2-8.憤怒


 結果から言えば、楓流は脱出に成功した。

 勿論、簡単ではなかったが、衛兵の弛みと、その数自体が減少している事があり、追っ手が差し向けら

れる前に、馬に乗って駆け去る事に成功したのだった。

 衛兵から鎧と武器、そして金を剥ぎ取り、食料も少しだが盗めたようだ。客分扱いされていた事も幸い

したのだろう。これが牢にでも入れられてしまえば、本当にどうしようもなかった。運がいい。

 馬が飼われている厩舎は運悪く門の内にあったのだが、一々連れ帰るのが面倒だったのか、戦時中であ

った為か、門外に馬が数頭繋がれており、盗む事にもさほど労が要らずに済んでいた。

 これが厩舎に繋がれていたままだったとしたら、まず門から何とかせねばならず(馬は大き過ぎて勝手

口を通れない)、馬を諦めるか、その場で捕まるしかなかっただろう。

 楓流にはまだまだ甘いところが多い。人が一瞬で変わる事は少なく、一朝一夕ではどうにもならないの

かもしれないが、それを抜いてもやはり甘さが感じられた。彼は自分でもそれを痛感したのだろう。この

事をこれ以後も度々、思い出したようにして書き残している。

 反省、簡単にはけるほど、容易い言葉ではない。

 ただこうして門外に馬がつながれていた事は、よくよく状況と照らし合わせてみれば妥当な結果であっ

て、冷静に考えれば、彼の考えも満更的を得ていなかったとは言えない。

 何しろ、誰もこの関まで戦火が及ぶなどと思っていないのだから、警備や規律が幾分良い加減になって

いておかしくはない。衛兵の弛み、関内に満ちる怠惰な気分からすれば、むしろ当然とも思える。

 あながち運だけで脱出出来たとは言えない。

 人は不思議にも若干の便利さの為に、多大なる恐怖感を押し殺してしまう事が多く。それを甘さと呼び、

それ故に楓流も失敗したのだと思えば、今ここで失敗からくる反省が活かされ、逆にまったく省みなかっ

た衛兵達を出し抜けたのだとしたら、それは何らおかしい事ではなかった。

 楓流の脱出策は、妥当であったのかもしれない。結果論かもしれないが、成功したと云う事は、やはり

妥当であったのだろう。それが最善であったかどうかは別としても。

 だが衛兵の甘さ故に楓流が救われたのだとすれば。それは単に衛兵の甘さの方が大きかっただけで、や

はり運であったとも言える。

 状況を論じる場合、どうしても難しい。いや、結局衛兵がより甘かったのだとしても、楓流が甘い事に

は変りなく。単純に述べるとすれば、運に行き着いてしまうのか。

 どちらにせよ、楓流自身はまたしても幸運に助けられたとしか思っておらず、深く悔いを残している。

 彼を見習うべきだろう。どちらも悪いのであれば、おそらくその軽重などは問題ではないのだ。

 ともあれ、楓流、胡虎の二騎は街道をひたすらに駆けた。

 拙い手綱捌きで何度も馬から落ちそうになり、死にそうな目にもあったのだが、それでも根性だけで手

綱を離さず、意地にも似た気持ちで長い距離を耐え抜き、走破させてしまった。

 驚嘆すべき事であり、意地や根性だけでそこまで出来れば、まず上出来と言うべきだろう。

 この頃になれば、関から追っ手が差し向けられていただろうが、今更捕まる心配は無い。

 外へ繋がれていた馬も、この二頭以外全て逃がしてある。それに気付き、指揮官へ告げ、捕縛命令が出

され、それから厩舎へ行って馬を出し、更に馬具や食料など準備を整え、重い門を開けて出発する。一時

を争う時に、これはもう眩暈がするような時間である。追い付けるはずもなかった。



 楓流と胡虎はそれからも幾つか関を抜け、とうとう軍勢に追いつく事が出来た。

 関を抜くのは変わらず簡単ではないが、以前のように不可能でも無謀でもなかった。すでに内部事情は

ある程度解っていたし、関の構造は利便性の為に大体統一されている。建造に大して金をかけていない所

まで、何処もそっくりであった。

