21-7.尽人事而待天命


 蕃将軍府が崩壊寸前にまできた所で、明開は初めて具体的な策を蕃伉に授けた。

 それは全ての文官を許し、相応の地位を与えて府の要所に配置するという策である。

 だがそんな事ができるなら苦労はしない。文官に迎合する丁俊に不満を持ち、その反発に乗って今の蕃伉が

あるのだから、今更文官に頼ればそれこそ武官の信を完全に失ってしまう。

 明開もそんな事は解っている。しかし彼にはある考えがあった。

 今でこそこうなっているが、文官を排除しようという考えが初めから武官の間にあった訳ではない。文官が

逃げ出したから、勢い付いてそのように言い出しただけであり。彼らも文官の必要性を頭の中では理解していた。

 文官が逃げ出し、政治や内政に関わる細々した仕事の面倒さ知った今では尚更である。

 それでも文官を否定し続けているのは、引くに引けない意地があるからに過ぎない。

 詰まらない理由だが、意地というのは本当に厄介なもので、人の争いはそういう些細なものから起こる事が

多い。他人から見れば、下らない事に一喜一憂するのが人の常なれば、馬鹿にできない問題である。

 ではどうするか。

 望み通り、文を武の下に置けばいい。

 文官が武の領域にまで踏み入ろうとしたから危機感を抱いたのであって、そうできなくさせれば一応は解決

する問題なのだ。そうして武官の面目を保てるようにすれば、表面的な態度はどうあれ、内心喜んで文官を受

け容れるだろう。

「新檜を軍師にし、文官をその部下とすればいい。そうすれば全ての文官が蕃将軍の下に付く事になり、新檜

以外は部下の部下である陪臣となる。

 軍師がいかに役立たないものであるかは証明されているはずだ。結局蕃将軍の命がなければ何もできないの

だから、武官達も小気味良く思うだろうよ。不満が出るのは初めだけ、すぐに理解し満足する。

 ただし、文官達に対する褒美は忘れるな。奴等にはこれからうんと働いてもらわなければならぬのだからな」

 蕃伉がこの言葉の真理を理解したかは怪しいものだが。他に手はないし、何やら尤もらしく聞こえるのでや

ってみる気になったようだ。

 わらにもすがる思い。

 それほどに彼も追い詰められていた。



 蕃伉から文官を軍の一部門、軍師部としてまとめて面倒見る事が提示されると、予想した通り武官らの反

発には激しいものがあった。

 彼らは文官という言葉そのものに過剰反応するようになっている。その中身は関係なく、文官を否定する

言葉以外のものを受け付けなくなっているようだ。

 それでも根気良く説明を続けると、最後には不承不承ながら納得してくれた。やはり彼らも今の状況を解

ってはいるらしい。

 蕃伉が、明開に助言されたように、彼らの面目を保てるよう話した事、軍師部が部門としては一番下位に

属している事も良い方に働いた。

 文官の方も新檜と明開がよく言い聞かせたのか、その処遇に反対する者は一人も出なかった。

 蕃伉もこの結果に気を良くしたのか、明開を頼るようになり、態度が従順なものになった。

 だが明開も愚かではない。蕃伉の従順さが見せかけである事、狄という国が息を吹き返した訳ではない事

をようく解っていた。

 狄という国は狄仁(テキジン)、狄傑(テキケツ)の二頭体制が崩壊した時点で終わっていたのだ。初め

の仕組みが崩れてしまえば、何を代えようと無駄な事。再生させるには全てを一から築き直さなければなら

ない。王制を合議制に変えるような表面的な事ではなく、もっと根本的な改革が必要なのだ。

 それなのに皆その終わった狄という国にこだわり、抜け出せないでいる。

 狄人は努力を怠(おこた)った。改革の必要性から目を逸らし、居なくなった王の代わりを一心に求めて

きた。初めから当てはまらないものを無理に当てはめようとし、国民全てで自滅の道を歩んできたのだ。

 事は蕃伉一個の恨みや憎しみなどでどうこうできるような問題ではない。結局奴も腐った牙城に居座る亡

霊に過ぎないという訳だ。

「それに気付けぬからこそ、上に立てているのだろうぜ」

 代わりのきかない代役に甘んじるしかないとは、何とも悲しい話だ。

 ともあれ、狄はこれで片付いた。

 後はこの不安定な状態を維持し、然るべき時に崩せばいい。丁俊然り、荘沢然り、一手で崩れる砂上の楼

閣を中諸国全体に作る望みは成ったと言える。

