20-8.梁


 何をするにせよ、まずは知る事からだ。この場合は敵情視察がそれに当たる。

 明開は顔に傷があり、目立つ。間者めいた事は向かない。そこで無理を言って諜報団の中から有能な者を五

名借り受けた。

 この事からも解るように楓流には目的を告げてある。が、全てを知らせている訳ではない。それはいざとな

った時、全てを明開の独断で行った事とする為だ。

 明開は特権を得る代償を心得ている。

 間者五名の名は、雹(ヒョウ)、狼(ロウ)、臥(ガ)、震(シン)、翔(ショウ)という。

 雹が年長者で、五人組の長を務める。狼は潜入工作が得意。臥は実行するよりも作戦を練る事に長け。震と

翔は兄弟、どちらも若く身体能力が総じて高い。震が兄、翔が弟だ。

 彼らの上下関係ははっきりしていて、名を並べた順になっている(雹が筆頭で、翔が末席)。

 間者が共同で作戦行動する場合にはこのように上下の別をはっきり付けられる。そうしないと作戦行動に支

障が出るからだ。

 この事は紫雲世が最も気を配っている所で、訓練を始めた段階からじっくりと叩き込まれる。生まれも育ち

も違う者達を支障なく動かすには、厳格な法が必要なのだろう。

 その点は軍隊と同じ。いや、情報を握っている分、彼らの方がより重いかもしれない。鉄以上の鋼鉄の教え

によって彼らは縛られ、結び付けられている。それに不満を持つような者は始めの段階で外される。

 しかし任務外では上下の別はゆるく、気楽なものであったとか。そこは紫雲世の気風だろう。

 任務中の上下の別が絶対という事は、明開の命にも絶対という事である。楓の利にそむかぬ限り、無用に命

を危険にさらす事でない限り、拒否できない。長である雹でもだ。

 疑問を問うたり、意見する事は許されているが、それ以上の事は許されない。基本的に手足となる事を望ま

れる。

 それでも明開は細々と気にかけてやったようだ。無理を言わず、その意見をよく聞いた。楓流に倣(なら)

