23-3.大陸統一


 秦王の策が失敗した瞬間、楓の勝利が確定した。秦軍はそれ以上抗うを良しとせず退却し、残された秦

兵もある者は戦いの後に死に、ある者は苦い表情のまま武器を捨てて降伏した。

 秦王はいち早く逃げ去り、邑炬もどさくさに紛れて秦王と行動を共にし、どちらも捕らえる事はできな

かった。それには王旋将軍の働きも大きい。

 彼は別働隊など初めから組んでいなかった。秦王が率いていた軍勢が現在秦が動員できる最大兵力であ

り、別働隊を組む余裕など初めから無かったのだ。つまり楓流は王旋将軍という名にまんまと踊らされて

いた事になる。

 実際には王旋は最初から最後まで秦王の側に居て、その指揮に助言を与えていた。つまり実質王旋が秦

軍の指揮を執っていたのである。

 しかし必勝のはずだった策は失敗し、王旋は自らの職務を全うすべく秦王と衣服を交換して影武者とな

った。そして王を逃がす時間を稼ぐ為に楓軍を引き付け、忠義厚い最後の秦兵達と共に壮絶な最期を遂げ

た。その生き様こそが秦の最後の意地であったと言える。

 楓軍は数的優位によって勝利を得たものの、さすがに強兵名高き秦の兵は見事であり、損害と時間を大

きく奪われ、全てを落ち着かせるまでに十日という時間を必要とさせられてしまった。

 楓流はしかしその事を嘆きはしなかった。今の秦で唯一最大の障害であった王旋とその直属の部下を取

り除けるのであれば、兵の死も秦王の逃亡も安い代償である。秦軍の中核は失われた。最早秦王が健在で

あるなしはどうでもよい。王旋の死で秦はもう終わりである事を印象付ける事ができたのだ。王旋の命を

かけた秦の延命策も、文字通り延命なのである。

 現に王旋将軍の死を知り、降伏する者の数は増えた。彼の仇を討とうとする者も増えたようだが、その

者達も楓軍に各個撃破されただけである。彼らは自分の意地を通す為に、死ぬ為に戦ったに過ぎない。死

兵は脅威ではあるが、未来の為ではなく、残される者の為でもない、ただ自らが死ぬ為に戦う者などこわ

くはない。単純に生を諦めた人間などにできる事などないのだから。

 楓流は軍を立て直した後、ほとんど空になった秦領を次々に平らげて行き、とうとう秦王を秦都、咸陽

(カンヨウ)まで追い詰めたのである。

 秦王はここに到っては抗しきれずと判断し、自らの命と邑炬の首を差し出す事を条件に降伏を願い、楓

流もまたそれを受け容れた。

 というよりも、受け容れざるを得なかった。

 驚いた事に秦王は事前交渉など何もせず、自らと邑炬の首を、言ってみれば一方的に送りつけてきたの

である。それが彼の見せた最後の意地であったのだろう。何を考えていたのか余人には解りにくい男であ

ったが、彼もまた己が理想、美学に殉じた。その死に顔は不思議と安らかであったと伝えられている。

 逆に邑炬の首は苦悶に塗れ、その表情には怒りと恨みと憎しみだけが残されていた。楓流はさすがにこ

れを哀れに思い、邑炬の罪を許して丁重に埋葬してやる事にし。秦王に対しては英霊として祭り、秦とい

う土地に封じる、封神の儀を行う事にした。これは生者が死者に贈る事ができる最大の栄誉であり、秦民

の中にある感情をある程度は和らげる効果があるだろう。以前にも用いた事のある手段だ。

 こうして秦は楓に降伏し、名実共に楓が大陸の覇者となった。

 しかし全てが終わった訳ではない。中諸国の動き、南方の乱、北方の動きなど警戒すべき事は多々ある。

それに秦という国をこれからどうしていくのか。吸収するにせよ、属国扱いにするにせよ、簡単に運ぶ問

題ではあるまい。後任の人事次第によっては不満を隠さない者も出てくるだろうし、西方は元々小国が乱

立していた場所であり、秦という国も西方大同盟を進めてできたような国だ。乱の種は少なくない。

 息をつける日はまだまだ遠く思えた。



 秦の敗北、これは当然ながら大陸全土に大きな波紋を呼び起こす。その中で一番多かったのは、早過ぎ

