4-4.恂々(じゅんじゅん)如たり、侃々(かんかん)如たり


 楓流はいたく慎重にして、恭(うやうや)しい言動をとるよう、注意した。

 彼には持って生まれ、育ちによって磨かれた品の良さと、仙気とでも呼ぶべき気配がある。戦乱に揉ま

れ、人の業に触れた為に、多少顔が強張り、その目には暗い影も宿るようになったが。彼自身の持つ光は、

そんなものでは消えはしなかった。

 養父から受け継いだ魂は、決して消えるような事はなかったのである。

 明慎は一人前を行く。雰囲気の変わった楓流に対し、多少違和感を覚えたようだったが、彼もまた隠者、

そんな事に一々驚く事はなく、自らのままに歩む。

 楓流は途中誰かと出会う度に、軽く会釈をしたが、明慎の方は全く彼らを無視した。それは周知の事ら

しく、特に反応を現す者はいなかったが。それはそれとして、楓流の礼には、皆それなりに応えてくれて

いる。

 礼には礼をもってせよ、という古い教えは、確かにこの館内に行き届いているようである。

 当初、楓流も一勢力を束ねる者として、あまり腰を低くするのはどうかと考えていたのだが。この館内

に入ると、そう言うことには拘らない方が良いと、悟ったようだ。

 明らかに格式が違う。楓流のは山野のそれであり、ここにあるのは人に通ずるのみのそれであった。

 人のみに通ずると言っても、ここまで高められれば、威圧感のようなものを覚える。己の無い者がここ

に来れば、おそらく瞬時にして呑まれ、みっともない姿を晒す事になろう。

 しかし楓流はそこまで堕とされはしない。確固とした己を保つ事が出来れば、何処にいようと恥じる事

はない。そしてその恥じないという事が、非常に大事である。

 無論、それは恥知らずという事ではない。手前勝手に恥じる事をしない、という意味である。

 笑いたい者は笑わせておけばいい。山野には山野の礼式があり、人には人の礼式があるが。どちらにせ

よ何ら恥じる必要は無く、無用に恥じた時にこそ、人は己を無くす。

 その己を失くす事が、恥なのだ。

 無用な雑音は捨て、落ち着き払い、田舎者は田舎者なりにしていれば良い。何も出来もせぬ事を、その

場の者達も求めている訳ではないだろう。

 今は雲海の忠告を信じ、礼儀知らずとだけは思われぬよう、己を保ちつつ最低限の礼だけは失せぬよう

にする。それだけを考えていた

 真に面倒なものだが、作り事こそが人の世の正体。ならば人として乗り越えよう。

 楓流もさる者。頭は下げるが、相手よりも低く下げるような事はしなかった。腰は低いが頭は高く、と

いう訳だ。小さな抵抗であったが、それくらいの毅然さを見せておいた方が、かえって好ましい。礼儀正

しさは、卑しさとは無縁である。

 明慎は惑う事無く進み、やがて一つの大きな扉の前へ立つと、改めて恭しく腰を曲げ、深い礼の姿勢を

取った。心から主人に服しているらしい。

「遠来の客人をお連れ致しました」

 超然としていた姿を捨て、一個の下男に戻り、主人の言葉を待つ。その声がかかるまでは、決して楓流

を前に行かせようとはしない。まるで門番であるかのように、岩のようにしてそこに在った。

 もしかすれば、門番であり、衛兵であり、唯一人この扉を開ける事を許されている者、それが明慎なの

かもしれぬ。

 思い返すと、ある区画に入った瞬間から、まったく人の姿を見なかった事にも気付く。

 明慎だけが主に近づく栄誉を与えられている訳ではなかろうが。貴人に相応しく、この館の主も相当に

用心深いようである。気を引き締めなければならない。

「お入りなさい」

 ややあって、奥から声が返った。早くはないが、焦れる程遅くはない。そこにゆったりとした余裕を感

じ、その声からも自信、支配力の大きさが計り知れる。

 ある程度親しい者から見ても、主はあくまでも天上人なのだろう。始祖の名を唯一今に受け継ぐ、現人

神(あらひとがみ)なのだ。

 明慎がゆっくりと扉を開け、横に退くと、深く礼の姿勢をとる。

 彼の領域はここまで。あくまでも門を開けるまでが彼の仕事であり、そこから先は許可無く入る事を許

されない、神聖な御所。

「主がお待ちしております。どうぞお入り下さい」

