22-6.虎穴と獅蟲


 結果は予想とは少し違う形になったが、大本は受け容れられた。

 辰朧も五体満足で戻り、氏族軍将兵は部族決戦の続行、仕切り直しを望んだ。

 そして即座に鵬盲派を攻撃し、鵬盲以下一部の者を除いてほぼ全ての者を討ち取ったそうだ。

 部族は武を誇り、謀を嫌う傾向が強い。嫌いだから使わないという事ではないのだが、裏切りや暗躍というよ

うな後ろめたいものを漂わせる行動は断固として否定する。さすがに今回の鵬盲の行動は目に余るものがある。

最後まで彼に従った者の数自体少なかったようだ。

 戦えば容易く討てる相手なのに今まで攻撃をしなかった理由は、目前に楓南方軍という敵が居る事と、誰が鵬

盲に付いているのか解らず、皆混乱し、疑心暗鬼に陥(おちい)っていたという点が挙げられる。

 元々氏族軍は軍としての規律が緩い。将である芸にも絶対的な指揮権は無く。彼らの関係は上司と部下という

より、兄貴分と弟分のような関係に近かった。全員の意志がはっきりしないまま攻撃すれば、そこら中で好き勝

手に同士討ちを始める可能性がある。動くに動けなかったのだろう。

 とはいえ、鵬盲派に罰を下さない訳にはいかない。黙っていれば芸は臆したと見られ、大いに面目を失う。

 そこに上手く現れてくれたのが辰朧という訳だ。

 芸は氏族兵全員に楓流の言葉をそのまま伝えた。

 無論、その返事には否と答えた事も。

 そして彼は言った。これは恥ずべき事であると。

 仲間割れしている状況を言っているのではない。敵側から同情めいた言葉を伝えられた事に対して言っている。

 部族にとって、はっきりと敗北した後ならばともかく、降伏を勧められるなど侮辱以外の何ものでもない。辰

朧の言葉に誠意があろうとなかろうと関係ない。降れという言葉そのものが部族に対する大いなる侮辱だ。

 だがしかし、そうさせた原因は自分達にある、と芸は続けた。

 鵬盲という愚か者一人すら自らの手で処罰できない。これが部族であろうか。部族の姿だろうか。

 違う。

 楓が我々を侮辱するような行動をとったのも当然だ。我々は部族とは思えぬ姿を晒している。そんな者達に何

の敬意を払う必要があろう。楓ではない。彼らにそうさせてしまった我々にこそ罪がある。弱さという罪が。

「今すぐ鵬盲派に天誅を下すべし! そして部族としての最後の闘いを行う。先の敗北を甘んじて容れたのもそ

の為ではないか。我々は正さねばならない。今こそ部族の誇りを掲げる時! 我らは部族! 我らに命を下すは

ただ天あるのみ。天に恥ずべき姿を晒す訳にはいかぬ。さあ、拳を突き上げよ! 鵬盲、楓を討ち取り、我らが

恥辱を雪ぐべし! 我こそはと思わん者は武器を取れ! 部族の戦、今こそ見せてやろうぞ!」

 後はこの言葉で充分だった。芸は一挙に指揮系統を掌握し、軍全体の士気が向上、鵬盲一派の影響力を失わせ

る事に成功した。

 芸派に活力を与えてしまったのは誤算だが、楓流も部族決戦を望んでいた一人としてこの返答に異存は無い。

 辰朧としては折角の意気込みに肩透かしを食らった格好だが、これも天命、まだ生きて成さねばならない事が

あるという事だろう。楓流はそう言って辰朧を慰めた。

 そして楓南方軍、氏族軍合意の上、三日の猶予の後、改めて雌雄を決する事となったのであった。



 この間秦南方軍はどうしていたかと言えば、ほとんど動きはなかった。

 鵬盲に組しているのであれば何かしら反応があってもいいはずだが。こう見ると初めから動くつもりは無かっ

たのかもしれない。

 芸と鵬盲を争わせ、弱体化させる事が目的だったと考えればしっくりくる。確実に部族が滅び、もう二度と扶

夏王の乱のような事が起こらぬようにと。

 秦南方軍を率いる王旋将軍は物の道理の解った人物であるが、その彼ですら部族に対しては消極的にならざる

を得ない。秦内には部族に対する侮蔑という名の部族への恐怖心が蔓延(まんえん)しており、一個人の言葉で

はどうする事もできなくなっている。

 本来なら氏族軍と連携した方が良いに決まっているのだが、そうと知りながらそうする事はできない。

