祇軍は幅広く横陣を敷き、まるでそのまま遠映を包み込んでしまうかのように接近する。 対する楓軍もまた横陣を敷き、真正面からぶつかりあう構えである。ただこちらはやや縦長の陣形で、 祇軍よりも厚みを増した陣形を取っているようだ。 結局隻は最後まで参戦しなかったから、二軍ががっぷりと組み合う形を取った事で、単純に個々の国の 軍事能力で勝敗が決する事になる。 兵数は楓が二千、祇が二千三百、祇が優勢であるが、兵質、訓練度共に楓の方が上である。祇路は安堵 しているようだが、数による優勢は、実際はほとんど無いと言っても、過言ではない。 百m程間を開け、双方共にお互いを眺め、その力量を測る。 まずは兵数。戦場での実際の兵数は、当然その軍を率いる将にしか解らない。だからざっと目測で数を 計り、大雑把に兵数を出すのだが。これは困難な事で、誰がやっても相応の時間がかかるものである。 次に士気、威勢そういった勢いを生み出す力があるかどうか。戦の勝敗はほとんどが人の心で決まって いる。嘘だと思う方もおられるかもしれないが、自分の記憶を思い返してみれば解る筈だ。ようするに負 けと思えば負けるのだと。 だから兵の意気、やる気といったモノは、何よりも重要になる。逸っているのか、それとも恐れている、 慎重になっているのか、そういう心の具合も肝要である。全ては人の心を見る所から始まる。そして人の 心というものは、外面に滲み出てしまうものなのだ。 今は様子見という意味合いが強いとしても、お互いに見る、量るという行為は重要である。それを疎か にする事は決してない。 先に動けば負け、とまでは言わないが。焦れているはずの祇軍も短慮するような事はせず、楓流もまた それを窺うように静かに対する。 太鼓や怒声等で戦場はとてもやかましいものだが、こうして対峙している間は非常に静かだ。まるで日 常と変わらず、大勢の人間が居る事が、滑稽にすら見えてくる。旗指物だけが風になびき、ばたばたと音 を立てているが、さほど風の勢いが強く無い為に、それも大した音量ではない。 いざその時がくれば全ての音という音が炸裂するとしても、この間だけは酷く静かで、生唾を飲み込む 音と呼吸音が、やけに大きく聴こえてくる。 数千という人間が奏でる呼吸音、心音が、ぞっとする音色で響く。 緊張感だけが際限なく高まっていき、次第次第に前へ進みたいという欲求にかられ、その欲求が満たさ れれば、即ちその時が進軍の時。或いは破滅の時。 「進めい!!」 祇路の掛け声と共に、決戦は開始された。 しかし対する楓流は黙したまま、どうという指示も出さない。距離が狭まるのを待っているのだろう。 矢と体力を無駄にする事は、彼の嫌う、無駄な事、の一つである。 昔は大軍の戦など解らず、少数を率いるのにも息を切らしていたが。齢三十を越え、幾度と無く戦を経 験している今、不安や怖れを消し去る事は出来ずとも、それに呑まれ突き動かされるような事は無かった。 彼は冷静、或いは冷静を完全に装い、兵に恐怖心を与えないよう、あくまでもどっしりと構えている。 どれだけ相手が動こうと焦れようと、好きに暴れさせ、好きに疲れさせればいい。そのような思いなの であろう。 楓流は中央からやや後方という位置に居、先鋒には鏗陸を配している。 先の窪丸戦での鏗陸の勇気を買い、彼への評価を多少改め、最も勇気と気力の必要とされる先鋒を任し た。窪丸戦がまぐれでなければ、彼はここでも期待通りの成果を挙げてくれるはずだ。 すでに敵勢が来た時の対処法、それから後の動き方まで、細々と教えてあるから、余計な事は言わずと も、自ら行動してくれるだろう。一々楓流が口出しせねばならぬようなら、初めから先鋒を任せたりはし ていない。 正直知略や戦術には期待出来ないのだが。単に前線指揮を任せるのであれば、彼以上の適任者はいない と思える。