22-3.不動志


  敗北を悟るや否や甘繁は兵に総攻撃を命じ、自らは先陣を切って紫雲世隊へと正面から突撃して壮絶な最後

を遂げた。

 体の前面には無数の傷と矢が突き立っていたが、背面には傷らしい傷一つ負っていなかったという。西要兵も

甘繁と長く付き合ってきた者達は全員討ち死にし、他の者も多くはそれに倣(なら)い、残りの者は火を放って

から逃げた。

 各所に油でも撒(ま)かれていたのか、火の手はみるみる内に西要全体を覆い尽くし、それ以上の追撃は不可

能となった。

「死に様もお見事。楓秦どちらにとっても惜しい人を亡くした」

 楓中央軍も少なくない損害を受け、紫雲世自身も大怪我を負ったが、彼自身はこの程度で済んだ事を幸運と思

っている。

 甘繁の鬼神の如き姿は敵味方問わず長く語り継がれる事になるだろう。彼程の人物がこんなに早く逝ってしま

うとは、敵ながら残念でならない。

 せめてもの礼、敬意として楓中央軍は遺体を火に任せ。翌日、西要が灰となった後に、戦場式の簡単なもので

はあるが、鎮魂の儀を執り行う事にした。

 甘い処置と思われるかもしれないが、どの道軍を建て直すには時間が必要であったし。甘繁が深くこの地の民

から敬愛されていた事を思えば、彼らに対して手厚い処置をしなければ後々までこの地の統治に支障を来すであ

ろう。

 情のみで判断したのではなく、これは必要な処置であった。

 鎮魂の儀が終わってからの数日間は斥候を発して前方の安全を確保しつつ、負傷兵の治療、部隊の再編成へ力

が注がれた。

 この間に紫雲竜の傷も大分落ち着き、熱も引いて軍務に復帰できている。ただし魏繞の命により、暫くは最前

線に出ず、少し下がった位置から部隊指揮に専念する事になった。

 紫雲世自身は不満であったようだが、命令には逆らえない。それに今回の戦働きによって紫雲竜は完全に兵の

信頼を文字通り勝ち得ており、これ以上無茶をする必要がなくなっていた。もしかすれば不満そうな態度も兵の

期待を裏切らない為の方便だったとも考えられる。

 玄信への評価も一変した。最早彼を疑問視する声は聞こえず、この一戦で彼は大陸戦史に輝かしい名を残す事

となった。勿論、彼自身はそれを全く望んでいなかっただろう。

 彼はこの戦いの後、誰にも知られずひっそりと楓を離れ、南方に居る父の許へと向かった。

 その心中、計り知れないものがある。



 魏繞は軍を立て直すやすぐさま西進を再開した。ただし進軍速度は速いものではなく、逸る様子は無い。西要

から先は全て敵地である。どこに兵が潜んでいるか解らないし、秦本軍とどこで鉢合わせるか解らない。急いで

いても慎重さを忘れる訳にはいかなかった。

 頼りの玄信もいつの間にか去り、紫雲世も怪我を負っている。受けた損害も決して少ないものではない。これ

で勝利と呼べるのだろうか。むしろ失ったものの方が大きいのではないか。

 そう考えると勝ったなどと手放しで喜べないのである。

「まったく魏繞殿の慎重癖にも困ったものだわい」

 紫雲世はそんな軍の様子、いや魏繞の様子を見て溜息をつきたい気持ちになっていた。

 本来ならば勝利の余勢を駆って付近の少拠点を平らげつつ戦闘を持続させ、士気を維持するべきである。それ

をこんなゆるりとした事をやっていては兵が萎(な)え、勢いを失う。慎重こそ魏繞の長所であるが、それ一辺

倒でいける程現実は甘くない。

 楓流もその点を不安に思い、わざわざ紫雲世を呼んで同行させたのだろうが。なかなか上手くその役割を果た

す事ができないでいる。怪我を負った身では尚更だ。

「やはり人の関係は一朝一夕ではいかんな」

 魏繞は紫雲世の勇と指揮官としての才を信頼してはいても、智謀までは受け容れていない。副官として献策を

してもなかなか聞き入れられないのはそのせいだ。失敗はできないという決戦における一軍の大将としての重圧

もあり、魏繞は慎重論に逃げるようになってしまっている。

 玄信に甘えていたのは自分の方だったのかもしれない。彼一人に任せずもっと意見を述べ、参謀役としても存

在感を見せておくべきだった。魏繞と一緒に玄信の策に驚いているようでは知恵者としての信など得られなくて

当然である。

「すべてはわしの責任だ」

 魏繞は名将といえる人材かもしれないが、積極性を欠いている。それを補うべき自分がこの様では、いずれ楓

全体の戦略に支障を来す事になる。いや、すでに支障を来しているのかもしれない。

 紫雲世は今どうすべきかを迷っていた。

 そんな思いも知らず、魏繞の方にはさほど迷いはなかった。

 確かに士気、勢いは失ったように思う。が、それは仕方のない事だ。あのまま勢いに乗って付近の少拠点を攻

め落とすのは容易であったかもしれないが、鎮魂の儀を行わねば後の統治が難しくなる。

