3-3.仙界境


 驚異的な技術を持ちながら隠れ住む者達。楓流の言葉に従い、仮に彼らを隠者と呼ぶ事にしよう。

 この隠者達の情報を中心に集めさせていたのだが。隠者に関する情報は、今知っている以上には、まっ

たくと言って良いほど集まらなかった。

 解らないから噂なのであり、何年も何年も同じ噂だけが流れると云う事は、それに関する新しい情報が

無いと云う事でもあるのだろう。

 考えてみれば、噂だけがあり続けるというのは、不思議な状態である。

 存在を隠そうとしながらも、それに成功していないと云う事か。それともそうとでも考えなければ納得

のいかない事が、度々起こっていると云う事なのか。

 どちらにしろ、ただ言い伝えだけが残っており、その言い伝えと何かの出来事を結び付けているだけ、

という可能性はある。昔は居たとしても、今は居ないという可能性もあるだろう。

 まったくもって、雲を掴むような話だ。

 幸いにも噂の出所はさほど広範囲に渡っている訳ではない。大陸から見れば、極々一部の地域。付近の

人々からはまるで仙境のように思われている場所、霊峰、泰山(タイザン)。二無き山、不二の御山とも

呼ばれているこの山の、狭い地域にだけ、この噂が暫し立つ。

 いつまでも消える事無く、だが決して現実味が現れないように。

 それは在ると解っていながら存在しない場所。確かに在るとしか思えないでも、決してその場所を目に

する事が無い場所。

 泰山は草木に覆われ、峻厳に聳(そび)え立つ。誰もまだ山頂へ辿り着いた者はおらず。また、軽々し

くその地に踏み入れる事を禁じられる聖なる地。竜の棲み処、天帝が降臨する唯一の場所。

 みだりに訪れれば、必ずや天罰が下されると云われ。獣も多く、道も無く、一度入って出てきた者すら

少ない。

 その気高き容貌からか、或いは仙境と意識しているのか、不二と不死をかける者もいたが、実際にはそ

の地に在るのは死のみである。浮ばれぬ魂が、数え切れない程の怨恨と共に、その地に閉ざされている、

という言い伝えもあった。

 天帝と竜の守護地、それは人から見れば冥府とも云える。人の魂しか逝けぬ場所、安らぎか苦しみ、祝

福か断罪か、どちらかでしか選ばれぬ地。

 そのような場所に隠れれば、確かに誰も発見する事は出来ないだろう。

 隠者の事を竜の化身とも、仙人とも言う者が多いのも頷ける話だ。

 しかし、噂が立つと云う事は、必ずやその者達と、過去現在問わず、誰かしらが接触していると云う事。

そして今も噂が流れているとすれば、やはりこの山のどこかに居るのではないか。

 山に居ては手に入らない物もあろう。居るとすれば、どこかに隠者との接点が、必ずある筈だった。

 だが果してその点を見付け、その点へと辿り着けるのだろうか。そして本当にそんな点があると言うの

だろうか。あって欲しいとは思うが、噂だけではいかにも頼りない。

 楓流は不安であった。そこは幽玄境、常世の都。人が踏み入れざる地。天の支配する、竜の住まう異境。

そこにあるのは未知、人の及ぶ所ではない。そんな場所に行けるのか、例え行けたとして、そのような異

界に住む者が、人間に協力してくれるのだろうか。しかも身勝手な話を持ってくる自分を、果たして彼ら

は迎え入れてくれるのだろうか。

 いや、迷う意味は無い。どうしても行かねばならない。

 楓流にとって、今はそれが全てに優先する。大陸の乱はこれから増す事はあっても、少なくとも十年二

十年の間は、まったく減る事はないだろう。その乱からは、誰も逃れられない。

 大陸は覇を求めている。彼を統べる、一人の偉大なる覇王を求めているのだ。

 自分がそれになれるとも、なろうとも思わないが。自らが治める地を守る力は欲しい。今のように兵数

が少なく、全土がすかすかに抜けているような事では、いざという時に守りきれるものではなかった。

 自侭な考えではあるが、是非とも隠者の技術が必要なのだ。最悪、連れてこれなくてもいい。せめて学

ばせてくれれば、その技術をほんの僅かでも与えてくれるならば、楓流はその代価として、何でも捧げる

つもりでいた。

 切実なのだ。成功しても、失敗しても、苦悩だけが増えていく。しかしそれに屈す訳にはいかない。彼

には何百、何千という人間が付いている。彼らをむざむざと殺されてたまるものか。

 楓流は凱聯を共に連れ、奉采と胡虎、胡曰に後を託し。一路泰山へと向ったのである。



 泰山への道のりは険しいが、付近の町村までなら、さほどの労を必要としない。

 これも道造りに力を入れさせてきた成果である。未だ地味ではあったが、楓流の方針は着実に効果を上

げていた。道と輸送、そして防衛、これは後々まで楓流が絶えず気を配り、注意していた点である。

