20-9.根は狩れずとも


 桐洵の反応は極めて事務的なものであったが、拒むようではなかった。個人の情で動いていい時では無い

事を理解しているからだろう。

「これが近衛か・・・」

 明開としては苦味を帯びた笑みを浮かべるしかない。

 文面も若い頃のそれではなく。成熟した、というよりは楓流を感じさせる。どこがどうとは言えないが、

そう感じ取れる所に苦しみがあった。

 彼もまた人の親という事か。

 しかし私情を抜きにすれば確かに頼りになる相手だった。添えられていた伊推の書状にも感服する。彼だ

けには明開との関係を話しているのだろう。その文面は心を配ったもので、彼の方がよほど桐洵の親らしい。

 悔しいが、安心もした。楓流、伊推が居る限り、娘は大丈夫だ。そしてそうある事が彼女の幸せなのだ。

親として満足しない訳にはいかない。

 複雑な気分だが、それは置いておこう。

 当面の目的は決まっている。中諸国安定の為、法瑞とできれば子遂を無力化する事。

 方法としては法瑞を取り込み、利用するのが良いか。子遂に操られているようでいて、実は明開の手の内

に在る。できればその事に法瑞自身が気付いていない状態が最も望ましい。

 だが相手はあの子遂。事を起こすからには、すでに梁内深く根を張っているだろうし。楓の間者が気付か

なかった点を考えれば、小規模でも強い結び付きがあると思える。法瑞に手を出せば、すぐに覚られるだろう。

 法瑞と子遂の繋がりを完全に断ってしまえれば良いのだが、これも難しい。

 法瑞は子遂との間を取り持ち、その抑えとなる事を自らの役目と自負し、であればこそ自分の地位も安泰

なのだと考えている。無理に取り除こうとすれば、思い詰めて何をしてくるか解らない。

 とち狂って蜂起すればまだ良いが。秦にでも利用され、昨今の強攻策は全て楓の差し金だった、とでも吹

聴されれば厄介な事になるだろう。それを法瑞一人がやれば自滅するだけだろうが、今は子遂が付いている。

油断ならない。

 しかし上手く法瑞を挑発、暴発させる事ができれば、やはりあの強引なやり方は彼の独断専行であり、楓

とは関係なかった、という方向に持っていく事ができるかもしれない。背後に子遂が居る事も、この場合は

説得力を増す材料になる。

 全ては使いよう。子遂にとって有用であるからと言って、こちらにとって有用でないとは言えない。

「悪くない。だが、話はここからよ」

 明開は子遂という存在を侮っていない。自分の考えるような事は彼も考え付くと思っている。謙遜してい

るのではなく、事実として認めている。

 全てを覚られる相手に勝つ方法があるとすれば、予測できても対処しきれなくさせるか、どう足掻いても

迷うしかない場所へ誘い込むか、くらいだろう。

「そんな事がわしにできるだろうか」

 ちょっと解らない。

 法瑞、子遂を同時に相手取ろうとするから悪いのかもしれない。まずは一人に狙いを絞ろう。

 となれば、法瑞からだ。簡単な方から潰していくのが鉄則であろう。

 その方法を見付けるには、子遂が法瑞に目を付けた理由を考えればいい。

 理由は色々あるだろうが、おそらく彼の行いが楓への不信感を抱かせる原因になった点が大きい。

 実際、楓が現状で最も困っているのが彼だ。結果的に法瑞の独断を容認した格好になっている。これは大

きな弱みである。いっそ断固とした態度で罰していれば良かったのかもしれないが、今それを言っても仕方

ない。

 となればまずやるべきは、法瑞の行動が全て彼の独断である事を証明、或いは信じさせ、楓流の陰謀説を

否定する事か。

 一番解りやすいのは、法瑞がすでに楓の手に余る厄介者になっている、という事実を知らせる事だろう。

 梁はすでに法瑞の国と言ってよく。梁政府の意向も半ば無視されている。法瑞に独立の野望があったとし

ても不思議はない。そこに子遂や秦を繋げれば更に自然になる。

 法瑞が単独で動いている事を印象付ける事ができれば、世間の目も変わってくるはずだ。

 しかし何度も言うように、子遂もその程度の事は予見している。彼の出方によっては法瑞を失脚させるだ

けで満足しなければならなくなるかもしれない。

 二つ対策を考えたが、どうも覚束(おぼつか)ない。

 やはり困難な相手である。

