22-11.官賊の秘


 明開にも焦りはあったが、窮地(きゅうち)に追い込まれたとまでは考えていなかった。

 天水には衛軍がきているし。伊推のおかげで国民は避難できている。怪我人や死者も出たが、それに対する反意

も現れていない。不満はあるだろうが、今は助かった事に満足はしているようだ。それだけ反乱軍の略奪行為が凄

まじく、その噂だけで人々を恐れさせるに充分であったという事だ。

 殷嵯も蕭冊も略奪に限度を設けていない。全て奪った者勝ちであり、後で何割か徴収するようだが、多くはその

まま兵達に与えられる。

 人が集まってくる訳だ。物は盗り放題で危険も薄いとなれば誰だって参加したくなる。窮乏(きゅうぼう)して

いる者、世間体など考えもしない者にとっては極楽であろう。

 楓軍はそれを外からゆっくりと眺めている。

 伊推が民の避難を優先し、物資のほとんどは足止めになるようわざと残した。どの国家も決戦の為に金も物も相

当数蓄えてきたのだ。反乱軍がこれからどれだけ膨張するかは解らないが、それを差し引いても一月や二月で食い

尽くせる量ではない。

 それでも黙って眺めているのは、反乱軍を飢えさせるのが目的ではなく、逆に富ませる事で内部争いを起こさせ

る狙いがあるからだ。今は黙って殷嵯、蕃伉に従っている者達も富めれば自信を持ち、野心を抱く。そうなれば忠

誠心など持ち合わせない連中だ。どういう行動に出るかは誰にでも解る。

 反乱軍に足止め以上の物資を与えたのも計算の内という訳だ。

 伊推も豪胆(ごうたん)な男である。彼は農夫出身であり、農作物やそこから生じる利益に関しては少なくない

執着と知識がある。それでも平然と置き捨てられるのだから並ではない。

 反乱軍はそんな楓軍の狙いに気付きもしないように略奪を繰り返している。もっとも、気付いた所で兵を止める

事などできはしまい。略奪を制限すると反乱軍から多くの兵が去ってしまう事になるからだ。良くも悪くも彼らは

それだけの繋がりなのである。

 そう考えれば反乱軍の頭脳といえる蕭冊もそういう楓の、いや伊推の動きを見越して天水へ侵攻したという考え

方もできる。彼ならば民を優先し、物資を置き捨てて逃げるであろうと。

 もしそうなら楓は一杯食わされた訳だが、そうだとしてもこれからどうするつもりなのだろう。梁はすでに略奪

し終えた地、戻った所で奪えるような物はない。膨張する勢力を維持するにはより多くの物を奪い続けるしかない

のだが、そんな事をいつまでも続けられるものではない。

 狄と蜀に矛を向けるなら、略奪する事は可能だろう。多少なりとも暮らした土地を攻めるのが嫌だというのなら、

蕃伉軍に蜀を与え、殷嵯軍が狄を蹂躙(じゅうりん)すればいい。

 だがそこまでだ。その西には集縁があり、東には衛軍、南には楓南方軍がいる。反乱軍がどれ程大きくなろうと

勝てる相手ではない。

 梁、狄、蜀を統合して新国家を創るという案も現実的ではない。奪える物すら残されていない荒れた土地で、飢

えた民と共にできる事など何も無いのだから。

 蕭冊もそんな事は解っているはず。何か考えがあるのか。それとも自暴自棄に終わりの見えた道を突き進むだけ

なのか。

 その答えがでるのを伊推はじっと待っていた。



 西方の情勢も中諸国同様停滞している。細かく言えば様々な動きはあるのだが、大きく戦場を眺めれば微動だに

していないようにも見える。

 楓がゆっくりと秦を包囲していく。南方から西方を通り中央に到る第二の補給路を完成させた時点で時間的余裕

は生まれている。急ぐ理由は最早無い。逆にこの状況で大きな動きを見せない秦の方に違和感を覚えるくらいだ。

 中諸国の動静も気になるが、明開が送ってきた使者に寄れば、大体想像通りの展開になっているようだ。秦同様、

子遂に動きが見えないのが不気味であるが、西方に居て中諸国の事まで考えていても仕方がない。

 東は趙深に任せてある。彼が居て駄目なら諦めるより外(ほか)にない。

 大陸全体に跨(またが)る決戦の全てを指揮する事は、いかに楓流が近衛を用いたとはいえ不可能である。だか

