22-1.雲が風になびく


 楓と秦という二大国がとうとう互いに宣戦布告し合う事となった。

 非戦論者達は相変わらず声高に叫んでいるようだが、その彼らも戦争を避けられない事を理解している。

故にその論調も戦争を今すぐ停止させるというものではなく、どのような形で早期終結させるのか、という

方向に向いているようだ。

 国民の多くも戦争を望んではおらず、王達に対する不満は高まるばかり。特に彼らに従うしかない従属国

の王と民の不満は大きい。

 その代表が中諸国であるが。明開の備えが効いているのか、今の所大きな動きは見せていない。中央と南

方を繋ぐ輸送路という役割を忠実に果たし、表面上はいつも通りの生活を営んでいるように見える。

 大陸の覇権を争う決戦とは言え、大陸中で戦が起こっているような状態にある訳ではなく、中央と南方の

最前線となる場所に軍が置かれ睨み合っている格好なのだ。その他の地域に関しては、いつもより輸送に使

われる荷車や川船の数が多い以外は平常通りと言ってもいい。

 中諸国以外にも北方の国々など傍観者のようにして決戦を見ている者も少なくない。

 宣戦を布告し合った後もすぐさま大規模な戦闘に突入する訳でもなく、依然戦争準備を主としている事も

戦時とは思えない間延びしたような気分を助長するのに一役買っている。

 だが中央に目を移せば、その雰囲気は一変する。

 楓中央軍を率いるは魏繞(ギジョウ)。その脇を固めるのが副官、楊岱(ヨウタイ)と前線指揮官、紫雲

世(シウンセイ)。それを奉采(ホウサイ)、明慎(ミョウシン)と言った面々が補給と輸送の面で支え、凱

聯(ガイレン)率いる遊撃部隊が予備兵として控えている。

 彼らが不在の間、集縁一帯を預かるのは近衛筆頭の胡曰(ウエツ)。彼女には大きな権限が与えられ、楓流

の認可を待たずとも様々な決定を下し、遂行させる事ができる。

 対する秦中央軍は甘繁(カンハン)を大将として守りを固め、秦本国の秦本軍は秦王自らが率いる。

 その秦を北から睨む双は紀陸(キロク)を大将として双と秦の境界付近に兵を集め、いつでも秦本国へ侵攻

できる態勢にある。楓か秦かどちらが勝つか解らない間はどちらにも味方しないが、秦が劣勢になったと見る

や楓の援軍という名目ですぐさま攻勢に出てくるはずだ。

 双と楓の打算的だが強い結び付きは誰もが知る所であり、秦も警戒しない訳にはいかない。

 東方の衛軍は趙深(チョウシン)を総大将に相当数の兵を集め、北方と中諸国に圧力をかけ続けている。そ

の数は数万とも言われ、賦族兵も多く、楓に頼らずともこの地に割拠できるだけの力がある。

 中諸国における最大の不安要素である子遂(シスイ)が何を企もうと、この力の前には為す術もあるまい。

 ただし衛軍を中諸国に送るには時間がかかり、中諸国を乱されれば輸送路としての役割を充分に果たす事が

できなくなる可能性はある。

 桐洵(ドウジュン)ら天水の面々の警戒心も高まっており、子遂に対する監視の目を更に厳しくしているよ

うだ。

 南方では楓、秦共に最大といえる軍が編成され、今すぐにでも戦端を開ける格好だが、どちらにもまだ仕掛

けようという様子は無い。

 楓南方軍を率いるは楓王、楓流(フウリュウ)。その下を紫雲竜(シウンリュウ)と壬牙(ジンガ)が固め、

部族と賦族を主軸とした長い訓練を終えた兵が今や遅しと戦いの時を待ち構えている。

 対する秦南方軍を率いるのは王旋(オウセン)将軍であるらしいとの情報が入っているが、おそらく彼は戦

略を指示する程度で、実際に軍を指揮するのは氏族(秦に付いた部族を便宜上こう表記する)の飛将軍、芸(ゲ

イ、ゲイー)達であろうし、その意は秦とはまた別の所にあると思える。