る、という思いであろう。楓に与(くみ)するにせよ、秦に与するにせよ、独自路線を進んで行くにせよ、

全ての力ある者達の策は楓と秦の決戦を前提に立てられ、できればそれが長引く事を望んでいた。

 だが現実には秦王の会心の策は敗れ、王旋将軍は討ち死にし、秦王もまたその死を受け容れた。多くの

人間は肩すかしを食らった格好であろう。当然、計画に支障が出る。

 まず南方の乱が収束した。壬牙の手腕も大きいのだが、近くに手の空いた楓本軍が居るという理由の方

が大きい。近く平定される事が解りきっている反乱に荷担しようと思う者などそうはいない。

 とはいえ、彼らの全てが大人しく降伏した訳ではない。多くは野に下り、略奪品を抱えて人知れずどこ

かへと消え去った。南方の高官であった邑炬が裏切り、その代償を支払わされた事はすでに伝わっており、

厳罰を恐れて逃げたのだと思われる。

 実際には秦王が独断で邑炬の処置をしたのだが、南方にいた不満者の多くは楓流がそれを強いたと受け

取っている。

 覇者となった今、必要以上に温情を見せる理由はなくなっている。つまりこれは邑炬という高官すら、

今まで楓に大して散々尽くしてきた者ですら逆らえば殺すという意思表示に違いない。と、そう受け取っ

たのである。

 楓流は今まで南方に対して冷ややかであったし、南方もまた楓流に対して冷ややかであった。逃げなけ

れば殺される、そう考えるのも追い詰められた者には無理のない話であったろう。

 壬牙はそういう機微を敏感に捉え、楓流の命によって反乱に荷担した者の刑を減じるという旨を知らせ

たが、効果は薄かった。楓流自身が悔いていたように、南方との信頼関係はこういう時に誤解を埋められ

る程、強いものではなかったのである。

 ただし全く効果が無かった訳でもない。楓流が南方の民に対して歩み寄りの姿勢を見せ、今までのよう

に壬牙任せではなく、様々な事を自らの手で決断し、裁くようにした事がそれを後押しもした。悔いたか

らと言って全てが解決する訳ではないが、それを行動で示した事による効果は少なからずあったのである。

 去った者も多いが、見直した者もまた多かった。

 楓流とすればすぐさま南方に戻りたかったのだが、しばらくの間は秦に、咸陽に留まらなくてはならな

い。彼自身がここに居なければ西方を押さえておく事はできないだろう。

 そこで魏繞に一万の兵を与えて集縁に戻す事にした。あまり兵数を置いておくのも秦民を刺激するし、

また集縁の守りも不安だったからだ。これは同時に北方と中諸国を治める事にも繋がる。先に送った凱聯

隊と合わせれば圧力をかけるに十分な兵数となろう。

 北方の立つべし!の声も勢いを減じつつあるようだ。楓が勝利した事で危機感を増し、論調が強くなっ

ている面もあるが、目立つ行動は慎むようになっている。彼らも楓と戦えば集縁軍と衛軍に挟撃され粉砕

されてしまう事は解っているのだから、やりようによっては上手く動かす事も不可能ではない。

 故に趙深と共に北方の動向を注意深く見守り、その動きにいかに冷静に対処していけるかどうかが重要

になってくる。

 せめてもの救いは北方の情勢が急を要するものではないという事か。扇動する田亮(デンリョウ)らの

真意は未だはっきりとしないが、楓と敵対するのではなく、あくまでも同盟国としての立場を強めたいと

いう戦略であるのは確かであろう。これは正直何よりもありがたい。

 とすれば急を要するのはやはり中諸国か。楓の勝利が反乱兵達に与える影響は大きく、秦同様に離反す

る者も少なくないと聞くが。中には逃亡前に最後の荒稼ぎしてやろうと考える奴もいるだろうし、暴徒の

群れに恐怖を与えれば何をしでかすか解らない怖さがある。

 ただし彼らは最早一丸となって事に当たるような事はないだろうし、反乱軍の快進撃は終わりを告げた

と考えて良いだろう。

 この点、ほっとしたのは狄である。集縁から申寥(シンリョウ)率いる二千の援軍が到着した事もあり、

反乱軍の一翼殷嵯(インサ)軍は西進を止めた。

