23-4.後孫


 孫という名程、当時の大陸において鮮烈な響きを持つ言葉はなかった。大陸に住まう人々の中には、孫こ

そが大陸の覇者であり、楓もまたその後継に過ぎない、という図式が未だ残っているからだ。

 それは趙深が印象操作として孫を、孫文を利用したという事からきている。

 楓という国は孫文が大陸を席巻する以前から版図を広げ、強国となれる資格を自らの力で得てはいた。し

かしその程度の国ならば他にも多くあったし、孫と正面から五分以上に戦える力など持ってはいなかった。

 実際、楓は一時領土の多くを失い、独力ではどうにもならない事態にまで追い詰められている。今で言え

ば子遂とまでは言わないが、楚斉と同じような立場にあったと言っていい。それを打破できたのは、命を賭

して戦った将兵達の働きと、双を利用し賦族軍を創設するという趙深の奇策の成せる業であったが。正直な

所、成功したのは幸運があったからである。趙深にしても勝利を確実視できていた訳ではなく、一世一代の

大博打のつもりであったと思える。

 だが大博打であったからこそ、その勝利の効果は絶大であった。孫文に勝ったという評判が楓流の株を大

きく上げた事は間違いなく。趙深も当然その後の統治、政略、戦略にその勇名を利用した。

 逆に言うなれば、孫の名が大きければ大きい程、それを破った楓の名も大きくなる、という事となる。

 となれば、時には必要以上にそれを喧伝し、多少は話を盛ったりもしたろうし、人々が尾ひれを付けよう

とも敢えて止めるような事はせず、かえってそれを助長するよう仕向けたであろう。

 それが今、反作用を起こし、楓に重くのしかかってきている。孫の名を余りにも便利に使い過ぎた余り、

その鮮烈な印象が未だ薄れずにいる。もし本当に孫文の子でも居たとすれば、本当に第三勢力して台頭して

いたかもしれない。

 そういう意味ではまだ救いがあるのかもしれない。孫の名を継ごうとするのは子遂という男であり、その

名分も孫文旗下の高官の縁者というよく解らないものでしかない。

 子遂の名だけでは楓の圧倒的優位に比べ、余りにも軽い。

 仮に反乱軍が楓に匹敵するような勢力になっており、それを母体として後孫を建国し、更に領土を広げる

ような事ができていたとすれば、まだ人を動かす力を生む事ができたのだろうが。それもない。

 金と物資だけはあるようだが、それだけではいかんともし難い。例え人が集まっても、反乱軍の時と同様

に食い荒らされるがせいぜいであろう。この時代の人々は皆強(したた)かであった。

 故に蕃伉は苛立っている。

 子遂に身を寄せたは良いが、思っていたような起死回生の一手を打ってはくれなかった。状況は変わらな

い。このままではいずれ潰されてしまう。

 人が悩んでいるというのに、立場を同じくする法瑞と堅呟が涼しい顔をしているという点もまた腹立たし

い。何かしら涼しくなれる材料があるのなら別だが、彼らは単に開き直っているだけなのである。子遂なら

ば何とかする。そうやって全てを押し付け、考える事を放棄しているようにしか見えない。

 そんな人間と同列に扱われ。あまつさえ慰めの言葉をかけられるなど、屈辱でしかなかった。

 彼らは今も脳天気にこうのたまう。

「そう苛立っても腹が減るだけよ。のう、蕃伉。お前も一軍の将を任せられた男だ。今更他に行く当てもあ

るまいに、そろそろ腹を括ったらどうだ」

「法瑞、逃げ場がないのはお前も同じだぞ! 一体どうするのだ! どう考えても我々に勝ち目など無いで

はないか!」

「フン、お前もそんな事は知った上で子遂に賭けたのではないのか」

「あやつならば楓に対抗できると思っての事。当てが外れたわ!」

 その言葉を聞いて法瑞は愉快そうに笑う。

「何がおかしい!?」

「いやいや、何もかもよ。何もかもおかしいわい。これが笑わずに居られるものかよ。今更楓の優位など揺

るがぬよ。それは誰もが解っておる。・・・・お前は子遂のやつを神様か何かと勘違いしておるのではない

