21-5.欲すれば即ち生ず


 荘沢は早速工作を始めた。楓(明開)の内意を得て自信を付けたのか積極的に動いている。

 岳暈も荘沢だけなら対処法はあったのだろうが、丁俊までが荘沢に付いたのは誤算だった。その上楓もま

た荘沢側に付いたという噂まで流れている。

 まさかとは思うが、思い当たる節が無い訳ではない。

 決して楓に逆らう事はせず、最低限の事は守ってきたが、従順なだけではなかった。合議制にしても、反

対せず受け容れたが、かと言って常に楓の意を通してきたのではない。岳暈も新檜もやはり自分と狄の事を

優先して考えている。

 例え楓流自身が独立国としての権利を認めているとしても(実質は属国と考えて良いが、一応保護してい

るという建前である)、不愉快に思う事はあるだろう。その部下達ならば尚更だ。

 だがそうとしても、今まで楓がこのようなどっちつかずの態度を示した事はなかった。最低限の事さえ守

っていれば、こちらにも最低限の権利は認めてくれていたのだ。それが何故今になって岳暈を挑発するよう

な真似をするのだろうか。

 この裏には楓流とはまた別の意志を感じ取れる。

「・・・・あの男か」

 思い浮かぶは明開という男。あれが中諸国にきてから色んな事が急激に変化したように思う。合議制もあ

の男の案という話があるし、梁でも強引な真似をしたという噂がある。

 楓流直属の高官と言うが、何とも胡散臭い男がきたものだ。楓は一体何を考えているのか。

 もしかしたら方針を変えたのだろうか。

「確かに、今ではもう我ら楓無しには生きられぬ」

 狄、布、梁それぞれしっかりと楓に押さえられ、不満を形にできるだけの力を失ってしまった。

 今の中諸国は楓にとって脅威ではない。

「大勢は決した。最早覆るまい。しかし、例えそうだとしても・・・・」

 いや、だからこそ、このまま荘沢ふぜいに追い落とされる事だけは我慢ならない。この先どうなるとして

も、あの男に奪われる事だけは許せない。

 奪ったものを奪い返されるなど、武を志す者にとって最大の恥辱である。



 岳暈が丁俊に軍を譲って隠居する事を楓に申し出たのは、それから間もなくの事であった。

 荘沢は完全に裏をかかれた格好である。何しろ彼自身が丁俊を核にして軍への工作を進めていたのだから、

岳暈の行動を支持するしかない。

「まったく、小癪な小僧め」

 その敵対意識にはうんざりするが、初めから軍自体は丁俊に任せる予定だったのだからば悪くはない。岳

暈の同意が得られれば今後の事も楽になるだろうし、むしろ望む所である。

 この点、荘沢は老獪(ろうかい)であった。

 ただしこれで彼自身が将軍に就く道は断たれた事になる。別の支配体制を考えなければならない。

 幸い、丁俊が文官寄りなのは周知の事実。彼を将軍にするなら文官と密着しすぎないよう誰かが監督しな

ければならない。その役目に就く事が最も早道か。

 しかしその程度は岳暈も想定しているだろう。何かしら妨害を仕掛けてくるはず。荘沢一人では対抗でき

ない。ここは文官の力を借りるべきだ。

 文官達も軍の暴走を極端に恐れている。だからこそ武を文の支配下に置き、そうならないようにしておき

たい。そうなれば将軍である丁俊があまりにも文官寄りである事は望ましくない。実は文官こそが丁俊を監

督する者を最も必要としている。

 そこに荘沢との利害の一致があり、協力し合える理由がある。

 そう考えれば岳暈の策は逆効果になったと言えるのかもしれない。彼が丁俊に軍を託した事で、かえって

荘沢に付け入る隙を与えてしまった。

 だが隠居という形を取った事で、これ以後岳暈の存在感は明らかに増していく事になる。武官達は何か気

に入らない事があれば、これが岳暈であれば、彼さえ居たならば、と口にするようになり、まるで岳暈が将

軍であった時は何一つ不満がなかったかのように美化していく。

 いっそ始末してしまえばとも思うのだが、隠居されては迂闊(うかつ)に手を出せない。今岳暈が不審な

最後を遂げようものなら、例えその真偽がどうあれ間違いなく荘沢に疑いの目がいく。

「厄介な事をしてくれたものだが、それならそれでやりようはある。結局、岳暈は全てを捨てたのだ。実権

はこちらにある。丁俊の手綱さえしっかり握っておれば、岳暈が何を考えていようと何程の事もできぬ」

