6-1.先にかかる雲


 祇路(ギジ)は捕えられ、程無く斬首された。

 祇路の家族も荷物をまとめて逃げ出したか、或いは見限られた臣下に殺されてしまったのか、すでに衆

目の前には居ない。祇という勢力はほぼ完全に滅び、ここに大陸中央部の均衡が崩れ去ったのである。

 祇の勢力下にあった街は楓に降るか、隻に従うか、いずれかの道を選び、新しい道を生き始めている。

 そう、楓だけでなく、隻も動き出したのだ。

 やはりと言うべきか、当然と言うべきなのか。隻は楓と競うように、隻付近の領地を併呑(へいどん)

し、その迅速な行動は、待ち構えていたとしか思えぬ手際の良さであった。

 名分は祇の仇討ち。そして祇路一党が消えた以上は、唯一の同盟国として、祇に代わって統治するのが

筋である、という真に都合の良いものである。

 だがどれだけ都合の良いモノであれ、表立って文句を言う者はいない。王達は当然の権利だと思ってい

たし、住民達は今度はどのような締め付けがあるのかと、戦々恐々して文句を言うどころではない。

 誰が上に付こうと、誰が誰に敗れ去ろうと、何が変わる訳もない。ただ只管に荒れるだけ、それが乱世。

 安定とは無縁、不安定である事が自然に思え、そうであるからこそ乱世と呼ばれる。

 大義や名分は戦の理由として大事にはされたが、所詮は道具であり、それ以上でも以下でもない。

 平らげた領土は、楓が三分の二、隻が残り三分の一と言った所か。流石に勝利者である楓流に従う街が

多く。隻に付いた方は自発的な形ではなく、ほとんど強引に掠め取られたようなものであるらしい。

 少数は西方との関係を見通したのか、隻に喜んで付く街もいたようだが。もしかすれば、単に様子見と

して一時的に付いただけかもしれず。支配下におかれる方も、一概に受身であるとは言えないようだ。

 彼らもまた、大義名分に寄って隻に付いたのでは無さそうである。

 名分だけなら、楓にも勝利者として、戦端を開いたのが祇の方からであったのだから、当然のように領

地を平らげる権利とでも云うべきモノはある。勝った方が全てを得る、それが当時の不文律。その上で自

ら戦を挑み、負けているのだから、言い逃れなど出来はしない。

 その言い分からすれば、隻の行動はいかにも筋違いであり、怒りを持ってもおかしくないと思えるが。

楓流はさほど気にしていないようである。

 それはある程度予想していたのと、初めから隻に信無しと解っていたからだろう。予想していた事が、

今予想通りになったとて、嘆くにも怒るにも及ばない。現状を把握し、対策を考え、た だそれを実行する

のみである。

 それに隻ばかりを気にしている訳にもいかない。差し当っての問題として、祇路に反旗を翻した者達を

どう遇するか、その問題が残っていた。

 結局は蜂起を聞いて逃げ出していた祇路を、外を囲っていた楓兵が捕えた為に、彼らにはきっかけを作

ったという功しかないのだが。きっかけを作るというのも、小さくない功である。

 全てに何かしらのきっかけがあり、それがあってこその結果だとすれば、十二分に評価すべきだろう。

 だが彼らは楓流と繋がっていた訳ではなく、事前に何の話も付けていなかった。

 これは一切の約束が無いと云う事で、楓流が無視してしまっても、実は問題無い。

 勿論謀叛人達には憎まれるだろうが、そもそも楓には関係のない、祇路と彼らの問題なのである。

 あくまでも彼らが勝手にやった事で、楓流はまったく関与していないのだから、何の責任も負う必要は

ない。無視してしまっても、謀叛(むほん)兵達が愚かだったと、惨いけれども、そう言われても仕方の

ない部分がある。

 彼らには明らかに思慮が足らなかった。むしろ楓流を無視した形となり、荒々しい時代だから、逆に罰

