20-5.半身独立


 南方秦領国境付近の騒乱は鎮まったが、依然楓との間にある緊張は高まるばかり。国内の問題を解決した事

で、かえって外側に意識を向けさせる事になってしまった。

 しかしその事が集落から切り離された部族兵、氏族兵達の心を団結させる方向へ向かわせたのは、双方にと

ってありがたい事である。

 外敵を前にした時、人は団結を強いられる。

 どちらの政策も成功したと言えるのかもしれない。

 部族の兵を氏族の思惑から切り離し、楓兵、秦兵としての意識を強めさせる目的は達せられた。

 誰も口にしないが、訓練もそれを考えたものに変わっている。

 南方は別の意味で騒然としている。

 それを敏感に察したか、商人達の往来も増えているようだ。

 戦争とは圧倒的な消費である。命を含め、多くの物を消費する。戦の前もそうだ。戦争に備え、皆が過剰な

までに蓄え始める。

 物は飛ぶように売れた。

 食糧や水は当然として、藁から武器までありとあらゆる物を買い漁り、物価が飛躍的に増していく。

 あまりに物価が高くなると要らぬ騒ぎが起こるので、楓流は国庫から物資を出す、税を軽くする、などの救

済措置を取った。

 特に国庫から物を出すという事は、今の所戦争をする気は無い、という意志表示にもなるので、二重の意味

で物価高騰を抑える効果がある。

 一時凌ぎにしかならなくても、一息つけさせれば落ち着きを取り戻すものだ。

 秦側も楓に応じるように似た措置を(楓に比べて少ないが)採っている。

 彼らも楓に勝てるだけの材料が揃うまでは動きたくない。秦も様々に手を打ってきたが、全体としての力関

係はほとんど変わっていない。不穏の種をばら撒く事には成功したが、それも楓が優勢では効果が薄い。今戦

が起こるのは非常に不味い。

 それに血気盛んなはずの氏族軍にも感心できない所がある。

 最も問題なのが、戦う意志は旺盛でも、勝つ意志が少ないように思える点だ。

 初めから負けるつもりで戦う事は無いとしても。絶対に勝利しなければならない、という想いが無いように

見える。

 結局は他人事なのだろう。彼らに勝敗は関係なく、部族の力を見せ付けられればそれでいい。

 そういう気分は秦側にもどうしても伝わる。

 秦側も初めから部族を信用していない。その上部族兵の運用に関しては楓に一日の長があるのだから、どう

しても頼る気になれないのである。

 氏族軍と部族軍。どちらも部族兵を使っているという点で共通しているが、その内情は大きく違った。

 秦王には頼れる軍が無い。

 本来それを望むべき正規軍は楓の正規軍にはっきりと劣り、頼みの氏族軍もこのように信用できない。傭兵

など論外だ。

 軍の要である王旋(オウセン)に元気が無い事も大きな不安材料である。息子の死以来、全体的に気力が衰

え、萎(しぼ)んでしまったような印象がある。どこか鬼気迫るようなものも感じられるが、その不安を消せ

る程ではない。言うなれば、死にたがっている。

 立場は重くなったが、存在感は薄れてしまった。

 決定的な何かが抜け落ちてしまったかのようだ。

 それを考えても、彼の子、王飛(オウヒ)の死は残念であった。もし生きていれば、もう少し気を楽にして

いられただろう。彼の死のおかげで今の秦があるのだが、代償は大き過ぎた。

 今となってみれば、王飛の生死が楓との勝敗を決める要であったような気さえする。

 秦王もずっと悩んでいたのだろう。部族との戦以降、軍事力不足と人材不足を痛烈に感じ続けていた。少し

でも改善するべく努力してきたが、効果的な手が見付からない。王親子のように才ある者も居なかった。

 おそらく、どこかには居るのだろう。秦軍、或いは秦領内には王親子を凌駕(りょうが)する軍事的才能、

能力を持った者が居るには違いない。これだけの人間が居るのだから、皆無であるとは考えられない。

 だがそれも見付けられなければ居ないと同じ。

 それに例え見付かったとしても、皆が素直に従うかどうか。

 双程ではないが、秦にも門閥があり、発言力は小さくない。秦という国は小国家同士の同盟から成り立った

国である。それぞれの王と重臣からなる閥は今もしっかりと根を張っている。

 だからこそ王に大きな権限が与えられているのだが、彼らの意向全てを無視できる程ではない。

 元王の子息やそれに類する者には相応の地位を約束しておかなければならないし、その分だけで相当の席数

を奪われる。しかもそれは相応の権限を持つものでなくてはならず、正直な所、秦の制度には初めから無理が

あった。

 破綻するのが当然なのだろう。秦王独りでどうにかできる問題ではない。

 組織が一人の手に負えなくなった時、自然権力が多数の人間の手に委ねられる事になる。そうなれば権力を

