4-7.武神の理


 結果として孫文との交渉は、楓流の思惑通りにはいかなかった。

 不戦同盟だけは結べたものの、いかにも双家の名を配慮しての意味合いが強く、どれほど親身になって

くれるかは解らない。はっきり言えば、お前などは眼中に無い、と言われたも同じであり、孫文は対等の

席に就く事すらしなかった。

 楓流は同格と見られておらず、青竜王を表す青き御旗の前に座す孫文を仰ぎ見せられ、伝令か使い走り

の使者のように立ったまま応答するしかなく。その場に居た孫家の家臣達も、おそらく腹の底で笑ってい

ただろう。

 一人でのこのこ出てきた、場違いの田舎者でも見るかのように、孫文は楓流に対して一粒の好意も無い

事を、はっきりと示した。

 お前には、利用する価値も、利用し合う価値も無いのだと。

 孫文も朴(ぼく)人ではない。武人としての名だけが飛び抜けているが、流石は乱世に覇を競うだけの

漢(おとこ)、政治家としても食えない男であった。

 彼はあくまでも、その人物を一個の人間として見る。思考は現実的であり、情や思想などは問題としな

い。使えるか、使えないか、助力する価値があるか、無いか、それだけである。

 大陸に覇を称える以上、誰にせよ、いずれ滅ぼすか配下とする事になる。

 孫文にとって、中央の情勢などどうでも良い事だった。そんな事は知った事ではない。楓流という(孫

文から見て)弱小勢力など、考慮する必要も無い。初めから要らないのだ。滅ぶなら、好きに滅べばいい

ではないか。

 生き残ったとて、どうせ我らが滅ぼすのだから、早い遅いだけの事。無意味、無価値な存在だ。

 双の看板なども正直どうでもよく、それに群がる虫などは、論ずるにも足らない。

 双もまた、いずれ滅ぼすべき相手なのだから。

 今回も雲海に教えられた最短路を通ってきた為、楓流の行動の迅速さには感心したようだが。まあ、そ

れまでの事だった。個人として仕官を申し出て来たのならまだしも、一勢力としてはまったく魅力が無い。

孫文からすれば、片腹痛く。言葉の前に、まずは自分を惹くだけの力を示してみろと、そう言いたかった

のだろう。

 楓流も自分の無力が解っているだけに、どう弁解しようとも虚しい言葉になり、これ以上墓穴を深くす

る前にと、それを悟るに及び、早々に退散している。

 ようするに楓流は、門前払いをくらった格好である。

 彼は己の浅はかさを恥じた。

 今までに何度も思い知った筈。だのに何故、何の確証も無い、妄想にも似た希望に、今も自分はすがっ

て生きようとするのか。

 双家との交渉が、あまりにも上手く行った事で、どうやら自分は浮かれていたらしい。それを孫文は一

目で見抜き、馬鹿がまた一人来たと、笑っていたのだろう。

 確かにそうだ。自分が孫文でも同じ事を考える。他家の力を笠に着て、分不相応にも格下が、対等同盟

を当たり前に結ぼうなどと考えれば、自分に対する酷い侮辱(ぶじょく)だと思うだろう。

 この話をしに行った際、道理で雲海が妙な顔をしていたはずだ。彼もまた笑っていたとは言わないが、

楓流を愚かだとは考えていただろう。

 それでも忠告しなかったのは、言っても無駄だと悟ったからに違いない。

 所詮人間は、自分が実際にしくじってみなければ、何も解らないのだ。

 だが、それはもういい。思惑通りにはいかなかったが、とにかく孫文とは不戦同盟を結べたのだ。例え

形だけであったとしても、これは大きな事だと思える。

 楓流のように、弱小勢力からやっと抜け出たような位置からすれば、孫文は余りにも強大な存在。敢え

て今急いて攻められる事は無い。眼中に無いのであるから、危機感を与えてしまい、東方から急に攻めら

れる、という状況が無い事が、これではっきりした。

 屈辱的で腹立たしい事だが、それならそれで使いようが無い訳ではない。恩恵が無い訳ではない。

 馬鹿にされていた方が、隙も生まれやすいというもの。

 ともかく東方の憂いは除けた。南方には泰山一帯があり、侵攻の不安は無い。北方には双家が在り、常

に睨みを効かせてくれている。後は西方へ専念すればいい。

 孫文の軍事力を借りられないのは、正直言って深刻な事態だったが。あまり借りを作れば、乗っ取られ

る恐れもある。それを防ぐ為と思えば、悪い事ばかりでもない。

 誰かに護ってもらわなければ生きられぬような者に、一体誰が従うというのだろう。

 しかしこれが逆に、独りで西方からの侵攻を防ぎ、地盤を固める事が出来たなら。今度は中央に覇す勢

力として、孫文とも対等に交渉できるようになるだろうし、他の勢力や市町村も競って付いてくるように

なる筈だ。

 だが、その為にはどうすればいい。限られた力で、どう自立していける。

 出来る事は全てやっていた。鉄器製造、新技術の習得と開発、防衛設備の建設、暇さえあれば軍事訓練。

