23-6.覇王崩御


 それがいつであったのかは解らないが、おそらく統一の事業を成し遂げて後、半年程経った頃であろうと推

測されている。楓流が残した歴史書、碧嶺蔵史にさえ載せられていない事を思えば、どれだけ残された者達が

その事実を隠そうとしたのかが解るというものだ。

 いや、というよりも、無かった事にしたかったのかもしれない。それくらい楓流の死は突然であり、また否

定したいものであった。

 彼の死は最重要機密であり、高官の中でも限られた者のみが知る事を許された。その許された者が誰である

かもはっきりとはしていないのだが、趙深と胡曰は当然知っていたであろう。共に南方に居た壬牙、そして近

衛の面々は知っていたと想像できる。

 ここまでは憶測であるが、ただ一つはっきりしている事があるとすれば、凱聯には知らされていなかったと

いう事だ。

 理由は彼を知る者であれば察する事ができるだろう。もし凱聯に楓流の死を知られれば、秘匿(ひとく)

どころの話しではなくなるだろう事は明らかだからだ。

 実際、それを知った後の凱聯の言動は酷いものであった。統一国家分裂の最も大きな原因となったのが彼で

ある事は疑いようのない事実と言えよう。

 しかし何にせよ後継者が居ないまま楓流がこの世を去った時点で、いや例え後継者が居たとしても彼がこの

世を去った時点で、統一国家の崩壊を防ぐ事はできなかっただろうと考えられる。その死は早過ぎたのだ。

 楓流の死後、国政を執ったのは趙深であろうが、彼にもその事は痛いほど解っていたはずだ。王の王として

楓流を選んだのは外ならぬ彼自身であったし、偉大なる建国王が早世した国家がどうなるかは古今の歴史が解

りやすく物語っている。

 統一国家は辛うじて骨組みができたという段階にあり。各国と盟約を結び終え、六府という統治の形が定ま

ったとはいえ、乱世の風はようやく治まりの気配を見せたという所。今、楓流という唯一絶対の存在を失えば、

それを保つ事は不可能と言って良かった。

 趙深は苦悩し、絶望したであろう。

 こんな事ならば大人しく隠棲したままおればよかった。そんな風にも思ったかもしれない。

 半身、国家の顔、主柱を同時に失った彼の苦悩は想像するに余りある。

 それでも嘆いている暇など与えられなかった。僅(わず)かな延命と察しながらも、やるべき事はやらねば

ならない。それができるのは彼一人だけなのだ。趙深は凱聯に楓流の死を隠し、再び襲い来るだろう乱に備え

る事に全力を尽くした。

 絶望はしていたが、この時はまだ何とか踏ん張ろうとはしていたようだ。或いはこの時に情熱の全てを使い

果たしたのかもしれず、また全ての打開案を使い果たしてしまったのかもしれないが。とにかくもあらゆる手

を用いて統一国家、即ち始帝国(碧嶺の統一国家を便宜上こう呼ぶ)を存続させようとした。

 彼の夢を叶える為には、そうするしかないのだ。賦族解放の悲願をここまできて諦める訳にはいかない。こ

こで止まれば、また数百年はその夢が後退する。歯を食いしばって乗り越えるしかない。

 始帝国は楓流の死を秘匿し、趙深と胡曰、そして壬牙が中心となってさも楓流が生きているかのように物事

を進めて行った。

 前述していたように国家の骨組みはできていたし、それを使って今後どう統治していくのかもある程度は楓

流と趙深とで決めていた。勿論大雑把ではあるが、趙深程の人物であればそれだけで充分であろう。

 事実、その間国政は滞りなく運営されていた。

 だが一つだけ大きな問題があった。楓流の遺体の事である。

 彼は神格化され、今も大陸中で祭られているが、あくまでも普通の人間でしかない。死ねば肉は腐れ落ち、

その意志、魂は冥府へと送られ、つまりただの屍(しかばね)となる。

 現代のように高度な冷凍技術など存在しない時代であるから、保存しようにもせいぜい氷などで遺体を冷や

す程度しかできず、とても長く保たせる事などできない。異臭までは隠し通せるものではないし、人の情とし

ても早々に埋葬してやりたかった。

 急ぎ、埋葬場所を決めなければならない。

 埋葬地は楓流が最も懐かしみ、焦がれていた生まれ故郷の山が最も望ましい。彼を知る者であれば、どれだ

