22-7.暗躍は希望に潜む


 楓南方軍は南方と秦本国との境界線付近に到着した。王旋率いる秦南方軍は戦う姿勢を見せず、楓南方

軍が近付くと同じだけ引き、距離を保つ。

 ただし無為に後退している訳ではなく、途上の守備兵を吸収して数を増している。

 部族決戦における楓南方軍の損害が思っていたよりも軽微であった為にこのような策を採る事にしたの

か。或いは初めからそういう戦略であったのか。解らないが、どちらにせよ王旋将軍に焦りは無いようだ。

行軍は落ち着いており、付け入る隙を見せない。

 この頃には西要が落ちたという報が両軍共に入っていたはずだが。それでも態度を崩さない所はさすが

というべきか。

 楓中央軍には軍を進めるよう使者を発しておいたが、言わずとも彼らはすでに進軍を再開させているは

ずだ。魏繞もそのくらいは期待できる男である。

 もし馬鹿正直に楓流からの指示を待っていたとしても支障は無い。何度か述べているように、西要を落

とした時点で中央への道は八割方完成している。無理に急ぐ必要はなくなったのだ。

 楓に有利な結果が続いているとはいえ、秦にはまだ余力が残されているし。中諸国への不安もある。

 新たな補給路ができて重要性が薄れたとはいえ、中諸国が乱れる事による影響は少なくない。下手すれ

ば大陸全土に及ぶ可能性もあるし、相手はあの子遂なのだから警戒を怠る訳にはいかなかった。

 楓流が今一つ積極的に動けないのもそれがあるからだ。急がなくて良いのは事実だが、必要以上に慎重

になっているという事はあるかもしれない。

 子遂への不安は漠然としたものではない。起きるか起きないか解からないからではなく、必ず起きるの

が解かっている、そういう不安だ。彼は必ず動く。それが今も動きを見せないのであれば、必ず理由があ

るはずなのだ。それを察知できぬまま進んで良いものかどうか。

「待つか・・・・。しかし、いつまでだ。いつまで待てばいい」

 今はまだいい。敵の動向を見極める為にも待っている事は有用だ。

 しかし理由もなく待たせ続ければ将の迷いが伝わり、兵がゆるむ。

 子遂は何もしないでも楓に対して悪影響を及ぼせるという事だ。

「厄介な男よ」

 あごに手を当て、歯がきしむまで噛み締める。

 子遂という男は最初からそうであった。楓流がそうと知りながらそうするしかない状態を作り出し、し

ぶとく生き延びてきた。彼は生存と暗躍の天才なのだ。腹立たしいが、認めざるを得ない。楓流は子遂を

殺せないのだと。

 今回も彼は全てに備え、手を打ってくるだろう。その全てを察知し、事前に対処しておく事は不可能だ。

軟禁状態にある今、その手段は限られているとはいえ、何もできない訳ではない。そういう男なのである。

「いっそ短期決戦を挑むべきか」

 逆転の発想だ。子遂に備える為に時間をかけるのではなく。彼が何かを成す前に決戦の勝敗を付けてし

まう。いかに子遂とて、その勝敗を覆すような真似(まね)はできまい。

 ならば雷神の如く一息に、強力にそれを成してしまえばどうか。

 だがそれこそが彼の狙いであるようにも思えてくる。

 決戦の勝敗が決する瞬間をこそ望み、待っているのではないかと。

 どれだけ考えても答えが出ない。まことに子遂という存在は、楓にとって、いや楓流にとっての癌(が

ん)である。

 しかし策は策であるが故に常に弱点を伴う。人を騙す事は、その騙すという行為であるが故に弱みを抱

えているものだ。

 確かに子遂は生き延びてきた。これからも生き続けるのかもしれない。でもそれは無限ではない。彼も

また常に危うい天秤の上に乗っている。ほんの少しだけどこかに深く傾けば全てが崩れ去る。そういうも

のの上で彼は生きている。

 その事をもし子遂自身が忘れている、解かっていないのであれば、そこに付け入る隙が生まれるかもし

れない。

「まあ、よい」

 武を用いた戦が終わるにせよ、智を用いた戦に終わりは無い。秦に勝利した時、次に始まるのは大陸全

