5-3.死と死


 楓流軍は森林という障害物の多い地形を、それでも整然と進んでいく。集縁一帯は森と山が多い。その

中での行軍も、彼らは手馴れたものであった。一つには、それが彼らの強みであったのかもしれない。

 目的は、なるべく窪丸に近付き、尚且つこちらの動向を悟られないようにする事。その為に道を離れ、

わざわざ森林を遠回りに抜ける。そこまでしなければ、目的は達成できない。

 選択肢の多い事が攻める側の強みである。防衛側は防衛設備を使え、罠なども準備しておけるが、その

代りにその地から離れられない。だからある程度は攻める側が決められる。故に対等の条件であれば、攻

める側が有利と云われる。

 拠点攻めは防衛設備で攻撃側の旨味を相殺、或いは埋めて余りある場合もあるが。相殺出来るならば、

それで良しとしなければなるまい。逆に言えば、旨味を利用しない限り、攻撃側が常に不利となる。

 楓流は旨味を大事にした。時間も何処から攻め寄せるかも、今は楓流の側に決定権がある。それを活か

す為、苦労して敵に悟られぬよう近付いている。隠す事が今は何よりも重要であった。

 だがそれは同時に、こちらからも相手側の動向が解り難い事を意味している。もし相手がとうにこちら

の動きを察知し、待ち伏せされはしないか、という不安が当然出てくる。

 この策はすぐに意図を察せられるような、悪く言えば安易な作戦だ。それは楓流も否定はしない。しか

しそれと策の質、勝敗には大して関連はない。簡単、すぐに思いつくような策でも、ようは使い方次第。

 単純明快、それもまた力である。兵に意図が伝わりやすく、行動も言葉にすれば簡単。ただし、単純で

簡単だからこそ、難しい。

 敵に気付かれるのが遅いか早いか。成否が決まるのがそれだけであるからこそ、難しい。

 楓流は己を隠す為、千という兵を囮に使う。成功させる為には、そういう思い切りが必要であった。

 鏗陸率いる兵団が、白祥と敵兵の心を引き付けてくれればくれる程、成功率が跳ね上がる。

 幸い、楓流は他の勢力のように、自らを目立たせる華美な衣装を着ておらず、戦場での識別は味方でも

慣れが必要なくらいである。

 将の目印となるよう、他の者よりは目立つ印を付け。身に付ける甲冑も、少し作りが違うが。それも楓

流だけが特別なのではない。

 兵を率いる者は、須(すべから)くそのような格好をし。副官として付けた者も、いつでも将の代わり

が務まるよう、同じ印を常備している。簡単に身に付けられる物であるから、携帯にも着用にも困らない。

 だから遠目に見ると、どの将が楓流なのか、ほとんど区別出来ないのである。

 味方から見ても区別し難い事は同じだが。長い訓練の成果と、将の意志が統一されている為に、不便さ

は無かった。むしろそうする為に普段の訓練があり、楓流はこの点も徹底していた。意思疎通と戦術理解

において、彼ほど細々と気を配った者は少ない。

 彼は何をやるのも、結局は人次第である事を熟知しており。集団を個々ではなく、一つの大きな物とし

て動かす為には、まず行動とその意味を理解させる事が重要であると、経験から会得していた。

 事前の作戦案は何よりも大事で、将と副官、そして部隊長格の者には詳細に説明し、皆がその目的と意

味を完全に理解するまでは(例えれば、その者だけでも指揮できるくらいに理解するまで)、決して自分

から戦端を開く事は無い。

 当時の常識でいえば、楓流はおかしな男であった。将としても人間としても変わっている。

 特に皆が病的なまでの自意識を持っていたのに比べ、確かに自尊心はあったものの、自らを飾るという

欲が無いのには、驚かされる。

 彼には人の上に立つ。人を支配して当然だという想いが、強くない。自己顕示欲というものが、平均よ

りも(そんなものに平均を出せるとすれば)遥かに下回っていたのだろう。

 それはおそらく彼の生い立ちに深く関係しており、彼の養父が強く影響しているのだと考えられる。

 自らを飾り立てない。これもまた楓流の敵者を困惑させる一つの要因であり。この事で楓流は意図せず

