20-2.内患


 蜀王が言及したのは南方だ。つまり、南方に不安要素が居るという事だろう。

 しかし南方部族には相応に気を配っているし、彼らは国内に居ても身内国内ではない。独立した勢力と変わ

らず、心服するようになった部族も少なくないが、その部族でさえ部族内の全てが親楓派である訳ではない。

 だから間者の目、楓流の目も他よりは行き届いているはずで、ここに抜け穴のようなものがあるとは考え難

い。朱榛(シュシン)個人にも部族と縁は無いはずだ。

 あるとすれば秦を通して部族と繋がる可能性だが、それにしても楓側の部族と繋がりを持てるとは思えない。

 念の為に調査しておくべきだが、可能性としては著(いちじる)しく低い。

 現実的に最も可能性があるのは、商人達の方か。

 南方には南蛮貿易で日々多くの商人が行き来しており、楓もまたそれを奨励(しょうれい)している。

 商人といえば越の名が浮かぶ。南方にはまだ水路を伸ばしきれていないが、大陸全土の水運はかの国がほぼ

一手に押さえている。その影響力は商業に限れば楓を遥かに上回る。

 越に頼めば、少数を逃がす事くらいはできるだろう。

 越にはその程度の自由はある。楓流も確たる証拠がなければ口出しできない。越の領土は少ないが、その力

は大陸全土に及ぶ。皮肉にも、楓が広大になればなるほど越の重要性も増すのである。

 蜀は交通の要衝であるから、自然越と関係が深くなるだろう。朱榛と越の間に密約が結ばれていたとしても

不思議は無い。

 ここまでは消去法で察しがつく。問題は彼がどこに潜伏しているかだ。

 反楓組織と繋がった。そう考えるのが最も単純な答えか。一時の仮宿として利用した可能性もあるだろう。

 或いは越の伝(つて)を利用し、この地の商館にでも頼ったか。

 そうしてほとぼりをさました後は部族に紛れ込む。

 魯允(ロイン)同様、彼の弁舌能力は侮(あなど)れない。以前のように必ずしも排他的でない今の部族な

ら、彼の大陸人としての知識に価値を見出す者が居てもおかしくない。

 中には第二の扶夏王を目指さんと野望を抱く者もいるかもしれない。扶夏王個人は嫌悪していても、彼の力

には憧れを持っているはずだ。強者を尊ぶ部族なら尚更だろう。

 付け入る隙はある。

 だがそれも後の話だ。朱榛が何を考えているとしても、今はまだ動けない。

 それともすでに南方深くへ移動しているのか。

 楓流が中央付近にまで出てきているという事は、逆に言えば奥地は手薄になったという事である。蜀や布

の動きに目を奪われ、そちらに間者を使った分、隙も生まれやすくなるだろう。

 その上楓流は一時だが朱榛の優先度を下げていた。これは明らかな油断であり、利用しない手は無い。

 杞憂(きゆう)かもしれないが、壬牙(ジンガ)と紫雲竜(シウンリュウ)に部族の調査を命じておこう。

部族と繋がりの深い彼らなら、情報を得る事は難しくない。いや、すでに何かしらの情報を得ている可能性

もある。すぐに報告が入るだろう。

 そちらは任せ、楓流はもう一つの可能性を探る事にした。つまり、この地に根を下ろしている商人達の事

だ。いや、商人だけではない。影響力のある者全てに目を向け、大掛かりな調査をするとしよう。

 遠慮など要らぬ。治めるには厳格さが必要だ。親しみも必要だが、軽く見られてはならない。商人や小才

子には特にそれが必要であろう。



 厳格と言っても、勿論必要以上に締め上げる事はしない。無理、強引な統治は民との間に溝を生む。親民的

な政治によって楓はここまで大きくなったのだ。それを疎かにする事は衰退に繋がる。

 特に南蛮貿易は今現在楓の最も大きな収入源になっている。その影響はすぐに現れるはずだ。

 統治者、支配者と呼ばれていても、このように虚しいものである。権力という目に見えない何かは壊れやす

く、状態も解り難いという厄介な代物。繋ぎ止め続けるには細心の注意と謙虚さが欠かせない。

 楓流はまず交通の監視を厳しくさせた。具体的に言うなら、各所に設けた関の目を厳しくしている。

 多少の不満は出るだろうが、こちらには朱榛捜索という名目がある。商人達も表向きは国家に従い、協力を

惜しまない事になっている。それに商人は儲けにならない事にいつまでも関わらない。政情が安定していた方

