6-5.起


 孫軍の姿、真に美々しい。

 全兵の鎧が統一されている。寸分違わず全て同じ。色も作りも全てが統一され、それが一糸乱れず動く

様は、それだけで肝を冷やされる。圧倒的な力を感じ、孫文の敵者は、まずその威容に敗北する。

 同じ鎧を作る事で費用や手間も多少は浮くだろうし、国力さえあれば、見栄えを抜いても悪い方法では

ない。無論、孫文の好みでもあるだろうが。

 使う色は五色、青、赤、白、黒、そして黄。四海竜王と天帝を現す色だ。ただし鎧自体の色は黄を除く

四色である。旗指物に黄が使われているが、それはあくまでも天帝を敬う証。天帝を現す色を身に帯びる

など、孫文にとって許されぬ事である。

 彼の信仰心は篤い。天を疎かにするような事は、決してしない。

 孫文は四海竜王の一柱、東海青竜王を守護としている。自然、竜王を従える黄帝にも、深い信仰を捧げ

る事になる。その彼が黄を染めた旗を掲げるのも、そしてその黄を身に帯びないのも、当然といえば、当

然の事だ。

 そして四色の鎧の中にあって、一点咲き誇る華がある。竜王の旗を掲げた中心に、派手さは無いが、不

思議と他を圧する美容を誇る鎧姿。即ち、それが孫文その人である。

 彼は身を隠すような事はしない。全てをさらけ出し、絶対なる自信を持って、天下四方を睥睨(へいげ

い)する。

 祭主の如き衣装を巧みに鎧と合わせている姿は、幻想的な美しさをかもし出し、場に一種異様な景観を

生み出している。それはこの世のものとは思えぬ意匠(いしょう)でありながら、決して媚(こ)びる事

無く、しかし誰よりも、何よりも目に映える。

 正に天下に咲く一輪の大華。獅子王はこうした華やかな面も持っている。そして自分が人に与える影響

力を理解し、惜しむ事無く用いる。

 彼は自らを売る方法を理解している。それはつまり、人の心を取る方法を知っていると云う事だ。

 人はみすぼらしい存在には屈しない。賢人は智のみ見るが、俗人は美だけを見る。上辺の、しかしだか

らこそ印象に残るソレを、孫文は巧みに利用していた。

 それに比べると、実利のみを見ている楓流では、見栄えの面で数段劣る。

 つまり人の印象だけで言うならば、どう見ても戦う前から楓は負けている。あまりにも大きな違いが、

両軍の間にはあったのである。

 そしてその気持ちが、お互いの将兵の心に、少なからぬ影響を与えてしまう。その効果は馬鹿にはなら

ない。故に、外面を疎かにする者も、外面のみを求める者も、等しく愚かなのだ。

 内外揃って初めて一人の人間であり、どちらかが存在の全てではない。どちらを疎かにしても、必ずや

歪みが出る。それを孫文は知っていたのだろう。

 実際、その効果は明らかであった。

 楓兵達の心に動揺が生まれ、初めから濃厚に持っていた恐怖心が、大きく膨れ上がる。

 逆に孫兵の間には、その楓の恐怖心が伝わり。自分達に対する恐怖心が、自らの自信へと変わって、彼

らを奮い立たせた。

 孫文の力の一つ、恐怖心を利用した相互作用である。恐が力に変わり、力が更なる恐を生ずる。一回り

する力の流れは等しいが、互いにその意味する所は全く違う。

 自然界では、何かが大きくなれば、それを抑えるべく正反対の何かも、等しく大きくなろうとする。

 この場合は、弱が反する強を増大させ、その強が更なる弱を増大させる。反比例する関係が互いを強め

合い、それを永久機関のように続けながら、人の心に深い影響を及ぼしていく。

 これもまた自然の理。孫文は自然のままに優位を得る術を心得、自然、つまり竜王、天帝の采配に従い

ながら、当然のように君臨(くんりん)す。

 彼は決して正道に背かない。流れのまま、当然にして自然のままに優位を生む。そこに無理は無い。だ

からこそ勝利を導く。

 鉄壁の構え、揺るがぬ結束、偉大なる恐怖。

 無理なき、正道故の、抗えぬ力。

 そして勝利、敵者の敗北。

 それが孫文。

 獅子に一度睨まれれば、後は喰らわれるのみ。

