20-10.人の理


 明開は堅呟が半独立状態にあると踏んだ。

 それをはっきりと判断できたのは、手際が余りにも良過ぎるからだ。

 何度も述べたように、梁から子遂の居る場所までには結構な距離がある。同じ中諸国内といっても、一日や二日

で往復できるような距離ではない。その上子遂は厳重に監視されている。その目をかいくぐって接近するのだから、

余計に時間がかかる。

 気付かれぬよう手段にも様々なものを用いているのだろうが、その中に迅速かつ安全に行えるようなものが一つ

として無い事ははっきりしている。

 そうなると自然自由裁量の部分が自然と大きくなる。尻尾を掴めなかったのもその為だ。おそらく全ての裏に子

遂の意志があると思わせる事自体が、一つの狙い。楓が子遂にこだわっている限り、その真意は決して悟られない

という訳だ。

 これを皮肉と言わずして、何と言おう。

 おそらく大雑把な指示だけを与えられ、細かな事は堅呟自身が判断している。子遂とは細かな連絡すら行ってい

ない可能性が高い。一度も連絡していないという事すら考えられる。

 人を命じるままに動かすのではなく。毒の芽を撒き、それが芽吹いて花開くのを待つ。全てが成功する必要は無

い。その中の十に一つでも上手くいけば占めたもの。例え失敗しても楓という国を撹乱(かくらん)できる材料に

なればいい。

 初めから堅呟が従順である必要はなかった。命じる必要も、信じる必要も無い。彼が好きに動けば自ずと子遂を

益す。

 法瑞に目を付け、その力を利用している事も堅呟の意志と選択によるのだろう。初めから子遂の命は無かった。

 その必要は無かったのだ。

 明開は愕然(がくぜん)とした。

 これなら大陸中に同じような事を容易に起こせる。しかもそれを完全に防ぐ術は無い。

 楓はその圧倒的な力、或いはそうなる為の知恵と努力によって、大陸を圧するまでに成長し。その統治も順調か

つ安定しているように見える。

 だがそれは表向きの事。凱聯や法瑞、そして子遂のような者の他にも到る所に多かれ少なかれ歪みがある。古今

東西いかなる国家、団体もそうであったように。完全なる、磐石なる集団を作り上げる事など不可能。全て砂のよ

うに脆(もろ)い。

 確かに法瑞と堅呟はでき過ぎだ。仕掛けた子遂でさえ、ここまで上手くいくとは思わなかっただろう。これは十

に一つどころか、百に一つの成果であろう。

 しかし何の不思議も無い。

 育てる為の土壌は大陸中にあるのだから、どれだけ確率が低くとも同じ事。根気さえあればいつか勝てる勝負で

あり、その為の時間もある。

 与えるのは些細なきっかけだけでいいのだから、失敗しても痛くない。証拠を隠すも潰すも小さければ簡単だ。

すでに疑われているのだから、楓からの信頼を気にする必要も無い。明確な証拠さえ掴ませなければ、延々と続け

ていられる。

 子遂の暗躍は天水の監督不行き届きという事になるのだから、楓は確たる証拠も無しに手を出せない。

 もし楓流が彼らを犠牲にして子遂をどうにかしようとしても、それはそれで楓に大打撃を与える事になる。冥土

の土産としては充分だ。

 まあ、実際にはそのような真似はできないだろう。楓流の気質もあるが、あまり強引な事をすれば昨今の楓の姿

勢を疑問視する声を後押ししかねない。それこそ楓にとって致命的である。

 子遂はその全てを理解した上で、安全な場所から安全な方法を用いている。

 これ以上完璧な計画はないだろう。

「執念とそれを叶える為の時間をたっぷり持っている訳か。恐ろしい相手だぜ」

 明開は子遂という存在の恐さを改めて思い知らされた。

 厄介なのは彼を殺せないという点だ。

 楓が楓であろうとする限り、不可能なのである。

 投降した人間を必要以上に、いや必要であっても不当に扱うとなれば、楓は築いてきた信頼とでも言うべきもの

を大きく失う。そしてそれは子遂が生存している以上の不利益をもたらすだろう。

 子遂はそれを理解し、ぎりぎりの線をゆらりゆらりと泳いでいる。これは確かに非凡な才能と言え、それが彼の

