20-1.異と疑


 蜀王の変心に対して興味深い報が一つある。それは蜀礼(ショクライ)に護国蜀元帥の名を与え、神格化

した事だ。

 それに伴い、蜀礼の遺族の地位も向上され、領地を加増された。祭司としての役割も与えられ、一族揃っ

て護国衆と呼ばれるようになり、一族全員が蜀姓を名乗る事も許されたようだ。

 護国衆は蜀王直属の臣、楓でいう近衛のようなものと考えればいいか。

 筆頭となるのは蜀礼の兄、蜀元(ショクゲン)だが。彼はかなりの老齢である為(蜀礼との仲が不仲であ

った為、という説も有力だが)、息子である蜀撰(ショクセン)が先頭に立って率いている。

 蜀礼にも子はいたが、皆女であるから一族を率いる資格は無い。それに一族内の序列から言っても蜀元の

血筋が上だ。蜀礼の直系には敬意が払われているものの、それはまた別の話である。

 この蜀撰、野心家であるらしく、王に取り立てられてからは意欲的に働き、自らの地位を固める為、懸命

に励んだ。護国衆という特権も、言ってみれば現王の気まぐれに過ぎない。今はいいが、王が亡くなれば有

名無実の存在に落とされるかもしれない。

 今の内に地盤を固めておかなければ。

 蜀撰に叛意は無い。野心はあっても、あくまでも蜀の臣としてであり。王に対する忠義は厚く、蜀礼にも

深い敬意を抱く。むしろ実父であるはずの蜀元との折り合いの方が悪く、たまに顔を合わせても諍(いさか)