 一つは対象はあくまでも法瑞であり、彼を子遂の呪縛から解き放ち、楓の傀儡に戻す事が主目的だと思わ

せる事。これによって子遂はある意味逃げ場所を与えられる訳で、法瑞と一蓮托生という気分はなくなり、

慎重な彼の性格も手伝ってその手が緩む事が期待できる、かもしれない。

 二つは逆に狙いは子遂にあり、法瑞は追加点に過ぎないと思わせる事。これによって子遂自身への防備に

意識を向けさせ、法瑞に与える影響を少なくし、結果としてその仲を(少しでも)弱体化させる。

 見ての通り、どちらも効果が薄い。皆無でさえあるかもしれない。

 むしろ梁政府対法瑞の図式を崩さず、代理戦争のまま終わらせるのが良いかもしれない。代理戦争のまま

なら、勝敗関係なく代理人が被害を受けるだけで済む。梁政府にしろ、法瑞にしろ、力を持たせれば厄介に

なる。削っておくに越した事はないと考えれば、悪くない。

 だがこのような消極的な策など、子遂に笑われるだけだろう。

 もう少し手を考えなければ。



 選択は複数あったが、その中から明開が選んだのは、自ら法瑞に会いに行く事であった。

 無謀、といえば無謀。だが考えての事である。

 幸い、それくらいの権限はある。自分で判断し命を下せるという事は、自ら身軽に動く事ができるという

事でもある。

 正規の手続きを踏んで行くのだから、法瑞も粗略には扱えない。

 目的は子遂との連絡役を特定する事。

 子遂が遠方から法瑞を自在に操れるのは、法瑞の側に彼の意を受けた者が居るからとしか考えられない。

 監視され、身動きが取れない子遂の最も大きな弱みがそこだ。彼が人を臨機応変に操ろうとすれば、必ず

仲介役が必要になる。それも手足ではなく、時に自分の代わりに判断できる頭脳となれる人間が。

 それを特定できれば先は見えてくる。

 目的は法瑞だが、まずは梁王へ謁見する。梁政府を尊重する事も重要だが、梁王への挨拶という名目にし

た方が入国しやすい。明開も今は立場ある人間だ。突然法瑞を訪問するのは強過ぎる刺激になる。梁政府、

法瑞共に何事かと構えさせ、無用に警戒させる事になるだろう。

 無論、真の目的など皆お見通しだろうが、形式を尊ぶのも大事な事だ。賄賂も使った。楓流は嫌うだろう

が、こういう場合にはそれなりのやり方がある。そしてそれができるからこそ、明開は今ここに居る。

遠慮などしない。

 法瑞は謁見の最中口を出さず、一家臣として接していた。が、内心は期待し、畏れもしていたはずだ。彼

にはおそらく楓流に逆らう意思はない。そこも凱聯と共通している。だから今までの所業も彼の野望という

よりは、飼い犬に手を噛まれた程度に認識しておく方が良いのかもしれない。

 布攻めも法瑞なりの善意と解釈すべきだ。子遂がやらせたのではない。

 その証拠に、梁における地盤を固める事に尽力し、与えられた役目を必死にこなした。その功は決して小

さくないと明開も考えている。

 しかし、今はどうか解らない。

 明開にも敵意を持って臨んでくるはずだ。競争相手、或いは楓流直属の間者であると。しかしそれでいい。

梁政府でもなく、楓流でもなく、敵はこの明開なのだと考えてもらっている方がやりやすく。もし明開が表

に出たとしても代理戦争のままでいられる。

 それもまた重要な事だ。

 謁見が終わるとすぐさま法瑞に会うべく政府に願い出た。梁政府に願い出るという形をとったのは法瑞に

断り難くさせる為である。いや、受け入れやすくする為と言い換えた方がいいか。法瑞にも立場というもの

がある。最近は自粛する態度も見せているようであるし、その姿勢を尊重する事にもなる。

 しかし法瑞はどの程度操られているのだろう。

 完全に乗っ取られているのか、それとも行動を示唆される程度でしかないのか。法瑞の性格を考えれば、

動かすのは難しくないが。彼はあくまでも自分が主で子遂が従と考えている。

 あまり干渉すれば、暴走する危険性がある。それは必ずしも子遂にとって良い結果にはならないはずだ。

彼にとっては楓を混乱させる事も自らが覇権を握る過程に過ぎない。勿論楓に対する恨みもあるだろうが、

それよりもその時の為の布石を置く方を重んじるはずだ。

 それには法瑞を暴走させるより、むしろその地位を確固たるものとしておく方がいい。それほど強く干渉