 民心を得られなければ政治が不安定になるのはいつの時代も同じ。すべては必要な処置であり、それによって

勢いを失ったのであれば余計な事をすべきではない。慎重に慎重をおいて行動すべきである。

 甘繁と楓流の関係から西要一帯の民は楓に対して好意的であるが、甘繁に対する敬意を忘れたと見ればすぐさ

まその態度を変えるだろう。それ程に甘繁という男の名は重い。秦政府が彼の態度を黙認せざるを得なかった事

もようく解る。

 この地の民には力、活気がある。だからこそ栄えるが、その分だけ民の力を恐れなくてはならなくなる。二人

の友情を盾に上手く彼らを取り込まなければならない。

 つまり慎重にだ。

 魏繞が楓中央軍の大将に抜擢(ばってき)されたのは、そういう点を期待されたからだと考えている。その自

分が軽挙(けいきょ)し、兵達が期待するような蛮勇を揮(ふる)う訳にはいかない。

 それに皆勘違いしている。楓中央軍が迅速に西要一帯を押さえ、その先を確保しなければならないのは西方と南

方を繋ぐ補給路を築く為である。必要以上に深く侵攻する必要は無いし、南方までの道を全て中央軍が切り拓く必

要も無い。

 ある程度攻め入ったら、後は楓流率いる南方軍が来るのを待てば良いのだ。無理に攻め入る理由は無い。

 秦の本軍にしても、中央軍単体で当たるより南方軍と共に攻めた方が有利に決まっている。

 西要を落とした以上、焦る理由は無いのだ。

 魏繞はこれ以上余計な事を考えるのは止めた。他にやらなければならない事は山積みされている。自分はそれを

こなすだけでいい。戦略を立てるのは楓流と趙深の仕事であり、自分が関わるべき事ではないのだから。



 中央に大きな動きがあった間も楓流は沈黙を保っていた。

 何故か。

 一つには、楓流待望の精鋭部隊、騎馬隊の完成が遅れていた、という事がある。

 騎馬隊とは紫雲竜率いる彼と繋がりの深い部族と賦族から編成された特殊部隊である。問題だった騎乗馬の訓

練も済み、集団戦に問題なく運用できるまでに仕上がっているのだが。残念な事に馬上装備と馬具が不足している。

 仕上がったのは精兵三千に予備兵が二千。全軍から見れば多いとは言えないが、これに更に一万匹以上の馬の

為の道具が必要になる。少ないとは言えない。

 それに騎馬隊を編成するには馬を人間の戦に慣れさせる他にも様々な問題があった。

 その最も大きな問題の一つが重さである。

 確かに馬の力は凄まじい。だが彼らも生き物、人間と同様にその力は有限である。ただでさえ大柄な部族や賦

族を乗せ、その上に彼らの着込む装備品の重量を加算すると、とんでもない重さになる。その重量感に溢れる威

容をもって進めば、例えゆるりとした進軍であっても敵を威圧するには充分だろうが、それでは意味が無い。

 楓流が初めて伝令馬を見た時に得た驚き、感動。それは偏(ひとえ)にその速度とそれを成せる力から生じた

ものだ。速度なくして騎馬隊の完成はありえない。

 しかし人間の重さを減らす事はできない。彼らの身長をけずる事は不可能であるし、筋力を落とせば兵として

弱くなる。となれば後は道具の軽量化しかない。騎乗者の装備、そして何よりも馬具。馬になるべく負担のか

からない者を工夫する必要があった。

 同時に馬の筋力と持久力の底上げにも着手している。

 楓流は妥協を許さなかった。他の事ではいくつも妥協せざるを得なかった彼だが、騎馬隊に関してだけは許さ

ず。何度も改良と改善を重ねさせ、鍛冶場の火が消える時は無かったという。

 当然、莫大な予算と資材を消費し、妥協をしなかったが故に大量生産する時間までをも失う事となってしまった。

 現状でも何とか三千を動かせる程度は揃っているようだが。予備を置いておかなければ運用に支障が出る事を

考えれば、二千の騎馬兵を動かせれば良い方と言った所か。

 万能の天才にも限界はある。

 とはいえ楓流も愚かではない。装備が間に合わないのを知っていて開戦したのは、楓流自身に初めから騎馬隊

を部族との戦に使う気が無かったからだ。

 とはいえ楓流も愚かではない。装備が間に合わないのを知っていて開戦したのは、楓流自身に初めから騎馬隊

を部族との戦に使う気が無かったからだ。騎馬隊はあくまでも秦本軍との戦いにおいて勝利する為の切り札であ

り、それまでに完成させればいい。

 では何故彼は動かないのか。

 急ぐ必要が無いからだ。

 例え秦の思惑通り、楓中央軍が西要戦で多大な損害を被(こうむ)ったとしても、その後の秦本軍との戦いは

一日二日で勝敗が決まるようなものにはならない。楓も慎重だが、秦はもっと慎重である。そうしなければなら

ない理由がある。すぐ北には双という国力だけはある国が居るし、元々全体的に見て不利なのは秦の方なのだ。

無茶はできない。

 西方を通る補給路を造る事も言ってしまえば二次的な目標である。中諸国を通る補給路は最悪でも蜀と梁が安

