21-6.千里万壊


 蕃伉という男に関する資料は少ない。さすがに碧嶺(ヘキレイ)も一小国の小隊長程度までは手が回らな

かったようだ。

 察するに、食い扶持を稼ぐ為に野党の類か運び屋になり、それから孫軍に入って今に到る。その程度のあ

りふれた経歴なのだろう。

 年齢は三十前後。正確な生年月日などは解らない。もし狄史のようなものが現存していれば、そこに何か

が載っていたのかもしれないが、狄について信憑性のある資料は碧嶺蔵史くらいしか現存していない。

 故に彼について解るのは、狄において頭角を現して後の事が全てだ。

 資料によると猛将という型の男ではなく、大人しく地味だが真面目、従えるというよりは好かれて担ぎ上

げられるような男であったらしい。

 この蕃伉が何をしたかと言えば、実はそれ程大きな事をした訳ではない。機に乗じて兵を集めようとか、

荘沢に対抗しようとか、そういう野心は持ち合わせていなかった。

 彼が行った事と言えばたった一つ。丁俊に正面から独りで挑み、貴方に知恵を貸しているのはどこの誰な

のか、と問うただけである。

 丁俊は元々裏表の無い男なので、その問いにも正直に答えた。その言葉が何を意味するのかなど考えもせ

ず、自分には何も恥ずべき事はない、と宣言でもするように堂々と答えたようだ。

 そして不思議そうにこう問い返した。こういう時に新檜らの知恵を借りなければ一体いつ借りるのか。そ

の為の知恵者ではないか、と。

 蕃伉は礼を述べて辞し、それをそのまま武官達に伝えた。勿論、そうすればどうなるかを理解した上で行

ったのだろう。

 しかし当初は彼も自分が主導的立場に就くとまでは考えていなかった。単に上官への不信に飽いて、もう

彼らには任せておけない、我らだけで行動すべきだ、程度に思い、発作的に行動しただけである。

 丁俊は文官の言いなり、それを止めるべき荘沢もまた文官と通じている。下士官や兵達もそのくらいの事

は解っていたのだ。

 このままでは最終的に誰が権力争いに勝つにせよ、結局武官はその下でこき使われるしかなくなる。軟弱

な文官共が上に立てば、狄国はいずれ楓に併呑されてしまうだろう。蕃伉にとって、それだけは我慢ならぬ

事だった。

 何しろ孫を討ったのは楓である。直接孫文を廃した訳ではないが、孫が覇王の座から転げ落ちたのは楓の、

楓流のせいだ。

 そして今、その楓が狄まで呑み込もうとしている。二度も居場所を奪われてたまるものか。

 蕃伉は楓に対して強い不信感を抱いていた。度重なる楓流の温情に満ちた処置でさえ、後に狄を奪う為の

手段に過ぎないと考えていたようだ。大部分の者はそれもやむなしと諦めていたが、彼だけは心の中で強く

反発していたのだ。

 皆楓は信用できる国だというが、結局は一番得をし、一番領土を拡大してきたのはこの国だ。非道な事を

やっていないとは言えないし、自国の利益を一番に考えているのも同じ。楓もまた歯向かう者は容赦なく叩

き潰してきた。

 確かに配慮され、優遇された国もあった。しかしそれも一時の事だ。中諸国にしてきた事を思えば良く解

る。布、梁、天水、天風、蜀。これらの国が今どういう状態にあるのか、ようく見てみるがいい。

 何故こうも楓を利する方にばかり物事が転がっていくのか。そこに何らかの強力な意志があると考える方

が自然ではないか。

 楓に悪意が無かったとは、誰も言えまい。

 このような心情から蕃伉は丁俊への直訴という行動に出たのだが、計画性も何も無い発作的な行動である

からには、それだけで終わるはずのものだった。

 彼自身も前述したようにこれが大きな動きに発展するとは考えていなかっただろう。

 それはその後の状況をどこか持て余すようであった事からも解る。

 だが彼の投じた小さな一石でも、狄を動かすに充分であったのだ。そこまで狄内は沸騰し、力の行き場を

探していた。本来、荘沢と楓に注ぎ込むはずだったその力が、蕃伉個人に流れ込んだのである。