 まだ前線に近いか、豪炎の館に近ければそれなりに気を入れて造られているものの。ほとんどの関は間

に合わせに作られたような出来で、防衛という意味では、大した効果はなかった。欠陥も多く、油断はそ

れ以上に多い。

 それも当然の事で、交通の要所以外は、単にここを通過する商人や旅人から関料を取る為に造られたに

過ぎず、せいぜい盗賊や強盗相手を考えての警備しかされていない。

 今日我々が想像するような重々しい物ではなく。ほとんどは木壁に戸が付いている程度の物であった。

 門と呼べる物すら付いていない。そしてその戸もほとんど開けっ放しで、伝令は止まらず素通りする事

が多い。

 関は多く。一々調べている暇は無いと云う訳だ。伝令は迅速さだけを尊ぶ、当然の事であったかもしれない。

 楓流の心配は杞憂に終わり。流石にこれから前線へ向うに従って、警備の厚い関も出て来ようが、暫く

は割合楽に進める事が出来るだろう。

 今度は二頭立てである事もあって、たまに疑われても。

「伝令を止めるとは何事か!!」

 などと一喝すれば事は足りた。それは警備の兵が伝令の重要さを理解していた訳ではなく、単に刑罰の

重さを知っていた為だったが、その効果に違いはない。

 楓流はすでに関の実情を知っている。

 関といっても出来て日が浅い物は張子の虎に近く。それを知ってさえいれば、恐れる必要もない。最悪、

忍び込むしかなかったとしても。警備は手薄であり、忍び込むのも抜け出るのも楽であったろう。

 無論、考えていたよりも楽ということで、決して簡単だったという意味では無いが、致命的な状況に陥

る事はまず無かった。

 きちんと見、調べ、予想を立て、検証する。手間を惜しまなければ、何とかなる。その程度の障害でし

かなく。豪氏も思っていた程には強大でないのかもしれぬと、楓流は考えていたようである。

 外から見ればいかに強固に見えたとしても、案外内から見ればそんなものではないのか。関も権威であ

り、虚飾と虚構の上に成り立っているに過ぎないのではないか。

 だとすれば豪、袁への対外政策もまた、変化を加えねばならない。

 むしろ楓流の失策は、その虚構を疑いもせず受け入れてしまっていた事にあったと思える。

 こうも上手く逃げ延びれたのは、確かに豪氏に油断があったからであるが。さりとてそれだけではある

まい。ようするに脆いのだ。繋がりが薄く、人が弛みやすい。そもそも油断する等と云う事自体が、すで

に深刻な問題であろう。

 集袁は弱小勢力でも、その価値は確かにあるはず。ならばその領主をまんまと逃がし、しかも一度捕ま

えているのに、そのまま関に放っておくとは何事か。面倒でも豪炎の館へ連行し、二度と逃げられぬよう、

牢へでも押し込むのが当たり前である。

 もう油断とは言えぬ。これは確かな欠陥だろう。

 楓流は上手く逃走し続けられる度、様々な疑問が誘発され、おかしな事にこの組織の不首尾に対して、

大いなる怒りを持った。こうも簡単に逃がすとは何事だと、何故自分と胡虎の二人すら捕まえられぬのか

と、不思議にも敵に対して憤(いきどお)っているのである。

 そして豪軍に追い付いた後、楓流は更に大きな欠陥を目にし、大きな怒りを覚える事となる。



 軍勢に追い付いた。これは願っても無い事であり、楓流が渇望していた状況である。であるからには喜

ぶべき事で、喜ぶ以外に感情は無いはずであった。

 しかし追い付いた場所が問題だった。何しろ、未だ行程として集袁までの道筋の半分を踏破しているか

どうか、という位置なのだ。

 それの何が問題なのだと言われれば、確かにこれまた楓流にとっては幸運でしかない。しかし彼からす

れば、不可解としか思えぬその状況が、一人の人間として腹立たしかったのである。

 失望したとでも言うべきだろうか、その怠惰な行軍が何を置いても憎らしかった。