できないのではないかと明開は考えている。

 それとも、そう考える事自体が間違っているのだろうか。子遂にとって、これも己が恨みを晴らす手段に

過ぎず、野望を果たす為の布石はまた別に敷いているのか。

 策謀家としての腕は子遂が上、経験の差も大きい。孫、楓という覇者を相手に生き延びてきたのだ。並み

の男ではない。胸を借りるくらいの気持ちで臨むべきだ。

 対等に戦って勝つ見込みは無い。五分以上にするには相応の工夫が要る。



  法瑞に訪問する許可は簡単に降りた。無用に波立てるのを嫌ったのか。向こうもこちらの手の内を知り

たがっているのか。おそらくその両方だろう。

 子遂は外交官がどういう存在なのか。そして何より明開が楓流の側近中の側近である事を知っている。様

子見が必要なのはどちらも同じ。

 或いは、法瑞と仲介者の独断か。

 明開はふと思い立ったように訪れたので(梁政府が手の内にあるから、そのくらいは容易にできる)、面

食らっている可能性がある。子遂と距離がある分、すぐに連絡が付く訳もなく。予め予想していない事態に

は対応できないからだ。

 そうなると仲介者の裁量に任されるしかないが、そいつが子遂より優れているという事はないだろう。も

しそうであれば少々、どころか大いに困った事になるが。心配してどうなるものでもない。最善を尽くそう。

 連絡役を見極める事も今回の訪問の目的である。

「ほほう、貴方が明開殿か。よう参られた。歓迎しますぞ」

 法瑞はもったいぶった言い回しと態度で明開を迎えた。

 ここは城とは別となる私宅で、それほど大きくはないものの内装は凝っていて、彼の勢威がどれほどのも

のかが解る。人の往来も激しいようで、すぐに会うには会えたが、多少時間の調整を必要とした。食客のよ

うな者も多く、話によると私設軍まであるらしい。

 諸事派手好みである。

 この点、簡素を好む楓流とは大きく違う。彼を見慣れていただけに、法瑞にはこの光景が奇異に見えた。

 これでは重臣の不興を買うのも当然だ。解りやすい成り上がり。やはり二流の人というべきか。

 だが過不足無く役割をこなしている事を思えば、油断するのは禁物である。背後には子遂も居る。

「お会いいただき、心より感謝しております」

「はは、わしなどのようなものにそこまでされずとも。まあ、まあ、気を楽にして下され」

 法瑞の態度は口から発する言葉の十分の一も謙虚に見えない。

 出された食事も王侯貴族のそれであり、趣味の悪さを感じさせる。簡単に言えば、嫌味があるのだ。悪い

だけの人物ではなさそうだが、どうもやり過ぎる。もう少し全ての事を控えれば、品良く、人に与える印象

も変わってくるだろうに、残念な事だ。

 もし自分が副官として就いていれば。或いはもう少しできた人間が一人でも付いていれば、この男ももう

少し名を残す人物になっていたのかもしれない。

「さて、この度はどんな御用ですかな」

「はい。折角ここまできたものですから、一言ご挨拶申し上げたいと思いましてね。何分、私も全てが初め

ての事でございまして、よろしければお知恵をお借りできれば、とそう考えた次第です」

「ほほう、これはこれは貴方ともあろうお方が、ご謙遜を」

 などとゆっくり時間をかけて話し合い、周囲にも気を配っていたが、収穫はなさそうだ。法瑞の人となり

は大体把握できたものの、肝心の仲介者が解らない。警戒してどこかに隠れているのだろうか。

 いや、わざわざ明開自身が出向いてきたのだ。必ず側で見ているはず。

「考えたものだ。いや、それほど珍しい手でもないか。しかし、なかなか堂に入ったものよ」

 違和感なく側に居られるとすれば給仕以外に考えられない。酌(しゃく)をし、皿を運び、一切の事をし

ながら彼らは常に法瑞、明開の側に居る。

 確かに悪くない位置だ。

 食事が豪勢な分(こうなると気づかれにくくする為にわざとそうしている可能性もある)、多くの人間を

必要とし、それらが入れ替わり立ち替わりやってきては去っていく。伏し目がちに顔を下げているので特定

する事も難しい。

 だが今回のように話を聞き、場合によっては支持を出さなければならないのなら、ただの給仕では役不足。

この場所で明開以外に常に法瑞の側に居られるのは、給仕達に指示する給仕長だけだ。

