4-2.北方の雄、泰山の賢


 ひたすらに働いている間に年も明け、楓流は齢三十を迎えた。

 この頃から、大陸の情勢は激さを増し、安定と変転を繰り返し始める。

 台風の目のような空白時間もあるが、常にどこかでは争いがあった。このまるで大陸そのものがぐらぐ

らと揺れているかのような不安定な時期は、碧嶺が誕生し、大陸統一を終えるまで続く。

 全土が沸騰し始め。人の目の届かぬ地下で高まり、縦横無尽に蠢いていた熱が、今慌てて蒸気のように

噴出してきたかのようだった。

 誰かが火を投げ込めば、その瞬間に大陸中が爆発するだろう状態であり。どの勢力も最早ただのごろつ

きの集まりではない。歴とした軍隊である。山賊に毛の生えたような者達の勢力争いではなく。国盗りの

戦争に変わろうとしていた。

 列強はその存在感を増し、数多の勢力が軍事的圧力によって滅ぼされ、呑み込まれた。皆正道と正当性

を述べ、力を持って弱者を従える。名分も力の上にのみ成り立つ時代の始まりである。

 力こそ正義の感が強く。家柄や門閥などを語る者は前にも増していなくなった。

 皆ひしひしとした圧迫感を感じ。完全に時代が変わったのだと、そう認めるしかない。

 名君、暴君、色々な呼称が生まれ、密やかながらも、次第に大陸制覇を成すのは誰それと、民の間でも

大陸統一という言葉が現実味を帯び、当たり前のように噂されるようになっている。

 前政権の遺物は次々に破壊され、我こそがと覇を競う。もう残党のような勢力はいない。弱き者は全て

排除されていく。

 そして民の中に安堵の心が戻る。不思議に思えるが、結果として寄生虫のように蔓延(はびこ)ってい

た者共も滅びざるをえず。誰もが新たな権威と統治を目指す事によって、治安が回復してきたのである。

 そう、ただ搾取(さくしゅ)するのではない。統治をし、法を定め、あちらこちらで小国家群が誕生し

ている。

 賊の時代は終わり、王の時代への途上に、今大陸は在るのだ。

 だからこそ王になる為に、正当性を得る為に、当主達は新しい名分を生み、民を救った。

 何故ならば、そうするしか、新勢力達が自らを立てる理由を見付けられなかったからだ。圧政を打破し、

民の暮らしを良くする。その為にこそ自分が在り、天によって地に使わされた。これは天命、天の意思で

あり、正義であると、そう告げねば、他に正当性を生む手段がなかったのである。

 民を救う為ならば、主君ですら滅ぼしても、例えその滅ぼす者が山賊強盗出身でも問題は無い。家柄門

閥などは問題ではない。血統などに意味は無く、そこに天意があるかどうかが問題である。

 そもそも始祖八家から連なる前政権も、大陸を平穏に治める力有ってこそ、初めて天に君臨する事を、

統治する事を許された。であれば、今その資格を失った以上、それを正すのが自然である。力無き者に、

大陸を統治する資格は与えられない。

 窮乏に屈していた民は、喜んでこの流行に乗った。誰でも良い、少なくとも今よりましになるのであれ

ば、彼らは喜んで従う。

 彼らも正当性など、この際どうでも良かった。自分が生きられるならば、何でもいい。そもそも前政権

にも苦しめられるだけで、ありがたいと思った事は無かった。

 それが滅び、今他の何者かに変わったとて、一体何が悪い事があるだろうか。

 しかしこうなればなったで、新たに民の気持ちを考えてやる必要が生まれ。民への遠慮というべきか、

あまり残虐な事は行なえなくなってしまった。

 今までのように好きなように搾り取るのではなく、一定の税を決め、民へ示す事を求められ、その比率に

よって逃げ出す民も多くなった。

 皮肉な事に、確実に一定の利益を収める為、そして民を安堵させる為に採用した税法が、確たる数字と

なって、他と比べられる結果も生み出したのである。

 当主達は、これによってその税に足る資格(即ち安全や名声など)を示す事を強いられ、支配力の減少、

支配被支配の関係そのものの変化さえ、招いてしまう。

 今の所はまださほど強い影響力は無いが、これも新興勢力の哀しさであろう。

 それが結果として民を救ったとは言え、皮肉なものである。


 しかしそんな情勢とも、例外となる勢力がある。

 勢力中の雄、列強の中には唯一の例外として、血統と正統を万人に対して誇れる、北方の雄、双家があ

った。この双家だけは、新興の憂などに惑わされる必要は無い。

 双家も歴史の波には逆らえないが、碧嶺滅んで後も、長く独自の力を保ち続けていく。

 始祖八家、大陸に始めて踏み入れ、全ての大陸人の祖となったという、伝説的な八つの家柄。大陸にあ

る血統信仰を思えば、彼らは神に近い存在であった。しかしその勢威は衰え、新たなる神と力の出現によ

り、現在では貴族程度にまで、その権威は衰えている。