 自ら隠居を申し出た意味は軽くない。狄が楓の支配下にある事もあって、余程の事がなければ復帰はでき

ないだろう。どれだけ影響力を強めようと、隠居したままでは何もできない。その点、子遂に似ている。

 恐るるに足りない。



 文官の助力もあり、荘沢は軍師として就任する事となった。

 軍師などと荘沢如きが仰々しい、という声もあるようだが気にしていない。何をするにも文句を言う者が

いる。一々構っていられない。

 そんな事より深刻なのは、結局決定権は丁俊にあり、一々彼を通さなければ何も実行できないという点だ。

 知っての通り彼はあまり利口とは言えないし。文官達(主として新檜)の言葉の方を重く扱う傾向がある。

 実際文官の横槍によって台無しになった案も少なくなく。丁俊の監督役としての役割を疑問視する声も挙

がるようになっている。

 このままではいつ軍師の座から降ろされるか解らない。

 議会でも丁俊は文官の意見を尊重し、それに反する者を罰するような論調で物を言って武官の不満を買う

事も多くなっている。彼が一兵士であれば同情も寄せられようが、一軍の将となれば話は別だ。このままで

は軍を維持する事も難しくなってしまう。

 丁俊には明らかに政治能力が欠如していた。そしてそれを補う力が荘沢には無い。

 兵から岳暈の復帰を望む声が挙がるのは当然であった。

 岳暈自身はその声に乗ろうとせず、抑える側に回っているらしいが。それも形だけである事は明らか。

 しかしそれと知りながら、荘沢には打つ手が無い。

 新檜ら文官も同様だ。

 荘沢であれ文官であれ何を言っても武官らは反発し、事態を悪化させるだけである。彼らには正論も言い

訳も通じない。武官を黙らせるには丁俊の態度を改めさせるしかない。目に見えて解るものが彼らには必要

なのだ。

 だがこれが上手くいかない。

 荘沢だけでなく、事態を憂慮する文官の中から丁俊を諫(いさ)める者も出たのだが、それも逆効果にし

かならなかった。

 丁俊が話を聞かなかったのではない。彼も頑固な男だが、尊敬する文官から言われれば態度を改める事も

やぶさかではない。

 しかし頑(かたく)なな彼が態度を変えるという事自体が文官の手が及んでいる事を証明し、武官を刺激

してしまう。

 つまり何をどうしようと状況は悪化の一途をたどり、改善する事はない。事ここに到っては打つ手は無か

った。この時点で荘沢の軍師としての影響力は完全に失われてしまったと言える。少なくとも兵の信頼は失

われた。頼りにならない者にいつまでも頼ってはいられない。

 そして岳暈への支持だけが高まっていく。

 このままでは彼を復帰し、乱を鎮圧させなければならなくなる。楓もいつまでも彼の存在を無視してはい

られない。

 とはいえ軍も一枚岩ではない。武官の中には岳暈の復帰を恐れ、阻止しようと考える者達が居る。例えば

荘沢と繋がりの深かった者達や早々に荘沢へ乗り換えた者達だ。

 彼らは荘沢の手足となって軍内で様々な工作をしていた。岳暈が復帰する事になれば、真っ先に粛清され

る事は間違いない。頼りの荘沢も無力である。軍内が岳暈色に染まる中、戦々恐々としていた。

 文官に泣きつくなど論外であるから、彼らに残された手段は丁俊を守り立てる事だけであるが。その丁俊

が兵の支持を失った事がそもそもの原因である。今更何をしようと逆転する事は不可能だろう。

 このまま諦めるしかないのか。

 だが失意に沈む彼らに、ふと囁(ささや)きかけてくる声があった。

 確かにこのままの状況が続けば岳暈の権威はいや増し、誰も逆らえなくなるだろうが。楓流が丁俊、荘沢

を罷免(ひめん)し、岳暈の復帰を命じたとしても、実行させるまでには時間がかかる。いかに楓流が行動

の人でも、南方から狄まで伝令が往来するには相応の時間を必要とする。

 それに楓流も本音では岳暈の復帰を避けたいはずだ。

 だからもし岳暈がしゃしゃり出ずとも良い状況を作り出せるなら楓は君達を支持するだろうし、協力もし

てくれる。残された時間は長くないが、全てが終わった訳ではない。まだ取り戻せる。

 そしてその声は最後に非常な手段を示唆(しさ)した。

 自分の命がかかっているのだから、荘沢派と言うべき彼らも必死である。一縷(いちる)の望みでもある

なら、それがどのような手段であれ同意せざるを得ない。

