20-4.威婚同盟


 楓流は蜀へ誰を嫁がせるか決めかねている。さすがに胡曰(ウエツ)に一任する訳にはいかない。ある程度

の候補は出させるとしても、最終判断は王である彼自身が行う必要がある。

 趙深にも相談しているが、この三者の距離がかなり離れているからなかなか進まない。そうこうしている内

に一月、二月が経とうとしていた。

 趙深の次子と妻はすでに蜀へと移っている。当然精兵が付けられ、趙深の部下も一国を運営できる程度は付

けている。新政府がそっくり衛からやってきたと言っても過言ではない。

 蜀政府も健在だから、そこまで簡単な話ではないが。大多数の者はそう捉えている。しかしこれも有能な

部下を得られたと考えれば、利点の方が多くなる。

 何しろ人心は蜀王から離れつつある。信用できぬ家臣より有能な客人、という事はあるかもしれない。

 しかしこうなると宙に浮くのが護国衆だ。

 護国衆とは蜀王が信頼できる臣を得るべく、蜀礼の縁者から創った集団であるが。王の方針が代わり、彼ら

は捨て置かれる形になってしまった。

 実質的な長である蜀選(ショクセン)が必死に嘆願しているようだが、王は知らん顔。最早用済みという事

だろう。

 そこで楓が拾ってやる事にした。誰からも必要とされないものはただ同然で得られる上、恩まで感じさせる

事ができる。

 護国衆が冠す蜀礼の名は小さくない。存続させておけば使える時も来るだろう。双に紀(キ)国を残したの

と同様、楔(くさび)として打ち付けておくのだ。

 楓流はその仕事を趙深の妻、趙緋(チョウヒ)に任せた。彼女は行動的で芯のある、女傑と呼ぶに相応し

い人物。きっと期待に応えてくれるだろう。

 趙緋は早速蜀王に乞い、護国衆を直属の部下としてもらったようだ。蜀礼との縁故を理由にしているから、

不自然な事ではない。むしろ不遇な立場に居る彼らを憐れんで、という見方をする者が多く、兵や民からの情

が集まっている。

 どうやら楓流は蜀后選びに専念できそうだ。



 現在、近衛で名が知れているのは胡曰と桐洵(ドウジュン)の二人だろう。しかし胡曰は近衛の要として欠

く事はできず、桐洵にも中諸国を押さえる重要な仕事がある。

 いっそ桐洵を・・・、という考えが浮かばないでもなかったのだが。彼女の名声を利用できないのは痛い。

名声とは貴重かつ有用なものだ。それに他に天水(テンスイ)を任せられるような人材が居ない。

 この二人を外すのは無理だ。

 となると誰が居るだろう。一国の后となるのだから有能なのは勿論の事、楓流の手がついてない事が望まし

いか。

 蜀王は全てを明け渡す覚悟で申し出ているのだから、楓側も無情な態度は慎むべきである。

 そうして胡曰、楓流の二人で(結局、趙深は助言を与える程度だったらしい)、何とか蔡円(サイエン)と

いう者を選び出した。

 戦で婚約者を失い(口約束だったらしいが、彼女は強く信じていた)、絶望の中から一念発起して近衛に入

隊した、という女性で。子供の頃から評判の才女であったらしく、誰の目にも留まると言える程の美貌ではな

いが、楚々とした印象で、一度でも話す機会があれば必ず好意を持たれたという。

 詩文や楽の才もあり、あまり良くない言い方だが、近衛の中で一番当時の女性らしい女性であったとか。

 勿論近衛としての力量も十二分で、胡曰も随分頼りにしていたらしい。正直手放すのは惜しいが、それくら

いでなければ資格が無い。

 楓流も一度会い、これなら申し分無いと納得している。

 蜀王の方にも断る理由は無い。すぐさま了承の返事が来、婚礼の運びとなった。

 婚礼の中心となって働いたのも趙緋だった。彼女は政治には直接口を出さないようにしていたが、祭礼では

護国衆と共に常に重要な立場に就いた。それがどんな効果を及ぼすか、はっきりと理解していたのだろう。

そして常に手を抜かず、誰が見ても立派にその役目を果たした。

 それは楓にとって少なくない助けになっていたはずだ。