 王旋も無念であろう。

 秦が動きを見せないまま三日という時間が過ぎ、約束の刻限となった。

 部族決戦と大仰な事を言っているが、何度か述べてきたように特別な事をする訳ではない。死力を尽くし、一

方が全滅するまで戦う。それだけだ。

 楓南方軍の大陸人部隊は後衛に下がり、その戦いを見守る手はずになっている。

 氏族軍は仲間割れによって兵力を減じているが。鵬盲に心服している部族は少なく、損害としてはそれほどで

もない。

 多くても数百、間違っても千は行かないだろう。このくらいでは楓有利になったとは言えない。氏族軍の結束

が強まり、士気も揚がっている事を考えれば、むしろ手強くなったと考えておくべきだ。

 部族隊の方の損害も少なくはないし、逆に楓が不利になったと見る事もできる。

 だが部族隊を率いる辰朧の態度は落ち着き払ったもので、堂々としていた。

 命懸けで伝令を勤めた時の氏族軍の態度は拍子抜けするものだったが。そのおかげで上手く気が削がれ、無用

の緊張と熱意を捨てられたのかもしれない。

 これが本来の彼の姿であるのだろう。先の戦では部族隊筆頭という肩書きを重んじるが余り、らしくない行動

を取る嫌いがあった。或いは烏雛という部族らしい部族が側に居る事で、それ以上に部族らしくあらんと焦る気

持ちがあった。しかし今はそれも抜け、ゆったりとした気持ちでいるようだ。

 彼の中にある烏雛の死に対する劣等感にも似た複雑な想いまでは晴れていまいが。彼も自分の立場というもの

を思い出した。編入した元第二大隊がすぐ側で彼を見ている。下らない真似をしてその期待を裏切る事こそ恥で

ある。

 辰朧は自分を取り戻した。

 現在、彼は左から第三大隊、第一大隊、第四大隊の順に部隊を真横に並べ、今や遅しと氏族軍の動きを待って

いる。

 対する氏族軍はそんな彼らを密集陣にて睨み返している。その姿は大陸人の兵法など用いず真っ向から挑んで

こいと誘っているようにも見える。

 しかし辰朧は誘いに乗らない。冷静だ。兵達もそんな将を見て落ち着いている。

 そのまましばらく睨み合いを続けていたが。痺れを切らしたのか、元々そのつもりだったのか。氏族軍の密集

陣が前後に割れ、その前衛が怒号を発しながら走り始めた。声と地鳴りが響くその様は、さながら雷鳴が轟くが

如(ごと)く一斉に襲いかかる。

 次いで後衛が動き、一定の距離にまで詰め寄った後、一斉に矢を射始めた。その矢は個々ばらばらに射られて

いるが狙いは正確で、矢が放たれる度に部族隊から確実に怪我人が一人、また一人と増えていく。

 鵬盲の置き土産か、中には盾や鎧を貫通するような物まである。

 だがその猛攻を前にしても部族隊は冷静さを保ち。両翼となる第三、第四大隊をゆっくりと羽を広げるよう

に半包囲の陣形に移行させる。どうやら氏族軍を包囲殲滅する腹であるらしい。

 部族の突貫力を一大隊のみで防ぎ切ろうとは甘い考えであるように思えるが。辰朧にも部族としての誇りがあ

る。己の一大隊のみで防ぎきる。受け止められれば部族隊の勝ち、貫かれれば氏族軍の勝ち。自然とそういう勝

負になった。

 全ては初撃、その一撃の打ち合いで決まる。芸の意地か辰朧の意地、どちらの意地が勝るか。それで決まる。

 氏族軍前衛は見る見るうちに距離を詰め、第一大隊まで数十mという位置まで近付いた。

 その時、敵に応えるようにして第一大隊が動く。走り出したのである。

 先陣を切るは勿論、辰朧。勇敢に、いや無謀なまでに真一文字に突進して行く。そして第一大隊が彼に引っ張

られるようにして氏族軍前衛と衝突した。

 大気が弾ける音が目に見えたような気がした。

 そしてはっきりと何かが砕けた。大陸人達は皆終わったと思った。勢いが同じであれば兵に勝る氏族軍前衛に

分がある。どちらが打ち負けるかは火を見るよりも明らかである。

「これはどうした事だ」

 誰かが思わずもらした。

 刃が打ち合い、肉と骨がきしむ音が響き渡る。死傷者は秒単位で生産され、血に染まらぬ物はない。第一大隊