ったのだろう。そうなれば間者も人の子、それに応えたいという気持ちが生まれる。

 勿論、明開はそれを計算してやっている。別に悪い意味で言っているのではなく、それが彼のやり方、つま

りは商人という訳だ。

 明開が純粋に楓の為と考えている事も上手く働いた。間者達は楓に絶対的な忠誠を誓っている。刷り込みに

も似た教育でそうされる。だからどうしても親楓的な相手には気を許しやすくなる。彼らも機械ではないのだ。

 この五人組には梁、布の情報収集を主にさせた。

 どちらも今の所大きな動きはない。落ち着いているというより、発火点がないと言うべきか。不満や不安は

いつでも渦巻いているが、爆発させるには火が足りない。それも一つの抑制法だろう。

 梁は相変わらず法瑞の力が強く、王を含む政府は飾り物。何をするにも法瑞の認可がなければならない。軍

を迅速に動かせた事からも解るように、しっかりと権力と武力を掌握している。

 その点は凱聯より優秀か。結局楓への窓口となれるのは彼だけなのだからどうにでもできる。

 一時期緊張の高まった狄国との関係も改善され、今では一応の友好関係にある。さすがに布の一件はやり過

ぎたと考えたか。他国との関係改善に力を尽くすようになり、その成果も出ている。

 勿論、布は例外だ。この国は絶対に法瑞を許すまい(今では国ではなく、将軍領とでも言うべきものになっ

ているが)。元王にして現天布将軍である、布崔(フサイ)は法瑞を絶対的に敵視している。そしてその意に

国民のほとんどが同調しているようだ。

 楓に対する失望の念も強い。王という地位を失ったとはいえ、新たに与えられた天布将軍という地位は実質、

王に相当する。という言い分も楓側の意見であって、これまで散々楓の為に働いてきた布国に対し、結局は国

を廃する処置をとった事に変わりない。

 確かに申し出たのは布からだが、望んで行った訳ではない。手を拱(こまぬ)いて見ていれば梁軍に攻めら

れていただろうし、楓もそれを望んでいたのではないか。本当に法瑞の独断であったかと疑問視する声は後を

絶たない。

 直属の上官(名義上は同格となっているが)となる天水の桐洵と伊推(イスイ)が上手くなだめてくれてい

るのか、深刻なものではなくなってきているようだが。法瑞に対する怨嗟(えんさ)の声は日々強まる一方で、

どうする事もできない状況だ。

 怒りというものはその矛先を変える事ができたとしても、完全に消す事はできないのかもしれない。

 とすれば法瑞を人身御供(ひとみごくう)にして全ての罪を着せれば、丸く治まるのか。

 布国とその民の不満は一人法瑞に向けられている。楓にとって何とも都合のいい話だ。楓の陰謀説を囁(さ

さや)く声が消えない事も頷ける。

 だがおかげで戦略は決まった。即ち、法瑞に全てを押し付け、自滅させる。

 法瑞を陥れたという汚名を着せる身代わりも必要か。

 今は地固めの時期。他国を刺激する事は慎まなければならない。楓流は常に情け深く義理堅いが、楓も大き

くなりその意が細部まで行き届かなくなっている。

 楓が変わりつつあるのではないか、という不安が消えては立ち、消えては立ちしているのもその現れだ。法

瑞を野放しにしている事で、その想いは更に強まっているはずだ。

 しかし法瑞を厳罰に処すれば、それはそれで大事になる。何しろ彼は表面的に見れば功労者である。それを

罰せば、功ある者を王の気分で処罰した事になる。賞と罰が公正だからこそ、人はその王に従う。賞罰を気分

で決めるような者には誰も付いてこない。

 法瑞の好きにさせた(結果としてそうなったのだとしても)時点で、取り返しの付かない事態になっていた

のだ。

 結局楓を利するのであれば、楓流が無関係であるとは誰もおもわない。事を起こすなら、法瑞の個人的な勢

力争いであると見せかける必要がある。

 幸い、法瑞は悪い意味で目立つ。上手くすれば何とかなるだろう。

 勢力争いなら最も使いやすいのは梁政府か。実際、梁政府は白夫妻を頼り、法瑞に代わるべく工作を続けて

いる。白夫妻は心得ているので直接的な事は何も述べず、なだめる事に終始しているが、法瑞の耳にもとうに

入っているはずだ。

 法瑞の背後に子遂の影がある事もこの場合は都合よく使えるかもしれない。梁政府と法瑞とで楓と子遂の代

理戦争のような形に持っていけば、それはそれで無理のない争いになるし。その結果法瑞が退いても、楓の印

象は悪くならない。

 子遂は楓の絶対敵という意識は世間に深く浸透しているからだ。楓が利したのではなく、この戦いに一つの

決着が付いたと人は解釈するだろう。そこに陰湿な策謀という影は無い。

 全ては捉え方の違い、気分の違いでしかなくとも、それは大きな事である。意識のすり替えという手段は悪

くない。

 良くも悪くも人は自分の頭の中だけで判断しているという事か。本当はどうかなど、問題ではないのかもし

れない。

 明開は五人組の調査範囲を広げさせた。五人で中諸国全土を賄(まかな)うのは不可能だが、子遂を視野に

入れるのなら知っておかなければならない。しかし無理はできないので、自ら調査するのではなく、他の間者