 非常の事態なのだから、非常な手段が使われて然りである。歴史を見ても、太平を成す為にそのような手

段が多く用いられた、はずだ。今同じように自分達が用いたとして、一体誰が責められよう。

 例え責められたとしても、一時の事である。いずれ評価され、称(たた)えられる。今までそうだったの

だから、これからもそうであるに違いない。

 ならばこの声こそ、天命である。

 こうして荘沢派は非常なる決意をしたのであるが、それをすぐさま実行に移した訳ではない。彼らも無理

はしたくなく。命も惜しい。通常の方法で丁俊の権威を取り戻せるなら、それに越した事はないのである。

 だから丁俊を守り立て、荘沢を叱咤しながら懸命に励んだ。それはまるで自分の決意を何としてでも実行

すまい、とでもするかのようであった。

 だが残念ながらその労は実らなかった。丁俊には元よりこれという考えは無く。荘沢も影響力を失ってい

る。今更周りの者が騒ぎ立てた所でどうなるものでもない。

 結局、その全ては自分自身を追い詰め。もうどうにもならない所まできているのだという事を再確認する

行為にしかならなかった。

 こうなれば仕方がない。全ては彼が悪いのだ。我々をここまで追い詰めた岳暈が悪いのだ。

 それでも最後の機会は与えよう。武人の情けである。一度は将と仰いだ身、できればそうしたくはない。

 荘沢派は揃って岳暈宅へと押しかけ、軍への復帰を固辞するよう申し出た。

 彼らは岳暈を前に怒りを抑え、あなたも平素からそう言っているではないか、これは貴方の意見とも一致

する、もし断る理由が必要ならば我々からの正式な要請とすれば言い訳も立つ、などと持ちかけた。

 しかしそれに対する岳暈の態度は煮えきらず。楓からもし公式に命じられたとなれば、それを断れるだろ

うか。楓が盟主国である以上、個人の情や意見など無力であろう。私も辞退はするが、果たして受け容れら

れるだろうか。などと言葉を濁(にご)すのみで、はっきりと断るとは言わない。

 その態度は荘沢派には恫喝(どうかつ)と映った。今更何をしてもお前らの将来は決まっている。死ある

のみ。だから諦め、大人しく引き下がるが良い。お前らごときが何をしても無駄なのだ。と言うように聞こ

えたのである。

 被害妄想と言えばそれまでだが、今の彼らにとってはそうではない。生きるか死ぬかという現実的な恐怖

の中、精神が異常な緊張状態になるのはむしろ当然というものであった。

 刃を抜き、岳暈を殺害する事となったのも、彼らにとっては自然な成り行きであったのだ。

 この点、岳暈は油断し過ぎていた。どう考えてもこの状況で自分に手を出せる訳がない、と常識的に考え

てしまい。人は追い詰められれば理性や常識などあっさり手放してしまうという事を忘れていた。

 事を終えた後、我に返った荘沢派は慌てて逃げ出したが、家の者がこの騒ぎに気付かない訳が無い。急い

で軍に届け出、岳暈死すの報は瞬く間に国中へと広がり、皆騒然となった。

 その中でもっともいきり立ったのは軍で、これを文官、そして荘沢の陰謀と見。今すぐにも武器を取って

全面戦争を仕掛けんとする勢いである。

 だが意外にも丁俊のみはこれに強硬に反対し、まずは詳しく調査する事が重要であると述べた。影響力が

低下しているとはいえ、彼は未だ軍の指揮権を有している。その命に逆らう事は楓に逆らうと同じ。楓も軍

の動静には注意を払っているから、無用に荒立てれば相応の報いを受ける事は確かである。

 さすがに武官達も暴走を思い留まるしかなかった。

 とはいえ怒りが治まる訳がない。むしろ益々いきり立ち、丁俊の是非を問う声が高まっていく。

 そんな状況で丁俊はよく抑えた。楓を盾にしたとはいえ、政治力が皆無な彼にしてはようく頑張った。

 将兵に無用の刺激を与えず、人の話をよく聞き。彼がその全てを理解していたとは誰も思わなかったとし

ても、純朴に聞く彼の姿は快く映り、何より言いたい事を聞いてもらえるだけで気が晴れるものである。元

々武官達は概(おおむ)ね丁俊に良い感情を持っていたし、彼に悪意の無い事も知っている。調停役には適

任であったのだ。

 勿論、丁俊にそうするよう指示した文官達、特に新檜の功績も大きい。彼らもこの非常時に文だの武だの

