4-3.貴き者、始原の地


 大陸北方には地形の起伏があまりなく、なだらかな平野が広がっている。その平野の中を悠然と悠江(ユ

ウコウ)という大陸一の大河が流れ、土地は肥え、気候も良く、いたって暮しやすい。

 この地に双家が在る事からも察せられるが。最初の大陸人である始祖八家は、まずこの辺りで生活を始

めたと伝えられている。勿論、その真偽は定かではなく、今となっては証明する手立ても無いが。云わば

この地は大陸人達の故郷、大陸の中心地、古くから大都の栄えた、非常に繁華な場所である。

 大河、悠江は広大でありながら、およそ氾濫(はんらん)というものを起こした事が無く。この辺りは

飢饉(ききん)とも無縁で、大陸中が貧困に喘いでいる時でさえ、別世界の様相を呈(てい)している。

 春や秋、自然の実り豊かな時期には、この悠江に舟を浮かべて樹花を愛でるのが、古くからの慣わしと

なっており。その季節には、競って舟を飾り、自らの勢威を誇る姿がよく見受けられる。

 取り立てられる税の種類が多く、その比率も他の地方よりも重いが、それでも人口は減らず、ほとんど

の者は生活に困っていない。いくら大陸中が貧困に襲われても、この地ならば、まず食うに困るという事

はないと思われている。賦族と他地方から流れ来る乞食以外、この地は窮乏(きゅうぼう)とは無縁だ。

 しかし豊かであるが為に、古来より戦乱の絶えた例がない。それでも飢えに襲われる事がなかったのだ

から、大陸中を賄える、と云えるのにも頷ける。

 それほどまでの大穀倉地帯が、この北方から西方にかけて、悠江を沿うように存在している。

 生存率が高い為に家柄の古い者が多く。この地の民は、一種独特の価値観を持っていた。

 古来より大陸の都と名高い地である為か、はたまた始祖八家が初めて入植したであろう地である故か、

北方には貴族主義ともいうべき、血統信仰を更に濃くした思想が、根強く残っているのである。

 大陸人全体にその傾向はあるのだが、当時ここまで強く残っていたのは、北方だけであったろう。

 その為、この地では他よりも大義名分というものが比重を持ち。戦の方法も大分他の地域とは違う。

 まず血統ありき。先祖代々受け継いだ、治めるべき資格ある、誰よりも尊貴な存在である事を、内外へ

知らしめなければならない。証明せねばならない。

 だが力得た者の、皆が皆、血筋がはっきりしているような事は少ない。いや、まずもって、先祖の名な

ど知らぬ者の方が多い事は、いつの時代も変らない。

 そういう者は、いつも下の方から伸し上がってくるのだから。

 しかし何処の馬の骨とも解らぬような者が、この北方に覇を築く事は出来ない。力など後にくる。まず

は資格である。古来からある資格。ようするに得た歴史の長さが重要なのだ。

 そこでこの地方独特の手として昔から利用されたのが、いわゆる傀儡(かいらい)政権である。

 尊貴な血筋の者を攫(さら)うなり、買い取るなりして、旗頭として担ぎ上げてしまう。そしてその尊

貴な血筋を人形として裏で実権を得るか、或いは自分か家族の誰かと婚姻関係を結ばせて正統性を得、そ

の血統の名を借りる事で、権力を揮う。

 少々面倒だが、北方ではどうしてもこの手続きが要る。

 傀儡の代表格と云えば、やはり始祖八家。記憶にさえ残らぬ遥か太古から、この家柄は利用され、或い

は自ら破滅の道を選びながら、次々と滅んできた。

 側近や高官、ふっと湧いた勢力が、いつのまにか主人をも凌ぎ、その実権を握っている。そういう事は

今も昔も当たり前に行なわれているのだが。この始祖八家こそが、その元祖とでもいうべき、哀れな存在

かもしれぬ。

 証拠となる物は無きに等しくとも、例え記憶にも記録にも残されておらずとも、容易くその過程を想像

出来る辺り、人の歴史の悲しさとでもいうべきだろうか。

 人はいつも同じ事をしている。歴史は繰り返される、という所以である。

 しかし利用され尽くされた始祖八家の中でも、双家だけは上手く立ち回り、ありとあらゆる権謀術数を

使いながら、何とか当時も勢威を保っていた。

 双家の歴史が、何百年、何千年かは解らないが。長い時を当たり前のように生き残り、今も隆盛を誇っ

ているというのには、凄みすら感じられる。

 云わば騙し合いの上で勝ち残り、詐欺勝負に勝ったようなものなのだが。それもここまでいけば見事と

言うしかない。恐るべき血統だ。

 双家現当主の名は双正(ソウセイ)。前当主を早くに亡くし、まだ二十歳になった程度という年齢らし

いが。すでに権謀家として知られていた父親を凌ぎ、双家を見事に裁量しているという。

