5-2.質実剛健


 総数千五百、これは現時点で動かせる楓の最大兵力の半数近い数字である。

 特に精鋭五百は彼が集縁に持っている手勢の八割程に当たり、楓流が如何にこの一戦を重要視している

かが解る。

 白祥は手強い。窪丸砦の防衛力が集縁と並ぶと言われても、いや、越えるとさえ言われても、楓流です

ら反論し難い部分がある。

 正直な所、凱聯や胡虎では相手にならないだろう。楓流が率いても、難しい。全ての力を結集し、ぶつ

けねばならない相手である。

 白祥さえ居なければ、例え防衛に向いた地形といえど、李牧の性格を利用して容易く落す事も出来るだ

ろうに。この白祥が居るが為に、窪丸は難攻不落の要塞と化している。

 今では李牧などよりも白祥の声望の方が遥かに高く。李牧の配下ですら、白祥に心服している者が多い

と聞く。例え李牧が何をしようとも、白祥が居る限り、窪丸は楓流にその門を開く事は無いだろう。

 何が何でも白祥を破らねば、この地を得る事は出来ない。

 敵兵総数は多くても一千前後と目算している。

 少ないと思われるかもしれないが。窪丸は繁華なわりに、地形的制約からか、人口が思うよりも少ない。

小都市と称されるだけはあって、数千単位の人口は居るが、それでも他の都市、小都市と比べては、半数

程度に落ちる。当然、兵力は多くない。

 それでも小都市と呼ばれるのは、それだけこの道を通る者が多いと云う事で、どれだけ賑わっていたの

かを表している。

 実人口を考えれば、兵数五百でも多い方だろう。実際にはその倍近い兵数が居る訳だが、その理由は潤

沢な金銭が有る為である。金に物を言わせ、傭兵として運び屋などを雇い入れる事で、兵数の少なさを補

っているのだ。

 勿論、運び屋などはいかがわしい集団で、頼りになるとは誰も思ってはいない。だが誰もいないよりは

心強く。兵数が多いというだけで、襲い来る山賊強盗の数も減る。

 それに白祥がすぐ側で睨んでいる限り、彼らも何をしようとは思うまい。運び屋の中にも優れた者がい

くらかは居たし、彼らは負けると解っている戦をするような者達ではない。その為に、状況が悪くなれば

すぐに裏切る可能性があるのだが。逆に言えば、状況が良い間は決して裏切らない。

 ある意味使いやすく、白祥も統率する自信があるのだろう。自兵団にも組み入れており、手勢の死傷者

を減らすという意味も込め、むしろ率先して運び屋を使っていたようだ。

 減ってもまた雇えばいい。惨いようだが、運び屋自体に信頼が無い為、これも仕方の無い事だろう。お

互いに利用しあっているのだから、どちらにどうとも言えまい。

 運び屋はこの頃になると傭兵団としての役割の方が強くなり、民間よりも各勢力に当たり前に雇われる

事が多く。そのほとんどは碌でもない者達だったが、中には声望のある運び屋も現れ、何とか団、何とか

隊などと云うように、個々に名前を付けて、誇るようにもなっていた。

 名前を付ける事で、その名に対しての責任を負う事になる。言い換えればそれだけ自信のある者達だと、

そう言う事であろう。

 こうして元運び屋の傭兵団達に自尊心が芽生え、誇り、名誉欲を咲かせる事で、後に虎と呼称される傭

兵団として、大陸へ認知されていく。この頃が丁度その先駆けといった時だったろうか。

 金さえ貰えば昨日までの敵にも付く。乱世の産物とはいえ、あまりにも荒々しく。民達もそのやり方に

呆れたのか、驚いたのか、とにかく衝撃を受けたようで。金さえ貰えば命も投げ出す、しかし金が無けれ

ばそれまでよ、という唄い文句まで流行り、今もその文句は文献や人の間に残っている。

 話が少しずれたが。ようするに、この窪丸には見た目以上の兵力があるという事だ。

 実際、たかだか街一つの小さな勢力としては、千に届く、或いは越える兵力を抱えるというのは極めて

稀な事で、(専業兵士数としては)史上を通してもあまり例が無い。

 白祥の無敗(全勝とは言えないでも)とも呼べる戦績の裏には、そういう理由もあったのである。何も

魔術を使っている訳ではなかった。

 白祥は半数を街の防備に当て、自らは約五百前後の数を手勢として共に砦に常駐し、がっちりと交易路

を護っている。

 窪丸を通る街道は、丘陵を大きくゆるやかに曲線を描くように北方へと抜け、台地と平地の中間のよう

な地形を維持しつつ、急勾配の無い、実に歩きやすい姿をしている。

