20-7.而してこれ天命を知る


 中央の人材で一人挙げるなら玄一族の玄信(ゲンシン)だろう。しかし例え彼の妹、玄瑛(ゲンエイ)と楓

流が深い関係にあり、妹を通じて楓へ招く事がある程度許されているとしても、玄一族の者がただ一国の為に

力を揮う訳にはいかない。

 秦の民情もそうだが、そもそも玄一族の理念がそれを許さない。

 この名は下げるしかあるまい。

 後はもう近衛しか思い浮かばない。しかし現状で彼女達には余りにも多くのものを求め過ぎている。元々近

衛は少数精鋭主義で数が少なく、仕事も楓流の秘書官でしかなかった。伝令の権限を拡大したものと捉えれば

いいだろうか。どちらにせよ、ここまでの事をさせるつもりはなかった。

 無理に数を増やしても、仕事を増やしても、近衛という組織は破綻してしまう。便利な存在だが、これ以上

負担を強いる事はできない。

 大事に育ててきた人材も全て使っている。白陸(ハクリク)、楊岱(ヨウタイ)、胡曰(ウエツ)、彼らも

今では楓の中核を成す人材となった。賦族や部族もそうなる可能性を秘めているが、まだ先の話である。今は

使えない。壬牙(ジンガ)、紫雲竜(シウンリュウ)といった者達も楓流の下に居て初めて要を成す。

 残念だが、それが実情だ。

 遊んでいるのは凱聯(ガイレン)だけか。

 こういう時、楓流はいつも胡虎(ウコ)を思い出す。凱聯の代わりに彼が生きてさえいれば、中央にこうも

不安を思わずに済んだものを。魏繞(ギジョウ)も頑張っているが、彼には荷が重い。胡虎がやるはずだった

事の半分しか背負えないだろう。

 こうなれば優先順位を変え、他に回している者を持ってくるか。それとも他国から引き抜くか。

 だが優先順位を変える事は難しい。この緊張状態の中で他国の将を引き抜くのも自殺行為だ。

 ここは即戦力の人材を得ようとするのではなく、育つまでの時間を稼ぐ事を考える方が現実的であろう。

 幸い、今は楓が優勢である。時間稼ぎをしたいのはむしろ秦の方だ。上手くやれば、良い条件で事を運べる

かもしれない。

 こちらから折れれば、向こうは当然値を吊り上げる。こちらがそれを望んでいるのではなく、向こうが望ん

でいるように持っていかなくてはならない。弱気に出れば付け込まれる。交渉とはそういうものだからだ。

 楓流は明開(ミョウカイ)を本国から呼び寄せた。知っての通り、彼は楓随一(ずいいち)の外交官であり、

今までも難しい交渉を一手に引き受けてきた。叩けば埃の出る男だが、楓流は深く信頼している。

 彼には常に各国の状況を細かに伝えていたし、交渉に役立つようなら何でも教えるよう諜報組織に命じてあ

る。楓流、趙深と同等の情報を持っていると言っていい。

 史上に名が出る事は少ないが、明開の立場は極めて重い。

 彼自身もそれを理解し、いつでも望む手が打てるよう労力を惜しまない。楓流旗下の外交官としては双王が

有名だが、双の名を使って実際に事を進めていたのも明開だ。こう言えば、その重みが解るだろう。

「さて、そういう事でしたら秦本国を相手取るのではなく、まず甘繁(カンハン)様を尋ねてはいかがか」

 甘繁とは秦の重臣であり、中央西部の楓と接する領地を任されている。楓流個人とも親交があり、玄一族と

交友できたのも彼の紹介による。その上、秦本国との仲は必ずしも良くはない。

 こう書くと簡単に取り込めるように思え、事実秦内ですらそう考えている者達がいるが、現実はそうではない。

 甘繁は気骨ある人物。友と戦う事になろうとも、躊躇(ちゅうちょ)せず責任を果たす。彼は数万、数十万

という人々の生活を背負っている。それを放り出して裏切るなどありえない。

 秦側に信用されていようといまいと関係ない。彼もまた信念に生きる人なのだ。

 まだ秦王を降らせる方が可能性は高いだろう。

「確かに、秦を相手取るに甘繁を避けては通れぬ。だが、何を話せと言うのだ。同情し、友誼を示してくれる

だろうが、彼は自分の誇りと責任を売るような真似は決してしない」

 明開もそのような事は心得ている。

「ええ、確かに。あの方に接触する事で、秦政府を揺さぶる事はできますが、それをしたところで大した効果

はありますまい」

「ならば、何が狙いか」

「甘繁様は覚悟しておられますが、楓と秦が相争い、友と敵対する事を望んでいる訳ではありません。であれ