 必要が育てた才とでも言うべきか。代々の跡継ぎは幼少の頃より権謀を教え込まれ、物心付く頃には、

皆一人前の大人のような物言いをし、考え方をするようになっているそうである。

 その代々の中でも、この双正は抜きん出ており。必ずや双家を大きくするだろうと、内外の評価は高い。

 中には、大陸に覇を称え、始祖八家の威光を甦らせるのは彼だと、そう言い切る者までいるとか。

 平和な時であれば、世迷言(よまいごと)としか思えないが。大義名分の比重が大陸全土で増している

昨今。実力次第で領土を切り取れるとすれば、あながち世迷言とも言えないのかもしれぬ。


 楓流は北方に着き、このような沢山の情報を得たが。しかし肝心の明慎についてが解らない。

 誰に聞いても知らぬ存ぜぬ。まさか雲海が嘘を言ったとは思えないが。果たして彼が言う程の影響力の

ある男なのか、流石に不安を隠せなくなってくる。

 それでも目的地へ近づくにつれ、少しずつ彼についての噂を聞く事が出来た。

 だが聞けば聞いたで、益々不安になってくる噂ばかりである。

 当主、双正に比べ、あまりにも評価が低い。或いは月のように、自ら輝かずとも人に知られ、実は広大

な領地を持つという、恐るべき人物なのかもしれないが。どうにもしっくりこない。

 楓流も、流石に諦めの情が、幾度か心を過ぎる事があったようだ。



 双家の本拠地となる都の名は、至峯(シホウ)。長い歴史を持つ都で、その繁華さは大陸一とも言われ

ている。人口が多く、双家への忠誠心も高い。始祖の流れを汲む、始祖の末流であるという自負心が民に

もあり。総じて気位が高く、大抵の者が、必要も無いのに、読み書きを習っている。

 例えどのような存在が現れようと、大陸を治めるのは、その資格があるのは我らだけ。という想いがあ

るのだろう。その想いが民の間に不思議な連帯感を生んでいるようだ。

 平時は争い、憎しみ合っているような間柄でも、他勢力からの侵攻でもあれば一斉に強い反発を起こし、

一瞬で平時の恨みを忘れ、手を取り合って侵略者へ攻めかかる。

 後にその威風も薄れ、名ばかりの、気位だけの誇りへと成り下がるが。この当時から、確かに個人的武

勇においては、さほど高くはなかったとはいえ。士気の高さにはそれなりの定評があった。

 軍としても決して弱くはない。だからこそ双家は生き長らえてこれたのだろう。

 探し求める双家も、明慎も、この都に在る。余所者は注意が必要だが、礼儀を守っていれば、この地の

民も客人として遇してくれる。

 雲海も言っていたが、ここでは礼と血筋が全てなのだ。血筋がはっきりしない以上、権威は求められな

いが。礼節さえ守れば、敬意を払ってくれる。


 余談だが、至峯という都はこれ以前も、これ以後も、何度も遷都を繰り返しているのだが、何故かその

名前だけは変えられなかった都である。

 故に歴史上に何度もこの至峯という名前が出ても、そのほとんどが別の場所であるという、真に解り難

い都となっている。

 この話の中においては、そう何度も場所が変わるような事はないが。同じ名前で近い場所であっても、

他の年代とは別の場所である。と云う事をご留意願いたい。

 峯とは峰の本字であり、山の頂き、高い山を現す。簡単に言えば、至高などと同じような意味を持つ名

だと、そう考えていただければいい。もしかしたらただの名前ではなく、本来は尊称のようなモノだった

のかもしれない。

 それがいつしか街名として定着したが、尊称としての名残で、場所を変えても同じ名を付けている。

 まあ詳しい事は解らないが、面白い名前である事だけは確かだ。


 楓流は無事にこの都まで辿り着き、早速明慎を探した。時間はかかったものの、割合名前は知られてい

るようで、行き先を聞くのに不都合な事はなかった。 

 その評価、地位は別として、この都で双家と関わりのあるものを探すのは、難しくない。

 明慎の名が良く知られている事で、安堵を覚えたが。その姿を実際に目にして見ると、心配が甦(よみ

がえ)ってくるのを感じた。

 明慎、彼は尊貴とは無縁である。あまりにも小さい。

 勿論、背丈が小さいという意味ではない。彼は諸事細かい事にうるさく、どっしりとした重みが無いの

だ。懐が小さく、存在として小さな印象を受ける。けち臭い、そう言っても良いかも知れない。

 調べてみると、代々明家の者は、同じようにこうぱっとしない印象が強い。

 家柄を買われ、代々小姓や側近として働き、中にはそこそこの才を示した者もいたが。大抵の者は歴史

の名も無き一個人として終わり、どこを探しても、先祖の威光など欠片も無い。

 その家柄の古さ以外に、特筆すべき事柄が無いのだ。

