6-3.獅子の咆哮


 隻との交渉は考えていたよりは上手くいった。

 やはり隻も不安を覚えていたらしい。諸手を挙げて協力的とまではいかなかったが、一時凌ぎの手とし

ては、同盟も吝かではないと考えたようである。

 お互いの領地を承認し合い、後々面倒にならぬよう、それなりに妥協し合いながら国境を定めた。

 今はどちらも不穏の種を蒔きたくない為、本来、国境争いこそ戦争の発端となる事が多いのだが、さほ

ど労する事無く決まっている。はっきりと決めるのが難しい地点に付いては、どちらの領地でもない勢力

圏(中立地帯というよりは立ち入り禁止地帯)と云う事にしたようである。

 不明瞭な境界は避けたい所だが、今はぐちぐちと国境争いをしている時期ではない。そこはお互いに妥

協している。

 国交も開き、人の行き来も推奨した。無論これはお互いに情報を得る為である。旅人や商人に紛れ込ま

せた間者が、今も無数に両国を行き来している事だろう。

 しかしそれもまあ仕方の無い事だ。ある程度は腹を見せ合わないと、同盟する事は出来ないし。した所

で真意が見えないようでは、その効力も希薄になる。

 全てをさらけ出す必要は無く、またそれは不可能な事だが。ある程度はお互いに自分の意志を見せ合う

必要はあった。そうして、ある一点だけだとしても、お互いに利害が一致するのだ、この同盟には意味が

あるのだと、確認し合い続けなければならない。

 お互いがお互いに必要であるかが解らなくなった時、その時こそが同盟の終わり、そして大抵は新たな

争いの幕開けである。

 そんな関係が同盟だとすれば、そんなものに何の意味があるのか問いたくもなる。

 面倒で不安で、結局は同じ事では無いかと、誰しも問いたくなる。

 結局は友好ではなく、お互いに便宜を図る為の手段に過ぎないとはいえ、確かに直接的な戦を避けられ

るとしても、このように監視し合い、疑い合うのであれば、組んでいたとしても敵対しているのと変わら

ないのではないだろうか。

 同盟したとて、依然として敵同士である事は変わらず、それが無理に結び付いているからこそ、余計に

始末が悪くなるような気さえする。

 どの道最後には戦い、潰し合うのは決まっているのだから、このような関係に、一体どれだけのどんな

意味があるのか、不可解に思える。

 同盟もまた策で方便だとすれば、作り事に縛られ、悩まされる事は、余計に負担になるのではないかと

も、思えてくる。策する事が光明なのではなく。策する事で、無用の苦悩を背負っているのではないかと。

 しかしそのような関係でも、当人達にとっては非常に重要であり、実際問題としても、より大きな災厄

を避ける為には、例え一時的な方便だとしても、協力し合う事は必要であった。

 良い悪いではない。それは生存権の問題なのである。

 今死なぬ為に、誰もが必死なのだ。

 仮に、その為にどれだけの災厄を招き、かえって状況が悪化してしまうとしても。

 こうして両国は一触即発の状態を解除し、国境に守備兵は多く置くものの、その数をなるべく減らすよ

うに務め、余力を生み。軍備を整え、国力を蓄え始めた。

 楓は東に対する為、隻は西へ備える為。

 楓流も集縁へと戻り、兵力を結集する。代わりに凱聯達を新領土に置き、未だ馴染まぬ民を安堵させる

為、警備強化に努めさせた。士気を上げる為には、金も惜しまない。

 凱聯に預けた軍は解体せずそのままだが、若干の兵数は割き、全領地からも限界まで兵を出させ、集縁

に集める。

 多少防衛力が衰えたとしても、今は全ての力を一つにする必要があった。限界以上の力を出さねば、東

の脅威には対抗し難い。

 西方の動向は依然として決着の見えない状況だが。東方はほぼ固まり、孫文には余力が生まれている。

