4-6.無明塔


 義兄弟と言っても、別段畏(かしこ)まった儀式が必要という訳ではない。

 当人達が願い、共に受け容れれば、それで良いのであり。大抵は杯に並々と注いだ酒を、半分ずつ飲み干

したり。契りを約しながら、生涯兄弟として生きる事を天に誓い、共に一杯の酒を干す。それだけで充分な

のだ。

 それだけだからこそ、かえってこの関係に重みが加わるのかもしれない。

 時に仰々(ぎょうぎょう)しく介添え(かいぞえ)人などを付ける事もあるが。それは例えば国家間のよ

うに政治色が強く、実用よりも体面を気にしている場合に使われる事が多い。その為か、大陸史を通し、当

人同士の間だけで交わされた絆の方が、生涯貫かれる傾向が強いようだ。

 体面だけの、上辺だけの口約束に堕ちれば、その分絆も薄れるという事だろう。

 こういう絆は、証明を求める心こそ、その真意を疑われる材料となるのかも知れない。真の絆に、言葉も、

形も、何もかも不要である。であるからこそ、強く結び付く。ただそれだけで結び付ける心情が、何よりも

強い絆となるのだ。義兄弟は血よりも濃い絆という言葉は、そういう所からきているのだろう。

 楓流、双正が義兄弟の契りを交わす際は、無論介添え人などは付けず。確かに良く言われるように、明慎

が付き従っていたものの、彼は双正からすれば石ころにも等しい存在であり、諸説あるような政治的なモノ

は、この場合に限っては一切無かった。

 双正が楓流を生涯敬愛し続けたのは、紛れも無い真実の姿である。

 楓流亡き後、双正が行動を起こしたのは、あくまでも双家当主としてであり、自然の流れ。彼個人の私情、

或いは野望や策謀とは無縁の事であろう。

 いや、そこに幾許かの野望や想いはあったのかもしれない。それを今更詮議したとて、詮無き話だが、確

かに黒い部分のまったくない、真っ白な男であったとは、言えないかもしれぬ。

 しかし双正という男は、黒い部分も持ち合わせていたものの、充分に誠実と呼ばれるに相応しい人物であ

った。だからこそ、その言葉に重みが生まれ、信頼するに足る男だからこそ、彼の担当した外交問題は、須

く上手くいっているのである。

 双家の重みだけの男ではなかった事は、歴史が証明している。

 記憶も消えるような昔の出来事である以上、本人が本当はどう思っていたのか、どういう心だったのかは、

知る由も無いが。少なくとも、信頼に足る人物と認められていた事だけは、確かであろう。

 その心がどうあれ、双正はそういう人物であろうとし、少なくとも出来る限りの上でそれを実行した。

 弁護するつもりはないが、そこだけは言っておきたい。でなければ、双正という男の言動が、心情が、何

も伝わらなくなる。

 ともあれ、こうして双と楓の間に確固とした絆が結ばれた事により、楓流の勢力は大きな後ろ盾を得、政

情も安定へと向う事になる。

 最早ただの田舎の一勢力ではなく、未だ双家の後ろ盾のみに着目されているものの、彼の名は覚えるに足

ると、他勢力に認められた。

 そしてこの機会に、楓流は前々から考えていた、集袁の改名を執行する。覚えやすいように音はそのまま

に、袁の字を縁へと変えた。

 集縁(シュウエン)、この名に、彼のやらんとすべき事が、見えるようではないか。



 楓流は供として明慎を連れ、集縁へと急ぎ戻った。

 双正が何度も引き止め、それを断るのも非礼と解ってはいたが、それでも楓流は必要以上に集縁を離れる

事を嫌い。持てる言葉の全てを費やして、双正に暇(いとま)を乞うた。

 本拠地から長く離れたくない。これは彼の生涯を通しての癖というべきもので、一度全てを失い追われた

事が、どうしようもなく心に刻み付けられているのが、察せられる。

 この恐怖心は常に楓流の心を煽(あお)り、駆り立てていた。その為、必要外の不興をこうむった事もあ

るが。こうだからこそ、彼は大陸統一まで生き残れたのだとも言える。彼の心は、慢心(まんしん)とは無

縁であったのだ。

 双正も興味のある対象だけに、ある程度は以前から調べており。楓流の事を幾許かは理解しているつもり

になっていたから、引き止めはしたものの、さほど不興がる事はなかった。彼としては、念願の義兄弟の契

りを結べた事と、楓流が思った通り、いやそれ以上の人物であった事で、満足だったのだろう。

 はしゃいでいた、そう言ってもいいくらい、この期間の双正は機嫌が良かったようだ。

 わざわざ明慎を付けたのも、ひょっとすればその喜び故の思いやりであったのかもしれない。

 明慎ならば、例え彼個人がどう思っていようとも、主の命を遂行する為、惜しみなく働く。何しろ、それ