 氏族達は秦に臣従しているものの信服している訳ではなく。王旋個人には敬意を持っているが、秦王と秦国

に対する興味は薄い。彼らは最後の部族として楓に付いた部族と戦う為にのみ戦う。秦軍という括(くく)り

に入れていいかは疑問だ。

 南方双領を預かる玄張(ゲンチョウ)は中立を貫く心積もりであるようだ。部族達も彼によく懐(なつ)い

ており、その意に概ね従うと考えられる。中には血を押さえられず参戦する者も居るだろうが、その数は多く

なく、戦況に影響を与える程ではない。除外して考えても良いと思える。

 大陸の情勢を大雑把に述べれば大体このようなものとなる。しかし楓も秦も大陸全ての動き全てを把握して

いる訳ではなく、いつでも不測の事態は起こり得る。

 楓はそれを警戒して全土に配備する近衛の数を増やし、伝令網をしっかりと張り巡らせているようだ。

 秦もまた同様に諜報活動に力を入れているようだが、技術や資金力、人材の全ての面において楓が一歩も二

歩も先んじている。楓優位、それが大多数の人間の正直な思いであろう。



 甘繁は西要(セイヨウ)に篭り、軍備を整えている。打って出る気持ちは無いらしい。

 西要(セイヨウ)は比較的新しい街である。甘繁がこの場所に目を付け、赴任した際に街の名を改めると

共に要塞化し、秦の中央支配の一大拠点とした。

 ここからも甘繁が楓との決戦を早くから予見していた事が解る。そして彼は与えられた責務を一徹にこな

してきた。楓流との友人関係はそこに何の影響も及ぼさない。

 厚い城壁で囲まれたその姿は要塞の名に相応しい威容を誇(ほこ)る。食料の備蓄も一年は持ち、とても

短期間で落とせるような拠点ではない。

 だが楓としては早急に西要を落とし、西方から南方へ到る輸送路を開拓したい。その上で楓南方軍が勝利

すれば補給が安定する。そうなれば中諸国への不安も最低限のものとなる。思い切った態度にも出られるよ

うになるだろう。

 楓中央軍の大将となる魏繞はすでに西方へと続く拠点、西留(セイリュウ)に軍を進め、侵攻準備を整え

ている。

 凱聯の遊撃部隊も同行させ、目の届く所に置いているようだ。

 遊撃部隊は将兵共に血気逸っている様子だが、今は魏繞の命に大人しく従い、待機している。楓流からよ

く言い含められているのだろう。

 魏繞はどっしり構え、攻め急ぐつもりは一切無いかのように振舞っている。彼も数々の戦を経て将として

の風格が宿りつつあるようだ。胡虎(ウコ)には及ばないとしても、その穴を埋める一助にはなる。

 それに楓流は彼に心強い味方をもう一人与えた。

 玄信(ゲンシン)だ。

 玄一族の重鎮である彼は本来ならこのような戦に参戦できるはずもないのだが。今回は楓流と甘繁共通の

友人として玄一族と離れた一個人として参戦している。

 玄一族の理念まで切り離す事はできないから、あくまでも参謀、いや相談役として加わっているのだが。

すでに彼の豊富な知識と類稀な技術から攻城兵器や戦術に様々な改良が施(ほどこ)されており、西要を短

期落城させる要と目されるようになっている。

 とはいえ、兵達も当然玄一族がどういうものかはある程度知っており、何となく納得できない気持ちがあ

るのか、敬意に欠ける態度を見せる者達も居るそうだ。故国と家族の為に命を懸けている彼らとしては、そ

の理念が気に食わないという気持ちもあるのだろう。

 玄信の立場、心境は複雑である。



 魏繞は中央軍から千の兵を選抜して斥候部隊を編成し、紫雲世に任せた。凱聯率いる遊撃部隊に任せず、

わざわざ新規編成したのは紫雲世に実戦経験を積ませる為であろう。

 意外に思われるかもしれないが、紫雲世は実戦に出た事が無い。訓練やそれに類するものは何度も行って