ば、仲介する労はとって下さるはず。かの地は楓秦双方にとって格別重要な地。甘繁様の言は重く、秦王も簡

単に拒否する事はできますまい」

「なるほど。だが甘繁殿との関係は秦も知っている。ならば彼を動かしても、我が国が直接行うのと変わらな

いのではないか」

 明開は我が意を得たりとばかりに膝を叩く。

「そう、そこです。ですから、かのお方が自発的に動いたように見せる工夫が要ります。なあに、大仰な事を

せずとも、あの方が楓秦の争いを憂慮しておられる事もまた周知の事実。何かきっかけを作り、その上で時間

をかければ疑われる事はありますまい。もし疑われたとしても、突っぱねればいいのです」

「なるほど、ではその為にどうすべきだと思うか」

「ハッ、その点は私にお任せあれ」

 にやりと微笑む。珍しく交渉以外の事に乗り気である。何か妙案があるのだろうか、それとも元々こういう

役割を望んでいたのか。だとすれば、彼の力を見誤っていたのかもしれない。

「解った。明開、お前に任せる」

「ハハッ」

 明開は急ぎ集縁へと戻った。身軽さは出会った当初から変わらない。

 彼との付き合いも長くなった。臣下としての態度にも随分慣れたようだ。その姿が多少おかしかったが、彼

にはそういう愛嬌のようなものがある。それは交渉屋として、商人として、何よりの財産なのだろう。

 策について詳しい事は何も聞いていないが、気にはならない。言わないという事は知らない方が良いという

事で、いざとなれば彼個人が全ての罪を被るという意志表示でもある。

 もっとも、そんな意志がなくとも、楓流は一任していただろう。彼のやり方はいつもそうだ。信じられる者

にその一切を任す。失敗すれば助け、成功すれば褒美を惜しまない。そこにも楓がここまで大きく成長した理

由があると思える。国は人一人の手に余る。孫が滅び、楓が栄えた理由もここにある。

「であるなら、楓が孫に変わった時、楓もまた滅ぶという事か」

 かもしれない。しかしそれは、誰にも解らない。



 程なく、凱聯が命令無く秦領(勿論、甘繁の領地)に侵入したという報が入ってきた。

 急ぎ魏繞が止めに入ったが、凱聯は秦にたぶらかされたのだと喚き散らし、楓流は自分の事を信じてくれる

はずだ、の一点張りで、とても手に負えない状態であるという。そして悪い事に同調する者が現れ、集縁一帯

にて秦討つべしの声が高まっているらしい。

 その声は小さくない。本国の軍部における凱聯人気は侮れないものがある。

 捨て置けばなし崩しに開戦してしまうかもしれない。

 楓流は即座に本国と甘繁、そして秦に向けて使者を発し、暴動を抑えると共に弁解を述べた。

 秦は当然憤(いきどお)り、秦内もまた沸騰し始めていたが。甘繁の働きもあり、技術提供する事で何とか

治まった。

 しかし凱聯派は治まらない。結局秦が利を得ただけであるし、国境侵犯といってもほんの僅(わず)かの事。

中には仲介した甘繁の策謀と捉え、甘繁討つべしとの声まで挙がっているという。

 事態を重く見た楓流は自ら早馬に乗って集縁を目指したが、その途上で解決した旨を知らされた。面白い事

に凱聯自ら沈静化に奔走(ほんそう)したらしい。楓流が怒っている事を知って慌てふためき、名誉挽回する

べく励んだのだろう。

 一応、その点は褒めておいた。無論、それで今回の失態を帳消しにできる訳もないが。

 何しろこの一件で甘繁と楓との間に緊張感が生まれ、逆に甘繁と秦との間には連帯感が生まれてしまったの

だ。部下を抑えた程度で帳消しになる問題ではない。

 秦政府内にも甘繁に対する見方を変えた者は少なくないようだ。仲介役として楓流と親交のある彼以上の適

任は居ないし、いざという時は全責任を被せる事もできる。よくよく考えてみれば、こんな便利な存在はいない。

 不安はあるが、役には立つ。

 そこに甘繁から、自分が仲介する形で楓と新たに不戦同盟を結んではどうか、という進言があった。

 秦政府は迷っているようだが、答えは決まっている。

 多少強引で危険ではあったが、上手くいった。

 凱聯にも良い薬になったし、渡した技術も楓から見れば大したものではない。

 明開の策は当たった。

 楓流は明開の評価をはっきりと変えた。交渉役以外でも任せるに足る人材であると。