言っておれず、純粋に己が行うべき仕事をした。これは大いに評価されるべき事である。



 荘沢派の暴挙が図らずも丁俊の存在感を強める結果になり、荘沢はかえって立場を弱める事となった。

 それは荘沢派の背後に荘沢あり、という当然の図式に人の考えが行った事もあるが。それよりも何一つ具

体的な善後策を打ち立てずにいた事が大きい。

 例え無視している相手であっても、人の悪い所はしっかりと見ているものである。こういう時にこそ軍師

としてその力を発揮するべきであるのに、何もできなかった。荘沢の威信は完全に消え失せた。

 確かに当初は主犯であると疑われ、弁解しようにも聞いてくれる相手が居なかった。彼にも同情すべき点

はある。しかしそんな言い訳など、それこそ誰も聞きはしないだろう。

 結局、荘沢は終始歯噛みして悔しがっているしかなかった。

 丁俊に何かを言っても、無用の事をすれば事を荒立てるだけだ、と諭される始末。その裏に見えるのはも

っともらしい新檜の顔。全身から血が噴出しそうになったが、できる事は無い。

 全ての目論見は断たれた。丁俊を背後から動かし狄を牛耳るという野望は完全に費えたのだ。苦心して実

りつつあった事が、愚かな者達の暴挙で一瞬にして崩れ去ってしまった。事もあろうに岳暈を殺してしまう

とは、何と言う事をしでかしてくれたのか。

 おかげで全てを失った。楓と越にも早晩見限られ、軍師という立場も初めから無かったかのように奪われ

てしまうだろう。

 待っているのは身の破滅。後ろ盾を失った老人などに誰が目を向けてくれよう。彼も好き勝手やってきた

から、恨んでいる者は星の数ほど居るだろう。下手すれば次は自分が殺されてしまう番だ。

 荘沢派を捕らえ、自分の無実を行動で証明できれば良かったのだが。丁俊の動きが速かった。普段は鈍重

極まりない頭をしているのに、何故このような時だけ素早いのか。背後に新檜の手があったとしても、全く

見事な手腕だった。

 自ら武官の不満を抑え、その間に手を回して犯人達を保護の名目で捕らえさせるとは、文句の付けようが

ない。

 幸い、犯人の自供と取り調べによって荘沢主犯説は否定されたが。己が無実を証明もできず、火急の事態

に手を拱(こまぬ)いて見ているしかなかった彼の言葉など、今後一切誰もまともに取り合ってはくれまい。

 無実の証明と引き換えに、挽回の機会を永久に失ってしまった。

「いや、今はまだ、今はまだ軍師という地位だけは残されている。それに楓と越からはっきりと見放された

訳ではない。まだだ、まだやれる事はあるはずだ」

 身勝手な希望的観測でしかない事は重々承知している。それでもそのか細いものにすがるしかない。

 荘沢は必死に考え、打開策を練った。しかし何一つ浮かんではこない。

 現実の前には不確かな希望など何の力も無いものだ。

 軍師には直接的な軍指揮権が無く、将軍の命がなければ何もできない。そしてその将は荘沢の言葉に耳を

貸さない。これでは何かをしようという方が無理である。

 「・・・・・待てよ」

 確かに軍指揮権こそないが、軍師にはいつでも将に進言できる特権があり、将もまたそれを考慮しなけれ

ばならないという慣習がある。

 勿論進言できてもそれを聞いてくれなければ意味はないが。その言葉に相応の重みを持たせる事ができれ

ば、丁俊とて考慮せざるを得なくなる。

 そして重みと言えば。

「越だ。越という名がまだわしにはあるではないか」

 越の利益主義と言うのか、そういう感情に救われた。彼らは要らなければ捨てるが、必要か不必要かはっ

きりするまでは手放さない。それが越の利になるのなら、こんな状況でも取引に応じてくれるはずだ。

 とはいえ時間が無い。越を納得させられるだけのものをすぐに用意するのは不可能に近い。ここは越の利

益主義を信じ、事後承諾させるしかない。許可は得ていないが、儲かったから良いだろう。そんな形に持っ

ていく。

 危険だが、他に方法は無い。後の事はもう後の事と頭の中から切り捨てた。今生きられなければ、明日は

無いのだ。

「越・・・・・越・・・・・・越」

 荘沢は越の名を何度も何度も呟きながら、どう利用すべきかを考え抜いた。

 難しいが可能性は残されている。丁俊を上手く操作し、越を利する流れに持っていけばいい。それができ

れば全ては変わる。あらゆる不運が幸運へと生まれ変わる。