 申寥軍と戦えるだけの力を殷嵯軍は持っていない。東には楓東方軍もきているし、もしここで申寥軍の

方から仕掛けても勝利を得る事は難しくなかったと思える。

 それでも申寥が動かなかったのは戦後の事を考え、狄人民を鼓舞して国を治める事に注力したからであ

る。そのかいあって彼女は瞬く間に政府と軍(という程のものも残ってはいなかったが)を支配下に置い

た。そして集縁から随時補給部隊を呼び寄せ、物資を正当に分配する事でその力を知らしめた。楓はやは

り頼りになるのだ、と。

 まるで楓流その人がそこに居るかのような冷静な態度は殷嵯軍に大きな圧力を加えた。彼らは逃げるよ

うに東へ進路を変えた。おそらく天水に戻り、蕃伉軍と合流するのであろう。今となっては唯一の味方と

いえる彼らと合流する事、それだけが(あるとすれば)生き残る道であった。

 しかしその動きを見てからの申寥の動きは尚のこと速かった。直ちに軍を動かし、殷嵯隊に追撃(実際

には逃げてはいないのだが、そういう印象を与えるには充分であった)を加え、さすがに攻めてはこまい

と高を括っていた彼らを散々に打ちのめした。

 敗北を悟るや殷嵯と蕭冊は信頼できるのだろうごく一部の兵以外は一顧だにせず見捨てて撤退したから

捕らえる事はできなかったようだが、その迅速な判断力と統率力もまた誉れとするには充分であった。

 この一連の働きで申寥の名は国外にも知られるようになり、後に少なくない影響を及ぼす要因となる。

 楓流もまた彼女を高く評価し、狄を一任させる事にした。狄内では衰(おとろ)えたとはいえ未だ荘沢

(ソウタク)、新檜(シンカイ)の二派が争いを続けている。うんざりもするが、二人が二人とも少ない

ながら功を挙げている以上、その意を完全に無視する訳にもいかないし、処理の難しい問題である。

 その狄を任せた所に申寥に対する信頼の大きさが見て取れる。楓流にとって彼女の働きは久々に胸のす

く材料であったのだろう。

 それもあって申寥は狄民から更に大きく評価される事となり、その堂々たる振る舞いによって兵の支持

をも得た。狄の兵民も正直な所、無益な勢力争いを続ける荘沢、新檜の二人に愛想を尽かしていた。そこ

に都合良く頼れる相手が現れたのだから、乗り換えるのは自然の流れというものである。

 民や兵にとって誰が上に立つも独立もどうでも良かった。彼らは安んじて暮らしていければそれで良か

ったのだ。

 荘沢、新檜は確かに上手く人心を利用したし、その目論見も見当外れとは言えないものだった。実際、

梁に対する発言権は大きくはないが得られるだろう。しかし彼らは地盤である狄の状況を深く考える事を

しなかった。これは南方に対する楓流の政策と同じ。人心が離れていくのは当然である。

 つまり狄の方が先に二人を見限った。この事は二人が得た功績以上に深刻なものであった。

 これより狄は楓に併合される道をひた進む事となる。勿論、その道は(楓にとっても)順風満帆とは言

えないものとなったが、最早(狄の民と兵にとって)覆す必要のない願いとなったのだ。

 皮肉な結末である。

 こうして狄の安全は確保された。残念ながら捕らえた殷嵯兵から有益な情報を得る事はできず、実権を

にぎっていた蕭冊(ショウサツ)の狙いも子遂の動向も知る事はできなかったが。この勝利によって楓勢

が勢い付いた事は間違いない。反乱軍からの離反者も益々増え、反乱軍という存在そのものが瓦解した。

 そこへ楓東方軍が動きを見せ、更なる圧力を加えていく。

 殷嵯軍と蕃伉軍が合流し、再び一つの軍となったが、その数は二千も居るかどうか。往時(おうじ)と

比べるべくもない。

 果たして彼らは今後どう動くつもりなのだろうか。

 大陸中の耳目が中諸国へと集まっている。



 蕭冊は苛立ちを隠せなかった。流れが変わった事もそうだが、今になっても子遂が未だ動かない事に対

して尚のこと腹が立った。

 一体何をしているのだ。奴が持っていたであろう勝算とは何なのだ。この火急の時に何故動こうとしな

