2-9.窮地の一手


 楓流と胡虎は鈍重な豪炎軍を後目(しりめ)に、急ぎ集袁を目指す。

 豪炎軍の移動速度とは関係無しに、帰還する時間は早ければ早いに越した事がない。集袁の人心が不穏

に導かれる速度とその影響へは、敵軍の行軍速度など大して問題にならないからだ。

 考えてみれば、そうであるからこそ、敢えて軍は急がないのだという論理も成り立つ。しかしどう考え

ても弊害の方が大きく、そうするだけの意味があったのかどうか。やはり当時の将や主は何も考えていな

かった、或いは考える事を諦めていたと、そう想定するべきなのだろう。

 多少改良された事で、そこに満足していたのだとすれば、確かにそれ以上を求める事は無くなると思え

る。それに鈍重と重厚を勘違いしていたという可能性も高い。

 楓流にとってありがたい事ではあったが、どうしても怒りが募るのを抑えられなかったようだ。

 別の苛立ちもある。

 着実に豪炎軍を引き離し、集袁へと近付いている訳だが。流石に前線付近ともなると警戒が厳しく、関

や防衛点の警備も厚くなり、慣れてきたとはいえ、突破するのには様々な労苦を必要とした。

 それでも楓流は一度として諦める事をせず、必死に状況を打破しては、集袁への道を進んでいく。

 楓流に偉大なる部分があるとすれば、まず諦めないという点が挙げられる。彼は何度打ちのめされ、何

度敗北を喫しても、決して諦める事だけはしなかった。絶望もしたが、そこから逃避するような事だけは

しなかったのである。

 そしてそれが彼の一番の強みだった事に疑いは無い。人は諦めないからこそ、初めて対策を生み出せ、

窮地から這い上がる事が出来るからだ。

 愚痴を言うのもいい、いっそ八つ当たりしてもいい。どんな事をしても、どんなに打ちひしがれようと、

諦める事さえしなければ、そして生きてさえいれば、人はどこまでも歩み続ける事が出来る。

 楓流は口舌の徒ではなく、生涯行動の人であり続けた。

 執拗に考えるが、考えるだけで満足したりはしない。そもそも何かを成す為に考えるのであるから、そ

れも当然であったろう。彼は知する所と、行する所が、常に一致していたのである。どちらかに偏るので

はなく、あくまでも二つで一つであった。

 ようするに誰よりもしぶとく、ある意味現世というものに、そして自分の夢と進むべき道に、誰よりも

執着していたのだと云える。

 しかしその彼をしても集袁への道は遠く、数日足止めされるような事もあった。相変わらず豪炎軍の行

軍は遅く、追い付かれる様子はなかったが、焦りは消えなかったろう。

 だが吉報もある。関や街道の町村から零れ聞いた情報に寄ると、もう一方の袁夏軍も似たようなもので

あるらしい。

 或いは双方共、相手の方が先に付き、先に集袁に攻撃し、少しでも自軍より消耗を多くしてくれる事を

望んでいたのかもしれない。

 普通に考えれば先に攻撃した方が、後の集袁獲得に対して、発言力をより強める事が出来るのだが。今

は集袁などは飾りで、両者とも確実にお互いを狙い、滑稽な事に、双方ともそれを良く知りつつ行軍して

いる。

 形だけは同盟軍だったが、初めから標的はその同盟軍同士なのだった。

 確かに当時の軍制は後の碧嶺の軍制に比べれば、亀よりも遥かに鈍いものであったが。こういう事情が

無ければ、こうまで遅くはなかったと思える。

 豪、袁、双方の拠点から集袁への距離を考え、それに当時の平均的な行軍速度を照らし合わせて見ても、

明らかにこの時の速度は遅い。これは意図して遅くしていたと考えるべきだ。

 だからこそ余計に楓流の苛立ちも大きくなったと思えるが。しかし彼が大軍の進軍を目の前にし、その

行軍速度を肌で感じたのは、これが最初であるはずだから。もしここまで豪炎軍が遅くなければ、或いは

楓流は、速度に対してあそこまで拘るようにならなかったかもしれない。

 いや、楓流は常に、軍は神速を旨とする、事だけを考えていたから、やはり遅かれ早かれ神速の軍制を