せられてしまったとしても、文句は言えなかったろう。

 とはいえ、楓流はそのような仕打ちをしなかった。

 何故ならば、謀叛兵もこの土地に住まう一人の人間だからである。

 上に述べた惨い考えは、上に君臨する者の言い分でしかない。民には民の考えがある。すでに没落した

者など、民には何ら関係の無い事であるし。むしろ今までの恨みを良くぞ晴らした、良くぞ逸早く次の王

の覚えをめでたくさせたものだと、褒め称えるくらいだろう。

 謀叛も何も、別に祇路を慕っていた訳ではない。仕方なく付いていただけなのだ。民には、裏切った、

という意識は無いだろう。

 いつの時代も下に押しやられた人間の考える事は同じで、力で圧されている限り、上に立つ者を憎みこ

そすれ、慕うような事は決して無い。よほど上に立つ者の人格が優れていれば別だが、単純に能力がある

だとか、権威があるだとか、その程度の事では誰も心を寄せようとは思わない。

 力に屈しても、それに心服する事はないのだ。

 例え一時は心を寄せているように見えても、何かあれば、すぐさま離れてしまうものである。

 謀叛兵もこの国、いやこの土地に直結した一人の人間。家族も居れば知り合いも多い。そんな者を無為

に殺せばどうなるか。ただでさえ楓流は争いを持ち込み、災厄をもたらしてくれた迷惑人である。その上

に暴虐の限りを尽くしでもすれば、確かに怯えて表面上は従おうとも、心底には消えぬ憎しみを抱く。

 楓流はこの憎しみこそが最も恐るべきものであると、理解している。

 そして口では何を言おうと、善政さえ敷けば、民はそれを認めてくれる事も知っている。

 重要なのは利害と感情である。民の心に宿るそれを見極め、そしてそれを逆撫でするような事はせず、

その意になるべく従うように、最悪でも不承不承納得してくれるようにしなければならない。

 名義上は楓の土地になったが、此処はまだ敵地である。民のほとんどが諦めているとしても、それで恨

み辛みまで忘れる訳ではない。土地の事を考え、そこに生きる人間の事を考え、余計な事はせず、前政権

よりも良い暮らしが出来るように努める。それこそが支配であり、統治である。

 結局はそれが王にとっても利益となる。別に人の為にする必要は無い。自分の為に善政を敷けばいい。

 楓流は蜂起した兵を取り立て、それぞれに褒賞を与えた。

 しかしそれ以上に優遇する事はなかった。他と同じく、実力に応じ、或いは信頼度に応じて役を与える。

不満に思おうと構わない。何かを起こせば鎮圧するだけであるし、不満者に出奔してもらえれば、かえっ

て喜ばしいくらいだ。

 無能者に上に就かれれば、全ての者が苦労する事になる。それこそが最悪の事態である。そうなるくら

いならば、去ってくれた方がありがたい。それもまた憎しみ同様に、懼(おそ)れるべき事なのだから。

 確かに逸早く蜂起し、砦門を開いた事は充分に評価出来る。しかしそれだけで全てを決める事はない。

 功があれば褒賞を与える。しかし部隊長などの役は、あくまでも実力と実績に応じてのみ(凱聯など、

楓流の事情で選ぶ者も小数ながら居るが)、選ばれる。

 公平に接すれば、蜂起しなかった(出来なかった)兵達もやる気を出し、楓流に対する評価も上がろう

というものだ。何でもかんでも与えれば良いというものではない。それが及ぼす効果を考えなければ。

 蜂起した兵は不満に思うだろうが、先に述べたように、それもそれでいいのだ。主を見限るような者は

信頼するに不安がある。しかも彼らは楓流と話を付けるという事にすら、思い至らなかった者達だ。その

才は高が知れていよう。

 あくまでも民に憎まれぬ為、それだけが謀叛兵を賞する理由なのだ。