孫文が中央へ差し向けた手も、いよいよくっきりとした形を取り始めていた。

 具体的に言えば、中央への侵入路となる拠点の駐屯兵数が、ここの所弥増しているのである。

 東方にはもうほとんど孫文に対抗する勢力はおらず、その分浮いた力をそのまま中央へと使う腹らしい。

東方を攻略し続けながら、休み無く目を中央へ向けるとは、いかにも孫文らしいが。それを当たり前に出

来るという事が、即ち彼の恐ろしさ。

 二方面作戦でさえ、無難にこなす力が、今の孫には在る。

 軍事一本で事を成している為に、受けた損害も大きいはずだが、まったくそんな気配は見えない。

 内情はどうあれ、孫文の意としては、問題なく中央攻めへと移行できるようだ。

 そして彼がそう思うと云う事は、実際に出来ると云う事なのだろう。

 楓流は早急にこれに備える必要があった。隻の援軍など初めから当てにしていない。楓一個の力で何と

かしなければならない。

 厳しい状況だったが、こうなった以上はやるしかなかった。



 楓隻同盟が成って数月が経つ。

 夏も盛りを過ぎ、秋へ移行する為に、少しずつだが日差しが柔らかくなっていく。今はもうその強き光

も、人の肌を焦がす程ではない。燃え盛る命はやがて、実りへ変わろうとしている。

 しかしまだまだ戦乱が止む事は無い。戦乱に落ち着きは無く、行き着く所まで行かねば、この膨大な熱

量の渦は、決して治まる事はないと思えた。

 乱世、戦国の世と言うが、これほどの長期間を戦争に明け暮れるというのは、やはり異常だとしか思え

ない。人がどこかおかしくなっているのだろう。

 中央も乱が濃厚になりこそすれ、薄まる気配などなかった。

 孫文の姿が東方よりいよいよくっきりと見える。

 今までは兵力増大、街との交渉など、直接孫文が出てくる事の無い、いわば孫文の影を感じたのみであ

ったが。東方が峠を越したのだろう。後を部下に任せ、自ら中央平定に乗り出してきたのである。

 彼は自ら中央と東方の狭間に位置する街、開東(カイトウ)へと移動し。兵を整え、今すぐにも進軍せ

ん構えを見せている。

 孫文の行動は速い。うかうかしていれば、気づいた時には滅ぼされていた、という破目にもなりかねな

い。後の楓流も相当の速度を誇ったが、孫文もそれに遜色ない速度である。

 つまり、現状の楓流ではまったく歯が立たない。強さ、速さ、国力、どれをとっても楓は孫に負けてい

た。この現実の差をどのようにして埋めるか、それが何よりの問題であった。

 開東、古より続く東の都。この街もまた古い。名が示す通り、元々は東を開く為の、つまり東伐する為

の拠点として造られた街だが、今でも交通の要地として賑わっている。

 東方はここを支点として開発されたという過去があり、現在では中心地という役目を他へ譲っているも

のの、その賑わいと重要性は衰えていない。

 中央と東方の出入り口として、その道は重要な役目を持つ。

 そもそもが軍事の為に造られた街であるから、まず軍が素早く移動出来るよう、大きな道が造られる事

から始まった。道こそが主軸であり、街並みは単にそれに付属して出来た物に過ぎない。

 その為、初めは粗末な天幕しかなかったようで、街と呼ぶのもおこがましいくらいであったそうだ。

 それが都市と呼ぶに相応しい規模に成長した。それだけ交通というものが、人にとって重要だと云う事

なのだろう。

 もう永い年月を経、主軸である筈の道も、様々な箇所に綻びが生まれ(食べ物にも困るような時代に、

そこまで手が回るはずもない)、多少便は悪くなっているものの。東方を貫くようにして造られたその道

の、利用価値の高さは変わらない。

 孫文も酷い場所だけだが改修し、その道を大事に使っていた。