 だが双家は現存する、唯一の貴族である。衰えたとは言え、その権威は大きなものだ。新興勢力が喉か

ら手が出る程欲しい、正統そのものである。更にその力も、他の七家が衰退し滅亡したのに比べ、大いに

増している。

 確かに軍事能力、武力だけで云えば、先に述べた孫家などには及ぶまい。双家の兵士は気位だけが高

く、実戦では弱いという定評さえある。

 それでもその権威を思い、総合的な力量を測れば、大陸でも随一の勢力となるだろう。

 誰もが双家を敵に回す事を恐れている。唯一残った貴族、神の子孫という栄光が、その権威を貶めるど

ころか、益々高めるのだ。始祖八家としての権威は衰えたものの、双家としての権威はむしろ高まってい

ると言えよう。

 政治力、影響力では、明らかに他を抜きん出ている。

 複雑な背景を持つが、ようするに双家は第一等の勢力である。

 楓流は考えた末、まずこの双家と誼(よしみ)を結び。情けないが、その権威を借りる事で、他の勢力

に対しても、外交関係を上手く運ぼうと考えた。

 しかし双家と結ぶなど、出来る事だろうか。

 確かに楓流の軍事能力は、ある程度評価されている。

 兵数が少なく、まだまだ領土も小さい為に、さほど名が知れている訳ではないが。その少数精鋭による

威力は、なかなかに侮れぬものだと、それなりには噂されている。

 だからこそ敵対する勢力が減り、平穏な時間が増えた。

 だが、それは、そこそこやる、程度の認識でしかない。例えば彼が大陸を席巻したり、中央に覇を称え

るとか、そこまで考える者はいなかっただろう。

 楓流の現状は西方の諸勢力に似ている。

 確かに強い。戦えば被害は大きいだろう。しかしそれだけである。列強から見れば、間違いがあっても

負けるとは思えないし。敢えて槍先を向け、注目する程の力ある勢力だとは思われていない。

 侮れぬ。だがそれだけである。

 それだけの存在である以上、わざわざ彼と盟約を結ぼうなどという変わり者は、ほとんどいまい。

 もし居たとしても、彼と同程度の力しか持たぬ勢力では、同盟を結ぶ意味が無かった。そういう者達が、

自らの滅亡を賭けてまで、楓流に肩入れしてくれるとは思えないからだ。

 小国同盟群など、その点虚しいものである。よほど強い目的意識がなければ、名前だけのものになる可

能性が高い。

 むしろ、楓流からの尽力をこそ望み。兵を送ってくれだの、援助してくれだの、面倒だけが増えていく

かもしれない。

 一歩飛び出ている、こちらが頼むに足る勢力が、同盟者に欲しいのである。

 その点、双家なら申し分ない。権威があり、しかも唯一といっていい正統性を持つ。例えすでに滅びた

政権の権威だとはいえ、皆どこか双家には遠慮している。だからその後ろ盾があるとなれば、例えば孫家

なども、より真剣に同盟を考えてくれるのではないだろうか。

 ただそれも、同盟出来れば、の話である。

 寂しい事だが、楓流一個では、あまりにも魅力に乏しい。

 鉄器や最先端の技術も、楓流でさえ持て余している現状。少しは完成した技術もあるが、それだけでは

余りにも弱い。

 双家はその貴族性故に気位が高く。よほどの理由が無ければ、楓流などに肩入れしようとは思うまい。

伝手を頼ろうにも、その伝手さえ無い。

 魅力も伝手も無い。故に悩んでいる。行くべきか、それとも待つべきか。幸い時間はまだありそうだが、

そうといって、事が起きてからでは遅い。危急の時となれば、相手から足下を見られよう。それならば、

まだ今の方が望みがあるだろうか。しかし、楓流が双であれば、まず同盟など結ばない。

 堂々巡りである。

 楓流は悩んでいた。新年を祝う事も祭礼も忘れ、ただただ悩んでいる。



 悩んだ時に相談できる相手、それは一人しかいない。そう、雲海(ウンカイ)である。

 楓流は足繁く雲海の許へ通い、変わらず登用には応じてくれないものの、相談くらいならば聞いてくれ

る仲になっていた。

 雲海は意外にも情勢に詳しい。彼としても昨今の目まぐるしい変化は気になるようで、常に外界にも目

を配っているようだ。

 当然、西方の不穏な動きや、東方での孫家の台頭、北方に確固とした基盤を築く双家の存在など、見逃

せない勢力があり。楓流のもたらす細かな情報も、彼にとって利益が無いわけではないようだった。

 楓流をあまり歓迎していないその顔から察するに、単に情報の見返りとして相談に乗ってくれているの

かもしれず。そう考えると想像以上に義理堅い性分と思える。

 単に情報を得る為であれば、ここまではしてくれまい。何せ楓流の知れるような情報ならば、雲海もさ

ほど労無く得る事が出来るからだ。

 隠者とはいえ、雲海は驚くほど世慣れている。確かに知らねば嫌いも何も無く。人より知っているから

こそ、世の中が嫌になったのだろう。