だけが彼の罪を贖(あがな)える手段である以上、そうせざるをえない。

 そういう計算を、さらりと出来る所が、双正の黒い、惨い部分であり、貴人らしいところであったと言える。

 明慎こそいい面の皮だったが、彼もまた悲観のみをしていた訳ではない。

 双正の下、様々な策謀を手足となって実行し、その経験と主絶対の思想から、彼も自分の現状での役割を

理解していた。少なくとも、彼自身は理解したと思っていた。

 即ち、明慎は間者として、楓流のお目付け役として、わざわざ島流しのような名目を着された上で、楓流

の許へ送られたのだと、そう考えたのである。

 後に解るように、それはまったくの彼の勘違いであったのだが。それで明慎を笑うのは、可哀想というも

のだろう。むしろそう考えたからこそ、屈辱といえる楓流の従者をやり遂げられたのであり。そう思う事を

承知で黙っていた双正こそ、巧みであると言うべきか。

 多分、こういう部分から、双正という人間像が歪められるのだろう。しかしそう性急に考えず、結論を出

すのは、もう少し双正という人間の、全体像を見てからにしてやって欲しい。

 彼に悪意は無く、そうするように教えられ、育てられてきた。

 そして明慎もまた、それを是とするよう、育てられている。

 彼らには生まれる以前からの、遥か以前からの、どうしようもない主従関係があるのである。

 集縁への帰路は問題も起こらず、今回も雲海が手はずを整えてくれていたようで、通常考えられない早さ

で彼らは集縁まで無事帰還した。

 雲海の手はずは、異常ともいえる程の見事さであったが、初めて目にしたのではないのか、明慎は何も言

わなかった。

 しかし楓流の方の疑問は増した。一体何をどうする事でこうも上手く出来、そして何故雲海はあのような

仙境に留まりながら尚、このような影響力を持てるのだろうか。

 楓流は生涯考える人であった。疑問は解決するまでいつまでも疑問とし、それに囚われる事は無かったが、

無造作に忘れる事もなかった。

 それにこの疑問を解決する事で、ひょっとしたら雲海を臣下に、いや仲間として迎え入れられるのではな

いかと、そういう希望も抱いていたのである。

 何度も断られているが、雲海を諦めた事はない。

 楓流の雲海への興味は、尽きる所か日に日に募るばかり。双正が楓流を焦がれたように、楓流もまた、雲

海を焦がれたのである。

 それは恋慕にも似た、想いだったのかもしれない。

 楓流は同格とするに足る誰かが、相談相手となる友が、どうしても欲しかったのだ。

 しかし今は今の事である。余力は僅かも無い。楓流は明慎を皆へ簡単に紹介すると、常に側に置く事を明

言した後、休む暇も無く次の問題へと取り組んだ。

 次は北の雄の名を借り、平原の獅子と盟約を結ぶ。これを終えてのみ、集縁は次へ進む事が出来る。

 双の影響力と、孫の勇名、この二つが揃って初めて、楓流は中原に覇す準備が整うのである。

 それは他力本願という情けない事でもあったが、力弱きうちは、贅沢を言っていられない。

 悔しければ、時間をかけても、力を付ければ良いのだ。最後に一番上に立てていればいいのだから。



 楓流が懸命に奮闘している間も、孫文は東方にて、着々とその勢力を伸ばしていた。

 この点楓流などとは自力が違う。彼は彼だけで一方面に覇を築く実力があり、その能力は当時の王の中で

も抜きん出ている。

 兵数も万を超えると云われ、すでに大勢力と呼ぶに足る力を誇っていた。

 その孫が北方の雄、双家と手を結んだ事で、最早死角はない。他がそれぞれに争っている間に、うまうま

と彼は東方を平らげ、地盤を固めてしまうだろう。今最も大陸統一に近い存在は、楓流でも双正でもなく、

おそらくは孫文である。

 孫文は竜への信仰心が篤く、特に自らを守護すると自認している東海青竜王に対しての信仰心は、他の者

が見れば異常と思える程だ。

 自らが祭礼を執り行い、服装も常に祭主のそれで、知らぬ者が見れば隠者と見間違う。

 祭主としての名は空海(クウカイ)。人ならざる自分が天と海を統べ、人である自分が地を統べる、とい

う願い、というよりも自信が、籠められている。わざわざ切り離した神性を望んで帯びたのも、その自信が

あるからなのだろう。

 青竜王の生まれ変わり、とまで思っていたか。或いはそうならんと欲していたのかもしれない。

 思想も徹底しており、とにかく彼は弛みや怠惰を嫌う。懸命に励み、努力する事のみを自分にも他人にも

望む。しかしそれでいて煩がられないのは、彼の人的魅力と、誰よりも彼が努力する人だからに他ならない。