か。やつも人間、できぬ事はできぬ。・・・・しかしな、別に今すぐに楓の世を覆さずとも良かろう。それ

だけが道ではあるまい」

「貴様、何が言いたいのだ」

「解らん。解らんよ、わしにもな。でもまあ、子遂ならば何かしらの事はやるだろう。それでも駄目なら、

逃げればよい。誰もわしらなど気にも留めん。わしらは子遂や秦王とは違うのだ。居ても居なくても大して

変わらぬ。いざとなれば蕭冊らと同じように逃げればよい」

「そう言われれば、そうかもしれんが・・・」

「まあ、見ていよ。わしらも南方で色々なものを見てきた。色々な話を聞いた。楓は強大であるが、最早一

枚岩ではない。楓流と趙深だけで維持できるようなものではなくなった。数年、いや十年先を見るのだ。あ

の国は長くない。わしははっきりとそう言える。断言してやるわい」

「フン、お前などに何が解る」

「かもしれぬ。・・・・しかし、そうではないかもしれぬぞ」

 法瑞は再び高らかに笑い。蕃伉はそれを気味悪げに眺めていた。そして二人から少し離れた所で堅呟は何

をするでもなく、ぼうっと突っ立っている。まるで息をするのも忘れたかのように。



 後孫に対して最も敏感に反応したのは当然の如く楓流である。その王が子遂となれば尚更穏やかではいら

れない。

 ただし、苛立ち、迷い、というような形ではなかった。子遂ならば勝算なく動きはすまい、という点が気

がかりではあるが。冷静に状況を判断してみるに後孫は脅威とはならない。これが秦との勝敗が決する前な

ら話は違ってくるのだが。今更後孫などを持ち出され、例えそこへ南方から兵が流れたとしても、何程の事

ができるとは思えない。

 衛軍も付近に居るし、蜀には援軍も送っている。後孫は詰んでいると言って良い状況にある。子遂にでき

るとすれば、南方の未開の地へ逃げる為の時間稼ぎをするのがせいぜいであろう。

 そしてまたそこへ逃げるのだとすればそれは不可能ではない。当時は大陸と言っても現代に考えているよ

うな規模ではなく、遙かに小さい範囲でしかなかった。楓流が南方を切り拓いたとはいえ、まだまだ未開の

地の方が多い。その地で生きていけるかどうかは別にして、姿をただくらますだけであるならば、おそらく

可能である。

 しかし楓流は子遂の狙いが本当にそうであったとしても、それはそれで良いと考えている。執拗に追うつ

もりは無かった。

 確かに子遂という存在は厄介であったが、何度も言うように状況が変わったのだ。子遂一人がどうしよう

と楓の天下は揺るがない。まだまだ安定とは無縁であるが、歴史が流れるべき方向性はすでに決したのだ。

 逃げたいのであればそうすればいい。今までそうであったように、自分の生存を第一と考えるのであれば、

そうすればいい。楓流の把握する大陸の中にさえいなければ、子遂を放っておく事もやぶさかではなかった。

 これは勝者の余裕かもしれないし、もしあるのだとすれば子遂という厄介者に抱く奇妙な友情であるのか

もしれない。

 当たり前だが子遂に対して好意のようなものは抱いていない。だが奇妙な懐かしさは感じる。楓流にとっ

て子遂という男は青春の思い出(例えそれが何よりも苦いものであったとしても)の一つとなっていたのか

もしれない。実際、その程度の感情を抱くくらいには長い付き合いであったのだから。

 それに楓には後孫などよりももっと面倒な問題が持ち上がっていた。構っている暇は無かったのだ。

「結局、奴はいつも問題となるのだな」

 悩みの種とは外(ほか)ならぬ凱聯の事である。

 それを簡潔に述べるなら、秦との決戦が終わり、故郷(厳密には違うが、全てを奪われた日より集縁こそ

二人の故郷と言える)を託すというごまかしが通じなくなった、という事だ。

 彼が特に不満を抱いているのは申寥の存在である。彼女が蜀への援軍を任されたのはまだいい。凱聯軍が

まだ集縁に到着していなかった時の話であるし、胡曰の人選が的確である事は凱聯も認めている。何しろ楓

