21-2.異にしてそぐわず


 事態は明開が期待したようには動かなかった。

 例えではなく。文字通り、動きが無かったのである。

  その理由として秦の工作に積極性が欠けていた事が挙げられる。秦としても今の状態で決戦を始めるのは何

としても避けたい。だから油を注ぎ過ぎないよう、全てを慎重に進めている。

 その為、せっかちな者の間には楓の方から今すぐ戦を起こすべきだ、という意見も少なくなく。その意見も半

分は正しいのかもしれない。

 それでも時間をかけるのは、民の中にある決戦への恐れが無視できぬ程に強かったからか。

 だが明開も秦までがここまで慎重に構えるとは思っていなかった。口では何と言っていても、いざ機会が訪れ

れば逃さないだろうと考えていたのだが。外交政策まで及び腰であるとは予想外であり、敵ながら失望した。

 ただ秦の内情を調べていると、こちらにも少々面倒な事が起きている事が解ってきた。

 秦は現在秦王の独裁に近い状態にあるのだが、決戦の不利という現状に対する失望と恐怖から、王の威信が衰

えつつあるようなのだ。

 勿論、一朝一夕で覆るようなものではないのだが、秦王の政策、そして王自身の是非を問う声が高まっている

らしい。

 その一つのきっかけとなったのは朱榛(シュシン)の一件だ。

 朱榛の背後に秦、つまり秦王が居た事は周知の事実。しかしその朱榛も結局は中諸国に朱榛の二の舞にならず

という警戒心を与える事となった。

 決戦勝利への鍵ともいえる中諸国に対し失策を重ねる事は取り返しのつかない問題であり。このまま王に任せ

ていて良いのか。果たして勝てるのか。という声が挙がるのは当然というもの。

 中には、そもそも決戦を挑む必要があるのか。今のまま大陸を二分して治めれば良いのではないのか。という

決戦の是非を問う声すら挙がってきているそうなのだ。

 確かに楓と秦が戦うべき理由は少ない。どちらも領土に不足している訳でもなく、食料、人が不足している訳

でもない。むしろ楓が加速させた技術革新によって生産性や安全性が飛躍的に高まり、大陸は全体的に富みつつ

ある。

 それなのにわざわざ決戦を行う事に意味があるのか。はっきりと境界を定めさえすればいいのではないか。そ

う考えるのも道理である。

 となれば次に浮かんでくるのは、決戦を望むのは秦王だけではないか、という疑問だろう。独裁性が強いとい

う事は一国の意思が王一人に在るという事であり、つまり決戦を望んでいるのは王だけではないか、という考え

に行き着くのもまた自然だ。

 このような声が挙がるようになっては、積極的に動けないのも無理はない。

「どちらの王も顔色をうかがわなければならない相手が居る。皮肉なもんだな。だが、だからこそ打てる手もあ

るってものよ」

 楓にも秦にも積極的になれない理由があるからこそ、今戦を起こすべきではないのか、と明開は考える。

 どちらも決戦を望んでいないのなら、戦を起こしても小規模な段階で止められる。小さないざこざから大規模な

決戦に広がる、という考えこそが間違っていたのではないだろうか。

 蜀、布、梁と上手く抑えてこれた事もそれを実証している。

 誰もが決戦を恐れる今、小規模な戦を起こして勝利する。それだけで楓の勝利は決まるのではないか。

 無論、当て推量で動くような愚は冒さない。何事もまずは験してみる事だ。

 実験の場として明開が目を付けたのは狄である。

 この国は岳暈(ガクウン)の武官派と新檜(シンカイ)の文官派が争い、その調停役として代官の宜焚(ギフ

ン)、楊岱(ヨウタイ)が派遣されているが、態度は中立ではなく新檜びいきの政策を採っている。

 武の上に文がくるという楓の基本精神もあるが、大きな理由としては今岳暈に謀反を起こされても抑えられる

自信があるからだ。

 元々狄という国は必要から生まれた連合国家、いや寄せ集まりである。秦も似たような経緯で生まれた国だが、

彼らが元々勇猛で名高くそれぞれの国同士で繋がりあったのに対し、狄となった国々は孫残党の有象無象の寄せ

