2-6.思惑は常に外れるが、それからが本当の始まりである


 馬が駆ける。それのみが自己であるかの如く、馬は駆けていく。

 馬はその為だけに生まれ、その為だけにのみ育てられてきた。

 当時の馬は消耗品である。速度のみを考えられ、乗り潰す事も当然とされていた。それだけに乗り手を

選ぶような育てられ方もされていない。誰を乗せてもより速く、それだけが当時の大陸人の馬に対する感

情である。

 それは騎馬民族とされる賦族への蔑視と、無関係ではあるまい。

 故に速度は出る。しかしでは乗り手の技量がまったく問題にならないのかといえば、勿論そんな事は無

く。楓流は苦戦していた。

 よく風のようにと評せられるが、馬上に居ると、まさしく馬は一陣の疾風と感じる。しかし自らも風に

なれるほど、楓流の馬術は巧みではなかったのである。

 風、いやその場に在るのか無いのかも解らなかった空気でさえ、激しく目に突き刺さり、目蓋を開くだ

けでも非常な困難を強いられた。たまに塵(ちり)など入ろうものなら、目玉が削がれる程の痛みを感じ

る。これに皆慣れていくと言うのか。

 そんな事は信じられない。

 楓流の騎乗は、操っているというより、必死にしがみ付いている、といった方が正しい。それでも速度

を落す訳にはいかない為、まるで馬に喰らい付くかのような、無様な格好になっている。

 何故そこまでして速度を求めるか、それはそれだけが伝令の存在する意義だからである。

 伝令は馬を少しでも速く駆けさせる事をのみ学び。馬に負担をかけぬよう(気遣いではなく、速度を落

さぬよう)、鎧装束も出来る限り簡略化され、乗り手も小柄な者を選び、もし大柄であるならば、限界以

上の減量を強いられた。

 この伝令の騎馬術は、古来より無数の人物が着目し、練磨させてきた術で。これはこれで一つの完成形

に達していたと云ってもいい。

 駅伝形式で繋ぐ事を思いついたのは碧嶺である為、この当時は一人の伝令、一頭の騎馬だけで目的地ま

で駆け抜ける事を前提に、鍛(きた)えられている。

 その為にこそ乗り手の軽さがあり、馬の騎馬としての体力と持続力がある。まだ平時は良いが、戦時な

どは最も過酷であり、血を吐く程に辛い職種であったと伝えられる。

 故に二人乗りなどは論外であって、馬速が伝令の名声と信頼に直結している以上、その時点で誤魔化す

事も困難、いや不可能であろう。

 例え途上で瀕死の人間を見付けようと、それを助ける事で遅れるくらいならば、迷っている時間も無駄

であるとし、即座に無視するのが伝令である。そうである以上、言い訳は出来ない。

 何とかなる、甘い考えである。

 しかも楓流の騎馬術はいかにも拙い。幸い馬上時の威厳だけは誰にも負けなかったが、その威風堂々た

る体格もまた、伝令とは思えないという疑問を浮かび上がらせるに充分だった。

 関に着いた途端、当然のように楓流は止められた。

 この緊張下で見逃されるはずがなく。今は門番に睨み付けられているだけで済んでいたが、衛兵を呼ば

れるのも時間の問題だろう。

 ここで襲い掛かったとしても騒ぎになり、逃れる術が完全に断たれてしまうだけだ。

 関は閉じられ、進む事も当然出来ない。

「おかしな風体をしおって、貴様、本当に伝令だと言うのか!」

 騙すならもう少し考えろと、露骨(ろこつ)な侮蔑(ぶべつ)がその言葉にこもっている。楓流も重々

承知なだけに、何も言い返す事が出来ない。言えば言うほど不利になる。

「どうした、その口は飾り物か!」

 関門の両側に一人ずつ番が立ち、その両方から声がかかる。

 二人が同時に一人を相手取るのも、こちらに威圧感を与える為の術なのだろう。こうしてわざわざ解り

きった事を問うのも、人を集める為の時間稼ぎだろう。

 ただその大半は遊びであると思えた。話に聞いていた楓流とはかくも愚か者かと、大いにこの状況を楽

しんでいる風で、如何にも嬉しそうな汚い表情を番兵達は浮かべている。

「俺が何とか活路を・・・」

「いや、無理だろう。・・・・私が甘かった」

「しかし・・・・」

「ここは大人しく縛に付く」

「でも、それでは!」

「良いのだ。良いのだこれで。ここで捕らわれれば、少なくとも関内には入れる。ならば今はそれでいい」

「では初めからそれを狙って・・・」

「いや、そうではない。しかし死なぬ限り、希望は残る。幸いにも、この者達はあまり思慮深い方では無

さそうだ。それよりも騒ぎを起こす方が不味いだろう」

「おい、何を話している!」

 痺れを切らした一方の番兵が声を荒げる。もう一人が抑えたが、こちらも好意がある訳では無さそうだ。

その証拠に。

