3-5.然るべき姦計


 日が昇り、里の者も起き、それぞれの仕事をし始め。今日もまた昨日と同じく、機能的で平和な一日が

始まる。凱聯もまた、昨夜と変わらず戻って居ない。

 女も一緒であるからには、ある程度予想が付いていたとしても。朝まで戻らないとなれば、多少の違和

感を感じる。

 凱聯も自らの立場くらいは弁(わきま)えていよう。それに彼が楓流の傍を、自ら離れようとするはず

がない。

 だからこそ凱聯はこの場に居るのであり、これはやはり異常な事態と言える。

 楓流はそれでも辛抱強く、日が高く昇るまで待ったが、凱聯は戻って来なかった。疑問は確信へ変わり、

楓流は諦めたように腰を上げ、里長と会う事を決める。

 この地で何があるとしても、それは里長の意志が、大なり小なり関わっているはずだ。それだけの影響

力があり、ただのまとめ役ではなく、彼はこの里の主人であると見なければならない。

 小さい里とはいえ、人が集まれば穏やかでいられるはずがない。だが楓流が見た所、異常なまでに彼ら

はまとまりを持ち、協和を保ち、それぞれの仕事を理解し、それ以上を望まず、穏やかに過ごしている。

 諍(いさか)いや争い、気持ち悪いまでの上昇志向、そういった人の欲望に直結するモノが、この里に

は欠けている。それは理想の社会ではあったが、やはり異様である。よほど教育が行き届いているという

事だろうが、それだけでは説明が付かない何かがあるのだ。

 人を平穏に導く何か。恐怖心、それとも正義感か。何かははっきりと解らないが、彼らは何かの理由で、

こうも強固にまとまっていると考えられる。

 という事は、それがどういう理由であれ、その中心に居る者は、相当の権威を持つ事になるだろう。望

む望まないに関わらず、必然的にそうなる。

 人がまとまるには、いや全ての何物であれ、何者であれ、必ずや本となる点が要る。物事が形作られる

為には、きっかけと始まりとなる点が必要なのである。

 それを原因、理由と言い換えてもいい。人の心も運動と同じ、物理現象のような、そういう法則が当て

嵌まる。

 楓流はここ十年の間に様々な事を学んだ。人がその地位、その立場になるのには、必ず理由がある。例

外なく、原因とその結果へ導く、理由があるのである。

 自然において無意味なモノは何一つ無い。例え人から見て無意味に思えても、それが出来た時には、必

ず理由があったはずなのだ。

 凱聯が捕らわれたか、それともすでに命を失っているのか。正直言えば、それにはあまり興味が無い。

 凱聯も従者として覚悟して来たはず、もしそうでなければ、従者として連れる意味が無くなる。楓流は

理由あって凱聯を連れてきたが、凱聯もまたそれを望み、そして人であり大人である以上、供としての役

目が無くなる事はない。

 凱聯も漢である。ただの我侭、粗忽者であるなら、楓流も面倒を見たりはしなかったろう。

 もし生きていても、覚悟を決めているはずだ。彼も楓流に見限られたくはないだろうから。

 故に、今は凱聯がどうこうよりも、里長がそうした、そう出来た理由の方を知りたかった。

 里外の人間への不信感、恐怖心か。或いは凱聯がまた何かをしでかしたのか。

 想像すれば、いくらかは察せられるが。そのような不確かな情報は意味を成さない。悩んでも仕方の無

い事だった。それを知るには、それを知る者に聞く以外に方法は無いのである。

 独りでも悟れれば良いのだが、残念ながら人間にはそういう力は備わっていない。もしかすればある、

あったのかもしれないが、少なくとも楓流は持ち合わせていない。

 当人から聞き出すしかなかった。

 里長に会えば、全てが解るだろう。例え、その結果、どういう事になったとしても。



 里長は昨日と同じように、表面上は穏やかに迎え入れてくれた。

 違うのはそれが、客人を迎える歓待の心、からきているのではなく。どこか見下したかのような、余裕