土との外交合戦だ。子遂という怪物との戦いもその準備、訓練だと思えば悪くない。

 それに子遂が用いてきた力は彼にしか使えないものではない。孫文(ソンブン)が用い、趙深が用い、

楓流が用い、秦王もまた用いてきた力だ。

 おそれる事はない。その力とは何度も戦い、勝利を得てきたのだ。不安と同じだけ、自信も得てきた。

「ならばそれでいい。受けて立とうではないか」

 楓流は子遂を中心に物事を考える事を止めた。

 固定化された思念はどれほど強力であっても読まれてしまう。逆にどれほど脆弱(ぜいじゃく)であっ

ても変化し続ける思念を読みきる事はできない。

 子遂の目が誰よりも良く見えるのであれば、それが故に彼は敗れるであろう。

 その力故に滅ぶ。

 強さとは本質的にそういう無情さを抱くものである。



 子遂は全ての結果に概ね満足している。それが予定通りであったからではなく、結果として望む状態に

なった事に満足していた。

 彼も自分が世の中の全てを見通せるとは考えていないし、そうする必要性があるとも考えていない。大

まかにそうあればよく。全てを思い通りにする必要は無い。

 そもそも今回は誤算だらけだった。

  西要があっさりと落ちる事も、部族決戦が結果としてその目的通りのものとなった事も、楓軍が今も

己が勝利に向けて着実に歩を進めている事もまた計算違いである。

 この分では中諸国全土に張り巡らせた罠もそのほとんどが無為に終わるだろう。明らかな失策である。

後世の者は笑うであろう。

「だが勝つのはわしよ」

 子遂も老いた。策にも思考にも若々しさはない。想像力、閃きなどとうに失っている。

 それでも最後に笑うのは自分だ。それを疑う理由は無い。全ては初めからそう仕組まれていたかのよう

にそうなるだろう。誰もそれを望まなくとも、誰もそれを仕組まずとも、何もせずともそうなるようにし

てそうなる。

 子遂という男はずっとそうしてきた。これからもそうする。そうして天下を掴(つか)む。

 確かに時間はかかった。本来なら孫文の後継という立場にあるのは自分だったはずなのだ。それが楓流

にまんまと奪われ、老いた身で軟禁状態にある。敗者とすればこれ以上解かりやすい姿はないと思える。

 しかし自分は敗者ではない。

 むしろこの状態をこそ望んでいたと言えば、人は嘘と笑うだろうか。

 かもしれない。そしてそれは合っているのかもしれない。ただの結果論を強がって述べているだけなの

かもしれない。

「だが勝つのはわしだ」

 修正を加える余地はある。予想を超え、対処しなければならなくなった事も多い。

 でも、それでも揺るがない。

「それが子遂。覇者となるべき男の定め」

 とはいえ、少し時間をかけ過ぎてしまった。

 日に何度か胸に手を当てて休まなければいけなくなっている。以前は老いと考えていたが、どうやら違

う。自分のこの胸の奥にある何かは人が本来持つべきものではないのだ。今はもうそれをはっきりと自覚

できる。

 誰にも悟られぬようにしてきたが。その回数、苦しみは増して行き、隠し通せなくなってきている。こ

のままでは早晩楓流に知られてしまう。

 急がなければならない。

 孫文の二の舞になる訳にはいかぬ。限られた時間が費える前に、それを成さなければ。もう少しだ。も

う少しで届くのだ。この手の先に。もう指はそこにかかっている。後はそれをたぐり寄せればいい。それ

で全てが終わる。天下が、この世の全てが自分の物になるのだ。

「・・・・ぐ・・・っ」

 不意に苦しみが襲う。この時ばかりは思考が止まり、鈍い痛みだけが心を支配する。声も、呼吸さえ満

足にできない。赤子よりも役立たずになる。

 おそらくこれこそが噂に聞く死というものなのだろう。

「・・・・・・く・・・・ぅ・・・・・・・・ァ」

 だが悔いてはいない。自分の命が有限だという当たり前の事実に気付いた時、初めてこの策を成せた。こ