が得た情報を集め、まとめて報告させる方向へ仕事を変えさせた。これなら少数でも何とかなるだろう。

 そうした上で改めて狙いを絞る。全体を見回しつつ、要点を調べていけば、何が必要かは自ずと解ってくる

はずだ。

 白夫妻と連絡を取り合う事も忘れない。何をするにしても、彼らは強い味方となってくれるだろう。楓らし

く、共闘する。今はそれが明開の強みにもなっている。



 一月かけ、ようやく状況を把握(はあく)できた。

 誰が誰に対しどれくらい敵意を、或いは好意を抱いているのか。中諸国全体での位置付けはどうなっている

のか。そういった事を丹念に抜き出し、まとめている。

 梁政府の内部事情も調べが付いた。

 反法瑞の陣頭に立つのは当然梁王、ではない。一介の警備隊長でしかなかった法瑞が我が物顔で国を牛耳っ

ている事には苛立ちを覚えるが、彼には王位という安心材料がある。誰の権勢が増そうと、結局権力は王の下

に返ってくると信じている。

 そしてそれは事実だろう。

 反法瑞を掲げているのは、彼に権力を奪われる形になった高官重臣達である。

 彼らは臣下でありながら独自の権威を持ち、動いてきた。派閥もあり、権力争いもし、その仲は決して良く

ない。しかし彼らは皆名門と呼ばれる貴族階級で、それぞれ濃い婚姻関係にある。誰が権力を握ろうとそこか

ら完全に外れる事はなく。そうする事で彼らは自分達の立場を護ってきた。名門貴族という仕組みを作り上げ

たのはその為だ。

 だが現在、権力を握っている法瑞は貴族ではない。乱世でなければ、いや楓がここまで強大化しなければ、

王に会う事すらなく生涯を終えていただろう男だ。当然、貴族達との関係は希薄で、法瑞からしてみれば邪魔

でしかない。

 このままでは貴族全員が権力の輪から外されてしまうだろう。

 共通した恐怖と危機感が、貴族達を強く結び付け、突き動かしている。

 王は担がれているに過ぎない。それも絶対的ではなく、どちらにも深入りしないようにしている。貴族と法

瑞が共倒れになってくれればと願ってさえいるかもしれない。

 この事は明開にとって都合がいい。王を上手く使えば、どういう形にも持っていける。

 だが法瑞も馬鹿ではない。相応に悪知恵を身に付けてもいる。いざとなれば楓を離れ、秦を頼ろうとするだ

ろうし。素直に楓流を頼られても、それはそれで困る事になる。

 楓流も頼られれば無下に断る訳にいかず、彼が出てきて梁内が治まらないとなれば、大いに面目を失う。よ

って、明開は手を引かざるを得ない。

 それでも事を進めるのであれば、法瑞との私闘という形に持っていくしかなくなる。それは明開が表に出な

ければならなくなるという事で、あまり望ましいものではない。

 楓流もあくまでも内密に終わる事を望んでいる。表舞台に立つとなればそれはそれでやりようもあるが、な

るべくそれは控えたい所だ。

 まあ、いよいよとなれば、自分が全てを被って死ねばいい。

 楓流は必ずしも清廉な人ではない。明開に参謀という重い地位を与えたのも、いざという時に罪を被りやす

くする為という面が少なからずある。

 昔は清らかだけであった心も今は薄れ、或いは変質し、また或いはそこにもっと強いものが覆い被さり、純

粋なものではいられなくなっている。

 人の上に立つとはそういう事だ。

 それでも人の良さというのか、信頼するに足る男だと思わせられるのはさすがだが。それも生来のものと考

えるより、後天的に自得したものと考える方が合っているのだろう。

 正直な所、明開は楓流が怖ろしい。趙深も怖い男だが、それ以上に怖ろしい。楓流を前にすると神威にも似

た恐怖を感じる事がある。あの凱聯が屈するはずだ。他の者には無い何かがある。人間離れした何かが。

「だが、敬愛するに足る人である事には変わりない。あの方が神ならば、尚更よ」

 明開は後悔していない。楓流がまさに天命の子であるとすれば、それこそ望む所。その意に沿っている限り、

悪として歴史に残らずに済む。

「犠牲になるも、天命と諦めが付く。このわしが、面白い事を考えるようになったものよ」

 迷いは無い。

 恐怖以上の高揚を感じる。



 法瑞は焦っている。

 ようやく報われたはずの人生が、ただ一人の男に潰されようとしている。

 布の一件が理由だろうか。確かに少しやりすぎたかもしれない。

 しかしそのおかげで布を併呑でき、あの子遂も降伏した。趙深にも匹敵(ひってき)する功である。

 それなのに自分は多くを望まず、この梁の統治、それも王ではなく宰相格の立場で満足している。誉められ

こそすれ、文句を言われる筋合いは無い。

 法瑞は自分を謙虚な男だと信じている。確かに無欲とは言わないが、自分より欲望、野望の強い者はいくら

でもいる。同じ立場に居れば、もっと欲を出した人間の方が多いはずだ。一度や二度やり過ぎた程度で人から

そしられるような人生は送っていない。

 努力もした。宮廷というものを学び、そこで立つ術を自得した。楓の足を引っ張るだけの梁政府を押さえ、

梁を問題なく治めていられうのは、ひとえに自分のおかげではないか。

「それでも、いやだからこそ妬まれるのが人の世、という訳か」