 少なくともこの頃の彼女は私心を交えず、国の為、夫の為、そして何よりも息子の為に尽力していた。それ

は事実である。



 婚礼は滞りなく終わり、楓蜀の関係が強まった事は内外へ知られた。王に不満を抱く者も、この事に関して

は一様に同意している。楓との繋がりを強化する事は、蜀の誰にとっても嬉しい事だからだ。

 趙緋一向が蜀政府を立てるように振舞っている事もまた良い方に働いている。所詮楓の意向に従うしかない

としても、初めから無視されるのとでは大きく違ってくる。彼らの言い分もある程度聞き入れているようだし、

楓側も良好な関係を築くべく心を配っている。

 その心は蜀王よりも臣民の方へ向けられ、王の事は蔡円に一任された格好だが。幸い、王の寵愛を一身に受

けている。

 このように王は蔡円、臣民は趙緋というように今の所上手く運んでいる。油断はできないが、この分なら何

とか治めていけるだろう。後は他国の干渉に注意し、地盤を築けるだけの時間を得る事ができれば、蜀という

国は生まれ変わる。

 中央と南方を繋ぐ要所である蜀に不安を感じずに済むという事は、非常にありがたい。

 だがそれだけに秦がこのまま黙っているとは思えない。

 内部の不安は完全に治まった訳ではないし、王への不満が楓への不満に移行しないとは誰にも言えない。

 だが、とりあえず方は付いた。やるべき事は無数にあるのだ。いつまでもかかっている訳にはいかない。

 楓流は彼女達を信頼し、任せる事にした。



 天風、布、そして蜀と押さえた事で中諸国の不穏はまず抑えられたと言える。

 楓流は意識を南方へと戻す。

 秦と戦うに当たって戦場となるのはおそらく中央とここ南方だが、中央の方には味方となる国が多く、双も

居る。双兵の質は当てにならないが、数と国力は心強い。それに双は絶対に楓を裏切らない。

 故に秦は双への備えに兵を多く割かざるを得ず、最悪の場合でも五分以上に戦えるだろう。凱聯という不安

があるが、魏繞(ギジョウ)らがしっかり指揮するだろうし、万が一押し切られるような事があっても、背後

には趙深が居る。

 斉や楚がその時どう動いたとしても、衛一国で対処できるはずだ。中諸国さえ揺るがなければ大きな事には

ならない。

 それとも念の為、予備兵を中央付近に残しておくべきだろうか。

「かもしれぬ。念を入れ過ぎて困る事もあるまい。事前に対処できるなら、そうしておくべきだ」

 予備兵として備えるとすれば、南方の軍を分けて使うしかあるまい。二手に分けるなら、やはり壬牙(ジン

ガ)と紫雲竜(シウンリュウ)、つまり楓兵と部族兵に分ける事になる。戦略としては楓流が紫雲竜と共に南

方から秦へ攻め入るか前線にて防ぎ、中諸国への不安を壬牙に託すという事になるか。

 二人の性質を考えれば妥当だろう。

 ただ問題は兵力だ。二分して秦と真っ向から戦えるだけの兵数は無い。兵質は折り紙付きだが、数が足りな

い。裏切り者を出さない為にも数的優勢は絶対に必要だ。

 しかし南方の民は楓となって日が浅く、総じて野心家である。懐いていると言い難く、状況によってどちら

にも転ぶだろう。それを責める気は無いが、兵とするに心許ない事は確か。他に傭兵を募るという手もあるが、

できればもっと信頼できる力が欲しい。

 つまりは部族。

 彼らをもっと多く味方に付けられれば、勝率は跳ね上がる。南方における部族の強さは折り紙付き。楓と秦、

どちらに付く部族が多いかで決まってくると言っても過言ではない。

 南方双領を預かっている玄張(ゲンチョウ)がどう動くかも気になる所だ。彼自身は楓よりだとしても、彼

なら領民を第一に考え、それに応じた政策を採るだろう。味方ではなく中立くらいに考えておいた方がいい。

 楓に反意を抱く部族も少なくないし、部族軍の序列に関しても賛否両論ある。口ではなんと言ってもやはり

屈辱を感じている者も居るだろうし、その気持ちが最終的にどこへ向かうか誰にも解らない。

 だが安心できる材料もある。紫雲竜という柱を中心に、部族兵との間に以前とは比べ物にならない絆が生ま