の策謀の全てが自分の命、生の全てなのだ。そして全ての事象は自分を覇者へ登らせる為に存在する。

 だからこそ言おう。

「これは天命であると!」



 楓流は秦への侵攻より、まず中央への補給路を繋ぐ事を先決とする事にした。

 秦南方軍の動き、秦本軍もまた同様に目立った動きを見せない事を照らし合わせれば、自領土深くまで誘

い込み、その上で攻勢に転じる腹であると推測できる。

 とすればわざわざ急いでやる必要は無い。

 それに秦も準備期間を何もせず過ごしてきた訳ではあるまい。こちらの推測が正しければ、そろそろ中諸

国、或いは北方にて動きがあるはずだ。楓軍を自領に引きつけた今こそ仕掛けた罠を発動させる好機である。

 楓がそれに対して備えている事を解っていたとしても、使わざるを得ない。何故ならば、これが楓と秦と

の最後の戦いになるからだ。今使わなければ、それを使う機会を永遠に失う事となる。

 それに、そのような見え透いた罠ではおそれるに足りないのではないか、といえば、そうではない。

 何かをしてくるのは解っていても、何をしてくるかは解っていない。むしろ相手に察知されている事を前

提に行う策であれば、解っていても対処仕切れないようなものを仕掛けてくるに違いない。

 不安はある。

 だが不安材料ばかりではない。これまでに得た時間で騎馬隊の準備が完了しつつある。道具は揃い、予備

の分も着々と送られてきている。矢の数も日増しに増え、まるで全楓領の矢が一堂に会しているかのような

眺めである。

 これら鉄器を作る為に燃料として無数の木を切り倒し、少なくない山が禿げたと聞く。戦が終わりし後は

充分に労ってやらなければならない。山とは神の座。裸のままにしておいては罰があたろう。

 楓中央軍も順調に歩を進めており、西要を新たな始点として補給路を築いているようだ。その建設と維持

に少なくない兵力を割かなければならなくなるが、それを差し引いても有用性は高い。

 必要な荷はほとんどを事前に要所へと運び込んである。後はそれを前線に運ぶだけでいい。輸送用の馬

や道具、船、人員なども手配済みだ。

 運輸業を取り仕切る越の影響力が益々強くなってしまうが、かの国が裏切る可能性は低い。それに越が

輸送の要を握っているとはいえ、人足(にんそく)の全てを傘下に収めている訳ではない。水運には大き

な影響力がある事を否めないが、陸運に関しては絶対的ではない。

 もし越が反乱を起こしたとして、それが長期に渡れば困った事になるが。今の状況であれば、秦さえ滅

ぼせば返す刀で越を叩く事は容易であるし。現時点でも相当数の物資を前線に運び込んである。少々無理

はしなければならないが、何とか足りるだろう。

 まあ反乱までは起こさずとも、決戦を長引かせて楓秦両国の力を少しでも多く削ろうとは考えるかもし

れない。今なら越も深刻な脅威とはならないが、注意しておく必要はある。

 このように不安はあるが、深刻にならなければならない要素は少ない。勝敗を急がせないで済む理由は

充分にあった。



 補給路建設に勤しむようになってから十日。待望の、というべきか、中諸国にて乱が生じたという報が

楓流の許へ入った。

 それも一国ではない。全域にてほぼ同時期に発生したらしい。

 その中心に居るのは子遂その人である。

 しかしそれは予期していたような策謀の中心に居るという意味では無く、文字通り子遂自らが前面に出

てきたという意味である。さすがの楓流もこれには驚いた。子遂らしくないやり方だが、そうであるが故

に効果的である。してやられたという感が強い。

 子遂は今現在も軟禁状態にあるのだが、自らの名を使って乱を引き起こした。

 曰く。中央東部から西方西部、南方北部に到るこの中諸国にて新たな国を興す。楓でも秦でもない、独

立した国家。本来ここにあるべき国を興す。その名は孫。

