6-4.孫文、来る


 来るべき時が来た。

 孫文が遂に動く。

 準備を終え、開東に集結させた軍勢を率い、孫文が迅速に行軍を開始したのである。

 そしてそれと時を同じくして、孫文側に傾く街が出始め。その影響は東方に近ければ近い程強くなり、

孫文の力を否応無しに感じさせられた。

 その影響範囲は広く、地形的に東方寄りとはいえ、開東より離れているはずの、集縁に集めた兵達から

も、脱走兵が出てしまう始末。

 楓流はこのままではどうにもならぬと思い。兵を集め、去りたい者は追わない、去りたければ今すぐに

でも去るべし、そうすれば非は問わない、と告げ、逃げるも残るも兵の心に任せた。

 兵数が減るのは痛いが、どの道ここで逃げるような覚悟の薄い者なら、いざ孫文と対峙した時、必ず楓

軍にとって良からぬ影響を及ぼす。悪影響を生むくらいならば、初めから居ない方がましである。

 こうして折角集めて訓練した兵も、約五分の一ほどが去ってしまい。改めて孫文の影響力と、彼に対す

る兵と民の怖れを教えられる結果になったのである。

 楓流でさえ恐怖しているのだから、それも当然の事だろう。むしろ五分の四も残り、運が良かったと思

うべきかもしれない。

 兵数はまだ四千は残っている。無論、これからも減る可能性は残されているが、まずまず多く残ったと

思わなければなるまい。

 多少は気骨のある奴が残ったのだろうから、勝っている間なら、渋々か進んでかは知らないが、何とか

戦ってくれる筈だ。今はそう思って励みにし、覚悟を決めるしかない。

 孫文はもう目の前に居る。今更じたばたしても仕方の無い事だった。

 孫文の兵数は一万近いとの噂が一時立ったが、実情は五千を超えるかどうか、くらいの数であるらしい。

もしかしたらもっと多いのかもしれないし、逆にもっと少ないのかもしれないが。色々な情報を得た結果、

大体それくらいの数であると、楓流は判断している。

 あまり当てにならないかもしれないが、こればかりは報告した者の耳目を信じるしかない。

 どちらにしても、来る事に間違いは無いのだ。戦わずに済ませる事は出来ない。ならば今更多かろうと

少なかろうと、大して意味は無いのかもしれない。それがどうだろうと、戦って勝つしか、生き残

る道は無いのだから。

 それに孫文への恐怖心は、兵数の多寡には、大して関係が無い。

 孫文は必ず勝てると思う数を連れて来る。希望的観測でも、気分でもない、必ず勝てるという数を、過

不足無く用いて来る。だからこそ怖ろしく、今までその目算に外れがほとんど無いと云う事もまた、怖ろ

しい。

 数の大小よりも、孫文が勝利を確信した、と云う事の方が問題で。その意味する所は、数量という単純

な事柄ではないのである。

 その為、例え数が少なくとも、何の気休めにもならない。

 動き出す孫文を遠目に、楓流は未だ集縁に居、軍もその場に止めている。

 覚悟が出来ていないからではない。単純に誰がどう動くかが解らず、下手に動けば身動きが取れなくな

る可能性があったからだ。

 慎重に行動せねばならず、集縁から容易に動けない。

 今は座して、少しでも多くの情報を掻き集める必要があった。

 集縁に居れば、寝首をかかれる心配が要らない。集縁は楓流が造った街。住民との結び付きが強く、彼

らの心には楓流と一蓮托生(いちれんたくしょう)の想いが強い。何処が裏切ろうと、ここの住民だけは、

決して楓流を裏切るまい。

 何か確かな事があるとすれば、それだけが確かな事だと、楓流は考えていた。

 逆に言えば、集縁に見限られた時が、本当の意味での終わりである。信じる以外に道は無いとも、同時

に言えたのかもしれない。

 集縁の民も当然、孫文に怯えていたが、まったくそのそぶりを見せようとせず、むしろ堂々とし、兵達

に恐怖心を植え付けぬよう、楓流を今も支えてくれている。彼らの協力が無ければ、脱走兵がもっと増え

ていただろう。

 彼らが楓に付いて居れば大丈夫だと、言葉だけでなく、態度でも語りかけてくれていたから、兵士達も

恐怖心に耐える事が出来たのだ。

 集縁は楓流にとって、頼りになる心の拠り所である。持つべき者はそういう者達であり、そういう基盤

があったからこそ、楓流は今まで上手くやって来れた。

