5-10.亀篭り


 楓流の思惑通り、祇軍は崩れつつある軍を立て直す為に、砦へと後退して行った。

 まるで迷い子が一つだけ見える物を追い求めるようにして、彼らは命令というよりは、個々に、自発的

に、後退して行く。

 ただ祇路が何もしなかった訳ではない。最低限の秩序だけはまだ保っており、殿(しんがり)を務めら

れるだけの意気ある兵も少しは居たらしく、決して悪くない指揮をしていたようである。

 勿論、それは祇路の手腕だけでなく、半分以上は楓流の巧みな誘導の成果なのであるが。皆撤退するの

に必死であるから、そこまで気が回らない。

 誰が撤退中に、こうして逃げられるのも敵のおかげ、などと考えるものか。

 楓軍は果断なく攻め立てていたし、決して手を抜いているようには思えない。経験豊富な兵ならば、或

いはその進軍速度が若干鈍い事に思い至ったかもしれないが。それも楓の方が数が少なく、また楓流が慎

重な性格だからだろうと、勝手に納得してくれたのだろう。特に祇陣営に、特筆すべき動きは無かった。

 そうしてある程度祇の撤退に弾みが付くと、楓軍はそれ以上追う事をせず、それよりも縦に伸びた陣形

を立て直す事に励み、横長の陣形に変えると、今度は砦包囲の準備に移る。

 本来は撤退する軍に追撃を加える事で被害を増させ、戦果を増すのだが。今回のように近くに拠点があ

る場合は、必ずしも追うばかりが良いとは限らない。

 拠点には守備兵、予備兵が居る事が多く。確かに門が閉まらぬ前に、敵勢を追うようにして入るのが一

番簡単に入れるのだが。その後門を閉じられて退路を奪われてしまい、拠点内に残されていた兵を加えた

敵軍に、逆に攻め立てられる形となり、窮地に陥る事は少なくない。

 勝利と敗北は紙一重。それを忘れると、酷い目に遭う。

 わざと拠点に入れるような計略もあるくらいで、森同様、良く見えない場所という物は、大なり小なり

怖いものである。無意味に突撃するだけが能ではない。全ては結果としてしか解らぬでも、慎重を期す事

でかえって災厄を招く事があるとしても、進むだけが良いとは云えないのだ。

 だから祇路も追撃を諦めた楓軍に対し、疑いを持つ事はなかった。

 思えば楓流は初めから慎重すぎる程に慎重であった。今また慎重を期したとして、誰がそれを疑うだろ

うか。誰も、わざわざ拠点内に敵が逃げるのを望む、などとは思うまい。

 開戦前から慎重であった事が、此処にきて布石の意味を持ち始める。人の思考とは、面白いものだ。

 しかし楓流も万能ではない。例え真に深謀遠慮を極めたとしても、尚全てを理解し、予測する事は、人

にとって不可能な事であろう。

 正直な所、楓流の方でも、あのまま突撃し、一気に決めてしまった方が良かったのではないか。何も門

を閉じ、篭るまで待つ必要はないのではないか。などという迷いはあった。

 しかしここで短慮は禁物とし。あのまま追っていれば、祇路がそのまま裏門か何かから出ていた可能性

もあると考える事で、自身を落ち着け。単純に戦に勝つだけが目的ではないと、初心を、当初の目的を忘

れなければ、足下を掬われる事は少なくなるのだと、自らに言い聞かせた。

 貫くと云う事も大事な事で、頑固になるのではなく、一つの目的に向かい貫く事は、その目的を完遂す

る上で、一番大事な事ではないだろうか。

 この場合も焦る必要は無かった。別に楓が手を下さずとも、祇路を確実に殺す方法ならば、いくらでも

考えられる。今大事なのは確実さ。確実に祇路を殺す。そうしてこそ、不安を和らげる事が出来る。

 だからこその策。今更それを台無しにするような事は、避けなければならない。例えそうする事で今損

をするように思えても、そのような小さな欲望などに、一々屈しているようでは、何事も成し得ない。

 楓流は砦を睨みつつ包囲陣を完成させ、ゆっくりとそれを狭めながら、篭る兵に対し圧力を加えた。

 その上で、今になってわざわざ千の予備兵を少しずつ小分けにして呼び、徐々に包囲陣を厚くさせる。

 さあ、いよいよ終わるぞ。お前達にはもう後は無いが、こちらにはまだ余力がある。まだ来るぞ、まだ

来るぞと、ゆっくりと祇兵の心に圧力を加えているのである。