 付近の地もほとんどが楓流に従属している為、強盗山賊に襲われる心配もなかった。不安な地を行く時

は、警護を雇えばいい。皆も今楓流に死なれては困る、懸命に護ってくれた。

 供の凱聯も、大人しく付いて来ている。

 本来ならば、気心の知れた胡虎に頼むのが最良であったのだが。この凱聯を放っておくと、また一体何

をしでかすか解らない。二度と先のような醜態(しゅうたい)を晒す訳にはいかず、自動的に彼を共とす

るしかなかったのである。不本意だったが、仕方が無い。

 楓流自身が動かねばならぬ以上、どれだけ面倒であっても、凱聯を切り離す事が出来なくなってしまっ

ていた。

 惨い話であるが、その道から逃れられぬ事は、誰よりも楓流自身が一番良く知っている。

 まあ逆に言えば、凱聯自身の心を汲んでやりさえすれば、彼は大人しく楓流に従ってくれるし、誰より

も忠誠心を示している。まるで犬でも飼っているような気分になるが、忠誠心だけは疑う必要が無い。使

えると云えば、使える人材ではある。

 現に今も大人しくしているのだから、文句を言う筋合はあるまい。

 結局は楓流が彼を御しえるかどうか、それだけの事なのだろう。それならば楓流も受けて立つのみ。凱

聯一人御せないようであれば、人の上に立つ資格、力量など無いという事。試練、証を立てる手段として

受け入れる事には、異存が無い。

 不満はあるが、それは無意味な私事である。

 目的としていた、麓(ロク)の村までは、順調に着く事が出来た。この付近は霊峰がある事もあり、ま

た特に価値ある産物がある訳でもなく。戦禍からはまだ少し距離があり、村人は樵(きこり)や薬草を摘

みながら、細々と暮している。

 夜盗強盗も旨味が少ない為と、この付近は獣が多く、道に迷いやすい為だろう。よほど切羽詰っていな

ければ、こんな所までわざわざ襲いに来る事は無いようだ。

 村人に恐怖心は無く。麓の村は、全体的にのびやかな印象を受ける。

 だがそれもこの付近までの事。ここから先は前人未到の異界が広がっている。

 楓流達は村人に一晩の宿を請い、火を囲みながら色々と問うたのだが、村人も詳しい事はほとんど解ら

ないようで、要領を得た返答を受け取る事は出来なかった。

 地図どころか、大体の方角や目印となる物も一切解らない。その地へ一歩踏み入れれば、目は塞がれ、

耳は閉ざされる。彼らは本当に泰山へは一切踏み入れないらしい。それだけ泰山への信仰心が篤く、逆に

言えば恐れていると云う事だろう。

 この村だけではない。どの地図を見ても、泰山だけは黒々と塗り潰されている。ようするに一切不明と

云う事だ。

 森奥から獣の遠吠えが聴こえる事も多く、泊めてくれた村人が危険だからと止めてくれたが、楓流とし

ては今更退くつもりは毛頭無かった。

 是が非でも協力を乞いたい。例えそれが出来ずとも、せめて一目だけでも会い、話だけでもしてみたい。

深井(シンセイ)に恒崇(コウスウ)を求める為に訪れた時同様、身勝手な思いであるが。どうしてもそ

の想いを静める事は出来なかったのである。

 楓流の領地が広がれば広がる程、その想いは切実になり、必要性が増していく。

 自らが滅びぬ為なら何をしても良い、とは言わないが。協力を願うくらいならば、一度くらい、機会を

与えてくれても罰は当るまい。

 力こそ全て、とも言わないが。争いの只中に居る限り、それが無ければ滅びてしまうのもまた事実。

 それが嫌なら求める隠者と同じく、踏み入れぬ地に隠れ住むなり、俗世と別して山野に篭り、独自の道

を進むしかない。

 だがそれは非常に困難な道である。誰でも行なえる事と、その覚悟が出来るかどうかは、また違う問題

であろう。楓流もまた、俗世から離れようとは考えない。

 それが別れた父の願いでもある。

 俗世を捨てる。それはまた人を救う道を捨てると云う事である。そこから離れても、大きな事が出来る

訳ではない。それもまた、歴史が証明している。

 誰にも頼るなとは言わないが、誰か大きな存在が何とかしてくれると願うのは、間違いであろう。

 人は自らを救わなければ、決して何からも救われる事は無い。

 厳しいものなのだ。厳しいものなのである。

 そして楓流が覇道に手をかけている以上、そういう情愛だけに構ってもいられない。

 隠者は隠者の好きなように放っておく事が、一番良い事なのだろうが。彼らも人との関わりを捨ててい

ない以上、そうする事は出来ない。

 本当に隠れたければ、一切出てこなければ良かったのだ。隠遁したいのであれば、何故噂が立つような

事をするのだろう。