 隠者も信仰する神の前では、赤子のようなものなのか。

 楓流は一つ頷き、ゆるりとその場所へと足を踏み入れた。



 空気が変わったのを感じている。

 明慎はもう一顧だにしない。じっと礼の姿勢を続け、彫像のように畏(かしこ)まっている。

 楓流は遠慮心を捨て、中央へと進んだ。

 室内には豪華な調度品が並べられていたが、派手な物はなく。どれも歴史と落ち着きを誇り、ゆったり

とした輝きを放っている。

 物の数も多くはないが、一目見ていずれも相当な値打ち物である事が解る。

 無意味に飾り立てる必要は無いのだろう。なにしろ一番価値のある者が、いつもそこに座っているのだ

から。

 現当主、双正は典雅(てんが)な人と伝えられている。相貌は美しく、物腰は優雅で、その上気持ちも

優しく、皇帝というよりは女帝のような、そういう人であったそうだ。

 それは楓流の残した書にも記されており、思わず目を奪われた、とある。

 しかしその気魂は見た目に反して、とても強く。怖ろしいくらいの熱を持ち合わせていた。好奇心も強

く、人に対する情が強い。その上で、冷静な面があり、貴人らしい冷酷さを持っている。

 たおやかだが、その細い節々には想像も出来ぬ力が秘められているのであろう。

 楓流もそういう、ある種のいかがわしさにも似た気持を、一目見た時に抱いたようだ。この男はよほど

の難物であり、例え味方に出来ぬにしても、よほどの理由が無い限りは、決して敵に回してはいけない存

在だろうと。

 保護欲を強くそそる美貌と儚さ。しかし実際の彼はそういうモノではない。強くばねのある強靭さで、

何者をも撥ね退け、圧倒する力がある。いや肉体的なそれではない。精神的なそれである。

 双正は一般に使われるのとは別の意味で、強い。

 だが楓流は双正の品格に動じた訳ではない。むしろ楓流の方が双正を圧した格好である。

 不思議な事だが、絶対的優勢にあるはずの双正の方が、圧迫感と敬意をより多く抱いた。何故ならば、

この楓流こそ、双正の理想の人間、待ち望み、焦がれていた存在だったからである。

 楓流の持つ品位と仙気は、自然から発しているものと同じであり。双正のように人の中で創られたもの

とは、似して非なるモノである。

 一般に見れば、双正の方を皆良しとするだろう。しかし双正からすれば、昔夢に描いた理想形である仙

人そのものであるかのような楓流を見、その全てを一瞬にして是とし、この上無く惹かれたのだ。

 明慎を重用するのには、そういう理由もあるのかもしれない。彼にも仙人然とした所がある。

 双正は後に趙深(チョウシン)にも非常な好意を持つが、彼らを並べていくと、どういう人間を好んで

いたのか、おぼろげながら解る。人であって人でないもの、より解脱出来ているものを、自らが人であり

過ぎるが為に、憧れに似た気持ちを持って、好んだのであろう。

 双正は珍しく自ら立ち上がり、自らの手で楓流の手をとって、そのまま側へ招き寄せた。それは明慎が

思わずはっと顔を上げたほどに、稀に見る出来事であった。

 貴人が自ら手を取ると云う事は、少なくとも自らと同格か、それ以上であると認めた事になるからだ。



 双正は集袁一帯の情勢や楓流の持つ技術などには一切触れず、とにかく彼個人の事を知りたがった。

 となれば楓流としても話さない訳にはいかない。あまり自分の事を人にくどくどと話すのが嫌いな男な

のだが、それも今は我慢し、話せるだけの事を双正へ伝えた。

 楓壁(フウヘキ)に山中にて育てられた事。それから山を下りて世に出るまでの事。特に双正は山中の

事や、養父である楓壁の事を知りたがり、その話をねだった。

 こうして見ると彼は年齢よりもずっと幼く思え、どうしても世間が言っているような、計算高い狡知(こ

うち)な男だとは思えない。まるで深窓の佳人のような、世間知らずだが、それ故に可愛らしい人間であ

るように見える。

 明慎が不思議そうに時折目をやっていた事を考えれば、おそらく普段とは異なった姿なのだろう。よほ

ど楓流に対して好意を持ったのか、それとも何か考えあっての事だったのか。

 ともかく楓流は話せるだけを話して、それからようやくここへ来た目的を伝え、尽力を乞うた。