い。何故我らを助けようとしないのか。この反乱もどうせあやつの企みの一つだろうに、いつになったら

動くのだ。このままでは終わってしまう。反乱軍という形すら失ってしまう。

 最早蕭冊には以前のような冷静さや判断力はなく、考える事も見当違いな子遂への恨み言ばかりとなっ

ていた。

 要するに、追い詰められているのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・」

 今も昔も阿呆のような心配面でこちらを眺めている義兄(殷嵯)は頼りにならない。手勢もまだ少しは

居るが、一体いつまで忠誠を誓ってくれる事か。いや、そもそも忠誠なんぞを求められる相手なのかどう

か。彼らとは初めから利益だけの繋がり。我らの未来にその利が見えなくなった以上、一緒にいる意味は

失われる。

 忠誠を求められるような繋がりではないのだ。

 それどころか、このままでは近い内に寝首をかかれてしまう事にもなりかねない。

「なんという、なんという無様さか」

 責任を殷嵯一人に押し付けて済ませられるような段階ではない。逃げ場などどこにも無かった。ここで

終わる。北も南も東も西も行ける場所など一つもない。全てが塞がれ、全てが敵である。

「こうなれば蕃伉の首を挙げて・・・・、いやしかし・・・・」

 今更裏切ったとて受け容れてはもらえまい。強引に首を取って送ったとしても、蕭冊と秦王とでは立場

も意味も異なる。楓流はこれ幸いと蕭冊の非道を高らかに批難し、民心を得る為の道具とするだけだろう。

 万策尽きた。もう生き延びる道など無い。終わったのだ。

 この蕭冊が、こんな所で終わるのだ。

「・・・・・逃げよう、弟よ」

「ああ!? 何言ってやがる!」

 愚鈍の兄がおかしな事を言い始める。

「逃げよう。もう良いではないか。もう充分だ。これ以上こんな事を続けるのはよそう。逃げて、妹の許

へと、家族の許へと帰ろう」

「今更そんな事ができるかよ! 馬鹿も休み休み言いやがれ!」

 しかしいつも一喝すれば黙ってしまう殷嵯が、今日に限っては全く退こうとしない。

「帰ろう。帰ろう、我が家へ。もう良いだろう。ここまでやったんだ。もう良いじゃないか。俺達はやる

だけの事はやったんだから」

 普段は無言で頷くだけの義兄の言葉。取るに足らないと考えていた男の言葉が今になって心に突き刺さ

る。その言葉がささくれ立っていた気持ちと頭を鎮め、不思議と安堵(あんど)させる。

 確かにそうだ。夢は破れたのだ。これ以上我を張って続ける理由など、どこにあるだろう。もう、良い

のではないか。終わりにしようじゃないか。

 心の奥底にいたもう一人の自分の声が、ゆっくりと頭の中に満ちてくる。

「チッ!!」

 蕭冊は手にしていた刃を壁に叩き付けた。

 金属がきしむ音と共に幼き頃の思い出がよみがえる。あの頃はまだ何も知らず、この義兄を頼り、尊敬

すらしていた。悪戯をして怒られた時も、親兄弟を失った時も、今と同じように優しく諭し、逃げ場所を

用意してくれたのだ。彼が本当に困った時はいつもこの男が側にいてくれた。

 その言葉は愚かで幼いものであったが、今と同じように心に響いた。義兄の言葉は愚かさ故に人を動か

す。だから自分はこの男に賭けたのだ。弟となって守り立てる道を選んだのだ。平素、愚かだと馬鹿にし

てはいても、結局今も昔もこの男を頼りにしているのだ。

「・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

 二人の目がぴったりと合う。

 どちらの瞳も幼き頃の澄んだものへ還っていた。まるで憑きものが落ちたかのように。

「いいぜ、ずらかろう、兄貴」

 もしこの命拾えたなら、もう一度、もう一度最初からやり直そう。一人ではなく、二人で。

 そして彼らは夜を待ち、闇に紛れて人知れず、まだいくらかは信用できていたはずの部下すら置いて、

消えてしまった。



 殷嵯軍は混乱の極みに達した。