ら楓を東西に二分し、趙深と分担する事にした。その上で中諸国に不安を持つという事は趙深への信頼を疑うと同

じである。

「いつまでも起こらぬ病に怯えている歳でもあるまい。私も四十を越えた。死ぬも生きるも天のみぞ知る。そうい

う歳に私もなったのだ。堂々としておらねばなるまい」

 運び屋時代に一度全てを失ってより、もう二度と失うまいとそれだけを誓って生きてきた。その生が大陸統一と

いう形をとって、今眼前に広がろうとしている。ようやく夢にまで見た平穏を得られるのだ。腑抜(ふぬ)けてい

る暇はない。

 あの空に浮かぶ雲のように、晴れ晴れとしていなければならぬ。



 楓流は魏繞(楓中央軍)と連携を取りながら、ゆるりと秦都咸陽(カンヨウ)へ到る道を進み始めた。

 秦王はどう動くだろう。咸陽に篭って楓軍を引き付け、そこを王旋率いる軍が強襲する、というような策も悪く

ないが。あまり劣勢を強調させてしまえば北方、特に双が動く可能性が高くなる。

 双兵弱しとはいえ、率いる紀陸(キロク)は有能かつ楓流に心服しており、双王家からも信頼を勝ち得ている。

手強いと言わざるを得ない。秦滅亡の狼煙(のろし)は双が挙げると言っても過言ではない。

 秦が勝利するには双が動かない状況を維持しつつ、楓流を正面から破る必要がある。これは非情に困難であるが、

秦も長い準備と共に必勝の策を練ってきている。それを見極めるまで軽挙は慎むべきであろう。

 そういう心理もあってか、楓軍は堂々とはしているもののどこか及び腰であるようにも見えた。率いているのが

楓流でなければ、その姿は滑稽(こっけい)にすら映ったかもしれない。

 ともあれ大過無く、行軍自体は順調であった。

 半月が経った。陣地構築に主眼においているせいか、距離としてはさほど進んでいない。だがある程度まで行け

ば、後は咸陽まで一気に進む事ができるようになるので遅いとも言えない。

 中諸国の方は蕃伉軍が依然として天水近辺に居座っているようだが、殷嵯軍の方は梁を素通りして西進を続ける

姿勢を見せ。恐れを抱いた狄軍が後退しながらも楓東方軍(衛軍と天水軍の混合軍)に援軍要請を出し、楓東方軍

はそれに応じた所であるそうだ。

 いずれ蕃伉軍も狄か蜀を目指すのだろう。そうなれば蜀も戦いを避けられないが、蜀王はあくまでも蜀内の防衛

に留め、国外まで軍を出す事はしないと思える。

 蜀の最終決定権は蜀王にある。白夫妻や趙緋がいくら工作しようとそればかりはどうにもできない。蜀軍を戦力

に考えるのは止めておくが賢明というものである。敵に回らないだけましと考え、蜀の処置は決戦の勝利後にゆっ

くりと考えるべきだ。

 問題があるとすれば現在の狄戦力では楓東方軍が到着するまで持ちそうに無いという事か。反乱軍が罠を張って

いる可能性も高いし、東方軍だけに頼らず、先に別の軍を動かしておくべきであろう。

 となれば集縁軍の出番か。集縁にはいざという時の押さえとして数千の兵を残してある。彼らを急がせれば何とか

間に合うだろう。集縁一帯が手薄になるのが多少不安だが、いざとなれば窪丸(ワガン)から兵を送る事もできる。

問題はあるまい。

 一通り思案した後、楓流は集縁に向けて早急に狄へ援軍を差し向けるよう命じる事を決めた。

 そこでふと遊撃部隊という体の良い名を与えた凱聯隊の事を思い出し、彼らには集縁の護りを固めるよう申し付け

ておいた。故郷を護るのはお前達しかいない、というようなそれらしき綺麗な言葉を添えて。困った奴らだが戦闘能

力は高い。役立ってくれるだろう。



 集縁を預かるのは胡曰(ウエツ)。彼女は大陸の中心地であるこの場所に居て各地へ正確に情報を伝達している。

大陸全土に跨(また)がる楓という巨大な国家が情報を共有していられるのは偏(ひとえ)に彼女と近衛達の功績

である。

 創設当時から近衛は親衛隊という役柄よりも情報共有の面に力を注いできた。誰よりも深く情報を知る事になる

が故に、楓流は最も信頼できる彼女達にその役目を課したのだ。