が商売もしやすいし、大きな不満には結び付かないだろう。

 今更往来を取り締まった所で、すでに移動し終えているだろう朱榛に対して効果は見込めないが。それによ

って牽制(けんせい)する事はできる。まだそんな場所を探っているのかと油断させる効果も見込めるかもし

れない。

 楓流は商人達と違い。劇的な効果が望めなくとも、それを無駄とは考えない。

 効率も重要だが、確実さこそ最も尊ぶ所である。

 次に楓流は商館と名士と呼ばれる者達への取締りにかかった。

 新しい街であっても、そこに人が集まれば自然と規律、不文律が生まれる。

 そしてそこには必ず上下の別が生じ、派閥ができる。大陸中の国がやっている事と何も変わらない。

 人の営みに大小の区別は無いようだ。程度の差はあれ、やっている事は誰もが同じ。

 その勢力図の全てを探るのは困難だが、幸いにも南方にはまだ街の数が少ない。それぞれの街を任せている

者に命じればすぐに把握(はあく)できるだろう。

 もしその中に不審な動きをする者が居ても、間者の手で暴かれるという訳だ。

 むしろそちらの方が狙いかもしれない。

 続いて街に対する監視も厳格にさせた。

 こちらの不満は一蹴する。今まで甘えていた彼らに冷や水を浴びせるのである。

 ここまでされるとさすがに誇りを傷付けられたと感じたのか、或いはまだ甘く見ているのか、徒党を組んで

直訴してきた者達が居たようだが、当然態度は変えなかった。

 それで彼らが叛意を示す事になっても構わない。何をしようと威を持って示せと命じた。

 するとそういう態度に今までに無いものを感じたのか。捨て台詞のようなものを残し、ほとんどが引き下が

ったそうだ。

 中には尚も強硬な態度を示し、貿易などに協力しないなどさまざまな抵抗手段を用いてきた者達も居たらし

いが、それらもはっきりと無視している。

 結局、商売を止めて困るのは彼らの方なのだ。強い姿勢を示されれば、態度を軟化せざるを得ない。

 武を持っているのは楓流だけであるし、部族の多くも楓に従っている。戦って勝てる道理が無い。背負って

立つ大義も無い。

 街を任されている者の中には商人達から賄賂をもらう者も居ただろうが、彼らも楓流には逆らえない。何故

なら、彼らの権力も楓の庇護あってこそだからだ。

 南方の一切の軍事力は楓流の支配下にある。各街の守備兵すら、楓流の直轄である。自警団のようなもの

もあったようだが、軍隊と争えるような代物ではない。部族と賦族、混血から成る南方楓軍は練度、装備、個

人的武勇、統率力、そのどれをとっても精強であり、自警団など及ぶところではない。

 彼らに対抗できる軍など大陸中を探しても居るかどうか。五分の条件で戦えば必ず勝つ、と言えるまでに強

い(五分の条件で行なわれる戦など存在しないとしても)。

 最も新しい街であるだけに、最も楓流の威が残っている。という考え方もできるだろう。

 だから多少強引な手も打てるし、例えこの一帯が敵となったとしても何とかなる、という気持ちも楓流には

あるのかもしれない。

 そしてそれは事実であった。

 ただし、厳格であっても全く話を聞かないという事はなく。事情があれば相応に便宜は図っている。

 あくまでも楓としての基本的な方針は変わらない。



 初めは混乱があったようだが、一月もすると慣れてきたのか、不満の色は目に見えて減り、反乱の目も多く

は潰されたか、自壊した。不便は感じるが、賄賂をしなければまともに取り扱ってくれないような国の方が多

い事を思えば、遥かに良心的である。

 それなら要らぬ波風を立てて状況を更に悪化させるよりは受け容れた方がいい。どうせ朱榛が捕らえられる

までの話なのだから。これが多くの人間の見解である。

 こうなると朱榛側は動き難い。

 部族への接触も壬牙や紫雲竜達のおかげで、思ったような手をとれないでいる。

 尻尾をつかまれるのも時間の問題だろう。

 ばれるなら自白した方がましと考えたのか、ある商館の重役から朱榛を匿(かくま)っていると密告があった。

 楓流は即座に兵を差し向けたが、一歩遅く。その商館の主だった者は朱榛と共に消えており、後には密告者

の死体だけが残されていた。