 そして同時に疑問を抱く。自分は人というものを勝手に小さな枠の中へ押し込めてしまっていたのではない

か、と。

 魏繞が考えていた以上の人材になったように、きっかけさえあれば、与えれば、誰でも大きく化けるのでは

ないか。

 そう都合よくはいかないだろうが、もう少し可能性というものを考えても良いのかもしれない。

 結局楓流はいつも同じ人間に期待し、他の者を見ようとはしなかった。客観的に見ているつもりだったが、

それはつもりでしかなかったのだ。

「全てを見る事は不可能でも、もう少し広げるべきかもしれない」

 とはいえ、簡単に広げられるようなものではない。ここでも人を頼る必要がある。まずは信頼する者に相応

しいと思う者を推挙させよう。そして推挙された者も同じように誰かを推挙する。そうしていけば、自然と視

界も広がる。

 だが推挙された者が皆有能であるとは思えない。個人の情など余計なものが入ったりもするだろう。今まで

以上にしっかりと見極めなければならない。

 内部監査組織をもっと大きくする必要がある。これは引き続き明慎(ミョウシン)に任せよう。勿論、秘密裏に。



 明開の一件は人材の更なる発掘という副産物を生んだ。

 無論、すぐに効果が出るようなものではないが、人材が増える事は確かだ。その中には明開のように即戦力

となる者も居るだろう。

 とはいえ、中央を一任できるような人物が都合よく見付かる訳が無い。居たとしても見定めるまでには多く

の時間がかかる。間に合うかどうか。

 悩んでいると、ふと一人の賦族の名が思い浮かんだ。

 紫雲世(シウンセイ)である。

 彼は以前、氏備世(シビセイ)と名乗っていたが、息子である紫雲竜の改名に伴い、自らもその姓を冠した。

賦族と楓を繋ぐ者として、その覚悟を示したと思われる。

 賦族にしては珍しく楓流が関わる前から能動的で気骨があり、楓流もその人柄を愛し、今では諜報組織の人

材育成も任せ、腹心の一人となっている。諸事頼れる男である。

 彼の胆力なら一軍を率いるに問題はなく、その勇猛さが魏繞を助け、補ってくれるだろう。諜報団も形が整

い、軌道に乗っているようであるし、彼がいなくとも運営できるはずだ。鋲(ビョウ)、審(シン)、合(ゴ

ウ)といった者達の他にも頭角を現す者は居るし、後事を任せられるだろう。

 楓流はまず趙深にその旨、打診した。紫雲世が居る衛の一切を取り仕切っているのは趙深だ。彼の、衛の都

合も考えなければならない。勿論、紫雲世と共に仕事をする呂示醒(リョジセイ)の意見も無視できない。

 南方に部族軍という賦族兵の受け皿を作ってからは衛にも良い影響を与えているようだが、それが為に武に

自信があり、意欲のある者は南方へ行く、という形ができてしまった。

 この当時の賦族は碧嶺後の姿が嘘のように積極性を欠き、長い差別で卑屈になり、希望というものを失って

いる。楓の影響で少しずつ変わってはいるが、その中の変わっている者の多くが南方へ行ったのだから、衛内

には当然影響が大きい。

 代わりに南方が充実したのだから良いではないか、と言うとこれがそうでもない。未だ部族軍であって賦族

軍ではなく、こちらもまだまだ色んなものが足りないのだ。

 楓流であれ、趙深であれ、踏まなければならない段階は踏まなければならない。

 ともあれ、これで当てができた。

 紫雲世が現実にどこまでできるか解らないし、中央で腕を揮うには魏繞達と仲を深め、兵の信頼を得る必要

がある。

 しかしどちらも時間が解決してくれるだろう。

 そういう意味でも明開の策は有用であった。秦との不戦同盟は順調に進んでいる。やはり甘繁と秦政府の仲

が改善した事は大きい。

 不安要素である凱聯も尚の事大人しくなった。彼に策の内容は知らされていない。だからこそ上手くいった。

明開の策の肝はそこにあったと言ってもいい。

 凱聯が独自の兵団を持っている事も幸いした。誰の命令でもなく、単独の暴走と位置付けられる。彼のどう

しようもない性質もこういう場合には役に立つ。秦が割合簡単に納得した理由には、まだ開戦したくないとい

う事情もあるが、おそらく凱聯自身の人間性を考慮して、という点が最も大きい。

 上手く逆用したものだ。

 楓流にはこのような策は立てられなかったろうし、立てても実行できなかったろう。いざとなれば全て自分