「まず新檜を片付けなければ」

 現在丁俊を動かしているのは文官、主として新檜である。表に立たず、表面上は丁俊に協力して彼の命に

従っている格好だが、どちらが指示する立場かは誰にでも解る事だ。

 彼をどうにかしなければ、丁俊を手中にできない。

 その為には武官の心情を利用できる。

 今は火急の事態であり、丁俊が不思議と将器を示しているから黙っているが。武官達の中には苦々しく思

う者の方が多いだろう。

 現状に対する危機意識も大きい。

 文官に対抗できる唯一と言っていい存在だった岳暈は死に。現在軍を率いている丁俊は文官の言いなりだ。

 彼らは新しい将を求めている。丁俊ではなく、岳暈らしき誰かを。

 おそらく初めはそれを自分達の中から探そうとするだろう。武官の中から将に相応しい武官を選ぶ。それ

が望ましい形である。

 だが岳暈は荘沢のような存在が増える事を嫌ったのか、後継者を育てようとしなかった。部隊長は多く、中

には才のある者も居るだろうが、岳暈に比べればいかにも見劣りする。誰を推したとしても荒れるだろう。

 そうなれば嫌でも荘沢の名が挙がってくる。将軍にさえ就ければ、自分の思い通りに動かす事さえできれ

ば、どういう状況であれ上手くまとめられる自信が荘沢にはある。そうして実力を示せば、兵達も見直し、

楓や越も評価を変えざるを得なくなる。

 紆余曲折(うよきょくせつ)あったが、最終的には望みを遂げるのは自分だ。天に選ばれたのは岳暈でも

丁俊でも新檜でもない、この自分なのだ。

「全ては天命である」

 口にすると、正しくそのように思えた。



 丁俊は苛立ちながらも懸命に(新檜から)与えられた役目をこなしている。命じてくれる者が居れば迷わ

ずに済む。そうなった時の彼は侮れない力を持つようだ。

 嬉しい事に部下達もよく働いてくれた。荘沢派を一人も逃さず迅速に捕らえ、尋問も終わり、今は楓に引

き渡す準備を進めている。このような者達は即刻殺してしまうべきだと丁俊自身は思っているのだが、新檜

らが殺さず楓に引き渡す事を強く主張した。聞かない訳にはいかない。

 その意図は荘沢を利用して武官を二派に分けさせ、争わせて共倒れにしようという所にあるのだろうが、

勿論丁俊は気付かない。頭の良い人が言うのだからその通りなのだろうと子供のように信じている。

 だが文官の思い通りに事が運んだのはそこまで。誰が吹き込んだか、丁俊の働きには文官の影あり、岳暈

を殺したのも文官の命であって、全ては軍を二つに裂き共倒れにする策であったのだ。という声がそこかし

こから聞かれるようになった。

 それを皆が皆鵜呑(うの)みにするようではないが、考えてみれば丁俊がこのように頼もしいのはおかし

い。岳暈の死以来、文官が大人しくなったのも不自然だ。

 改めて考えると疑問ばかりが浮かんでくる。

 終には、丁俊自身が岳暈を殺したのだ。でなければあの岳暈が易々と討ち取られるはずがない。というよ

うな流言まで飛び交う始末。

 やはり丁俊では不安がある。ここはもっと頼りになる者が将に就くべきだ。文官の意など歯牙にもかけず、

堂々と振舞う岳暈の如き者が。

 しかし軍内に適任者が居ない。野望に燃え、何人かが名乗りを挙げたが、皆悉(ことごと)く失敗した。

威勢は良かったのだが、口だけで行動、能力が伴(ともな)っていない。前にも触れたように、これは岳暈

の失態でもある。

 もっと経験と実績のある指揮官が必要だ。

 となれば荘沢の目論み通り、彼の名が挙がる。将として軍を率いた経験があり、軍師という肩書きもある。

少なくとも有象無象の兵よりは頼りになるのではないか。

 あれだけ無視し、頼りなく思っていた荘沢も、一つ見方を変えればいかにも頼りがいがあるように見えて

くるのだから不思議なものだ。

 それに対して疑問を浮かべた者も居ただろうが。彼らにも他に当ては無い。同意するしかなかった。

 荘沢の読みはここまでは見事に当たった。

 しかし誤算だったのは、全く意図せぬ所から有能な人物が出てきた事である。

 その名は蕃伉(ハンコウ)。小隊を率いる小隊長の一人に過ぎなかったこの男が、荘沢の読みを呆気なく

崩す事になる。




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