 この明慎自身も、多くの先祖に似て、大きな事が出来る性分ではなく。せいぜい小間使い程度の事しか、

満足に出来ないようだ。何を任せても褒めれる程に成し遂げた事は無く。兄や父が病で亡くなっていなけ

れば、双家に出入り出来たかさえ疑問である。

 見た目もみすぼらしく。顔立ちは悪くないが、いつも汚れた衣服を着、たまに双正の前に出る時しか、

髭を剃る事もない。無精で鈍重、どうしようもない。

 しかしそんな彼にも良い所があった。もしかすれば、それだけで万金の価値があるかもしれないという、

たった一つの長所。それは、口が堅いという事である。

 彼はその口煩さを除けば、自分から話すという事が少ない。たまに話しても、天気がどうだの、どこそ

この女が良いだの、その程度の事ばかり。それがその見た目とぴったりと嵌るだけに、誰もそれに違和感

を覚えない。

 誰もこの男が、重要な密書を携(たずさ)えていたり、情勢を一変するような情報を持っているなどと、

決して思わないだろう。双家と縁があるだけの、ただそれだけで生きていられる男。そういう印象である。

 だが彼だけは、いや彼と双正だけは、言葉の持つ魔力、恐怖を知っている。

 だからこそ口堅さに価値が生まれる。誰も見破れない。いや、おそらくその本性も怠惰で卑小であるが

故に、主人にだけ示す、その口堅さ、義理堅さへ、万金の価値が生まれるのであろう。

 明慎の父、祖父と、先祖代々同じような人物であった。もしかすれば、だからこそこの明家は代々重用

されてきたのかもしれず。その為にこそ、先祖代々そのように育てられたのかもしれない。

 そう思えば、なかなかに気骨ある家柄である。

 双家とこの明家には、教育の徹底という点で、似ている部分がある。それがまた、両家の仲を取り持っ

ているのだろう。今ではお互いに不可分な存在になっている。

 楓流もこの男と話すにつれ、ようやく雲海がこの男を紹介した訳を、何故雲海がこの男を信頼している

のかを悟る事が出来た。

 確かに金に汚い。金を見せれば目の輝きが変わり、物欲しそうな目でこちらを睨む。あまり洗濯をしな

いのか、それとも身体を洗わないのか、耐えられない程では無いが、いつもこの男の側は臭う。

 それでもこの男には確固とした何かがあった。

 譲れないモノを持っているという、不思議な強固さ、強さを感じる。

 この男に会った当初、その姿を見た時は驚き、あまりにも品が無いのにも驚いたが。その胡散臭さも、

例えるなら仙人のような知恵ある胡散臭さと、認識する事が出来た。

 どこにでもいるが、どこにもいない。小さいが故に目立たない。確かに役立つであろう。

 問題があるとすれば、果たしてこの男が楓流の為に動いてくれるかどうか。つまりは楓流という存在が、

双家にとって利益ある存在だと云う事を、この男に認められるかどうかだったが。明慎はそんな事は自分

が決める事ではないという風に、雲海の書を受け取り次第、何も言わず歩き始めた。

 楓流は慌ててその後を追う。

 付いて行くと、その後も一言も発しない。良いのか悪いのか、黙ったまま怠惰に手足を動かし、おかし

な姿で歩き続ける。

 それを見、哂う者がいる。馬鹿にしたように目で見下す者がいる。しかし明慎は何処吹く風。何も気に

せず、まるでこの世に自分独りでいるかのようにして、何も見ず、何に感心も抱かずに。まるで歩くだけ

が仕事だとでも言うようにして、止まる事なく進み続けた。

 楓流も初め居心地の悪さを覚えたが。そんな感情はすぐに消えた。

 この男もまた、隠者なのだ。人の中にいようとも隠者である。この明慎という男は、他から外れて暮し

ている。そう、正しく彼はこの中でただ独り。この群集の中でも、まるで彼は荒野を進むかのようにして、

何事にも関わらない。

 彼はあくまでも独りであり、独りでいるが故に彼であった。

 その内人々も彼を忘れていき、いつの間にか一個の景色となる。石や風、樹木や河川、路傍の石であり

ながら、確かに人間である。

 楓流もまた次第に一個の景色に溶け、その一部となって、流れる。絵が動く。しかし絵は絵。絵は誰に

も気付かれずに動き続けているが、それを知る者はいない。絵は絵であり、一個の景色である。

 ならばそれもまた、一個の自然と一体になるという事ではなかろうか。

 明慎はふと立ち止まった。そして見上げ、深く礼の姿勢をとる。

 それを見やれば、その場所が明慎の唯一つの聖地、双家である事が察せられる。ある意味、ここが彼の

泰山である。となれば、双正が里長であろうか。いや、霊峰そのものかもしれぬ。

 楓流も雰囲気に呑まれ、思わず頭を下げる所であった。




BACKEXITNEXT