け故郷を想い、養父を想ってきたのかを知っている。特に老いてからの彼は故郷を思い出す事が増えていた。

なるべくならばそこに埋めてやりたいと誰もが思う。

 しかしその場所を楓流は誰にも伝えていなかった。彼が育った山を降りて後、人に教わるがまま道を進んだ

から、もしかすれば彼自身にも生まれ故郷がどこにあったのか、詳しい場所を解らなくなっていたのかもしれ

ない。

 それくらい山を降りた時点の彼は物慣れていない、浮き世離れした存在であった。そういう所は後々まで残

り、その点に双正が惹かれていた事もまた以前、記した事がある。

 楓流の故郷を特定する事は不可能であった。

 山を降りて後すぐに凱聯と出会っているから、彼に聞けばある程度範囲を絞(しぼ)れるかもしれないが、

凱聯にそのような事を聞く訳にはいかない。楓流の死に繋がるいかなる情報も彼に渡す訳にはいかない。

 そこで泰山に埋葬しようという事になった。

 泰山は大陸で最も神聖な場所であり、天に最も近い。そこならば亡き養父とも会いやすいであろうし、また

故郷の山を、例え遙か彼方であっても、眺める事ができる、かもしれない。

 おそらく趙深らはそういうやりとりをし、泰山に決めたのだろう。

 その後の彼らは雑事に忙殺された。

 そしてその事がまた彼らを一時救った。

 忙しさは時に人の心を殺すが、時に生かすものである。何かをしている間は、思考を止めていられる。哀し

みを疲れで忘れている事ができる。

 だから忙殺されたというよりは、自分からそうしたのかもしれない。

 それにやるべき事は無数にあった。



 趙深らは懸命に働いたが、半年もするとぼろが出始めた。

 国家運営に、ではない。楓流の死の秘匿に、である。

 皇帝は帝国の顔、国家もまた人の集団なれば、様々な行事があり、皇帝がそれに出ない訳にはいかない。一

つや二つであれば理由を付けられるが、半年も人前に出ないなど考えられない事だ。

 特に楓流は南方での乱後は自分の行いを悔やみ、自分自身と統治する土地との繋がりをそれまで以上に大事

にするようになった。当然のように人前に自分の姿をさらそうとしたし、そうする事で記号としての皇帝では

なく、人としての楓流を民に印象付けようとしていた。

 その彼が長らく行事に出ないなどという事はありえない。

 行事ならまだ百歩譲れるとしても、定例報告や例えば各国の使者との応対などに楓流の姿が無い事はいかに

も不自然である。

 病気だから会えぬと言われれば引き下がるしかないが、それも半年も続けばどういう事かという事になる。

皇帝が半年も病などと、本当ならばそれはそれで問題であるし。嘘ならば使者を送った国家を侮辱する事になる。

 趙深は限界を感じ、程なく楓流、つまり碧嶺皇帝の崩御を大陸中に告げた。これは記録に残っているから確

かである。趙深の名によって、世間へと知らされた。それは自分が楓流を継ぐ事を大陸中に知らせる事でもあ

った。

 しかしそうなれば当然のように問題が起きる。

 凱聯はすぐさま趙深に詰め寄った。全ての責務と職務をあっさり放り出して、いや放り捨てて、自ら趙深の

許へ赴(おもむ)き、声を荒げて趙深を罵倒した。

 全ての怒り、憎しみ、恨みを込めて、趙深を責め、怒鳴り散らした。

 凱聯はどうやら趙深が楓流の地位を奪う為に殺したと考えたようだ。自分にその死が知らされていなかった

のもそのせいであり、楓流の忠臣である自分を遠ざけたのもその伏線(ふくせん)であるとした。

 馬鹿げた考えであるが、楓流亡き後、その地位を継げるのは趙深しかいないと誰もが思う事実である事。そ

して凱聯自身が自分の心を整理する為に明確な敵を必要とした事。この二つが凱聯にそうする事を強いた。

 或いは彼自身もそれが馬鹿げた考えである事を解っていたのかもしれない。けれども自分の中に渦巻く全て

の感情を納得させるには、そういう馬鹿げた筋書きを盲信する以外になかったのだ。

 そして凱聯は重臣会議ともいえる場所で、散々に喚き罵り、主殺しと叫んだ後で趙深に刃を抜いて襲いかか

った。

 それ自体はその事を予期していた壬牙と紫雲竜によってすぐさま取り押さえられたのだが、凱聯の怒りは益

々高まり、趙深に対する罵倒は組み伏せられた後も紫雲竜に殴り倒されて気絶するまで続いたという。