分担した人間の権威は増し、任された面においては時に王を凌ぐようになる。門閥という下地があるのなら、

尚更だ。

 簡単に抜擢して使うという風にはいかない。王旋のように実績と家柄がなければ、例え王であっても推挙す

るには無理がある。

 そういう立場に居る者には、望むような才を持つ者が居ない。居ても王に無条件に忠誠を誓うとは思えない。

王親子のような存在は一国を探しても、二組とは居ないものなのだろう。

 これが楓ならば、と秦王は心から思っただろう。楓ならば、王の一声で簡単に済む話であるのにと。

 全軍の総指揮は自ら執るとして、その手足となれるのが王旋一人。しかもその一人にすら不安がある。これ

ではとても勝てない。不安になって然りというものだ。

 楓も長く人材不足に苦しんできたが、もしかしたら秦の方がより深刻だったのかもしれない。

 西方諸国は精強で名を馳せていたが、ふたを開けてみればこんなもの。小国のままなら良かったのだが、信

用できるのが譜代の家臣だけでは国土が広がる分だけ無理が出る。

 譜代以外の臣も積極的に使いたい所だが、秦に属す国には独立心に似た気概がまだ残っている。今でも大陸

統一した後こそ真の王位争いである、と考えている者は居るはずだ。そういう約束があるから同盟以上の同盟

を結んだのだ、忘れる訳がない。

 それは国家の利害を超えた意地にも等しいもので、どうしても消す事はできなかった。

 統一前までは気にしないで良いと言えばそうなのだが。そういう輩に手柄を立てさせてしまうと、後々面倒

な事になるのが目に見えている。使えない。

 正直、秦王はうんざりしていた。

 これなら強欲で礼儀知らずでも、飾らず純粋な力で優劣を定める部族の方がかわいく思えてくる。

 彼らにはもう大陸人を滅ぼさん、とか、覇権を我が手に、などという、言ってみれば古臭い考えは無いだろ

う。もし残っていても、諦めの色の方が濃いと思える。

 扶夏(フカ、フッカー)王とその重臣が滅びてより、独立心こそ衰えていないものの、覇者欲のようなもの

は薄れている。

 南方を席巻した力に憧れはするが、最早扶夏王の遺志を継ごうなどと考える者は居ない。

 楓流や秦王の政策によって氏族意識も薄れつつあるし、この頃からすでに大陸人化が進んでいたと考えても

間違いではないだろう。

 彼らは貪欲に大陸人の知識と力を吸収したが、それは今まで持っていた部族らしさを失う事でもあった。

 それでも後の歴史からほぼ完全に消え去ってしまったのは、賦族と混同された事と、部族に独自の文字と歴

史を残す習慣が無かった事にあるのだろう。或いは意図的にそうされたか。

 ともあれ、こういう訳で秦王には以前とは別の意識が芽生え始めていた。

 秦王の心は人材不足にも後押しされ、次第に部族の方へいくようになり、いつしかそれは当初の考えを変え

させつつあった。

「同族相憎むという言葉もある。かえって離れている者の方が使いやすいかもしれぬ。情けないが国内だけで

はどうにもならない。ここはいっそ彼らを抱え入れるべきではないだろうか。楓がそうしているように、我々

にもそれができないなどと、誰が言えるだろう」

 そんな心境に到ったとしても不思議ではない。

 秦王は氏族軍の規模を拡大し、王直属の軍としてはっきりした形で組み直す事を布告した。

 その報が国内外を沸かせた事は言うまでもない。



 氏族軍をもう一歩進める。それはつまり秦の軍制を適用し、必要な地位と権限を持たせるという事である。

 今までの氏族軍はどこか宙に浮き、秦属ではあっても傭兵や属国軍のような扱いで、秦軍としての地位がはっ

きりしていなかったし。部族側もそれを当然と考えていた。

 しかしこれでは軍の運用時に困る事になる。所属も地位もはっきりしないような部隊では、上下関係が絶対な

軍社会に組み入れる事ができず、氏族軍にも秦に属しているという意識が薄くなる。

 それを秦の軍制に沿った形に組み込む事で、秦軍として取り込み、帰属意識も強めようという狙いだ。

 今まで曖昧だったものがはっきりとした形になるのだから、出世にしても褒美にしてもある程度自分で計算で

きるようになる。その上で軍位の高さ、即ち氏族の位階、名誉というように認識させる事ができれば、競争意識

を高め、意欲的になるかもしれない。

 幸い、下地となる氏族の序列はある程度定まっていた。氏族軍の細々とした調査に必要な多大な労力も、国内

の有能な将を選別するという容易ならざる事に当てていたものを使えば事足りる。むしろこちらの方が安くあが

るだろう。秦全領土に比べれば部族領は小さく、人口も少ない。

 氏族軍の正規軍化に伴う国内の不満には、これを国王の私軍とする事で納得させた。実際、私財を擲(なげう)