 蕃伉を担ぎ上げた事で、狄には(彼の意志である)独立への機運が生まれつつあった。とはいえ、それは

あくまでも武官、つまり軍内だけの話であり、その軍には丁俊という指揮官が居る。彼の背後には楓が居る

だけでなく、文官とも結託しているのだ。その気になれば蕃伉派など蹴散らせただろう。

 兵の間にも楓を頼りたいと考える者は少なくないし、例え文官の言いなりだとしても現状では丁俊に付き

従うしかないと考える者も居た。

 これでは軍をまとめて文官を打倒し、蕃伉が支配者の座に就く、という訳にはいかない。軍の意思を一つ

にしない事には、革命など起こせはしない。

 ただ、兵が気持ちとして一番向かいたいのは蕃伉であったようだ。皆大国に好き勝手されたくないという

気持ちは同じ。独立できるものならしたいとは考えている。

 そもそも合議制を受け容れたのも、独立への道が拓かれると思ったからだ。

 それなのに議員達は無用な権力争いにばかり終始し。武と文の対立も後戻りできない所まで深まった。

 我々が望んだ未来はこうではなかった。

「我々は独立をこそ望んできたのだ!」

 蕃伉が畳み掛ける。普段物静かな男が声を張り上げて演説する様は不思議な迫力があり、耳目を惹き付け

るに充分な力を持つ。

 このような立場を望んでいた訳ではないのだが、今更後には退けない。力不足なのも解っていたが、狄の

独立を成し遂げる為には無理でもやるしかなかった。自分がやるしかないのだ。

 変化を望むなら、誰かが行動しなければならない。待っているだけでは何も変わらない。

 だが彼には人が思っているような革命的な思想はなかった。丁俊に直訴したのも、彼を追い落とす為では

ない。むしろ彼は丁将軍という人事に賛同していた。

 不満なのは荘沢の方にある。彼が軍師という役割を果たしていない。それが全ての元凶だと蕃伉は考えた。

荘沢を追い払い、早急に相応しい人物を軍師に据えなければならない。

 その人物に当てはないが、追い払えるだけの力を得れば、人材など後から集まってくる。まずは荘沢をど

うにかしなければならない。

 幸い、合議制は票数が全てだ。そしてどれだけ権威があろうと議員が持つ一票の価値は同じ。人さえ集め

られれば、後ろ盾などなくても議会を動かせる。

 人はすぐに集まった。蕃伉の考えは狄人として自然であり、最も賛同しやすい。武官も気持ちの中では蕃

伉に付きたがっている事は触れた。丁俊、荘沢に失望した者達からも支持を得る事ができている。皆、蕃伉

という新しい形を喜んだのだ。

 その中には有名無実となっていた議員も少なくない。彼らもただ命じられるまま投票するしかない事に、

うんざりしていたのだろう。

 こうして蕃伉は国政を左右する力を得た。

 こうなれば楓も無視する訳にはいかない。早速使者を発したが、蕃伉は即答を避けたようだ。大国嫌いの

彼がはっきりと断らなかったのは、迷いがあったからである。楓に付くか否か、ではなく。どう戦えば良い

か解らなかったのだ。

 蕃伉にはそういう事を相談できる頭脳が居なかった。計画し、その通りに進めて行けるような人材が一人

も居なかったのである。

 結局、狄の独立という言葉一つに全てを賭けるしかなかった。



 独立。それはそこに何一つはっきりしたものが伴わなくとも、それだけで行動の指針となり得る便利な言

葉。聞くだけで身も心も奮い立つような強い求心力を持つ言葉だ。

 それを掲(かか)げる勢力に属すだけで、まるで最初から自分がそう望んでいたかのように錯覚させられる。

 蕃伉もまたその言葉に乗せられていた部分があるのだろう。大陸屈指の大国家である楓に挑もうなど、正

気とは思えない。内に秘める熱に酔いでもしていなければ、とてもできない所業だ。

 しかし彼にしても勝機が無かった訳ではない。何しろ狄の独立は楓の意思でもある。宜焚、楊岱という代

官を置いたのも、合議制などという仕組みを持ち出したのも、(便宜上のものであったとしても)そこへ到

