6-2.同盟と同盟


 西方の動きに何度目かの変化が訪れている。

 西方の諸勢力が力を合わせ、大同盟として一つの繋がりで結び付き、大陸制覇へ乗り出そうという動き

がある事は、以前から知られていた通りである。初めは夢幻にも似た言葉であったが、時間を経るにつれ

て現実味が出始め、今では具体的な案となって、真面目に論じられている。

 情勢が人の常識にも変化をもたらしたのだ。

 中央が戦火に塗れている間も、西方ではお互いに侵攻しあう行為を制限し、刀剣の戦ではなく、口舌の

戦に変えて、大同盟成った後の勢力争いに終始している。

 同盟を結ぶには、まず核となる盟主が必要となる。これは単純に一番勢威ある、つまりは一番強い国が

就く事に、どの勢力も吝(やぶさ)かではない。

 現代で言えば株式のように、その株、つまりは国力の大きさが発言力の大きさとなり、結果として一番

大きな発言力を持つ国が、盟主として上に立つ。

 ただし、それは単純に一国の国力だけを見るのではない。

 同盟を結ぶにしても、やはりそれぞれの勢力間には、それまでの関係に応じて好悪の情というものがあ

り、自然、派閥のようなものが出来ている。

 西方には現在ざっと見て十数の勢力が生き残っているが、それらが別々に行動するのではなく、利害の

一致する国同士、或いは懇意にしていた同士で固まり、発言力を増して、一番自分達にとって有用な者を

盟主に選ぼうとしているのである。

 西方と一口に言っても広く、その思惑は様々なのだ。

 現在、その派閥と云う物が四つ在る(敢えて派閥に属さない国や、はっきりと何処に属すか口に出せな

い国など、曖昧なものは便宜上除外している)。

 即ち、秦(シン)、呉(ゴ)、韓(カン)、周(シュウ)の四つの国を筆頭とする固まりである。

 西方四家と呼称される事もあるが。この四つの勢力が中心となって権力争いをし、長く揉めていた。

 そしてこの四家が牽制し合い、微妙なる均衡を保っていたのだが。最近になって呉と韓が折り合いを付

けて合してしまい、他二家を圧倒し始めたようなのだ。

 大陸の情勢を見、いつまでも争っている場合ではないと判断したのだろう。これは賢明といえば賢明な

考えで、どの道皆一つに固まる訳だから、多少権威が分散したとしても、妥協して早々に組んでおく方が、

後々まで有利になるに決まっている。

 呉と韓の間で、単純に一国同士の力関係を見て、呉が上に立つ事になったようだが。別に合併するので

はなく、あくまでも同盟であり、しかも形の上でも実際上でも対等な同盟といえるのだから、韓にとって

も不利ではない。

 盟主にならず次位に就く事で、旗頭として矢面に立たされる事を避け、ある意味一番自由に行動する事

が出来るという考えもある。

 結局は二つがくっ付いて初めて優勢になれる訳だから、どちらが上に立とうと、もう一方の扱いを悪く

するような事は出来ない。だから次位に甘んずるのも、そう悪くはない。

 盟主も形として必要だから作るのであって、主君として唯一の権力を誇れる訳ではなく。大同盟の方針

はあくまでも合議で決められ、盟主は代表として立てられるものの、それ以上の存在にはなれない。

 韓もこれを解って、敢えて次位に下がったと考えれば、恐るべきは呉ではなく、韓であるかもしれぬ。

 まあ、こうなると、どちらにしても残る秦と周にとっては不利となる。結び付くのであれば、当然早く

にくっ付いた方が、その固まりの中でより有利になれるのは、明らかだからだ。

 呉と韓がくっ付いた事からも察せられるように、呉と韓が若干、秦と周よりも勢威が落ちる。中央で隻

が祇と組んでいたように、この二国もまた自国保存の為に、一計を案じたと、そう云う訳だろう。

 ならば秦と周も結び付けば良いではないか、そう思われるかもしれない。

 確かにそうだ。どちらも呉、韓よりも国力が上である以上、二者が協力すれば呉韓を圧倒出来る。単純

な計算である。

 しかしそう簡単には行かない。この二国の間には呉韓のようにいかない問題がある。

 呉韓よりも秦周の方が国力が大きかった。それはつまり、今まで主に秦と周が盟主争いを繰り広げてい

たと云う事で、この二つの派閥はお互いに、簡単に割り切れない感情を抱いている。

 まだ一国同士なら良かったかもしれないが。派閥化してしまった為、無駄に複雑な感情が発生しており、

今更手を取り合う事は不可能になっていた。

 大同盟にはすでに深い溝が生まれている。

 秦周の関係は、丁度これも中央の楓と祇の関係のように、どちらにとっても悪感情しか抱けない、緊迫

した関係となっている。

 一度生まれた罅(ひび)は埋まらない。例え目に見えなくなっても、しこりとなって深く残り、事ある

毎に表面化するものだ、永劫に。

 となると、呉韓が盟主の座へと一歩近付くかと言えば、これも単純にそうとは言えない。

 例え秦と周が結ばれなくても、いざ呉韓相手となれば協力して邪魔をしてくる筈だ。その時だけは一切

の悪感情も除外される。何故ならば、より脅威となる敵が、目の前にいるからだ。

 敵の敵は味方、という言葉もある。

 それに呉韓として一つ飛び抜けたものの、結局はこの二つも薄い絆でしかない。別段結んだとて無条件

で仲良くしているという訳ではなく、呉と韓にも、それぞれに思惑がある。

 四家が結ばれない限り、大同盟は結ばれない。本末転倒して派閥争いに変わってしまったが、そもそも

全てが結び付く為に、話し合いをしているのではなかったか。

 ようするに状況は大して変わらない、いやそれどころか益々激化している。

