2-7.光明の陰に滅亡と栄華ありか


 更に一日をかけ、楓流は様々な推測を確認した。時間は飯の時間と太陽の位置で大雑把に勘定した、割

合いい加減な数値だったが、それでも一応の目安にはなるだろう。

 そして最も重要な事として、この関にも馬が数頭、いつでも発てるよう常時準備されているらしい事が

判明した。

 馬のいななき、これを聴いた時の喜びをどう表現すればいいものか。

 楓流が悩む一番大きなものは、何度も述べているように時間である。

 例えここを脱出できたとて、帰ってみればすでに集袁が落ちていた後では、どうにもならない。

 生き延びさえすれば可能性は残るとしても、それともう一度やり直す気力が芽生えるかどうかは、まっ

たくの別問題である。運び屋に続き、しかも運び屋以上に時間と労力をかけて大きくした、集袁とは、云わば楓流の夢

そのもの。それを失った時、もう一度やり直そうとする力が湧くとは思えない。

 確かに集袁は残されていよう。落ちたとて焼き払われる訳が無い。略奪は許すとしても、建物と人民は

なるべく現状のまま残すはずだ。

 しかしその時には当然、豪か袁の完全なる支配地となっている。そしてそのまま豪と袁の争いの火種と

なる役目を担うだろう。戦に決着がついたとしても、結局は豪と袁が居る限り、常に戦禍に晒される。ど

ちらの支配下に入ったとしても、そこに住まう民は幸せを望めまい。

 消耗品のように働かされ、いずれは町ごと灰となる可能性もある。

 何度も何度も戦禍にさらされて、物も人も平常でいられる訳がなかった。

 集袁が今のまま生き長らえる為には、やはり楓流が舵を取りながら、豪と袁の間を上手く泳ぎ続けるし

かないと思われる。そうして上手く戦禍を避ける事が、唯一の生き延びる道であろう。

 まともに矢面に立たされ、疲弊させられてはいけない。弱まれば即滅ぼされる。それは初めから解って

いた事だった。寡少なる戦力しかない集袁、杖をつきながら辛うじて立てる程度の力である集袁、生きる

には戦わぬ事である。軍事力ではなく、政治力で生き延びる他に無い。

 それには現状のまま、豪と袁が集袁を挟んで睨みあっている関係が一番良かった。確かに治めるに困難

であるが、双方睨み合っている時が結局は一番楽なのである。

 そうである限り、時にこちら、時にこちらと立ち回る事が出来、集袁にも利用価値が生れる。状況と力

関係が変り、その利用価値が失すれば、集袁に命は無いだろう。

 哀しくも、恥ずかしくも、それが集袁の実情である。

 故に一時でも早く帰る事が必要だった。

 しかし簡単に計算してみても、現状ですでに手遅れとも思われた。いくら軍勢よりも遥かに身が軽いと

はいえ、人間の走力などは高が知れている。無限に走れるような体力は無く。今すぐに脱出したとて、お

そらくは集袁が落ちる方が早い。

 楓流の見る所、集袁は持っても一日二日、それも運が良ければという期待値である。最悪内部争いから

自滅してしまう。それを考えれば、もうどう考えても間に合わない。

 しかし馬があればどうだろうか。あの圧倒的な速度、ただ乗っているだけで命が削られてしまうかのよ

うな圧倒的な速力。あれがあれば、あれさえあれば、何とか間に合うかもしれない。

 確かに馬とても無限の体力があるはずはない。だが豪氏は古豪だけに、伝令の整備が他の豪族や新王達

よりも、よほどきちんとされている。それならば、この関と同様、各街、各関に馬が常備されていてもお

かしくはない。

 これもまた希望的推測ではあるが、今までのような楽観的ではなく、事実に基いた推測である。可能性

は高い。館はまだ解るとして、この関にだけ馬が居るという方が不自然だろう。

 それに他に手が無いのであれば、そうするしかない。それもまた集袁を育てる中で、楓流が痛いほど味

わった事実だった。人が思い描くような最善の策などは無いのだと。想定される最悪の状況こそが、最善

である事が多いのであると。

 現実に打ちのめされている暇などは無い。考えるのだ。

 馬が居るとすれば、厩舎は何処か。豪炎の館を思い、普通に考えれば出入り口に馬が置かれていると考