ように根暗で陰湿な人間の魂に宿った事自体、人類全体の不幸であるように思えた。

 おそらく子遂という人間は誰の為にもならない。

 先天的にそうだったのか、後天的に変質してしまったのかは解らないが。少なくとも現在において彼が居る事で

幸福になる人間はどこにも居ない。人種性別、その他あらゆる条件を外して考えても、彼は誰にとっても災厄とな

る。そういう人間だ。

 それは周知の事実であったはずだが、改めて理解できた事は明開の心を重くした。

 堅呟をどうしようと子遂には届かない。根を断ち切る事ができない。

「一つの望みは費えたか・・・。結局、子遂という人間は最後まで生き残るらしい。ならばわしもまた最後まで生

き伸びねばならんぜ」

 明開はおそらくこの時、子遂対策、子遂封じを一生の仕事と定めた。子遂という人間をどこまでも追い詰め、滅

ぼしてやるのだと。

 彼がそう決意した理由は伝わっていない。それに相応しい理由はあったはずだが、誰にも話していないし、どこ

にも残さなかった。

 ともあれ、これが明開、子遂の長きに渡る戦いの始まりとなる。

 皮肉な事にこの二人は、執拗かつ辛抱強いという点で誰よりも似ていたのだ。



 子遂の戦略構造(それがあるとすれば)ははっきりした。

 最終目的は大陸の覇者になるかそれに準ずる地位を得る事だろう。執拗な彼の事、野望を諦めるとは思えない。

 どれだけ落ちぶれ、弱体化したとしても、命ある限り諦めず望みを遂げる。子遂とはそういう人間である。

 だから全てを犠牲にしてでも生きる道を選び、生き永らえている。楓もいざという時の逃げ場として体よく利用

されている格好だ。

 子遂という人間は誰が考えている以上に危険な存在で、明開にとって最も邪魔な人間だ。

 だが今は堅呟、法瑞に集中しなければならない。この二人を無力化させる事が子遂の力を弱める事にもなる。回

りくどいやり方だが、結局一つ一つ潰していくしかないようだ。今起きているだろう事、これから起こるだろう事、

その全てを潰し、無力化させる。それが唯一にして最も効果的な手段。

 幸いな事に、明開はそのような手を度々用いてきた。商売敵を潰す時、彼は確実かつ地味で執拗な手段を採った

ものだ。

 他に派手な手が無かった訳ではないが、そういう手は結果的に大利をもたらさない。気分が良いには違いない

が、それだけのものだ。

 感情に走れば損をする。自分の思い通りにやって結局損をするのは自分なのだから、人の世というものは皮肉に

できているものである

 儲けるには時間も手間も惜しんではならない。

 堅呟は法瑞の傍を片時も離れない。それでいて不自由さを感じさせず、頼られるよう仕向けている。面倒な事は

全て引き受け、望む事をやらせてくれる。そんな理想の部下の役目を見事にこなしている。

 この辺は子遂に似ている。元は子遂に学んだのかもしれない。

 となれば、やはりある程度の繋がりはあるのか。

 いや、今は欲を出すのは止めよう。

 どちらにせよ、堅呟を知る事が重要である。どのような生き方をし、何故ここに居るのか。それが詳細に解れば

解るだけ楽になる。

 勿論、簡単に解る事ではない。

 方言や発音など隠していても何気ない所作に出たりするものだが、それすら消しているという事は相当修練した

のか。あまり特異な点の無い土地で育ったのか。

 子遂ならそのくらいは考慮して人選しそうだが・・・・。いや、駄目だ。

 気付くと子遂の名を必要以上に意識している自分に気付く。こんな事では足元をすくわれる。見据えるべきは目

の前の敵であり、それ以上の事を考えてはいけない。

 明開は少し時間を置いた。

 それからまたゆるりと考える。

 二人の仲を裂く事は難しそうだ。堅呟は法瑞の私生活にまで深く立ち入っている。いや、役職を考えれば、そち

らの方が本業か。私的な部分で信認を得、次第に公的な部分にまで立ち入るようになっていったのだろう。