そういう意味では凱聯(ガイレン)と似ている所があるが、鏗陸にはおかしな拘りはなく、安 心して使える。 鏗陸の最も良い資質は、楓流に対して絶対的に素直で従順であると云う事に尽きる。 信頼、機転、どれをとっても胡虎の代わりにはならぬものの、凱聯などよりはよほど気が楽で、安心し て任せられる。死に役すら喜んで買って出るのだから、見事なものだ。 ただ、今回は窪丸戦の時のように、彼の死を前提に考えている訳ではない。楓流も別に彼の死を望んで いる訳ではなく、どうしてもそれ以外に無い場合でなければ、それを行なおうとは思わない。 戦とはいえ、絶対的に死ぬ訳ではない。生還する望みも相応にある。 数が少なく、先鋒隊の一部のみになってしまったが、新しい武器も与えてあった。これが上手く機能す れば、生存率は更に上がるだろう。 新しい武器とは、まず、鏃(やじり)を鉄製の物に変えた矢。まだ試作段階である為に、大きな効果は 期待出来ないが、まともに当れば、祇の鎧などは容易く貫ける。兵を恐れさせるのに、十分な効果を発揮 してくれるだろう。 そしてもう一つ、破砕(はさい)と名付けた武器を、こちらも数は多く無いが、預けてある。堅い木の 棒の先端に、丸い鉄塊をくっ付けただけの物で、非常に原始的かつ単純な形状をしているが、並みの大人 が揮っても、容易く岩を砕く程の力を持っている。 何度も云うが、鉄器製造には高度な技術を必要とする。しかしその為の時間も費用も、まだまだ足りな い。窪丸の戦利金だけではなく、恒久的に投資し続ける事が必要である。 時間があれば、まだ費用を抑える事が出来るのだが、状況は待つ事を許してくれない。戦が戦を呼ぶよ うに、益々戦況が激化し、起こる戦の数も年々増えていた。 武器、防具共に一度作れば永遠に持つという代物ではない。破損し、消耗する。いくらあっても足りな いくらいだ。 しかし武器の要である、刃を作る為には、思うよりも時間と労力を要する。 そこで楓流が着目したのが、鉄の強度と重さである。何も刃にする必要は無い。ただ硬い、重い、それ だけでも充分に力となるのではないかと、そう考えたのである。 そして生まれたのが、破砕、或いは破砕槌と呼ばれる武器。単純だがその効果は高く、作りやすい形状 で大量生産もしやすい。熟練の兵が使えば、鎧兜も容易く破壊する 楓流は頭だけの理論を嫌い、常に実践する事を考え、実戦で使えるという事を重視した。その為に様々 な戦で、様々な新武装や新戦術を実際に試し、曖昧さを嫌い、確固とした結果と意志をのみ尊重した。 それもまた、楓流の力の一つだったと言える。妥協せぬ探究心が、常に彼に実のある結果をもたらした のだろう。 そして実戦で試せると云う事は、楓流にそれだけの余裕があったと云う事を意味する。 恐れなどはない。祇路と違い、彼は中央の勢力を脅威とまでは考えていなかった。恐るべきは孫文、西 方の大同盟であり、祇でも隻でもないのである。 侮るべきではないが、勝てないとも思わない。あくまでも通過点であり、楓流にとって心配なのは勝敗 ではなく、常にどれだけ被害を抑えられるか、であった。 祇には勝つ。しかしそれだけではいけない。祇路とは視線と思考の規模が違った。そう言う意味で、こ の戦がどうなるにせよ、祇路はいずれ必ず滅びる存在であったのだと言える。 だからといって、滅ぼしてもいい、という理屈にはならないとしても。自然の中で行なわれる事は、や はりある程度、必然の結果なのだろう。