えて良い。馬はそこから出発する為に使われるのだから、これも妥当な推測と思われる。

 ならばこの部屋を出さえすれば、そのまま馬に乗って逃れられる。

 時間は朝の訓練か昼過ぎの訓練の間、それも最も戸口を見張る衛兵のだれる時間が良い。それはおそら

く交代間近の時間だろう。

 こうして情報を整理すれば、自ずと答え、解決策が出てくる。

 軍に駆り出され、普段よりも関の人数が少ない事も幸いする。おそらく有能な者はほとんど軍へ回され

るだろうから、自然と関内の弛みは増しているはずだ。

 うるさい上官も真面目な同僚もいない。これで弛まない方がおかしいだろう。

 自分が軍に行けなかったという不満もあるから、余計にそれが助長される。戦時でも、こういう場所だ

けは不自然なほどに気が抜けている事が多い。それはここに取り残され、戦場は遠く他人事だと思えるか

らに違いない。

 無気力と自分に関わり無い事だと思うから、他所から見れば馬鹿げている事が出来るのだろう。

 集袁はまだここから遠いし、袁家との戦に勝とうが負けようが、この関に居る者からすれば大差ないと

まで、考えている可能性もあった。ここもある意味切り離され、浮いてしまっているのかもしれない。

 辛うじて緊迫感があるとすれば、伝令役と後は他の拠点から伝令が来ている時の門番だけだろうか。

 二日、ただそれだけの時間居ただけにすぎないが、それだけでも充分に弛みは伝わってきている。面白

いものだ。人間とは場所と役柄によって、同じ事態に直面していても、こうも緊張感に差があるものか。

 そして時を経て、洗練されているはずの豪氏という組織が、何故こうも怠惰になっているのだろう。一

般的に考えれば、人は時間を経れば経るほど成長するのではないのか。違うとすれば、組織は人の集まり

であっても、人とは根本的に違うものであるのだろうか。

 楓流は次の訓練が始まるまで、そのような事をずっと考え込んでいた。そこから現況を打破する何某か

を得られ、そして集袁の未来にも必ず有益であろうと思ったからである。

 何故組織が弛むのか、人の心は弛むのか、それは必ずや究明されなければならない。



 外が賑やかになってきた。

 いくらだれていても、与えられた仕事だけは、その意気がどうあれ、習慣のように続けるものらしい。

 或いはこの訓練が良い息抜きになるのかもしれない。確かに人間は運動をする事で、汗と一緒に心に溜

まっている何かも、すっと抜けおちていくような気がする。

 これは心と身体が密接である事の証明かもしれなかったが、彼らがそのような事を考えてやっていた訳

ではないだろう。ただ訓練する事で、少しだが兵士達の気を引き締める事が出来る。それだけの理由で良

く、それだけが大事だったのである。

 使えるから使うだけの事。今の人間よりも、ある意味合理的な思考法かもしれない。

 戦地から離れている為もあるのか、その掛け声に切羽詰っているようなものは感じ取れなかったが、こ

れはこれで真剣にやっている者が多いようにも感じた。

 不思議なものだと楓流も思ったらしい。

 人間は怠惰な所があるが、それでもこうして当たり前のように毎日同じ時間に訓練を欠かさず、疑問さ

え抱かない。さぼる事は考えるだろうが、決してそれを止めようとまでは思わないのである。

 面倒だ、辛い、などとぼやきながらも、結局はそれを行なう。それはそれをしなければ罰が待っている、

という事もあるだろうが、おそらく他に大きな理由がある。

 それを止めてしまう事とさぼる事は、似ているようで大きく違う。前者は確かな否定であり、後者は甘

えにも似た逃避である。一時そこから逃げはしても、決してそこから永遠に離れてしまおうとは思わない。

 嫌々ながらもそこに居る。そういった語感が一番近いだろうか。人間は不思議な生き物だと云う、それ

もまた一つの所以であろう。

 すでに食事が終わり、食器も回収されていた。この時に襲い掛かれば一番早かったのだが。やはりそう

そう都合よくはいかない。

 今日は食事を運ぶ衛兵までが、いつもよりきびきびとして見えた。