集まりでしかない。

 それをまとめた狄仁(テキジン)、狄傑(テキケツ)という二人の王は大したものではあったが、所詮は初め

から限界の見えていた国であり、結局は楓に敗れた。

 それ以後は前述した二派が権力争いを繰り返しているのだが、最早国としての勢いは無く、派閥も一致団結し

ているとは言い難い。

 乱を起こしても個々には発展しようがなく。明開の実験に最適な国と言える。

 しかしそんな実験を楓流が許す訳がない。今中諸国内に戦が起こればどうなるか試す為だけに争いを起こすな

ど愚中の愚、顔を洗って出直すが良い。などと言われるのが落ちだろう。

 だが本当はその実験結果を最も知りたいのが楓流自身である事ははっきりしている。

 もしその実験を楓に利して行え、また煩わしいだけの国となりつつある狄を、例えば完全に支配下におけたな

ら、楓流も黙認するのではないだろうか。

 魔法のような話だが、明開も単なる思い付きで言っているのではない。

 狄が元々連合国であるのは先ほど述べた通りだが、それによって最も不利益を被ったのは狄の民である。彼ら

は孫残党の騒乱によって勝手に領土を切り取りされ、強引に支配された。初めから好意を持つはずがない。

 王達の態度も目に余るもので、狄仁などは国を捨てて逃亡さえした。そこに岳暈、新檜が居座る事になったが、

民は絶望しており、上に楓を望む声が強くなっている。謀反が起きても民は積極的には協力しないだろう。

 古今戦は数あれど、民の協力なくして長期間維持、発展できたものは無い。その戦が少数の王族、貴族のもの

である限りは小規模に留まり、拡大しない。この事は歴史が証明している。

 謀反が小規模で終わるなら平定するのは容易である。秦王と違い、絶対的な権力の無い新檜、岳暈はあっさり

失脚し、楓の支配を望む声が強くなるだろう。そうなれば労少なくして狄を手に入れる事ができる。

 明開の思惑もこういう条件があってこそである。

 ただし問題もある。それは宜焚、楊岱の存在で、彼らは楓流の腹心、特に楊岱は次代の胡虎(ウコ)を望まれ

ている。彼に汚点を残すような事をすれば、間違いなく楓流の恨みを買う。例えそれが楓の利益に繋がったとし

ても、決して許すまい。

 故にやるとなればまず宜焚と楊岱を狄から外さなければならない。それは後に、楊岱らが離れたから謀反が起

こったのだ、という印象を人に与える効果も見込める。多少強引にやったとしても、黙認してくれるかもしれない。

「要するに、結果を出せばいいのだ」

 全ては後から付いてくる。それが明開の人生哲学であった。



 狄をまとめている宜焚はおだやかで調停が上手い人物。派手さはないが、それだけに人を落ち着かせ、安心さ

せられる。意識してその役目をこなすようになってからは、一層その力が増しているようにも思える。

 楊岱は彼の手足となって働いている。楓流と衛を繋ぐ伝令役をやっていた経験から、活動的な仕事には慣れて

いる。

 楓流の人事は大体がそのようなもので、新しく何かをさせるより、以前からやっていた事を引き続きさせるか、

その延長の仕事を任せる事が多い。慣れこそが何よりの力になると知っているからだろう。

 予想外の効果を生む事は少ないが、安定した成果を出している。楓流の慎重さ、失敗を恐れる心はこんな所に

も色濃く出ているようだ。

 前述したように、楓は新檜寄りの立場を貫いているから、自然この国では文官派が力を増す事になる。

 民も粗暴な武官より文官の方がましだと考えているので、その政策に概(おおむ)ね賛成している。

 武官筆頭と言える岳暈は当然不満に思っているが、その感情を外へは見せていない。彼も孫文後をしたたかに

生き抜いてきた人物だ。利害関係に聡く、何を考えているか解らない所がある。

 子遂程の厄介さは無いとしても、機会があれば逃すような真似はしないだろう。例えば秦に有利な条件で誘わ

れれば、断るとは思えない。秦も楓と同じく人材を、特に武官を必要としているのだから、無い話とは言えない。