るが為である。

 故に上手く立ち回る事ができれば、楓が自ら自身に課したその制約のようなものによって、蕃伉が勝利す

る事は不可能ではない。

 その為にも、まずは国内を独立の気運で満たさなければならない。

 幸い、武官の勢いが増した事で文官の勢威は衰え、丁俊の権威も衰えている。相変わらず同情的な視線は

送られているものの、彼が文官の傀儡(かいらい)である限り、以前のような力は持てないだろう。岳暈死

後の活躍が嘘のようだ。

 この状況を文官はどうにかしたいだろうが。彼らも軍の暴走を恐れる余り、萎縮してしまっている。

 何しろ蕃伉には実権が無い。彼は同志の中の兄貴分であって、上官ではないのだ。例え彼を納得させられ

たとしても、彼に付く者がその意に従うとは限らない。

 崩すのは容易だが暴徒化しやすく。その暴徒と化した兵達から身を守る術を文官達は持たない。皮肉にも

蕃伉の立場を守る事が自分達を守る事に繋がる、と言う訳だ。

 だがこのまま静観していたとしても、武と文が相容れないのであれば、どの道武官達は文官を攻撃し、徹

底的に貶(おとし)めようとするだろう。

 最早狄を出て、楓を頼るしかない。楓は頼られれば嫌とは言えないし、武官達も楓には手が出せない。そ

の事で狄における楓の支配力が増すとしても、今のような武官上位社会よりはましである。

「最早、躊躇してはおれぬ。すぐさま行動に移すべきだ」

 新檜は本来慎重な男だが、この状況ではそうも言っていられない。今やらねば、武官にこき使われるだけ

の人生が待っている。それは死以上の屈辱であった。

 文官達もその言葉に同意した。元々彼らの多くも自分の意志というものを持たない。決まりきったように

武官と対立し、新檜に盲目的に従っている。自分達が馬鹿にしている武官と同じである事に気付こうともし

ない。

 学があろうとなかろうと関係ない。彼らもただの人間であった。

 こうして新檜率いる狄の文官は、そのほぼ全てが楓に亡命する事を申し出たのである。



 新檜らが亡命を申し出る相手は、明開になる。彼が楓の出先機関のようなものなのだから、当然だ。

 明開はその申し出に多少戸惑ったが、獲物が向こうから飛び込んできたのだから断る理由は無い。快く応

じ、文官と丁俊を自宅など武官の手が及ばない場所へと匿(かくま)った。

 楓流も了承し、明開が返答を待たず即座に対処した事を誉めている。亡命ともなれば一刻を争う。明開に

大きな権限を与えているのもこういう時の為なのだから、柔軟に対応した事は大いに評価できる。

 そして同時に余り直接的な行動に出ないよう良い含めてもいる。

 具体的に言うなら、新檜らの望む蕃伉討伐軍を出す、というような事だ。蕃伉を謀反人に仕立てて軍を送

る事は不可能ではないが、楓流としては中諸国に蔓延(まんえん)しつつある楓の悪印象を払拭したい。軍

事力を用いる事は最後の手段としたかった。

 そこでまず蕃伉と接触し、その話をようく聞くよう命じてきたのである。

 明開は余りにも弱腰なのではないか、と思ったが。楓流の心配も解らないではない。大陸統一後の事を

考えても、穏便に済ませるに越した事はない。

 それに楓流の命は絶対だ。明開の自由裁量も楓流の意あってこそ。それに明開にしても今強硬姿勢を貫く

事に明確な利があるとは思えなかった。

 蕃伉という存在は未知であり、ほとんど意識すらしていなかった相手。彼が何を考え、どうしていくのか、

まずはそれを把握する必要がある。

「どの道、一度は会っておかなければならぬ相手よ。これを良い機会と捉えるべきだろうぜ」

 蕃伉も楓と争う事は避けたいはずだ。亡命した丁俊の軍指揮権を未だ剥奪していないのがその証拠である。

むしろ彼らは楓の報復を恐れているのではないか。

 蕃伉がどれほどの人物であれ、一小隊長風情に大きな交渉事の経験があるとは思えないし。文官が揃って亡