の責任と死ねる明開だからこそできた策だ。

 勿論、凱聯には怒りの言葉と共に謹慎を命じ、彼の部下にも相応の罰を与えている。兵から不満が出るだろ

うが、そこは凱聯に抑えさせる。

 凱聯の部下は彼によく懐いている。その点が軍部から外せない理由だが、だからこそこういう使い方もでき

る。これも明開から学んだ事だ。

 凱聯の部下には領地が集縁のみであった頃からの古参兵が多く、戦力、発言力、影響力、どれをとっても小

さくない。

 その上、彼らには自分達が楓をここまで大きくした、という自負がある。それが時に厄介になるが、彼らの

力で楓が大きくなった事もまた事実。それに長く共に過ごしてきた事からくる情もある。あまり厳しい事を言

いたくない。今までの労に報いてやりたいとも思う。

 彼らが頑(かたく)なな事も楓流に原因がある。彼らは自分達がやってきた事、集縁兵という存在を忘れら

れ、楓兵として一括りにされるのを恐れていたのではないか。衛に行けば衛を、南方に行けば部族を、思えば

いつも楓流は新しく入った者を頼りにしてきた。

 集縁兵を忘れていた訳ではないだろうが、日増しに影が薄くなっている事は確かで、その事は彼ら自身がよ

うく解っている。その不安を打ち消す為には、集縁兵という一種の特別階級を生み出し、守り続けるしかない。

凱聯に子供のように付き従っているのも、もしかしたらそこに理由があるのではないか。彼だけが変わってい

ないが故に。

 そんな自分に凱聯だけを悪く言う資格があるのだろうか。

 珍しく楓流はそんな事を思った。

 ともかくこれで凱聯軍は大人しくしているしかなくなった。明開の策である事に気付いた様子も無い。

 さすがは元商人といった所か。その働きには充分に報いてやるべきである。今後も楓流がやり難い類のもの

をやってもらう事はあるだろう。

 その為にも相応の地位、役職が必要だ。

 結果、明開には外交官と参謀を兼任させる事にした。

 参謀とは文字通り謀(はかりごと)に交じる、という意味で策謀家を指す言葉だが、当事はもっと広く内政

や人事に渡って王に進言する事が許される役職であった。以前趙深が就いていた、というより彼の為に用意さ

れた役であり、その役に就くという事は地位以上の意味も持つ。

 とはいえ、明開に与えられたものは権限を狭められ、発言を許されるのは戦略、政略に限る。軍事顧問とで

も言うのが良いか。

 だが発言を許されるだけでも大きな事だ。

 明開もこれを喜び、名誉と感じたようである。

 評価されてもせいぜい裏方止まりで、このような正規の地位を与えられる事はないと考えていた。

 そしてそれでも良かった。王の側に居る事さえできれば、王が健在である限り失脚させられる事はなく、様

々な手を打っておける。

 しかし楓流は期待していた以上のものを与えてくれた。策略家として大陸随一といえる趙深が就いていた役

に、例え権限を縮小されたものであれ、就けた事は名誉以外の何物でもない。明開も趙深の名がどれほど大き

なものであるか知っている。

 趙深が治める衛という国は独立するに充分な力を持っている。その気があれば第三勢力として楓秦の間に立

ち、天下を三分できただろう。

 そんな男と肩を並べられたような気がして嬉しくある。

 だが明開はそれに自惚れるような男ではない。喜びの中にこそ絶望の種がある事を知っている。参謀の役も

楓流の温情ではなく、与えられた試練と解する方が自然だ。

 彼は改めて覚悟させられたはずだ。これからは、少なくとも秦を滅亡させるまでは、身を粉にして働く必要

がある。臣下として有用である事を示し続けなければ、その地位に相応しい力を見せ続けなければ、簡単に降

ろされてしまうだろう。

 だが悔いは無い。望む所である。

 若い滾(たぎ)るような野望は呉という国に捨ててきた。だが老いたからこそ抱く野望もある。根から染み

出るような、永遠を乞う野望。死しても残る何かを置いて逝きたい。

 明開の変化の理由はそこにあるのかもしれない。



 明開は早速中諸国へ派遣された。外交官と参謀を兼任する彼には、中諸国のように臨機応変さが必要な不穏

な地が適している。

 白夫妻が各国に居る楓属の臣の間を取り持つ表の役割とすれば、明開は裏の役割をこなす。

 そうして表裏一体繋がる事で中諸国内は更に安定するだろう。