いるが、戦場を経験するのは初めてだ。本戦の前に戦場の空気をつかんでおきたいと考えるのは自然である。

もしかすれば紫雲世の方から魏繞に要請したのかもしれない。

 この動きに対し、甘繁は反応を見せなかった。斥候隊が西要まで数百mという距離に近付いても、迎撃部

隊を出そうとはしなかったのだ。あくまでも静かに楓軍の動きを眺めている。

 紫雲世は距離を開けたまま西要を何度か周ったが、結局諦めて戻るより外なかった。

 中諸国を筆頭として楓に不安要素が多い事は秦も調べ上げている。わざわざこちらから短期決戦を挑む必

要は無い。待っていれば楓は自壊する。楓流を良く知る甘繁ならば、楓が西方から南方へ抜ける補給路を築

こうとしている事にさえ気付いている可能性もある。

「さすがは高名な甘繁殿。一筋縄ではいかぬ」

 魏繞は紫雲世の報告を聞き、焦りを感じていた。

 こちらの真意を覚られているのだとすれば、何をしようとその意図を見透かされてしまう。短期決戦を挑

むどころの話ではない。

「されど、迷っている訳にもいかぬ。胡虎殿であれば、何があったとしても王命を成し遂げたはず。彼の遺

志を継ぐ者として、必ずや西要を落としてみせる。それに私は一人ではない。心強い味方が居るのだ」

 玄信、紫雲世、そして楊岱。おまけに凱聯。これだけの面々が揃えば無理も道理になろうというもの。非

才の身で全てを背負おうなどと考えなくともいい。才ある人達の力を借り、その力を持って補えばいいのだ。

素直に力を借りられる事が非才の強み。だからこそ楓流は外の誰でもなく魏繞に軍を任せたのだ。

 以前は毒のあった彼も胡虎の死を機に様々に物を考えるようになり、少しずつ変わってきた。今では楓

流に信頼され、魏繞自身も楓臣として楓を大陸の覇者にさせたいと心から願うようにもなっている。

 元は山賊の首領で、一時は孫に味方していた自分が、まさかこのような考えを抱くようになるとは・・・

・。不思議なものだが、それが人というものなのかもしれない。

「人は変わっていく。今日も明日も無い。いつまでも、いつも変わっていくのだ」

 なればこそ堅牢な要塞も明日には塵になる、という事もあり得る。

 焦る必要は無い。どれ程困難な事でも必ず道はある。楓という国家自体がそれを常に証明してきたではな

いか。いつ、どこであっても、諦めなければ道はあるのだ。

 魏繞は辛抱強く毎日のように斥候隊を発し、秦兵を挑発させた。

 このような見え透いた挑発に甘繁が乗ってくるとは考えられないが、西要に居るのは彼一人だけではない。

兵達の中には決戦という大舞台に興奮し逸っている者も少なくないはずで、その者達が迂闊(うかつ)な真

似をする可能性なら充分にある。

 それに彼らがしつこく迎撃を望むようなら、士気低下を防ぐ為に甘繁もある程度積極的な行動に出ざるを

得なくなる、という事もある。

「敵は甘将軍一人ではない。あそこに居る兵の内、一人でも挑発に乗せられれば事は済む。相手が人間の集

団ならば、いくらでも付け入る隙はあるというもの」

 凱聯のような不安分子が居るのは楓だけではない。彼のようなどうしようもない人間はどこにでも存在す

る。そういう意味ではあの凱聯も参考にできる程度の価値はあるという訳だ。



 痺れを切らした一隊が紫雲世率いる斥候隊の迎撃に出てきたのは、二十日程挑発行為を繰り返した後の事

だった。むしろよくこれだけの間我慢できたと思える。甘繁の非凡さを証明するには充分な結果であった。

 紫雲世はその動きを見て、喜々として隊を反転させた。丁度彼が挑発的撤退している最中の出来事だった

のである。

 そして紫雲世は単騎、陣を出て。

「やあやあ、我こそは紫雲世! 秦兵に一槍馳走致す。腕に覚えある者は出てくるがよい!」