命した事にも面食らっているだろう。楓の助けを今最も欲しているのは彼であるかもしれない。

 まずは新檜達から詳しい話を聞いてみよう。

「逆に好機となるやもしれん」

 交渉の準備には時間がかかる。その間に狄内の混乱も治めておかなければならない。さすがに主だった文

官が全て居なくなれば、正常に国を運営するのは無理がある。きちんと対処しておかなければならない。

 その為にも丁俊の立場を明確にしておく必要がある。どんな理由があれ、兵と国を見捨てて逃げたという印

象を持たれる事は不味い。

 至急狄へと戻し、亡命ではなく新檜らの護衛が目的だったのだと説明させなければならないが。何しろ丁俊

は政治能力が皆無。弁舌の才も無い。助けが要る。

 その役目は荘沢が適任か。丁俊は文官に騙されて連れて行かれたが、その目論見に気付き、腹を立てて戻っ

てきた。とでも話を作り、語らせておけば多少は効果があるだろう。

 荘沢自身も寄る辺がなくて困っているはず。断りはすまい。

 明開は新檜に丁俊の説得と説明を命じ、平行して荘沢にも使者を送った。

 命じた、と言っているように新檜には拒否権が無い。最早狄に彼らの居場所は無い。明開に見捨てられれば、

怒り狂った武官にどういう目に遭わされるか、言うまでも無い。どういうつもりで亡命してきたのかは知らな

いが、せいぜいこき使ってやるとしよう。

「愚かな奴等よ」

 明開から見れば、蕃伉も新檜達も等しく愚かであった。



 丁俊は新檜らの説得で軍指揮権を返上し、議員の座から退いた。文官達も亡命した時点で全てを放棄した

も同然であるから、文官派は完全に力を失ったと見ていい。

 次に荘沢を通して議会に働きかけ、蕃伉を新しい将軍として迎え入れさせた。勿論、議員にも加えている。

すでに裏工作は済んでいるので、迅速に事は進んだ。

 ここまでは予定通りだったのだが、全てが自分達の思い通りに進んで行く事に浮かれた武官達は、これに

満足する事なく更なる要求をしてきた。

 つまり、独立である。

 これに対し、明開は表面上は賛同する立場を取ったが。さすがに独立を自分一人の権限で決める事はでき

ない。楓流様と話し合ってから然るべき返答をさせてもらう、とだけを伝え。最後まで具体的な話をしなか

った。

 これでは誰も納得するはずもないが。明開が相応の利を与える事でその声を沈静化していき、次第に蕃伉

も大きくは言えなくなってしまった。

 同志という対等な関係は簡単に結び付きやすいが、同じだけ簡単に離れてしまう。元々誰も楓に逆らう意

思はなかったし、ある程度自分の意見が容れられただけで満足してしまえるのだろう。

 さすがにこの辺の呼吸は心得たもので、蕃伉程度が明開に太刀打ちできる訳もない。

 将軍など飾り物に過ぎない。蕃伉達がその事に気付いた時はもう遅かったのである。

 明開はこの結果に満足し、次の指示を楓流に仰いだ。

 楓流としては狄の独立は望む所であったのだが、結局蕃伉達の言う独立が何を持って完遂されるのかはっ

きりしておらず、何より彼らに政権構想が全く無いに等しい事を知って、考えを変えた。

 狄をこのまま独立させたとしても、まともに国家運営出来ずに崩壊し、無用の面倒が増えるだけと判断し

たのである。

 そこにはある程度明開の操作もあったのだろう。彼から見れば楓流は甘過ぎる。物分りがいい、慈悲深い

という印象を与える事は大事だが、狄が野放しのままでは中諸国が落ち着かない。

 文官と丁俊を思い通りに出来る今こそ好機。独立などと笑わせる。少々腹黒い手を使っても、事を成すべ

きである。その為にこそ自分が居るのではないか。

 この時の明開は少々思い上がっていたのかもしれない。自分の策が当たり、今も順調に運んでいるように

見える事から、策の裏にある危険性を忘れてしまい。楓流を邪魔に思う事の方が多くなっていた。自分に任

せてもらえば、余計な口出しをされなければ全てが上手く運ぶのに、と。