 趙深は覚悟していたとはいえ、やりきれない気持ちであったろう。

 これで全ては終わった。そう想ったはずだ。

 この事件があって後、楓流に対する国葬がしめやかに執り行われたが、そこに凱聯の姿は無かった。皆も彼

がどれだけ楓流を慕っていたか(その愛情に問題があったとしても)は知っていたし、そうする事で彼の中に

ある怒りと恨みがどれほど大きくなるかを解っていたのだが。解放すればすぐさま趙深を殺す、殺すと暴れ出

すのだから、どうしようもなかった。

 しかたなく楓流の使っていた邸宅へ軟禁し(楓流が使っていた場所ならば破壊したり、暴れる事を控えるだ

ろうと考えた故)、その間に必要な処置を済ませた。

 国葬、新皇帝の選出、全ての家臣と民に対する現状の地位と財産の保証、そういう事を滞りなくこなしてい

ったのだ。

 これらの中で最も重要だったのは新皇帝の選出であろう。

 皆、趙深が当然その座に就くだろうと考えていたのだが、彼は敢えて新皇帝を選出せず、双正を皇帝代理に

するという方法を採った。

 元々この帝国は楓流が双正より王座を禅譲されて誕生したとしている。前王である双正が再びその地位に就

く事は不自然ではないし、一度譲った地位を再び戻されるというのは縁起が悪いと考えれば皇帝代理というふ

んわりした地位を作る事の理由にもなる。

 趙深は自らが皇帝に就く事の危うさを誰よりも理解していたし、またこの状況で新しい皇帝を立てるという

事自体が国家存亡を酷く危うくする事もまた理解していた。

 だからこそこのような見方によっては未だ楓流が皇帝に居るかのように受け取れる方法を執ったのであろう。

 勿論、こうする事もまた危うい事には変わりないのだが。

 こうして今後始帝国は双正の名によって運営されていく事となった。

 しかしそれが名義上のものであり、実際に楓流の跡を継いだのが趙深である事は周知の事実であった。



 凱聯はしばらくして中諸国へと戻された。できればどこかに隔離でもしておきたかったのだが、さすがに上

将軍たる彼がこの難事に不在となれば様々な面で支障が現れるし、なるべく趙深から離しておきたいという気

持ちもあった。

 彼には白陸が付き添い、言葉を尽くして何とかなだめたそうだ。

 趙深に対する怒り、殺意を失わせる事は不可能だが、凱聯も多少は古びている。上将軍たる凱聯が宰相とい

える地位に就いた趙深を殺せば帝国はどうなってしまうか。あなたは楓流の遺産であるこの帝国を潰すおつも

りか、と問われれば凱聯もまた不承不承ながら立場を弁(わきま)えざるを得ない。

 彼にとって楓流、碧嶺という名は何よりも神聖なものであったからだ。

 代わりに、趙深を殺すだけでは生温い。楓流と同様、全てを奪ってから殺す、それが相応しい。という考え

を抱く事で自らの慰みとしたようだ。

 凱聯という男はよくも悪くも感情量の大きい人物であった。怒りに心を燃やしていなければ楓流の死という

絶望から自己を保てず、そういう所がまた兵や将の中に彼を慕う者がいた理由なのだろう。子供のようであり、

人に哀れを誘う部分を持っていたという事だ。

 趙深は凱聯が大人しく引き下がった事に対し、むしろ恐れを強くしたのだが。さりとて何もできる事はない。

 それに今は内部よりも外部の動きに心を配る必要がある。

 どの国家も乱には飽いているが、といって自分が天下人になれる機会を逃すような真似はしない。誰もが野

心に満ち溢れ、実際にそれに手が届いた時代だ。風向きが変われば、考え方もくるりと変える。このまま帝国

に従うべきか、もう一波乱起こして覇王への道を歩むか、どの国も静かに帝国の行く末を占いながら、静かに

考えを巡(めぐ)らせていた。

 この時点で統一国家など名ばかりのものに成り果てていたのだが、大陸一の武力がそれを首の皮一枚で支え

ていた。

 いくら野望があろうとも正面から帝国に勝てる軍事力を持つ国は存在しない。各国の将兵も帝国軍の強さ、

威風を知っている。生々しい恐怖が彼らの野心を抑えていた。

 そこで考え始める。そうだ、何も自分が直接刃向かう事はない。最強の軍に勝てるのは最強の軍のみ。帝国

に内乱を起こし、それに乗じて、或いはその後の動静を見てから改めて己が道を決めれば良いではないか。