 彼からすれば、いくら行軍が遅延したとして、これはありえない距離であり。冗談ではなく、亀のよう

な鈍さである。

 確かに冷静に見れば、彼の思いは的を得ていたと思う。どう考えても遅すぎる。いくら大軍だとはいえ、

人間が移動する速度ではなかった。

 それでも現実はこうなのである。では何故このような不可解な事が起きたのか。

 原因は行軍速度にあった訳でも、軍に弛みがあったからでもない。問題なのはそういう事でなく、もっ

と根本的な、当時の軍制にあったのである。

 前にも少し述べたが、当時はそもそも職業軍人という概念が希薄で、せいぜい警備兵がそれに当った。

勢力が持つ軍勢、その兵のほとんどは平時を野良仕事や工業、商業に身を費やし、こうして戦が始まった

後、初めて召集がかけられる。

 召集の後、初めて各兵はそれぞれに武具を持ち、準備して駆けつける事になる。

 おかげで勢力の消費は少なくて済んだが、その代わり、兵が集まるまでに多大なる時間がかかった。

 何故にこのような面倒な方法をとったのか。それは当時の人口が少なかった事や、昔からそういう風で

あった事にも由来するだろうが。最も大きな原因に、常時大兵力を養っておく財力が、王や豪族になかっ

たという所にあると思える。

 いくら戦続きとはいえ、常に大軍を食わせるような余力はどの勢力にも無かった。戦続きだからこそ国

庫の中身は乏しく、その上に軍の維持費までを用意出来るはずがなかったのである。

 抱えられた数は、せいぜい一都市に数百でも居れば良い方であったろう。ほとんどはその数をぎりぎり

まで削り、中には警備兵だけではどうしても足りず、数合わせに民間から安価で雇ったりもしていた。

 雇うのも運び屋ならまだ良い方で、まともな人間が低賃金に応じる筈が無く。自然、職にあぶれた無頼

者を雇う事が多くなり。治安が悪い都市や町が多いのには、そういう理由もあった。

 だからいざ戦となっても、召集をかけて多大な時間を無駄に待ち続けるしかないのだが。一々待ってい

ては時間がかかりすぎてしまうので、ある程度集めると出発してしまい、行軍途上で拠点拠点に寄りなが

ら、その地その地の兵を集めて行く。

 こうして移動しながら兵を集めるようになって、大幅な時間短縮になったのだが。それでも後と比べれ

ば、天と地程にかかる時間が違う。時間がかかれば戦費が増加し、負担も大きくなる。負担が大きくなれ

ば戦費を削る他無く、削れば兵に負担が増し、士気が落ちる。悪循環であった。

 大軍故に深刻な問題なのだが、かといって大軍を動かさねば何も出来ない。これは歴代の支配者達を悩

ませてきた問題である。

 楓流がこの事実に今まで気が付かなかったのは、彼が最大でも集袁という一つの町の規模までしか支配

した事が無く。その程度の規模であれば、すぐに兵を集められたし、身軽に軍を動かす事も出来ていたか

らだ。

 小勢力ではその領土が狭い故に、問題とならないのである。

 ようするに未だ楓流は大軍での戦を経験した事が無く。話や書物にも一々兵が集まるまでにいくらいく

らとか、細かい事まで書かれていなかったが為に、大軍で起こる問題をほとんど知らなかったのだ。

 それさえ知っていれば、ああも時間時間と焦る事は無かっただろうし、ああも無謀な事はせずに済んだ

かもしれない。

 楓流はこの事を理解するに及んで愕然としたが、それよりもやはり怒りが先に立った。それは半ば八つ

当たりな部分もあったろう。しかしどう考えても遅すぎるのは事実。これではいざ敵襲があった時、満足

に兵を集める前に、その町や都市が落とされてしまう。

 国を守る為の軍が、それでは一体何の意味があるだろう。

 一々集めては解体していたのでは、軍としてのまとまりに欠け、訓練などにも支障が出よう。いくら激

しく訓練を重ねようとも、小隊単位の訓練しか出来ないのでは、いざこうして大部隊となると、それは満

足に動けまい。行軍も遅いはずである。