だがそれでも、それだけやっていても、まだまだ足りない。

 もっと大きな地盤が要る。自力を増さねば、立ち続けてはいられない。

 それには外の脅威よりも、もっと身近に視線を移さなければ。

 まずは中央を完全に掌握すべきである。無理なら半分でもいい。せめてそれだけの力があれば、何とか

対抗できる。どの勢力が来ても、防衛に専念すれば、破れる事は少ない。

 大きな力に目を向ける前に、もっと身近な、自分の側の事象に目を向けよう。少しずつでも確実に力を

増やす。夢や希望に頼るだけでは、何にもならない。自ら行なわねば、何も変わらないのだ。

 天は揺るぎない信念を持ち、尚且つそれを成し遂げた者のみに微笑みたもう。

 自らに天意に適う力があると、そうなるに足る資格があると示さねば、望みなど叶いはしない。己の力

を示すのである。

「兵力を失うのは辛いが、こうなれば仕方あるまい」

 楓流はこれより今までの守勢を一変し、付近の小勢力群に対し、積極的に侵攻し始める。

 勿論阿呆のように、正面からぶつかるのではない。巧みに術策を用い、敵とした勢力を弱体化させ、不

満を持つ者や民を扇動し、ありとあらゆる手段を使う。それは今までと同様、慎重な姿勢だったが。今ま

でとは違い軍を出し惜しみする事をしなくなった。

 必要なら軍事力を積極的に使い。被害を黙認し、急ぎ平定に努めたのである。

 当然のように戦死者の数が増え、最悪の時で今までの数倍にまで高まり、恨みを買う事も増えてしまっ

たが。楓流はもう、修羅道を進む事に、一切の呵責(かしゃく)をする事は無かったのである。

 奇麗事を捨てたというのではなく。あくまでも理想は理想とするが、それに拘る部分を、自ら勢いよく

削ったとでも言うべきか。

 力足りぬが故に、出来ない夢想を、遠慮なく削った。

 強引過ぎると思い、自分でも常に惑っているが、それでも言い訳はしなかった。

 例え何がどうなろうと、もう一度全てを失い、奪う事しか知らぬ者共に、愛すべき土地と人を好きなよ

うに蹂躙(じゅうりん)されるならば、無慈悲に全てを奪われるよりは、まだ戦にその命を投じた方がま

しであると、そう言い聞かせて。

 この時ばかりは雲海に頼る事もしなかった。全ては楓流一個が考え、決めた事だったのである。全ての

責を負う為にも、そうする事が是非必要であった。

 穏やかなる時などは最早無い。楓流もまた、火のように攻め立てるしか、ないではないか。

 逃げる事も出来ない。滅ぶか、滅ぼされるか、二つに一つ。都合の良い道などは、すでに灰にされてい

る。人は確かに、それらを知るのだ。どうしようもなく。



 楓流は果断無く攻め、武力を持って次々と領土を得たが。中には力だけでなく、外交で丸呑みするよう

に取り込んでしまう事もあった。

 それに適う条件を持つ勢力は少なかったが。その時は双と孫の名が役立ってくれた。同盟も確かに無駄

ではなかったらしい。

 本来なら外交工作だけで領土拡張していくのが理想なのだが。どの勢力も獣のような顔をした、欲深な

者、或いは猜疑(さいぎ)深い者が多く。例え文書にて、しっかりと約定を取り付けても、どうしてもそ

れを信頼出来ないのである。

 獅子身中の虫を取り込んでいては、身が持たない。

 何度も繰り返して言うが、楓流の勢威は微々たるものである。

 双家の後ろ盾を得、孫文との不戦同盟を結んだ事で、楓流の名の重みは増したが。実質彼が持つ力は、

一地方領主程度に過ぎない。

 東西南北中央と大陸を大まかに五分すると、楓流は中央方面に位置する。その彼の領土を中央方面の全

領土と照らし合わせると、おそらく全体の四分の一、いや完全に掌握できていない町村を除外すると、五

分の一あれば良い方と思える。

 確かに当時にそれだけの領土があれば、充分に一国と称せる。前政権が力を完全に失い、それぞれの街

ごとに独立しているような状態であったから、充分と言えば充分であろう。

 しかし双家に名の重み、実り豊かな穀倉地帯とそれからくる金銭があり、孫文がすでに東方の半分を占

める程の領土を持ち、今も次々と他家を併呑している事と比べれば、やはり微々たる力である。

 孫家一党に笑われるのも、仕方のない事だった。

 まるで格が違う。楓流にはまだそれらに対抗出来る力が無い。いや、中央に限定してさえ、その力に不

安が残る。

 地理的に見ると、集縁は中央やや北東寄りに位置している。それも北と東に親交を結ぼうとした理由の

一つであろうし。それは大成功とは言えないが、まずますの成果を出した。双と孫、二者との関係を平均

すれば、成功の範囲には入る。

 おかげで恐れて屈する勢力が増え、集縁に攻め込もうと考える者も確実に減った。

 ただし状況次第では、それも無意味になる。