れている。それをもう一歩進める事ができれば、楓流の理想とする軍を完成させられるかもしれない。

 もしそれが完成すれば、楓を勝利へ導く大いなる希望となってくれるだろう。

 楓部族軍の兵数は軽く万に届く。ただ兵質は選抜されていて問題ないものの、部族同士の仲は良いとは言え

ない。むしろ以前より悪化している。

 紫雲竜の命には喜んで服すが、何をするにも無用な競争意識が見え隠れしている。

 そういう意識も必要だが、ここまで強くなると不安要素にしかならない。紫雲竜が抜群の統率力を持ち、兵

から全幅の信頼を置かれているとしても、兵同士の結び付きが弱くては意味を失う。

 所詮、軍も兵の集まり、人の集まりである。命令は絶対で、必ずそれが実行されるとしても、一人一人が強

く結ばれていなければ上手く連携をとれない。

 例え一人で二人の敵に勝てたとしても、十人の敵には敵うまい。兵が軍として機能しない限り、軍には勝て

ないのである。

 紫雲竜は、戦となれば無用の乱は起こしませんよ、というかもしれないが。楽観論だけでは安心できないし、

楓流の理想にも程遠い。彼が求めるのは鉄の集団であり、全てにおいて完璧な組織、軍隊である。

 とはいえ、競争意識は部族が氏族の誇りを背負っている限り、避ける事のできない問題だ。

 そこで楓流は部族達が背負うもう一つのものに注目した。

 部族軍の兵士は皆紫雲竜隊(楓の軍隊ではなく、紫雲という氏族の軍である意識が強い)である事に誇りを

持ち、紫雲竜個人への敬慕は揺るぎない。それは氏族の誇りをも或いは凌駕(りょうが)してしまう強い感情だ。

 ならばそちらを軸にする事ができれば、氏族を超えた理想の軍にまた一歩近付くのではないか。

 その為に必要なのは部族軍を各氏族から切り離す事。

 具体的に言えば、紫雲竜に領地を与え、そこに一軍丸ごと定住してもらう。そうして日々の暮らしを共にす

る事で、各氏族選抜軍ではなく、部族軍、紫雲竜軍としての形をはっきりさせる。

 器の形に応じて水が満ちるように、人もまた形に応じて満ちていくものだ。必ずや効果があるだろう。

 確かに部族は氏族の結束が固く、簡単に意識を変える事はできないかもしれない。だが十年、二十年と続け

ていけば、その土地に住んだ年月が氏族の集落で過ごしていた年月を上回ってくれば、やはり変わってくる。

変わらざるを得ない。

 実験的試みであるが、楓流の人生は常にそうだった。

 それは彼が行う事の多くが新しいか、それに近いものであるからだ。保証されるものなど何も無い。その中

で失敗も成功もし、概ね上手くいってここまで来る事ができた。

 慣れはしないし、恐れもするが、今更臆する理由は無い。立ち止まればそこで終わる。困難の中にこそ道が

ある。その事を彼は経験から知っていた。

 即ちそれが、楓流という人間の得難き財産である。



 部族全体に部族軍に領地を与え、定住させる旨知らされたが、思っていたよりは反発は少なかった。

 それは多分、彼らがその事の意味を理解できていなかったからだろう。単純に、領地を与えられる事は名誉

と受け止めた者が多かったと思える。勿論、以前から各氏族が縄張りとしていた土地はそのままだ。

 与えられる領地の大きさ、重要さ(場所、例えば紫雲竜にどれだけ近いか、前線との関係はどうか、などが

主で、実り豊かさは関係ない。どこも大差ないからだ)が氏族で決まるのではなく、個人で考えられる事も彼

らを満足させた。

 領地の配分は紫雲竜に一任している。彼の判断なら皆従うだろう。

 だが結局彼は部族に任せ、氏族の間で相談して決めてもらったようである。

 個人に与えた事で、自然と人数の多い氏族の土地が広くなってしまうが。これは人数が多いのに序列が低い

氏族の不満を解消させている事になった。

 他の氏族からも不満は出なかったようである。それを見越して部族自身に決めさせたのだろうか。だとすれ