何度も救われる事になる。

 つまり他と変わらぬ姿格好をする事で、彼は己自身を戦場から隠せたのである。

 後に云う影武者に似たような形になっているが、それを意図せずに行なっていた事が、楓流を助ける事

になった。

 もし普段から華美た、他よりも目立つ、違う事を重視した人間であれば、すぐに楓流不在を気付かれ、

鏗陸隊が囮(おとり)である事を悟られたはずだ。

 いや、目立つ姿をしていれば、それはそれでその衣装を鏗陸に着せれば済む話か。しかし常に衣装を換

えている訳にはいかないだろうから、恩恵を得る事は少なかっただろう。

 それに常に身代わりを置くような者では、兵や指揮官に不安を与えてしまう。本当にあれがあの方なの

か、自分達は本当にあの方の命令を受けているのだろうか、もしかすればまったく見知らぬ誰かに、まっ

たく別の命を受けているのかもしれない。

 自らを安全な場所に置き、遠くから見ているような者に、安心して付いていけるはずがない。

 やはり余計な欲は、捨てさるのが賢明だと思える。

 自分も気付かないからこそ、人を騙せるのであるし。

 ともあれ、楓流は手勢をぎりぎりまで窪丸へと近付かせた。

 窪丸付近は索敵(さくてき)の為か、それとも邪魔だった為か、街からある程度の距離までを丸裸にし

て、見通しの良いように工夫されている。

 しかもご丁寧な事に、その範囲は矢の殺傷力が生まれる地点まで続き、そこへ踏み入れれば人を射殺せ

る矢が飛んでくるという脅しにもなっている。

 地形的に余り弄れないという事もあるだろうが。この辺はそう造らせたであろう、白祥の性格を反映し

ていると思える。どこかねちっこいというのか、怨念にも似た執着心すら感じさせる作りと、思えなくも

ない。考えていたよりも、怖い男だ。

 近付く事で、初めて解る事は多い。

「そろそろ頃合だが」

 鏗陸は手間取っているのだろうか。耳を澄ましても、戦場に変化を感じない。後を任せた鏗陸も実戦経

験が少なくないとはいえ、部隊指揮を任せるのはこれが初めて。緊張と迷いから動作が鈍くなっていたと

しても、不思議はない。

 まあ、その辺は楓流も充分考慮している。多少遅れてもどうにかなるよう、作戦時間などに幅を持たせ、

どうにでもその場に合わせて変えられるよう、初めから変化も頭に入れて命じておいた。

 元々場の状況などは人の手を越えるモノであり、いつでも思い通りに運べるとは、彼も思っていない。

むしろ常に人の予測を上回るものだと理解し、その事を恐れてもいる。

 こういう場合は、下手に動けば動く程泥沼に陥(おちい)るものだ。予定通り、素直に待つのが良いの

だろう。

 こちらがどう動くかは、鏗陸の動き次第。楓流は良い休息時間を得たと思う事にし、ひっそりと森に兵

を潜ませたまま、静かに時を待った。

 鏗陸なら応えてくれるはずだ。そう確信し、十分程度待った頃だろうか。突如戦場に大きな声と音が響

き、一転して周囲が騒がしくなる。程無く、今から攻撃に出るという報告も届いた。

「ご苦労だった。お前もこちらに加われ」

「ハッ」

 伝令を手勢に加えると、更に暫くの時を稼ぐ。

 慌ててはならない。鏗陸が苛烈に攻め立て、白祥達がそちらに目を奪われるまで、じっくりと時を待つ

のだ。

 勿論、全力で攻め立てれば被害が多く、疲労も通常の数倍の速度で積み重なっていく。あれだけの要塞

と白祥を前にして、千の兵では歯が立つまい。すぐに勢いも薄れ、敗退するしかなくなる。

 その時がいつなのか、今度はそれを見極める事が重要になる。早すぎれば、成功率がそれだけ下がる。

遅すぎれば、個別に撃破されるだけ。単純な囮策だけに、機を掴む事だけが、その成否を支配する。

 楓流は音を頼りにしながら、時には単独で這いながら草むらを進み、遠目に観察しては戻り、観察して

は戻りと、小まめに情勢を視ながら、その時を計った。

 他の兵は彼の邪魔をせぬよう、呼吸音まで抑え、細く長い呼吸をしながら、力を全身に蓄えている。

 鏗陸隊は云わば死ぬ為だけにあそこに居る。それを無為にせぬ事だけが、彼らにしてやれる、最大にし