流が認めているのだから間違いなどあるはずがないし、胡虎の事で多少負い目(皆が考えているようなもの

ではなく、自分の力が足りないばかりに彼を救えなかったという身勝手なものではあったが)もあった。

 しかし、しかしだ。自分がすでに集縁に居る以上、そしてまた因縁深い子遂が後孫などというふざけた国

を立ち上げた以上、その討伐を任されるのはこの凱聯であるべきだ。間違っても、申寥などというぽっと出

の女などに任せる訳にはいかない。

 凱聯は前々から申寥が将としての名声を得ている事、楓流がそこに居るかのようだと評されている事に我

慢ならなかった。せっかく趙深が国を離れ、名実共に自分が楓流の片腕というそうあるべき存在に戻れたと

いうのに、何故申寥などという女の名が挙がるのか。全く腹立たしい事だ。

 それに決戦において満足いく戦働きができなかったという不満もある。これでは新参兵共に示しがつかな

いではないか。最も楓に貢献してきた集縁兵こそが最も尊ばれるべきであり、その為にも常に最大の戦果を

挙げていなければならない。その集縁兵からなる凱聯の部隊が満足な戦果を挙げられていないというのは楓

国にとって大変な問題である。

 凱聯の頭の中にはそんな子供のような理屈だけがあった。

 そしてまた始末が悪い事に、楓流はそれを子供染みた戯言だと一蹴する事ができないのである。

 集縁閥というものは確かに存在し、人数こそ派閥の中でも少ない方の部類であるが、楓建国以前からある

兵団という格は疎かにできるものではないし。最も古い生き残りが多いという事は、高官に集縁出身者が多

いという事でもある。

 彼らの多くは凱聯のように必要以上に集縁閥を推してはこないし、そうする事を恥と考えているのだが。

さりとて集縁閥自体を疎かにされる事は我慢ならない。

 以前から楓流が南方へ入れ込んでいる事に不満を持つ者は少なくなかったし、領土が広がるにつれて集縁

の重要性が薄まっている事に対して危機意識を持つ者も増えている。生まれ故郷という絶対的に外せない、

おそらく人に最後まで残るであろう記憶背景は驚くほど強いものがある。

 その派閥意識は楓が覇者となった事でより強くなった。

 待ち望んでいた太平の世の中で、いかにしてより良い地位を得るのか、楓の将兵の意識はすでにそこへ向

かっている。つまり一致団結して外敵に挑む時代は終わり、内部の勢力争いに目を向ける時代になったとい

う事だ。

 楓流や趙深が決戦後も部隊運用から戦略に到るまで、どちらかと言えば消極的に振る舞ってきた理由がそ

こにある。この二人の王もまた内部の勢力争いを置いて考える事はできなくなっていた。

 実際、趙深が今一番おそれていたのは後孫などではなく、衛の賦族軍への差別意識が再び強まらないかど

うかという点であった。

 狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる、という言葉がある。兎を捕まえる猟犬も、狩りが済

んで用済みとなれば煮られて食われてしまう、という言葉だが。賦族以上にこの言葉が当てはまる存在はない。

 内部争いとなった時、人が最も恐れるのが最も強い味方、正確には味方だった存在である。その点、賦族

兵は強く、強過ぎる程に強い。そしてまた陥れるには都合の良い事に、賦族は元々被差別階級であり、奴隷

であったのだ。まず槍玉に挙げられるとすれば賦族であろう。

 故に趙深は賦族兵にこれ以上大きな手柄を立てさせる事をおそれ、そうさせた事で賦族兵の態度が傲慢に

なる事をおそれ、援軍には向かわせたものの目立った動きをさせていなかったのだ。

 楓流は未だそこまで徹しきれぬようだが、趙深の方はもうずっと以前から外敵よりも内なる敵の方を重要

視していた。衛という国が一種独立した恰好をとっているのもそれが理由と言って良い。彼は信頼という言

葉に自分と自分の大切な人達の安全を丸投げするような男ではなかった。