 岳暈はからりとして執着が薄い所がある。それはつまり恩義を感じるのも薄いという事ではないだろうか。楓

に寝返ったように、からりと秦に寝返る事は充分に考えられる。

 だが誰からもそう見えるからこそ、使い道がある。

「やはり問題は一つか。それさえ何とかできれば、事は成る」

 楊岱だ。彼さえどうにかできれば、問題はなくなる。しかし彼は楓流直属の臣。明開にどのような権限があっ

たとしても、楓流の意なくしては干渉できない。

 この事は楊岱に関する事に限り、本当に明開が独断で行った事でも、その裏に楓流の意があると思われてしま

う、という厄介な面も持ち合わせる。

 味方になれば頼もしいが、邪魔になるとこれ以上厄介な存在は居ない。

 見方が変わればこれほど印象が変わってくるのかと、明開は思い知らされる想いであった。

 考えた末、明開は宜焚、楊岱の二人を騙(だま)す事にした。勿論、楓流にも相談しない。罰を免れ得ないが、

だからこそ彼の独断だと世間を納得させられる。仕方のない犠牲だと覚悟した。

 幸い、宜焚も楊岱も人の良い所がある。楓流の密命を帯びてとでも言えば、簡単に信用してくれるだろう。中

諸国平定の実績ができた今なら尚更だ。

 尤もらしい理由さえ創れば、二人を動かす事は難しくない。

 重要なのは、宜焚と楊岱、そして楓流はあくまでも騙されていた、という形を作る事。全てが明開の独断専行

であると思われなければならない。



 梁の騒ぎから半年が経った。

 明開は焦る心を抑えるべく、必要以上に時間をかけて準備を整えているようにも見える。

 この間、中諸国に大きな動きは無かった。蜀、天布、梁、狄、どの国も細かな不満の噴出はあるが、大きな流

れを生むには到っておらず、表面上は平静を保っている。

 楓秦のどちらが勝つにせよ、決戦で功を挙げねば現在の地位を保てない。その為には戦力が必要であり、無用

の戦は望んでいない。

 考えてみれば不思議な事だが、戦をする為に戦を控えている状況だ。

 大陸内には現状維持を望む者も少なくないが、乱世の終焉の象徴となるのは大陸統一だ。全てが一つになる事

で戦が起こらなくなる。これは解りやすく、魅力的な響きを持っている。

 それに現状維持を望む者でも、一度は戦わなければならないと考えている。例えそれが小規模な戦を望んでい

るとしても、戦を必要と考える事は変わらない。

 つまり誰もが戦は避けられないと思っている。

 楓流にしろ秦王にしろ、その大多数が持つ思いに引きずられている面が無いとは言えない。

 明開は大多数が引きずられるこの機運を利用し、事を成そうとしているのだが、そう考えるのは彼一人ではな

かった。いや、この流れを彼こそが待っていたと言える。

 その彼とは子遂の事だ。

 統一の機運が最高潮に達し、その熱に浮かされる愚か者が事を急いて馬鹿な真似をするのを、彼はずうっと待

っていた。

 言ってみれば明開もその愚か者の一人である。そしてそれは偶然ではない。

 自分を常に意識している者以上にその意思と行動を悟りやすい人間は居ない。指を動かせばそちらを向き、首

を振ればその意図を必死で探ろうとする。まことに解りやすく、操りやすい。

 子遂の真の狙いは自分を意識し続ける活動的な人間が現れるのを待つ事にあった。

 別に明開をそうと見込んでいた訳では無い。その為に何か特別な事を行った訳ではない。ただ然るべくして現

れるだろう人間が、たまたま彼だったという訳である。誰でも良かったのだ。

 思えば長く待ったものだ。孫文の後継の座に就いた楓流という人物に復讐し、正当な後継たる自分がその座に

就く為、ありとあらゆる手を講じてきた。そのほとんどは失敗し、予想外の方向に行ってしまった事も多かった

が、ようやく成った。

 元より何の保証も無い賭けであった。どれだけ可能性が低くとも、続けていればいつかは当たる。そんな夢に

も似た確率論の話だったのだ。よくも成ったと自分でも思えてくる。