 彼らは楓流が彼らを見捨てぬ限り、どこまでも付いて来てくれるだろう。

 その事が楓流の心を和らげ、精神状態を保つ事に、大いに効果があった。孫文に軍事力では劣るが、楓

流にも支えてくれる人達が居る。その事が非常に彼を心強くさせ、少なからぬ力となっていたのだ。

 その力が楓流を鼓舞(こぶ)し、活力が生まれる。

 初めは情報収集の為に一時的ではなく、大人しく集縁で待ち構え、篭城するべきかと考えていたのだが。

意を決し、打って出る事を決められたのは、集縁の民が後押ししてくれたおかげであろう。

 そもそも篭城などと云う消極的なやり方では、兵と民の不安を煽るだけである。何処からも援軍が期待

できぬ以上(窪丸にそこまで求めるのは無理。双は距離があり過ぎる。隻は初めから期待できない)、時

間をいくら稼いでも、同じ事。

 結局は滅ぼされてしまう事に変わらず。遅いか早いか、それだけの違いでしかなくなる。

 確かに時間を稼げば情勢が変わるかもしれない。しかし多少時間を稼いだくらいで何とかなるようなら

ば、孫文は東方を平定出来ていなかっただろう。その程度で通用するようであれば、とうに誰かが孫文を

止めている。

 小手先の延命策など、孫文に通用するはずがなかった。

 それならば、士気を下げない為、行動する方がまだましである。覚悟を決めて、野戦を挑むべき。

 勝率は確かに低いが、零になってしまうよりはましだろう。

 しかしなかなかその勇気が出ない。いざとなれば閉じ篭ってしまいがちで、人はその為に自ら状況を悪

化する事もしばしばである。

 楓流もまた、そうだった。あまりにも孫文が怖ろしく、睨まれた蛙のように身動きがとれなかった。し

かしこうして集縁が支えてくれると、不思議と気持ちが昂ぶってくる。孫文なにするものぞと、心底に気

合が固まる。

 孫文は脅威以外の何者でもないが、まだ負けた訳ではない。彼も人の子、敗北を知らぬ訳ではないので

ある。確かに強いが、何処かに付け込む隙がある筈だ。

 希望的観測だとしても、楓流はそう思いながら、覚悟を決めるしかなかった。

 正直な所、兵士や民よりも、彼の方にこそ、孫文の深刻な影響があったのだろう。

 ともあれ、楓流は集縁の後押しがあって、孫文の呪縛から、幾許か逃れる事は出来たのである。



 楓流は集縁一帯の森林地帯をゆっくりと東へ進み、少し開けた場所にて陣を敷いた。

 あまり東に出過ぎず、集縁からも離れ過ぎず、そしていざとなれば森を退却に利用出来る地点である。

 一度負けてしまえば、ほとんどの街が楓流を離れ、孫文に付いてしまうだろうから、ここはまだ敵地と

は言わないまでも、中立地帯に近い雰囲気がある。

 楓流を極端に嫌っている街は無く、彼は他の王達よりは暮しやすい統治方法を執った為、今すぐに反旗

するような者は少ないだろうと思うが、さりとて夫や息子を兵にとられ、戦も数多く行なっている以上、

恨みを買っていないとは言えない。

 全面的にではなくとも、何処かで憎まれていよう。支配者とはそういうものである。

 普段は隠れているそういう陰の心が、いつ何をきっかけに噴出してくるかも知れず。楓流の心に、民に

対する具体的な不安が浮き上がっていた。

 それは大きくはないが、気にせずに済むほど小さくもない。

 孫軍との距離はまだ少しばかりあるが、こういう形で、戦はとうの昔に始まっている。そして今の段

階では、孫文の方が遥かに優勢であった。

 楓流には焦りがある。どれだけ剛胆な人間でも、敗色濃厚な戦を前に、震えぬ者は居まい。

 死を覚悟するならまだしも、それに意味を付けられるならまだしも、ここで死ねばただの犬死にである。

誰も褒めもせず、記憶に残しもしない。そう思えば、その恐怖は筆舌に尽くし難いものがある。

 ただ死ぬと云う事よりも、むしろ無意味に殺されると云うその事実が怖い。虚しい死、それは虚しい生

と同様に、人を恐れさせる。

 死を遠く考えている時はまだいい。しかしそれが近付き、眼前にふっと見えるようになってくると、そ

の事に対する恐怖心が、どうしても拭えず、心の内にしこりとなって残るのである。

 そしてそれが無言の圧力と化して、あらゆるモノが自分を蔑(さげす)んでいるような、蝕(むしば)