 例えるなら、宦官に近しい役割とでも言うべきか。最も親しい世話役として、今では家族に近しい繋がりを持っ

ている。最早堅呟を抜きにして生活は成り立たない。女関係や金銭面での面倒事まで全て請け負っているようだか

ら頭が下がる。

 法瑞は彼を実直な手足と考えている。いつの間にか頭脳まで頼っている事に気付いてはいまい。実に自然に懐に

潜り込み、いつの間にか不可分の存在になっている。

 これも子遂を思わせる。まあ、規模としては数段小さいものだが。

 調べていく内、確かに堅呟は有能で恐ろしい男だが、結局子遂をなぞっているに過ぎない事が解ってきた。腕は

いいが独創性に欠けている。

 応用もしているようだがそれ以上ではない。基礎となる部分が同じだからいくらでも対処できる。

 だが、それこそがこちらを油断させる為の罠ではないのか。

 似せる事で子遂を連想させ、こちらを術中にはめる手は確かに有効だろう。

 油断ならない。

 他にも考えなければならない事は多くあるし、ここはゆっくり考えさせてもらうとしよう。



 明開は堅呟に狙いを絞る事に決めた。法瑞も法瑞で厄介なのだが、彼は現状に一応満足している。今の地位を脅

かさなければ大きな不満は抱かないだろう。

 堅厳を切り離し、後任に都合のいい人間を据えれば、それで事足りる。

 今までそういう役割の人間を傍に置かなかったのが間違いだったのだ。楓の意思を曲げて解釈している節もある

し、法瑞に限ってはもう少し手を入れた方がいい。梁もまた重要な位置にあるのだから。

 中諸国全体が安定しつつあると言っても、未だ不安要素は多い。

 楓流もそれを痛感しているから五人組を与えてくれたのだろう。

 梁と蜀は中央と南方を繋ぐ要である。閉ざされれば楓の力は半減する。楓流が明開に好意的なのはそういう事情

もある。それを知って利用した明開もなかなかの役者だが、それだけにしくじればただでは済むまい。

 その意を汲み、与えられた役割を十二分にこなす必要がある。別に善意や愛情で好きにさせてもらっている訳で

はない。子遂にも負けず劣らずの利害関係がある。

 明開からすれば、楓流も立派な商人に見える。

 実力主義というのは綺麗事ではない。

 明開は堅呟を孤立化させるべく工作している。

 暗殺、讒言(ざんげん)など様々な方法を考え、どれも相応の効果があると思えたが、派手に動けば子遂に感付

かれる。堅呟以外に手の者がいないとは言えないし、その名にはやはり緊張せざるを得ないものがある。

 堅呟自身も侮れない。知っての通り、法瑞の梁における勢力は大きい。いくらでも手を打てるだろう。明開とい

う存在を知らせているのだから、すでに手を打っていると考えるべきだ。

 子遂の模倣者に過ぎないとはいえ、脅威とならない保証は無い。

 自ら敵の懐に入るという事は、そういう事である。

 こちらだけではない、向こうからも簡単に手が届く。忘れてはいけない、首に手をかけているのは相手も同じで

ある事を。

 堅呟に直接手を出すのも難しい。間者に潜入工作させているとはいえ、新参の下っ端に過ぎない。使用人の中に

も階級がある。軍人程顕著(けんちょ)ではないが、最下層に位置する者が最上位に居る者に接する事は難しい。

 勿論、どんな場所にも抜け道ははあるが、堅呟は用心深い。常に一手離れた場所に居り、法瑞以外とはできる限

り接点を設けないようにして、必要な時にごく限られた人間だけをその傍に招く。

 かえって法瑞よりも近付き難いのかもしれない。

 口利きもいつでも誰にでも行っている訳ではないようだ。決まりを定め、その中で秘密裏に(周知の秘だが)行

われる。

 権力には危険が伴う事も彼は知っている。法瑞の側近という立場に胡坐をかいている暇は無い。競争相手も常に

居るし、いつ追い落とされないとも限らない。

 実際、法瑞もそれを認め、護ろうとしているように見える。

 逆に考えれば、そうさせる為に堅呟自身が危機感を煽(あお)っている、という事も考えられる。

 自己防衛もきちんとしているという訳だ。堅呟を失脚させてその後釜に座ろうと考えた者は幾人も居るだろうが、