 孫を継ぐ資格を持つのは楓流ではない。子庸(シヨウ)である。孫文自身を討ち取った彼こそが相応し

い。しかしその子庸は今はもう居ない。であるならば、そのただ一人の縁者であるこの子遂こそがその地

位を継ぐべきである。

 自分は子庸より遺言にてそう託された。それを楓流が力ずくで奪い、当然のような顔をしてそこに座っ

ている。盗っ人猛々しいとは正にこの事。今こそ糺(ただ)すべきである。孫の意を継ぐ者達よ、我が許

へ、正当なる後継の許へ集まれ。共に楓、打ち倒すべし。

 無茶苦茶な論理であり、信憑性(しんぴょうせい)の欠片も無い話だが。問題はそこではない。

 大陸において未だ孫という名は鮮烈な響きを持っている。特に中諸国の多くは孫軍に属したか、その残

党勢力だった事もあり、今も孫文を敬慕し、その死を偲(しの)ぶ者は多い。神格化されつつあると言っ

ても過言ではない。

  孫文とは以前大陸統一の覇者として最も有望視されていた男で、楓流がその衣鉢(いはつ)を継いだ

と目されているくらい影響力のあった人物だ。

 子庸は孫からすれば裏切り者で、子遂がその縁者である証拠も無い。しかし孫は純粋な実力主義。そし

てその王たる孫文本人を子庸は倒し、確かにその後を継いだ。その後すぐに滅んでしまったが、それでも

力を見せ、王位に就いた。その子庸に託されたと言えば、後継となる資格があると思えなくはない。

 何より、その考え方は乱を起こす理由、大義名分とするには非常に便利であった。

 本来なら皆無茶な論理と笑い飛ばしたはずだが。中諸国全体に明開が不和の種を蒔き、そのせいでどの

国も逼迫(ひっぱく)した状況にある。その閉塞感、どうしようもなさが彼らの心を重く握り締め、放さ

ない。楓も秦も同じ。結局は自分達を都合よく使う。哀れみ、労りなどありはしない。その証拠に楓流も

また明開を黙認しているではないか。

 そんな苦悩の中、新たな選択肢、新生孫という道を与えられた。おそらくこれは最後の機会となろう。

逃せば未来永劫(みらいえいごう)この地獄のような閉塞感の中で暮らす事になる。本当にそれでいいのか。

 確かに我々には集縁や南方を攻め落とせるような力は無いだろう。反乱を起こしてもいずれは衛軍に鎮

圧される。どれだけ努力したとて、遅いか早いかだけの差だ。いつかは楓に吸収される。そういう仕組が

すでにできあがっている。だから楓流は中諸国を顧(かえり)みないのだ。そうする必要はもう無いのだ

から。

 だが越のように一地方に割拠するくらいならできるのではないか。一国では無理だとしても、中諸国全

体が協力すれば可能性はあるのではないか。楓の本隊が西方に集まり、中央、南方共に手薄になっている

今ならば、それができるのではないか。

 そこへ次々と扇動者(せんどうしゃ)が現れる。子遂と直接的に関係はなくとも、自覚はなくとも、そ

の意を受けた者達だ。子遂の眷属(けんぞく)と言ってもいい。誰一人として幸せにできない人種だが、

渦中にある人間に対しては非常に大きな影響力を持つ。

 反楓の気運高まる。

 最初に動いたのは梁の国の蕭冊(ショウサツ)。

 彼は法瑞(ホウズイ)失脚後に後釜として据えられた殷嵯(インサ)の義弟であり、殷嵯を影から思う

ままに動かしてきた男。彼が今また殷嵯を唆(そそのか)し、梁政府を襲わせた。その手際を見るに、秦

と共謀して前々から準備を進めていたと察せられる。

 それを止めるはずの法瑞はいつの間にか軍の大部分を奪われ、力を失っていた。当然だろう。法瑞にど

れだけ人脈があろうと、土地との繋がりが強かろうと、軍を直接動かすのは殷嵯だ。兵は自然彼の方に親

近感を持ち、蕭冊の奸計(かんけい)と殷嵯自身の愚かだが魅力ある人柄に少しずつ取り込まれていく。

 明開がそう仕立てたのだ。

 故に明開はすぐさまそれを察知し、周辺国へ討伐軍を出すよう命じた。そのくらいの権限は与えられている。

 すぐに応じたのが天布。天布将軍、布崔(フサイ)は以前から武功を望んでいた。大功を立てる事がで