ってもいる(無論、全体の割合からいえば、少ないものであるが)。こうする事で氏族軍はあくまで二軍であり、

部族の秦化の一環に過ぎず、今までと待遇は何も変わらないのだと説明したのである。

 強引だが、半分は事実であるから、多少の効果はあったようだ。

 新生氏族軍の将に選ばれたのは、芸(ゲイ、ゲイー)。夷芸とも呼ばれ、扶夏王に関係の深い兎族出身の弓の

名手と伝えられている。その腕に並ぶ者がいるとすれば弟子の鵬盲(ホウモウ おそらく大陸人出身者がそれに

類する者で、この名は渾名のようなもの。目が見えずとも大鳥を落とせる、というような意味である。大陸人の

当て字で、部族では同じ意味の彼らの言葉で呼ばれていたと考えられるが、その音と名は残っていない)くらい

だろうと言われていた。

 鵬盲には副将の地位が与えられた。

 他に主だった者としては部羅(ブラ、ブラー)、伯引(ハクイン)、款索(カンサク)などが居る。部羅と伯

引は芭族で、款索は兎族と折り合いの悪い烏族出身である。

 そのせいか款索だけは兎族優位の人事を快く思わなかったようで、芸らと当初から対立する事になった。

 芸としては腹立たしい所だが、烏族も部族の中では勢力ある氏族。ある程度譲歩せざるを得ない。結果として

副将と同等の地位を与えている。そこには、敵対する烏族すら取り立てているのを見れば他の氏族も安心する、

という打算もあったろう。

 芸には組織運営の才もあったようだ。もしかしたら弓の才ではなく、その点を評価されての抜擢だったのか

もしれない。

 しかし彼も氏族の枠を超えた大軍を御した経験は無く、相当苦労した。大陸人もその点を評価したらしく、

彼の名が様々な書物に記録されている。部族(部族ではなく単に異民族出身としているが)を大陸人化した功

労者という訳だ。

 民間伝承の類の中にもしばしば彼の名は出てくる。英雄としてであったり、愚者としてであったり、その待

遇は様々だが、馴染みのある名となっていた事は確かだ。英雄と愚の扱いの差には、彼を嫌う者も多かった事

が察せられる。

 弟子の鵬盲の名もしばしば使われ、名誉であったり、不名誉であったり、様々な役割を与えられている。

 中には自分と並ぶ腕を持つ師を討つ事で、名実ともに第一の弓の名手になろうとした。という話まであるが、

そのほとんどは作り話と考えた方がいい。全てが嘘とは言えないとしても、脚色された部分が多い事は確かだ。

 ともあれ、この芸を中心に氏族軍が再編され、その名簿も現代まで残っている。氏族名まで表記されている

から、大体の割合を出す事もできるが、時によって増減するし余りにも細かくなるので割愛させていただく。

氏族の大きさと大体あった比率だとだけ記しておこう。

 そして芸はその見事な弓の腕前から飛将軍と呼ばれるようになった。

 氏族間の抗争、悪感情と完全に分離された訳ではないが、今の所大きな支障は出ていない。

 役職、地位が定まり統率しやすくなった事も確かで、軍としての意識も高まり、以前よりまとまっている。

 秦にとって幸いな事に、楓側の部族には芸や鵬盲程の名と実力を兼ね備える者は居ない。いや、居ないとは

言えないかもしれないが、紫雲竜の名と力が強過ぎたのか、歴史には残っていない。どれ程の力があったとし