 趙深の間者団が情報を入手し、近衛の手によって大陸中に伝達される。それなくして現在の楓は成り立たない。

 とはいえ、共有する情報は場所によって当然(伝えられるまでの時間の違いで)時差のようなものが生じる。同

じ時にまったく同じ情報を大陸全土で共有できている訳ではない。その時差を計算に入れた上で必要な情報を最適

化して伝えるのも近衛の重要な仕事である。

 その一事をとっても近衛が楓随一の能力集団であった事が解る。彼女達は大陸中から選抜された第一等の精鋭組

織なのだ。

 そう考えれば、女兵を効果的に用いるという方法を賦族以外に継承する国がなかったのは不思議といえる。それ

だけ楓流が先を行き過ぎていたという事なのかもしれない。彼は余りにも既存の物に囚われなさ過ぎた。幸であっ

たか、不幸であったか、後世からでも判断できない程に。

 ともあれ、そういう理由から胡曰が集縁を離れる事はできない。そんな事をすれば大陸中の情報共有に支障が生

じてしまう。彼女の情報処理能力、人材把握能力はずば抜けており、その面においては趙深も及ばなかったと言わ

れている。

 胡姉弟は文字通り楓流にとっての宝となった。

 そこで問題となるのは、一体誰に狄への援軍を任せるのか、という点だ。凱聯が集縁に向かっているから彼でも

良いのだが、胡曰は誰よりも凱聯という男の危険性を知っている。間違っても彼に大軍を任せたくはない。胡虎の

ような犠牲者をこれ以上出してはならない。

「あの男に力を持たせてはならない。楓流様の為、楓国の為、私が上手くあの男を操作しなくては。亡き弟の代わ

りは私が務めてみせる」

 幸い、胡曰には軍指揮官の当てがあった。こういう時の為に特に目をかけて育ててきた者がいる。

 その名、申寥(シンリョウ)。当時の女性としては飛び抜けて大柄であり、賦族や部族と並んでも見劣りしない。

力もあり、弓の腕前にも優れ、大陸人兵としては珍しく騎射の腕前も相当なものだったという。その素養から部族

か賦族の出身という噂もある。

 親も知らず、親類もおらず、名前も自ら付けたもので、胡曰が拾ってくる以前は奴隷だったとも強盗の類だった

とも言われているが。胡曰は彼女の出自に関しては楓流にさえ明かさなかったらしく、今となっては永遠の謎である。

 申寥は胡曰が楓流に尽くすが如く胡曰に対して従順で、姉、いや母のように慕っている。そこから楓流と胡曰の

子ではないかという噂まで囁(ささや)かれているが、それもまた噂以上のものではない。

 ただその精神は正に二人の子であり、楓流の思想と価値観を最も受け継いだ一人ではあった。

 彼女は初めから他の近衛と違い、武芸、軍略を優先され、軍事訓練にも積極的に参加させていたそうだ。精悍な

姿、鋭い目付き、立ち振る舞いにも力溢れ、大柄な体と相まって騎乗した姿は真に美々しく、見る人を圧倒するも

のがあった。

 どんな部隊も彼女が率いれば静粛に力強く歩き、その様は楓流が率いる兵の姿に似ている。

 胡曰から命を受けるや兵二千を率い、すぐさま狄へと急行した。これで集縁に残る予備兵力は千程度になってし

まったが、凱聯隊もこちらに向かっているし、いざとなれば義勇兵を募る事もできる。集縁こそ楓の本拠地であり、

その地に住まう民も楓という国に対して並々ならぬ想いがある。心強い味方となってくれよう。

 国民が持つ愛国心の強さもまた楓の強みである。彼らにはこの国を楓流と共に創り上げたという自負がある。そ

の想いは誰思うより強い。

 自分もまた楓と共に生きてきたからこそ、胡曰にはそれが解るのである。



 申寥隊が狄領土内に入った頃、それに合わせるようにして北方に動きが見えた。

 一言で言うなれば、楚斉である。長らく目立った動きを見せなかったこの二国に、集縁が手薄になった頃からあ

る一つの動きが生まれた。

 起つべし、の声だ。

 主に現れているのは楚だが、その裏に斉が居る事は誰にでも解る。あの田亮(デンリョウ)が仕掛けたに相違な

い。彼は凱聯と同じ、自らの欲望を抑えられぬ男。子遂程目立ってはいないが、厄介さは変わらない。