 楓の最新技術で作られた長大でありながら比較的軽い大槍を片手に、大声で叫んだ。

 いわゆる一騎討ちの誘いであるが、一騎討ちといってもどちらが死ぬまでやる事は稀で、大抵は勝敗が決

まった時点で負けた側が敗走し、勝者が罵声をあびせる事で終了する。

 勝った方は士気が増し、負けた方は下がる訳だが。一騎討ちはこの当時でもすでに古びた作法であり、戦

の勝敗に関わるような影響を与える事はできない。

 秦の迎撃軍も困惑したのか、紫雲世を遠巻きに眺めながらざわめいている。その真意を量りかねていると

いった様子だ。

 逸った武官が強引に出たのか、仕方なく甘繁が命じたのか、迎撃部隊が出てきた理由は解らないが。どち

らにせよこのような状況は想定外であったに違いない。この動きに対処できる命令は与えられておらず。受

けるにせよ、逃げるにせよ、その責任は部隊長が一人で取らなければならない事になる。

 とはいえ、通常なら断れば済む話だ。甘繁は無用な派手さを嫌うし。名乗りを挙げて一騎討ちが当然の作

用であった古の時代とは違い、今は誰もそのような事は気にしない。受けずとも恥にはならないだろう。

 だが今は少々勝手が違う。紫雲世の挑発に乗ったからには、敵指揮官もそれなりの意気込みで、おそらく

西要の将兵に大見得をきって出てきたはず。そこへ敵の方から正々堂々と名乗りを挙げてきたのだ。これに

応えられないようでは面目丸潰れである。

 男社会は所詮面子と意地の張り合いだ。蛮勇であれ勢いのある者は勇と呼ばれ、尊ばれる。強者を尊ぶ軍

隊内では尚更だ。勢い込んで出てきた以上、例え敵が持ち出してきたのが古びた作法だったとしても、受け

ない訳にはいかなかった。

「我が名は鐘備! その勝負、受けて立とう!」

 こうして鐘備(ショウビ)という名の迎撃部隊長が決死の顔で出て来る事になったのだが。結果からいう

と数合打ち合った後、呆気(あっけ)なく紫雲世に討ち取られてしまった。

 部隊長は見るからに若い男であったので、こういった立会いもほとんど経験していなかったのだろう。紫

雲世もそれは同じだが。彼は幼い頃から喧嘩の類は日常茶飯事、命の危険に瀕(ひん)した事も少なくない。

死線に立つ事なら慣れている。

 殺し合いで物を言うのは腕よりも度胸であり、度胸なら紫雲世は売る程持っている。同じ実戦経験の乏し

い相手ならば、負ける理由は無かった。

 鐘備の方は無念であったろうが、生き恥をさらすよりは良かったのかもしれない。例え生きて逃げられたと

しても、最早軍中に彼の居場所は無かったであろうから。

 迎撃部隊はこの結果に動揺を隠せない様子であったが。紫雲世が鐘備の亡骸(なきがら)を置いて退陣する

や急いで回収し、そのまま一兵残らず西要へと退却して行った。

 紫雲世も彼らを追うような真似はせず、そのまま兵を率いて退いた。

 こうして見事初戦を勝利で飾る事ができたのである。

 紫雲世がわざわざ一騎討ちという形をとって勝利した事には理由がある(彼がどちらかと言えば派手好み

な所があるという事も一つの理由ではあろうが)。

 彼の名は彼の子、紫雲竜の武勇もあり割合知られている。特に衛に居た者であれば、衛に対する貢献(こ

うけん)が小さくない事を知っている。

 しかしそれと前線指揮官としての能力はまた別物だ。当然のように兵の中には彼の能力を疑う声があった。

 何しろ今回はただの戦ではない。秦との決戦、天下分け目の大戦だ。例え大きな功を積んでいたとしても、

指揮官として無名の者を(例えそれが楓流の命であったとしても)、簡単に受け容れられるはずがない。

 さすがに表立って避難する者は居なかったが、軍内から紫雲世を疑問視する声は消えず、それは紫雲世自