 賦族の解放こそが趙深の理念であり、その為に最後まで身を共にする覚悟もあった。そこが楓流と最も違

っていた点であろう。

 楓流は趙深とは少し違う意味での(そしておそらく本当の意味での)実力主義者、平等主義者であったか

ら、他を無視してまで賦族の肩を持とうとはしなかったはずである。それが後年における両者の(溝という

訳ではなく、文字通りの)互いへの不理解の理由の一つであったと考えられる。

 要するに楓国内において、少しずつ溝が生じ始めた。いや、以前から少しずつあった溝が表面化し始めて

いた。これは人の世において仕方の無い事ではあるが、人を絶望させ、ある種の無気力状態にするには充分

な理由となりえる。

 ただしまだこの時は、その溝はどれも決定的なものではありえなく。望めば一息に跳び越えられるような

ちっぽけな物でしかなかった。

 二人にとっては後孫もまたその程度の問題でしかなかったのだ。



 考えた末、楓流は凱聯軍に後孫討伐を命じた。いや、命じざるを得なかった。集縁閥、集縁兵は楓のとい

うよりも楓流の根幹となる存在だ。これからどうするにせよ、疎かにはできない。

 とはいえ、一息に滅ぼせという意味ではない。あくまでも最終目標である。当然、この事は命令書と使者

によって凱聯に言い含めてあるし、与えられた兵も千程度に止められた。

 この部隊は集縁に移動させた軍を解き、集縁の守備兵と共に再編した中から選ばれた生粋の集縁出身者か

らなる部隊で、多分に政治的理由から編成されている。

 凱聯は申寥や衛軍との連携を前提に考えられた兵数に不満を抱いたが、今は後孫との戦における最終決定

権を与えられた点に満足しておく事にした。彼も年を経て多少は考えるようになったようだ。

 ただし、何度も言うが不満ではあった。

 中諸国には衛軍と申寥の他にも伊推(イスイ)、桐洵(ドウジュン)といった競争相手がいる。総大将と

して勝利の功は自分が一身に受ける事になるとはいえ、あまり彼らに功を立てさせ過ぎれば、集縁閥の印象

は薄まるであろう。あくまでも自分が首座に居て、存在感を示し続けなければならない。

 この戦はその為の戦なのだから。

 凱聯でさえも大陸統一後の楓内での自分の立場というものを考えるようになっている。楓流に次ぐ地位に

居る為には万人を納得させる事のできる解りやすい功績が必要だと彼は考えていた。

「勝利の名声は常に我が許にあらねばならぬ」

 その為に必要なのは状況に応じて方針を決めるのではなく、方針の為なら時に状況を無視する事。つまり

凱聯が最も名声を受ける為ならば、他の何ものをも無視していい。無視すべきだという事である。

 実に凱聯らしい考え方であり、年を経て多少知恵が付いた所で彼の本質は何も変わっていない事を意味し

ている。

 そして不幸にも模範とすべき姿が彼の脳裏にははっきりと浮かんでいた。

「要するに勝利の最後をかっさらってゆけば良いのだろう」

 凱聯の脳裏に浮かぶのは楓南方軍における騎馬隊の存在である。手柄を立て過ぎて他から不満が出る程に

その勝利は見事であった。それ以前の戦いが全てその前座となるかのように、あまりにも鮮やかな働きを示

した。実際に目にした訳ではないが、その動きは全て伝わってきている。

 ならばそれをそのまま自分も行えば良いのだ。集縁兵からなるこの部隊こそが楓における唯一無二の最精

鋭部隊。なればこそ騎馬隊と同じ、いやそれ以上の働きができて然りというもの。やつらは馬があって初め

てそれを成し得た訳だが。我々にそのようなものは不要。自らの足だけで成し遂げる事ができる。

 そうでなくてはならない。

「さすがは楓流様よ。こうなる事を見越し、我らの為に手本を示して下さったのだ。でなければあそこまで

執拗に南方にこだわる理由はない。我々を前線から遠ざけたのも、今日この時の為に戦力を保持する為であ

ろう。我ら集縁兵に代わりなどおらぬ。部族や賦族なんぞのようにいくらでも代えのきく下賤な人種とは違

うのだ!」