 此処、つまり泰山(タイザン)付近にある村、麓(ロク)まで容易く来れる様になったのも、彼が安全

かつ最短な道を教えてくれたからである。彼は陸路だけでなく、河川を使った水路にも通じており、それ

らを或いは組み合わせる事で、驚く程に移動時間を短縮していた。

 河川など農業水か生活用水程度にしか(あって川渡し程度)、当時の人間は考えていなかった事を思え

ば、目から鱗(うろこ)が落ちるような発見であり、知恵であった。

 当然、それらを活用する為には、常時から実に細々な準備が必要であるが。それも雲海は実に丁寧に配

慮し、決してその道が途切れぬよう、目を配っている。

 どうやってそこまでし、どうしてそのような事が出来るのかは教えてくれぬが。どうやら、彼の背後に

は里人だけではない、他の何者かが、しかも沢山の人間が、付いているようだ。

 里の一部に同化しているのかと思いきや、彼は彼で、また一個の独立した勢力であるかのような、そう

いう気配がする。

 もしかすれば、泰山の里が、あのどちらかといえば彼を嫌っているように見える里長までが、そこまで

して雲海を特別視する理由が、そこにあるのかもしれない。

 何とも謎の多い男である。

 知れば知るほどに、雲海の素性は謎に満ち、はぐらかされてしまう。

 しかしそれがまた、楓流には心地良かった。

 思えば彼は何事も見通し過ぎた。何をやってもある程度見通せる。勿論裏切られる事も多いが、ある程

度どこかで察していたからこそ、何が起きたとしても、しぶとく生き抜いてこれたのだろう。もし本当に

真っ白な思いしか抱いていなければ、とうに世間というものに揉み潰されていたに違いない。

 何があってもおかしくない。そのくらいを悟る経験も能力も持ち合わせていたのだ。

 その彼が雲を掴むようにして雲海を見ている。それは実に心地良いもの。

 雲海を見ていると、世の中の広さが、未だ楓流が経験した事も、そして想像した事すら無い事が、無数

に眠っている。いや、何処にでもそういうものが、当たり前のようにあるのだと、教えてくれる。

 無知であるからこそ、無知を悟る事を尊び。悟れば人に世界が広がっていくような錯覚を与える。

 文字通り錯覚で、世界は世界として常にあるがままにそこにあるのだが。何故かそういう当たり前の事

に気付く事が、人に無上の喜びを与えてしまうようだ。

 人間など卑小で可愛いものだと、言われる所以(ゆえん)であろう。

 雲海に双家との同盟を相談すると、彼はまず無謀だと、現状では無理がありすぎると、即座に断を下し

たが。楓流も重々それを承知である事を知ると、今度はこんな事を言った。

「無理が通れば道理引っ込む、と云う言葉があります。無法を通せば理が失われてしまい、無法が法にな

ってしまう。しかしそういう道理が失われた時だからこそ、出来る事もあるのでしょう。それが良い悪い

ではなく、可か不可かと云う意味では。

 双家は正統、ですが今となってはそれに人が言う程の意味は無く、双家も無法を受け容れる事で、その

勢威を保ちました。体裁だけは気にするでしょうが、乱世の体裁など、いざとなればかなぐり捨ててしま

う程度の物。説得するにはそれなりの理由ときっかけが必要です。

 私の知る者で、明慎(ミョウシン)という男が居ます。大して功がある訳でなく、先祖代々ただ生きて

来たような家柄ですが。さりとてこの家柄が古い。話を聞く所に寄れば、双家がこの大陸に着た時から、

かの家に仕える従者であったとか。その為に双家ではそれなりに重んじられておるようです。

 それだけでどうなるとは思えませんが、少なくとも橋渡しはしてくれるでしょう。少々金に汚い男です

が、まあ、払った額なりの事はしてくれるはずです。

 これできっかけはどうにかなりますが、さて、理由の方はどうでしょうか。成功する見込みはありませ

んが、それでも良いなら、話を通しておきます。後は貴方次第」

 雲海はさらさらと一筆書くと、それを封書に入れ、丁寧に油紙で包んでから、楓流へと手渡した。

 後はもう何も言わない。まるでこれで解らないようなら、何を言っても仕方が無いという態度である。

 確かに丁寧といえば馬鹿丁寧に教えてくれているが、半ば人を馬鹿にしているようで、あまり良いやり

方ではない。だがそれでいて、手紙の包み方、そして道順からその準備まで、全て彼の方でやってくれる

のである。

 今までもずっとそうだった。おそらくこれからもそうなのだろう。興味は無いが、頼られれば最善を尽

くす。そういう男なのだ、きっと。

 楓流は怒るでもなく、呆れるでもなく、ただただおかしな男だと、毎度のように思うのだった。

 最も、彼自身も、雲海に同じように思われているのだろうが。




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