 後で考えれば、衛兵当人に変化がある理由は無く、いつも通りやっていたはずだが、楓流の目にはそう

映った。これもまた不可思議な事だと彼は書き残している。

 この時の様々な不可解さが、後々まで心に深く残っていたようだ。

 こうして最上の機会こそ得られなかったが、それで機会を失した事にはならない。

 楓流と胡虎は大人しく待ち、その時を待った。必ずや来るだろうその時を。

 耳を澄まし、聴覚で外を探る。衛兵の息づかい、足音、声、何でも良かった。全てを聞き取り、そこか

ら推測し、行動へのきっかけを作る。多少強引でも良い、何でも良かった。心は決している、後はきっか

けさえあれば動ける。

 衛兵が交代し、暫くは戸口に真面目に立っていたようだが、その内欠伸をもらす声が聴こえ、次第に足

音が増え、伸びをしているのか、何やら身体を動かしてるらしい音までが聴こえてきた。

 全体訓練が始まるにつれその行動は顕著(けんちょ)になり、回数、動作の大きさも増して、如何にも

大儀そうに感じられる。

「どうせ逃げられやしねえのによ」

「二人程度に何を大げさな」

 などと独り言も増えてきた。

 見張りなどをしていると、どうしても独り言が多くなる。確かに独りでただ立っている以上に退屈な事

など、他にそうはない。

 しかしそれこそが待ちに待ったきっかけであった。

 人は退屈になってくると新たな刺激を探し始める。指遊びをしたり、背伸びしてみたり、それもそうい

う事なのだろう。退屈を何かで紛らわそうとしているのだ。

 人を騙すとすれば、これほどの好機はない。普段は引っかからないような事でも、こういう時にはつい

つい気を取られてしまう。だからこそ注意散漫になる弛みこそ悪とされ、組織はそれを嫌悪し、整然とし

ている事が好まれる。

 だがこの関のように、常に理想どおりいくものではなく。人は努力なくして、自分一人すら抑える事が、

満足に操る事が出来ない。

 やりきれないが、今の楓流にとっては幸いである。

 しかし楓流は好機と見つつも、尚慎重に時を待った。或いは緊張していたのかもしれない。

 だがそれも長い時間ではなく。ふと思い出したように胡虎へ頷くと、いきなり自身の拳を口に当て、思

い切り噛み付き、皮を噛み破ってしまった。当然血が流れ、手首から指にかけて血塗れとなる。

 胡虎は弾かれたように戸へ走り寄り、拳を痛めるのも顧みず、渾身の力を込め、戸を殴り破らん勢いで

叩き、大声で衛兵を呼んだ。それは言葉というよりも、もう叫びに近かった。

「なんだ、なにがあった!?」

 見張りは面白いように反応し、急ぎ戸に作られた小窓から中を覗く。

 そこには血塗れの手を抱き、苦しそうにもだえる楓流の姿。

 こうして閉じ込めていると、たまにどうしようもない事をする囚人がいる。領主のようなお偉方(衛兵

から見れば)なら、軟禁でもされれば、狂ったって不思議じゃない。そもそもこの二人は来た時からおか

しかったんだ、こいつらはその手の疫病神に違いない。

「ちッ、手間かけさせやがって」

 こいつもとうとうおかしくなりやがったと、見張りは急いで鍵を取り出した。勿論他の衛兵を大声で呼

ぶ事も忘れない。それが相手に聴こえたかどうかは知らないが、そこまではこの番兵の知った事ではなか

った。

「くそったれ、またどやされる!」

 見張りである以上、何か起これば全ての責任を持たなければならない。見張りとしてはこれ以上憂鬱(ゆ

ううつ)に思う瞬間は無いだろう。大体戸外に居る見張りに、中で何が起こったとして、一体どうしろと

言うのか。

「そんなに心配なら、自分が一緒に入って見張ってりゃあ良いんだよ!」

 しかし本当にこの番兵が後悔したのは、後に送られてくる彼の処分状を見てからである。

 今の彼は何も言えず、ぐったりと床へ倒れこんでいる。あらゆる負の感情を込めた、八つ当たりにも似

た胡虎の不意にして渾身(こんしん)の一撃、それはそれは痛かった事だろう。




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