いが絶えないとか。

 楓流は最初、その不仲を利用しようかと考えたのだが。蜀元は名ばかりで実権を持っていない。彼を息子

と争わせた所で、従う者は居ないだろう。

 護国衆は皆蜀元が筆頭になれない事を知っている。理由は解らないが、そうしてはならない事を知っている。

 だから蜀元は今の所無視していていい。ただ、その名を忘れないでおこう。

 王の変心に蜀礼が深く関わっている事は確かだと思われる。どう関わっているかまでは解らないが、朱榛

(シュシン)を追放した点から考えても、並々ならぬ決意がある。

 だが楓に対しても不気味な沈黙を保っている。秦を捨て、楓一本にしぼった、という単純な事ではなさそ

うだ。

 引き続き、調査が必要だろう。



 楓流は蜀の情報を整理しながら続報を待っていたが。相手が行動に出た以上、いつまでも受身でいる必要

はないと考え、楓の方から公式に使者を発している。

 表向きは護国蜀元帥となった蜀礼を祝す為であるが、内情を調べに来ただろう事は周知の事実。蜀は警戒

したが、断る訳にはいかない。

 楓流も解っているから、蜀を刺激しないよう気を配っている。

 白陸(ハクリク)を正使に命じ、供回りも最小限とし、贈答品も楓と考えれば過ぎたものではない。白包

(ハクホウ)も外しているし、大げさにならぬよう計らっている。

 速度もゆっくりしたものを保ち、微笑みかけるような足並みでのんびりと進ませた。

 蜀側もその態度に安心したのか、警戒を解き、あたたかく迎えている。

 これには蜀民全体に広がっていた緊張を和らげる効果もあった。

 彼らとしては秦(朱榛)と手を切った以上、楓に頼るしかなく。その仲にひびが入る事を今最も恐れてい

る。王に対する不満も完全に消えた訳ではないし、突然の変心に困惑を隠せない者もいる。蜀民全体がどこ

か落ち着いていない。

 蜀臣達も息を合わすように沈黙している。一時は忙しない動きがあったようだが、今は皆王に忠誠を誓い、

その命に服しているようだ。

 存在感が薄かったとはいえ、今までも最後の決断は常に王が行い、君臣の別を崩す事はなかった。受身で

はあっても、政治を無視してきた訳ではない。

 それ故に威が残っており、朱榛が逃げた後、迅速に政府を掌握できたのだろう。

 その態度に反発する者も覆いが、精力的に政務に取り込む王を見直す向きもある。誰もが頼もしい存在を

欲したからこそ朱榛に力を付けさせる事になったのだ。であれば、王である彼に同じ事が、それ以上の事が

できない訳がない。本来、王とはそういう存在なのだから。

 だからそれはいい、不自然ではない。それよりも楓流が気にするのは、朱榛を追放したのが秦の策略では

ないのか、という点だ。

 処刑ではなく追放と書いているように、楓流は朱榛があっさり逃げ出した事に対する疑問を解いていない。

 蜀に全幅の信を置くつもりは初めから無いが、楓流は蜀を過小評価してもいない。

 確かに力圧しに攻め潰すのは難しくないが、それによって戦力を分散、消耗されるのは痛い。一国が本気

で抵抗してくれば、思わぬ打撃を食らう事もある。

 蜀撰のような忠義者もいるし、民の間にも愛国心というものがある。それを無視するような行いをすれば、

地に伏するのは楓流の方になるだろう。慎重に事を進める必要がある。

 使者として赴(おもむ)いた白陸はこれを、秦の策ではない、と見た。

 朱榛と秦の繋がりはそう深いものではなくなっていたようで、その強引なやり方に秦は必ずしも賛同して

いなかった節がある。

 秦王が朱榛を嫌悪しているようであった、という噂まであり。朱榛が残した書状にもその事を裏付けるも

のがあったという。

 ただし、あまりにも準備が万端過ぎ、まるでその為に用意していたような観があった、そうだ。

 しかしそれを差し引いても朱榛派の主だった者は実際に力を削がれているし、蜀王と朱榛の間が好ましく

ないものになっていた事もまた確かで、少なくとも蜀王は自らの意志で朱榛を処刑しようとした。上手く逃

げられたのはそれを知った朱榛派の者が知らせたのだろう、との事。それを裏付けるように、朱榛と共に消

えた者も少数だが居るらしい。

 逃亡した朱榛一派の消息は蜀も掴めていない。楓蜀共に足取りを掴めない所を見ると、すでに国外に脱出

しているのかもしれない。

 秦側も朱榛を探しているようだが、全く手がかりを掴めていないらしい。潜入させている間者からの報告

には、もしかしたら中諸国の方へ入ったのではないか、と添えられていた。

 楓の支配力は増しているが、中諸国全体を押さえるのは難しい。最近大きな動きがあったし、その余波は

今も完全には治まっていない。そのどさくさに紛れて潜り込んでしまえば、諜報網をすり抜ける事も或いは

不可能ではないのだろう。