 しかしすでに南方中に網が張られていたので、逃れられる訳がない。程無く一網打尽にしたが、その時には

朱榛を含め全員が殺された後だった。隠れていた商館にもおかしな点は見受けられず、手がかりは全て失われた。

 残念な結果に終わったが。これで朱榛を逃がした組織と関わりの深い土地が解った。ここだけではないとし

ても、一つ解ればそこから探る事ができるだろうし、裏に越の力添えがあった事も解った。

 収穫は少ないが、無駄に終わった訳ではない。

 楓流はこの結果を受け入れ、南方の警戒を解いている。

 朱榛捜索という名目を失って尚続ける事は民の信頼を損なう事になるからだ。

 様々な国や組織との繋がりが深まり、大陸全土に領土を広げた事で、今までのようにはいかなくなっている。

この分では集縁一帯や窪丸(ワガン)といった地方にまで、何らかの手が伸びているかもしれない。

 いや、伸びていると考えるのが自然か。

 今更他との繋がりは断てないし、深まる事はあっても薄まる事はないだろう。それを肝に銘じ、基本的な考

え方を変えていかなければならない。

 今まで戦に外敵にとそればかりに目を向けてきた事の報いと言える。

 平穏に甘えるのは愚の最たるものだ。

 楓流はまたしても思い知る事になった。



 朱榛の死。そしてそれによる手がかりの消失に対する蜀の反応は薄く、知っていたかのようであった。

 ならば口を封じたのは蜀か。手を下したのはおそらく越で、逃亡に手を貸したのなら余計な事を話されない

よう始末したとも考えられるが。蜀としても朱榛に生きていられては不味いはず。蜀の意もそこにあった事は

充分に考えられる。

 それともまた別の組織が関わっているのだろうか。

 朱榛が蜀に残したものが唯一の手がかりとなるが。例えそれを差し出させる事ができたとしても、本当に重

要な箇所は秘密にされるだろうし、その秘密を暴く術もない。

 間者も色々と手を尽くしているが、全て蜀王が握り、誰にも見せようとしない。

 今は諦めるしかないようだ。

 主柱となっていた朱榛が失われた事で、秦の計画も頓挫(とんざ)した訳だが。前後の関係性を思えば、用

済みとして排除された可能性もあり、すでに代わりとなる者が入り込んでいるかもしれない。国の存亡に関わ

る問題なのだから、一度の失敗で諦めるとは思えない。蜀にも朱榛の負の遺産が残されている。

 結局、何も解決していないのだ。

 教訓を得る事はできたが、それだけではどうにもなるまい。



 一つの道が閉ざされてしまったのであれば、別の道を拓くしかない。

 幸い、蜀には護国衆という繋がりがある。

 彼らには蜀礼の祭礼以来、様々に便宜を図ってきた。他国の臣であるから、本来は表立って近付く事などで

きないのだが。蜀礼に敬意を表する、という理由を使えば大抵の事は何とでもできる。蜀王にも護国衆の権威

を高めたいという思いがあるから、その点で利害は一致している。

 故にこの特殊な関係が成り立つのである。

 楓流は護国衆に対し、様々な特権を与えた。その中でも特に交通の便に関するものは大きい。優先的に舟を

使え、楓領へ来る事があれば宿舎を無料で手配する。他にも入用な物があればすぐに用意する準備が整っている。

 簡単に言えば常に賓客待遇で迎えるという事だ。

 知っての通り楓の交通網は群を抜いている。その全てとは言わぬでも大部分を借りられるのであれば、当然

他の人間と移動に要する日数が目に見えて違ってくる。

 そうなれば伝令、そして外交官としての役割が付与されるのは自然の成り行きというもの。勿論蜀王も率先

してそれを進めた。

 その上、護国衆には蜀礼人気という弱い基盤しかなかった。確かに蜀礼は尊敬されているが、親類はまた別

だ。むしろ比較対象にされ余計に肩身が狭くなっていたのが実情である。彼らには何の力も無く。故に今まで

表舞台に名前が出てこなかった。

 楓が申し出てくれたから良かったものの、そうでなければ名ばかりのものになっていたか。蜀撰の野心によ

って暴走し、自滅していた可能性の方が高い。

 全ては楓の力添えあってこそ、蜀王の本音がどこにあろうと、楓無しではどうにもならない。王の権威を高

める為の手段であったはずが、かえって楓依存を深める事になってしまった。

 楓流の狙い通りであるが。また別の不安ももたげてくる。