 中諸国を安定しようという楓流の考え方そのものが間違っている。不安定の中に置き、弱体化、依存させ、

楓の意向のみを考えるようにさせておかなければならない。

 この国々が不安定である事こそが、(楓にとっての)安定となるのである。

 それにこれは越商への牽制にもなる。中諸国という交易路が安定するも不安定になるも楓次第となれば、

さすがに越も考慮せざるを得ない。

 明開は越に秦以上の危機意識を持っている。越の輸送力なくして楓という大国家が成り立たなくなってい

る一事を思っても、危機感を抱くのは当然だ。

 越が従に甘んじる国家だと考えるのは、それこそ甘い考えである。商人の欲には際限がない。大陸統一が

成り、楓政権が安定するまでは大人しく従っているかもしれないが。いずれ楓の乗っ取りを考えるだろう。

 明開も越が楓流を上手く操れるとは思わないが。彼と趙深の死後、どうなるかは解らない。そしてそれは

何百年先の事ではなく、数十年後というすぐそこにある未来の話だ。

 その前に力を奪っておかなければならない。

 楓の為、そして何より自分の為に。



 楓流は明開の報告に概ね満足していたが、不安要素が多過ぎるとも思った。彼の目的が不安定の中の安定

にある事は知っているし、秦に利用されない為にはそうせざるを得ない部分がある事も理解していたが、そ

れにしてもやり過ぎではないだろうか。

 崩壊というものは人間に操作できるようなものではない。誰も止められないから崩壊なのであり、明開の

自然界すら人の理(ことわり)の中に組み入れようとする姿勢には恐怖を感じる。

 それは楓流が自然の中で育ち、一時自然そのものであった事とも無関係ではないだろう。おそらくこの世

で(今は亡き彼の養父を除けば)彼以上に自然というものを知っている人間は居ない。

 子遂という存在もその不安を加速する。明開に崩せるのであれば、彼にも同じ事ができるだろうと。

「信じ、一任するのが大原則だとしても、やはり相応に対処しておくべきか」

 とはいえ楓流自身が中諸国内で動けばたちまち明開の察する所となり、無用の不信感を生む。それは楓に

とって甚だ不利益な事となろう。

 明開という存在は楓にとって大きなものとなりつつある。このまま力を伸ばし、野望でも抱けば、厄介な

相手となるかもしれない。おそらく楓流以外の者であれば彼に警戒し、役目を解くか、或いはもっと進んで

非常な手段に出る事も考えていたはずだ。

 例えば趙深なら、そうしただろう。危険の芽は育つ前に摘み取っておくに限る。

 だが楓流にそのような決断はできない。しないのではなく、できない。慈悲深いというよりは、やはり甘

いのだ。そしてその事は彼自身が誰よりも解っている。同時に、その甘さがあるからこそ楓という国が成り

立っているのだと言う事も。

 甘さ、弱さ。それがあるから楓は勢力を伸ばせたのだ。矛盾しているように見えて、これが真理である。

趙深が彼を見込んだのもここであろう。強いだけでは成り立たない。過ぎたる強さは自分をも食い殺す。強

者である孫が滅び、弱者であった楓が生き残ったのはその為だ。

 しかし今はその弱さに甘えていられる時ではない。何もせずにいれば、その時間だけ未来を失うだろう。

 ではどうするか。

 直接手を出せないのなら、間接的に干渉するしかない。

 例えば中諸国を優遇する政策を打ち出す。それ自体には大きな効果はないが、楓流の意と明開の意が必ず

しも同じでない事を示す事は、人心に少なくない効果を及ぼす。

 それにこの程度であれば明開も不審には思わないだろう。

 だが勿論、これだけでは足りない。

 幸い、決戦の準備は整いつつある。中央軍を動かす将をどうするかという難題は残っているが、南方の軍

備といい、中諸国の安定(一応そう言えるくらいは楓流も評価している)といい、輸送の問題といい、ある

程度目星は付いている。今なら少しの無理はきくだろう。

 何かをするのであれば、良い時期である。

 逆に言えば、これが最後の機会という事になるのかもしれない。

「慎重に考えなければならぬ。まずは対処すべき問題を具体的に洗い出すべきだな」

 漠然とした不安には対処しようがない。具体的な問題点を出す事で、初めてその対処法が見えてくる。

 楓流はまず、秦との決戦時において中諸国が機能しなくなるという最悪の状況を想定する事にした。