 百獣の王に比べれば、今の楓流など、竜に程遠い、無力な山蛇。獅子に喰われるだけの、落ちた蛇でし

かなかった。



 孫文の軍勢は、約四千。しかしそれが全てではなく、背後に予備兵を千は置いてあると見る。

 少なくとも五千は居ると考えておいた方が無難である。おそらくそれより多くはあっても、少ない事は

あるまい。

 楓流が四千程度なのだから、まず高く見られたと満足すべきなのかどうか。いや、獅子が相手を侮ると

云う事は無いから、それを考えれば、むしろ低く見られていると考えるべきなのだろう。

 同数の兵で充分。楓などはいつも通り一蹴するだけの、寡少なる存在の一つに過ぎない。

 如何に訓練を積もうと、孫の練度にまで高める事は不可能。如何に戦術に優れようと、孫文の域に達す

る事もまた不可能。憎々しいまでにそれを知っているから、孫文には焦りも恐怖も無い。

 そしてそれは怖ろしい事に、傲慢(ごうまん)でもなく、妄想でもなく、どうしようもない、明らかな

事実なのだ。

 現状で孫文に勝てる者はいない。少なくとも軍事の面では他の追随(ついずい)を許さない。

 孫文が必要だと思えば、もっと多くの兵数を用意出来た。それを敢えて楓流と同程度の数に止めたのは、

あまりにも現実的な自信の現れでしかない。決して驕(おご)っている訳では無く、冷徹なまでの計算の

結果でしかない。

 むしろこの数でも多いくらいだと、孫文は思っている事だろう。

 彼が滅ぼした勢力の中には、楓以上の力を持つ国も無数に在った。そういう経験を得ての答えがこの兵

数だとすれば、よほどの事が無い限り、その計算は狂うまい。

 楓流もその事は解っていた。解るしかなかった。

 しかし彼はそれも利点と見ている。孫文が必要以上の力を奮わない事。つまり兵数が同数程度という点

が、楓にとっては利点となると。確かに、最大兵数を用いなかった点は、確実に利である。例え現実がど

うあろうとも、弱者の強がりだとしても、最悪の状況ではないと判断出来る。

 これが倍近い兵数差であったとしたら、楓兵の士気は無に消えていた筈。だから孫文が戦って勝つ事を

好んだという点を、まず喜ぶべきだった。

 悪い面だけを見ても仕方が無い。ここに到った以上、例え無力な利であっても、利を利として見、前向

きに考えるしか無いのである。兵数が互角に近いならば、まだ勝機はある筈だと、そう祈りながら。

 楓流は孫軍が到着するや否や、即座に打って出た。

 四千の兵を丸ごと率い、果敢に攻め立てる。

 開戦早々からの、全軍突撃である。

 これは明らかに無謀である。しかし待って時間を経れば経るほど、孫に策を生む時間と、戦闘準備を整

える時間を与えてしまう。

 現状では、いくら待っても楓に勝機は無い。

 ならば敢えて開戦早々の孫軍が到着した瞬間、行軍で疲弊しているであろうその時に、全力を持って攻

勢をかける事で、活路を見出す。それが楓流の達した結論であり、決死の一手であった。

 その為にわざわざ野戦を挑み、ゆっくりと兵を休めながら孫を待ったのである。

 孫文を相手に、被害無くして勝つなどと、甘い考えは捨てている。弱兵が勝つ為には、死を覚悟し、死

を当然とした、むしろ死ぬ為に戦わせる死兵とするしかなかった。

「逝くは今! 命を使うは今ぞ!!」

 楓流は激しく吠え立てながら、力の限り兵を鼓舞し。自らも命を放り捨てるようにして先陣を切り、兵

を引っ張るようにして戦場を駆け抜けたのである。



 楓軍が声を荒げて突進する。

 内心は恐怖に満たされていても、訓練通り不思議と体は動く。考える事を止めれば、残るのは習慣のみ。

彼らは習慣に従うまま前進している。

 何も思わず、何も考えず、ただ命じられるまま、いつものように体を動かす。自ら動くのではなく、こ

の軍という集団に、一人一人の兵が引っ張られているような感覚だと言えばいいか。

 無心には程遠いが、それと似た心によって、体だけはいつも通り動く。しかし今はそれも儚(はかな)