 ただそんな彼でも楓に反する気持ちは全く無かった。今の自分は楓流あっての存在で、彼の信任を失えば

一挙に没落する事を解っていたし。そういう時の楓流は誰よりも厳格で私情を挟まない事を忘れていなかっ

たからだ。

 明開という男は楓に、いや楓流に対して、最後まで確かに忠実ではあった。



 明開は次に、蕃伉に小王のような権限を与える事を進言した。独立の気運を崩す為には、その代名詞とも

言える蕃伉を自滅させる事が最も効果的であると判断したからだ。

 とはいえ狄は合議制の国、多少形を変えなければならない。

 そこで蕃伉に将軍府を作る許可を与える事にした(勿論、許可を出すのは楓流だが)。

 府内に限るとはいえ、人事、司法、立法まであらゆる権利を与えられ、王位に就くにも等しい力を得られ

る。その将軍府を開く権利を与えられたという事は、狄一国を任されたも同じ。

 蕃伉派はこれによって自分達の時代がやってきた。独立への道を歩み始めた、と歓喜した。

 最早文官など恐れるに足らない。武官絶対優位の時代がきたのである。

 明開はこの機を逃さず、文官の必要性を説き、復帰させる事を認めさせた。

 武官は転がり込んできた権勢に酔っていたし、内心は文官の必要性も感じていたので、思い通りに操縦す

るのは簡単だった。丁俊が新檜の言葉を鵜呑(うの)みにするように、武官らも明開の言葉を疑いもせず受

け容れたのである。

 そして文官には亡命前と同じ立場が与えられ、議員としても復帰し。丁俊には大隊長の座が、荘沢にはそ

の副官としての地位が許されたのだった。



 議会は名ばかりのものとなり、蕃伉の将軍府政治が始まった訳だが、半月と持たなかった。

 元々蕃伉派は彼に心酔し、忠誠を誓った者達の集まりではない。蕃伉の態度には一目置き、慕ってもいた

が。例えば彼の為なら命も投げ出そうという者は数える程も居なかった。

 まだ蕃伉が彼らの満足できる統治を行えていたのなら、変わっていたかもしれないが。独立という方向性

だけを与え、その流れに乗っていただけの男に、政府を任せるという事自体が無理な話であったのだ。

 浮かれ騒ぎ、期待が大きかった分、失望もまた大きい。

 蕃伉派は次第に自分達の失態まで蕃伉に被せるようになり、全ての責任を押し付けた上で対応策を早急に

出す事を強要した。本来は王にも等しい立場にあるはずの蕃伉に対し、まるで召使いにでも言うように身勝

手に命じたのである。

 だがそんな事を言われても、蕃伉に打つ手などない。

 明開に泣きついても、助言以上の協力はしてくれなかった。

 文官に頼る手もあるが、それは彼の自尊心が許さない。それにそんな事をすれば後で文官に頼った事を問

題にされるかもしれない。人は恩を忘れ、恨みこそ残すものである。

 こういう時に使うべき将軍の権威も失われた。

 元々蕃伉は一小隊長に過ぎなかった。一時の隆盛によって将軍になったが、部下よりも上官や同僚の方が

多い。その上、彼らには自分達が担ぎ上げたからこそ蕃将軍が誕生したのだ、という自負がある。調子の良

かった時ならまだしも、落ち目になった名ばかりの将軍の命など聞くはずもない。

 民の支持を盾にできればいいが、行政が滞(とどこお)り、かえって以前よりも生活が苦しくなってから

は失望感の方が強い。その上、傲慢になった武官が民と衝突する件数も増えている。支持どころか、恨まれ

ている方が多いだろう。

 丁俊や荘沢の復帰を望む声も増えており、これでは何の為に立ち上がったのか解らない。

 むしろ悪化している。

 蕃伉の全身を絶望感が襲う。

 しかし諦(あきら)める訳にはいかない。未だ将軍位にあり、独立という言葉にも牽引力が残っている。

やりようはあるはずだ。このまま楓の好きなようにさせてなるものか。

 蕃伉の目には、はっきりとした決意が生まれていた。




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