 彼は後の楓流ほどには速度に拘らなかったが、それでもその威力には注目し、上手く使っている。

 職業軍人を確立するまでには到らなかったにしても、戦闘の専門集団としての軍人という発想があり、

激しい訓練を課せ、常に戦闘行為に移行出来るよう、兵達に義務付けている。

 拠点に兵力を常駐させておく発想も無かったが、訓練の成果か、兵を集めるまでの時間も、他の勢力に

比べると、格段に早い。

 普段は農業や商業など、自分の仕事と生活を営んでいるが、いざ戦となれば、鎧と剣を抱えて身軽にや

ってくる。貴族や家柄の別もなく、誰でも手柄さえ示せば出世できるのだから、兵にとってもこんなにあ

りがたい事はなかった。

 今は細々と苦しい暮らしを続けている自分も、上手くやれば一生食うに困らぬ生活が出来、その上で孫

文という非常に牽引力の在る存在と共に、この大陸を制覇するという野望を共有出来るのである。

 この世に生まれ出でて、これほど魂が奮い立つ事は、そうはないと。その善悪は別として、心が奮うの

は止められまい。

 それだけ孫文の力は味方にとって魅力的で、敵にとっては怖ろしいと云う事。その力を知る者は、彼が

大陸制覇する事を、或いはその力がある事を、疑うまい。

 孫文こそが現状で最も大陸統一に近く、そしてそれを唯一現実的に考える事を許される勢力である。こ

のままの流れで行けば、孫文が覇者となるに、違和感も疑問も差し挟む事は出来なかった。

 何しろ東方をほぼ手中に収めているのである。未だ多くの勢力が群れる中で、これは実に驚くべき事。

単純に言えば、孫文はすでに大陸の五分の一を手に入れていると云う事になる。あまりにも大きく、あま

りにも強い。

 楓流も中央の三分の二を手に入れているが、とても孫文には及ばない。そこには倍近い力の差があろう。

 国力が二倍であれば、兵力も二倍、と単純に物事は運ばないが。その力の差は明白。兵質や軍事能力、

人材に国力、考えれば考える程、その差は開いていく。

 特に人材面で圧倒的に劣っていた。国力を考えれば、戦争最大継続時間にも倍近い差があろう。最早や

る前から負けていると言ってしまっても、過言ではないかもしれない。

 それが事実かどうかは解らない。しかし楓の傘下にある街も、おそらくそういう風に考えるだろう事は、

問題であった。

 楓流に懐いている街も多いが、あくまでも他よりはましであるから、靡(なび)いているに過ぎない。

ようするに他にもっと良いだろう存在が現れれば、容易くそちらに靡いてしまう可能性がある。

 まだ孫の侵攻が先の話だと考えられていた時は良かったが、こうして眼前の問題となってしまうと、孫

文の強さと大きさが、山のように圧し掛かってくるのである。

 今までは楓に付いていた街も、この圧倒的な力の前には、屈する他に無いのではないか。

 漠然とした不安ならまだ何とかなるかもしれないが、もし一度でも負けてしまえば、はっきりと楓と孫

の間に勝敗が付いてしまえば、その時点で楓に寄せられる微かな望みが、完全に費えてしまうだろう。

 やはり楓は負けると思い、皆楓流から離れてしまう。どうせ孫に併合されるのであれば、早く孫に付い

た方が、後々有利になるからだ。

 初戦が重要であった。まず勝つ、或いは引き分けでもいい。楓が孫に対抗出来る、勝てないまでも互角

に渡り合う事は出来る。そう思わせなければ、楓はその時点で終わるだろう。

 袁(エン)も豪(ゴウ)も、そして祇もそのようにして費えた。次が楓の番で無いなどと、一体誰が言

えるだろうか。

 楓流は裁判を待つ虜囚の如く、その時を待っていた。いや、待たされていたのであろう。




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