 明開は確信し、酔ったふりをして(実際に酔ってもいたが)、これ以上飲めない事を身振りで伝えながら

給仕長の顔を見た。

 まだ若い。桐洵と同年代くらいか。いや、もう少しいっている。すぐに頭を下げたのではっきりと見えな

かったが、なかなか目付きの鋭い男であるように見えた。側には補佐役だろう同じくらいの年齢の女が付き、

てきぱきと動いている。その陰に居れば、なるほど目立たない。

 当たり前のようにさらされていると、かえってその存在を隠してしまう。男の目が鋭すぎる、つまり目立

ち過ぎる点が気になるが、他にそれらしき人物は居ない。おそらくこの男だろう。

 何とか特定できた。用は済んだ訳だが、すぐに去るのは不自然だ。法瑞の腹の底を確かめるつもりでその

後一晩ゆっくり語らい。そのままの流れで宿泊した。多少不安はあったが、彼らの真意がどこにあれ、今明

開を殺す意味は無い。開き直って堂々と過ごした。



 仲介者の名は堅呟(ケンゲン)。給仕長というより、もっと全般的な世話係と言った方が合っている。法

瑞は外出が少なく、自然と共に居る時間が長くなるようだ。

 出自はよく解らない。法瑞と同郷だとか、縁戚に当たるとか、様々に噂されているだけだ。

 どうもはっきりしないので、五人組の中から潜入工作の得意な狼を送り込む事にした。実際に会って話せ

ば話し方や発音から特定できるかもしれない。気を付けていても、そういうのはどこかに出るものだ。

 狼は下働きとして採用された。上り坂の人間には様々な人間が近づいてくる。人手も多く必要。身元を証

明する人間が居れば、入り込ませるのは難しくない。

 彼によって堅呟が様々に便宜を図る窓口のような存在になっている事が解った(勿論、対価は必要だ)。

法瑞に対して少なくない影響力を持っている事は知られているらしく、金さえ払えば助けてくれるので商人

などが格好の取引相手となっているようだ。

 梁は中央と南方を繋ぐ交通の要衝。扶夏王との戦でも護りの要地となったように、小国ながら影響力は大

きい。特に商業的な意味で強く、法瑞の屋敷には運輸商などもよく訪れている。

 元々地元との繋がりが強い男だったが、ここ王都においてもしっかりと根を張っているらしい。最近は商

業を重視している事もあって、商人達の中での評判は良好だ。もっとも、その他の評判はすこぶる悪く。梁

政府と権力争いを繰り広げ、軍を盛んに動かした事にも非難の目が注がれている。

 だが彼の商業政策によって国庫が潤い、国全体が活気付いている事もまた事実。評価する人間も少なくない。

 そしてその間にあって小利を貪っているのが堅呟という訳か。まことに子遂らしい繋がりである。

 大体は掴めた。

 次に考えるべきは子遂が何を望み、どう動こうとしているかだ。

 狙いが梁だけとは思えない。彼は天水に睨まれている限り、翼をもがれた鳥である。その状況を打破する

為には、梁一国では足りないだろう。低く見積もっても中諸国全土に堅呟のような者を送っていると考えら

れる。

 大陸全体が緊張している今、子遂には何よりの好機なのだ。今こそ全ての策を実行に移す時。

 とはいえ、堅呟を見ても解るように、仲介者が子遂に絶対の忠誠を誓っている訳ではない。

 その上子遂は自分の屋敷から出られない。各地に送った手駒が独立してしまう事は大いに考えられる。各

々独自に利を得る仕組みを作る事に終始し、子遂の命令など半ば無視しているのではないか。

 法瑞の動きも子遂ではなく堅呟の意なのかもしれない。

 もっと言えば、子遂と争っている状態にあるとも考えられる。

 忠誠ではなく利による繋がり。それが子遂の最も大きな弱点であり、そこを突く事で無力化させる事がで

きた。今回もそうできるのではないか。

 となれば、堅呟の意志がどこに向かっているのかも調べる必要がある。

 法瑞にも注意が必要だ。自覚のない人形は時に予測しようのない事をしでかす。

 明開は深く探るべく、震と翔の兄弟を狼の下に付けた。要点が解ればそこに集中するのが彼のやり方である。

手を広げるのではなく、儲かると思った一点に力を注ぐのだ。




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