「生かして捕まえろとの命だが、傷付けるなとまでは言われていない。奴なら金も持ってるだろうし、こ

んな所で問答しているだけ無駄と言うものさ」

「なるほど、その通りだ」

 などと番兵同士でやりあっていた。  豪炎も、まさか自分からのこのこ出てきたとは思うまい。多少手荒な事をしても、捕縛時に暴れたのでや

むなく、とでも言えば済む。

 ならば戦時中に番兵などと功の稼ぎ難い職にやられた不満を、この男にぶつけようと言う訳だ。気晴ら

しに拷問と掠奪は丁度良い。

「確かに私は正式な伝令ではない。臨時に雇われた者である。だがそれが任と何の関係があるか、この伝

書を見られよ!」

 楓流が形を装う為に声を張り上げたが、番兵達の態度は変わらない。しかしそう言われれば確かめねば

ならぬのだろう、面倒そうに伝書の受け渡しを命じ、楓流、胡虎を別室へ案内しようとした。

 楓流はそれに逆らわず、未だ伝令のふりを続けている。いつまでも番兵には愚か者だと思っていてもら

った方がいい。自分でも滑稽だと思いながら、楓流はあくまでも伝令として押し通す事を決めていた。

 胡虎もそれに依存はなく、自分も堂々としている事にしたようだ。彼の方は伝書と共に送られる使者と

いう立場をとっている。勿論これもおかしな話なのだが、今はそれでいい。

 関所に入れられ、これで完全に閉じ込められてしまった訳だが、確かに楓流の言う通り、外に居たより

は集袁へと近付いている。

 明らかに無謀であり、先程は愚かしい事だとしか考えられなかったにも関わらず。そう思えば思ったで、

胡虎は不思議と覚悟が決まっていくのを感じていた。

 楓流も同様なのだろう。豪炎の館であのまま飼い殺しにされていたと思えば、現状の方がまだましだと、

確かに言えない事もない。それに外部からは不可能でも、内部からならば、まだ手の尽くしようがあるか

もしれないではないか。 



 捕らわれた事で、関所の内部事情を少しだけ知る事が出来た。

 おそらく目ぼしい者は軍に編成されたのだろう、何百人も詰めている訳ではなく、せいぜい数十といっ

た数であるようで、思ったよりは少ない。

 てっきりどの関もがちがちに固められていると予想していた楓流は、肩透かしを食らった格好である。

 だが考えてみればそれも当然で、この一戦が事実上袁家との一大決戦になる事が予想される以上、最大

兵力を投入する事は当然の事。はっきり言えば、楓流などに構っている余裕は無く。であるからこそ、軟

禁して毎日豪炎自らが会ってやったりと、それなりの扱いをしていたのだろう。

 今から考えれば、楓流が館に入った時点で捕縛すれば良く。わざわざ囲って泳がせている必要はなかっ

たのである。

 それをしたのは豪炎の余裕か、初めから放っておいても大丈夫、程度の価値しか楓流に持っていなかっ

たのか。

 わざわざ会っていたのも、或いは戦時の苛立ちと焦りの慰みとすべく、楓流を嘲笑い、楽しんでいたと

いう事もあったのかもしれない。

 脱走しても、どの道関を越えられまいという気持ちがあったろうし。事実、どう足掻いても、豪氏領から

脱する事は不可能であった。捕まったのは当然の事だ。

 つまり楓流が独りで騒いでいただけの事で、彼らが疑いもせず豪炎との盟約を信じていた時点で、豪炎

の一人勝ちが決まっていたのである。

 浅はかなのは楓流。袁夏からも豪炎からも半ば無視されていて当然だろう。わざわざ楓流を切り離した

事を思えば、無価値とは言わないのだろうが。どちらにしても愚かなのは彼一人であった。

 先の中途半端な変装といい、どこか自分は抜けている。明らかに根本的な何かが足りない。これで一つ

の町を背負っていたなどと、まったく滑稽な話である。

 楓流は二度目の軟禁となったこの一室にて、運び屋の時以来、久しぶりに相当に気持ちが沈んでいたよ

うだ。何もかも見込みが甘く、何をするにしても行き当たりばったりで計画性がない。これが人の上に立

とうという人間だろうか。

 集袁が少しでもまともに育っているというのなら、それは全て集袁の民のおかげであり。自分などは実

際には大した力では無かったのだろう。半ば愚かと見ていた凱聯でさえ、まだ自分よりはまともに働いて

いたのだと思える。

 楓流は今回こそ心から悔いた。

 今までとは少し違う。単なる反省ではなく、自らの全て、思考法そのものを変える事を強い、その第一

歩として確実に脱出できる方策を生む事を、自らへと課した。

 それくらいできなければ、これからも彼は一切変わる事無く、同じ失敗を繰り返す事になろう。

 何も当てにしてはいけない。希望などというものに捉われ、現実から目を背けてはいけない。可能性に