 聞くところによれば凱聯将軍が趙深を殺そうとしたそうだ。ならば彼をけしかければ済む話ではないか。単

純で感情的な凱聯を動かす事など、赤子の手をひねるより簡単である。

 次第に凱聯に接触する勢力が増え、それに気をよくした凱聯は益々増長していく事となる。

 白夫妻はこの状況を何とかするべく懸命に動いたのだが、全く成果を出せないでいた。凱聯は聞く耳を持た

ないし、彼に接触する者を捕らえても捕らえてもきりがない。

 そこで発想を逆転させ、凱聯への工作がある事を前提として策を立て、それぞれの勢力間を争わせる方向へ

持っていく事とした。つまり凱聯を煽(あお)る勢力同士を争わせる事で、結果として凱聯の暴走を食い止め

ようとしたのだ。

 この時、最も働きを見せたのが凱聯の副官となっていた明開である。彼は得意とするその策謀を縦横無尽に

張り巡らし、以前彼が中諸国にやったのと同じような事を凱聯派(親凱聯的という意味合いではなく、凱聯利

用派という意味での)とも呼べる勢力に対して行った。

 これは効果的ではあったが、更なる歪みを生む事にもなった。明開自身はそれを解っていたようだが、だか

らと言って止めるような事もしなかったようだ。彼にも期するところがあったのだろう。

 白夫妻もこの対応が最善ではない事は理解していたが、あくまでも一時的な処置だとし、そのまま明開に任

せる事にした。彼らにも他にいくらでもやらなければならない事があったからだが、それを現実逃避と言うの

なら、そうであったのかもしれない。

 利用しようと考える対象は凱聯だけではない。当然、他の帝国高官に近付こうとする者達も居た。

 しかし凱聯以外の高官は皆慎重であったし、また天下人になるというような野心もさらさら無かった(諸説

あるが)ので、上手くはいかなかった。

 趙深が厳しく律していたという話もあるが。多くの理由は皆それどころではなく、また今謀反を起こしても

誰も付いてこないし、何の得にもならないと判断した、という方にあったのだろう。

 ただし双のみは過敏に反応を示した。

 知っての通り双という国は血統を重視する貴族主義とも言うべき国家である。

 その王たるこの大陸で最も貴い血を継ぐ双正が皇帝(代理)になったというのに、何故趙深のような氏素性

もはっきりしない者の言うことを聞かなければならないのか。何故お飾りのような立場に甘んじなければなら

ないのか。

 双高官の間には大きな不満が広がっていた(彼らは常に不満家であったとしても)。

 それを見過ごす諸外国ではない。凱聯も良いが、今や双こそが最も有望株であると見た。彼らは大乱を起こ

してさえもらえれば良いのだから、凱聯にこだわる理由は無い。

 この流れは深刻な状況をもたらした。何故なら、実際に双正が皇帝代理という職に就いているからである。

その双正が(例え双高官達が彼の名を借りてやったとしても)趙深に反旗を翻したとなれば、それだけで帝国

の基盤を崩壊させる事態となり得る。

 双正本人と連絡が取れれば容易く解決できそうな問題でもあるが、その双正と連絡を取る事ができないのだ

から厄介だ。彼は双本国にこもったまま、何度使者を送っても出迎えるのは双高官ばかり。彼らでは話になら

ないが、といって王宮へ押し入る訳にもいかない。

 帝国が分権統治のような方針を採っていた事がここで裏目に出る。それぞれの国家の独立性が強過ぎて、楓

流亡き今、簡単に手を出せなくなっているのである。

 趙深は窮地に立たされた。



 双正自身が動き、解決してくれる事をしばらく祈ってみたが、一月経っても何の進展も見えない。相変わら

ず連絡は取れないし、双に大きな動きが起きるようでもない。双正自身の署名が要る書類もたまる一方であり、

このままでは国家運営がままならない。

 何とかだましだましやっているが、楓流の葬儀以降全てが上手くいかなくなっていた。

 趙深もあらゆる手を尽くしているのだが、何一つ成果を出せない。それどころか乱の芽はあらゆる所に現れ、

帝国高官の間にあった溝も表面化して深まり、対立構造がよりはっきりしてきた。

 趙深対凱聯が趙深対凱聯対双正という図式に変わった事でより深く帝国内に影響を与えるようになり、他の

高官達も自分の立ち位置を表明せねばならない事態に陥っているのだ。