 この場合問題になるのは、中諸国が中央と南方を繋ぐ道のほぼ全てを担っているという点だ。中諸国の謀

反自体が恐いのではなく、それによって輸送路が使えなくなるという事が問題なのだ。

 特に交通量の多い蜀、狄、梁の危険性が高い。そしてこの状況を作り上げたのが明開である。彼の信条に

こだわる余り、その点を度外視した事はやはり評価できない。

 とはいえ明開に任せたのは楓流の責任である。それに解り易い弱点がある事は敵の動きを読みやすくする。

悪い事ばかりという訳でもない。

 例えば別に輸送路を築いておく事ができれば、秦の裏をかき、大きな効果を挙げられるだろう。

 だがそれは簡単な話ではない。

 別の道として、衛から天水、天風を南下して梁を抜ける道もあるが。結局梁を通るし、天風には子遂が居

る。この道を本道とするのは危険過ぎる。

 可能性を言えば、集縁から南方へ抜ける方法もあるが。それには大陸中央を走る山脈群を通らねばならず、

多大な労力を必要とする。

 扶夏(フカ、或いはフッカー)王の部族連合軍が中央に直接攻めてこれなかったのも、その険阻な地形が

理由なのである。

 泰山を代表とするこの壮大な山脈群を通って補給路を築くのは至難の業。山脈には河川も流れているが、

それを利用するにも大規模な工事が必要となる。そんな事をしている余裕は無い。

 中諸国も駄目、山脈を通る道も駄目となれば、残っているのは秦を通って南方へ抜ける道だけだが、秦を

通る道など論外である。襲ってくれと言っているようなものであるし、例え秦を抜ける事ができたとしても、

その先には秦に付く部族達が待っている。

「まさに正気ではない。しかしだからこそ敵の虚を突く事になるか・・・。あり得ない事というのは、それ

だけで有用である場合もある。必ずしも不可能であると言えないのであれば、考慮する価値はあるかもしれぬ」

 多難であるとしても、道があるのであれば試してみるべきだろう。上手くいかずとも、その姿勢を見せる

だけで秦への牽制にはなる。無謀に見えるだけに、それに対する備えもされていないだろうし。もしかすれ

ば幸運を招いてくれるかもしれない。

 次に大きな問題と言えば、中央の軍を誰に率いさせるか。

 選択肢は少ない。中央に居る者の中で一軍を任せられる者が居るとすれば魏繞(ギジョウ)しかいない。

後は衛から紫雲世(シウンセイ)を呼ぶ。それくらいか。

 中央には凱聯も居るが、論外であろう。彼は遊撃軍という形で大局に影響の出ない場所で働いてもらうの

が望ましい。重要な命令を与えれば、その分だけ味方に損害が出るだろうからだ。

 幸い、魏繞が凱聯の扱いに慣れつつある。奉采(ホウサイ)、明慎(ミョウシン)といった、今となって

は古株の者達も凱聯には慣れている。何とかしてくれるだろう。それでも駄目なようなら、楓流自身が命じ

ればいい。あの厄介者も楓流の命令には従う。

 このように一応の案はあるのだが。それだけで勝てるかと言えば、疑問が残る。

 何しろ相手は秦王自身が率いる本隊だ。実質秦で最強といえるのは南方の部族から編成される氏族軍であ

ろうが、この秦本軍も馬鹿にならない。

 西方の兵は強いという定評があるし。秦兵には自分こそが秦の兵という誇りがある。部族などに負けてた

まるか、我らが決戦の勝敗を決定付けるのだ、と士気も旺盛で。楓の本拠といえる集縁を落とすまで、決し

てその歩を緩めようとはしないだろう。

 秦のすぐ北には同盟国である双が居るが、この国の軍事力には期待できない。西方とは逆で双の弱兵ぶり

は有名であるし、いかに楓の意を受けた紀陸(キロク)が双王から全権を受けて奮闘したとしても、秦に圧

力をかける以上の働きは望めない。軍を出しても返り討ちに遭うだけである。

 双軍は張子の虎。紀陸も双王もそれを解っているから、直接戦う道は選ばない。

 中央の戦いは楓の集縁兵と窪丸兵を主とする楓中央軍だけで何とかするしかない。

 胡虎さえ存命であれば、凱聯というお荷物を差し引いても問題はなかったのだが・・・・。

「胡虎・・・、お前さえ生きていてくれれば・・・」

 楓流の半身とも言うべき胡虎を亡くした事は最後まで悔やまれる。楓流の為にのみ存在し、生きたような

この男は、趙深と並ぶ楓の要(かなめ)であった。

 楓流は万能の天才と称されているが、彼にしてみれば胡虎こそが万能と呼ぶべき存在であったのだと思える。