身も解っていた。

 まずは兵に将として認められなければならない。

 その為の最も良い方法は言うまでも無く結果を出す事だ。一目で解るような結果を出せば、誰も文句を言

えなくなる。

 その方法がつまり、一騎討ちという訳だ。単騎敵将に挑み、勝利する。武人としての力を認めされるのに、

これ以上解り易い図式は無い。

 紫雲世もこの決戦には並々ならぬ覚悟で挑んでいる。賦族である自分が楓の先陣を切って戦い、勝利する

事ができれば、きっと賦族の地位向上において大きな効果がある。賦族の自分が勝利する事が、賦族の力を

万人に認めさせる事が、これからの社会には必要なのだ。

 楓は賦族開放を一つの柱として掲げ、それを持って賦族とその混血との強い協力関係を築いてきたのだが。

現実には彼らに対する差別は根強く残っている。楓流、趙深の影響が強い地域、つまり彼らの統治機関が長

い地域ではある程度払拭(ふっしょく)されていたようにも思えるが。その他の多くの場所ではほとんど賦

族に対する差別意識は消えていなかった。

 それも当然だ。記憶にも記録さえも残らないような大昔から行われ、日常と化していた差別を十年や二十

年程度の時間で失くせる訳がない。

 幸か不幸か今は乱世、一時的に特殊兵器のような扱いで認められているが。戦が終わり、用済みとなった

時、賦族はどうなるのか。大陸人社会に本当に受け容れられるのだろうか。

 いや、楓流と趙深を疑っているのではない。彼らは統治後にこそ安定した力が必要である事を解っている

し、責任感も病的なまでに強い。彼らの手に権力在る限り、賦族を見守り、世話してはくれるだろう。

 しかしその期間は長くない。楓流、趙深という二大傑物も人間である。歳も取れば衰えもする。後どれく

らい権力を保っていられるだろうか。十年は頑張れるかもしれない。でも二十年はどうか。三十年はとても

無理だろう。

 二人が権力の座から退いた時、果たして楓という国はそれまでと同じように賦族を世話してくれるだろうか。

 疑問である。賦族の未来を思う時、とても楽天的ではいられない。

 差別との戦いはおそらく何百年という単位で続く。その戦いを生き抜く為にも、この決戦という大舞台で

賦族の存在を輝かせねばならない。それは後々まで賦族の誇りとなり、自立を促す為の力となろう。

 賦族こそが楓の大陸統一の立役者だという自負心と看板が欲しい。

 紫雲世にも野望がある。

 とはいえ、過ぎては毒になる事も充分に知っている。出る杭は叩かれるが道理。それが被差別階級ならば

尚更だ。賦族侮り難し、の印象を与える事は必要だが。それが過ぎて賦族恐るべし、という印象を与えてし

まえば、恐怖心が賦族排斥を駆り立てる事になる。

 血の気の多い者の中には、力を誇示する事が即ち賦族開放に繋がる道だと信じている者もいるし、紫雲世

もまたそれを否定はしないが、世の中はそう単純にはいかない。

 力を見せるだけでは駄目なのだ。認められたければまずこちらへの敬意を持たせなければならない。その

為にはまずこちらが敬意を払う。大陸人式の礼を学び、賦族もまた人であると認めさせる。それこそが真の

賦族開放。未来への道。

 一騎討ちの勝利もその為の第一歩に過ぎない。

「華々しい戦果を挙げた事で、わしへの見方は変わるだろう。だがそれも一時の事。気を緩めず、驕らず、

功を一つ一つ積み上げていかねばならない。これまでと同じように、地道に着実に事を進めていくのだ」

 豪放磊落(ごうほうらいらく)の代名詞とされるこの男も、実際には誰よりも堅実で、誰よりも賦族の未

来を考えていた。悩みの全く無いような顔をしていながら、その胸中には渇きにも似た願望を抱えていたの

である。

