5-1.中央平定戦へ


 楓流(フウリュウ)は大陸中央、北東地方一帯を、ほぼ掌握した。

 双、孫、楓の三国同盟はすでに知れ渡り、それがどの程度の繋がりかまでを知る者は少ないが、実情を

知らぬだけに効果があり、北東地方平定にも一役買ってくれた。

 怖れをなした弱小勢力は、これを良い機会とでも言わんばかりに降伏の使者を立て。抗う者の中からも

出奔して楓流側に付く者までが現れ、意外にも順調に進んでいる。不安要素も多く現れているが、楓流は

この勢いでそれすら捩(ね)じ伏せようと言うが如く、流れに身を任せ、快進撃を続けていた。 

 被害も甚大ではあったが、土地が増えれば人も増える。降伏する街が増えた事により、総兵数は増し。

その力を活かす為、率先して訓練させている。

 こうした新規参入者は主に街の防衛に当らせ、代わりに経験のある者を各街から引き抜くような形で、

兵力を補充していた。褒賞などもなるべく多く与えているから、今の所は表立って文句を言う者は少ない。

 無論、文句が無いのは勝っている間だけであろう。しかしそれでも、ありがたい事に違いは無い。完全

に治める為には長い時間を必要とする。内心はどうあれ、今は従ってくれるのが何よりもありがたい。

 新しい人間が増えれば、問題も多くなる。特に集兵軍を率いる胡虎(ウコ)の負担が増しているようだ

った。何しろ寄せ集めの兵で、すぐさま新しい状況に対応出来るはずがなく。意思疎通、連携などに苦労

しているようだ。

 折角上手く連動出来るようになっても、今日来た兵のおかげでまたばらばらになる、という事が多く。

辛抱強い胡虎でなければ、とうに楓流へ泣き付いていたかもしれない。

 それでも副将として付けた魯允(ロイン)が思っていたよりも働きを示し、忙しなさは増したものの、

何とか上手く手綱を握れているようである。

 しかしこの魯允の働きも、良いなら良いでまた不安になる。本心は何を企んでいるのやら。信頼出来る

誰かを登用出来れば、すぐにでも胡虎に与えたい。

 或いはもう一軍を新たに創設し、彼にかかる負担を二分させてやるべきか。

 もう少し兵数が増えれば、二分しても充分に戦える数になる。まあ、どちらにせよ、まず人材を得てか

らの話しになる。今考えたところで、妄想にしかなるまい。

 どこを見ても人が足らない。特に一軍を任せる将には、それに足る力を持つ事は言わずもがな、その上

に絶対なる信頼が必要である。軍事力という大きな力を与える以上、欲望に打ち克つ魂の強さが必要だ。

出来れば共通の目的、利害関係も欲しい。

 同じ道を歩いてきた。そしてこれからも当然のようにして、同じ道を歩く。目的地、求めるモノが同じ

であれば、多少の差異は何とでもなる。少なくともそこに行くまでは裏切るまい。

 別に打算的でもいい。とにかく裏切らない存在は貴重である。

 だが心や気質を見抜く事は難しい。

 実を言えば、能力と将来性だけなら、ある程度の目星は付けている。そしてすでに兵長のような役職を

与え、上官とさせるべく経験を積ませてもいた。いずれはこの者達が楓流の軍事力の中核となるのかもし

れない。

 しかし、あくまでも能力と将来性、つまり可能性の段階である。今でも誰か信頼するに足る者の下につ

ければ、申し分の無い働きをするだろうが。だがもし将として全てを任せたとしても、おそらく彼らは満

足に働けまい。

 彼らには想像力、決断力、経験が欠けている。

 未熟者では何をするにも時間がかかる。だからこそ余計に即戦力となる者が欲しい。信頼に足る能力者

が欲しい。雲海のように頼れるだけの力と心を持つ者が、どうしても必要なのだ。

 降伏、侵略し、味方は増えたが。かといってその者達をすぐさま信用するという訳にはいかない。腹の

底では何を考えているのか解らないし。簡単に力と勢威に屈したような者達だ、楓流よりももっと強いだ

ろう勢力、例えば孫文などに誘われれば、うまうまと乗ってしまう可能性は高い。

 昨日の味方が今日の敵となる。その上で前後から挟み撃ちにされてしまえば、もうどうしようもない。

 そういう恐怖は常に付き纏(まと)う。疑心暗鬼とまではいかないが、不安は大いにあった。

 楓流はある程度組織として成長すると、法や約定などの効果は薄れてしまい。結局、信頼関係のみがお

互いを結ぶ絆となって、それがあってこそ初めて組織として動かせる、という事を学んでいる。

 強い信頼、お互いを信じあっているからこそ、人間は共に行動する事が出来る。

 お互いに疑いあっているようでは、お互いの力を消し合い。結果として居ない方がまだましという結果

に終る事も少なくない。

 とはいえ、人間は各々違った価値を求め、違った考え方をするものである。小さな集まりならまだしも、