て唯一の事。気負いすぎてしくじるような事だけは、兵達もしたくない。

 無論、鏗陸隊にはそのような事は教えていない。彼らは知らずして、楓流達の為に命を犠牲にしている。

惨い話であるが、そうでもしないと上手くいかない。もし死を一瞬でも恐れてしまえば、最早戦えなくな

ってしまうからだ。

 そして戦えなくなれば、無慈悲に殺されるだけ。相手も必死だ、こちらの感情を待ってはくれない。だ

から黙って送り出す事が必要だった。しかしそれこそが惨い。

 こうだから戦争というのはどうにもならないのだ。本当は誰にも良い事など、一つも無いのである。

 勝とうが負けようが、常に不幸と苦悩、そしてそれ以上の苦痛で支配されている。

 だがしかし、それでも人はそれを行い続ける。おそらくは、永遠に。



 楓流側の事情はさておき、敵する白祥は流石である。

 護りは完璧、欠片の隙間も無い。千の軍勢を前にしても、怯むどころか意気盛んとなり、まるで遠目に

見るこちらにまで、その意気が伝わってくるように感じた。

 大きくなる太鼓、兵達の怒声、例え姿を見る事が出来なくとも、その状況は容易に察せられる。

 鏗陸も随分攻めあぐねているようで、目ぼしい戦果が挙がっていない。

 隠す為に伝令も最小限に止めているから、最初の伝令以来、まったく報告されていないが。それも戦場

を見れば、何となく解る。戦果が無いから、伝令が来ないとも言える。

 縄をかけて登ろうにも、すぐに射落とし、或いは火油で焼き落とされ。城壁を破ろうにも、はいそうで

すかと簡単に破れる筈がない。表面に貼られた金属は、思うよりも邪魔になる。

 他にも何か工夫がされているのかもしれない。白祥の事だ。例え資金と資材を渋られても、限られた中

で、最大限以上の事をやっているに違いない。

 楓流には解る。何故ならば、彼もまた、白祥と目指す所は同じだからだ。

 地盤を固め、護りを堅く。自力をつける事が、結局は何よりも大事なのである。同盟だの支配だの言っ

ても、他人に頼る事に変わりは無い。力なき者は滅びる。他者の力を当てにしているようでは、乱世に覇

を称えられる筈がない。

 誰かに裏切られればそれまで、期待に応えてもらえなければそれまで、そんな事で生き延びられる筈が

ないのだ。

 だから戦果が挙がらないとはいえ、鏗陸を責める事は出来ない。

 楓流がやっていても、おそらくほとんど変わらなかっただろう。初めから砦を攻め落とせるとは思って

いないし。例え何をやっていたとしても、周到に準備している白祥に敵う筈がない。

 ただ死ぬ為に死に続け、火のように攻め立てる事で、白祥の意識を釘付けにする。

 それだけが目的なのだから、戦果が挙がろう筈がなかった。戦果など、この場合はどうでも良かった。

正面から馬鹿正直に攻め立てて落ちるような砦ならば、とうに誰かが落としている。

 工夫を凝らし、様々な手を試みて尚、砦が落ちなかったから白祥の名が上がった。鏗陸では、初めから

相手にならない。

 だが鏗陸はそのような事を考えもしまい。彼はただ楓流の意に応えるべく、全力で苛烈に攻め立てる。

 それだけを命じたのだから、彼はそれだけしか出来ない。そうだからこそ、彼を選んだのである。鏗陸

以上にこの役目に適任な者は、まず他にいない。馬鹿正直に攻める者だけが、楓流の期待に応えてくれる。

 戦死する確率が高く、死ねば惜しい人材だが、この為にこそ彼は居ると言っても、いや彼を用意したと

言っても良かった。

「果たすのだ、鏗陸」

 人知れず楓流は呟く。実の兄、いや父親のように慕ってくれるあの若者を想うと、あたら死なせる事に

不満が浮ばぬでもない。後悔の気持ちが浮ばない訳ではない。しかし、今彼の命が、楓流にとっては何よ

りも必要なのである。感傷などに意味は無い。

 残酷な仕打ちであるが、やらなければならぬ。

 鏗陸の命を代償にせねば、この苦難を乗り越えられない。

 もし乗り越えなければ、更なる恐怖が待っている。そこには鏗陸や兵達を失う以上に、遥かに大きな恐