 そして窪丸の街は、南方から進み、おそらく全体の三分の二程踏破した地点だろうか。道をやや離れた

東寄りに、まるで街道と山脈に挟まれるかのように造られている。

 有事の際の避難場所は、この街を沿っている山脈に造られていたそうだが。山崩れでも起こしたのか、

今では痕跡も見つけられない。何も伝え残されていないので、一体それがどういう物だったのかも、まっ

たく解らない。材料が無いので、推測すら出来ない有様だ。

 李氏は末孫に到るまで、結局誰にもその場所を語らず。街の民も同様にひたすらにその場所だけは隠し

続け、誰が問うても答える事はなかった。そう言う意味で、この地はどこに所属しようと、常に半分は独

立していたと言えるのかもしれない。

 これもまた窪丸の謎の一つである。実に興味深い。

 そしてその窪丸の西側、街道上をすっぽりと覆うようにして造られているのが、白祥の篭る砦である。

彼はここから南北を睨み付け、昼夜問わず見張っている。

 関所は砦と一体化しており、防壁は東西を隙間無くみっしりと塞いでいる。東は窪丸と繋がり(内部に

は行き来する為の通路がある)、西も地面が途切れ崖となる地点まで続く。白祥の用心深さが、ここから

も窺(うかが)えるようだ。

 文字通り、この砦を通るしか、他に道は無い。

 しかし如何に金の潤沢な窪丸とはいえ、この砦を建設するに使った費用は並大抵の金額ではなく。白祥

が強引に実行させたものの、李牧からは相当に恨みを買ったという噂がある。

 まあ、これだけなら単なる噂であるかもしれないが。李牧と白祥の不仲は昔から有名で、何せ根本的に

考え方が違うものだから、事ある毎に対立してきたらしい。

 不落の砦に弱点があるとすればそこだろうか。しかしこの両者も窪丸を護るという一点だけは、見事に

共通している。だからこそ言い争いをしつつも、今の今まで二人でこの街を背負って来れたのであって。

この二人は何処か年老いた夫婦にも似ている。

 楓流が侵略者である以上、仲違いさせるのは難しかろう。



 楓流は砦と街の周辺にわざと空けられただろう、見晴らしの良い開けた場所を避け、少し引いた森林の

中に陣を敷いた。

 森には不便な事も多いが、木々によって身を隠せ、弓矢を防いでくれる。すでに進軍の報は聞いている

だろうから、白祥も手薬煉(てぐすね)引いて待ち構えているはず。わざわざそこへ出て行ってやる事は

ない。

 遠目には良く解らないが、おそらくいつでも射れるよう準備が為されている筈だ。正面から行くのは得

策ではなかった。しかし迂回できるような道が無い。無理すれば山脈を辿って行けるかもしれないが、道

案内がいなければ、危険極まりない。

 そして目前にある窪丸の砦。間者の報告では何度も聞いていたが、実際に見てみるとその姿に圧倒され

る思いがする。

 防壁も砦も大体大人の倍くらいの高さはあるだろう。材質は木だろうが、防壁など敵と接触する前面部

だけは他と色が違う。ひょっとしたら補強財のような物が貼られているのかもしれない。

 それだけではなく、防壁下部の表面には何かが塗られているようで、てらてらと日を照り返していた。

おそらくは油か、それに類する物だろう。鼠(ねずみ)返しのように、登れなくしているのだと思える。

大して汚れているように見えないのは、毎日塗り変えている為か。

 防壁上部には連続した窓のような穴が開けられ、その奥には無数の影が見える。もしその影が野獣の類

であれば、数え切れぬ光る目が、こちらを睨んでいるのが見えた事だろう。

「完全に塞いでいるな」

 ここまでがっちりと防衛設備を整えているのは、この大陸中でも白祥か楓流くらいのものだ。城塞都市

という発想がまだ一般的とは云えない当時、強盗などこの威容を見ただけで、肝を潰したに違いない。

 しかし思ったよりは脆いとも感じた。石材や土砂でも厚く積まれれば、最早どうしようもないが、木な

らばまだ何とでもなる。

 近くに山脈があるのだから、石材や土砂が足りない訳でもあるまいに、よほど急がせて造ったのか。

 石や土砂は持ち運びに不便で、しかも強固に積み上げるには相当の技術が要る。取りあえず骨組みのよ

うに木で組上げた所で、李牧に渋られ、そこまで出来なかったのかもしれない。

 だがこれだけでも強盗や山賊程度なら、いや小勢力でもほとんど侵攻出来ないと思える。威容、という