大きくなればなるほど、人が多ければ多いほど、統率するのは困難となろう。

 無理に彼らの望みを統一し、同じ方角へ向けたとしても、ちょっとした刺激ですぐに瓦解し、混乱して

しまう事になりかねない。全ての人間の望みを等しくし、叶える事は、不可能に近い。人は同じようでい

て、細々とした違いがあるからである。

 だから反対賛成よりも、やはり信頼が必要だ。切り離しようがない、繋がりこそが重要なのだ。

 信頼さえあれば。楓流にさえ付いて行けば安心だ、と思わせる事さえ出来れば。例え口では反対してい

ても、必ず付いてくる。文句を言いながらも、協力してくれる。

 組織を動かすには、信頼感という牽引力が必要である。

 ようするに、新しく加わった者達に、その信頼感が、繋がりがあるかを、まず知らねばならない。

 確かめる方法として、市町村、軍、勢力といった一つの集団を、その集団のみで動かせる機会を作る事

が考えられる。即ち、その集団を泳がせ、動向とその真意を探るのである。

 それが正解かどうか今もって解らないが。楓流はそう考え、実行した。

 降伏を受諾した後も、楓流は暫くは自らの軍団や役人を派遣せず、自治に任せ。援助はするものの、直

接的な働きかけを最小限に抑えていた。

 そうして暫くすると、単に支配下におかれ、搾取されるだけだった民衆であっても、中から必ず指導的

立場に就く者、就こうとする者、就かされる者が現れ。初めはただの集団であった群集が、不思議と組織

という形を取り始め、全体(或いは個人)としての思惑、方向性が生まれてくる。

 それが楓流の見詰める先と合致していれば良し。もしそれが決して噛合わぬモノであれば、必ず反意を

起こし、間者がそれを伝えてくる。

 それから一つ一つ対処し、屈服させていく。一度痛い目に合わせれば、反乱を起しにくくなる道理。小

さな組織でも大体反対者が必ず居るもので、小さい内に火を消すのは比較的容易い。

 楓流は一つの勢力をそのままの大きな一塊と見るのではなく。もっと細かく砕いて、市町村それぞれを

一つの勢力と見、外側から一つ一つ順番に落としていく事で、前述した泳がせる状況を生みやすくし、同

時に各市町村ごとの団結力を増させた。

 そうして、お前達は何某の勢力、国ではなく、一つの街なのだと、そう思わせる事で、自分の方へ付き

やすくもしたのである。

 戦略的に見ても、一気に敵の本拠地に突っ込んでしまうよりも、一つ一つ周りから削り取るようにして

行った方が、補給や進軍路、休息などの点から言っても、便利である。

 ようするに楓流は、文字通りその勢力へと向う道を造り、一つ一つの街を丁寧に手の内に入れて行った。

 そして自領とした街から、有能と思える人材を次々に手元へ寄越させ、特別に遇し。共に生活する事で

親近感を持たせ、それによって忠誠心を高めながら、同時にその人物と生活する事で、その者達の内面ま

でも知ろうとした。

 このように楓流は大胆かつ丁寧に領土を平らげて言ったのだが。一つ厄介な勢力が現れた。

 その名を李(リ)氏と云う。



 大陸中央北東地方から大陸北方へとかかる場所に、窪丸(ワガン)という小都市がある。

 大陸北東部は山地が多いが、窪丸はその山地の切れ目にぽっかりと丸く開けたような土地で、周辺には

森林が広がっているのにも関わらず、何故かその場所だけが野原となっていた。

 以前にこの地に繁栄した何者かが居て、わざわざ開拓したのか。或いは何かの都合で焼き払いでもした

のか。今でも謎であり、良く解らない。

 ただその名を見るに、ここに窪丸の民の先祖が住み着いた時には、すでにこの状態だったであろうと予

測されている。不思議な場所である。

 窪丸という妙な名も、元は丸窪であったのが、呼び辛い為に字を反対にしてしまったのだとか、色々な

説があるが。まあそういう話は、今は置いておこう。

 ようするにこの窪丸は、大陸北方へと抜ける出入り口の一つに当る。

 北方と中央を繋ぐ一つの橋として、この街は古くから賑わってきた。人口はあまり多くなく、田畑も少

ないが。貿易から様々な物を得ている為、それなりに裕福な土地である。

 北方の穀倉地帯とも繋がっている為、確かに物価が上がって苦労しているようだが、ここも飢饉(きき

ん)が起こる程深刻な飢えはない。

 それでも小都市と呼ぶ規模しかないのは、山脈に重なるように造られている為、家屋を建てる平地が少

ないからだ。小さな平地を上手く利用して様々な家屋を建てているが、どうしても限界がある。

 周辺の森林を切り拓いても、すぐに起伏が激しくなり、せいぜい畑でも造るしかない。

 この辺りは細かな起伏が多く、木々は遠慮なく生えられても、人が住むにはあまり向いていないようだ。