 しかしこうなって見ると、中諸国の安定、楓秦による天下二分、統一への機運。それら全てが子遂の望みを叶

える為だけに成し遂げられたように思えるのだから不思議なものだ。

 子遂はその全てに、意図せず協力してくれた全ての人間達に対して、心から感謝を捧げていた。今なら一生を

神に仕える事に捧げても悔いはないと思えるくらい、感謝していた。

 とはいえ、まだ終わった訳ではない。全てが彼の望む方向へ傾きつつあるが、最終的にどこに流れ着くかは解

らない。未だ賭けの範疇(はんちゅう)を出ておらず、それはこれからもそうであり続けるかもしれない。長い

長い戦いはこれからも続く。

「それまでは協力しよう。せいぜい踊るがいい」

 確実に老いつつある自らの姿を見ながら、子遂は笑顔さえ浮かべていた。

 まだ老人と呼べるような年齢でない事もそうだが、それよりも今までに費やした時間の全てが無駄ではなかっ

たと実感できた所に理由がある。人は自らの生が無駄ではないと思える限り、決して絶望しない。むしろ悦びが

ある。

「ふふふ、ふははははははッ」

 誰に聞こえようと構いはしない。乱心したと思われれば、それもまた好都合。この喜び、そして感謝を抑える

事など人にでき得るはずがない。

 子遂は明開という男に誰よりも深い感謝を捧げた。

 皮肉ではなく、純粋に。

 それこそがそこに在る絶望を物語っていた。



 この半年の間に中諸国を揺り動かした余波も収まり、以前の、いや以前よりも安心した暮らしを民は続けている。

 不安視されていた天布も天水の慰撫と、梁における法瑞の明らかな失墜によって溜飲(りゅういん)を下げ、

以前のように勤勉なまでの忠義を見せてくれている。

 その理由として、楓流が内々に統一後の地位を安堵したのだ、という噂もある。真偽定かではないが、大陸の

どの国家よりも先に国を捧げた天布には相応の功が認められて然り。楓流も天布に同情的であるし、そういう噂

が立つのも不自然ではない。

 そういう噂を流す事で天布の慰撫を助けたという見方もできるだろう。

 このように状況は落ち着いてはきているが、決戦へ向かう流れは変わらず、現状維持派の主張も虚しく、大陸

全土が軍備拡張に勤しみ、力を蓄えつつある。

 軍需産業が益々活発になり、武器やその材料、原料から食料、衣類まで無数の物が大陸中を駆け巡り、巨万の

利益を一部の者達にもたらしている。そしてその富が生産に注がれて更に加速、肥大し、留まる事を知らない。

 楓も秦も物価の高騰を恐れ、食料、水、日用品などの生活必需品に関しては法を厳格に施行し、ある一定以上

の価格にならないよう取り締まり、場合によっては補助金、減税などの措置をとっている。

 それができるのも両国ともに戦争経済の恩恵を多大に受けているからで、特に楓は様々な技術によって秦を一

歩も二歩も引き離している格好だ。

 しかしそんな楓でさえ、越には敵わない。最早大陸中の富の半分が越にあると言っても過言ではなくなってい

る。生産力のある双が一番儲けていそうなものだが、そうではなく、協力な中間業者こそ最も儲けているのが世

の常というもの。双も上向きだが、越の足元にも及ばない。

 この越だけは軍備拡張競争に参加していない。最新鋭の武具を揃えてはいるようだが、兵数は増えていない。

越なくして陸運、水運が成り立たなくなっている今、自国を護る為の軍備など最小で充分という事なのだろう。

 越にとっては商いこそが刃であり、鎧であった。

 例えこの異常な好景気が治まったとしても、商いにおける越の優位は変わらない。ほぼ全ての道を押さえてい

る越は誰にとっても必要不可欠な存在になっている。越こそが商業であった。

 明開もまたその流れに逆らう事無く、越商との繋がりを密にし、ある程度の権利を認めた。中諸国は交通の要

地、商いとの繋がりは深くなる。商人との仲を上手く調停する事も与えられた役割の一つである。

 それに明開個人としても彼らの力を必要とした。

 彼の望みを遂げるには、まず宜焚、楊岱を狄から切り離さなければならない。その為に半年もの時間をかけて