怖心があった。

 そう、楓流は恐怖している。常に恐怖し続けている。しかもその恐怖心は、誰しもが抱くような漠然と

したものではなく。はっきりとした形をしている。

 西方の諸勢力、そして最も大きな恐怖が、孫文という存在である。

 今孫文に来られては、いや、将来的にこのままどれだけ大きくなったとしても、おそらく楓流一個では

敵わない。大陸中央部を全て支配下においてすら、対抗出来るかどうか解らない。

 孫文は強い。そして怖い。

 その恐怖に比べれば、今の犠牲も止むを得ないとすら考える。本当に何が怖いかといえば、結局は人が

そう考えてしまう事なのだが。それでも誰も楓流を責められまい。

 何故なら、孫文と戦わずに済む保証など微塵も無いからだ。例え降伏しても、いずれ理由を付けて殺さ

れる。孫文は支配下に組み入れる事よりも、滅ぼす事を望んでいるのである。属国など必要ない。彼は自

ら一個で大陸を統治したいのだ。

 自ら以外の勢力など必要ない。それは大でも小でも関係なく、残せば争いの種となる。ならば他国を全

てを滅ぼす事が、結局は一番安全と云う事になる。全てが一つであれば、そして孫文という大きな存在が

常に上に立っていれば、無意味な争いなど起こらないのだと。

 そしてだからこそ、統一の意味があるのだと、孫文は考えている節がある。

 同盟など口約束にもならないこの時代、いやいつの時代もそうかもしれないが、孫文にとって、無用の

敵を生かしておく事自体が、悪なのだ。

 現在であれ、未来であれ、敵する者は必要ない。

 何故生かす必要があるのか。いずれ裏切り、必ず牙を剥いて来る存在など、滅ぼせる内に完全に滅ぼし

てしまえば良いのだ。

 血筋や遺臣を残す必要はない。全て滅ぼし、自分一個に染めてしまえばいい。そうすれば、少なくとも

統治の期間は延びる。孫文のような影響力の大きな王が続き、上手く治められれば、永劫に統治し続けら

れる可能性すら生まれる。

 邪魔者さえいなければ、自らだけが強者であれば、要らぬ心配は無いのである。他は、要らぬ。

 孫文は必ず楓流に牙を剥く。支配地を持つ時点で、孫文にとっては有害、悪なのだから。

 恐怖心が楓流を駆り立てる。いずれ滅ぼされるよりは、今犠牲者を出したとしても、この先も生き延び

れる可能性を手に入れた方が、良いのではないかと。

 そう思えるのも、その恐怖心があってこそ。楓流は奪われる事を何よりも恐れる。病的に他者の侵攻を

恐れる嫌いがある。

 どちらにしても不幸を避けられぬとはいえ、今犠牲者を出しても耐え忍べば、後の可能性だけは得られ

る。いや、どちらにせよ、可能性などはいつでも残るのか。

 とすれば、決して消えない、その可能性が、人の不幸なのかもしれない。

 可能性。そんなものがあるからこそ、今を見失ってしまうのか。

 しかしそれが無ければ、未来を見失う。

 何という惨い生だ。

「オオオオォォォォォオオオオオォォォォオオオオオオォォオォオオオッ!!!!!!!」

 戦況が変わる。

 波間に居るかのような怒号の中、痺れを切らした鏗陸が、付近の木々を強引に引き抜き、その木を槍代

わりに防壁を突き始めた。

 無茶苦茶だった。手にした槍では壊れぬ壁、しかしもっと大きな槍であれば出来るかもしれない。だが

そんな物は無い、ならば何でも良いから代用品を。何と云う乱暴な思考だろう。

 しかしそこに楓流は光を見た。確かに無茶苦茶ではあったが、それによる効果があったからだ。鏗陸隊

は勢いを増し、士気を上げ。白祥軍は心なしか戸惑っているように思える。それに大きな物を多数の人間

でぶつければ、それ相応の重さ、力を生み出す。

 今まで無傷にすら思えた砦が、少しずつだが傷み始めた。

 見逃す楓流ではない。

「機は来た。皆の者、迅速のみを尊べ」

「オオッ」

 静かな鬨(とき)の声を発し、楓流隊が次の行動へ移る。

 流れは発した。最早誰にも止める事は出来ぬ。




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