んでいくような、そのようなどうにもならない気持ちにさせてしまう。

 楓流とて、それは誰とも変わらない。むしろ彼は怖がりな方であったかもしれない。

 だからこそ様々な事を考え、増長する事を防げたのだが。しかしそれも圧倒的な力を前にしては逆効果

となる。

 あまりにも大きな力を前に、恐怖は恐怖しか伴(ともな)わないのであろう。



 孫文は依然順調に進軍しているそうだ。その間にある街、砦を無視して進んでいるのは、それを気にす

る必要が無いと云う事か。

 それらを制圧出来る兵力は充分に残してあるのだろう。或いはすでに工作を終えており、その街や砦か

ら襲撃される心配は無い、と云う事なのか。

 孫軍は各地に設けた関門を破りながら、最低限の攻撃で、最短の距離を進んで来る。

 ほとんどの兵は集縁に集めるか、或いは逃亡するままにさせており。関を固めても無意味だろうと思っ

たから、最低限の人数しか置いておらず、その守備兵達にも、孫軍が来れば戦わず逃げ出すように言い付

けている。だからそれは良い。

 関門を閉じさせているのも、守備兵を逃がすだけの時間稼ぎに過ぎない。全て予定通りである。

 山賊強盗の心配が無ければ、門も開けっぱなしにさせていた事だろう。

 孫文が攻めてくる以上、それはそう云う事である。じたばたする事に何の意味も無い。

 楓流は心を抑えつつ、その時を待つ。

 孫軍の動きは速い。

 するすると澱(よど)みなく進み、その様はまるで我が庭を進むようで、よほど地理に通じている。

 やはり勢いだけの男ではない。孫文は実に緻密(ちみつ)に準備をし、やるとなれば何者も恐れない魂

の強さがある。冷静かつ大胆であり、無理をせず、自然の流れで、勝つべくして勝つ漢。

 その気性といい、強引とも言える猛攻といい、戦ぶりだけを見れば、意外に思われるかもしれないが、

孫文はどちらかといえば冷え切った人間である。常に何処か氷の如く冷めており、やるとなれば容赦無く

火のように攻め立てるものの、それも氷の裏返しであろう。

 今回も準備は万端だった。

 地の利を得る事は戦において最重要の一つ。地図も持たずに見知らぬ地に行くような者はいない。行け

ば迷うだけ、迷えば不意を突かれる。そして不意を突かれれば、即ち負ける。

 刃持ちて争う戦も、所詮は心と心の勝負である。惑い無く、岩のように硬く在り、山のように大きく据

わっていなければ、勝機を掴(つか)めない。

 孫文は戦に長けている。楓流などよりも、遥かに戦を知っている。踏んできた場数も遥かに多い。そし

て戦を知ると云う事は、即ち人の心を知ると云う事である。

 それは人の全てを知ると云う事ではないが。恐怖や弛みに代表される、人の隙を突く事に長じていると

云う事ではある。

 楓流、孫文共に速度を重視するのも、戦が長引けばそれだけ多くを消耗するという事があるが。最も大

きな理由は、人に弛みを生ませぬ所にある。

 余計な事を考えさせぬ間に、全てを終わらせる。気付けば戦が終わっていた。兵にそういう気持を抱か

せられれば、もう他に言う事は無い。

 孫文はそれを楓流以上に実行出来る存在だ。同じ思想でも、その質と意味は全く違う。

 侮っていたのは楓流の方であった。彼は孫文の力を認めつつも、何処かで自らと同格だと考えていたの

だ。実際はその力には遥かな開きがあったというのに。

 楓流はまだまだ甘い。孫文に初めから隙などは無く、また今の楓流一個の力では、彼に隙を生ませる事

など、不可能である。

 孫文に強者故の驕(おご)りは無い。彼の心に一切の弛みも澱みも無く。その心にあるのは、ただ敵を

全力を持って、最速に滅ぼすと云う気迫のみ。

 他者からはゆっくり腰を据えているように思えても、孫文がのんきにしている訳ではなく、その速度が

最速であるから、そうしているだけ。

 平原の獅子の名は伊達ではない。獅子の如く、全力を持って弱者も強者も変わらず滅ぼす。だからこそ

孫文は勝利を生み続ける事が出来るのだろう。

 その鋼(はがね)のような心は、楓流などがどうこう出来るものではなかった。

 いよいよ来る。

 楓流にとっておそらく生涯で最も恐れた存在、最早人とは思えぬ荒ぶる軍神が、その洗礼となる一撃を

加える為、澱(よど)みなく最速の距離をやって来る。

 その姿は、もう目と鼻の先であった。




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