準備してきた。

 元々狄という国は孫文残党から成る連合国家で、歴史が浅い事もあって王族というものが存在しない。それ故

傀儡(かいらい)にできる適当な人物がおらず、しかたなく楓流の一時預かりとし、実務を新檜と岳暈に任せ、

その監視役としての代官を置いた。言うまでもなく、その代官が宜焚、楊岱である。

 この二人を狄から切り離すのであれば、それに代わる誰かが必要なのだが、その人事が困難なのだ。

 王に立てるとすれば新檜か岳暈が順当な所なのだが、この二人は文官と武官の代表で、どちらかを上に据えれ

ば当然のように大きな問題が生じる事になる。

 宜焚の調停能力によって文武の軋轢(あつれき)も多少は治まってきているのだが、様々な問題を目に見えな

い程度に押さえ込んでいるに過ぎず、宜焚が狄から離れればすぐに元に返るだろう。

 宜焚が居なければ、乱を抑える事は不可能と言える。

 ならば逆に考えてみよう。抑えるのではなく、敢えて乱す事で権力の均衡をとり、結果的に無力化させる。そ

れなら宜焚の力を必要としないし。代官の派遣を止めて狄の自治に任す事は楓の是にも適うから、その是を行動

によって示す事は楓に従っている者、これから従う者へ好意を持たせる事にも繋がる。

 一時政権を預かっても、時がくれば約束通りきちんと返す。それを示す事は大いに意味がある。

 とはいえ無遠慮に乱しても収集が付かなくなるだけだろう。乱すにも一定の規律が必要だ。

 そこで提案したいのが、狄を王制ではなく合議制に変える事。幸い、その下地は新檜、岳暈の分権統治によっ

て意図せずできていると言える。二人のままでは強過ぎるが、もっと大勢の人間の多数決によって政策を決める

ようにすれば権力も程よく分散され、操りやすくなる。

 元々複数の国家が集まってできた国なのだから、新檜、岳暈ほどでなくとも、多少は影響力のある者達が居る

だろう。彼らを議員にすればいい。

 しかし権力を分散させるという事は、それだけ敵国の介入を助けるという事にもなる。楓だけで議員全てを掌

握するのは難しい。できたとしても、楓支配の印象を強めるだけだろう。助けが必要だ。

 となれば名が挙がるのは越であろう。

 この国は概ね楓と利害を一致させているが、商業という点では少なくない対立がある。越は商業を独占したい

が、楓は越の力を強めたくない。そこからくる大小様々な意識の違いが、時に大きな形となって表面に現れてし

まう事も少なくない。

 交通の要地である中諸国でも当然こういった諍(いさか)いは起きている。越が対立議員を擁立しようとする

のはむしろ自然だ。

 越は自国の利益を最優先させる。その主張が時に狄民を困惑させる事もあるだろう。その時に楓属の議員がす

かさずその意を汲んだ発言をすれば、それは同時に楓への悪感情を和らげる事になる。

 敢えて対立者を作る事で、親民的な楓の印象を強める事ができる。

 勿論、越相手にそう簡単に事が運ぶとは思えないが、楓単独で強引に事を進めるよりは良いだろう。結局、楓

と越が切れる事はないのだから、多少揉めた所で高が知れている。越も中諸国安定を望んでいるのだから、尚更だ。

「多少問題はあるが、それを差し引いても魅力的な提案だろうぜ。あの方も人の子、人材不足が補えるとなれば

心揺るがぬはずがない。後はどれだけ説得力を持たせる事ができるかだが・・・・・さて」

 楓流を欺く事になるかもしれないが、全ては楓の為だと自分をごまかす。

 この頃には明開の意思と楓流の意思はどこか別のものになってしまっていた。そしてそれは困った事にぱっと

見は同じに見えるのである。何一つ変わっていないかのように。

 この小さなすれ違いの連続に気付いていたのは子遂ただ一人であったのかもしれない。

 こうして二人の意は細かな差異を生じながら、やがて大きなうねりへとその姿を変えていくのである。




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