 ただし、起つべしとはいえ、楓に反旗を翻そうという訳ではない。実質、楓の属国と化している現状を憂い、独

立国としての威厳を取り戻そう、と言っているのだ。

 その気持ちは理解できる。楚も斉も双、窪丸、衛の三国に囲まれ、押さえ込まれている。四方どこを見ても楓の

影があり、領土拡張の余地は無い。楓流は楚の独立を尊重してくれるとしても、こんな状態では彼の次の代、その

次の次の代はどうなっているか。

 楓に反旗を翻し、この状況を利用して窪丸に強襲をかけるのだ、などと言われれば尻込みするだろうが。実際何

をするかは断定しないまま、とにかく何かをしよう、何かをやらなければならい、という気持ちにさせ、それを増

幅させる事は難しくない。

 田亮の狙いはどこにあるのだろうか。斉に単独で領土を切り取れる程の軍事力は無いし。縁者を通じて楚内に田

亮(デンリョウ)派というべき派閥は作り上げたものの、楚を治めているのは依然親楓派の項城(コウジョウ)で

あり、趙深の影響力も強いままだ。楚を友軍に仕立て上げる事も不可能であろう。

 それにそんな事をしたとしても、中諸国の反乱軍同様、遅かれ早かれ平定される。決戦の勝敗に影響を及ぼす事

も難しい。

 一体何を望んでいるのか。蜀王のように本当に嫌がらせだけが目的であれば放っておけば良いのだが。田亮の真

意が見えてこない以上、不気味である。

 趙深は考えた末、項城に向けて使者を送る事にした。趙深自ら楚に出向いて処理できれば一番早いのだが、それ

では刺激を与え過ぎる。面倒ではあるが、彼らの不安は理解できる。汲(く)んでやらなければならない。

「しかし、妙といえば妙な話だ」

 田亮にしろ子遂にしろ、いかにこの決戦が最後の舞台とはいえ、このようなしょうもない策を立て、実行するだ

ろうか。彼らにしては余りにも単純で稚拙(ちせつ)過ぎる。

「もう一度、全てを考え直す必要があるのではないか」

 趙深もまた強い違和感を感じていた。



 田亮は趙深がすぐさま使者を遣わした事に対し、それこそ楓の属国化の証、監視され、管理されている事の証で

ある、という声を挙げさせた。それによって楚斉両国内で独立論とでも言うべき声がますます高くなっている。

 しかし使者を送らなければそれはそれで楓は頼むに値しない、楚斉がこのような状況にあるのを知っていながら

放置している。最早我々は楓にとってどうでもよい小さな存在なのだ。などと吹聴して不安を煽った事だろう。こ

れは後からどうとでも歪められる類のもので、明確な対抗手段は存在しない。

 故にこちらがどうしようと相手はそれを必ず自分にとって良いように利用する事を理解した上で全てを組み立て

て行かなければならない。

 項城らはまんまと踊らされているようだが、元々楚斉を独立国として扱う事を楓は認めている。慌てる必要は無

い。そもそも楓流、趙深が考える天下統一とは楓国を盟主とした大陸同盟を結ぶ事であって、全ての国家を併呑し

て楓一国にするというようなものではないのだ。

 同盟内で最も強い立場に居られれば良く。そうできる範囲内であれば、他国の権威をある程度上下させる事も厭

(いと)わない。楚斉が対等の立場で居たいというのならそれはそれで良い。誰も最初からその事に反対などして

いない。受け容れてやれば良いのだ。

「田亮もそれは解っていよう。その上で何故、ことさらに独立、同等という言葉を持ち上げようとするのか」

 決戦後の外交を見越して今から斉の権利を主張し、少しでも有利な立場を築こうとでも言うのなら解るが、それ

にしては余りにも大仰な動きである。これではかえって将来の立場を悪くするだけではないのか。

「先を見越して動き始めたのであれば、取り立てて憂慮すべき事でもないのだが・・・」

 どうにもすっきりしない。

 何かが抜けている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 趙深はやはり今一度全ての情報を洗い直してみる事にした。




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