きれば、再び国の認可を得られるかもしれない。元の国土全てを取り戻す事は不可能だとしても、楓が勝

利すれば秦領を丸々得られるのだ。そこからいくらか領土をもらえよう。

 楓流は天布の不満を理解し、また同情的でさえあった。功さえ立てればきっと応えてくれる。

 その上梁には憎き法瑞が居る。今は味方同士、手を出す訳にはいかないが。もし戦渦の中で彼に不幸な

事故が起こったとしても、それは避けられない事である。

 迷う理由はない。布崔の心は初めから決まっていた。

 天布は天水に属する為、本来なら天水の許しなしには動けないのだが、今は明開の命がある。権威から

すれば天水の主である桐洵(ドウジュン)よりも明開の方が上なのだ。後に独断専行を非難されたとして

も、命令違反にはならない。手柄を立てていれば尚更だ。

 天布軍は迷う事なく自らの信ずる道を突き進んだ。臨戦態勢の為、戦争準備は済んでいる。その意志さ

えあればすぐに軍を発す事ができた。

 天水を任されている桐洵は報を聞くなりすぐさま使者を送ったが、すでに時遅く。それでも使者は必死

に馬を飛ばして追いつき、軍を返すよう説いたのだが、布崔は明開の命を遵守するの一点張りで聞く耳を

持たなかった。

 乱を鎮めるには軍が必要である。布崔の決断は必ずしも悪いものではないが、状況がはっきりしていな

い状態で単独行動するのは余りにも危険。天水もすぐに後を追えれば良かったのだが、子遂を置いたまま

軍を動かす訳にはいかない。

 桐洵は死罪になる事を覚悟で子遂を独断で始末してしまうかとも考えたが、参謀役の伊推(イスイ)に

止められた。それをしたとてこの乱を止める事はできず、むしろ混乱を助長する事になるだろうと。それ

を解っているからこそ、自分に手を出せないと知っているからこそ子遂は動いたのだと。

 父のように敬愛する男の言葉である。桐洵も思い直し、自らは子遂に対処すべく天水に留まる事にして、

代わりに梁に近い蜀に急ぎ軍を出すよう願い出た。また白夫妻にもその点で協力してくれるよう頼んでい

る。歯痒いが、彼女の権限では他国に命令する事はできない。

 元近衛である蜀后蜀円(ショクエン)と、蜀王の養子となった息子の後見として来ている趙深の妻であ

り元蜀の姫である趙緋(チョウヒ)の取り成しもあり、蜀は軍を動かす事には同意した。

 しかし蜀内にも様々な思惑がある。天布のように意識を統一してすぐさま動ける状態にはない。楓が国

政を握っている事に軍部は反発しているし。蜀王も表向きは従順だが、その奥には楓に対する拭えぬ不満

と不信感を持っている。

 蜀円を寵愛(ちょうあい)しているのもどこか演じているように見えると言えば言い過ぎだろうか。

 自分から望んだ結婚とはいえ、蜀円は元近衛、楓流に近しき者。心を許す方が不自然であるという見方

もできる。

 蜀王は国を売った男として民心も人望も失っているが、だからこそできる事もある。軍部の中にある不

満をある目的に向けて操作する事など造作もない事であろう。

 今の蜀王は楓へ嫌がらせをする事だけに暗い悦びを見出しているような人物である。ある意味子遂より

性質が悪く。子遂同様、取り除く事はできない厄介な存在だ。援軍の遅れにも何かしら関与していると思わ

れる。

 彼にとってもこれが最後の機会なのだ。死力を尽くして楓を妨害してくるに違いない。

 全てが楓にとって悪い方向に回り始めたのか。

 桐洵の案も裏目に出てしまった。蜀軍動くの報だけが先行し(蜀王の仕業かもしれない)、それに対して

布崔が焦りを抱いてしまったのだ。天布軍は梁に一番乗りする事だけを考え、戦略、戦術など他のあらゆる

必要な事を見失い、暴走を始めた。

 中諸国の乱は楓の予測を越え、大きく加速し始めたのである。




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