 そこには楓流が生前の頃からすでに生まれていた派閥意識と統一後の権力争いが理由としてある。

 諸外国に言われずとも今が好機なのではないか、楓流様の命令でもないのに何故趙深や双正の下に甘んじな

ければならないのか。確かに最も貢献したのは趙深かもしれないが、本来我らが主と同格であるはずの彼のみ

がこうも幅を利かせるのは納得できない。

 趙深は衛王などという地位を得て増長しているのではないか。このまま帝国を乗っ取るつもりなのではない

か。そう考えれば凱聯の言う事も戯言(たわごと)とは思えなくなる。彼一人が狂人なのではなく、彼一人が

真実を述べているのではないか。

 そんな噂とも言えない独り言が帝国中に広がっていく。

 趙深はそれを諸外国の策略とし、各高官に規律を糺(ただ)すよう求めたが、それもまた将兵の不満を増さ

せるだけであった。

 彼もまた憔悴(しょうすい)しきっていたのであろう。本来の彼ならこのような短絡的な処置は採らなかっ

たであろうし、もっと冷静に治まる方向へと舵を取れていたかもしれない。けれども不満や猜疑(さいぎ)で

大陸中が溢れるようになり、全てが自身の掌からこぼれ落ちていくかのような圧倒的な絶望感を毎日毎日味わ

う事で、さすがの賢人もその知性を保てなくなっていた。

 そしてこうなる事を誰よりも趙深自身が解ってきた事もまた、その想いを強くさせる要因となっていた。

 自分が王足る器でない事は初めから解っていたのだ。だからこそ楓流という相応しい人物と出会うまでは隠

遁(いんとん)生活を続け、大志を抱きつつも諦めに甘んじていたのである。だからこそ楓流死後も自らでは

なく双正という旗を置いたのだが、やはりそれだけではどうにもならなかった。

 楓流という存在の大きさをまざまざと思い知らされるにつれ、趙深の心は少しずつ変化し、無気力とは言わ

ぬが、いやむしろより精力的に行動していたが、それ故に全ての言動に諦めの色が見受けられるようになって

いった。

 だが憂国の情を抱いていたのは趙深だけではない。むしろそれを最も強く抱いていたのは大将軍、壬牙であ

ろう。

 彼が楓流と共に生きた時間は高官の中では短い方であるが、部族の掌握、騎馬部隊設立などを通して濃密な

時間を過ごしてきた。楓流の夢と最も過ごした時間の長いのは、ある意味で(楓国としてではなく、楓流の個

人的な夢という意味で)この壬牙であった。

 それに彼は賦族解放という志にも賛同していたし、趙深とも馬が合った。

 帝国趙深ら以外の高官の中で自身の意見を最も早く表明したのが壬牙である。曰く、私、つまり我が軍と南

方全土は、趙深と意を共にし、大陸の混迷を治めるべく奔走(ほんそう)するものである、と。

 この言葉は大きな影響をもたらした。

 なんと言っても壬牙は軍部の最高官である大将軍の地位にあり、最精鋭部隊たる騎馬部隊を受け継ぎ、また

動員できる兵数も王軍に次ぐ規模であったからだ。

 そして趙深も帝国での地位は文官であるとはいえ、衛という国の王であり、賦族や混血からなる衛軍は練度、

兵質共に帝国内でも上位に位置する。兵数も三将軍に匹敵するし、趙深、壬牙併(あわ)せれば、帝国の三分

の一の軍事力を有する大兵力となる。

 その上、彼らが組みするとなれば天水や部族、賦族や混血まで協力を惜しまぬとなれば、大陸に住まう者な

らば無視できる事態ではない。

 大陸人の大多数は壬牙の宣言に恐怖を覚えた。

 他の勢力ではなく、大陸人の大多数と言ったのは、彼らが賦族や部族、異民族の力を骨の髄まで知っている

からだ。彼らにとっては最早趙深壬牙連合軍ではなく、異民族連合が大挙して襲ってくるかのように思えたの

であろう。

 異民族への恐れからくる差別意識が多くの大陸人の中で開花した。楓流によって枯れたと思われていたその

花はしかし、ほんの少しの恐れという水を注ぐだけで満開に花を咲かせたのである。

 趙深はそれを予見していたからこそ慎重に慎重に行動していたのに、壬牙の表明によって全てを台無しにさ

れてしまった。

 壬牙を恨む気持ちはないが、趙深は最早何の希望も持てなくなった。自分のやってきた事が、その全てが目

の前で崩れていく。その様を間近で見せ付けられ、彼の心はへし折られた。