心から出ている事である。

 楓流は不快とは思わなかったが、面倒な事になりそうだと、(後で里長から聞いた所に寄れば)無意識

に嫌な表情をしていたそうだ。

「お迎えに参られたのですかな」

 里長はもったいぶった事は言わない、単刀直入に申し入れる。

「その通りです」

 楓流も同様である。

 そして、ああ、まだ凱聯は生きているのだ、などと、そのような事を思った。彼は心の底で、どうせな

らば、いっそ、とでも思っていたのかもしれない。凱聯は頼りにもなるが、それ以上に心痛の種である。

ここでいっそ、本当にそうなってくれていたなら、或いは楽になっていたのかもしれない。

 無論、益々苦難になっていた可能性もある。

 里長は常に笑顔を見せ、場も殺伐とした雰囲気にはならなかった。楓流もまた、何処吹く風と、まるで

他人事のように応じていた。

 彼にしてみれば、これも義務に過ぎなかったのかもしれない。凱聯に抱く複雑な想いを考えれば、そし

て平素からの彼の言動を思えば、誰が何処でどうなろうと、或いは気にしないという考えも浮ぶ。

 哀しくも何も想わないのではなく、気にしない、受け入れる。それは冷たさではなく、静けさと受け取

るべき心だと思う。何故ならば、楓流は他ならぬ自分自身の命さえ、そう言う風に見ていたからだ。

 それはやはり諦めというよりは、開き直り、覚悟していたのだろう。

 しかし覚悟しているのは、里長も同じ。懐中へ招き入れた以上、よほどの覚悟があるに違いない。

「しかし出せと言われて、出す訳には参りませんな」

 里長は突っぱねるように言い放つ。笑顔だけにその言葉は、辛辣(しんらつ)である。

「それはそうでしょう。ならば、理由だけでもお教え願いたい」

「理由、それは私の孫娘に手を出したからですよ。そうなった以上、望む望まないに関わらず、彼にはこ

こに居て、私の跡を継いでもらわねばなりません。何しろ、孫娘の両親はすでに亡く、私にはあの子しか

残されておらぬのですから」

「・・・・なるほど」

 楓流は理解した。彼らはようするに婿養子を探していたのだ。こうして隔離された村では、外の血を求

める傾向があると聞く。尊貴な血、力ある血、最悪何でも良い。とにかく新しい血が必要なのだ。何故か

は解らないが、人はそれを求め、血を濁らせぬよう努める。

 わざわざ孫娘を付けてくれたのには、初めから魂胆あっての事だったのだ。どちらでもいい、楓流か凱

聯、どちらかが手を付けてくれれば、後はそれを理由に問答無用でこの里へ押し込める事が出来る。

 外れた楓流も逃がさぬつもりなのだろう。自由に里内を歩かせたのも、ここを出さない理由を作る為に

違いない。知った以上、ここからは出さぬと、そう言う事である。

 単純だが、理由は単純な方が効く。

 凱聯は浅はかな事をしたものだが、よくよく考えると、これはこれで好都合かもしれない。あちらから

わざわざこちらと縁を作ってくれたと思えば、悪くないかもしれない。

 楓流は心を決めた。

「長よ、凱聯には貴方の跡を継がせよう。その代わり、私に貴方達の力を貸してくれまいか」

 この突然の申し出には、流石の里長も面食らったようだった。 



 楓流はここが潮と、馬鹿正直なまでに、この里へ来た理由を述べた。

 彼らの技術が必要である事、その為には何物も惜しまない事、出来るならば技術者を一名派遣なりして

欲しい事、細々と要望を伝えた。

 勿論、その全てが叶うとも、叶えようとも思わない。ただ伝えただけである。それでどうなるかも解ら

ないが。ただただ正直に、自身の思惑を白状していく。

 里長は呆れながらも、一応は聞いてくれていた。不思議そうな顔をしていたが、それでも聞くべき事は

聞いてくれている。ならば楓流に異論は無かった。

「なるほど」

 里長は最後まで聞き終えると、呆れたように呟く。

 実際、呆れていたのかもしれない。あまり表情の変化しない男である為、楓流からはその心底は解らな