 そのくせ攻める気配は見せない。ただ心に重みを加えるだけだ。包囲を厚くし、睨みつけるようにして、

砦をじっくりと観察する。時折守備兵が出てくれば弓矢で応戦するが、決して全力で落とそうと攻め立て

る事はなかった。

 余裕を見せ、二ヶ月でも三ヶ月でも塞いでやるぞ、飢え、絶望し、勝手に苦しめと、そう無言で言い続

けながら、わざと敵兵の見える場所で堂々と飯を炊き、食ったりもした。

 楓流はすでに祇路は見放され、祇兵は祇という国に未練無く、根から引き抜かれるように、心がすっか

り離れてしまっていると見ている。後は余計な事はせず、祇兵の決心の後押しをしながら、ゆっくりと待

てばいい。

 本当は楓にも余裕などは無く。隻がもし今来ればどうなるだろう、野心ある者がこの隙を突き、民を煽

(あお)って暴動でも起こせばどうなるか、などという心配と不安を絶えず持っていたが、それを見せる

事は無かった。

 むしろ逆に身を削ってでも平然とした姿を見せる方が、上手く働く事は多い。

 祇だけではない。楓流もまた、必死に堪えていたのである。

 抑えとして胡虎の軍がまだ残してあるとしても、主戦力のほとんどが遠映に来ている以上、見せかけ以

上の役割は果たせない。賊程度なら掃えようが、一勢力の守備力としては心許無い。

 敵地へ侵攻するに一番良い時期は、実はその敵がいずれかへ侵攻している時なのである。侵攻する為に

軍を出せば消耗が激しくなり、各地の守備兵、或いは各地へ援軍として送る兵数が減る。侵攻している者

がそれに気付き、引き返そうとすれば、今度は逆に侵攻しようとしていた者から追われる立場に変わる。

 侵攻者は一転して二つの敵に狙われる状況に陥(おちい)る。

 だから戦争を行なうと云う事は、諸刃の剣を振りかざす事と同じ。攻めに偏れば防ぐ力が減る。常に物

事には相反する何かがあり、利点ばかり、欠点ばかりは存在しない。見方を変えればいずれも同じ。攻め

るも攻められるも大して変らない。優勢劣勢すら、紙一重なのである。

 しかし有能な将は、そういう理を誰にも気付かせない。常に彼は磐石であり、付け入る隙が無いと、敵

にさえ思わせ続ける。

 楓流もまた不安など億尾にも出さず、余裕を見せ、その時を待っていた。

 この一戦もまた、最後は単純な我慢比べである。弱みを見せた方が負ける。焦れて恐怖に呑まれた方が

負ける。しぶとい方が勝つのだ、何事も。



 すでに信は尽き、祇路強しという夢からも覚めた祇兵の態度が変わるのには、さほどの時間を必要とし

なかった。

 祇路に見切りを付け、脱走を企(くわだ)てる兵が後を絶たず。それを戒める為、刑罰を重くし。まる

で味方さえ敵兵扱いするような、祇路の変わらぬ強腰の態度が、無意味に兵達の誇りを傷つけ、不審を煽

り、失望が恨み憎しみへと変わっていく。

 決定的であった。悪循環である。天運もまた、祇路を、祇という勢力を見放したようだ。

 楓流が工作するまでもなく、向こうから頻繁に内応する、つまりは祇路を裏切り楓に味方する旨を伝え

る文書が次々に届けられ。それはすでに砦内に秩序無く、誰でも外と連絡を取れ、ざるのように漏れてい

る事と。砦が防衛施設としての役目を果たしていない事を、意味していた。

 それでも尚、楓流は行動を起こさず。待ち続けながら、わざと祇陣営に裏切り者が居る事を洩らし、砦

内部の緊張感を高め、抜き差しならぬぎりぎりの状態に向うよう、執拗なまでに工作する。

 万全を信念とし、妥協を許さぬこの時の楓流の姿勢は、味方でさえ恐れていた。

 すると、ただ待ち続けるだけの楓流に焦れたのか。祇兵の気持をもっと解りやすい形で見せなければな

らないと思ったのか。内応文書が届き始めてから約一週間後、遂に祇兵達が蜂起したのである。

 きっかけはもっと直接的な、そして些細な事であったと思う。祇路が癇癪(かんしゃく)を起こしたの

かもしれないし、単に兵の我慢が限界に達したのかもしれない。或いは、祇路による締め付けが少し強ま

った為かもしれない。

 しかしその原因など、今はどうでも良かった。動機や理由付けなど、後からどうにでも付けられるもの。

ようするに兵達には不満があり、いずれやるだろう事を、この時に行なった。それだけの事である。