定していれば何とでもなるし。もし補給路が断たれてしまったとしても、南方に蓄えが全く無い訳ではない。戦

況は苦しくなるだろうが、それで即敗北というような事態にはならない。

 実を言えば、楓流の中では楓中央軍の主目的は囮(おとり)であった。

 楓軍の決戦における主力はあくまでも南方軍と騎馬隊であり、それによって秦本軍を叩き、勝利するというの

が楓流の戦略なのだ。

 その前哨戦となる部族同士の戦も心配する必要は無い。

 確かに秦の氏族軍は強い。芸、鵬盲(ホウモウ)といった名立たる弓の名手も居るし、個々の力では楓の部族

軍を上回りさえするかもしれない。

 だがそれはあくまでも個々の兵としての話で、軍としてはおそらくまともに機能すまい。

 そもそも彼らに自分達が秦軍であるという意識は無いし、楓のように集団戦の訓練も受けていない。おそらく

いざ戦闘となっても氏族軍は部族らしく各々勝手に行動し、部族の最後を栄誉と勝利で飾る事だけを考えるはずだ。

 いくら彼らが強くとも、部族の闘いのままでは軍同士の戦いに勝つ事はできない。

 初めから勝敗は決まっている。

 故に焦って動く必要など無いという訳だ。

 しかしそろそろ動くべきかもしれない。あまりに黙したままでは味方まで不安にさせてしまう。例え中央軍が

囮だとしても、いやだからこそそう思わせない工夫は必要だった。

「そろそろだな」

 楓流は楓南方軍をゆっくりと眺める。

 前衛には純血の部族を配し、部族に敬意を示している。後世の歴史家の中にはそうさせる事が降伏時に部族が

出した条件であったのだと考える者もいるが、或いはそうであるのかもしれない。

 部族は自らの手でその歴史に幕を下ろしたかった。この頃には部族が部族で居られる時代は終わったのだと多

くの部族が思っていたようだ。その心は扶夏(フカ、フッカー)王が大陸人の兵法を取り上げた事から始まり、

楓流に敗れる事ではっきりした形をとった。

 彼らは思い知らされたのだ。部族の闘い方は大陸人の兵法、即ち集団戦には通じないのだという事を。そして

部族が部族としてその兵法とやらを利用したとしても、大陸人のものには勝てないという事を。

 そこには部族が至上とする個々の武勇を超えたものがあった。部族同士の闘いを超えた戦争というものが存在

した。

 戦争に勝つ為には大陸人を受け容れ、その考え方を学ばなければならない。

 だがそれでは例え勝利したとしても、部族としての生き方や誇り、考え方を失ってしまう。部族の誇りである

野生は大陸人の文化と技術力の前に、つまり文明の前に滅びてしまうだろう。

 例え大陸人を完全に屈服できたとしても、いずれは大陸人文明に呑まれてしまう。部族の数は大陸人と比べて

圧倒的に少ないし。何より彼らは文字を持たない。部族が自らの歴史を残そうと考えれば、どうしても大陸人の

文字、言葉に頼らざるを得なくなる。

 酋長(しゅうちょう)が複数の村を治める程度なら良いのだが。国というものを動かすにはどうしても文字が

必要だ。全てを口頭で伝えるのには無理があるし、やったとしても長い距離を正確に伝達させるのは不可能に近い。

 それに大陸人が異文化である部族を尊ぶように、部族もどこか異文化である大陸人に(その見た事もないよう

な技術、思想に)憧れのようなものを抱いている。影響を受けずにはいられない。

 遅かれ早かれ部族は滅びるしかないのだ。

 そんな彼らが最終的に出した答えは最後まで部族として闘い、部族としての生き様を伝え、部族として死ぬ事。

つまりは最後の部族になる事だった。

 後数十年も経てば、部族は部族であった事を忘れるのかもしれない。部族式の暮らし、狩猟、戦闘方法の一部

は大陸人に吸収され受け継がれるだろうが。部族という形は失われる。

 楓流に教えられた技術と知恵に感服する度、同時に彼らは自分の中の部族らしさが失われていくのを感じたで

あろう。

 我々が科学と法によって自然との繋がりを薄れさせたように。彼らもまたそう感じた。

 ならば今しかない。今が部族として、部族の血と心を残したまま闘う事のできる最後の機会。それを歴史と自

らの血に濃く、深く刻み込む。その為なら楓に降伏する事がなんだと言うのか。

 それは切ないまでの悲愴(ひそう)なる決意であった。

 彼らにとって幸いな事があったとすれば、賦族と名を変えても、確かにその血と誇りは長く受け継がれた事だ

ろうか。ずっと部族と賦族が混同されてきた事からも解るように、賦族はこの闘いから部族以上の部族となって

いくのであり、部族の歴史を賦族の歴史に取り込み、後継者としての道を歩んでいくのである。

 それはおそらく楓流の計算を超えたものであったに違いない。




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