 法瑞も若くない。人並みにの経験はし、苦渋を味わってきた。

「そう簡単にいくと思うなよ。わしは確かに趙深殿には及ばぬ。だが、子遂でさえ降したのだ。楓流様がてこ

ずっておられた子遂をな。天水の者達など役に立たぬ。楓には、この地には、わしこそが必要なのである。そ

れをちょっと取り立てられたからと言って勘違いしおって。白夫妻も夫妻だ。あんな厄介者一人抑えられぬと

は・・・・、他人の評価など当てにならぬものよ」

 法瑞は手に入れた地位と力に酔っていたのだろう。自分が正しいと思うから強引な事もでき、迷いも無い。

それは必ずしも悪い事ではないが、今の楓にとっては厄介でしかなかった。

 彼のような生涯を送った者が大抵そうであるように、自分を見失い、借り物の力を自らの力と錯覚している。

以前はあった謙虚な心を卑屈という言葉に言い換え、捨て去ってしまった。おそらくその時から彼の人生は(楓

にとって)狂い始めていたのだろう。

 いや、正常に戻ったと言い換えるべきか。その器でなかった事は誰もが知る所。法瑞という人間が今の地位

に居られるのは、時勢が味方したからである。つまりは運だ。

 子遂に対し冷静に振舞えているように見えたのも、ただの見栄に過ぎなかった。楓流や趙深の真似をしただ

けである。そこに彼自身の考えというものがあったかさえ疑問だ。

 それを証明するように、彼は子遂から送られてきた言葉をおうむ返しに天水へ伝え、楓に意見していた。ま

るで自分が考えた事であるかのように。

 その言葉が楓の姿勢に少なくない影響を与えた事から、子遂がいかに楓の事を理解していたかを物語ってい

る。法瑞の行動も当然計算に入れていただろう。

 明開という邪魔が入った事も法瑞を通して知り、その背後に楓流が居る事も理解していたはずだ。

 つまり、事はいつの間にか明開対子遂という様相を呈(てい)していたのである。事態が予想を超えて混乱

を深める事は初めから決まっていたのだ。



 法瑞は初め明開の望むように動いていた。梁政府(貴族)も明開に服して言うがままの状態になり、二勢力

は順調に対立を深めた。

 梁政府には元より戦略のようなものは無かった。ただ明開憎しの情で動いていただけである。そこに頭脳と

なる者が現れ、しかもそれが楓に連なる者なのだから飛び付くも道理である。

 梁重臣が法瑞に遠慮していたのは、背後に楓の意志があると考えていたからだ。梁という小国が楓に逆らえ

るはずがない。自立する事もとうに諦めていた。重臣達にあったのは、梁の名を残しその中で利権を貪(むさ

ぼ)っていたい、程度の考えに過ぎない。

 しかし明開を得、法瑞の背後に必ずしも楓の意志がある訳ではない事が判明した。最早耐える必要は無い。

今こそ権力を自分達の下へ戻すのだ。

 彼らの行動は早かった。今までの鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように迅速に動いた。それが良策か、勝利

に結び付いているのか、という疑問はよそに、駆り立てる心のまま動いた。今こそ受けた屈辱を数倍にして返

してくれる。そのような何の利益にもならぬ、取るに足らない想いに従って、彼らは動いた。

 明開の予定通りに。

 しかしその内、法瑞の方に予想外の行動が目立つようになった。

 明開も法瑞の事は調べ尽くしている。諜報組織から必要ならいくらでも情報を得られるので、不足は無かっ

たはずだ。

 そしてそれらを踏まえ、相応しい策を用意した。なのに上手くいかない。まるで他の人間を相手にしている

かのようだ。

 この辺りで明開は察したと思われる。法瑞が何者かの人形でしかないと。

 梁王だけではない。面白い事に対立する法瑞も、形は違うが、また人形なのであった。これが他人事であれ

ば笑い飛ばす所だが、残念な事にそうではない。五人組に命じ、最優先に調べさせた。

 初めは解らなかった。法瑞には謀臣と呼べるような者がおらず。下に居るのは以前からの馴染みか、追従す

るだけの三流の人材。そんな者達にこんな事ができるとは思えない。

 しかし答えが出てみれば、それは明らかだった。そう、子遂以外に居る訳がない。

 明開は焦りが浮かぶのを感じた。早過ぎる。今争って勝利する自信はあまり無い。彼を相手にするのはもう

少し後だと思っていたのに、まさかもう法瑞を動かすまでになっていたとは。流石(さすが)楓を長年苦し

め続けてきただけはある。

 初めから計算する相手を間違えていたのだから、上手くいく訳がない。

 だが氷解した。これで辻褄(つじつま)がぴたりと合う。

 腹も括った。こうなった以上、自分一人で片付けられるとも考えていない。急ぎ、楓流、趙深、そして天水

に使者を送り、対策を練らなければ。

 良い機会だと考えよう。いずれ倒すべき相手なら、早い方がいい。今気付けて良かったと。

 何事も考えようである。

「相手にとって、不足はない。・・・・いざとなれば、全てを犠牲にしてでも・・・・、男、明開の覚悟、見

せてやろうぜ」

 明開は死兵となる。

 ここが彼の、戦場だ。




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