言葉が相応しい程に、この砦は白祥の名と共に聳え立つ。

 しかし楓は並みの勢力ではない。楓流はこの中央に覇を称(とな)えようとする者である。李を破れぬ

ようであれば、同じく中央制覇を目論む、祇(ギ)、隻(セキ)の二勢力にも敵うまい。

 白祥手強しといえども、ここで足踏みをしているようでは、楓流もその程度だと云う事になる。

「木材ならば、打ち破れぬ強度ではない。しかしそれだけではなかろう。まずは確かめる事だ」

 楓流は考える。安易な考えだが、例えば火ならばどうだろう。

「弓兵に火矢を撃たせろ。いや、十本も撃てばいい」

 楓流の命に従い、即座に腕自慢の者が十名一本ずつ、きっかり十本の火矢を放った。

 火矢はぴったりと揃い、天を越えるようにして大きな弧を描きながら防壁へと吸い込まれ、半数が見事

に防壁上部へと突き刺さったが、すぐに敵兵に消され、戦利品として取られてしまった。

 もう半数は防壁下部に突き刺さり、油が燃えたのだろう、勢い良く炎を上げ、左右に火柱を放ったが。

それも一瞬の事で、すぐに消えてしまった。火を防ぐ為、銅版でも貼られているのだろうか。

 折角塗った油を無駄にしてやったが、さりとてそれでどうなる物でもない。防壁にまったく損傷がない

し。敵兵を怒らせた事で、かえって士気を高めさせる結果になってしまったかもしれぬ。

 その証拠に、即座に矢が撃ち返されて来た。狭い窓から放つ為、角度があまり付けられないのか、遥か

前方に矢は落ちたが。一考すれば、これも誘い出す為の罠と考えられる。

 この程度かと逸って進軍すれば、意を得たりと射殺される可能性は高い。

 火矢も浅はかな手と証明された。そのくらいは当たり前に向こうも考えていると云う事だ。

 全軍でもって火矢を大量に放てば、多少は燃やせるかもしれないが、砦に壊滅的な打撃を与える事はま

ずもって不可能。矢を無駄にし、悪戯に兵を疲れさせる事になるだろう。

 無駄な努力と思う以上に、人を疲れさせる事は無い。疲労こそが兵の敵であった。

「楽は出来ぬ、という事か。では当初の手筈通り、事を運ぶ。鏗陸、そちらは任せたぞ」

「ハッ!」

「解っているだろうな」

「ハッ、決して無理は致しませぬ。慎重かつ冷静に、それのみを遵守致します」

「よかろう、功を示せ」

「承知」

 楓流の前に深々と頭を垂れ、礼の姿勢を取っているのは、一人の青年、名を鏗陸(コウリク)。楓流が

目をかけている一人で、年少の頃から楓流と胡姉弟の使い走りのような仕事をしていたが、歳を経て軍に

仕官し、大功は無いものの、慎重で確実さを尊ぶ性質で、常にそこそこの働きを示してきた。

 楓流に対し、深い尊敬の念を抱いており、胡姉弟とも家族のように親しい。そういう縁もあって、楓流

は胡虎の代わりになるようにと、丁寧に育ててきた。

 能力だけでいえば、まあ使える、という程度でしかないが。その強い責任感と、楓流絶対という鉄の意

志だけは胡虎にも劣らない。

 将として一軍を任せるには足らないが、副官としてお目付け役とするか、こうしてある役割を任すだけ

ならば、抜群の働きを示してくれるだろう。

 そういう役割に求められるのは個々の能力ではなく、決して揺るがぬ忠誠心であるから。

 主に胡姉弟を通して使われていたので、楓流と直接話した事は稀で、今も少々気が張り過ぎているとい

うのか、緊張の色が見えるが。まあ、弛んでいるよりは百倍いい。

 それにもし鏗陸が上手く作用せずとも、他の者達が上手くやってくれるだろう。

 兵士達にはあくまでも楓流の意に適うようにと、徹底させている。鏗陸の補佐にも数名付けてあるから、

まず心配は要るまい。

 もし何かがあったとしても、戦場に出るとは、そう言う事である。

「その命、無為にするな」

 不思議とそれは無意味な言葉と思えたが、最後に一言残し、楓流は精兵五百を引き連れ、森を通りなが

ら、窪丸方面へと出来るだけ近付いて行った。

 それを見送る鏗陸の瞳はめらめらと気炎が立ち上り、不退転の決意を固めていく。

 偉大なりし楓流の為、身命を賭してでも役立たなければならない。それだけが自分の生きる意味、誇り

なのだ。

 鏗陸は両頬を叩いて気合を入れ直した。




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