 双は北方で、孫は東方でと、自らの地盤を固める仕事に忙しい。状況によっては、まったくその威光を

当てに出来ず、逆に敵意や反意を煽(あお)る結果になるかもしれない。

 それに双家はまだ双正がいるから良いとして、孫家の方は怪しいものである。

 結局、孫家も今だけなのだ。東方で争っている今だから、北方からの余計な干渉を嫌う、中央からの干

渉を邪魔に思う。だから双方に同盟者を置いた。だが東方を征すれば、最早双も、楓も必要ない。その力

は西方の大同盟が結ばれて尚、押し返す事の出来ぬ力となろう。

 不戦同盟、いや当時の同盟などはそのようなものであった。いずれは攻める、しかしどちらも今はまだ

それをしない、出来ない。だからお互いに手を結ぼう、いずれ邪魔者無く戦う為に。

 汚いといえば、汚いが。どっちもどっちなのだから、それを責めるのはお門違いというものだろう。

 そもそも他人の力なのだから、他人の事情を優先して当然、それに頼る方が間違いである。

 同盟に安堵するのではなく。次の一手の為の、最終的に勝つ為の猶予期間だと思い、やれるだけの事を

やらなければならない。

 中央は現在、楓、祇(ギ)、隻(セキ)の三勢力でその大部分を占めながら、未だどこに付くか決めか

ねている数多の市町村を内包し、大きく揺れながら混迷の一途を辿っている。

 西方の諸勢力や東方の孫文から狙われているのには、そういう理由もあった。おそらくこの方面が、一

番統一から遠い位置にある。不安定であり、ようするに弱い。

 北東地方は大きな市が少ないという事もあり、ほぼ楓流が掌握しているが。北方や東方の勢力と通じて

いる者、今だ覇する事を諦めぬ者もいて、油断ならない。

 中央やや南方地方には、祇が居座っている。長年楓流と睨み合ってきたが、双孫同盟を耳にし、いよい

よ決着の時が来たと、恐れつつも反抗の姿勢を崩さないようだ。

 祇の背後、西方地方は隻が掌握している。祇とは長く同盟関係にあるが、仲が良いとは言えない。場合

によっては楓と結び、祇を挟撃する可能性もあり。秘密裏に西方の諸勢力とも精力的に誼を結んでいるよ

うで、まったく油断がならない。

 そしてその他には、小さいながら充分に戦う力を持つ小勢力群が、各地に居る。

 彼らの多くは独り覇す事を諦め、すでにいずれかの勢力に属しているが、未だ悩んでいる。彼らも従属

するなら、最後まで生き残る勢力に付きたい。故に常に勢威を窺(うかが)い、いつ何処にでも奔(はし)

れるよう、準備している。

 弱者に甘んじようとする者ほど、怖い存在はいない。自らの命、自らの土地を守る為、彼らはどのよう

な手でも躊躇(ちゅうちょ)なく行なう。何故ならば、彼らには自分が弱者だから何をしても仕方ないと

いう、無様な言い訳を、恥とも思わず使えるからである。

 常に彼らに目を配り、注意していなければ、あっさりと寝首をかかれてしまう事になりかねない。

 楓流は領土拡張を続け、目を向ける範囲が広がった事で、自分は領土安定に努める事とし。虎の子の手

勢を凱聯に。周辺の地域や恭順している町村からの兵を集めた軍(以後集兵と呼ぶ)を、最も信頼してい

る一人である胡虎に任せ。この二者を将として、その運営を任せた。

 勿論、凱聯の方にはいつも目を光らせている。本来ならば、凱聯の方にこそ集兵を任せたかったのだが。

彼は放っておくと何を仕出かすか解らないので、仕方なく胡虎の方に集兵軍を任せ、各地の侵攻に当たら

せていた。

 集兵といっても、訓練は積んでおり、精鋭同様集中の原則に基いて鍛えている為、その力はほとんど劣

らない。ただし、どうしても士気が低く、意気が揚がらない。

 そこで胡虎の負担を軽くする為、諸事に長けた魯允(ロイン)も付けている。

 魯允にも拭えぬ不安があるが、他に適任もおらず、彼を使うしかなかったのである。

 ただ、胡虎ならば、という気持ちがある。彼ならば、魯允を御す力は、充分にあるはずだと。それに双

家という大陸一の看板を味方に付けた今、権威に弱い魯允が、楓流に敵対しようと考えるとも思えない。

 無論、常に配慮するよう胡虎に戒めておいたが、今の所は上手くいっている。情勢に変化が訪れるまで

は、無闇に不安がる必要もないだろう。

 こういう時に雲海がいれば、と思うのだが。夢を見て、想うだけでは何も解決しない。

 夢は夢とし、現実を見て、中央制覇を目指す。

 しかし大陸の情勢は益々複雑化しており、楓流の道のりも労苦と困難さばかりを強めていくのである。

 彼もまだまだ現実を見据えているとは、言えないかもしれぬ。


                                                        第四章 了




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