 誰も文句の言えないほど、彼は自分を鍛え、あらゆる制約を課し、それを全て受け容れ、そして全うする

事で、己が力と変えている。

 篤すぎる信仰心が揺るがぬ自信に変わり、誰よりも戦の事、そして国造りの事を考えるが故に、その前に

敗北の文字は無い。

 彼は常に戦の事のみを考え、武を愛し、そのほかの事は些事としている。全てを戦に捧げる事で、軍神と

も呼べる強さを、彼は手に入れられたのか。

 しかし孫文の軍が強いのは、何も彼一個の武勇と戦術の巧みさにあるのではない。それを支えているのが、

他の追随(ついずい)を許さない兵の練度の高さ、兵からの絶大なる信頼。強さの秘密はそこにこそある。

 士気高く、まるで軍そのものが孫文であるかのような組織力、楓流の精鋭軍も凌駕するだろうその力に、

一体誰が対抗できるだろう。

 今では表立って孫文に逆らおうとする者は少ない。名の知れている勢力は粗方(あらかた)彼に平らげら

れ、最後まで抵抗しようとする者はもう数える程。後数年と待たず、孫文が東方平定するだろうとの、専ら

の噂である。

 青竜王の名を掲げた御旗を差し、青く染め上げた鎧に身を包む孫文軍と互角の戦いが出来る者は、大陸全

土にも数える程しかいまい。

 勿論、楓流など足下にも及ばない。

 その孫文と、例え双家の後ろ盾があるとして、対等同盟など結べるものだろうか。

 双家の名を出せば、話だけは聞いてくれ、不戦同盟は結んでくれるかもしれない。しかしそれも今となっ

ては物足りぬ。

 以前は不戦同盟で充分と考えていたが、お互いに双と同盟しているという点で、どうしても欲が出る。そ

れに西方の情勢もいよいよ不穏になっており(西方の大同盟が現実的になってきている)、望みも多くなら

ざるをえない。

 しかし孫家と対等同盟など、まったくもって現実味の無い話だ。

 兵数で言っても、楓流は孫文の半分も無い。総兵力でいえば、四分の一を下回る。袁夏(エンカ)、豪炎

(ゴウエン)と争っていた時とは違い、楓流にもそれなりの軍事力があるが。それでもいくらかき集めても、

数千がやっと。その中から使い物になる兵といえば、更に少なくなる。

 彼も当時、最高峰と呼ぶに足る軍を持っていたが、それは彼の手勢だけの話で、全体的に見れば、物足り

ない力でしかない。設備を整え、防衛力には長けるが。拠点を出、攻勢に回り、果たしてどれだけの戦果が

期待出来るか。そもそもまともに大兵力を持って戦えるのか。

 楓流に大兵力を使って戦した経験はなく。その兵にも不安が消えない。

 とてもの事、野戦では無敗と称される孫文に、肩を並べられるとは思えない。

 集縁に帰属する町村も、半分は生き残る為、他に道が無いから従っているに過ぎないのだ。そこから提供

される兵団に、果たしてどれほどの力があるか。無論訓練はさせているが、自分の田畑を守るので精一杯の

状況では、いざという時に精鋭を寄越してくれるとは思えない。

 楓流の最も辛い所は、安定した軍事力を使えない所にあった。楓流の手勢が潰えれば終わりでは、山賊強

盗相手ならまだしも、国と国との戦には通用しない。

 当時の王達は、常に自兵力でもって、その存在を誇示しなければならなかった。だからこそ名声、勇名を

望み、必死になって兵を集め、鍛え上げたのである。

 この勢力に付けば安全だと思うからこそ、人は付いてくる。勝てると思うからこそ、兵は従う。

 結局は軍事力が要であり、それがあって初めて成り立つ権力なのだから、それに不安があるという事が、

どれだけ不安な事か、どれほど深刻な事かは解るだろう。

 地方の小統一者とでも呼ぶべき勢力が大方決まり、安定期に向っている今。次に狙われるのは、おそらく

この集縁のような、中途半端な勢力である。悪い事に、場所も中央付近と四方から狙いやすい。

 不安を解消すべく、急いで鉄器を量産しているが。それも後のような特筆すべき力には、まだ至っていな

い。皆頑張ってくれているが、とにかくまだまだ時間と経験が必要なのだ。

 しかし大陸はそれを待ってくれない。

 楓流は今、非常に不安定な基盤の上に立っている。

 だからこそ孫文が欲しい。孫文の力が、大陸に覇せる程の軍事力が。

 孫文に会い、双正の時と同じように、もし彼を魅せる事が出来たなら、それも夢ではないはずだ。

 しかし人間として、楓流は果たして孫文に並ぶ事が出来るのか。高雅さ、自信、信念、どれをとっても、

楓流は孫文に劣っている。

 力ある存在を竜と呼んだのであれば、正に孫文こそがそれに相応しい。

 果たして双家という借り物の名だけで、どれだけの事が出来るのだろう。




BACKEXITNEXT