縛られないのは良い、しかしそれだけでも駄目なのだ。絶対的な保証、例えそれがありえないとしても、

そうなるべき過程と結果が必要なのである。

 流れるままではなく、流れを生み出さねばならぬ。何とか為るではなく、何とかする知恵を出さなけれ

ばならない。

 今までは結局流されるままだった。最善を尽くしたとは笑わせる。最善は最善でも、その流された中で

の最善などに、果たして何の意味があるのだろう。

 意識を変えなくてはならない。

 それにはまず現実を詳細に認識する事だった。

 今自分がどういう状態なのか、そしてこれからどういう状態に変わるのか、その中で何をするのが真に

最善なのか。例え時間がかかってでも、誤認なく見付けだし、確実に理想への道を拓かねばならない。

 楓流は考えた。最早熱情も冷静さもない。現実だけだ、現実だけを見ろと、自らへ強いる。

 時間は無い。しかし焦って失敗すれば何にもならない。その為にどれだけ時間がかかろうとも、そうし

なければ確実に成功出来ないのであれば、その長く思えた時間こそが、その場合の最短時間なのである。

 今までの彼は天恵に頼り過ぎていた。人事を尽くして天命を待つ、それもまた甘えだったのだ。人なら

ば、いつまでも努力すべきだ。初めから天恵、天運を当てにしてはならない。

 今までで全ての運を使い果たしたと考えるべきだった。後は全て自分の力で切り抜ける覚悟を決めねば

ならぬ。でなければ運び屋と同様、夢の後に無様な姿を晒し、無数の人々に多大なる不幸を招く事になる

だろう。

 それは悪鬼羅刹(らせつ)の所業であり、人のやる事ではない。

 確実に成す手段を見つけねばならない。それが本当の手段、策というものだろう。まやかしの魔術に期

待するのは愚かしい。それは確かに幻想なのだから。



 楓流はまず周囲に居る衛兵の数を確かめる事にしたらしい。

 戸を見張る兵が時折聴こえる声から察するに一人、それが半日交代で三名程がやっている。交代を告げ

るのは次の見張りの役目で、次が来るまで決して見張りが戸から離れる事は無い。

 後は食事を持ってくる兵が一人、この時にだけ戸が開く仕組みだ。この兵にどうなっているのかと聞い

ても、常に今審議中であるとの言葉が返ってくる。このまま軟禁しておけとの指示なのか、それとも本当

に豪炎からの指示が来ていないのだろうか。

 衛兵の方が拷問したくとも、伝書が本物らしい以上、豪炎への確認と指示がなければ何も出来ない。す

でに持ち物は取られ、衣服以外は剥がれていたが。それだけで満足するにはいかにも不満そうだ。

 その表情からして、よほど鬱憤(うっぷん)が溜まっているらしい。

 すでに一日が経っているが、解った事と言えばこの程度か。

 後は時折訓練を行なうらしく、廊下を大勢が駆けて行く音が聴こえ、それから後、窓の外から派手な音

が聴こえる事があった。この時の音から察するに、ほとんどの衛兵が訓練に参加しているように思える。

もしこれが毎日定期的に行なわれるのであれば、この時が一番手薄になる時間帯だろう。

 見張りが交代する直前の時間、一番気が弛むだろう時間にこれを合わせる事が出来れば、何とか逃れら

れるかもしれない。

 しかしこれだけでは足りない。

 食料も何も無く、このまま逃げられたとしてもすぐに途方にくれてしまうはずだ。無論、追いつかれる

可能性も高い。

 それに脱出できたとしても、徒歩では間に合わないかもしれない。まだ集袁は遠い。軍より遥かに身軽

に動けても、一日の遅れは致命的だ。下手すれば集袁が一日で落ちる可能性もあるのだから、何とか速く

行ける手段を考えなければならない。

 考えれば考えるほど困難である。

 結局いくら考えても不可能な事は不可能なのだろうか。こうして惑う事無く考えても、決して答えなど

は出ないものなのだろうか。

 いや違う、違うはずだ。昔読んだ書を思い出せ。人が生きればいくらでも危機がある。それでも人は様

々な手段を用い、必死に生きて来たのだ。今楓流が居る程度の苦難など、歴史から見ればなんでもない些

事(さじ)のはず。諦めるな、考えるのだ。まだ足りない、方法がまだ何かあるはずだ。

 楓流は焦れる胡虎を宥(なだ)めながら、自らを叱咤(しった)し、血を吐く程に脳を使っていた。全

ての記憶を探り、確かな光明のある手段を模索(もさく)する。それはとても苦しい事だったが、楓流は

今まで一番生というものを実感していた。苦しみもあればこそ、人は生きてこられたのだ。




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