ば政治手腕に関しても並々ならぬものを持っているようだ。凱聯と違い、武力一辺倒の男ではない。

 与える土地には困らなかった。南方にはいくらでもあるからだ。楓流の直轄地であるから、その辺はある程

度好きに使える。

 交易品を得るにしても、交易路を造るにしても、南方は広過ぎる。楓、秦、双で三分した事になっているが、

その中には人の手が伸びていない場所の方が多い。氏族の土地を合わせても、南方全土の半分にも満たないだ

ろう。

 ただ辺鄙(へんぴ)な所に住まわせては意味がないので、部族軍を住まわせる土地は、秦、双との国境の付

近である程度交通の便が良い場所に限った。これで部族も当事者になる、という訳だ。傭兵としてではなく、

自らの縄張りを護る為に戦わなければならない。

 彼らが自分個人の土地という不可思議な物(今までそんな意識は無かっただろう)にどれだけの執着心を持

つか解らないが、奮起する材料にはなるはずだ。

 大規模な移住が始まるが、部族は田畑を持たないから身軽なもので、その点も問題にならなかった。

 問題があるとすれば領土の明確な線引きだが、これはもう時間をかけるしかない。今は仮という事で、大ま

かなもので我慢してもらっている。

 その応急措置として、今でいう裁判所のようなものを造った。議長は紫雲竜で、最終決定権を持つ。彼が裁

いている限り、皆従うだろう。

 彼一人で手に負えなくなった場合が不安だが、今からこういう仕組みに慣れさせ、必要な人員を育成しよう

という試みもされている。わざと裁判沙汰を起こさせ、筋書き通りに判決させる方法も用いられたようだ。

 この辺の事は詳しく解らないが(部族は文字を持たず、何かに残しておくという意識が薄かった。楓側も細

かく書き残していない)、これが後の賦族の法(不文律も含む)に対する厳格さに通ずるのかもしれない。賦

族兵も土地を得、部族兵と共に暮らしている。これらの影響は当然強く残っていくはずだ。



 動きを見せれば、当然反応がある。双はまだゆったりしたものだが、秦は過敏だ。早速氏族軍に同じような

法を作り、国境付近へと定住させた。対抗心や恐怖心だけでなく、実際良い考えだと彼らも思ったのだろう。

これで氏族軍意識を高める事ができると。

 秦は楓と違い、氏族の集落を分住させる形を取っている。あくまでも氏族単位で考えるようだ。

 希望者が殺到した為、慌てて各氏族の大きさに応じて移住する人数を制限したが、すでにかなりの人数が移

動してしまった後だった。不公平感が残る。

 大陸人国家に屈したが、部族は野生を失った訳ではない。特に秦はあくまでも役立つ傭兵として捉える者が

多かったから、親しくしようとか、忠誠を期待する、という意識は薄かった。そんな態度で臨んだものだから、

当然部族の方も反感を持つ。

 初めから両者の関係は友好なものにはなりえなかった。

 故に何をしても結局は諍(いさか)いの種となる。

 氏族軍は兵数の多い氏族程立場が重くなる。領土が広がればそれだけ人を増やす事ができ、氏族の権威も増

す。自然、彼らの領土欲は強くなる。そこに公然と領土拡張できる機会が与えられたのだ。大人しくしている

訳が無い。何とかして土地を得ようと諍いが絶える事は無かった。

 特に規制前に移ってしまっていた定員を超える移住者の事で起こる諍いが多い。秦が元々の部族領土と新領

土をまた別のものと考え、好きに移住した分は定員に入っていないものだから、以前定まったはずの力関係が

ここでは意味を失う。

 当然、上位にいた大部族ほど不満は強く。大部族ほど発言力も強くなるのだから、始末に悪い。

 秦側の対処も不味かった。部族の土地にも監視役のような駐在官が居るのだが、この者達は初めから部族に

対して良い感情を持っていない。高位に就けない者が、何とか立身出世の機会を掴みたく南方へ夢を賭けると

いう者も多く。点数を稼ごうと無用な締め付けを行ったり、無理難題を押し付けるような者も少なくなかった。

