は機を待っていたが、なかなかその時がこない。今まで二度程馬が通ったのだが、距離が遠すぎ如

何ともし難かった。

 馬は速い。よほど上手く飛び出さない限り、追いつけもしないし、触れる事さえ出来はしない。そして

逃してしまえば異変が伝わり、すぐに追っ手が駆けつけよう。

 しかも前線への伝令なのか、はたまた関からの定時連絡なのか、その区別がつき難い。前者なら良いの

だが、後者では関の通行証を持たされていない。襲い損、というやつだ。

 まったく、言うは易し、行なうは難きとは、良く云ったもの。

 自然、胡虎と対面するよう道の両端に潜む事になるのだが。よくよく考えてみると、わざわざ交通が困

難になるだろう、道の両端を通る者はいまい。よほど急いているか、或いは端を走らねば気が済まぬとい

う変わり者くらいか。大抵は真ん中を通る。

 辛抱強く待つが、苛立ちを抑えきれない。

 慎重にしているようでいて、楓流も何より時間が惜しい。今軍勢は何処まで迫っているのか。集袁は今

どうなっているのだろう。

 楓流死亡説が流れているかもしれないし、果たしてこの火急の時に、集袁に居る者だけで、一体どれだ

けの事が出来、いつまで平静でいられるのだろう。

 もし暴徒に化してしまえば、最早どうしようもあるまい。

 今の楓流では、凱聯が軽挙しないよう祈り、奉采が上手く抑えてくれる事を願うより他になかった。

 それは何と虚しい努力だったろう。祈る、願うなど、何もしないと同じではないのか。

 とはいえ、ここで焦るのは禁物。ここで見付かれば二度と生きて出られない。ここは胸を刺し貫いてで

も、集袁へ行こうと逸る気持ちを、この場に留め置かねばならぬ。

 胡虎もその辺は理解していたのか、或いは全てを楓流に任せ、自分はただ伝令を襲うという事をのみ考

えていたのか。焦れた様子は無く、常と変わらぬように見えた。ただ少し頬が強張っているよう見えたか

ら、緊張している事は間違いないようであったが。

 胡虎が緊張しているのだと思うと、不思議と心が和らいだ。胡虎が緊張しているのだから、不安と緊張

は彼に任せておけばいい、とでも思うのだろうか。

 人の心とは不思議なものだ。

 こういう風にして人は気持ちを分け合い、平静に保とうとするのであれば、偏りを好まない自然の事象

にも当て嵌まる。

 同じように、人は感情を分担しているのかもしれない。自然が中庸を保とうとするように。

 あまりに強すぎる感情は、身を焦がしてしまう為、全体として釣り合いをとるのだろう。

 それが真実かは知らないが、楓流の心が落ち着いたのは、事実であったようだ。

 楓流が落ち着き、耳を澄ましていると、何度目かの足音が聴こえてきた。

 間違える訳が無い。これは紛れも無く馬の蹄(ひづめ)音である。

 何と力強く、速い音なのだろう。賦族が乗っていたのを見、ある者がその利便性に気付いた事が、大陸

人が騎乗した始まりだそうだが。馬とは実際、何と恐るべき力を人に貸すのだろうか。

 楓流は心から馬という存在へと敬意を持った。そして馬という存在を見事に使いこなすという賦族とは、

一体どれ程の力を持っているのだろうと、現況にそぐわぬ思考へと沈んだ。

 賦族は狩猟にも使うそうだが、それを獣相手ではなく人間に、しかも集団で使うような事が出来たなら

ば、それはどれほどの・・・・。

 からからと小石が転がる音に思考から覚める。

 胡虎がしてくれたのだろう。馬の音はもうすぐそこまで近付き、危うく妙機を逃してしまう所であった。

「・・・・・・」

 楓流は胡虎へ静かに頷き、その時を待った。

 幸いにもこちらの方に近い。よほど慌て者なのか、道のどこを通るなど頓着しないのか、末端とは言わ

ぬまでも、充分に楓流の居場所に近い。これなら何とかなるだろう。

 腰と踵(かかと)を上げ、膝を落とし、土を軽く足で掘って引っかかりを作る。

 足先に力を込め、身体から余計な力を抜き、ただただ跳ぶ事をのみ頭の中で形作る。

 大きく蹄音が響き、薄茶色の影が視界に入った。

「疾ッ!!」

 鋭い呼吸音と共に、楓流は稲妻のように跳躍した。

 手には刃、先は勿論乗り手の喉を狙う。突くのではなく、肘から先だけでさっと薙ぐ。

 鮮血が飛び散り、馬が大きく嘶(いなな)いた。楓流はそのまま馬体へ身体を当て、馬をよろめかせる。

 そこへ同じく飛び出していた胡虎が飛び掛り、手綱を握り、馬上へと登る。

 胡虎は暴れる馬以上に必死だった。馬の扱いなどは慣れていない。結局、危うく振り落とされそうなと

ころを楓流が助け、何とか馬を鎮めさせた。

 以前恒崇(コウスウ)に会った時、少しだけだが馬について教えてもらっていたのが役立った。

 何でも経験しておくものらしい。

「虎、伝書と鎧を剥げ!」

 すぐに馬を手頃な木へと繋ぎ、楓流は手早く鎧衣服を脱ぎ始める。返り血も浴びてしまっている。拭う

のに時間がかかったが、何とか目立つ部分を拭き取る事は出来たようだ。伝令の鎧も割合綺麗に拭き取れ、

着替えとして用が立つ。

 夜闇でも油断は出来ない。関に行けば篝火(かがりび)が焚(た)かれている。炎に照らされれば、血

痕は不審がられよう。

 伝令も闘いと無縁ではないにしても、まだ安全なはずの領地内で血痕が見られるのはおかしい。

 幸い、何とか伝令を装う事が出来たが。まだ一つ大きな問題が残っていた。

 果たして二人連れの伝令など居るものだろうか。しかも馬は一体。如何にも怪しいではないか。

 だが迷っていても仕方なく。頻繁に来ている伝令が突如来なくなれば、関に居る者は不審に思う。

 行くしかなかった。伝令が持っていた伝書が、関の通行証となる事を祈るしかない。

「行くぞ、虎!」

 胡虎を背に乗せ、そのまま道なりに馬を駆けさせる。楓流は器用な男だが、それでも慣れぬ馬に恐怖し、

大して速度を上げる事が出来なかった。しかも二人乗りは尚の事不安定である。

 もし関を抜け、集袁を守り抜く事が出来たのなら、馬の修練をし、必ず乗りこなしてみせると、楓流は

心に誓っていた。

 彼の馬捌きは如何にも不恰好で、お世辞にも良いとは言えなかったが。それでも人が走るよりは遥かに

速く、良い馬なのだろう、二人を乗せて尚、足取りに不安を見せなかった。




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