結局変わっていない。堅呟の防衛策はしっかり機能している。法瑞の信頼も揺るがない。今更明開が突いた所で、

大きな効果は望めまい。

 言葉ではなく、それ以上のものを用いるべきだ。

 古今問わず、男を篭絡(ろうらく)するに最も効果的なのは女だろう。

 最善の策は近衛を与える事だが、近衛も不足している。彼女達の仕事は余りにも多岐に渡る上、人選に厳しい基

準が置かれ、訓練にも長い時間を必要とする。不足して当然だ。

 今ここで求めても楓流は難色を示し、無理強いできたとしても満足のいく人材は得られまい。

 ここは発想を変えよう。

 新たに作れないのなら、すでにあるものを利用すればいい。

 男にとって女は不可欠だ。地位と金が手に入れば、自然それを使って女を手に入れようとする。法瑞にも想い女

の一人や二人は居るだろう。そいつに取り入ればいい。

 五人組に調べさせると驚いた事に今最も法瑞と親しい女は、宴の時堅呟の傍で甲斐甲斐しく働いていた女だとい

う事が解った。堅呟を補佐する立場にあるとすれば、堅呟とも浅からぬ付き合いがあると考えて良いだろう。その

女が子遂と繋がっている可能性もある。

 これは厄介な事になった。さすがにこの女を上手く利用できる自信は無い。

 しかし更に調べていくと、法瑞は外にも女を作っている事が解った。こちらはいわゆる遊女で、高級娼婦とでも

いうのか、街でも指折りの妓楼の頂点に居る女で、女そのものに惚れているというよりは、その地位に惚れている

のかもしれない。

 その分、情の面で一も二も劣るかもしれないが、通っている内に親しくなるものであるし、男なら抱いた女には

執着があるだろう。それにある程度距離のある女から耳に入れられた方が、かえって響くものかもしれない。

 明開は思いきって自ら妓楼に足を運んだ。法瑞の嫉妬心を煽り、女への執着心を増させる狙いである。楓流や趙

深は厭(いと)いそうな手だが、だからこそ明開が使う意味がある。幸い、慣れている。商売敵と上手くやる、或

いは陥(おとしい)れる為に散々使ってきた手だ。心が痛む事もない。

 美妓の関心を得るのは難しくなかった。彼女も法瑞の心がどこか自分に無い事を覚っていたのだろう。その点を

くすぐり、金を惜しまなければどうとでもなる。

 協力させると言っても目立って何かをさせる必要はない。その耳に入れておけば自然と法瑞の耳に入る。彼女も

当然明開を(彼がもたらす情報を)利用しようと考えるからだ。

 法瑞も始めは話半分に聞いていたようだが、明開が情報に真実を少しずつ混ぜていくと段々信じるようになり、

時にその言葉を鵜呑(うの)みにするまでになった。

 そして彼は堅呟を含む使用人全般に対しての態度を少しずつ硬化させていった。別に特別な事をさせた訳ではな

い。ただ今まで当たり前のように使っていた使用人という者に対し、少しだけ疑心を抱かせる。たったそれだけで

人の態度は変わっていくものだ。

 その為に必要なら明開自身が前に出る事も厭(いと)わなかった。最近来た楓の高官はあの美妓にご執心である

と人の噂に上るようにもさせている。

 さすがに手馴れたものだ。

 しかしであるからこそ堅呟は何かを察するだろう。それからが勝負である。



 法瑞に与えた変化は順調に成長した。

 その最たるものは、堅呟任せにしなくなった、という点にあるだろう。今までは公私全般を一任していたが、少

しずつ自分で判断するようになった。特に権力に関する事はほぼ一人で決定するようになり、そういう意味でも堅

呟の権威は目立って下がっている。

 ただし、まだ深い部分でしっかりと繋がっていて、影響力も信頼も強いままだ。

 給仕女への情も相変わらずで、関係が変わったようには見えない。まだ何かをできるという段階ではなさそうだ。

 一応の効果はあったが、まだ届かない。

 更なる手を打つ必要がある。




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