 已然、大同盟から遠のいている状態だ。新たに脅威となる外敵が生まれれば、それに対抗する為に一挙

に結ばれてしまう可能性もあるが、今のところそういう敵はいない。楓や隻など、西方は大して問題に

していない事が、ここからも解るだろう。

 西方を頼りにする隻にとって、これは誤算だったに違いない。折角西方が治まりかけ、だからこそ隻が

入り込む隙間が生まれたというのに、これでは下手すると独り中央に孤立してしまう。

 長くなったが、ようするに楓流が得たのはこの報であり、一つの機であった。

 しかしこれに軽々しく乗ってしまうのも危険であろう。下手に手出しをし、新たな変化を生じれば、そ

の変化が波紋となって意図せぬ影響を及ぼし、不利な状況を招いてしまいかねない。

 慎重に状況を整理する事が必要だった。

 幸い、この秘中の秘ともすべき報がもたらされたように、隻の警戒に弛みが出来ている。その隙を突い

て情報を得る事は、平素よりは楽かもしれぬ。

 しかしそれすら罠である可能性もある。

 楓流も簡単に決断する事は出来なかった。



 情報を得、知る事こそが全ての始まり。知らなければ何をするにも手探りとなり、常に不安が付き纏(ま

と)い、目を塞がれたまま行動するしかなくなる。

 混迷の内に光を閉ざし、今まで足を付けていた、はっきりとそこに在る筈の道すら見失う。

 しかし知る事で、かえって惑う事も多い。知ると云う事は、必要だが、難しい。

 楓流は迷った末、力押しを避け、成否を別として、まず隻と交渉して見る事にした。

 祇との戦は問題なく、順調すぎる程に上手く良き、結果として被害を抑えられたものの、楓の勢力には

相変わらず余裕が無い。

 一番の不安である東方の孫文(ソンブン)の手が、いよいよ中央にまで及んできた。早い内に中央を制

圧しなければ、抵抗出来ず、一挙に蹂躙(じゅうりん)されてしまう可能性すらある。

 東方は孫以外にも名のある勢力が居た筈だが、そのような者達ですら、孫文に一蹴されている。その神

の如き力は、畏怖すべき名として大陸全土に広がり、恐れている者は多い。王達だけでなく、民達もそう

であり、戦わずして靡(なび)く街が出たとしても、不思議はなかった。

 嘘か真か、すでに孫文に接触している街がある、という噂もある。

 楓が治めている筈の地が、すでに孫文の支配下にある。この可能性も、満更否定は出来なくなっていた。

 とは言え、孫文とて領土を併合し、その地に磐石(ばんじゃく)な支配権を確立するまでには、時間が

かかる。

 孫文に弱みがあるとすれば、軍事力による統一に拘っているという点だろう。

 政権を持つ者を滅ぼし、新しい政権を立てる為には相応の時間がかかるから、どうしても侵攻の速度は

落ちてしまう。

 だから直接楓に侵攻するまでには、もう少し余裕があるだろう。だがその為の下準備と工作は、もう行

なわれていると見た方がいい。孫文も数年先を見て行動しているのだから。

 それにある程度勢力が大きくなってしまえば、降伏する者達が増え、民達が孫文を慕い、王達を見放す

という状況も多くなるだろう。そうなれば唯一の弱みであった、支配権確立にかかる時間が大幅に短縮さ

れ、あっと言う間に全土が孫一色に塗り替えられる、と云う可能性まで出てくる。

 どれだけ大変で時間がかかる事でも、大きな力があれば、それだけ短縮出来るのだ。働きかける力が大

きければ大きい程、そこにかかる力も大きくなる。強大な力を持ち、それに自惚れなければ、物事を動か

すのも、そう難しくはない。

 百の兵では為し得ぬ事も、万の兵では容易(たやす)かろう。

 万の兵では為し得ぬ事も、百万の兵では行なえる。

 物事に働きかける存在を、力、と呼ぶのであれば、それもまた道理。力足りていれば、最早それに逆ら

えぬ。動き出した流れは止めようがないように、圧倒的な力の前に、逆らう事は困難である。いや、敢え

て不可能と言おうか。

 孫文の力がいよいよ現実的に干渉し始めている今、楓流としてもその力を無視する訳にはいかず。では

どうするかと言えば、孫文をだしにして、隻と交渉を始めるしかない。

 孫文が同盟など望まない事は、隻も知っている。であれば、孫文の脅威を餌にして、隻と話を付けられ

るかもしれない。

 戦を行なえば民の不満が募る。不満が募れば見放される。見放されてしまえば、もう後は滅ぶのみ。比

べられる対象が居れば、尚更その速度は高まる。孫文の影響で最も恐るべきは、ようするに比較されると

いう事であった。

 比較対象が居ない場合は問題が無かった事でも、対象が居る中では深刻な問題になりうる。

 祇を滅ぼして治まる所か、楓流は益々孫文の影に怯えさせられていた。

 こうなれば隻と同盟を組んででも、自らの力を増さなければならない。

 西方の統一が遅れている(というよりもまだ未定である以上)、孫文の方が差し迫った問題として目の

前に在るのだ。

 隻に信は置けないが、背に腹はかえられない。それに隻との繋がりが強くなれば、その支配下にある街

に干渉する事も出来る。楓が孫に圧迫されているように、楓が隻を圧迫できないとは、誰も言えまい。

 以上の事を踏まえ、失敗して元々だと思えば、交渉するもまあ損ではないと、判断したのである。


 後々を考えるに、困窮の中、焦りに追われて下したその決断が、そもそものけちの付き始めだったのか

もしれない。

 信が置けない。その本当の意味と恐怖を、楓流は忘れていた。

 人というモノは、真に怖ろしいものだと云う事を。




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