 いつの日にか賦族、大陸人という区別なく生きられる世の中にしたい。

 そうできるなら何物も惜しまない。自分の命、人生でさえ差し出そう。

 紫雲世もまた己が理想に生きる人間であった。



 甘繁は敗北の報告に失望の意を示さなかった。この結果は初めから解っていた事であり、将一人の命で済

んだのなら、むしろ幸運であるとさえ考えている。

 それに成果が無かった訳ではない。この一戦で敵将にある焦りを感じ取れた。おそらくそれは楓流には理

解できない焦り。

 彼は理想家に過ぎる所がある。いや、自分自身が正直者であるせいで、そうでない者の心が解らない所が

ある、というべきか。

 そこが彼の良い所であり、だからこそ友人となれたのだが。こと戦においてそれは不利益に働く。紫雲世

の心境を正確に理解する事もできないだろう。

 人が皆楓流のようであれば、世の中に争いなどというものは存在しない。それを楓流自身が理解できない

事は、秦にとって大きな強みである。

 紫雲世から感じ取れる焦りは、楓中央軍全体からも見て取れる。

 どういう意図があるのかまでは解らないが、どうも攻め気が強過ぎる。確かに勢いは大事で、それを生む

のに物理的な動きと速度が密接に関係しているのが確かだとはいえ、余りにもその気持ちが表に出過ぎている。

 西要を早期攻略する事に絶対的な理由があるのだろうか。それとも甘繁にそう思わせるのが目的なのだろ

うか。

 まあどちらにせよ敵の動きに左右されないのが自分のやり方だ。慌てずうろたえず山のように護る。結局

それが一番良い。

 前哨戦の敗北も動かぬ良い口実になる。これだけ見事にやられてしまえば、もう一度迎撃に出よう、こち

らから攻勢を仕掛けようとは言い難くなるし。もしそう進言する者が出ても、その意を退け易くなる。大勢

に影響のない敗北ならば、あえてそれをさせる事で利を得る。

 勝つだけが兵法ではないという事だ。

「さて、敵将は次にどう出てくるだろうか」

 敵軍大将である魏繞に恐さはない。資質は悪くないようだが、正直な所大軍を御するに足る器であるとは

思えない。有能な味方を多く付けているとしても、戦はやはり大将の質で決まる部分が大きい。

 紫雲世が大陸人であれば彼に任せられただろうに、惜しい事だ。

 賦族開放も現実には限界がある。友を悪く言う気はないし、その志には賛同したいと思うが。おそらく大

陸人と賦族との間にある溝を埋めるのは不可能だろう。おそらく千年先でさえも。

 だから迫り来る戦いに不安は無いはずなのだが、一人どうしても気になる存在が居る。

 玄信の事だ。

 本来なら玄一族の重鎮(じゅうちん)である彼が戦に参加するという事はありえない。しかし彼も父親に

似て侠気(きょうき)に富む人物。楓流の頼み方次第では心を動かされるかもしれない。もし彼が楓に付い

たとすれば全ての優位は無意味となる。

 知る者はほとんど居ないが、玄信という男は戦働きにこそ能のある男。戦を厭(いと)う彼に誰よりもそ

の才がある事は皮肉としか言えないが。戦を避けるには戦を誰よりも知る必要があると考えれば、当然の結

果であるのかもしれない。

「何故私は彼を初めから除外していたのか」

 玄信が秦に協力する事は楓に協力する事以上に考えられない事だが。事前に手を回しておけば、玄信の参

軍を防ぐ事ができた可能性はある。それなのに何もしなかったのは、玄一族である彼が手を貸す事は無いと

思い込んでしまっていたからだ。

 これはなんという失態か。

 自分がもし敗れるとすれば、玄信によってであろう。

 それは予言でも確信でもない、ただの事実であった。




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