 深い礼の姿勢を取り、今だけは頭の高さも捨て、心の底からこの青年に頼む。それは多少恥と思えない

事もなかったが、双家と集袁の差は恥程度で済まぬ程大きい。楓流の勇名が多少知れるようになったとは

いえ、双正から見れば、いや明慎からでさえ、田舎の一豪族程度にしか思えまい。ひょっとしたら、名も

知らなかったのではないか。

 雲海の紹介があったからこそ、すんなりここまで漕ぎ付けられたが。それが無ければ、門前払いを食ら

っていた可能性の方が遥かに高い。

 つまりはそれだけ雲海に影響力があるという事でもあり、今更ながら不思議に思えた。

 雲海とは一体何者か。何処にどれだけの力を持っているのだろう。隠者となって尚、ここまでの影響力

を持つのは何故か。

「よろしければ、馳走致したく思います」

 双正の言葉によって、思考が中断させられた。そうだ、今は雲海よりも双正、余計な事は後でいい。こ

こが瀬戸際なのだ。

「ありがたく、頂戴致したく」

 慌てて頭を下げ、伴食に応じる。

 食事に毒を盛られる。食事の席で暗殺される。そういう手も古来良くあったが、双正がそんな事をする

とは思えなかった。楓流にそこまでする価値があるとは思えない。

 だから食べる事に心配は無いが。あまり好意をもたれ過ぎるのも、かえって不安になってくる。

 双正の真意がどこにあるにせよ、用心しておいた方が良さそうだ。



 双家の食事はその権威に相応しく、豪勢なものだった。

 あらゆる旬の物が並び、中には季節外れのはずの果物が、瑞々しいまま置いてあったりもする。おそら

く大陸中から運んでくるのだろうが、今の時勢にこんな無駄な資金を使えるとは、流石は大穀倉地帯の主

と言えよう。

 無論、この付近を支配するのは、双家一個だけではないが。穀倉地帯の一部だけでも、これだけの資金

と食料を得る事が出来るのだから、確かにこの地だけは別世界であった。

 楓流も初めて見るものが多く、とにかく知っている物にだけ手を出した。食べる量も多くない。こうい

う席では平らげても問題は無いのだが、双正がああである以上、慎ましやかな方が好まれると思ったので

ある。

 世間知らずな面も未だ多いが、楓流も三十を越える年月を経た事で、その程度の処世術は得ていた。雲

海からも必要な知識を教わり、練習を積んでいる。田舎者は田舎者のままでも、それなりの礼儀は見せら

れているはずだ。

 このように楓流は常に緊張していたが、双正は終始機嫌良さそうにしていた。

 良く笑い、良く話し、如何にも好意的。しかし一向にその真意が読み取れないのは同じである。この男

は何を考えているのかが、よく解らない。人が神を見るように、その心がほとんど読み取れない。

 この双正という男は、まるで美術品のように、天女ででもあるかのように、居るだけで場を華やかにす

るのだが。人でないだけに、その心がほとんど読めない。

 何を考えているのか、良いのか悪いのか、この好意も果たしてどこまでが本当であろう。

 奇妙な不安を覚えてくる。人間以上の人形と話してでもいるように、いつもどこかに違和感が在り、決

して気持ちが晴れる事がない。

 この男は、生来こうする為の教育を受けてきたのだろうか。まさに人工の仙人。理解出来ない存在であ

るように思えた。

 それがおそらく、世間の言う双正の怖さなのだろう。

 だが、それでも楓流は理解しなければならない。この好意を本物にして、色好い返事を聞かせてもらう

までは、決して帰る訳にはいかないのである。

 甚だ身勝手な想いではあっても、絶対にやり遂げる必要があった。もしここでしくじれば、頭に描いて

いる絵図面の全てが、根底から崩れてしまう。そして救いようの無い事に、その絵図面の代わりを、楓流

は持っていない。

 頬に流れる汗を感じた。ゆっくりとそれを拭うと、双正がその奥で微笑んでいる。

 果たして俗気に侵された自分が、人工とはいえ完全な仙人に対し、どこまで対抗できるのか。

 深呼吸をして気を晴らしたが、鬱々とした想いは、どうしても消える事はなかった。




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