両軍がぶつかり合う。邪魔する物は何も無い。景色の良い眺めは、単に殺風景なものと変わり、その中 で、人、人、人だけが木霊する。 まずは楓軍の鉄矢が飛来し、あまりの鋭さに祇兵皆たじろぐ。しかし祇路は止まる事を許さず、後方か ら押して進ませるようにして、軍を前へ前へと運ばせた。 そうなればもう腹を括るしかない。道は前だけとなり、兵も覚悟するしかない。 流石に一国を起こしただけあって、その辺は祇路も巧みであった。彼は常に逃げ場を失わせる事で、周 りの人間達を、自らの望む道へと向わせたのであろう。 しかしその覚悟も破砕の鉄球を見るにつれ、瞬時に凍り付いた。何か良く解らないが、怖ろしい何かが 鎧を破壊し、まるで紙くずでも破るように容易く崩す。強度に問題があったらしく、ある程度使うと鉄球 が根本からぽろりと折れてしまっていたが、そんな事は関係ない。 頭を吹き飛ばされ、骨ごと潰し、内臓が弾ける。祇兵は次第に及び腰になり、自然、その勢いも落ちた。 まだ鉄矢だけなら、破砕だけなら、どちらか一つだけならば、或いは耐えられたのかもしれない。 しかし魔物が二匹となれば、話は別だ。祇兵も鉄製品を見た事が無い訳ではないだろうが、このような 用途に使うなどと、誰が考えた事があるだろう。 よく解らないだけに、余計に恐怖心が募る。祇兵にはそれが正しく魔物に見えた。ならばそれを操る楓 の兵は、魔の兵か。楓流こそは魔の王なのか。 祇路も自兵に最上級の銅器を与えていたが、まったく効果がなかった。鉄塊の重さと硬さの前には、そ んなものは無力だったのである。無残にへこみ、穴だらけになったそれらの残骸は、恐怖だけを煽る。 ぎらぎらと照り輝くその物体に、今まで感じた事に無い恐怖を覚え、祇兵の歩みは徐々に速度を落とし た。しかし後方からは遠慮なく押してくる。一つの軍団の中で、二つの流れが生まれ、前へ後ろへ罵り鬩 (せめ)ぎ合いながら、どちらも弱まっていく。 楓軍はただそこを突けば良かった。 「全軍、進撃せよ!!」 楓流の命に従い、全兵が勇ましく駆ける。 破砕や鉄矢もその頃には尽き、或いは壊れており、皆が槍や剣、部隊毎に統一された武器を振りかざし て、只管に前進する。 「後衛は左右から敵勢を包囲せよ。中衛は前衛の補佐をしながら、死傷者と交代。焦るな、訓練通りにや ればいい」 何度も何度も繰り返し練習させ、覚えさせた命令を次々に繰り出す。予定通り、いや、むしろ予想以上 に順調だった。 本来ならここで残していた千の兵を投入し、一気に決める腹だったのだが、最早必要ないと思えた。む しろこれ以上刺激すれば、かえって腹を括らせてしまう事になりかねず、逆効果となる。 この優勢は相手が怯え、或いは迷っているが為であり、単純に力関係で圧しているのではない。つまり 祇兵の心次第でまだどうにでもなる流れであり、だからこそその心をどの程度に持って行くのか、どの辺 りで保つのかが戦の妙であり、勝利の因子。 ここで予備兵を出し、例えば弓で一斉射撃でも加えれば、おそらく祇軍は壊乱し、収拾のつかない有様 となって、惑いながら全兵がそれぞれに勝手な行動をし、軍としてどころか、人としての形すら保てなく なるだろう。 だがそれをすれば、今度はその流れに乗って逃げるだろう祇路を捕らえる事が、難しくなる。 そこまで無様な姿を晒したとなれば、それだけで祇という国家は終わるとしても。楓流の性格からして、 可能性がある限りは、祇路という根を完全に潰しておきたいのである。 楓流は祇路を大きく評価していなかったが、さりとて過小評価もしていない。故に例え一片の不安であ っても、それを残す事を良しとは思わなかった。 逃がす先は必ずあの砦でなければならない。その上で包囲し閉じ込め、確実に滅ぼす。そういう手順が 必要だったのである。 その為には、決して壊乱させてはいけない。最低限の形であれ、軍としてのまとまりだけは保ち、全兵 を砦へ収容させねばならないのだ。でなければ祇路を見失ってしまう。 楓流は太鼓の音を調整しながら、勢いを止めない程度に軍速を抑え、巧みに祇軍を砦へと誘導させて行 った。無論、祇路以下祇の面々は、誰もその事に気付かない。 戦場にあって凍える如き冷静さ、それもまた楓流を昇らしめた、一つの要因に違いない。 |