 何を言う気力も湧かず、これ以後の彼は遺された最後の務めだけを果たそうと考え、行動するようになる。

 諦めたのだ、趙深は。



 壬牙の意志表明によって最も強い反発心を抱いたのが凱聯だ。趙深陰謀説に一定の支持者が現れていた事も

手伝って、彼自身も公的に自らの立場を明らかにする事とした。

 曰く、裏切り者趙深を討ち、天下を平らかにすべし、と。

 簡潔で勢いのある文面が凱聯という男をようく現している。彼は本当にそう考えていた。趙深という悪漢を

正義である自分が倒せばそれで世の中は平和になるのだ、と子供のように考えていたのだ。白夫妻の言葉も

聞かず、上将軍権限と言い捨てて彼らを罷免(ひめん)した。

 勿論、上将軍にそんな権限はないのだが、今の凱聯にとってはどうでも良い事だった。彼はもう何者の意見

も聞かず、己が信じる道のみを行く覚悟を示したのだ。

 諸外国はこの宣言に飛び付き、暗に陽に協力の手を差し伸べた。

 白夫妻は凱聯という軍事力の後ろ盾を失い、それでも何とかこの流れを食い止めようとしたのだが、結局蜀

に寄った際に蜀王に捕らえられ監禁される事となった。半ば無視される存在となっていた蜀王が楓流崩御から

凱聯宣言の流れの中で再び重んじられるようになっていたらしい。

 人は誰しも窮地においては大きな事を声高に叫ぶ者に頼りがいを見出すものである。

 確かに王は今まで楓に対して問題のある言動を取り、それが故に蜀に良からぬ結果をもたらしてきた。しか

しそれも今思えば蜀を憂う心がそうしたのだと理解できる。

 凱聯がそうであったように、蜀王は狂人ではなく、一人の賢人であったのだ。

 そういう言葉にすがりつく人間が大陸中に増えていた。そうでない人間も多く居たのだが、絶対的答えを持

たない意見が対立する場合、より強く行動的で解りやすい方が押し勝つものである。ではお前達は趙深、いや

異民族に味方するのか、と問われれば、多くの大陸人は何も言えなくなる。

 凱聯に付くのはどうかと思うが、異民族に味方するなど論外である。どちらの意見が通るかは、初めから決

まっているのだ。

 ただし白夫妻には皆一目置き、尊敬していたから、二人の安全と生存には配慮された。監禁と言ったが、二

人の置かれた状態は軟禁に近いもので、勢いを取り戻した王も白夫妻という権威の前には大きな事はできなか

った。

 しかし蜀が凱聯派を表明し、また白夫妻が捕らえられた事で中諸国のほとんどは凱聯に押さえられる形にな

った事は疑いようもなく、状況が悪化して行く事に変わりはなかった。

 この状況に対し、最も危機感を抱いたのは集縁に居る胡曰だ。

 何とかして悪い流れを断ち切らなければならないが、ここで彼女が軍を動員するような事をすればそれこそ

収集のつかない事態を呼び込んでしまう事となるので、申寥に命じて軍事訓練すら自重するようにさせると凱

聯ではなく蜀一国に対してすぐさま白夫妻を解放し、態度を改めるよう命じた。

 彼女はこれを凱聯派と趙深派の争いではなく、蜀一国が、いやあくまでも蜀王個人が勝手に白夫妻を捕らえ、

帝国に対し反逆行為をした、という形に置き換えようとした。

 これには多少の効果があった。確かにそう捉えれば蜀王一個の反逆罪で済む。王が行ったという時点ですで

に大事であるが、胡曰の言葉には蜀王一人さえ差し出せばそれ以上の罪は問わないという含みがあった。凱聯

に協力したとして勝てる保証はなし、ここは王を生け贄にしていつもの日和見主義に戻ろうではないか、とい

う声は確かに挙がった。

 けれども趙深派を異民族連合とでもいう形に置き換えた効果は胡曰が思っていた以上に大きなものがあり、

結局蜀の民は異民族の力を恐れ、だんまりを決め込む事としたらしい。

 彼らとしては、急ぐ必要はない、いよいよ凱聯が危ういとなった時に改めて胡曰の命に従えば良いのだ。そ

れまでの怠慢は、命に従いたくとも王の目が強く、なかなか行動に移れませなんだ、とでも言っておけば済む、

とでも考えていたのだろう。

 胡曰はその態度に怒りを覚えたが、といって予想していなかった答えではなかったので、次なる手を打つ

事に決めた。

 今は亡き弟の力を借りる事を、である。




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