 楓を好ましく思っていない存在はどこにでもいる。朱榛の持つ情報は彼らにとって喉から手が出る程欲し

いものだ。力を借りるのは容易である。

 だがその程度の勢力に落ち着いてくれるならむしろ好都合だ。楓流から見れば彼の握っている情報も大し

たものではない。秦との仲が切れているのなら、脅威とはならないだろう。

 それでも気になるのは彼が魯允(ロイン)と似ているからか。

 そうかもしれない。しかし魯允が厄介だったのは楓の内側深くに居たからだ。それに比べ朱榛は属国であ

る蜀を一時牛耳っていたに過ぎない。そこまで気にかける相手ではないだろう。

 楓流はしばらく考えた後、朱榛の優先度を下げた。

 秦の策謀でないのなら、問題ではない。

 それともそう思わせるのが狙いなのか。

 しかしここまで欺けるものだろうか。

 可能性があるとすれば王が一人で計画、実行し、秦臣ですら欺(あざむ)いている事だが。いかに王の専

制が強まっているとはいえ、それは至難である。

 確かに今秦に王と並べるような人材は居ない。武の主柱たる王旋(オウセン)、中央西部一帯を治める甘繁

(カンハン)、といった人物はいるが。王旋は政務に口出しせず、甘繁(カンハン)は半ば独立している。

 三功臣も隠居し、魯允は命を落とした。曹閲(ソウエツ)が王の手足となって働いているが、彼自身には

権威も力もない。秦は王一人で動かしているような状態にある。

 だがそれでも臣民の全てを欺けるとは思えない。それにそんな大役を朱榛という寝返り者に託すだろうか。

彼の野心を逆用して、という考え方もできるが、あまりにも危険が大き過ぎる。それとも蜀を混乱に落す為、

失敗を前提に策を立てたのか。

 可能性が全く無いとは言わないが、やはり疑問が残る。

 疑問といえば、蜀はこれからどう動くつもりなのだろう。白陸との会見は表向き友好的に終わっているが、

蜀王は明確な言葉を伝えなかったようだ。中立の立場でいたいという事かもしれないが、蜀には越のような

武器が無い。無謀である。

 楓流には蜀王の考えがよく解らなかった。朱榛の事も発作的にやってしまったような気がする。彼の行動

には計画性が感じられない。

「これは一度会っておく必要があるか」

 座したままでは何も得られそうにない。

 ならば、行動あるのみ。



 楓流は護国蜀元帥の祝祭を共に開催したい旨、蜀へと打診した。

 所用あって先は使者のみの礼となってしまったが、改めて盛大に祝いたい、という事だ。

 楓と蜀礼の関係は浅くない。盟友とも言える。それに楓流は個人的にも好意を持っていた。蜀礼の方も信

を持って当たれば通じるものだ、と考えているような人物であったから、いつも友好的であった。

 現王である蜀望(ショクボウ)が王位に就けたのも楓と蜀礼が結んだ故であるし、親楓派の象徴と言えな

くもない。その彼が神格化され、祭られた以上、楓が使者で礼を述べるだけというのはあまりにも小さい。

 蜀側もそう言われれば断る訳にはいかない。今の状況で断れば楓への敵意を示す事になる。蜀の真意がど

こにあれ、断れる訳が無かった。

 意地の悪いやり方だが、この件で民は安堵するだろう。蜀にとっても悪くない話である。

 返答は早かった。断れないのであれば、早く受けるに越した事はない。蜀にとっても悪くない話と自分を

納得させたのかもしれない。

 王自らが出向く訳にもいかないので、どちらも相応しい人物を選出して細かい事を決めさせた。国を挙げ

てやるのだからつまらない事はできない。派手過ぎてもいけないが、とにかく大々的にやろうという事にな

って、様々な案が出された。

 当然莫大な資金が必要となるが、楓がその多くを出資する事で解決している。これによって楓の発言力は

当然増す事になる。民もより楓に対して好意を持つだろう。過ぎれば反感を抱かせるものだが、今回は祭で

ある。それに蜀民にも実益があるよう取り計らっているので、そういう気分を抑えさせる事ができた。

 蜀王はそれを黙って見ているしかないのだから、良い気持ちはしないだろう。しかし民意さえ得られれば

よく、蜀王自身の気分など気にならない。信義を期待できないのだから、その程度でいいのである。

 代わりに、という訳ではないが、祭礼という点には充分過ぎるほど気を配った。蜀礼に対する敬意と好意

は本当であるし、この地に封じて力としたい、という想いもある。蜀を疎かにしなければ、彼は楓流にも力

を貸してくれるだろう。

 護国衆とかいうよく解らない連中に対しても充分な敬意を払い、祭礼の主軸に据えている。あくまでも蜀

礼、蜀が主であり楓は従であるという姿勢を崩さない。

 祭礼は丸一月を使って行なう大掛かりなものだが、儀式などは初めの一日二日で終わる。後は関税を免除

したり、道の整備などを優先させたりといった優遇処置が一月の間続くという訳だ。