 では何故、このような地にわざわざ街を造ったのか。それは北方と中央を繋ぐ、重要な街道があったと

いう事と、険しい地形の方が防衛するに便利だからである。

 窪丸は地形上、他の街から離れており、一種孤立したかのような独自の時間を過ごしてきた。住民には

商才に長ける者が多く。また狩猟も推奨されている為、一般に弓矢の扱いも上手く、体格の良い者が多い。

 この地を治めるのは李氏。現当主の名は李牧(リボク)。前政権から続く、この地一帯を治めてきた太

守の家系で、珍しく前政権から変わらず統治し続けている勢力である。

 職務に忠実な家系でもあったが、特に李牧は利益損得に煩い、極端な性格で。何よりも他者に奪われる

事を恐れ。山賊強盗が攻め寄せてくれば、まず家財を持って避難する事を住民に徹底させている。

 勝敗にも拘っていないようで、とにかく家財が無事なら良し。強盗達も空の家までは奪うまい、という

ような男であった。

 昔からそんな風であったので、窪丸が山賊強盗の根城となった事も、度々あったようだ。

 しかし例え家があっても、食料も何もない場所に篭っていられるはずはなく、すぐに去って行く。だが

その度に腹立ち紛れだろう、あらゆる家屋が壊され、傷つけられている為に、住民達には大きな不満があ

った。

 確かに家財さえ取られなければ、どうにでもなるかもしれない。現に略奪者もすぐに去って行く。しか

し戦わずに逃げよう逃げようなどと、臆病すぎはしないだろうか。わざわざ税を取って常備している兵団

も、何も避難誘導や家財運搬の為に置いてあるのではないだろうに。

 時は折りしも乱世。平和時ならばまだしも、王がこう頼りがいがないようでは困る。これでは臆病者の

噂が広がり、いずれは他勢力に丸々奪われてしまうのではないだろうか。

 必死になって逃げ、やっとの事で戻ってきたら、すでに街中に他国人が溢れていた。では、まったく話

になるまい。何も侵略者は物盗りだけが目的では無いのだ。

 大体、金や物だけが助かれば良いとは思わない。人は自分の家にも愛着がある。

 避難路や避難場所、住民の誘導など、細かい配慮も出来、経済も潤い、地道な事をやらせれば、突出し

た能力のある当主ではあったが。どうしても住民には不満と不安があった。

 そこに現れたのが、白祥(ハクショウ)という男である。

 彼は幼少の頃から李牧のやり方に不満を持ち、それを放っている街の人間にも不満を持ち。誰もやらな

いなら俺がやるとばかり若き時に窪丸を出、大陸全土を渡り歩きながら、名の知れた軍略家の下を訪れ、

下働きをしながら必死に教えを乞うた。

 その中には名ばかりの軍略家が多かったが、白祥には才能があったのだろう。少ない言葉から自分なり

に悟り、それらを寄せ集め、自己流の軍略を生み出し。十年という長い放浪生活の後、ようやく故郷であ

るこの窪丸へと戻って来た。

 彼は李牧の兵を初めから無視し、街中の若い者、希望する者を集め、自警団を組織すると、人の止める

声も無視し、李牧の静止をも振り切って、出撃。見事に強盗団を撃ち破り、周辺に割拠していた名立たる

山賊までも、その根城ごと全て退けた。

 初めは煙たがっていた市民も、いつの間にか彼の力に酔いしれ、李牧でさえその声を無視できず、結局

警備隊長のような職に迎えられ、その後も何人も白祥を打ち破れず、今に到る。

 今ではもう四十に近い歳であるとか。当時でいえばもう老齢といえる年齢だが、その意気は衰えず、血

気盛んにやっているらしい。

 白祥が警備隊長に就いてからというもの、一度たりともこの窪丸に山賊強盗が、いや他勢力でさえ、足

を踏み入れた事は無いと云う。少々荒削りであるが、意外にも堅実な護りで、道を大きく塞ぐように造っ

た関所兼砦を有し、そこから一歩も軍を出さず、亀のようにがっちりと侵攻を防いでいる。

 白祥のおかげで、李氏の名は大陸中とまではいかないが、中央全土くらいには広まり。その力も防衛だ

けを見れば、楓流の軍団をも凌ぐと云われている。

 楓流からすれば目障りな評価であり、いずれはけりを付けるべきだと思っているが、この白祥の事は誰

よりも買っていた。出来ればこの男ごと、丸々とこの地を奪いたいものだと。

 そうすればこの地の護りは万全で、北方との橋となる交易路を、最大限に使う事が出来る。双家との繋

がりも否応無しに増すだろうし、正に窪丸一帯の交通路には、万金の価値がある。

 楓流はこの一戦を中央平定でも最も重要な戦の一つであると見、凱聯(ガイレン)と胡虎に集縁一帯の

防備を任せると、虎の子の精鋭五百と集兵から一千を選び抜き、自ら率いてこの地へ臨んだのであった。




BACKEXITNEXT