ても、残っていなければ我々には解らないのである。

 そして勿論、部族軍の力が氏族軍に劣っていた訳ではない。いかに弓の名手二人が二人とも秦側に居るとし

ても、戦とはそれだけで勝てるような簡単なものではない。高が弓の巧者が二人居るだけ、という言い方もで

きる。

 数千人単位で動くような大戦に、個人的武勇がどれほどの役に立つか。味方を鼓舞し、敵を威圧する働きは

あるとしても、それだけだ。無意味ではないが、絶対でもない。

 楓流も全体から見れば小事と判断したようだ。

 秦王もおそらく同じ考えであったろう。問題は解決していないし、それに秦側は部族同士の抗争の延長とい

える南方の戦いを、中央の正規軍同士の戦い程には重視していなかった。

 代償も小さくない。部族に便宜を図る事は正規兵の不満を逆撫でする。王の私兵となった彼らを、今までの

ような不満と不安の捌(は)け口にする訳にはいかない。

 不満と不安は溜まる一方だ。

 無言は了承ではなく、不満の最も激しい意思表示である。

 楓流が小事と判断した最も大きな理由もそこにある。少なくない力を得たとしても、代償の方が大きいの

であれば恐れるに値しない。

 秦王は強くあらん、あるべきだと考え、実行してきたが故に、傲慢になっているように見える。王さえ強く

あればどうにでもできるとでも言うように。

 しかし現実はそうではないのだ。



 楓流は秦の動きを効果的に利用するべく動いた。氏族軍が軍としての体裁を整えた事は、ある種の競争意識

を部族軍に与える事になる。無論、そうなるように仕向けたのは楓流であり、以前からの準備がそれを容易に

運ばせた。

 彼は言われている程には万能ではなかったが、そう思わせられるくらいには結果を残している。特に人を動

かす、操るという点においては類まれなる才があった。

 紫雲竜に一任していたが、部族に無関心であるという印象は与えなかった。むしろ恩義を感じさせる程に、

細やかに心を配り、なるべく直に触れる機会を作ろうとしている。

 楓流の主目的は部族と賦族の垣根を除く事にある。

 その為にまず、この二つの種族が元々同じ所から出ている、という事を納得させようとした。

 難しいが、不可能ではない。大陸人がこの地に侵入し、部族や賦族という垣根ができたのは太古の昔。今で

はもう誰も憶えていない。その上、部族には自分達は何者か、という意識が薄かった。部族としての誇りは持

っているが、そもそも部族とは何者なのか、という点に及ぶと口を閉ざす。

 解らないからだ。

 解ろうとしてこなかった、と言い換えてもいい。

 神話の類はあるようだが、それも漠然としている。まだそういうものを作り上げるには早過ぎる段階にあっ

たのだろう。神話や伝承がはっきりとした形を持つには、誰かがそれをまとめ、完成させなければならない。

 部族には、氏族神である部族を表す色を持つ竜が彼らを作った、程度の歴史しか持っていない。ならその

あいまいな歴史に賦族を混入させる事は、楓流ほどの力があれば不可能ではなかった。

 ただし完全に信じ込ませるには無理がある。賦族の身体的特徴は部族から見ても異質で、長い年月で変わっ