 これを大抵の者は蜀のご機嫌取りと理解している。まさか蜀王とわずかな時間話をする機会を作る為に、

このような大げさな事をしたとは誰も思っていなかったようだ。

 蜀王自身もそうである。警戒しつつ、その態度にはほっとしていた筈だ。真意がどうあれ、今すぐには楓

を敵にしたくない事は確か。この扱いには蜀政府としても満足している。

 蜀礼の政策は楓と友好関係を築きながら富国強兵に勤しむ、というものであった。蜀望(ショクボウ)を

王にする事だけで満足であったのではないか、という説もあるが。そもそも蜀望を王にしようとしたのは、

他にこれという人物が居らず、このままでは国が滅びてしまう、という危機感を抱いた所からきている。

 全ては蜀を磐石にする為の措置であった、と考える方が自然だ。

 朱榛のように楓と秦との間に立って、というようには考えなかっただろう。一時的には利用できても、そ

れは危険な賭けであり、常に破滅する可能性を秘めている事を、蜀礼ならば解っていただろうからだ。

 それを考慮しての祭礼と名を変えた両国の結び付きの強化であり、それこそ楓流が蜀礼に対する敬意を忘

れていないという証になる。

 楓流はこの祭礼を利用し、蜀礼を楚斉の姜尚(キョウショウ)のような存在にしたいと考えていたようだ。

 楚斉の民(特に斉の民)が今も楓に対して友好的なのは、姜尚の意が残っているからという点が大きい。

 故に今蜀礼の存在感を高め、皆で崇めるようになれば、今後少なくない力となるだろう。民の好意という

ものは何にも変え難い力である。

 とはいえ、必要以上に飾り立てても空虚になるだけ。蜀礼は生前から民に好かれ、今も敬慕している者が多

いが、姜尚程の影響力はなく、功にしても権威にしてもやはり小さいと言わざるを得ない。

 それを影響力のある所まで飾り上げるには時間が必要だろう。

 楓流はその為、毎年恒例の行事とするよう提案した。無論、蜀に拒否権はない。力関係でもそうだが、蜀礼

の地位向上を狙ったのは蜀王が初めなのだから、断る理由がないのである。

 蜀王には国を牛耳る資格があるとはいえ、何もかもを急速にやり過ぎた。そのせいで付いてこられない者達

が多く、それが混乱と不満に繋がっていると言える。

 力によって押さえても、一時の時間稼ぎにしかならない。その上、押さえていた分反発力はより強くなる。

 だから蜀王は軍を用いるのではなく、蜀礼を神格化する事で民を慰撫しようと考えた。結局彼は亡くなった

後まで蜀礼頼みだった、という訳だ。

 そんな蜀王にとって、楓の提案はありがたかった事だろう。王自身が言い出せば、無用な反発を与えるかも

しれないが故に。

 こんな状況であるから、王を孤立させ、対抗者を擁立して傀儡を立てる事は難しくない。しかしそれでは民

の心は取れないだろう。

 楓流の目的はあくまでも蜀の民情を得る事にあり、蜀王も政府もすでに大して興味の無いものになっていた。

 それだけ彼らは弱体化していたのである。

 楓流と蜀王が相見(あいま)えたのは、初日に行なわれる祭典の内の僅かな時間。互いの王が祭壇に立ち、

蜀礼の功績を称え、これからも友好的である事をその霊に誓う間。そしてその後会食のような席が設けられる

時だけである。

 時間にして全てをまとめても一刻に満たない。

 だがだらだらと言葉を紡ぐ事に意味は無い。必要な事を満たすにはそれで充分であった。

 楓流は終始静かに過ごしている。それにはあまり自分を喧伝しない、という意味合いもあった。自分の事を

必要以上に飾り立て、主張する者が嫌われるのは古今同じ。

 彼は養父に育てられていた頃に比べると、随分世俗に塗れてしまっているが。仙人のような世間離れした独

特の雰囲気は失っていない。手が血に塗れてもそれを臭わせない、特殊な品の高さのようなものがある。

 それは祭礼という場に相応しく。見る者を感嘆させるに充分だった。

 楓流が生来持つ特殊な空気は、生涯に渡って彼を助けている。もしかしたら養父の御霊が助け続けたのかも

しれない。

 蜀王も楓流の雰囲気に呑まれるように言動を慎み、派手な行動をとらないようにしていた。

 それに彼も派手に動き回る型の男ではない。楓流と比べるから劣ってみえるが、気品も充分に持ち合わせて

いる。王族としての嗜(たしな)みは一通り身につけているのである。

 短い時間の中、二人の王が交わした会話は二つ。

 朱榛に関する事。

 秦に対する見解。

 だけである。

 世辞も余計な言葉も交えず、楓流はいつものように単刀直入かつ明瞭に問うた。

 それに対する王の返答もまた言葉少なく。

 朱榛は依然として足取りが掴めず、中諸国内にて潜伏しているか、或いは南方へ行こうとしている。

 秦とは敢えて事を構えるつもりはないが、こうなった以上関係悪化は避けられないだろう。しかし蜀として

は改善できるのであれば、そうしたい。