生み出していたのだろう。ただこの時の豪炎軍の遅延が、その軍制に少なからず影響を与えただろう事も

また、確かである。

 ともあれ、丁度豪炎軍が行程の四分の三程を越えた辺りだったろうか。楓流達はようやく集袁へと到着

する事が出来た。

 しかしそれには二、三週間という通常の三、四倍近い時間を要し、その間集袁へは何の便りも出せなか

った訳で、集袁がどうなっていたかは想像に難くない。

 楓流の気分は決して良くはなかった。

 それは彼が当初考えていた集袁が滅ぶ期日よりも、たっぷり十日間は過ぎていたからである。

 果たして集袁が今どうなっているのか、楓流にはまったく解らなかった。

 それでも彼らは行くしかなく、断腸の思いで、目前に在る愛しき町を見詰めている。最早祈りながら見

詰める以外に無かったのだろう。

 もし最悪の事態になっていれば、楓流は集袁と共に滅ぶ事を覚悟しなければならなかった。



 幸いと言うべきか、集袁は想定した最悪の状態に陥ってはいなかった。少なくとも表面上は。

 皆歓喜の声で出迎えてくれ、未だ楓流という存在が求められ、そして心のどこかで皆がその生存を望ん

でいた事は確かであるようだ。

 これならば再び楓流は支配者の地位に就く事が出来るだろう。彼は自らという存在が、よほど集袁の民

の中で大きくなっている事を感じ取り、大いに満足を覚えている。

 ただ皆の表情は晴れやかな中にも、どこか暗い影が在り、まるで小さな棘が刺さっているかのように、

僅かではあったが、拭い去れぬ危機感を感じている事も知らされた。

 それは彼らの心境を考えれば、当然豪、袁同盟軍が迫ってきている事への恐怖心だろうと思ったのだが、

どうやらそうではないようなのだ。

 彼らの心配事、それは我が家に戻った時に胡曰(ウエツ)が詳しく教えてくれた。想像通りと言うか、

やはりと言うべきか、凱聯と奉采の間に、一騒動持ち上がっていたのである。

 楓流は初め、凱聯に二心があったのか、或いは楓流が死したと思い込んだ事による後継者争いか、など

と考えたのだが、どうやらそういうものではないようである。いや、完全に違う訳では無いが、通常人が

考える事態とは、まるっきり違うそうなのだ。

 それはどちらかと言えば後継者争いに似ている。しかし根本的な所でやはり差異を覚える。

 楓流が便り一つ寄越さず、豪、袁が軍勢を集めていると知った時、奉采、凱聯共に楓流が死、或いは拘

束された事に思い至った。それは当然の反応であり、そう思う事はむしろ益になる。

 何しろ今の集袁は豪、袁の間に居、双方が牽制し合う事で辛うじて生きていられる。全ての事象に過敏

である事が重要であり、全ての状況に先手を打つ事のみが生き残る術であった。

 もし対応が遅れれば、すぐに集袁などは滅ぼされてしまう。双方を宥(なだ)め賺(すか)し、どちら

にとっても集袁が必要であるように、集袁という一弱小勢力が必要であるように思わせなければならない。

 奉采、凱聯の二名には、留守居を任せる以前から、楓流はそう言う注意を常々言い聞かせ、この二人に

だけは現在の危機感を出来る限り教えてきた。

 勿論凱聯にはそう言う事は向かないと知っていたので、奉采へとより重みを与えていた事は確かである

が、凱聯にも軍を与る者として、それなりに重みはおいていた。

 しかし凱聯はその事に不満であったらしい。

 奉采は確かに良くやってくれ、信頼出来る男であったが。あくまでも楓流の次にくるのは自分であると、

当然のように思い。自分に一番の重きを楓流がおく事もまた、当然と考えていた。

 昔から彼はそうだった。楓流の第一の家来、いや弟分として、常に彼の次に居る事を望み。それだけが

楓流を慕い、仕えていた理由と言ってもいい。楓流の次の座に居る事、これが凱聯にとって今も昔も、そ

して将来死ぬまで、それだけが望みだったのである。

 楓流が治めている間はまだ良かった。如何に奉采へ重みを置いたとして、勢力にとって一番重要な軍事