 だからこそ楓流は敢えて自分から接触せず、あくまでも彼らが自発的にやった事だと、世間に思われる

ようにしたのである。それにも気付かぬようであれば、やはり一兵士として、分に応じ

た働きをしていればいい。

 楓流は子供ではない。一時の感情で靡(なび)くような事は、最も忌むべき事だと理解している。

 彼は個人としての目ではなく、王としての目で、世の中を見据えねばならない。例えその心中がどうあ

ろうとも。



 祇の消滅から、半年余りの時間が流れた。寒さもすっかり消え、もう夏に近い。照る光は熱量を増し、

蒸気のように熱が立ち上る大地からは、豊穣(ほうじょう)の予感がする。

 楓流は祇の都である節呂(セツロ)に居を移し、隻と睨み合っていた。

 あれから散発的に小規模の戦を繰り返しているが、どちらも今は地歩を固めるのに忙しく、本腰を入れ

て攻めるつもりはないようだ。

 懸念されている西方からの手は、まだ此処(ここ)まで達していないらしく、その影も感じられないよ

うである。

 これを幸いとすべきか、それとも来るべき時を恐れ震え上がるべきか。未だ西方と隻の真意が見えず、

その点での不安は消えない。

 果たして西方はどう考えているのか。そして隻はどういう道を選んだのか。それともそれ自体が見当違

いで、西方と隻には初めから繋がりが無いのだろうか。

 必死に情報を集めているが、流石に西方の備えは堅く。隻でさえ王や側近が秘中の秘としているのか、

全くと言っていいくらいに手がかりとなる報が入らない。

 現状の楓の国力では情報網にも自ずと限界があり、ともすれば泰山(タイザン)の雲海(ウンカイ)に

頼るような有様で。まだまだ改善の余地が多く、国内を離れれば半ば無力といっても良い状態である。特

に新たに得た領地は安定しきっておらず、なかなかに難しい。

 知れる限界は、北は窪丸周辺、西は隻までが精々で、それ以上は情報の精度と数が格段に落ちる。

 当時の移動手段といえば、徒歩か馬くらいしかなかった為に、どうしても距離の障害を乗り越える事は

難しい。伝達手段も限られている為に、行軍だけでなく、情報の面を見ても、距離の壁は人に大きく圧し

掛かっている。

 交通路を整備しようにも、他国まで手が回るはずもなく。もしそれが出来たとしても、その勢力が黙っ

て道を通らせるような事はあるまい。

 情報の質は、結局その間者の技能に大きく寄る事になる訳で、楓流はより諜報能力の優れた技術、技能

者の必要性を強く感じていた。

 皮肉な事に求める基準は高くなりこそすれ、下がるような事は無い。しかも求める先には際限など無く、

無限に人は願い続けるものである。

 楓流とてそれは違わず、一人の人間として、求めても得られぬ道に苦悩していた。

 鉄器技術に泰山の技術者が居たように、便利な諜報集団が居れば良いのだが。そのような存在など聞い

た事も無く。そこまで情報の有用性が認められていない当時では、最早自ら作り出す以外に、それを得る

方法が無かった。

 しかし自ら作る事は、すでにやっている。やっていて不満である。決して得られぬ望みを終始抱くに等

しく。これは紛れもない拷問であった。

 とはいえ、楓流に道が無い訳ではない。それは雲海の存在である。

 彼は山中かその近辺に居ながら、驚くほど世の中の動きに詳しい。下手すれば楓国の事も、楓流以上に

知っている。

 一体彼は何処にどういう繋がりを持ち、それをどのようにして全土に張り巡らせているのか。そしてど

のようにして、それを維持し続けているのだろうか。

 だがそれを問うたとて、頑固な所のある雲海が、はいこうですと教えてくれる訳がない。

 雲海はその事に関して、何故か酷く口を濁す。無理に問えば、折角親密になった仲を、自ら裂いてしま

いかねない。