たのだ、と信じ込ませるには余りにも違いが大きい。この頃の賦族には気概や誇りも薄かったし、共通点が余

りにも少ない。

 楓流は仕方なく武において自説を強調する事にした。つまり紫雲竜だ。彼の武、これほどのものが果たして

自然に現れるものだろうか。いかに天の加護があったとしても、それだけでは説明が付かない。

 しかし部族と元を同じくしているとすれば話は別だ。部族と同種の血と力があるなら、部族を凌駕する力を

持ってもおかしくない。いや、それ以外にどう説明できるというのか。賦族と部族の音が似ている事もその証

明になる。

 全ては出鱈目でも、この件に関してだけは強引かつ強力に実行した。自分の頭の中に描かれた最強の兵団。

全てを打ち砕く、もう二度と何者にも奪われない圧倒的な力。それを得る為なら何ものも惜しまない。時に異

常とすら思える行動も採った。

 後世にほとんど部族の事が残されていない事からも、その異常さ、執念の大きさが解る。楓流ははっきりと

部族を歴史から消そうとした。賦族とその力を同化させる、ただその為だけに。

 とはいえ、元々根拠の無いものであるから、この段階で部族にどれだけの影響を与えられたか疑問である。

 おそらく皆疑問に思っていたのではないか。ただ元が同じと言われてみると、嘘ではあっても不思議と親近

感は湧く。部族と賦族は生活を同じくしていただろうし、その仲をより深める役には立ったかもしれない。

 楓流は馬も積極的に用い始めている。ようやく馬の数が揃ってきたのだろう。良馬は残さず部族軍に与え、

馬術の巧みな者から順に騎馬隊としての訓練を積ませ(馬術という意味ではなく、組織としての軍事訓練とい

う意味である)、この段階でその雛形を作り上げていた。

 まだ多くて百か二百という程度の規模であったが、予想以上の力を発揮したと文献に記されている。

 しかしまだまだ完成には程遠いとも記されている。

 一番困ったのは馬が怯(おび)えた事だ。馬というのは本来警戒心の強い動物。その馬に鎧を着せ、馬具を

乗せる。動けば大きな音が出る。集団で動けば尚更だ。

 それに整列して行軍する機会など自然界には無い事だ。それを強引に矯正(きょうせい)しようというのだ

から、一朝一夕にいくはずがなかった。

 敵が居なくてこの様なのだから、戦闘などとてもできない。

 楓流は銅鑼や太鼓を常に鳴らし、厩舎の側で軍事訓練を行わせてとにかく音に慣らし。常に集団で行動させ

る事で、それが自然な姿だと錯覚させようと腐心し続けた。

 この頃がまさにそういった試行錯誤の連続の真っ只中であったと思われる。彼の工夫は馬具から騎乗者の服

装まで多岐に及ぶ。楓流が騎馬軍の祖、父と言われる所以(ゆえん)である。

 このように楓、秦共に軍事面で活発な動きがあり、両国にある緊張感は弥増(いやま)していく。

 しかし小競り合いすら起きていない。誰もが開戦を恐れていたのだろう。だから冷戦にも似た奇妙な緊張状

態が続いた。そう考えるのが自然だ。

 そしてそれは何も楓と秦に限った事ではない。ここで我々は、置き忘れられているかに見えるあの国に、も

う一度目を移さなければならない。




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