力を任されているのは自分であったし、凱聯にも確かに重きは与えられていたのだから、多少の不満も飲

み込み、それなりに奉采とも仲良くする事が出来ていた。

 民の中には、奉采が補佐しているからこその集袁だ、などと言う者もいたが。それにも凱聯は気にしな

いでいてやった。好きに喋るが良い、あの方の側に居るのはいつも自分なのだ、お前らに何が解る、とで

も考えていたのだろう。

 だがその楓流が帰還せず、捕らわれただろう事が明白になってくると、状況が変わってくる。

 民は確かに凱聯も頼った。何しろ軍事力の要であるからには、頼れる存在である事に間違いは無い。い

ざとなれば彼が先頭に立って戦う、今までもそうしてきたし、何度も勝っていた。それは頼もしく思うは

ずだ。

 何をするにも結局最後は力で解決するのだから、彼の存在は必要不可欠であった。

 たが人は力を頼る以上に、政治にも頼る。いや、むしろ武の上に文を置きたがる。人が力を頼るのは、

その上にそれを従える指導者が居てこそである。

 それは人が力を頼りつつ、その力に恐怖を覚える為かもしれない。ようするに抑制力のある、きちんと

統御出来る力であって、初めて安心して頼れるのだろう。

 如何に強大でも、暴れるだけの力などは要らない。あくまでも使いこなせる力であり、扱いきれない力、

蛮勇などは、豪族などが力に余せて好き勝手やっていた時代だけに、どうしても心を許せない所があった

のだろう。

 良くも悪くも凱聯はそういう存在であった。彼は楓流の下に居て、楓流と言う抑止力が上に居て、初め

て信頼される力だったのである。

 確かに便りになるが、放っておくと何をするか解らない。住民達もそのように凱聯を評価していた。

 その点奉采は違う。落ち着き、判断力、どれをとっても、やはり凱聯などよりは頼もしく、そして安心

出来る。

 軍は凱聯、しかしその上に立つのは奉采、それが素直な思いであった。

 奉采も自分の役目として、楓流不在時には(確かに彼も至らぬまでも)他に人が居ない故に、政治を担

う者として立たざるをえない。軍事をやらかすにしても補給が重要であるし、それを出来るのも楓流以外

には奉采しかいなかったのだ。

 だから彼自身も奮起し、凱聯と共にこの困難な状況を打破し、出来るならば楓流を救おうと、前に立っ

て動き始めた。普段の彼を想像すると意外に思えるが、彼とても集袁を想う気持は大きい。自分がこの町

を大きくしたのだという想いもある。

 ただ奉采には楓流の跡を継ごうなどという考えは無いから、凱聯を大いに立て、一人で勝手に決めたり

する事もほとんどせず。止むを得ずそれをする場合も、きっちり連絡を入れていたらしい。だから初めは

二人の仲も上手くいっていたそうだ。

 だが人々はどうしても奉采を持ち上げる。文の下に武を置けば、自然とそうなってしまう。

 凱聯はそこが不満だった。何しろ彼は二番目に拘る男である。それ以外には無いといっても良い。そう

いう彼であるからには、奉采が何を言っても慰めにならず。更に平素からの奉采への不満も相まって、事あ

る毎に反発しだし、次第に奉采を遠ざけるようになったと云う。

 しかしそんな事をすれば益々人心は奉采へと向う。そうして悪循環を重ねた挙句、とうとう兵舎へと立

て篭もり、奉采と真っ向から対立する姿勢を示し、ここ数日その気勢は高まるばかり。

 住民達にはどうする事も出来ず、ほとほと困り果てているらしかった。

 それはある意味可愛げのある所作ではあったが、やはり将としては失望を覚えるしかない。

 楓流はおそらくこの時、生涯この凱聯を手元から離す事は出来ないのだと、苦々しくも悟ったに違いな

い。楓流が居なければ、凱聯は言わば暴徒と化すのである。そう悟るしかなかったのは、怒りよりも、む

しろ絶望に似た感情であったと思える。

 しかし楓流に嘆いている時間は無い。胡虎へ何事か命じた後、急ぎ奉采の許へと向った。




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