もそうなるはずだった。それがどうだ。数に劣るはずの第一大隊が揺るがない。進みはしないが、下がりもしな

い。その場に打ち付けられたかのように動かないのである。

 よくよく見れば、横陣であったものがいつの間にか厚い縦陣へと変わっていた。

 辰朧の突出はそれを隠す為の目くらましであったようだ。彼に敵の目を集中させ、更には彼に引っ張られるよ

うにして横陣が自然と三角形になり、長方形の縦陣へと変わる。自然な流れであり、またそれを正面から見る氏

族軍にはこの変化は気付き難い。

 そこへ第二大隊、第三大隊が現れ、左右から挟撃した。包囲どころか、そのまま左右からぎゅっと握り潰さん

勢いである。

 氏族軍後衛からは変わらず矢が放たれ、射られる度に怪我人が量産されていくのだが、部族隊は小揺るぎもし

ない。突進に耐え、左右から圧し続ける。

 前衛は必死になって第一大隊を攻撃するのだが、揺るがない。全員が負傷者、息も絶え絶えといった姿なのに

崩れる気配が無い。それどころか目の光は益々強まり、気を緩めれば前衛の方が押し負けそうな勢いだ。

 そこを左右から第二、第三大隊が締め上げる。万力に締められるかのようで、さすがの氏族軍も疲れ、勢いを

失ってきた。がら空きの背後へ引けば逃げられるのだが、彼らに引く、逃げるという選択肢は存在しない。前へ

前へと進むのみであり、だからこそ辰朧の策が輝き放つ。

 つまりは我慢比べ。であれば先に動いた氏族軍の方が不利となるが道理。

 氏族軍前衛は必死に抵抗し、部族隊全体の三分の一を殺し、ほぼ全ての兵を負傷させるという恐ろしい損害を

与えたものの、一度失った勢いは戻らず、そのまま鳥が失速して落ちるようにして力を失い、やがて地にその身

を伏した。

 しかしそこへ絶え間なく矢が降り注ぐ。芸の率いる後衛部隊である。彼らはまだほぼ無傷。疲弊し、負傷した

部族隊全員を射抜くのは容易(たやす)い事と思われた。

 疲労困憊の部族隊はそれでも必死に後衛に向けて進軍を開始したが、見る見るうちに兵は減り、敵前衛と同じ

ように次々に地へと倒れ伏していく。

 今度こそ勝敗が決したと思われたが、氏族軍の反撃もそこまでであった。おそらく矢が尽きたのだろう。今ま

で雨のように放たれていた矢が一本も放たれなくなってしまった。

 同時に氏族軍後衛が部族隊に向けて最後の突撃を敢行(かんこう)する。

 彼らの使っていた質の良い矢は鵬盲から奪った物。その矢は先の戦いで相当数消費され、大した本数は残って

いなかった。それを芸は雨のように惜しみなく使用したのだ。むしろ今までよく持ったというべきだろう。部族

隊に致命傷を負わせられなかったのも、質の良い矢がとうに尽きていたからではなかろうか。

 芸も初手で勝敗が決する事を解っていた。故に惜しみなく矢を用いた。その矢が尽きた時、彼は自らの敗北を

悟ったであろう。

 芸は死を覚悟していた。後衛には弓矢以外にまともな装備を渡していない。そんな様では、例え疲弊しきって

いるとはいえ、充実した装備を持つ部族兵に勝てる道理が無い。

 しかし部族隊もまた自らの死を、全滅を覚悟していた。氏族軍後衛の実情など彼らには知る由も無い。前衛を

潰す事に力を使い果たしてしまった彼らの頭には、最早勝利の二文字は無かっただろう。

 こうして両軍共に敗北を悟ったままぶつかり、最終的に部族隊が生き残った。誰もが見るも無残な姿で、五体

満足でいられる方が珍しいという有様であったが、ともかくも勝ったのだ。

 芸は死に。部羅(ブラ、ブラー)、伯引(ハクイン)、款索(カンサク)といった名立たる部隊長達も共に死

んだものと思われた。もし生きていたとしても自ら死を選ぶだろう。部族最後の戦とはそうあるべきだからだ。

 部族隊も全体の三分の二が死に、烏雛に続いて隊長格である蚤紋まで失うという損害を受けた。とても勝利と

は言い難い姿だが、それでも彼らは勝ったのである。

 不思議な事に辰朧は生き残った。片腕片耳を失い、まぶたまで斬り落とされたようだが、意識ははっきりして

おり命に別状は無い。医者もおそるべき幸運と生命力の持ち主だと驚いていた。辰朧自身がどんな終わり方を望