 彼の頭の中には大局を観る能力や彼我の戦力差を冷静に分析する能力など一つも無かった。凱聯は優秀な

軍団長、いや前線指揮官ではあったし。個人的武勇も指揮能力も決して他の将軍達に見劣りするような所は

無かったのだが。その全ての利点を揃えても、欠点を補う事まではできなかった。

 楓流に遠ざけられている事にも気付けるはずもない。彼もまた多くの人間と同じように、自分の中、自分

の頭の中だけにある妄想を判断材料として生きていた。それを疑う心など一つも持っていなかったのである。

 ある意味、誰よりも純粋な人間であると言えたのかもしれない。そんな普通の人間が楓流という龍と共に

羽ばたかんとする事にそもそも無理があったのであろう。どちらにとっても気の毒な事に。

 要するに凱聯という男はどこにでもいる、どうしようもない、ただの一人の人間だったのである。



 凱聯出陣の報を聞き、明開(ミョウカイ)は焦った。どう考えても後孫が生まれた原因の一つ(多くと言

っても過言ではないのだが)は自分にある。衛軍が到着し、伊推がよくやってくれたから致命的な損害は出

ていないのだが、その責任を免れる事はできないだろう。

 まあ、それはいい。覚悟していた事だ。しかし、娘、桐洵に良い所を見せるどころか、結局尻拭いをさせ

る恰好になっている現状は受け容れがたい。そもそも中諸国を請け負ったのもその為であるし、であればと

思えばこそ強引で非常なる手段も取ってきた。

 その結果がこれでは余りにも不条理ではないのか。これでは何の為に働いてきたのか解らない。あのまま

外交官として生を終えた方がまだしも娘に胸を張れたのではないか。

 明開はじくじたる想いであった。これでは娘に無用な恥をかかせただけではなかろうか。

 だが、まだ希望は残されている。もしここで早急に後孫を治める事ができれば、すぐに治められる程度の

反乱を起こすという当初の目的通りとなる。さすれば自分がしてきた事も、その結果でさえも、逆に評価対

象とできる。

 幸い、兵力でも兵質でも楓軍に分がある。自分が率いるのは無理でも、伊推に率いさせ相応の戦果を挙げ

る事さえできれば、全ては丸く収まる。少なくとも恰好だけは付くだろう。

 何としてもそれをし、挽回(ばんかい)せねばならない。

 そこで問題となるのが、付近に居る将軍達の存在だ。申寥だけでも面倒な所へ凱聯まできてしまっては伊

推、ひいては桐洵に手柄を立てさせる事が難しくなる。今更凱聯などに引っかき回される訳にはいかない。

 ではどうするのか。

 楓流が命令を下し、凱聯もまたこちらへ向かっている以上、それを止めさせる事はできないだろう。中諸

国を任されたとはいえ、あの時から状況は大きく変化しているし。楓流の命令を覆せるのは大陸全土を見回

しても趙深くらいのものであろう。

 となれば、答えは一つ。

「命令を撤回できんのであれば、遅延なり、参戦できぬ理由を作ればいい。なあに、この戦力差なら凱聯な

どおらずとも、申寥軍などおらずとも、衛軍と天水軍だけで何とでもできるはずだぜ。そもそも衛軍以外の

援軍など必要ない。それを蜀や凱聯の奴がぐだぐだと言いやがるから面倒な事になったのだ。

 楓流様も内心そう思っておられるに違いないぜ。ならここで凱聯に恥をかかせてやる事は楓流様の心にも

適う事なのではないか。凱聯めに権威を与えても災いにしかならぬ。それは皆も知っておる事。それを防ぐ

事は楓流様の、楓の為になるぜ。ああ、そうだ。そうに違いない。元々そういう汚れ仕事をやる為に、わし

がここに居るのだ。全ては楓の為、太平の世の為だぜ」

 この時の明開も何かに憑かれていたのかもしれない。いや、ずうっと以前から自分の中にある満たされぬ

空虚な願望に憑かれていたのか。

 決して手に入れる事のできなかった、そして多分誰でもなく彼自身が若き頃自ら捨ててしまったものに。

 明開もまた自らの望みを叶える為に動き始める。それこそが永遠の敵対者の思惑通りである事を想像すら