 という簡潔なものであった。

 楓流も初めからそれを知っていたので重ねて問う事はしていない。ただ気になる点があった。それは蜀王が

南方に触れている所だ。

 知っての通り、南方の南部から梁に至るまでの土地は楓が支配している。その上、梁と繋がる南方北東部の

拠点、小椎(シャオシィ)には楓流自身が居たのだ。当然警備が厳しく、簡単に抜けられるようなものではない。

 これはつまり、楓が朱榛をすでに捕らえているのではないか、もっと言えば朱榛と楓に何らかの繋がりがあ

ったのではないか、と疑いの心を抱いている事を意味するのではないか。

 確かに朱榛が野望を遂げる為には、秦だけでなく楓にも近付かなければならない。両国の間に立って事を成

そうとするのだから、当然そうなる。朱榛と楓に繋がりがあると考えるのは自然だ。

 これは盲点であった。

 未だ楓流自身と接触はないが、朱榛と繋がりのある何者か、或いは当てにできる何者かがすでに楓国内に居

る可能性は高い。その何者かは当然相応の地位か人脈を持っている。朱榛を匿(かくま)えるとすれば、南方

に限定されるが、楓流よりも強い影響力を持っている可能性すらある。

 楓国内にも監視の目は行き届いているはずだが。最近は、いやずっと以前から楓流の目は外へ外へと向いて

いた。国内が安定していた為に、民の信を得られていた為に、疎(おろそ)かとは言わないが、どこか安心し

てしまっていた所がある事は否定できない。

 それが間者にも伝わり、結果として国内に甘くなってしまっていたのではないか。

 法瑞(ホウズイ)や蜀王の心情を読みきれていなかった点もそれを証明する。

 断定するには早いかもしれないが、可能性としては馬鹿にできない。

 蜀王がそれを匂わせたという事は、事実かそれに近いものを掴んでいると考えられる。追い込まれ、はった

りを言う事で楓流に疑心を抱かせ、追求を逸らそうとしたとも考えられるが。彼には朱榛が残した情報がある。

重要なものは持っていったとしても、全てを持ち去れる訳もない。何かしら得ていてもおかしくはないのだ。

 釘を刺すつもりがかえって刺される格好になった事に危機感を覚え、楓流は早急に手を打たなければならな

いと考え始めた。

 そして同時に蜀王の焦りも感じ取っている。

 表面上は冷静に見えるが、本当は酷く動揺しているのではないか。朱榛と南方の繋がりが本当なら、いくら

でも利用できただろう。それがこのようなお粗末なやり方で、策を立ててというよりは一つしか無いものにす

がっているような印象を受ける。

 交渉下手といえばそうかもしれないが、こちらが思っている以上に蜀王は追い込まれているのかもしれない。

とすれば、彼の国内における立場は、すでに有名無実なものになりつつあるのか。

 或いは明確な対抗者が現れ、独自に動き始めているのか。

 どちらにしろ、好都合だ。泳がせて、状況の推移を見守ればいい。

 決定的な情報を得ているのなら、朱榛が捕まっていない筈はないだろうし。一応注意しておくべきだが、ど

うも底は見えたように思える。



 祭典は無事終わり、楓流は一日疲れを癒した後、長居せず引き上げた。これも民情を思っての事である。他

国の王が長々と居座るものではない。王というだけで民は圧迫される。それが常に悪いものであるとは言わな

いが、余計な刺激は与えない方が賢明であろう。

 楓流という男は常に不安を抱き、それを解消する為にのみ生きた。時に大胆かつ強引な行動に出る事もある

が、その時も民という大多数の人間を忘れた事は無い。

 仕方なくそうする事もあったが、できる限り民へ要らぬ圧力を加える事を避けてきた。

 それに今回は蜀王の言葉から感じとった疑念を急ぎ晴らしたい、という思いもあった。調査するならば早い

方がいいに決まっている。

 今までは手ぬるかったのかもしれない。出て行く者、入る者ではなく、居続ける者にこそ注意を払わなけれ

ばならなかったのではないか。

 出入りする者だけを追っていてもしかたない。根を引き抜かなければ、反意の芽を摘む事はできない。

 引き抜いても、引き抜いても、また似た根が張るだけだとしても、一つ一つ引き抜いていく事で圧力を加え、

行動を縛る事はできる。

 こういう輩を安心させてはいけない。恐れ、常に怯えさせ、身を震わせる程ではなくとも、不安から逃れら

れないようにさせておかなければならない。彼らが自由に動ける分だけ平穏が乱れてしまうからだ。

 決して消せぬものでも、それなりの対処法はあるはずだ。

 祭礼によって意図せぬ収穫があった。引き続き他国を警戒しながら、国内安定に目を向ける事にする。

 その過程で朱榛を捕らえる事ができれば、儲けものなのだが。




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