んでいたにせよ、天は彼に生きる事を選ばせたのだ。

 人の生死とは真に不思議なものである。



 楓流は決着がついて後も、しばらくの間動けなかった。いや、彼だけではない。楓軍の全ての将兵がその凄ま

じいまでの戦を目にし、自分という意識すら失ってしまっていた。

 楓兵の中には歴戦の猛者が多いのだが、その彼らもこの戦い程凄惨(せいさん)かつ激しい戦を見た事は無か

った。これが本当の部族の戦、鬼の戦かと心中身震いし。驚嘆を超えたはっきりとした恐怖をその心に焼き付け

られた。

 この中で最も早く我に返ったのは楓流で、即座に負傷者を敵味方問わず収容して手当てを受けさせるよう命じ、

部族隊を後方に下がらせている。

 部族隊はあくまでも前線に居る事を希望したが、楓流は許さなかった。とにかく治療を受けるように言い。今

後も参軍するかどうかはそれからの話だと言い聞かせた。部族隊はそう言われても涙を流して戦いを望んだよう

だが、楓流の意思は変わらなかった。

 秦南方軍の方も最後まで動かなかった。

 もし彼らが参戦していたら、いや氏族軍に充分な装備を与えでもしていたら、戦の勝敗は大きく変わっていた

だろう。結局は秦と氏族軍にある不和が、そして芸派と鵬盲派の争いが楓に勝利をもたらしたといえる。

 戦争も人が行うものであるからには、多くは感情の問題になるのだろう。

 哀しい事に。

 大雑把に戦後処理を終えると楓南方軍は北上を再開した。

 最早部族の力を当てにはできないが、楓流にはまだ虎の子の騎馬部隊が残っている。装備も秦本軍と対決する

までには充分な数が届いているはずだ。その時まで騎馬部隊を温存する事ができれば、楓軍の優位は確かなもの

となる。

 故にその前段階となる秦南方軍との戦いでは、できれば壬牙(ジンガ)率いる楓南方軍の力だけで勝ちたいと

考えている。

 彼らに手柄を立てさせなければならないという事情もあった。

 楓南方軍の兵の大半はこの地で雇われた者達であり、扶夏王との戦では大いに活躍して相応の褒美をもらった。

しかしそれ以来南方には戦らしい戦が起こらず、また楓流が賦族と部族の方に目をかけてきた事もあり、多かれ

少なかれ不満を抱くようになっている事にはこれまでも何度か触れてきた。

 特に副官の邑炬(オウコ)が強い不満を抱く者達の一人である事が問題だった。

 彼は扶夏王の有力家臣の一人擁涯(ヨウガイ)を討ち取った事で名を上げ、仕官として取り立てられたが。元

は農民で、よほどその時酷い目に遭わされたのか、統治者、支配者というものを初めから信用していない。心底

憎んでいると言ってもいい。

 その心は楓に属してからも失っておらず。楓流が賦族、部族をひいきにし。自分のやりたい事だけを考えてい

るのを見るにつれ、所詮(しょせん)は楓も他の国家と変わらないのだという想いを強くしている。

 邑炬にはそういう執念深い所があった。共に副官として取り立てられた表道(ヒョウドウ)もその点にはほと

ほと愛想をつかしているようで、最近は二人で口論する姿が見られる事も多くなっている。

 しかし彼らは二人一組になって初めて役立つ人材であり、その事を表道の方はようく解っていた。だから時に

譲り、時に宥(なだ)め、上手く邑炬を操ってきたのであるが。邑炬も功を積み、立場が重くなった事でその周

りに人が集まるようになり、その者達が要らぬ入れ知恵をするせいで二人の仲が不自然にこじれるようになって

しまっているという。

 彼らの不満を解消させるには褒美と名誉を与えるしかない。つまり手柄を立てさせてやる。そうすれば自信を

得、自分達が置き捨てられているかのようなさみしさを感じる事もなくなるだろう。

 逆に言えばそれだけのものだと楓流は考えている。

 楓に居たいからこそ楓流の態度に不満を持つのである。その気持ちを察してやり、いくらか温情を見せてやれ

ば裏切るような事は無いだろう。

 楓流は自分は彼らの事を解っているのだと考えていた。




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