できないままに。

 結局、彼はどこまで行っても孤独であり、凱聯と同じく自分の頭の中にしか生きるべき平穏は存在しなか

ったのであろう。

 人を狂わせるのはいつも孤独。独り善がりな思考である。



 凱聯軍は進軍を留める事を余儀(よぎ)なくされた。

 理由は物資不足。もっと正確に言うならば補給が整っていなかったせいだ。

 反乱軍が荒らし回ったおかげでほとんどの街は空になっている。一時は火事場泥棒めいた者達でいっぱい

にもなったが、それも反乱軍が瓦解した事で散り散りに消えてしまい、治安はある意味回復している(単純

に取れる物が無くなったという意味合いとなっている場所も多いが)。空き家も多く、兵の宿舎とするに不

便はなかった。

 ただし空である以上、兵士を世話する民もいなければ、将兵が食べる物資もない。全く無い訳ではないが、

とても足りるものではない。

 兵数は千。大陸全土を見渡せば決して多い数ではないが、少ない数ではない。彼らを生かすには膨大な物

資を必要とする。昔ならば軍は補給物資を運ぶ補給部隊と共に進軍するか、行く先々で略奪するのが常であ

ったが。楓流は補給部隊を軍とは別に動かす事で進軍速度を大幅に向上させる事に成功した。

 これは略奪を除けば、舗装された道と大量の物資を大陸中に運搬できる組織と制度があって初めて成し得

た事だが。補給部隊の動きが滞れば進軍が滞る事は変わらない。

 兵はそれぞれ数日分程度の食料は携帯しているから、多少の無理をする事もできるのだが。今回は他の軍

勢と連携しなければならない事もあり、数日で片を付けられるような戦ではない。さすがの凱聯も補給など

無視しろ、とは言えなかった。

 当然、凱聯は悪鬼の如く荒れた。

「明開め・・・・!!」

 今までこのような無様な姿をさらすはめになった事はなかった。いつも楓流や胡虎が整え、凱聯が何も考

えずとも行動できるよう取り計らってくれていたのだ。

 それが初めて滞った。他ならぬ明開の不始末でだ。整えているべき補給線が必要な場所まで達していなか

ったとは、何という事か。初歩も初歩の失態ではないか。

 他を頼ろうにも、この付近はどこも略奪の被害が大きく、衛軍と天水軍を賄うので精一杯であり、凱聯軍

まで食わせる余裕はない。無理を言えば応じてくれるだろうが、そんな事をしても楓流の不興を買うだけで

ある。それに食料をせびるなど集縁閥のする事ではない。わざわざこんな所まで恥をかきにきた訳ではない

のだ。

 つまり凱聯は歯噛みしながら整うのを待つ以外になかった。

「何故このような者に楓流様は大きな権限をお与えになったのか。戦は頭ではなく、この刃でやるもの! 

頭ばかりの軟弱者など物の役にも立たん! 楓には我らがおれば良いのだ。誰が来ようと我らが負けるはず

はない。他の者などいらぬのだ!」

 凱聯は補給や戦略といった思想を頭から馬鹿にしていた。それはおそらくその妙が目にはっきりと映るよ

うなものではなかったからだろう。彼はとにかく戦にさえ勝てば良いと考えていた。戦って敵を討てばそれ

で全てが済む話なのだと。

 その言い分は確かに正しい。楓もまた戦に勝ってきたからこそ今があるのだから。

 しかし彼はそうする為の手段が補給や戦略という概念である事を忘れていた。或いは想像すらできなかっ

た。それは楓流が考える事であり、凱聯の考えるべき事ではなかったからだ。

 この間違えてはいないが決して正解ではない、というものが多くの場合失敗の原因となり得る。勿論その

事もまた彼の与り知らぬ事であったが。

 ともかく、こうして後孫は明開の策によって助けられるという奇妙な事となった。もし楓流の意図通りに

事が運んでいたなら、子遂ら共々後孫はここで滅ぼされていただろう。

 後孫などその程度の、国と呼ぶのもおこがましい、ただの寄せ集まりでしかなかったのだから。




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