 これに怒ったのが蕃伉だ。確かに殷嵯や蕭冊が居たところで状況が改善する訳ではない。四面楚歌、八

方塞がりの状況は変わらない。しかし将が兵を捨てて逃げたという事実は止めを刺すに充分である。蕃伉

も逃げるのではないか、という声も囁(ささや)かれ始めており、身の危険を感じる事も多くなった。

 辛うじて味方と言えるのは、もう退くに退けず蕃伉に賭け続けるしかない百程度の元狄兵だけか。他の

兵は最早蕃伉の命など聞こうともしない。各々勝手に軍団を作り、逃亡の算段をしている。このままここ

に留まっていても捕らえられ、楓に売られるが関の山か。

 どうすれば良いのだろう。今しかない。このまま終わる訳にはいかないと国を捨て、反乱軍に身を投じ

たが。そもそも何か展望があった訳ではない。野望はあるが、それを具体的に現実化する考えなど持って

はいなかった。

「俺も全てを捨てて逃げるべきなのか」

 楓に降伏するという道は無い。それを知っていたからこそ、あの二人も全てを捨てて逃げる道を選んだ

のだろう。できれば自分もまたそうしたいが、彼らと違って蕃伉は一人。頼るべき者は居ない。楓が覇者

となった今、彼を助けてくれる者などただの一人も居ないだろう。

 逃げた所で、生き延びられるとは思えない。

「いや、待て! 奴だ、奴がいる!」

 楓の永遠の敵対者であり、常に一人でありながら生き延びてきた男。屑(くず)としか言えぬ人間であ

るが、生き延びる術だけは長けている。彼ならば道を拓けるのではないか。

「最早形振りなど構っていられぬ!」

 どうせこのままでは惨めに死ぬだけなのだ。ならもう一度賭けてやろう。どんな目が出ようとこのまま

死ぬよりはいい。

 蕃伉は一人の男の許へと向かった。この状況にあって尚、渦中にて平然と見守っているただ一人の男。

子遂の許へと。

 全ては予測の内にある。秦が勝てばもう少し楽な道を進めたのだが、楓が勝利したからといって進むべ

き道が変わる訳では無い。道は常に一つだ。

 決着がつくのは早かったが、遅かった訳でもない。全ての手駒は然るべき働きを示した。充分とは言え

ないが、足りない訳でもない。こう言えば驚くかもしれないが、彼は手駒一人一人を褒め称えたい気分で

さえいる。

 そう、子遂は今の状況に満足していた。

 蕃伉という予定外のおまけまで付いてきたのだから、文句など言いようもない。これを天の恵みと呼ば

ずして何と呼ぼう。

「最良とは言わぬが、良い結果をもたらしてくれた」

 子遂は痛みが増しつつある体を引き摺るように立たせ、蕃伉、そしてもう一つの手駒にある命を下した。

 この時をどれほど待ちわびた事か。

 心が、奮える。

 体の奥できしむような痛みですら、心地良く感じていた。

 彼の覇道は今ここから始まるのだ。



 梁と呼ばれていた地にて、孫の建国が子遂の名によって改めて宣言されたのはそれから程なくしての事

である。

 以後通例に従ってこの国を後孫(ごうそん)と呼ぶ。

 これだけならば何を血迷ったのかと言うだけの話なのだが、驚くべき事に後孫には多くの人間が集まっ

た。彼らを導いてきたのは法瑞(ホウズイ)、堅呟(ケンゲン)である。

 彼らが何故子遂に付いたのか、などと今更疑問に思うまでもない。どちらも明開に対して根深い恨みが

あり、その上あれ以上楓に居たとして良い思いができるとは思えない。楓流が明開の働きを認めたという

ことはつまり二人を見限ったという事だからだ。

 いや、その言い方はおかしいか。初めから法瑞などには、ましてやその腰巾着である堅呟などには重き

を置いていなかったのだろう。

 そんな二人を取り込む事など、蕃伉と同じく、子遂にとっては造作もない事であったろう。

 しかし何故、長く軟禁状態にあった子遂と落ちぶれた二人がこれだけの人間を集める事ができたのか。

 その理由は中諸国と南方に起きた乱にある。

 中諸国の反乱軍から離反した者達の金と物資の多くは法瑞と堅弦の許に集まり、彼らはそのまま後孫兵