 何年も消えず、下手をすれば何十年、何百年とその噂が語り継がれてきたのなら、初めから他者との交

わりを、断つつもりが無かったとしか思えない。

 哀しかったのだろうか。隠れ住む事を望んでも、人から完全に忘れ去られるのは、やはり哀しくも寂し

かったのだろうか。

 人の心あるが故に隠者になるとしても、そうであるが故に、人の心からくる寂しさを断つ事は出来ない

のかもしれない。寂しさがある限り、他者との関係を断てないのだろう。

 完全に俗世から解脱出来たとしても、それもまた人から自然へと、寂しさを埋める対象を移したに過ぎ

ない、とも言えるのではなかろうか。だとすれば、結局は同じ事ではないのか。愛すべき対象が、人間か

ら世界へと広がった、それだけの事ではないか。

 確かにそれは大いなる愛、神や仏の慈悲、許し、そういった感情を理解したといえるのかもしれないが。

やはりそれもまた人間でしかない。

 所詮は神も仏も、そして天ですら、大いなる一個の生命でしかない、と云う事か。

 楓流はそんな事を考えながら、父の事を思い出していた。

 人が仙人、隠者になれるとすれば、父こそそういう言葉に相応しい人であった。そしてそれは楓流も受

け継いでいる。楓流が人の上に立つ事に、形だけであれ、誰も文句を言わないのには、どこか人間味とい

うのか現実味というのか、そういう濃い脂身、獣臭のようなものを、彼からほとんど感じないからかもし

れない。

 浮世離れしているとでも言えば良いのか。無垢さが残っているとでも言えば良いのか。

 そういう彼ならば、或いは仙境も受け入れてくれよう。元々楓流はそういう場所で育てられたのだから、

今そういう場所へ還ったとしても、泰山は快く受け入れてくれそうな気がする。

 楓流もまた、他の人間から見れば、異人、異境の人、なのかもしれない。

 そんな彼に好意を持ったのか、それとも哀れんだものか。泰山行きを止めていた村人も、最後には納得し。

自分たちの解っている範囲までなら、送ってくれるとまで、申し出てくれた。

 異人の子が異境へ還る。これもまた、理か。



 子供に先導され、朝早くから、楓流達は森林の奥地へと向った。

 そこは正に異界の地、光りも朧にしか差さず、空気は瑞々しくしっとりと濡れている。寒さまでは覚え

ぬが、身の締まる思いがした。濃密な気流を感じる。

 子供は案内を終えると、すぐさま村へと引き返した。子供もこの地は怖いらしい。

「あんたらもはようこんな所から出た方がいいよ」

 そんな風に帰り際に言ってくれたが、楓流は帰る気にはなれなかった。

 そこには自勢力を救う為、という義務感でも、折角ここまで来たのだから、という惜しみでもない。言

うならば好奇心と満足感、楓流は他のものは関係なく、自分が生まれ育った地に近いその場所へ、深い憧

憬と懐かしさを覚えていたのである。

 自分は来るべくして、導かれるようにしてここへ来たのだと、そのようにすら想えた。

 森林が深く、草木が長く、密度が濃くなる程にその想いは強まり。彼の中へ不可思議な力を生み始める。

 まるで自然の気を吸って力に変えているかのように、それは清々しく、鮮やかで、あらゆる不穏を霧散

させ、空のように心を澄ませる活力となる。

 還ったのだ、戻ったのだと、そんな想いを強く感じた。

 山を離れてすでに十年以上の歳月が経過している。それだけの時を得、やっと里帰りが出来たような、

不思議な感覚を味わっていた。懐かしい。

 今にもその木陰から、父がすうっと現れるような気さえする。

 だがそんな楓流とは逆に、凱聯の方はといえば、ただでさえ少なかった口数は完全に消え去り、その表

情には拭えぬ恐怖の色が浮んでいた。

 楓流にとっては故郷でも、彼にとっては異界でしかない。しかし彼には楓流こそが全て、圧倒的なまで

に草木から昇る仙気に溺れそうになりながら、必死に後を追った。いや、もし楓流を見失えば、この森に

呑み込まれてしまうとでも、思ったのかもしれない。

 凱聯も人の子だったと云う事だろう。

 楓流はそんな凱聯にお構いなく進む。一時は彼の存在すら忘れていたようだ。身体に力が満ち溢れてい

た。彼は仙人に育てられた竜王の子、自然を統べこそすれ、自然が彼に逆らう事などありえない。

 そして竜に還った以上、凱聯などと称する一匹の青人草に、どれだけの存在を感じるというのか。

 楓流は全ての気鬱から解き放たれ、まるで天へ昇るかのように、疲れも感ぜず、獣道を登って逝った。

 思考も無かった。彼にとって、今は進む事こそ全て。

 鯉が滝を昇るように、彼もまた、大空へと翔け昇るのだ。




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