 だが死んだ者に託しても仕方ない。どれだけ偉大であったとしても、人が現実に直接干渉できるのは生き

ている間だけ。死ねばそれまでである。

 それに楓には見所のある若者がいる。

 楊岱の事だ。

 おそらく明開も中央の勝敗に不安を抱いていたのだろう。それに彼は楓流が小胡虎とも呼ぶべき楊岱とい

う若者に、父親にも似た愛情を持っている事を理解していた。だから一にも二にも楊岱を狄から切り離すよ

うに動いたのである。

 楊岱には将として軍を率いた経験こそ無いが。衛では賦族との仲立ち役となり、長くその勇に触れてきた。

趙深にも目をかけられ、色々と仕込まれている。軍事演習や訓練にも相当数参加していた。

 将とするには経験不足が否めないとしても、副官として中央軍に付ければ、胡虎という穴を埋める助けと

なってくれるだろう。

「防衛の準備も整えねばならぬ。中央は主として防衛に専念する事になるだろう。陣地構築、拠点防衛の訓

練、防衛に関わる新技術の開発、とやるべき事は多い。が、ようやく見えてきたか。進むべき道は、どうや

ら整いつつあるようだ」

 中諸国の不安は残されたままだが、上手くいけばそれも絶対的な問題ではなくなる。それに白夫妻と明開、

天水の者達も居る。例え子遂が暗躍したとしても、最悪の事態だけは防いでくれるはずだ。

「できれば無理をしないで済めば良いのだが」

 秦を通る第二の補給路はどう取り繕おうと無茶でしかない。できれば中諸国道を使える事が望ましい。多

少荒れても補給路を確保できるよう、工夫はしておくべきだろう。

 戦況がどうなるにせよ、唯一つの道に頼るのは危険であるのだから。



 秦へ放った間者から続々と情報が入ってくる。秦もまた着々と準備を進めているようだ。

 楓と秦の戦力比を大雑把に言えば3対2といった所だが、これは衛や双など同盟国の兵力を抜きにした数

である。実際にはもっと開きがあるだろう。

 しかしその全てを一箇所にぶつける事は不可能であり、双兵が戦力にならない事は前述した。その上楓は

中諸国の抑えから周辺国の牽制まで少なくない兵数を必要とする。そういう意味で言えば決戦に使える実兵

力は五分五分だ。

 兵の質も五分と言いたい所だが、どちらも玉石混合とはいえ、総合力では秦に分がある。少し触れたよう

に、秦国内の結束力も楓以上だ。

 甘繁(カンハン)と秦政府も良好な関係を続けている。彼が中央の前線指揮を担当する可能性は高い。地

位、地の利、資質のどれを取っても彼以上の適任者は居ないだろう

 そしてそこまでの信を受けたとなれば甘繁自身も命を賭してそれを全うしようとするだろう。

 楓との決戦が近付くにつれ、秦国内でも将として彼の名が挙がるようになっていると聞く。その大意に押

される形をとって、秦王が甘繁を招聘(しょうへい)する。これならば秦政府も面子を保てる。甘繁嫌いの

高官も、いつまでも反対していられないだろう。

 秦王もこの程度の工作はお手の物という訳だ。

 甘繁自身も自分が真正面から楓と戦う事を視野に入れて準備を進めているはず。彼と楓流の友情は後世の

ように軟弱なものではない。友であるからこそ、全力を尽くす。そういう関係なのだ。

「彼が相手となれば、楊岱を付けても分が悪い。ここはもう一人の友の力を借りるべきか」

 楓流は少し迷ったようだが、すぐに迷う事こそ非礼に当たると思い直す。

 その友とは、無論玄信(ゲンシン)の事だ。甘繁とも共通の友であり、玄信とは甘繁の紹介で知り合った。

その彼を差し置いて二人だけで戦うなど非礼に値する。

 玄一族である玄信は基本的に私利による戦(それが国としてでも同じ事である)には関われないが、二人

の友としてなら話は別だ。甘繁に関する事に限り、協力してくれるだろう。

「できる事は尽くしたか」

 大陸中を賄(まかな)える数の伝令を揃え、各地に中継点としての近衛を配置しなければならない。南方

軍の完成も急ぐ必要はあるだろう。やるべき事はまだ残っているが、これらは時間が解決する問題だ。でき

る事は全て行ったと言って良いだろう。

 長かった準備期間も、どうやら終わりに近付いている。

「人事は尽くした。後は天命を待つのみ」。

 楓か秦か二つに一つ。

 天命はいつも単純かつ明確に真理を突く。




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