 楓流としては、それだけは避けねばならなかった。何故ならば、もし雲海との繋がりが途切れてしまう

ような事があれば、その損失を埋める手立ては、諜報能力を高める手段以上に、困難であったからである。

 楓流にとって、雲海という知恵袋は、無くてはならぬ、稀有な存在であり。例え雲海がどう思っていよ

うとも、決して手放す訳にはいかない。

 身勝手な言い分だが、そうなのだから仕方が無い。最早彼無しには考えられなくなっている部分がある。

 雲海は楓流という人間が動く為に絶対に必要な車輪の一つであり、彼と比べれば、胡虎(ウコ)ですら

補助輪のような物に成り下がってしまう。

 まあ、雲海の事は、今はまだ決して得られぬ高嶺の花、置いておこう。

 それよりも隻の事である。

 無い物強請りが無意味以上の何者でもない事は、楓流もその側近達も知り過ぎるくらいに解っている。

不安は消えないが、その上で彼らは日々の成果を重ね、とにかく考えられる限りの事に対する備えを、着

実に仕上げる事に全力を注いでいた。

 雲海の力があればと思うが、無い物を前提に考えるような愚かな真似はしない。

 そんな夢想よりも、やるべき事は腐る程あるのだから。

 祇領を得る事で、楓流一個で見れる範囲を明らかに超過してしまい。元々楓流が全てを監督する事に無

理があったのが、ここにきて無理で済まなくなってしまった。今までのように単に留守を任し、分担する

だけではなく。誰かに支配権を託し、軍隊を任せ、言ってみれば同盟者のように、もっと大きな権限を持

たせる必要が出てきたのである。

 そこで不承不承ではあったが、楓流は窪丸(ワガン)に居る白祥(ハクショウ)のような役割として、

凱聯(ガイレン)に集縁(シュウエン)一帯の警備隊長を任せ、副官に胡虎、更にその補佐として魯允(ロ

イン)を付けさせた。

 この警護隊長が守護隊長と呼ばれるようになり、そして守護、太守へと発展し、正式な役職として楓流

の組織に組み込まれていくのだが、それにはまだ長い時間がかかる。

 凱聯に任すのは苦々しく、より胡虎の負担が増えそうで、楓流としても迷ったのだが。凱聯の性行を考

える限り、こうする以外に無かった。相変わらず、楓の人材不足は続いている。

 後に綺羅星(きらぼし)の如く並び集う英雄達も、未だ楓流の下には居らず。意外にも楓流はその人生

の多くを、人材不足に嘆きながら生きている。未だに有名な武将の名がほとんど出てこないのだから、面

白い。人は自分が考えているよりも、その本質を知らないと云う事なのだろう。

 この当時でも、確かに人が居ないではなく。内政面で奉采(ホウサイ)、そして双正(ソウセイ)から

預かっている明慎(ミョウシン)がよく働いてくれているから、何とかなっているのだが。やはり人材不

足は深刻であった。

 人を育てるには時間がかかるし、すでにある程度育っている者を味方に引き入れるのには、それ以上の

困難が伴う。いつの時代も、人材を得る事は、難しいものである。

 胡虎の負担を少しでも削ぐべく、目をつけていた者を半数以上も向こうへ送ってしまったし、これから

の苦労が容易に察せられたが、暫くは鏗陸(コウリク)と二人でやるくらいに思うしか無さそうだ。

 祇からの編入組にも、芽のありそうな者が少なからず居たが、信頼を得られるまでには時間がかかる。

いっそ白祥を呼び付けたいくらいだった。

 楓流は悩みながらも、新しく得た領地に炉を造らせ、鉄器生産に励み。兵の訓練をたっぷりとやりなが

ら練度を高め。とにかく有事へ備えた。

 西方へ送った間者から、興味深い知らせが届いたのは、そんな時の事である。




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