となる。そしてその有り余る金と物資を使い、南方から去った兵達を吸収した、という訳だ。

 つまりこの二つの乱は後孫に金と兵を集める為に利用された。いや、初めからその目的の為に起こされ

たものだと言う事である。

 伊推らが民を助ける為に物資を置き去りにする事も、楓流が騎馬隊創設に集中する余り南方との関係を

こじらせる事も、明開が中諸国全土に乱の種を蒔く事さえもが子遂の思惑通りであったのだ。勿論、全て

を狙ってできた訳ではないのだが、結果として彼が最も望んだ方向に進む事となった。

 故に子遂は動かなかったのだ。動けなかったのではなく、全てが順調に、思惑通りに、時に思惑以上に

運んできたからこそ、敢えて動く必要性がなかった。

「天は我に在り!」

 子遂はそう高らかに宣言したい気持ちであったろう。

 楓と秦の決戦でさえ、彼の前座に過ぎなかった。覇者となったはずの楓流がこの報を聞けばどう思うか。

その事を考えるだけで自分の人生の全てが報われるような気がする。

 自分という生命はただこの時の為に生きてきた。そしてまたこれからも生きていくのであると。

「とはいえ、策はまだこれからよ。私の孫だけでは楓には勝てぬ。迫り来る楓東方軍にさえ勝てぬであろ

うよ」

 後孫の兵力はおよそ一万。できれば建国時に三万の兵は欲しかったのだが、秘密裏に進めさせるにはこ

の程度が限界であった。陰謀を隠す為に慎重を期し、誘いをかけたのが決戦の勝敗が決まった後である者

も多い。むしろ急ごしらえで一万も集まったのは幸運かもしれない。

 ならば悪くは無い。兵数が理想よりも少ない分、金と物資に余裕がある。この余裕が後孫を安定させて

くれるだろう。

 蕃伉、蕭冊が予想以上に有能で、もう少しまともに事を運び、もし楓の脅威となれていたのであれば核

となる組織を新たに組み立てる必要も無かったのだが。残念な事に、彼らは予想以上に無能であった。後

孫の前身すら作れぬとは、ほとほと呆れ果てる。

 彼らに組織作りの才能は無かったらしい。これでよくもまあ楓に挑もうとしたものだ。永遠の楓の敵者

としては少々腹立たしくもある。

「まあ良い。奴らのおかげで金と物資は手に入ったのだ。それだけでも褒めてやらねばなるまい」

 誤解していた人は多いようだが、楓流と趙深を最も評価しているのはこの子遂である。

 彼らは素晴らしい。いや、恐ろしい。二人がやってきた事を箇条書きに並べるだけでも一冊の史書とな

るのではないか。その力は並ぶ者などいない程だ。

 そう、この子遂を除いては。

 自信はある。しかし不安もある。

 できればもう少し準備を進め、もっと手を広げておきたかった。この胸奥に巣くう蟲さえ居なければ、

もう少し上手くできたものを。口惜しい事だ。

 だが蟲が生を急かすからこそ孫として楓と争うという馬鹿げた方法を選ぶ事ができたともいえる。正々

堂々と正面から楓に挑むなどと過去の自分が聞いてもとても信じられまい。

 我ながら不思議ではある。

「だが、悔いなどしない。むしろ我が心は青空のように晴れ晴れとしている」

 元々寄生虫のように巣くう道を望んで選んだ訳ではない。生き延びる為に仕方なくやっていた事だ。そ

れがこうして再び己が力で立てるのだから、喜びがない訳ではなかった。むしろ歓喜の内にある。

「楓流よ、見ているが良い。最後に勝つのはこの私。天に愛されているのはお前ではない、この私なのだ。

それをこの手で証明してやる。ようやく、その時がきたのだ。天を掴むはこの子遂ぞ!」

 陽光へ高らかに掲げられた拳は、しかしどこか悲壮色に滲んでもいた。

 子遂の情熱もどこか破れかぶれに聞こえる。

 何せ後孫は梁とその周辺の一部の領土を持つに過ぎない。兵数も領土も楓に比べれば余りにもちっぽけ

である。この状態で一体何ができる、何をしようと言うのか。

 言わば未だ彼は寄生虫の域を出てはいなかった。




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