 それを論じたとて、無意味な事だ。

 蜂起した兵達は、後で調べた所によると、さほど多くなかったらしい。

 口で言うのはいくらでも言えるが、人はいざ実行するとなると迷うものである。先を考えたり、昔を振

り返ったり、余計な事を考えれば、必ず人は足を止めてしまう。ある意味空っぽに、馬鹿にならなければ、

決意を実行に移せない。

 人に違いがあるとすれば、おそらくその一点なのだろう。やれるのか、やれないのか、結局はそれだけ

が人生と云うモノを左右し、それだけが結果を変えている。良くも悪くも、行動でしか人は何事も変えら

れない。

 楓流もまた蜂起した人数など、ほとんど気にしなかった。祇兵蜂起の報を聞くと、素早く彼は行動に移

す。蜂起が成功しようと失敗しようと、すでに答えは出たのだ。

 すでに編成しておいた、約千の突入部隊を門前に集め。全兵士に怒声を上げさせ、蜂起した兵達を鼓舞

しながら、砦門が内側から開かれる時を待った。

 記録に寄れば、門が開かれるまでに、数刻の時間がかかったそうだ。

 蜂起した兵達も主として感情で立ち上がったのであり、感情を発散する場を求めていたのであって、楓

軍と連携しようとか、計画的に行なうとか、そういう冷えた考えを持つ者が、少なかった為だろう。

 内側で騒げば、楓軍が味方してくれるに違いない、程度の考えしかなく。門は簡単に開けられる物では

ないとしても、時間がかかった理由の多くには、門がどうとかそういう細かい事に気が回るまでに、多く

の時間が必要だったのだろう事が挙げられる。

 計画的な蜂起であれば、すでに何時何時に門を開ける旨を楓流へ知らせていただろうし。蜂起するにし

ても、もう少し色々と準備してからやった筈。

 楓流が前もって示唆してやれば良かったのだが。何故か彼は一切の手を加えず、祇兵がやるに任せた。

 あくまでも楓の関係しない所で内部争いが起こり、たまたまそれに便乗して勝利したという形をとりた

かったのか。

 門が開かれた時には、砦内は未だごったがえしたような騒ぎで。おそらく門が開かれた事が更に混迷を

加速させたのだろう、武器を捨てて逃げていく兵の姿が多く見えた。

 彼らも或いは楓に味方したかったのかもしれないが、突然の事で訳が解らぬまま戦い、知らぬ間に敗北

していたと、そういう心だったのかもしれない。

 最早祇兵に祇路と祇の国を護る意志は無く、逃亡のきっかけを待っていたのだろう。

 ならば蜂起に参加すれば良かったのではないか、とも思えるが。そうも簡単にいかないのが、人の心と云

うモノものか。

 何にせよ、楓流もまた、全ての兵の命を貰おうとは思っていない。逃げる兵を包囲兵達に任せ、自身は千

を更に百ずつに小分けすると、その内の一隊を率い、砦最上部にあるだろう、指揮官室を目指した。

 そこからはとうに逃げていると考えられるが、行って確認するのも重要な事だ。

 ここまで来た以上、後は捕縛するなり誅するだけ。焦らず確実にすればいい。

 祇路が一兵士に扮して逃げる事も考え、ただの一人も兵を逃がさないよう、外の部隊には言い付けてあ

る。逃亡兵ならば、逃げられないと解れば素直に投降する。勿論、最後まで刃向っている者もいるだろう

が、それは多くない。

 祇路の逃亡を防ぎ、兵の意気を挫き、反抗心のある者は今の内に始末出来る。自軍にも被害が出るだろ

うが、冷酷に考えれば、決して悪くはない。

 覚悟はすでに決めている。兵にも決めさせている。一国、一勢力を滅ぼすのだから、無傷で済まそうな

どと、虫のいい事は考えていない。

 誰が死のうと、誰が苦しもうと、今はただ目的を遂げるのみ。

 全てを黙殺しても、祇路の首を獲る。

「狙うは祇路唯一人! 恩賞は望むままぞ! 皆励め、奮え!!」

 楓兵の応える声が、一塊の怒声となって、砦内を大きく震わせた。

 こうして祇の歴史は、あっけなく幕を下ろしたのである。


                                                          第五章 了




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