 家臣同士の確執である。

 護国衆などという大層な名と権限を与えられてはいても、彼らは重臣として新参者に過ぎない。王家に連な

る家系であれ、蜀の字を許される程の権威も繋がりも無く。蜀礼という人物が出なければ、貴族の末席に名を

連ねただけで終わっていただろう。

 野心はあってもそれを放つ力は無く。必死に足掻いて死んでいくだけの無名の一族に過ぎなかったはずだ。

 そんな輩が大手を振って政務に参加し、外交という重要な役割を一手にしようとしている。簡単に受け容れ

られる話ではない。

 外交官は責任も大きいが、旨味も多い。朱榛のように裏で他国と繋がり、国政を陰に陽に牛耳るような事も

不可能ではないだろうし(勿論、そこまでやるには、外交官以上の地位と能力が必要だろうが)。そこまでせ

ずとも、他国から様々に便宜を図ってもらえる。

 勿論、対価は必要だが、それを支払うのは国であり、個人として潤う事は難しくない。

 その上護国衆は、楓という今となってはただ一つの頼み(裏で秦と繋がっていたとしても、多くの臣民には

知らされぬ事)の大勢力の庇護を受けている。それも蜀礼の血縁であるという事だけでだ。

 妬(ねた)まれない方がおかしい。

 事実他の家臣との溝は深まる一方で、中には美味い汁を吸おうとたかってくるやぶ蚊や蝿のような者達も少

なくないようだが、それとて腹の中では大いに軽蔑し、せいぜい利用してやろう程度にしか考えていまい。

 だがそれも楓にとっては好都合である。楓あっての護国衆であれば、操るのも容易。楓に対する反感を護国

衆への妬みにすり替える事もできるだろう。

 或いは蜀王への恨みに替える事もできるか。

 何しろ王は個人的な彼だけの理由で護国衆を創った。民の望みでも、臣の望みでもない、王独りの望み。誰

にも望まれていないとは言い過ぎかもしれないが。初めから好かれる訳が無いのだ。 まぬ運命に対し、天に唾吐きたい衝動に駆られるのだ。

 それを祭礼でごまかそうなど、一時凌ぎにもなるまい。

 結局、何も解決していないのだ。

 楓流は彼らの不満を利用すべく動く。

 護国衆に与えた特権は乱さないが、他の家臣への援助も惜しまない。

 そうして彼らの心を取り、蜀王を孤立させる事ができれば、例え朱榛に関する一連の事が全て秦の策であっ

たとしても、意味を失う。王にしかその真偽が知らされていないのなら、王を孤立させてしまえばいい。手足

を失えば、頭脳もまた力を失う。

 楓流はとうに蜀王を見限っていた。

 彼が楓に服している間は協力を惜しまず、王の座に居させる事も厭(いと)わない。だがそうでなくなれば

即座に追い落とす。

 一瞬、そうさせる事こそが秦の狙いではないか、という考えが浮かんできたが、それは考え過ぎだろうか。

 王を追い落とさせ、家臣団を権力争いに走らせ、国内を乱して南方と中央を分断させれば、楓の補給線は正

常に働かなくなるだろう。補給が滞(とどこお)れば、戦を続ける事ができなくなる。

 秦も必死だ。何としても楓の力を削ぎ、勝てる態勢を整えなければならない。

 秦王には英傑と呼ぶに相応しい気概がある。やるとなれば躊躇(ちゅうちょ)しないだろう。楓流と同じく、

使えるものは全て使い、それを成そうとする。楓流のような評判が無い事も、かえって秦王の行動の幅を広げ

る事になる。

 怜悧(れいり)と言うよりも冷酷と言うに相応しい現実的思考を持つ秦王は、そういう印象があるというだ

けで厄介だ。今更何をしようとも失望されないだろうから。

 今回の蜀の動乱における楓の優勢は間違いないが、それこそが秦の望みだと言い換える事もできる。

 考え過ぎであれば良いのだが。



 朱榛から始まった一連の事件は彼の死と共に一応の解決を見た。しかしそれは新たな不安を呼び起こし、変

わらぬ不穏が雲のように大陸中を漂(ただよ)っている。

 今までもそうであったように、一つの事件の終わりは、更なる事件、災厄の始まりに過ぎない。

 全ての国を底知れぬ不安が包む。そこに到るのは時間の問題であるとでも言うように。

 しかしどうやらそれも甘い目算であったようだ。




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