 明開は精力的に働き、次第に中諸国内で重きを成すようになった。

 人間も商品と同じ、適時適量流し続ける事が重要で、天秤が少しでも狂えばすぐに暴落、高騰す。必要以上

に仕事をすれば煙たがられ、足りなければ叱責を食らう。過ぎても足りなくても駄目だ。

 油断せず、楓流に自分の能力を常に高く見積もってもらわなければ。人材不足で代わりがいないからこそ、

誰よりも働かなければならない。好機に胡坐(あぐら)をかけば自滅を招く。

 白夫妻との仲も深めた。商いなら競争相手と見るべきだが、同国の臣として見れば協力し合うのが賢明であ

る。いつの時代も王が最も嫌うのが内訌だ。

 それに何も自分だけが手柄を立てる必要は無い。他人の手であれ、楓という国の為になるのであれば、それ

は最終的に自分にも利益として返ってくる。つまり投資である。

 楓流はそういった裏方の功も認めてくれる。いや、むしろそういう地味な役割をこそ評価しているように見

える。明開はその下で楓流という人間を学んできた。今こそそれを活かす時だ。

 白夫妻は明開ほど各国の情報に詳しくないが、中諸国内に限って言えば誰よりも情報を得ていたし、知己も

多い。何より、彼らの与えてくれる情報は誰よりも速かった。現地に居る者から直接話を聞ける点は何よりも

大きい。

 そこに策略家としての明開の知恵が加わる。これは白夫妻にとっても利のある事だ。二人は気質としてその

手の策謀が苦手であるが故に。

 この地に頭脳が三つある事も楓流を安心させる。一人の独断より三人の同意の方が望ましいに決まっている。

 その上、明開が居れば白夫妻の時間的負担も減る。時間ができれば一つの事により多くの時間を割ける訳で、

全ての仕事に良い働きをもたらす。

 まさに万々歳という訳だ。

 そして明開はこの期を利用してもう一つ大きな仕事をしておこうと考えている。

 失敗するかもしれないが、もしそれができれば彼の地位と名声は確固としたものになるだろう。焦っている

訳ではないが、それは魅力的な賭けだった。



 明開の目的は中諸国の不安材料を失くす事にある。

 完全に消す事は無理でも、一つでも多く潰しておきたい。

 まず目に付くのは子遂だが、側で桐洵(トウジュン)と伊推(イスイ)が睨(にら)んでいるし、その勢力

は大分削られている。今の所大きな心配は無いだろう。

 次に目がいくのは狄(テキ)か。こちらもこれといって事件は起きていない。それなりに不安だが、相応に

は治まっている。手を出すのはかえって危険だ。

 蜀には蔡円(サイエン)が居るし、朱榛(シュシン)の一件で懲りてもいるはず。これ以上釘を刺す必要は

ないだろう。

 となると残るは梁(リョウ)と布。頭に浮かぶのは勿論法瑞の名である。彼は勝手に軍を起こし、結果的に

布への支配力を強める事になったものの、大乱を引き起こすきっかけとなる所だった。

 言わば小凱聯で、こういう輩には余裕のある内に手を打っておくに限る。

 しかし法瑞は一応功を得ている訳で、その行為をあまり強く非難できなくなっている。布の件で満足したの

か大人しくしているようであるし、難癖を付けた所で良い効果は見込めないだろう。

 だからこそ解決できれば大きな手柄となり、桐洵、蔡円らにも恩を売れる。味方は多いに越した事は無い。

何より、娘である桐洵への想いもある。

「ま、時間は稼いだ。じっくりやらせてもらうぜ」

 焦る必要は無い。いつも通り冷静かつ確実に。商人の頃と何も変わっていない。いや、商人を辞め、楓臣と

なってからの方がより商人らしくできるようになった。呉商人時代は羽振りこそ良かったものの、窮屈に過ご

していたように思う。

 強力な競争相手、歳を経る度に増えるしがらみ。そんなものにいつの間にか雁字搦(がんじがら)めにされ

ていた。

 それが今はどうだ。一国を動かすどころか、天下の仕事をしようとしている。男としてこれ以上の事は望め

まい。

「うまくやれば、見直してくれるだろか」

 今になって自分が親であり、人である事を知るとは、なんと皮肉な事か。

 しかしそれも不思議と悪い気分ではなかった。

 本当に自分の為に生きているような気がする。




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