 今回も秦の名を笠(かさ)に着てまともに取り合わず、かえって諍いが拡大した例の方が多かったという。

 完全に部族の信を失い、ただでさえ薄かった服従心、忠誠心はますます希薄となり、新たな領土を得た事も

手伝ってか、部族内の独立意識が高まっている(新領土に居る部族以外はそれほどでも無かったらしいが)。

さすがに再び南方を部族の手に、とまでは考えていないようだが、自侭(じまま)な態度になる事は避けられ

ない。

 秦もここまでくると多少恐れを抱いたようだが、妙案が浮かばない。

 彼らが頼みとする王旋(オウセン)も積極的に何かをするではない(今よく解らないままに動いても逆効果

になるだろうと考えたからだが、それを理解できる高官が少ない)。

 次第に本国における王旋への不満までが高まり、王も無視できぬ所まできているとか。

 曹閲(ソウエツ)の失策や双に対しての不首尾といったものを拭う為にも、王はそろそろ目立った功を挙げ

ておかなければならない。このまま手を拱(こまぬ)いて見ていれば、王の権威は地に落ちるであろう。

 いっそ自分も楓流のように南方へ行くか、などと考えたという説もあるが。例えそうであっても秦王の場合

は楓流のように身軽には動けない。本国に居て、全てを運営していかなければならぬ定めだ。

 秦王はもしかしたら楓流を羨(うらや)んだかもしれない。思うがまま行動できるという事は、人を憧れさ

せるに充分な理由である。

 最終的に秦王が採った対処法は一時土地を取り上げる事であった。

 全てを没収するという意味ではない。一度秦に返還させ、改めて元の力関係に応じて部族に貸し与える。そ

うする事で彼らの土地は秦から貸し与えられている物に過ぎないという意識を植え付け、部族に広がる混乱をも解決する。一石二鳥の策という訳だ。

 しかしこれでは部族の心を逆撫でする事になるだろうし、再配分する領土が公平になされていないと思われ

れば、かえって不満は増すだろう。

 必要なのは正確な測量と部族に秦の長さや広さ、重さの単位を理解させる事だ。それは秦化の一環でもある。

 部族達にとってはどれも腹立たしい事のはずだが、不思議と大きな反発は無かった。

 秦側が拍子抜けしたくらいで、その静けさが不気味なくらいであったとか。

 何故だろう。

 思うに、彼らも自分らの役割を理解し、ある程度は覚悟して受け入れていたのではないか。

 今こうして前線に土地を与えられたのも、有事に矢面に立つ為だ。それは最も危険で、それ故に名誉な役割。

 秦に部族を敬する気持ちが無い事は解っている。だからこそ知らしめたい。目に物見せてやりたい。そんな

気持ちが強くあったのではないか。

 苛烈な領土争い、競争意識もその裏返し、延長であるとも考えられる。

 最早秦がどうこういう話ではないのだ。部族の力と誇りを大陸人に見せ付ける。おそらく最も激しく、大き

くなるだろう決戦で、誰よりも華々しく戦い、散ってみせる。敵側の骸(むくろ)と共に。

 大陸人に一度は敗れた。完敗である。それは認めよう。認めたからこそ(彼らとしては)大人しく服してき

たのだ。しかし牙を抜かれた訳でも、覇気を失った訳でもない。今でも彼らは部族が大陸人に劣っていないと信じている。

 それを証明するには楓軍に勝たねばならない。部族同士で争う事も歓迎している。 力を示すには、強い敵が

必要だからだ。

 最も激しい戦をし、部族の力を見せ付けて勝つ。その為なら何でもする。どんな屈辱も敢えて呑もう。

 秦の命に従ったのは、そういう理由からではないか。

 氏族間の勢力争いを忘れた訳ではないが、部族はそれ以上に勝利を求めている。それが秦にとっても良い結果をもたらした。これが妥当な見解だろう。

 似たような気分は楓側に付いている部族にも当然ある。秦側とは違い、楓流への好意、紫雲竜への敬慕は本物だが、そういう共通した想いがあると考えなければ理解できない点が多い。

 部族にあるこの想いは、今後もあらゆるものに少なくない影響を与えていく。




BACKEXITNEXT