 この軍制による不満点はまだまだある。

 この法では自然土地毎に小隊が組まれ、それが集まって大部隊、大軍になる事になるのだが。一つの部

隊部隊がそれぞれの土地と利益に密着しているだけに、一族郎党意識が強く。それはそれで結束を固める

のに役立つとしても、全体としてのまとまりが欠けてしまう。

 郎党の利を優先するようになってしまうだろうし、土地土地では仲違いしている場所もあろう。

 更に、皆仕事を中断してやってきている事になるが、手柄を立てなければ褒賞は出ない。驚くべき事だ

が、下手をすればわざわざ仕事を休んでまで駆けつけさせられておいて、その上にただ働きになってしま

う事も多いのだ。

 これでは兵の意気は上がらない。苛々すれば揉め事も増える。

 その為に歴代の将は考え、様々な戦功をもうけた。一番槍などは最も一般的かつ、効果的なものだった

ろう。

 一番槍とは、ようするに敵陣へ一番先に突き込んだ者へ、褒賞を出す事である。これは確かに兵を勇ま

せるのに効が大きく、施行された当初は大いに戦果を上げた。

 しかし次第にその戦功を取る為に兵達が争うようになり、先陣は我らに我らにと、布陣の場所によって

大きく不満が湧くようになってしまった。

 敵に近い位置に居る方が当然戦功を立てやすく、戦功を立てねば食ってゆけない、争うのも当然の事で

ある。

 ただ、これだけなら戦前に一苦労するだけで済んだ。しかし真の弊害は戦中にこそあったのだ。

 先陣に配置されれば意気盛んになりもしようが、後陣に置かれてしまうと、どうしても戦功を立て難い。

ならば尚の事頑張ろうと思えば良いのだが、むしろ兵は頑張るだけ損だと思うようになってしまった。

 確かに、必死に走り回ったとして、他人のおこぼれしかもらえないようでは、一体誰が必死に戦おうと

思うだろうか。命懸けでやるような気にはなれまい。

 しかも戦功を立てなければただ働き、これではやる気が出たはずがない。

 故に後陣に配置された者達の意気は、目立って落ちた。

 いくら戦功を立てたとしても、負ければお仕舞いである。後陣が必死に戦わなければならない場合は、

大抵負け戦の場合が多く、いくら功を立てても褒賞自体が寡少になる。国が滅べば褒賞自体が無い。当然、

争って逃げ始める。

 つまりは、やりがいが無いのだ。これは何よりも問題だと、楓流は考える。

 こんな事をしていては益々まとまりがなくなり、人心は離れ、国と人という繋がりまでが希薄になる。

 民がただの雇われ者では、誰が自分も国の一員だと思えるだろうか。所詮はお偉方の事、自分達には関

係ない事だと思いはしないだろうか。

 国が成り立つはずがない。王や当主といっても、それを掲げてくれる者がいなければ、飾りにもならな

いというのに。

 疑いもせずにそんな軍制を、今の今まで使っている将達に対し、楓流は怒りを覚えた。

 何と言う無責任さだろう、なんという良い加減さだろうか。これではやはり苦労するのは民だけではな

いか。しかも将や王達にも良い事はないではないか。双方に利無しとすれば、何の為にわざわざ国などと

いうものを創るのだろう。

 害にしかならないものなら創る必要は無い。むしろ、即刻壊すべきだった。

 楓流を後に彼が生み出す事になる軍制へ向わせたのには、この時の感情が大きく作用したと思われる。

 意味が無いどころか害にさえなる事を、いつまでもいつまでも続けている人々に対し、彼は腹立たしく、

まったく信じられなかったのだろう。それは私憤ではあったが、義憤に近い怒りであったと思える。

 人は平素あれだけ楽を求めているというのに、何故自ら面倒を増やし、幸を手放すような事を、当たり

前に許しておけるのか。

 何故自ら不幸を追い求める。

 楓流にはまったく理解し難い事であった。




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