かったが。思った通り、話の通じない相手ではなさそうである。

 諍いが嫌いである事も解っている。もしかすれば、凱聯と引換えにでも、何かしらの協力が得られるか

もしれない。

 しかし、やはりというべきだろう、それは都合の良い一方的な想いでしかなかった。

「我らはここを離れるつもりも、他人に何かを伝えるつもりもない」

 里長ははっきりと断る。そして告げる。

「貴方は交渉できる立場に無いのだ。我らの一族へ加わっていただくか、それともここで朽果て、獣達の

餌になるか。選ぶべき道は二つに一つ。気の毒だが、貴方の意を汲む訳にはいきませんな」

 里長はにべもない。

 面白い男だと思い、多少好意は持ってくれたようだが、それだけの事だった。この長にとっても、公は

公、私は私なのだろう。同情はしてくれても、感情で無責任に采配を揮(ふる)う事は無い。楓流が断れ

ば、気の毒そうに始末するだけで、気の毒な気持ちは加えるが、結局始末する事に変わりない。そういう

人物のようである。

 楓流も似た型である為に、その心はよく理解できた。それくらいでなければ、このような生活を、何十

年、下手すれば何百年と続けてはいられないだろう。厳しく律する事も、時に無情になる事も、里長には

必要である筈だ。

 楓流よりも、更に喰えない老人といえる。

 だが楓流は喰えないだけでなく、根気強い。その上、異常なまでに諦めが悪い。

「そこを何とかお願いしたい」

 頭を下げるでもなく、微笑を浮かべるでもなく、堂々と真正面から睨みつけるかのように見詰め、はっ

きりと告げる。これではどちらが命を握られているのか解らない。しかも言葉に澱(よど)みは無く。明

らかに、本心から、そう言っている事が伝わってくる。

 里長はあまりの事に、怒るよりも面食らったらしく。

「困ったお人だ。まあいい、暫く考えてみなされ」

 多少折れる形で、里長は奥間へ楓流を案内し、軟禁に違いないが、形だけは客人として扱ってくれた。

里長の情が、ほんの少しだけ、公という責任に打ち克ったのかどうか。

 楓流はこうして独り残されたが、絶望などという感情とは無縁であった。

 彼はひたすらに考える。悩みなど無駄である。思考し、思案する事のみが、状況を打開する。答えを出

せないが為に悩むのであり、それはむしろ感情に近いもの、であれば悩むだけ無駄である。答えの無い問

答ほど、虚しい事は無い。

 楓流にとって、嘆きも悩みも絶望も、何もかもが無意味であった。何一つ救われはしない。そんな気晴

らしに頼るのは、とうに止めていたのだ。

 人の守護である四海竜王に祈るくらいは、やってもよさそうなものだが、それすら彼はしなかったよう

である。それもまた、無意味であると思ったのか。或いは、この程度で神を煩わせる事を、不遜だと思っ

たのかもしれない。

 自ら出向いて捕らわれる。

 予測してしかるべき状況であり、豪炎の時と同様、これほど馬鹿らしい状況はない。神が知れば、神も

呆れよう。

 さて、逃げるべきか。それとも説得を続けてみるか。どちらにしても、今のままでは不可能。何か新し

い材料が必要である。

「凱聯も私も質にならない。いつまでもこんな所に居る訳にもいかない。素直に諦めるのが道理。しかし

それでは集袁が滅ぶ。さて、どうしたものか」

 傍に凱聯がいない事は、かえって幸いであった。おかげで邪魔されず、思考に集中出来る。

「・・・・待ってみるか。事を起こすにせよ、腹を満たしてからでも、遅くはあるまい」

 そういえば、朝から満足に食べていない。不思議とそう思うと腹が減ってくる。楓流はごろりとその場

に横になり、食事が運ばれてくるのを待った。

 里長は頑固そうだ。焦るよりも休み、力を蓄えておく必要がある。




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