いものでしかなかった。

 する事はいつもと同じでも、そこに意欲と意志が見えない。兵達の表情は閉じ、気は暗い。声はすれど

も、気合が乗っていない。

 対する孫軍は、静したまま動かない。遠征による疲労がそうさせるのか、単純に楓の動きを見ているの

かは解らないが。孫文その人を現すが如く、黙して座すのみで、一向に行動に移る様子がないのである。

 近付けば、反射運動のように動き始めたが、これが噂に聞く孫の采配かと思う程に、その動きは鈍い。

 そこに微かな疑念を抱いたが、しかし楓流は最早進むより他に無かった。すでに動き始めている以上、

引き返せず、元には戻せず。例えそれをした所で、代案が無い以上、無様な姿を晒すだけだろう。

 今は全力で突き進む事のみが、楓軍に出来る唯一の事。

 程無く楓と孫が接触し、先鋒同士が絡み合う。

 互いに精鋭を配していたのだろう。先鋒の動きは他よりは鋭く、速く、活力が見える。

 初めにぶつかったのも当然だ。配された位置もそうだが、単純に他よりも動きが速く、迷いが無い。

 先鋒とは言ってみれば軍を引っ張る力である。一番速く、一番勇敢で、そして何よりも一番愚かである

事が望ましい。

 猪突猛進こそ望まれる。ようするに、獣こそが相応しい。獣の牽引力が勢いを生む。

 楓兵も戦闘が始まれば、意気が変わってきた。何しろ命懸けだ。遠慮呵責(えんりょかしゃく)、迷い

など抱いていられない。

 そうして先鋒同士が激しく斬り合っていたのだが、暫く戦い、楓の後衛が追い付き、弓矢を射るように

なると、孫の兵が崩れるように引いた。

 楓の先鋒には例の破砕槌が、弓兵には鉄矢が装備されている。どちらも実戦経験を得た事で、幾分かは

改良され、まだまだ不備も多いが、威力だけは申し分ない。

 流石の孫軍も、見慣れぬ兵器の前には、勝手が違ったのかもしれない。

 楓流は今しかないと確信し、破砕や鉄矢には強度と量的な問題がある事から、この機を利用して一気に

勝敗を決するべく、更に軍を進めさせた。

 元々短期決戦を挑む腹なのだから、望む所の展開である。

 ただし先鋒だけを突出させるような事はしない。ゆっくりと押し出すようにして、焦らず、確実に歩を

進めさせて行く。

 相手はあの孫文である。例え一時崩したとしても、調子に乗れば、その隙を逆に突かれる事になろう。

 押して行くべき時は押すべきだが、焦ってはいけない。焦りを見せてしまえば、隙を見せれば、優勢を

一変させてしまう力を持っているのだ。

 兵達も今は勢いに乗っているから威勢が良くなっているが、その恐怖心はまったく薄れてはいない。そ

れを忘れる事は敗北を意味する。

「焦るな! 今は敵陣を崩す事のみ考えよ!!」

 楓流の檄(げき)が飛ぶ。

 兵が奮う。

 孫軍はよく持ち堪えていたが、限界がきたのか、再び少しずつ後退し始めた。

 例え少しずつでも下がれば勢いが衰え、逆に攻め手の勢いが上がる。これもまた恐怖の相互作用と同じ

く、等しく保ったまま、力は廻り行く。一方が上がれば、一方が下がり。一方が下がれば、一方が上がる。

強も弱も等しく上下し、総量は常に一定である。

 孫軍が退くという現象を見、楓兵の心に歓喜が注がれた。歓喜は勢いを増幅する。

 恐怖の象徴であった孫軍が退く、しかも自分達の力で彼らを引かせているのだ、喜ばない筈が無い。楓

流ですら一時歓喜に溺れそうになり、危うく自制したくらいである。兵の心が察せられよう。

「焦るな! ここが潮ぞ! 焦らず、いつも通りやれば良い!!」

 楓流は兵を鼓舞し、或いは抑えながら、ぐいぐいと孫軍を押し出して行った。

 何と云う順調な流れだろうか。あれほど不安に思っていた事が、こうも上手く片付けられるとは。案ず

るより生むが易し、とはこの事だろう。

 孫軍は押されるままに、遂には開けた地が閉じる場所、即ち、森林が多い地形まで後退している。この

まま押し出せば、両軍共に森に包まれる事になろう。

 まさに楓が圧倒しているのだが、それにしては孫の陣容が、全く崩れる様子が無いのは何故か。

 退くしかない軍勢が、こうも陣容を保てるものなのだろうか。

 流石は孫文、流石は軍神と呼ばれる将よと、そう言えば確かにそうなのだが。果たしてそれだけで片付

けられる問題なのだろうか。

 楓流には拭えぬ疑惑がわいていた。しかしその時にはもう、それをどうこうする力は無く。彼もまた、

勢いのままに進むしかなくなっていたのである。

 それに気付いたのは、森林地帯にどっぷりと入り込んでしまった後の事であった。

 孫文。楓流はやはり彼の力を、甘く見ていたのである。

 祇路が楓流に誘い出されたように、楓流もまた孫文に誘い出されたのではないか、と気付いた時には最

早手遅れ。すべてはもう、決した後の事であった。




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